「今は何年なの?」
「2005年」
もう7年も経過したのかと思うと心底ゾッとする。それくらい今の異常な環境に、わたしは慣れてしまったらしい。
──心から笑わなくなったのはいつから? 泣けなくなってどれくらい経った? S.T.A.R.S.にいた頃のわたしは?
……喚いたってどうにもならない。ここ最近、あの男を見ていない。 それどころか、わたしを担当していた作業員も姿を見せなくなっている。わたしの血液採取の数も減り、気付けば誰一人、わたしがいる部屋に来なくなった。
監視をしていたカメラは相変わらず作動しているようだけれど、誰かのいる気配すら一切感じられない。
──どうなっているの?
何だか嫌な予感がする。わたしはゆっくりと立ち上がって、入り口のドア前に立った。このドアには頑丈なセキュリティのもと、管理されていて自分で開けることは不可能だった。
ドアに耳をあててみる。監視の気配はない。一体どうしたのだろうかと思った時だ。小さな機械音共に、自動でドアが開かれた。わたしは警戒しながら、ゆっくりと部屋を出た。
……不気味な程静かで、わたしの足音がコツコツと響き渡る。廊下を少し行った先、わたしが連れて行かれていた実験部屋がある。その部屋の前に差し掛かった辺りから、何故か明かりが点いたり消えたりしている。どうやら壊れているらしい。
研究員達や作業員達は何処へ消えたのか。息を潜めて壁伝いを歩き、 そっと様子を伺った。
「な……、何これ……!」
中は荒れ放題。様々な物が散乱し、壁には血飛沫が。床にも凝固した血溜まりがある。何かが起こった事は確かだ。わたしは警戒を更に強め、ウェスカーの部屋へと向かう事にした。あそこなら、制御室を探すより早いと思ったからだ。
ウェスカーの部屋へはすんなりと入ることが出来た。普段と変わりのない薄暗い部屋だ。わたしは大きなモニター画面の前に行き、色々操作をして試しながら、今起こっている状況を調べる事にした。
全ての監視カメラから集められた過去一週間の映像を見つけ、早回しに見ていく。
「これは……」
わたしの知らない研究室の映像に映っていたのは、頑丈なケースに入っていた、恐らくウィルス入りであるそれが突然爆発し、バイオハザードが起こった様子だった。
研究員達や作業員達が慌てて避難の準備を始めたり、避難経路に次々と向かっている映像が続く。
この広い施設の脱出口には、大勢人が集まっている。ただ、どうやら扉が開かれないらしく、皆がカメラに向かって何かを訴えたり、数人がかりで必死に扉を開けようとしているのだ。
暫く経つと、別のカメラの映像に嫌なものが映るのが見えた。制御されていたゲージから、醜く変形した実験体が何体も逃げるのがわかった。その実験体らは、逃げようとする研究員や作業員に攻撃をしかけ、辺りを血の海に変えていく。最後は、脱出口にいる人達までもが………。
わたしはそっと、映像停止ボタンを押した。
「なんてこと……」
記録された日から一週間も経過している。生きている生存者はいるのだろうか。まだ作動しているカメラを切り替え、生存者を探してみる。けれど、見つかりはしなかった。
この施設はもう駄目なのかもしれない。そう思うと、前に一度実行しようとして叶わなかった、施設との心中が記憶に甦った。ウェスカーが全く姿を見せなくなったということは、此処はもう用済み。──わたしもそうなのだろう。だけど解放されたのなら、これは喜ぶべきだろうか。
この中は辛くて悲しい思い出しかない。いっそ、自分諸とも破壊してしまえば……。
「駄目よ!」
盾にされている家族の安否もわからないのに、ただ諦めて死んでしまっては駄目だ。それに折角会えたジャス、救えなかったミランダと、自ら死を受け入れたネイサン。彼等を思えばこそ、 何としても今は生きていなくては……。
