ジルが薬によってウェスカーに使われていると知ってから、数ヶ月。年が明けて2009年になった。
今が何年なのかを知れているのは、研究室のパソコンに表示されていた日付を覚えていたお陰だ。
部屋から出る事が出来なくなったわたしは、一日中ベッドの上で仰向けになっているか、部屋の隅で壁にもたれながら座っているかのどちらかをして過ごしていた。
監視カメラは新たに設置され、常にわたしを見ている。三週間に一度、ウェスカーがジルを連れてやって来るのは『採取』の為。その時だけは、カメラが作動していない。
嫌がらせの様にジルを部屋の外で待たせ、わたしを犯して採取した血液を届けさせるのだ。拒否すれば薬を打たれ、苦しみと快楽に
終わった後に採取した血液を受け取るジルの視線が、仮面越しから深く突き刺さる。意識のあるジルは、こんなわたしをどう見ているのか。きっと軽蔑しているに違いない。
わたしはそれに
ウェスカーの首に腕を回し、自らの口で口を塞いで舌を絡ませるのは、わたしじゃない。下になって喘ぎ、抱き締める様に背中に爪を立てるのも、わたしじゃない。だから、だから……。
──ごめんなさい。
逆らいもせず、憎い男を受け入れるわたしを。あなたを救えないわたしをどうか……。
「お前は俺に従い続けるしかない」
──やめて。
「お前の全てを受け入れる事が出来るのは、俺だけだ」
それはまるで、愛の囁きにも聴こえた。
……限界。わたしを繋ぎ止めている細い糸は、今にもぷつりと切れてしまいそうだ。
「クリスが今のお前を知ったらどう思うだろうな?」
突然クリスの名前を出され、意識を現実へと戻してしまった瞬間、子宮の奥が堪らなく疼いた。後から突く行為を止めたウェスカーは、わたしの首に手をかけて、ゆっくりと奥深くに挿してくる。
「……ふ、う、う!」
「健気にクリスを慕っていたお前は、今やこのザマだ」
「うっ、はっ、はっ、は、……ぅ」
かけられた手には力が。首を絞められる苦しさから逃れようとすれば、止まっていた行為が徐々に動き出す。
「ひ、うう! は、あっ、はぁ、うっ……く、う」
呼吸が出来ない。頭に酸素がいかず、わたしは気を失いかける寸前だった。するとウェスカーが首から手を離し、わたしが息を吸い込むと同時に、打ち付けてくる腰を少し速めた。
「ひ……あぁっ!」
全身にビリビリと電気が走る。奥まで突き上げられる度、腰を打ち付ける音に混じって厭らしい水音が耳に入った。言葉でどんなに否定しても、この躰はもう、ウェスカーの言いなりだ。
『諦めろ』
空っぽにした筈の頭の中で、誰かが言う。
『何もかも全て忘れてしまえば、楽になれる』
……諦めたら、楽に。心までは奪われない様に堪えてきたけど、とても苦しくて辛かった。全て諦めたら、この苦痛から解放されるのだろうか。快楽に溺れ、ウェスカーに溺れれば、楽になれるのか。──楽になりたい。
「──あぁっ、あ、いや、ああ! いやああ!」
何もかもを諦めてしまいそうになった時、わたしの中で一気に恐怖が訪れた。島で初めてを奪われた、恐ろしい時間が蘇る。
あの時の様に泣き喚き、必死になってウェスカーから離れたわたしは、半狂乱になって部屋を飛び出した。
「ジル!」
だけど直ぐに、わたしは床に倒されてしまった。ウェスカーの声に動いたジルが、背後から体当たりをしてきたのだ。
「離して! いやぁあ!」
押さえてくるジルを力で押し退ければ、わたしの肘が腹に入ったジルが怯む。抜け出ようともがいたわたしの首にジルは片腕を回し、その腕を曲げて首を絞め上げてくる。
「ふ、ぐっ! う、ぐうっ!」
喉が絞まり、完全に息が出来ない。
「はな……っ、ぐ、やめ……!」
ジルの腕を掴み、無理矢理引き離そうと力を入れる。きっと腕を折ってしまうだろうけど、冷静じゃない今のわたしに気にする余裕なんてない。
「ひ!」
