※この作品はR-18です。

やはり一色いろはは先輩と本物を築く。   作:光崎

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第1話

  春。早い五月病だったのだろうか。

  クリスマスパーティーやバレンタインデー企画も終わり冬が過ぎた。

  あれ以来何だかんだで時間が過ぎ、何事もなく高校1年生を終えた。

  生徒会長は引退だ。教師からの期待の目線はあったものの、続ける理由もあるまい。

 

  奉仕部では何かあったようだったが詳しくは知らない。

  本物が何か、先輩達は見つけられたのだろうか。

  本物を見つけようと躍起になっていたあの頃の私は遥か彼方。

  何事もやる気が起きない。

  貴重な時間だと分かっていても、それは怠惰で無駄な時間へと変わっていった。

  いつかの先輩を彷彿とさせた。

 

  先輩達は受験生だ。

  結衣先輩ですら勉強をしていた。

  当然のことなのだろうが、奉仕部に集まる機会もなくなった。

  自然と紅茶の香りはしなくなった。

  そんなものかという気持ちもあれば、寂しい気持ちもあれば、残念な気持ちもあった。

  結局、私は本物が何であるかをまだ知らない。分かるものなのだろうか。

 

  ただでさえ希薄であった人間関係――仮面越しの人間関係もあれば、きっと先輩達との関わりもそうであったに違いない。先輩には直な私を見せていたのは事実だが、少なくとも私にとって本物ではない――はさらに薄れ、虚空と同化した。

  きっと、私が文学を嗜むようになったのは、希薄な人間関係を繋ぎとめたかったのかもしれない。

  認めたくはないものの、おそらくこれはやや反語的だ。

 

  最初に読み始めたのは芥川龍之介の歯車だった。

  我ながら変なチョイスだったと思う。

  統合失調症だと言われている筆者の自己投影が話を進める。

  人間追い詰められると、ああも物が全て死と結び付けられて、挙句の果てには悲惨な最後を迎えるのかと、考えさせられた部分がある。

  やる気が出ないだけの私はまだマシな方なのだろう。

  無論、たかだか女子高生が何を言っているのだと言われたらそれまでなのだが。

 

  今年の五月病は長く続いたと感じた。この春はずっと、頭のモヤモヤが取れなかった。

 

  夏。夏バテだろうか。

  家にこもる。何かをしようとも思わないので、何もすることがない。

  なぜか、課題だけは終わっていた。

  そんな私を見た母親も最初は注意したのだが、無駄であることを悟ったのか、あるいは高校生の気まぐれだとしてほっとくことにしたのか、以降あまり言うことはなかった。

 

  部屋の温度は26度。

  もう少し低めが好きなのだが、無意識的に節電を意識したのだろう。

  意識的な節電をしている店を避けていたというのに。

  協力意識の芽生えだろうか。潜在意識は誰にも分かるまい。

 

  ところで、潜在意識と言うのは英語でsubconsciousと言うらしい。

  意識の下とは、なかなかに興味深い。

  潜在意識に顕在意識は支配されているのだろうか。

  少なからずとも、影響を与えていることは間違いないだろう。

  私が仮面をつけたのは、潜在意識的に始めたことだったのだろうか。

  とうの昔だ。忘れてしまった。

 

  先輩が理性の化物になってしまったのは、あれは意識的だろう。

  ――もう自分の間違えで傷つきたくないという一心で、必死に自分を迷宮の中に押し込めた化物だ。

  そんな意識を意識して抑え、果ては本当の気持ちを潜在意識に押し込めた自意識の化物――先輩やはるさん先輩は理性の化物の方が適切であると言っているようだが――を、私の潜在意識はきっと捉えているのだろう。

  表面化してきたのは後だったが、所々にその兆しは見られた。

 

  五月病が尾を引いたのか、案の定、夏バテは夏の間ずっと続いていた。

 

