一週間が過ぎた。何の目的も無く部屋から出たわたしは、許された範囲内ギリギリの場所まで来ていた。
渡り廊下の中に設置された窓から、慌ただしく動く研究員達を高い所から見下ろしていると、島の研究施設を思い出して嫌気がさす。
あの部屋にカメラを仕掛けた犯人は、まだわからない。
最中を聴かせられた事もあって、初めはエクセラかと思ってたけど……。向こうも今までしてこなかったカメラを仕掛けたなら、何か反応を見せに来る筈。でも、それが無かった。
「これはこれは……。Ms.オブリー」
聞き覚えのある声に振り向けば、ジュラルミンケースを右手に持ったリカルド・アーヴィングがそこにいた。いけ好かない表情をわたしに向けて、わざとらしい営業スマイルで歩み寄って来る。
「元気そうで何よりだな。こんな所で再会するとは思わなかったぜ。ひとりでお散歩中か?」
「背後、右方向頭上から見てる」
「何?」
アーヴィングは周りを見渡してやっと監視カメラを見つけたらしく、カメラに向かって戯ける様に手を振り出した。
「何処も彼処も監視の目だらけ。息が詰まりそうだ。そう思うだろ?」
「……別に。死角はあるわ」
「へえ、死角ねえ」
わたしがカメラから見えない位置に移動すれば、アーヴィングもそれに
「わたしに何か用?」
「いや、無いな。オレはエクセラからの連絡を受けて来ただけだ。もう終わったけど」
「……そう。わたしはあるわよ」
瞬く隙を狙ってアーヴィングの右腕を掴み、後手に捻じ曲げて体を壁に押さえ付けてやる。
「──あぐっ! き、急にどうした?」
「あまり騒がないで。……折られたいの?」
盗聴器は無いけれど、一応は静かにさせたい。わたしはアーヴィングの耳元で囁きながら、掴んでいた右腕に僅かに力を込める。
「……ヘヘッ。Ms.オブリー、その耳に囁く感じイイねぇ。オレもアンタを後ろからガンガンに攻めてみたいもんだなぁ」
下品な顔で舌を出して笑うこの男の腕を更に捻じ曲げてやれば、「冗談だって!」と焦る様な顔でアーヴィングは謝った。
「何で仕掛けたのがオレだとわかったんだ?」
それはどういう意味なのか。それにさっきの『オレも後ろから』の『オレも』とは。もしかして──。
「……ふうん。あんただったの。良い趣味してるわよね、覗き魔さん」
「何だって? カマかけたのか?」
仕掛けた犯人はアーヴィングだった。わたしはその件とは別に、この男に用があった。ムカつくけれど、好都合だったのかもしれない。
「わたし、カマなんてかけてないけど? 自分から自白したんじゃない」
「……マジかよ。あーあ」
「わたしが此処に何の為に連れて来られたのか、あんたは理由を知ってるのよね?」
「そりゃあ、まあ、一応はな。でもどういう風にして血液採取してるかまでは知らなかった。偶然耳に入れただけなんだって。エクセラとウェスカーが話してるのをさ。気になったんで、試しにこっそり仕掛けてみたら……っていうね」
……どんな偶然よ。そんなの嘘だ。あの二人の会話も、前から盗聴していたに違いない。アーヴィングが何者なのかはわからない。でもこの男は、ウェスカーに命じられてわたしを連れて来ているし、それに『エクセラからの連絡』を受けて此処に来たと言っていた。きっとあの二人に接触出来る立場の人間なのだろう。
だからこの施設の中を変にうろついてたぐらいで特別怪しまれる事もないし、監視カメラの位置さえ把握してれば、簡単に忍び込んで仕掛けるのも可能だった。
「あいつら……、オレの苦労も知らねぇで好き放題。有り難みってもんを全然理解出来てないからよ。ちょっとしたストレス発散っていうやつ?」
アーヴィングは、わたしがいる前でウェスカーやエクセラに対する不満を吐露した。
「バレたら大変じゃない」
「だから特殊なやつを仕掛けてる。今のところ誰にも気づかれてない」
──わたしは気づいたわよ。
「で、そろそろ腕を離してくれよ。仕掛けた事は謝るからさぁ」
「まだあんたに用が残ってる」
「何だよ?」