折る寸前、もう片方の手を使われ、ジルがわたしの胸元に注射を打った。
「ぐうっ!」
動けなくなる薬だ。一気に力の抜けたわたしは、ジルに引きずられながら部屋に放り戻されてしまった。
「今更手間を取らせる気か? 調子に乗るな」
床に仰向けに倒れて小刻みに震えるわたしを、ウェスカーは冷たい目で見下ろす。
「ジル、もう一度打ってやれ」
「はい」
一回でもキツイ薬を、もう一度打たれるのか。
「や、やめ、やめて……っい、や、はっ、や、め……」
目だけをジルに向けて訴えるけれど、今の彼女には届かない。
「うぐっ……!」
次は首に薬を打たれ、鈍器で思いっきり頭を殴られた様な衝撃を受けた。
「ひぃっ! う、はぁっ、はぁ、っく、は、う、は……!」
目の前は真っ白で何も見えず、何も聞こえない。息はずっと苦しくて、まるで身体中が燃えている様に熱い。やがて息をしているのかしていないのかわからなくなって、何かがわたしの身体に触れた感覚があった。
そして何処かに吸い込まれてしまった様に気が遠くなると、真っ白だった世界は暗転。長い時間、わたしは気を失っていた。
──気持ち悪い。
床に倒れていた筈だったのに、目覚めたのはベッドの上だった。体が物凄く怠い。でももう視界ははっきりとしていたし、耳も聞こえる。手足は……まだ微妙だけど、ちゃんと動く。
「……っ!」
薬を打たれると、必ず酷い吐き気に襲われる。わたしは怠さの残る体を起こし、もつれかけた足で急いでトイレへと駆け込んだ。吐いても吐いても吐き気はなかなか治ってはくれなくて、暫くはトイレから出れなかった。きっと、二度も打たれた薬のせいだ。
頭から水を浴びたくなって、そのままシャワーのレバーを捻って水を出す。いつもなら冷たい筈の水なのに、少しも冷たいなんて思わなかった。身体の熱は一向に冷めてはくれない。気づけばいつの間にかまた気絶していたらしく、浴びているシャワーの冷たさに目が覚めた。
怠さや吐き気は治まったけど、あんなに熱かった身体は、今は氷みたいに冷たくなっていた。
──寒いわ。
体を拭いてシャワールームから出ると、わたしはベッドの上に倒れ込んだ。悪寒に震えながら、壊れてしまいそうになりかけた自分を思い出す。ほんの一瞬でも、あの時全てを諦め、全てを委ねようとしてしまったのだ。
一体いつまで、わたしじゃない、これはわたしじゃないと言い聞かせながら、壊れない様に正気を保とうとする事が出来るのだろうか。
ふと、指先に目が行く。中指の第二関節辺りに、真新しい血の様なものが付着しているのだ。
──血?
何かで切ったのかもしれない。手で拭ってみると、僅かにその部分が痛む。直ぐに癒える体になった今では懐かしい痛みだ。もう一度凝らして見ても、傷口はどこにも無かった。少し気にはなるけれど、それよりも寒さが今は勝る。
──寒い……。
壁側を向いて丸まって震えていると、静かにドアの開く音がして、わたしは思わず息を飲んだ。
「ダイアナ・オブリー、この部屋から出なさい」
……この声は。上半身だけを起こして見れば、開かれたドアの前に、仮面を被ったジルが立っている。
何で。そう口に出そうとしたら、何故か声が出ない。わたしは喉元を軽く押さえながら、もう一度試してみた。
──声が。
何度か喋ろうとはしたけれど、どうしても声が出せなかった。……打たれた薬のせいか、または精神的によるものなのかはわからない。話したくもない相手と会話しなくて済むなら良いけど、このままずっと喋れなくなってしまうのは不便だ。
──でも壊れてしまったら、不便だなんて考えもしなくなるんだわ。
「早く」
操られたジルに急かされたわたしは、身支度を簡単に済ませてから部屋を出た。先頭にはジル。真ん中に挟まれて歩くわたしの後ろには、防弾チョッキを纏った黒人が武器を持って付いて来る。
──新しい見張り?