  秋。やる気は少しだけ芽生えた気がした。

  気温も適温。鬱蒼としてうざったかった木も枯れ始め、落葉が道路を埋めるようになれば、少しもの悲しさを感じた。

  少し、というのはもう時期くる桜の季節に対する防御的反応なのかは、やはり誰にもわからないだろう。

  半年ももうない。

 

  3年生は自由登校だ。

  少し物足りない高校は、やや落ち着いて、昔だったら好きだったであろうこの雰囲気である訳だが、今年は受け入れ難かった。

  理由はいい加減気づいているが(というか今まで気づかない振りをしていただけなのだが)、この時期、特に起こせることは無い。

 

  私の高校はそこそこの進学校で、意識の高い生徒は今でも全然勉強をしている。

  私はどうかといえば、まあぼちぼちといったところだろう。

 

  変わったことといえば、はるさん先輩と会ったことだろうか。

 

「いろはちゃんじゃない。ひゃっはろっ」

 

  前に何度か会ったことがあるものの、その時は申し訳ないけれど、あまり良い印象ではなかった。

  というのも、この人は私の上位互換であるといったように思えて、めぐり先輩とは別のタイプだけれど、自分にとって輝いているものを見るのは辛かった。

 

「あっ。ひゃっはろーです!」

 

  元気よく笑顔で挨拶を返す。

  はるさん先輩は、何か力を持っているのだろうか。人が追い込まれているとき、あるいは逃げようとしているとき、決まってその人の前に現れて、現実を直視させようとしてきた。

  もちろんこれは憶測でしかないのだが、聞いた限りそう捉えるほかあるまい。……本当嫌な印象しかないなこの人。

 

「……いろはちゃんには好かれてないみたい。お姉さん悲しいなー」

 

  芝居がかった風にそういった。

  案の定、心を見透かされていた。

  ここまでくるとどこまで見えているのか、少し興味がある。

  そんなことを聞く勇気はないが。

 

「そんなことないですよー!それより、偶然ですねー!何してるんですか?」

 

  自分のことを聞かれたくないから、先手を打つ。

  今の私はきっとボロが出る。それはあまり見たくない。

 

「んー……。ただの散歩。秋、結構好きなのよ」

 

「あ、奇遇ですね。私も秋好きなんですよー」

 

「秋といえば何でもできる季節だけれど、やっぱり私は読書が一番かな」

 

「いわゆる読書の秋というやつですね」

 

「そうそう。文学は結構好きでね。登場人物に共感しながら読むのよ。走れメロス、とか。知ってる?」

 

「流石に知ってますよー。ちょっと馬鹿らしいやつですよね?」

 

「そ。本当……馬鹿らしい話。でも、自分に照らし合わせると、少し面白かったり、するのよね」

 

「誰に照らし合わせるんですか?」

 

「うーん? 誰だと思う?」

 

  この人、平気で質問を質問で返すような人だからなぁ。仕方ないよね。

  とはいえ、答えがわからない。下手なことは言えないし。

 

「……それはちょっと意地の悪い質問じゃないですかー?」

 

「ふふっ。だってお姉さんにばっかり質問してくるんだもん。これでおあいこ。さっ、誰よ?」

 

  主人公はない。なら二択だ。

 

「……セレヌンティウス、ですかね」

 

  完全に当てずっぽうであったが、はるさん先輩を眺めてみると、少し悩んでいる。

 

「ふうん。どうしてそう思ったの?」

 

「はるさん先輩についてよく知らないのでわかりませんが……、私にはメロスとセレヌンティウスの友情が欺瞞に思えて仕方がないんですよ。結局、メロスの勝手な判断で友達を巻き込んだだけで、セレヌンティウスはどう思ってるんだろうって。だからセレヌンティウスに自己投影したら面白いんじゃないかなって、そう思ったんです」

 

「確かに、描写で語れることが真実であるとは限らない。そういう意味ではなかなか楽しそうね」

 

