「ふぅ……」
あれから新都へと向かい、小奇麗なカフェで珈琲を飲み込み心を落ち着けた慎二。その目の前には何も語らずにただ見守っていたキャスターが紅茶で口を潤していた。
キャスターは知っていた。いや、聖杯の一部である事は予想でしか無かったが、それでも慎二と数日暮せば理解せざるを得なかった。
人に許された――それこそ魔術師ですらない普通の人間に許されている魔力の許容量を越えた慎二。
それとなく、桜に聞いてみれば一時期の慎二はよく倒れたりしていた様だ。「翌日には何も無かったようにケロリといつもの義姉さんでしたけどね」と何処か悔しそうに笑った桜。
もしも、ソレが"創り変え"の一部だったならば、きっとソレは魔術回路を新しく創り上げるよりも苦痛であっただろう。言い表せない程の苦痛。自身が変化していく事を理解する恐怖。人から遠ざかる孤独。
それら全てを押し隠し、そしてキャスター自身が背中を押した事によって、ソレは現実として突き付けられた。
「私は大丈夫だよ」
「……そう」
キャスターの悩みを見抜いたのか、それとも何かを感じたのか。慎二はそう一言溢して、珈琲を飲み干した。
自身が変化していく事は理解していた。それこそ最初から視ていたのだから――理解せざるを得なかった。
だから、慎二はそれほど悲観してはいない。当然、改めて自身が人為らざる物へと変化した事実を突き付けられて思考が塗りつぶされたけれど、所詮はそこまでなのだ。
絶望をしたけれど、それも慎二の計算に含まれていた。ただ、少しばかり我を失っていただけ。それだけでしかない。
「それにしては半狂乱だったようだけど?」
「感情が溢れただけさ。今は落ち着いているよ」
「ふーん」
陶器が僅かに擦れた音を耳にしながらキャスターはソレを追求する事はなかった。
落ち着ける訳などない。今もきっとこの少女は来るべき未来を予見して、怯えて、恐れている。
そんなキャスターの視線に気付いたのか、慎二は手を強く握って苦笑する。バレる事などわかっている事なのだ。それでも、気丈に振る舞っているのは、慎二の矜持が弱味を見せる事を許さない。
「凡そ予想は出来ていたけどね。それでもコレだ」
「大丈夫なのかしら?」
「問題ないよ。誰かが目の前に居れば、私は崩れないさ」
他人――自身を知る者が近くに居れば自分は間桐慎二を保つ事が出来る。演じる訳ではない、ただ自分を失わないだけ。
慎二にはそれだけで十分だった。
「"間桐慎二は進まなければならない"」
「どうしたの?」
「ここが物語の中ならば、きっと語り部はそう言っているだろうさ」
「……主人公気取りかしら?」
「悪の幹部がイイ所だね」
世界平和を望んでいる訳でも、自分を殺して誰かを救う訳でも、悪に堕ちて世界を救う訳でもない。
もしも物語だったならば、慎二は自身を主人公にする事はないだろう。自身に役割を与えるのならば、『悪の幹部』であろう。
陰謀を企て、主人公を貶め、卑劣な手段を用いて主人公を妨害する。出来る事などその程度のモノだ。
「それで? 悪の幹部様の次の目的は何かしら?」
「悪の幹部ではないけれど、盤面を整えようか。それこそ、悪役らしくね」
「……媒介は何かあるのかしら?」
「お爺様なら何か持っているかも知れないけれど、アレに頼ってコチラに手を出されるのも面倒だ」
「ならさっさと殺す事ね」
「殺せるなら殺してるさ。ただ、もう出来なくなったけどね」
「……なら私が勝手にするわ」
「助かるよ。私を依り代にすればルール違反でもどうにかなるかな?」
「そうね。聖杯を騙す事は出来るでしょうね」
「ならソレで行こう。私の血液はあるから問題は――」
「ちょっと。アナタが直接居れば問題無いのだけれど?」
召喚の場に存在しない事を仄めかした慎二にキャスターは不満そうに慎二を睨んだ。その睨みを意に介さないように慎二は肩を竦める。
「私は色々とする事があるんだ。今の内に会っておかないと間に合いそうにないしね」
「……昨日、動きを見ていたけれど――死ぬわよ」
「死なないよ。それなりに手札も準備してる。会話する事もなく殺されない限り死なないさ」
「そうなることを願ってるわ」
溜め息を吐き出したキャスターに苦笑する。使い魔を準備してもらい、目的地へと飛ばす。
キャスターは一向に不満顔であったけれど、ある程度は慎二の事を立ててくれるのか表立って否定をする事もなく喫茶店から姿を消した。
新しく来た珈琲を飲み込み、慎二は息を吐き出す。震える手に気付いて、強く握りしめる。
もしも、キャスターがあの場に居なかったならば、間桐慎二は死んでいただろう。魔術的な害意に触れたという理由ではない。
