ダイアナ・オブリーは死んだ。1998年の、あの日に。
──けれど本当は、生きている。
ゆっくり目を開けて直ぐに目に入ったのは、少し豪華な照明だった。体を半分だけ起こし、わたしは周りを見た。柔らかな白さの壁や天井、赤の絨毯、クイーンサイズのベッド。
ここは一体……。ベッドから出て、部屋中を確認する。どうやらどこかのホテルらしい事はわかった。窓に近づいてカーテンに手を伸ばしかけた時、後ろから「お目覚めになられましたか?」と女性の声がして、わたしは少しだけ驚いた。
「貴女……誰?」
「このホテルの者です。ダイアナ様、先にシャワーをお使い下さいませ」
「誰に頼まれたの?」
「それは、今はお答えできません。それに、支度が整いませんと……」
誰なのかは、本当は訊かなくてもわかっていた。 困った表情の従業員らしい女性に罪はない。彼女を疑ってこのまま無視をし続けたとしても、ただこのホテルや彼女に迷惑がかかるだけ。
仕方がない。わたしは素直にバスルームへ向かった。後ろから感じ取ったのは、女性従業員のやや緊張感のある溜め息だった。
バスルームに入る前、大きな鏡が目に入る。何年ぶりだろうか。久しく見ていなかった自分自身。髪の毛は背中まで長く伸びた、少し癖のある金髪。……嫌だ。肌は太陽を浴びていないせいか、やけに白い。顔は──変わっていない気がする。ママと同じグリーンがかったグレーの瞳を見て、わたしがわたしであるという事に安堵した。
そっと鏡から顔を背け、着ていた服を脱ぐ。やはりというか、拳銃は無かった。
広いバスルームに入って蛇口をひねる。研究所にあった、無機質なシャワールームとは全てが違う。わたしは頭からシャワーを浴び、頭の中のごちゃごちゃした思いや考えを一気に空にした。
バスルームから出れば、着ていた衣服はどこにもない。代わりにバスタオルを巻いたわたしの前に、従業員がバスローブを持って待っていた。
「ダイアナ様、こちらにお着替えをご用意しております」
一旦渡されたバスローブを着てからベッドがある部屋へと戻れば、白いベッドの上に大きな箱と少し小さな箱が置いてあった。
「……これは?」
従業員の方を見れば、開けて下さいと促される。わたしは仕方なく、その箱を開ける事にした。中には真っ赤なイブニングドレスが。
「それをお召しになるようにと」
──何故こんな事を?
思わず深い溜め息が漏れた。暫くわたしは、全力でドレスを着るのを抵抗していた。唐突にドレスを着ろという、意味のわからない事に苛立ったからだ。 ……でも、このまま従業員と二人で居続けるのも困る。わたしは仕方なく、ドレスを着る事を受け入れた。
「お似合いでございます!」
赤いVネックのロングドレスは左側にスリットが入っている。もうひとつの箱に入ってあった、ドレスよりも赤黒いヒールを掃かされ、無理矢理ヘアメイクまでされた。髪をサイドに纏められ、普段してこなかった化粧が気持ち悪い。
「ほらダイアナ様、とてもお綺麗です」
鏡の前に立たされた自分は、華やかな格好と共に、ドレスと合わせた赤い唇が目立っていた。高そうなピアスにネックレスも用意されていたけれど、「それだけは嫌」と頑なにわたしは断った。
「ブロンドに白い肌、赤が良く映えてございます」
この状況が待ち望んでいたサプライズで、当たり前の普通の女性ならどんなに気分が良いだろうか。これから先の事を考えて心が躍るだろうか。わたしは違う。非常に不愉快でしかない。
「ではダイアナ様、ウィルソン様がお待ちです、ご案内しますので参りましょう」
──ウィルソン? 誰? ウェスカーではないの?
知らない名前だ。それよりも、今から何処へ行くというのか……?