「結局、あってるんですか?」

 

「きっと、二択までは絞れたんでしょ? なら、言ったら答えがでてつまらないじゃない」

 

  相変わらずだった。

  しばらく黙っていると、はるさん先輩は再び話し始めた。

 

「……本物じゃないって、そう思うんだ」

 

「……あんな簡単に本物が書かれたら、嫌じゃないですか?」

 

「本物はそんな簡単に書けるものじゃない、超越したものだって根拠はあるの?」

 

「それは流石にないですけど、まあなんとなく嫌ってだけです」

 

「……私も、探してるんだろうな。いろはちゃんは、本物、見つけられた?」

 

「私が本物を探してることになってるんですか?」

 

「あら、探してなかったの? てっきり、隼人に告白したのは本物を探してたからだと思ってたんだけど」

 

  本当、この人どこまで知ってるんだろう。

 

「いやまあ探してますけど……、見つかってません」

 

「どこにあるんだろうね、本物」

 

「ちょこちょこ探してますよ。見つかったらラッキーみたいな感じで」

 

「ん、その言い方はあんまり好きじゃないかな。軽く見てるみたいで」

 

  軽くとがめる口調で言われた。

 

「いや、そんなつもりはなかったんですが」

 

「それより、ちょこちょこでも探してるの? そうは思えないんだけど」

 

  若干、雰囲気が変わった気がした。あー、厄介なはるさん先輩が出てきてしまった、という感じだ。

 

「……探してますよ」

 

「ただずっと家にこもって、本読んだり、勉強したりするのが、本物を探すことなの?」

 

「ちょ、なんで私生活まで知ってるんですか」

 

  本当疑問なんだけど、この人どうやって情報集めてるんだろう。流石に私生活まで知られてるとなると、気楽に生きていけないんだけど。

 

「いや、見てればわかるよ。雰囲気とか、パッとしてないし」

 

  見てわかるものなのだろうか。相手の気持ちを知ることでさえ難しいことを今痛切に感じているというのに。

 

「……いいじゃないですか。探したくなくなる時だってありますよ」

 

  完全な開き直りだ。しかし、これがおそらくの理由だ。白状させられる、そんな流れのようなものを感じた。

 

「そんなこと、いってる場合?」

 

  きっと卒業式のことだろう。流れに逆らってみようとして、シラを切ってみることにした。

 

「なんのことですか」

 

「……自分でも気づいているんでしょ? 卒業式はもう近いの」

 

  どちらと別れるのが私にとって辛いと思われているのだろうか。きっとこれもはるさん先輩は知っている。

 

「まあいいけどね。一目見て、気に入ったところもあったから、雪乃ちゃんと同じようにちょっと急かしただけ」

 

「はぁ。はるさん先輩は、何が目的でこんなことをしてるんですか?」

 

「……気まぐれというところもあれば、本物に興味があるから、というところもあるかもしれない」

 

  きっと、はるさん先輩は少なからず自分を見つけて欲しいという気持ちがあるのだろう。家柄、完璧であることを強いられてきたのは想像できる。

 

「じゃ、そろそろじゃあね」

 

  こんなのが、久しぶりのはるさん先輩との出会いだった。相変わらずふと現れてはすぐ消える不思議な人だった。ただ、少しはるさん先輩について、わかった気がした。

 

  結局、この秋は何もしなかった。ただ、はるさん先輩との会話について、考えていた。

 

  冬。受験シーズンだ。

  私立組の結衣先輩は、どうやら先に受験を成功させたようだった。必死に追い上げて、なんとか都内の有名大に受かったらしい。

  1度、しっかり結衣先輩とは話した。

  場所は、あの奉仕部の部室だった。

 

「あの、比企谷先輩とは、どうしてるんですか?」

 

「あ……、うん。決着、つけたよ」

 

  ボソッと。そっか、いろはちゃんには話さないとだよね、と呟いたのが聞こえた。

 