そう思いながら、ウェスカーが使っていただろうパソコンに手を伸ばし、この施設の管理システムに入った。久しくコンピューターには触れていなかったけれど、感覚はちゃんと覚えていたようだ。
まず、この施設全体の地図を見つけ、頭の中に叩き込んだ。次は近道の経路に、脱出口の場所を把握したわたしは、急いでこの部屋を出る。警戒は怠らない。逃げ出した実験体の行方がわからないからだ。何か武器になるものがあれば良かったけれど。 ──ふと、何かしら疑問の様な、妙に心に引っ掛かるものがあった。
「……でも、先に行かなきゃ」
気になる事はあったけれど、立ち止まってる場合じゃない。取りあえずは仕方なく、脱出口に向かって走った。記憶した地図通りに進んだ通路の先、ここからは、わたしの知らない場所に繋がっていた。
確か、わたし以外の実験体を実験する部屋がある筈だ。階段を上がり、長い廊下の壁は特殊なガラス製。広い実験室が丸見えの状態だ。わたしは歩みを止め、ガラス壁の実験室を見た。様々な電子機械に手術台が何台か置かれ、周りにあった幾つもの液体入りのガラスケースには、実験段階での何かが存在している。それらは、果たして生きているのか死んでいるのかもわからない。
その異様な光景に目を向け続ける勇気は無くて、わたしは止めていた歩みを再開させた。
気味が悪いくらい静かな通路を進む。たまに見つける血の跡、死体は無い。耳をすませて辺りを集中すると、何かが引きずって歩く音が前方から聴こえてきた。
何か武器になりそうなものを探してみようと、たまたま横にあった部屋に入る。ロッカー室のようだが、中は荒れ放題。人間の原形を留めていない遺体があって、わたしは思わず叫びそうになった。
それを我慢して中を探れば、遺体の近くにハンドガンが落ちてあった。わたしは躊躇せずに拾うと、妙な音のする方へと向かった。
──恐くはないと言えば嘘になる。
今にも飛び出しそうな心臓を押さえ、一呼吸する。壁伝いから顔を覗かせると、見えたのは恐ろしい光景だった。激しく損傷した遺体の中を歩く、何体かの死体らしき存在と、成れの果てとなった実験体3体が、群を成すかの如くホールに集まっていたのだ。
辺りは血や飛び散った臓物の臭いで溢れかえり、わたしは堪らずに吐き気をもようした。
このホールを通れば近いけれど、今の装備では心もとない。そう思ったわたしは、音を立てずに静かにその場から離れ、違うルートから進む事にした。
別のルートへ進む中、元は生きていた人が2体、横から襲い掛かって来た。わたしは咄嗟に避けて足蹴りを食らわし、 床へ倒れたそれらを見た。
「……なんて酷い」
腕や足が腐り落ちても動くその姿に、私の心が酷く痛んだ。
「ごめんなさい」
銃で頭を撃ち抜いた。せめて静かに眠らせてあげたい。
──早く、行かなくては。
銃声に駆けつけて来られる前に。以前のわたしなら、どうしていただろうか。ただ怯えて、悲しんでいただけだろうか。……もう動く事のない死体に目を背き、わたしは走り去った。
別のルートをひたすらに進み、幾つかの死体見つけたり、ゾンビ化した人を何体か倒して行く内に、やっと脱出口の手前にまでやって来れた。
「何よ、何なのよ……?」
扉の向こうに脱出口がある筈だったのに、その扉になんと、びっしりと隙間から植物が生え拡がっていた。
「これもウィルスの?」
ドアや壁を覆い隠すように生えている
「どうしたら……」
まるでイタチごっこの様だと、苛々は増してきた。他のルートは無く、此処を通らざる終えない。何度かそれらを繰り返した頃、わたしの耳に遠くから何かの這う音が入って来た。
──逃げ出した実験体達がやって来る!