わたしの居た部屋は20階だったらしく、そこからエレベーターで一階に降りた。わたし以外の人には出会わず、静けさが漂う。
「静かだわ……」
「はい。このホテルには、ウィルソン様とダイアナ様、お二人だけでございます」
「……そう」
広いフロアから奥の長い廊下を進むと、このホテルのレストランがあった。
「中でお待ちになっております」
ここで従業員は一度去り、次はレストランのウェイターから案内を受ける。ホテル全体を貸し切ったレストランには、勿論他の客はいない。レストラン内のVIP席だろう更に奥へと進み、豪華な扉の前に来た。
ウェイターが扉の向こうに一声かけて扉を開ける。中にいたのは、何となく予想通りのウェスカーだった。真新しい黒のスーツに身を包み、不適な笑みを浮かべて手前に座る男を、わたしは睨み付ける。
椅子を引かれてわたしが奥に腰を下ろすと、待っていた様に別のウェイターが隅から現れて、グラスにシャンパンを注ぎ始めた。
「……やれやれ。女は準備に時間がかかるな」
「わたしはそのままでも良かったのだけれど……?」
少しの間を空けて、ウェスカーが何かを合図した。するとウェイターは、VIP室から皆去って行く。
「これはどういう茶番なんです? ……Mr.ウィルソン」
静かな怒りを持って、小馬鹿にわたしは言った。
「……フン、茶番、か」
「ええ、茶番よ。これが茶番じゃなきゃなんだって言うの?」
「なかなか似合ってる……とでも言えば良いのか?」
「話をそらすの?」
「ダイアナ、今日はお祝いだ。お前にもご褒美も用意した」
「何を……」
何がお祝いなのか、怒りで震える体を抑える様に、わたしは両手を握りしめる。
「お前の血液から抽出していたウィルスが上手く安定を見せてな、漸く完成を迎えたよ」
「完成?」
「ああ、大いに役に立った。今宵はそれを祝う」
注がれていたシャンパングラスを持ち、それを軽く上げてわたしに見せる。
──乾杯でもしろと?
する気などわたしには全く無い。何もしないでいると、ウェスカーは口角を上げて一口だけシャンパンを呑んだ。
「どうでも良いわ……。それよりも、わたしがいたあの研究所の事よ、あれはどういうつもり?」
「今は止せ、食事前だ」
タイミングが良いのか悪いのか、料理を運んだウェイターが入って来る。料理の説明や、それに合うワインの説明をしているのだが、心底どうでも良い。目の前に出されたメインの肉料理など、出されても食べる気など起こりはしないのだから。
再び二人だけとなったVIP室では、ウェスカーだけが黙々と食事を始めている。
「まともな食事は久しぶりだろ?」
「いらない。よく食べる気になるわね」
「普通の人間をやめても腹は減る。……お前も食べるんだ、折角のお祝いの席を無駄にする気か?」
わたしの中でプツリとキレた音がした。気づけば近くにあった肉料理を切るナイフを、ウェスカーの左手元ギリギリにして、テーブルの上に刺していた。
「嫌よ!」
刺したナイフをそのままにして、わたしは席を立つ。そして乱暴にVIP室の扉を開けて出た。
「ダイアナ様どちらに!?」
突然出てきたわたしに、ウェイター達は驚き慌てていた。
「外の空気が吸いたいの! 一刻も早く!」
怒りでどうにかなりそうだった。案内された中庭が見えるテラスに出る。わたしは心を落ち着かせる為に深呼吸をした。だって外の空気なんて何年も吸ってなどいなかったのだ。
はあ、と深い溜め息が口から漏れてしまう。今いる場所の季節は知らないけど、夜のせいもあって少し肌寒い。
わたしは近くにあった椅子に腰をかけて庭を見渡した。どこからだろう。近くから音楽が聴こえてくる。空は悲しいほど満天の夜空で、とても美しい満月が辺りを優しく照らしていた。
──あの男にもっと色々言いたいことがあったのに……。歯痒さや憎いウェスカーに対しての苛立ちが募る。
「此処を貸しきりにしちゃってる金持ちって、キミ?」
意識を飛ばしてて気づかなかった。突然知らない声がして、わたしは警戒しながらあたりを見渡した。
「こっちこっち!」
何者かは僅かに声を落として言う。テラスの一段下向こうからする声に、わたしは急いで顔を出した。
「誰……?」
声の主は、こっそりと草葉に隠れながら話をしている為、姿は見えない。
「驚かせてごめん! 俺、このホテルに泊まる予定だったんだけどさ、突然泊まれなくなっちゃったんだよね。因みにここから近いのホテルに泊まってて……えと、理由知りたくてさっき訊きに来て、ついでに貸し切ってるヤツはどんなのかって………」
「……覗いてたって事?」
「ご、ごめん、でもただ覗いたっていうか、今さっき来たばっかって言うか」
「ごめんなさい、迷惑したんでしょう? 代わりに謝るわ。後、わたしじゃないから」
「え、……キミじゃないの?」
──すると、近くであの男の気配を感じ取った。
「本当にごめんなさい。でも悪いことは言わないから、お願いだから暫くは此処に近付かないで。早く戻って」
そう告げて、わたしは顔を引っ込める。ウェスカーが此方に段々近づいて来る気配を感じながら、冷静を装って椅子に座り直した。
「落ちついたか?」
背中から感じるウェスカーの気配。
「……そうね、お酒でも呑みたい気分よ」
そんな気は更々ない。
「お前は呑めないだろ?」
──何故それを覚えているの?