「……どう、でしたか?」

 

「……あたしね、ゆきのんの後に告白したんだ。これは、ゆきのんが望んだことなんだけど」

 

  俯いて、やや、声が震えているように感じられた。

 

「それで……、ヒッキー、ゆきのんに……、ごめんって。あたしにも……、ごめんって」

 

  声の震えがより感じられた。

 

「本当に、今思い出しても、ヒッキー、それ……、ずるいって……」

 

  その通りだと、私も思う。

 

「……いろはちゃんは、どうするの?」

 

  私は何もわかってないし、行動力があるわけでも、なにか考えがあるわけでもなかった。

  ただ、秋、考えて、確定していることが、1つだけある。

 

「……私は」

 

  黙っていてくれた。正直に、以前みたいに曖昧にではなく、はっきりと、私は、言いたかった。

 

「本物が欲しい」

 

  夕陽の照らす奉仕部に、影が2つ。少しの沈黙の後、結衣先輩は話してくれた。

 

「そっか」

 

  視界が霞むが、結衣先輩の目が赤くなっていることには気がつけた。

 

「あたしも、ゆきのんも、そしてヒッキーも、本物はまだ見つけられてないから、だから、うん、頑張って」

 

  そして、早春。去年とは違い、頭の中はすっきりとしていて、これから行うことも、受け入れられた。

 

  ……本当は、少し受け入れられないところもあった。最後に、嫌な思い出が残って欲しくないな、というところだろうか。

  ただ、素直な自分を見せることは、きちんと決めてきた。

  葉山先輩に告白したときと、少し似ていた。

 

「すいません、呼び出しちゃって」

 

  朝10時頃、千葉駅東口で私は先輩と待ち合わせていた。

 

「……何謝ってるんだよ。お前そんなキャラじゃねーだろ」

 

  相変わらずの目つきで、1年前と同じ雰囲気で、少し安心感を覚えた。

 

「大学、どうでしたか?」

 

「ああ、なんとか千葉から離れず済んだみたいだ。ただ、ほら、雪ノ下に姉がいるだろ。あの人と同じ大学っていうのが、ちょっと不安だ」

 

「あー、それは不安ですね……」

 

  確かに、陽乃さんと同じ学校だとしたら、なかなか安心した生活は送れないだろう。あの人、なにかと手出してきそうだし。

 

「んで、どこ行くんだよ」

 

「いや、ノープランですけど」

 

  まあ目的は単なるデートじゃないし、それの成功失敗はどうでもよかった。

  というか本当、よくきてくれたな先輩。最悪きてくれなかったら告白だけでもするつもりだったけど。

 

「はぁ。まあいつものことだから慣れてるけどな。いつも通り連れ回してくれ」

 

  もう慣れてるようだった。まあ何回か連れ回したし……。

 

「まあ連れ回してもいいんですけど……、ただやっぱり先輩と楽しみたいというのもあるので、先輩も行きたいところあったらどんどん言ってくれると嬉しいです」

 

「……なんか妙に落ち着いてないか」

 

  確かに、以前のようなハイテンションではなかった。ただ、本物探しということもあって、素直にいこうと、そう思っただけだ。

 

「今日の私は素直です。素の私ですから、あざといとか言ったらポイント引くのでご注意を!」

 

「だからなんだよポイントって……」

 

  ふふんと言って、先輩のシャツ越しに手首を掴み、歩き始める。

  え、勢いでやっちゃったけどこれ凄い恥ずかしい。

  と思いながらも、本格的に手を握る。ちょっとやり過ぎただろうか。

  先輩を見てみるとちょっと顔を赤らめてた。不覚ながらちょっと嬉しかった。

 

  ……ええ、これ嬉しいけど凄い気まずい。

 

  これを解消するため、時間を見計らって先輩に声をかけた。

 

「勢いでですが、手、繋いじゃいましたね……」

 

「お前意識してたのかよ……」

 