今までいた見張り達の姿はどこにも無く、代わりに同じ様な武装をした者達を何人も見た。よく見れば皆、一部の肌に変色と破損が目立つ。……ジルの様に操られているのだろうか。それとも──。
気になったのは、久しぶりに渡り廊下を通ったのに、何人もいた研究員の姿さえ一人もない。実験動物の鳴き声だけが、この施設内に響いていた。
少し歩くと、今まで通る事を許されなかった通路に出る。閉められたシャッターの向こうから何か無数の気配がして、わたしは警戒する様に足を止めた。
詳しく知りたくもない。だけどきっと、実験された何かであろう事は嫌でもわかった。
「特殊で頑丈だから破られはしない」
そう言って気にもしないで行くジルを見つめていれば、後ろから銃の先で背中を押された。『早く行け』という事か。わたしは相手を一睨みし、止めていた足を動かす。
「抵抗はするな」
通路からエレベーターに乗った後、ジルの合図で突然目隠しをされて驚いた。今更目隠しをする必要があるのかという疑問もあったけれど、言葉を喋れない今は何も返せやしないし、大人しくそれに従った。
それにしても……寒い。吐き気や怠さは消え、薬の効果は切れている筈なのに、いつまでたっても身体は冷えている。
──まさか病気?
否、普通じゃいられなくなってから、病気なんてしてもいない。あれから今まで何ともなかった体の中の異変に、わたしは久しぶりの不安を感じていた。
手まで後ろに縛られたまま、移動して数十分後。どうやら着いたらしい。縛られた手を解放され、後ろから肩を押されて何処かに入らされると、扉の閉まる音がした。そして、威圧的な気配がわたしを包む。
──ウェスカーだ。
見えなくても、その存在だけは確実にわかる。わたしは自分で目隠しを外し、電球の眩しさに目を細めながらウェスカーを視界に入れた。
「遂にウロボロスが完成した」
口角を上げ、それはもう満足気にウェスカーは言う。この男は、完成させたウィルスをこれからどうするつもりなのだろうか。問う為に口を開くけれど、言葉は出てくれない。わたしは自分の身体を両腕で抱きしめる様にして、壁にもたれる。
「これで腐りきってしまった世界は浄化され、新たな世界を俺が創り出す。ウロボロスに選ばれた資格のある者だけが生きる世界だ」
テンプレートの悪役の様な台詞を吐き出したウェスカーに、わたしは堪らず苦笑した。まさかこの男の口からそんな事を聞かされるとは思わなかったからだ。
「……可笑しいか?」
わたしの顎を掴み上げるその手には、強い力が込められる。
「くだらない世界や無能な人間には未来はない」
冗談じゃない。何が新たな世界よ。言葉の代わりに掴むウェスカーの手を払い退けると、違う手で首を絞められて壁に押し付けられた。
「……っ!」
「無口だな。どうした?」
絞める手を緩め、わたしの反応を暫く伺う。
「口も利けなくなったか」
何も返さない様子にウェスカーは鼻であしらうと、わたしの耳元で静かに囁いた。
「お前の家族がウロボロスに選ばれるかどうか楽しみだな」
わたしが目を見開くと同時、首を掴まれたままウェスカーに唇を奪われ、何度も舌を強く吸われてしまった。胸の辺りを押して逃れようとすれは、塞がれた唇は一度解放される。
「逆らいたいのか?」
コートの内側から取り出して見せるウェスカーの手には、ペン型の注射器が。中身が何であるのか直ぐに感付き、わたしは慌てて首を横に振った。薬を打たれるのを、身体中で恐れたからだ。それ程までに抑える薬は、わたしを苦しめるのだ。
注射器をコートの中に戻し、声を出して
「っ、は、ふっ……」
いつもの痺れの感覚に合わせ、熱い体温が口内に広がり、冷えきった身体全体に染み渡る。寒さによる震えさえも、その瞬間にぴたりと止まった。