確かに絶望はした。恐怖もした。半狂乱に陥る程に取り乱した。それでも、自分の命を投げ捨てる事は無い。慎二の命はそれほど安くはない。
息を吸い込んで、瞼を閉じる。網膜に焼き付いたのか、思い出される美しすぎる文字列達。雑多で不安定な世界で初めて視てしまった根源に近しいであろう文字。
その一つひとつを舐るように読み解きたい欲求に苛まれる。まさしく魅了された、と言えるだろう。
知的好奇心。そうしなくてはいけない、と思える程に本能的な欲求がソレを求める。根源に近付けと訴える。
一部であるが、あの美しい文字列が自分にもある。故に間桐慎二という物体の全てを読み解けば、アレに近付く事が出来る。
あの瞬間、キャスターが近くに居なければ、きっと自身は容易くソレを行っただろう。
一人の人間の全てを理解する。自分という物体を読み解く。そして聖杯を理解する為に更に深く、深く――。
本能的にソレを押さえ込む事など出来ない。自分を捨ててまで求めてしまいそうになった。求めなくてはいけない、と思ってしまった。
魅了された。心が取り込まれた。間桐慎二という存在を捨ててまで根源に近付きそうになった。
理性的に恐怖し、本能的にソレを求めた。
こうして落ち着いてしまえば、理性の方が強くなる。メガネを通さずに自身を流れる文字列を視ても、何かを感じる事はない。いいや、心の何処かでは求めてしまうのだけれど。
本能が求めてしまう。読み解け、と。ただ純粋な知的好奇心という欲望が間桐慎二としての全てを消し去ろうとする。自身を流動する文章を紐解き、その全てで根源へと到ろうとしている。
紐解けばどうなるかなど想像に容易い。肉体的ではなく、精神的に
一時の恐怖に塗りつぶされた狂喜的な興奮。
まるで物語を読むように甘美で。
まるで物語のように自身を急かし。
まるで物語を読んでいる時の様に全てを忘れさせる。
恐怖も歓喜も悲しみも悦びも絶望も希望も愛も憎しみも罪も救いも罰も理想も幻想も現実も――全て。
「……だからこそ、"間桐慎二は止まってはいけない"」
まるで語り部が紡ぐように、慎二の口からは言葉が溢れた。そして、苦笑する。
メガネ越しに見える世界は思うよりも理想的だ。
「……さて、そろそろ行こうか。アチラが交渉に乗ってくれるかはわからないけれど――コールする時はいつだって自信を匂わせていなければいけないからね」
珈琲を飲み干し、間桐慎二は立ち上がる。不敵な笑みを顔に浮かべながら、波打つ髪が風に吹かれた。
◆◆
月夜。モッズコートに身を包んだ慎二は白い息を吐き出しながら空に浮かぶ円形を見つめる。
その視界に金糸雀が通り過ぎ、慎二の肩で翼を休める。労る意味も込めて首元を指で擽りながら、慎二は視界を空から正面へと移す。
「……もしも月に兎がいるのなら君の様に愛らしいのだろうね」
「――――なにそれ」
「軽口さ。もしくは口説き文句かな。世辞ではないよ」
不敵に笑う慎二の目に巨体が映る。筋肉の鎧に丸太と錯覚してしまう腕。吐き出す息の熱量が多いのか真っ白な呼気。それらを支える大樹の根と遜色ない脚。
メガネを少しズラしてその巨躯を視て、慎二は目を細めてメガネを掛け直す。目頭を抑えて自身の見通しの甘さに嫌気が差したが、ソレを表に出す事もなく巨躯の肩に乗っている少女へと視線を向ける。
「今日の申し出を受けてくれて感謝するよ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
「……キャスターからの呼び出しだと思ったけど、アナタがマスターなの?」
「私は代理みたいなモノだよ。気を悪くしないでくれ」
「ふーん」
大した興味も無いのかイリヤスフィールは巨躯から降りて、トテトテと慎二へと近付く。
真っ赤な瞳で慎二を見上げて、目を細める。
「ふーん……アナタも私と一緒なのね」
「驚いたな。友人の魔術師には言及されなかったんだけれど」
「わかるに決まってるじゃない」
「なるほど。君の方が優秀なようだ」
クツクツと喉で笑いながら慎二はイリヤスフィールに視線を合わせるように膝を折り曲げた。
ソレに対してイリヤスフィールは不満そうに唇を尖らせてみせたが、その不満を口にする事はない。
「では衛宮切嗣氏について、他人である私が――」
「待って」
「?」
「その情報は全て本当なの?」
「真実であり、事実だ。一切の嘘が無いと誓おう」
「信用出来ない」
「では、私の望みを晒そう。君の役割を貰いたい」
「…………は?」
「君を殺してしまえば自動的に私に移るのだけれど、生憎私には君を殺せる程の力はない。そこにいる大男にデコピンでもされれば私は呆気なく死ぬだろうね」