「いや、私も結構乙女みたいなところありますから……」

 

「……普段のあざとさはどうした」

 

「あんなもの、好かれたいからと見栄はってるだけに決まってるじゃないですか……」

 

「まあ、そういう気持ちもわからなくはない、かもな……」

 

  とりあえず会話はできたものの、やや気まずさは残ったままだった。

 

  何となしに、大きなショッピングモールに入ってみる。1階は化粧品やアクセサリーショップなので、特に見るものはない。

  上に大きいので、ひとまずエスカレーターに乗っておく。

 

「開店からそんなに時間はたってないのに、相変わらずの人の多さだな……」

 

「あー、まあ休日ですからね……。たまに学校さぼって平日1人でゆっくり見たりするんですが、それでも結構人いますよ」

 

「学校さぼってって……。まあ俺も2年になってからは結構さぼってたしな。大学でも留年しない程度にさぼるつもりだ」

 

「先輩らしいですね……」

 

「お前もきっとそうなるだろうよ」

 

  まあ否定はできないけど……。

 

  文房具店についた。ここはなかなか大きくて、いつも立ち寄る。

 

「ん、ボールペンか。いいよな」

 

「あっ、わかりますか? 私もボールペン好きで、さらさらしたのが好きなんですが、あの質感が本当に良くて」

 

「奇遇だな。俺もさらさら派だ。ジェットストリームなんかは愛用してる」

 

「あれ、腕疲れないので良いですよね」

 

  ボールペン被っててちょっと嬉しい。このボールペンずっと使い続けよ。

 

「色とか使うんですか?」

 

「いんや、使わん。大抵俺のルーズリーフやノートは真っ黒だな」

 

「まあ確かに想像はできますね……」

 

  きっと字は汚いだろう。いや、案外綺麗かもしれない。

 

「一色は一杯色使いそうだよな。名前とは違って」

 

「いやまあそうなんですけど……。えっ、流石にそれは……」

 

「すまん」

 

  突然の寒いギャグにちょっと引く振りをして遊ぶ。いや今思い返せば1周回って面白いみたいなことが……いやないわ。100周回ってもないわ。

 

「とりあえず、回ってみましょうよ」

 

「そうだな」

 

  文房具店も見終わり、次の場所へ向かう。強いてあったのはおもちゃ売り場ぐらいだった。

 

「先輩は子供の頃おもちゃとかで遊んでました?」

 

「んー、どうだろうな。わりと皆よりも早くテレビゲームで遊んでた気がする」

 

「あー、そうなんですか」

 

「おかげで小町とも遊べて、なかなか楽しいぞ。マリカとかな」

 

「多少はやったことありますね。暇つぶし程度にですが」

 

「まあ、ゲームなんてそれぐらいが丁度いいわな。ほら見てみろこのペンギン、頭殴ると土下座するぜ」

 

  そういって先輩はペンギンの頭を叩く。するとペンギンがコケー!と鳴いて土下座の体制をした。

  っていうかそれ鶏の鳴き声じゃないの……。

 

「うっわ……、なんか見たくもないものを見てしまった気分です……」

 

「子供の頃から、こうやって社会勉強できるおもちゃもできて、今のガキは恵まれてるな」

 

「嫌な世の中ですね……」

 

「本当な……。ふと我に返って悲しくなるんだよな。自分何してるんだろって」

 

「経験あるんですか?」

 

「あるに決まってるだろ……」

 

「あるに決まってるんですか……」

 

  先輩、色々と傷が深そうだからなぁ。今では可哀想な感じもする。

 

  時計を見れば、長針が1つずれた程度だった。

 

「少し歩き疲れました。そこのイス座りましょうよ」

 

「ほい」

 

  2人で並んで座る。手は握ったまま。

 

「あのー、手、繋いだままでいいんですか」

 

 なぜか敬語で話しかけてくる。

 

「いいに決まってます!」

 