「あんたの今知ってる全ての情報が知りたい。持ってるんでしょ? 見せて」
何も知らないままでいたくない。始める前に、外の世界やこの施設内で何をしているのかを知りたかった。研究員達を脅して訊き出すよりアーヴィングを選んだのは、行き来も自由に可能である"外の人間"の方が、多くの情報を得ているだろうから。
「知ってどうする気だ?」
「別に。何も知らないでいるなんて、気持ち悪いからよ」
「……オレが教えるとでも?」
「無理矢理吐かせるつもりだった。そうね、カメラや盗聴器の事を、バラしてあげても良いし」
わたしは、ポケットからシャツのボタンサイズの盗聴器と、手のひらに完全に収まる小型のカメラを取り出して見せる。血液採取の後はいつもひとりにさせられるから、知られずに回収しておいたのだ。
「お、おい! それ特注品なんだぞ! 壊してないだろうな?」
「まだ、ね。どう? 教えてくれるの、くれないの?」
「……オレにメリットが無い。だから嘘を教えるかもなぁ。おい、ダイアナ・オブリー、等価交換だろそこは」
──あっさりと単純にはいかないようね。
甘く見てた。ふざけていても、この男なりに考えているらしい。カメラや盗聴器、バラされるという脅しだけじゃ情報が貰えないなら、無理矢理に吐かせるしかないのか。……でも、嘘を教えられても困る。
「こういう世界にいるとさ、感覚っておかしくなるだろ?」
どう見ても此方の方が有利な状況だったのに、アーヴィングの余裕ある表情は何だ。
「だから普通じゃイケないわけよ。色々女を買って試すんだけど、飽きちゃうっての? 盗撮も普通の奴らじゃ勃たねえ」
「……何を言いたいの?」
「まあ聞けよ。エクセラとウェスカーのは傑作だぜ? エクセラの奴、毎度必死にしゃぶり付いて甘えた声でおねだりさ。自分からウェスカーの上に跨って腰振って『ひいひい』声上げてる。ウェスカーはちっとも動かないし、エクセラの少し不満顔とイキ顔にマジで腹抱えちまったよ」
ケタケタと下品に笑う姿は、ますますわたしに嫌悪を感じさせる。
「これはなぁストレス発散も兼ねてる。偉そうなあいつらがナニしてるところを覗いて可笑しく笑う。スリルもあってイキ放題。あいつらからの無理難題に、文句の一つも言わず
これからアーヴィングの要求するであろう等価交換に、とても嫌な予感が働いた。
「……ただ、あんたがヤられてるのは別格。ウェスカーに犯されてるアンタの顔、最高にセクシーで何度もイっちまったぜ。アレがまた見たい。──それが等価交換」
ざわり。わたしの髪の毛がまた伸びた。何でそんなものを、この男に見られなければならないのか。
「取引もまともに出来ない素人は、黙ってオレとの対価交換を受けりゃあ良い」
「……バラされるのなんて、恐くないって事?」
「オレはこれでも仕事が出来るからなぁ、あいつらも稼ぎ頭を失いたくないだろ」
──だから余裕があったのね。
「情報が知りたくないのか? 金もかからない。何の揉め事無く知れるんだぞ。オレ達だけの取引」
「まだ信じられないわ。それにあんたは、エクセラやウェスカー側でしょう?」
「じゃあ、これを特別オマケで教えてやる」
"オマケ"として教えてくれたのは、自分の事。アーヴィングは、トライセル・アフリカ支社の資源開発部門が所有する、油田の所長を務めている。……が、それは表の顔。裏では同社製薬部門に所属し、生物兵器の運用試験や、闇のマーケットでテロリストや犯罪組織に流し、膨大な利益を上げて資金を調達する役割を任されていると言う。
「……嘘だと思うのなら、エクセラかウェスカーにでも訊いてみろ」
さあ、どうする。アーヴィングは問うた。こいつになんて見られたくなんてない。でも、ウェスカーには知られず、秘密裏に情報を得る事が出来るなら……。
「さあ、ダイアナ。取引をしようぜ? イエスかノー、どっちなんだ?」
悔しくて、堪らずに下唇を噛む。短い時間の中で葛藤したわたしは、掴んでいたアーヴィングの腕を解放する様に離れた。
「……イエス、よ」