「S.T.A.R.S.の新人歓迎会や警察署のイベント式典パーティーじゃ────」
「あなたと昔話をしたくはありません」
言葉を遮り、立ち上がる。
「役に立つものは完成したんでしょう? なら、わたしはもう用済みでは?」
挑発気味に、わたしはウェスカーを睨み上げた。
「わたしを開放して」
ウェスカーからは薄い笑みが消え、わたしの顎を乱暴に掴んできた。
「開放されてどうする? 家族のもとへ帰るのか? それともクリスに会いに行くつもりか?」
顎を掴む手に力が込められ、わたしはその手を振りほどいた。
「何度も言わせるな。お前の全ては俺の手の中だ」
ウェスカーは強引にわたしの手を掴むと、黙ったまま早足で歩き出す。
「痛いっ」
今にも折られてしまいそうになる程強く掴まれ、引っ張られながら慣れないヒールで歩く度、足が痛んだ。エレベーターに乗る時も、最上階の廊下を歩く時も、わたし達は何も話さなかった。
ホテルのスイートルームに入ると、二つ扉を開けて奥の部屋に広いベットが見える。わたしは一気に身体が冷え込み、掴まれていた手に力を入れて抵抗を示した。──が、この男は更なる力を入れてわたしをベットの上に投げ付けたのだ。
「完成はしたが、その成分はお前にしか創られない。今までも、これから先も、お前は私によって使われ続ける。──有り難く思え」
ウェスカーは、サングラスを外してスーツを脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。
「やめて」
「フン、やめろだと?」
シャツを脱いだウェスカーの上半身は、以前よりも逞しく鍛え上げられていた。覆い被さったウェスカーと目を合わさない様に、わたしは顔をそらした。
「受け入れて離さないのはお前の方だ」
「嫌!」
両手を掴まれ、首筋から胸元へと愛撫が始まった。
「あ!」
それから逃れようと背を向ければ、後ろからVネックに手を伸ばされ、包む様に乳房を掴まれる。
「ぁあ、……や、あ!」
後ろから抱き締める形で、耳や首筋に舌を這われたわたしは、ウェスカーにされるがままの状態だ。最早久しく無かった軆はこの男を強く求めていて、どこを触られても感じてしまうのだ。いつもならこんなに長く、執拗に愛撫は無いのに……。
「淫乱め」
片方の手でスリットが入っている側から手を突っ込まれて、下着上から陰部を撫でられた。自分でもわかるぐらい、中は濡れている。下着を外され、執拗にある部分だけを責められて、わたしは悲鳴に近い声を上げた。
「ひ、あ、あ、ああぁ!」
一瞬に頭の中が白くなり、身体が細かに痙攣する。待たずして、今度はスリット側の脚を軽く上げられて、溢れて止まらない部分に熱いものがあてがわれた。わたしは歯を食いしばり、ゆっくりと進入してくる熱に堪えようとした。
「う、ぐっ」
奥へ奥へと入る異物が、わたしの中で擦れる度に電気を全身に走らせる。緩やかな出し入れの動作に、頭がおかしくなりそうだ。
「う、は、んん! うぅ」
再びわたしの耳や首筋、背中を舌先で弄び、徐々に腰の動きを速めて奥へと突いてくる。
「アァ! うぅ、は、ぁあっ」
奥を激しく突かれ、堪えていた声が漏れる。快楽の波は何度も訪れて、わたしの中をぐちゃぐちゃに掻き乱していった。
暫くしてわたしが悔しくも絶頂を迎えた時、いつもなら血液を取られる筈なのに、今回はそれが無かった。何故採らないのかと考えたけれど、それすら言葉を交わしたくない。荒れたベットの縁で横たわりながら、わたしの目線はカーテンの向こう側、窓の外に集中していた。
ウェスカーは今、バスルームで身体を流し終え、身仕度を整えているだろう。
わたしはベッドからゆっくりと離れて、広い窓ガラスの前に立った。カーテンをそっと開けて見る。あんなに綺麗だった星空は何処へ行ってしまったのか。外は少し荒れていて、窓に雨が叩き付けられている。
窓ガラスに反射した自分の顔に、叩き付けられた滴が流れ落ちていって、──まるで泣いている様に見えた。
「フフ、アハハハ……」
わたしは何故だか、急に笑いたくなった。だけと楽しくて笑ったんじゃない。泣けなくなった自分に、今のなんとも無様な姿。情けなくて腹ただしくて……。
──何故抵抗しない? 何故、あの研究所での憎しみを返さない?
「気でも触れたか?」
後ろからウェスカーの声がして、わたしは笑うのを止めた。
「正気だから笑うのよ」