「あ、いいに決まってるんですか……」

 

  さっきと逆パターンになった。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

  繋いでないほうの手を伸ばして、頭を撫でてあげる。

 

「え」

 

  あえて無視した。

 

「いや、あの、えっとちょっと……何をしていらしてるんですかね……」

 

「さっきからなんで敬語なんですかー?」

 

  今日初めて甘ったるい声だした気がする。この声、自分で言うのもあれだけど、かなり完成されてるよね。特技に入れてもいいかもしれない。

 

  先輩は1つ咳払いをした。

 

「……いや、いきなりで、な。わかるだろ、うん」

 

「いやー言って貰わないとわかりませんよー」

 

  恥ずかしがってる先輩可愛いなー、とか思ってしばらく撫でて遊んでる。先輩女の子に免疫ないしなー。

 

「ええっと……、なんでいきなりこんなことし始めたんですかね……」

 

「うーん、まあちょっと、先輩が可哀想だなと思ったので、ちょっと遅いですけど、癒してあげられたらなーって」

 

「いや、何を言っているんですかね……。俺の癒しは戸塚だけって決めてるんで……うん、はい」

 

  心が、胸が少し痛くなった。

 

「むぅ。戸塚先輩が可愛いのは認めますけど……、あんまり他の人の話題出さないで欲しいです。出しても褒めないでください」

 

「……え、ちょっとなにそれは。嫉妬だと勘違いしちゃうからやめてくれません?」

 

「ちょ、本当に嫉妬ですよ……。せっかく先輩と2人なんですから、私のことだけ見てて欲しいです……」

 

  素直な気持ちだった。素直過ぎただろうか。決めてきたことだし、最悪今日で終わるし、これぐらいでいいだろう。

 

「……すまん」

 

  ちょっと涙目になったが、なんとか堪えられた。先輩の前で泣いてメイク崩れたら惨めすぎて、恥ずかしくて死ぬしかないし……。

 

「涙目になったんで、責任もって抱きしめてください」

 

  しっかり先輩の目を見て言う。本当、今日の私どうかしてるなぁ……。ふっきれてるのが大きいかな。

  若干先輩は戸惑ってたものの、ぎこちない動きで、しっかり抱きしめてくれた。嬉しいという気持ちが先行していた。

 

  先輩の胸に顔を埋める。あ、洗剤の匂い……。普通に落ち着く。心臓凄いドキドキしてるけど、落ち着く。幸せ。

 

「……こういうときは、背中を撫でてあげるものですよ」

 

「お、おう」

 

  先輩が撫でてくれてる。今人生で一番幸せかもしれない。それぐらい幸せ。

 

「はぁ……、ついでに頭も軽く撫でてくれると嬉しいです」

 

  1回顔を上げて、やはり目を見ていう。先輩も多少は慣れた感じだった。

 

「こうか?」

 

「ん、そんな感じです」

 

  先輩の胸に顔を当てて、目を瞑る。あ、眠れそう。でも寝ちゃったら幸せ感じられないし……、というかそもそも外で寝るって選択肢が普通に考えてありえないけど……。

  うーん、寝ない程度に頑張ろ……。

  あぁ、幸せ……。

 

「えーと、その、そろそろ起きてもらえませんか? いろはさーん?」

 

  名前を呼ばれた気がした。ハッとして起き上がる。

 

「あっ、えっと、すいません。気持ちよくて、寝ちゃったみたいで……」

 

「ああ、まあいいよ。俺も下手な発言したし、お前も気持ちよさそうだったし」

 

「ところでさっき、いろはさん、って呼んでくれましたよね?」

 

「……ちょっと勢いでな」

 

「これからも、下の名前で呼んでくださいよ。できれば、さん付けじゃなくて、いろはがいいです」

 

「ま、まぁ、呼び方変えるぐらい、特に変なことじゃないよな。うん……、い、いろ……は」

 