イリヤスフィールの後ろに控えている巨躯を見上げて慎二は苦笑を漏らす。あんな物にデコピンでもされてみろ、額の頭骨は砕けて、脳漿を撒き散らすことなど想像に難くない。
とんでもないモノを見るように眉間に皺を寄せたイリヤスフィールは身を引く。
「何考えてるの?」
「――聖杯が汚れてる、というのは知っているかな?」
「……嘘言わないで」
「バレるモノは言わないさ。死にたくもないからね」
「…………それなら余計にアナタがそうなる理由がわからないわ」
「そうかな? 確実に私の願いを叶える為には必要な事だからね」
「アナタの願い?」
「……それは言う必要はないかな。それこそ君には関係の無いことさ」
イリヤスフィールの問いに対して慎二は応える事はない。応える意味も無い。
「君も私も、残された時間は少ないんだ。これほど君に得になるように準備したのだから、二つ返事で君は私の申し出を受ければいい」
「……聖杯をどうするつもり?」
「壊す――事はどうやら私に出来そうには無いかな。少しの間、眠ってもらうだけさ」
「なら別にわたしから譲与されなくてもイイんじゃない? アナタがキャスターを使って何かするつもりなら、余計に」
「ソレは無理だね」
イリヤスフィールの言葉を切り捨てるように、慎二は冷たく言葉を吐き出した。メガネの奥で燐光を宿したように瞳が揺らぐ。
「君が来るまでに沢山の物語を読んだけれど、そのドレも解決には至らないのさ」
「……未来視」
「ではないよ。私が出来るのはその真似事――よりも劣化したモノだけかな。カケラ探しとはよく言ったモノだね」
瞼を閉じて、慎二は白い息を吐き出した。開いた瞳に燐光は灯っていない。
慎二は未来視など出来ない。未来を予見するなど出来る訳がない。出来る事は今ある文字達を辿る事だけだ。後々に続くソレを読み解くだけ。
不確定要素を多分に含んだ幻想への道筋が視えるだけ。目隠しをして地図も持たない人と目隠しと地図の無い慎二。その程度しか違いは無い。
「……まだ時間はあるの?」
「数日はね。出来れば衛宮士郎を殺さないでほしいけれど」
「シロウを?」
「あれでも友人でね。殺されると悲しんでしまうだろう」
まるで他人事の様に苦笑した慎二。衛宮士郎の不死性――というべきか、昨晩に殺されかけたにも関わらず、今となっては普通に動けているのだ。
内包されたアレは知っている。加えて彼を視たのだから、大凡の予想は出来る。
「ふーん、生きてるんだ」
「なんだ知らなかったのか。会いに行ってみればいい。アレはお人好しだから食事にでも誘われるかも知れないけどね」
「殺しかけたのに?」
「
クツクツとアレ呼ばわりしている衛宮士郎を思い浮かべて笑っている慎二を唇を尖らせて見るイリヤスフィール。
ふん、と鼻を鳴らして踵を返したイリヤスフィールに苦笑する。
「時間は無いけれど、余裕はあるさ。連絡を待つよ」
その背中に言葉を掛けて、慎二は白い息を吐き出す。
まるで地が揺れそうな錯覚を覚える巨躯の歩みと軽やか過ぎる少女の歩みを見送り、姿が完全に消えた事を確認してから慎二は腰を地面に下ろす。
「ふぅ……いやはや。腰が抜けた」
さっぱり力が入らず立ち上がる事もままならない慎二は脚を崩す。
ヘラクレス。ギリシアの大英雄とも呼べる存在。圧倒的な存在感とクー・フーリンにも劣らぬ輝かしい文字群。狂気に塗りつぶされて無ければあの文字群にも惹かれていた事だろう。
粟立つ肌を撫でて、改めて息を吐き出す。
「どこまで上手く出来るかはわからないけれど、やってみせるさ」
苦笑して自身を奮わせるように吐き出した言葉に自信を滲ませる。出来ないとは思えない。けれど出来るとも言えない。
メガネを通して視える世界は随分と雑多で、そして綺麗である。
>>ワカメネキのSAN値
不定の狂気を凌ぐために恐怖に逃げて、どこぞの戯曲に魅入られたように求めちゃう。まだ大丈夫だな!(危険じゃないとは言ってない)
>>ワカメネキの未来視
正確には未来視ではなくて予想。「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな感じ。人の出来る範疇の"未来予想"でしかない。
本文での例え話で言うなら、
未来視(結果が確定している)→地図持ち、目隠し無し。
ワカメネキ(結果模索、情報過多)→地図無し、目隠し無し。
一般人(結果模索、情報不足)→地図無し、目隠しアリ。
みたいな感じ。視える分怖がるのもワカメネキの特権。
>>……ん? 予測連鎖での未来視って……
よ、よくある設定だから……。拙作である思考厨程確実性も無いし大丈夫大丈夫(白目
>>カケラ探し
自分の求める結果の模索。別原作からの引用
>>