今は何とかこの場所に入って来られないようにしなければ。反対側の自動ドアの接続部分を探し、そこをこじ開けてコードを引き抜いた。バチバチと火花が散ると、ショートした様に煙を出して、自動ドアは機能しなくなった。これで暫くは時間が稼げる。
……この植物はどうしようか。何とか引き抜いたりちぎったりをしても、結果は同じだろう。わたしは何か良い方法がないかと考えながら、近くに自然を向けた。
靴やら書類やらが落ちて荒れている隅を見れは、誰かが落としたのだろう、ペーパーナイフが落ちている。
「これもきっとダメ」
ショートさせたドアから音がする。実験体がもうやって来たらしい。
──早くしなきゃ。
……何か他に火でもないかと思ったその時、ふと、あの出来事を思い出した。
「火……」
切った手から血と共に発火したあの時、あれから試しはしなかったけれど、確かにわたしの手は燃えていた。わたしの血液なのかと半信半疑ではあったけれど、ここまで来れば一か八かで試してみる価値はあるかもしれない。
拾ったレターナイフで人差し指を切る。痛みと共に赤い血がたらりと流れ出て、直ぐに傷口は塞がれた。火は起きない。
「切ったのに、血が出てるのに……!」
もう一度、今度は右手の掌を深く切った。でも、何も怒らない。わたしは苛立ちをあらわに、レターナイフを故障したドアへと投げつけた。その音に実験体がバタバタと反応した音が聴こえてくる。
「今からライターやマッチを探す?」
半ば自棄になった様に呟いて、わたしは蔦をちぎりまくった。心の中で何度も、どうして発火しないのかと自問しながら、ひたすら蔦と格闘した。
──こんなところで、まだ終わってやるものか!
怒りを持って蔦を掴んだ瞬間、傷口はとっくに塞がっているのだけど、血に濡れた右手が突然発火した。
「あ!」
驚いて蔦を離し、燃える右手を見た。──やっぱり、火がついた。熱くは無く、痛みも無い。唖然とはしてしまったものの、やっと手に入った火を使わなければ。わたしは、燃える右手を蔦に近付け、火をつけた。その火は蔦全体に拡がり、あっという間に全てを燃え付くす。
すると、火を関知した火災スプリンクラーが発動し、天井から水が降ってきた。お陰で消す手間が減ったと、もう燃えていない右手を見つめながら、わたしはドアをこじ開けた。
脱出口は、短い廊下を渡って先にある。この場所にも血痕はあったが、遺体やゾンビ等はいなかった。わたしは、脱出口のハッチ扉を開けようとした。──ここでまた、引っ掛かる何かを思い出す。
「……変よ、やっぱり」
こんなに簡単に逃げ出せるものなのだろうか?
「誘導……、されてる?」
わたしをこの施設から出す為に、わざとなのでは。まさかそんな、と口に出しつつ、簡単にハッチ扉を開けると、とても広くて大きな倉庫らしき場所に出た。
「ここは……?」
辺りを見渡せば、一機の軍用輸送機らしき乗り物が視界に入る。わたしは拳銃を手に持ち、警戒を解かずに輸送機へと近付いた。輸送機は後部の扉が開かれていて、中へはそこから入った。
人の気配はしない。慎重に操縦席へと進むと、誰も乗ってなどいなかった。わたしは慌てる様に操縦席を調べた。この輸送機に特に異常は見受けられない。電源も入った。不服だけれど、これで逃げるしかないのだろうか。
突然、倉庫に設置されていたサイレンの音が鳴り響き、倉庫の天井が大きく開かれる。
「何?」
すると今度は、電源を入れた輸送機が勝手に動き出したのだ。
「まさか!」
慌てて操縦パネルを確認すると、何故か自動運転になっている。必死に何かのボタンを押してみても変わりはなく、輸送機の下の地面が高く上がって、外に半分だけ機体を出した常態になった。
操縦席から見える外は、何年ぶりだろうか。星の見える夜だった。
「……やっぱり、ね」
あの男は、わたしが必ず此処を出ようとするだろうと、わざわざまわりくどいやり方でこの機体まで誘導したのだ。
──此処と心中する気はもう無いと思ったのかしら? 随分と簡単に誘導してくれたわね。……何故?
機体は飛び立った。わたしは呆然と立ち尽くす。機体の後部が激しく揺れた。我に返り、後部にある窓から外を見た。今までわたしがいたであろう研究所があった島の中心部が、煙を上げて燃えているのだ。
──隠滅か、必要がなくなったからか。あの男は、いとも簡単に消し飛ばした。あの苦痛な日々を、悲しい思い出を、あっという間に壊した。
ジャスやミランダ、ネイサンの顔が浮かぶ。わたしは、気が抜けたように床へ座り込んだ。
「……何処へ行くの?」
小さく呟いたわたしの問いは返されはしない。代わりに、頭上からスイッチが入る音がした。それは煙を吐き出し、わたしを包むように降りそそぐ。少し肺に入ると急激な眠気に教われ、わたしはそのまま瞳を閉じた。
この眠りから覚めた時、わたしはまだ、まともでいられるのだろうか?