「ぎこちないですね……、まあ慣れてください」

 

  時計をチラッと見ると、1時を過ぎた程度であった。結構寝ちゃったな……。

 

「もうこんな時間ですか……。すいません先輩、自分だけ寝ちゃって」

 

「いいよ別に。気にしてない。それより昼にしよう」

 

「あー、そうですね。どこでもいいんですけど、先輩行きたいところありますか?」

 

「前行った時は俺が選んだから、今度はおま……、いろはが選べよ」

 

  お前、と呼ばれそうだったので再び繋いだ手をぎゅっと握って合図した。

 

「んー、そうですね。オムライス食べたい気分です。ちょっと歩くんですけど、行っていいですか?」

 

「お前らしいな……。いこう」

 

  1階へ降り、外へ出て別のショッピングモールへ行く。

  オムライス専門店と聞いて、興味があったのだが、未だに行けてなかったので行ってみたかった。

 

  7階に着き、目当てのお店へ入る。他のお客さんは10人ぐらい。なかなかいい感じの雰囲気だった。

 

「私は普通のビーフソース掛けのオムライスにしますが、どうします?」

 

「俺も同じのにしとく」

 

  先輩が店員さんを呼んでくれて、注文も一緒にしてくれた。

 

「おー……、先輩今のはグッドですよ。良いなって思いました」

 

「いろ……はと結構回ってるからか、何すればいいか少しずつだがわかってきたな」

 

「いい傾向ですね……」

 

  注文が届いた。いや、思ってたより大きい。腹八分程度を想定していたが、結構お腹いっぱいになりそう。

 

「大きいですね……」

 

「いろははあんまり食べない方なのか?」

 

「大抵の女の子はこんなものだと思いますよ。というより男の人の食べる量に驚きですよ」

 

「なるほどな」

 

「いただきます」

 

  小さめの声でいって、スプーンで1口食べてみる。

  美味しい。卵ふわふわしてるし、チキンライスもしっかり作られてるし、ビーフソースも美味しい……。

 

  先輩を見てみると、どうやら満足してくれてるようだった。お店をチョイスした私も嬉しい。

 

  完食し、少しお店の中で休憩する。

 

「美味かったな……」

 

「はい……、かなり満足です」

 

「次、どうする?」

 

「行きたいところありますか?」

 

「何も無い」

 

  ここまで断言されるとは……。

 

「なるほど……。……先輩、楽しめてますか?」

 

  さっきから(というかいつもだが)ついてきてもらってばかりで、本当に楽しめてるのか、少し不安だった。

 

「いや、そういうつもりはなくて……、楽しめてるよ」

 

「そうですか……。うん、よかったです。楽しめてもらえて。カラオケでも行きましょうよ」

 

「カラオケか」

 

「先輩の歌、ちょっと聞いてみたいです」

 

「まあそこそこ歌える曲はあるし、いいよ」

 

「じゃあいきますか」

 

  店を出て、近くのカラオケへ向かう。

  受付をさっと済ませて、とりあえず2時間ほど歌うことにした。

 

「あ、えっと、どちらが先歌います?」

 

「あー、どっちでもいいぞ」

 

「じゃあ先先輩どうぞ……」

 

  先輩にマイクを1本渡す。

  ピアノの音がやけに胸に響いた気がした。

  先輩は特に緊張している素振りもなく普通に歌い出す。

 

「改札の前」

 

  あ、先輩普通に上手い。意外だった。歌とか全然歌うイメージなかったんだけど、予想に反してというか、声量あるし、うん、普通に上手い。

 

  先輩が歌い終えて、マイクの電源を切り、机に置く。

 

「あーきっつ。ラスサビキー3つ上がって普通にしんどいんだよな……。息続かん」

 

「あの、普通に上手かったです。よくカラオケとかっていってるんですか?」

 

「ああ、たまに行くぞ。……もちろんヒトカラだが」

 

「なるほど……、意外でした。本当、上手くて」

 