──ああ、駄目。
押し退けようとした手は、わたしを弄ぶ男の背中へしがみ付いた。掴まれていた首と唇は解放され、今度は首筋から鎖骨へとウェスカーの舌が這う。
声の出ないわたしの口から出るのは吐息だけ。否定し、抵抗する気にもなれず、何も考えれない。──今、わたしはどんな
履いていたジーンズを脱ぐと、片脚を持ち上げられて直ぐに熱いものが押し込まれた。
「はっ、はァ、ハァ!」
徐々に速まる動きは滑りを良くし、深い侵入を許す。下腹部には圧迫感。子宮口まで一気に突き上げられて、わたしは早くも絶頂した。 だけど打ち付けられる腰は止まらない。背中から首へしがみ付いて息を吐くと、自然に涙が溢れ出る。
抗えなくなった自分に対する怒りか、それとも……。
「……っ!」
もう一度訪れた快美によって躰を震わせれば、お互いの荒い息に混じって着信音が鳴り響く。ウェスカーからだ。……同時、わたしは我に返った。
「……何だ?」
軽く溜め息を漏らしながら電話に出たウェスカーの眉間には、深い皺が刻まれる。どうやら何かあったらしい。微かに聴こえてくる声の主はエクセラか。内容までは詳しく聴き取れない。
「フン、……アーヴィングだな。その件について今は奴に任せておけ。その後の事は考えてある。ああ、問題無い。そちらへ向かおう」
ウェスカーはそう言って電話を切り、採取用の注射器を取り出してわたしの首に刺す。
「邪魔が入らなければ、もっと愉しめたか?」
採取を終えてわたしから離れたウェスカーが、意味ありげに笑みを浮かべた。力の抜けた脚では一人で立てず、壁に寄りかかりながら床に座り込んだわたしは、下唇を噛んで顔を背けるしか出来なかった。
一人残された後、部屋の中で床に伏せて咽び泣いたのは、ウェスカーがこれからやろうとする事を止めるでもなく、何にも出来ない、しようとしない弱い自分に対してや、快楽の苦しみから起こる恐怖のせいだった。
その場にうずくまったまま、多分数日経ったと思う。部屋に誰かが入って来る気配。この部屋に連れて来られた際、後ろに付いていた黒人だ。わからない言葉で声をかけられ、短機関銃の先で肩をつつかれて立たされたわたしは、薄暗い通路を歩かされ、更に暗くて狭い部屋の中に無理矢理押し込まれてドアを閉められた。
──水の匂い……?
錆びた水の臭いが漂う。周りを見渡そうと眼を凝らすと、突然強めのシャワーがわたしの頭上から大量に降って来た。
「────!」
氷の様に冷たい水だ。わたしは手探りでドアを探して力任せに叩いた。へこみはするのに、頑丈なぶ厚い鉄で出来ているらしく、簡単には空きそうもない。暫く経つと、開かなかったドアがやっと開かれた。目の前には新たに二人が追加され、銃口を向けられる。
全身ずぶ濡れにして出たわたしの足下に、新しい服と靴が投げられた。……今、ここで着替えろという事らしい。
わたしは三人から視線を外し、仕方なく濡れてしまった衣服を脱ぎ捨てて新しい服と靴に着替えた。
まだ濡れたままの髪の状態で次に向かわされたのは、リフトを降りた先にある、コントロールルームらしき部屋だった。
全体を見渡せるかの様なガラス張り仕様。監視用であろう旧型モニター画面が、無数に設置されているのが目に入る。
「ダイアナ、お前にも知らせてやりたくてな」
部屋の中央に置かれている上等な黒いソファーに深く腰をかけていたウェスカーは、薄く笑みを浮かべながら、ノート型のパソコンの画面をわたしに向けて告げた。
「B.S.A.A.が嗅ぎつけて来たんだが、その中に……見てみろ」
画面に映し出さた人物の姿を見たわたしの心臓が、大きく痛い程に跳ねた。
「──クリス・レッドフィールドだ」