「……ありがとう。いろはの歌聞きたいから、次どうぞ」

 

「あっ、はいっ」

 

  あっという間の、2時間だった。

  カラオケボックスを出る頃には、まだ冬の名残が残っていて、もう夕方だった。私が疲れたと言って、近くの公園のベンチで休憩することにした。

 

  広めの公園で、子供達はもう帰った後だった。

  いよいよだった。少し、準備がしたかった。

 

「……楽しかったですね」

 

「……あぁ」

 

「また、行ってくれますか?」

 

「……気が向いたらな」

 

  どっちとも取れない発言が、私を不安にさせた。

  ただ、先輩が楽しかったと言ってくれたのは、私にとって嬉しかった。もし、これで終わりになったとしても、楽しかったという記憶は、私だけのものじゃないから。

 

「私が今日誘ったのは――」

 

「やめろ」

 

「えっ 」

 

  予想してなかった先輩の言葉に驚いた。

 

「由比ヶ浜と、雪ノ下さんから聞いてる……」

 

「そう……なんですか」

 

  だから、先輩はきてくれて、あまり拒むようなことはしなかったのか。納得がいった。

 

「――今なら、葉山の気持ちが、凄く、わかる。本当に、今のこのいろはとの関係を……壊したくない……。欺瞞であってもいい……。だから……」

 

「先輩……」

 

  先輩は、もう雪ノ下先輩と、結衣先輩との関係を、一度壊してしまったから、その痛みが、わかるんだろう。

  でも、私は言うって、決めたから……。

 

「いろは。俺は……壊したくないから……言って、いいか……?」

 

「そんなの……本物じゃ、ないじゃないですか……。壊したくないからって、理由じゃ……駄目ですよ……」

 

「そう……か……」

 

  少しの静寂が訪れる。

 

「先輩……、本物って、なんなんでしょうか」

 

「俺は……、嘘がなくて、心の底から理解しあえて、お互い何でも受け入れられる……そんな関係が……欲しかった」

 

「先輩……、私、今日ここに来るまえに、決めてたことがあるんです。最初に言ったとおり、素直でいようって、そう決めて、来たんです。先輩のこと、好きですから……」

 

「そんな私は……思ったこと、全部口に出していったり、表現したりしました。私が、嘘を言っていたと、思いますか……?」

 

  これで駄目なら、もう無理だろう。諦める決心もついているし、もう……。

 

「いろは……」

 

「あと、もういろはって呼ぶのも、抵抗がなくなってきたみたいで、凄く、嬉しいです。正直に言ってください。どちらでも、受け入れますから……」

 

「……信じてる」

 

 

 

  ◇

  あれから1年たち、私も先輩と同じ大学に入れて今は同棲してる。先輩も信じてくれたみたいで、私も先輩のことを信じてる。

  先輩の大学は結構可愛い人いるみたいで、心配していたのだが、それを打ち明けてベタベタ先輩に張り付いてたら、いろはより可愛いやつなんているかよ、なんて言ってくれて、恥ずかしいのと嬉しいので死にそうになったり、幸せな毎日を送れてる。

 

「ほら、誕生日プレゼント」

 

「もう、プレゼントなんて先輩の愛だけで十分ですよ」

 

「恥ずかしげもなくよくそんなこと言えるな……」

 

「凄い恥ずかしいです……」

 

「相変わらず自爆するのな……」

 

「で、開けていいですか?」

 

「ん、どうぞ」

 

「これ……ボールペンじゃないですか。凄い高そうなんですけど……」

 

「昔、ボールペン好きだって聞いたの覚えててな」

 

「覚えててくれたんですね……。ありがとうございます……、しかも名前入りにしてくれて……、本当に、嬉しいです」

 

  感極まって涙出るぐらいに、嬉しくて、いろはという名前が大好きになる、そんな1日で、こんな日に溢れた日常を、今過ごしている。

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