何者かに腹部を殴られ気を失ったわたしが次に目を覚ました時、目の前には暗闇が広がっていた。
「此処は……?」
何故か椅子に縛り付けられた状態である事は直ぐに理解出来たけれど、今いるこの件に場所まではわからない。
「どうして! 何で?」
必死に体や腕を動かし、殴られた腹部と痛めた手首の痛みを感じながら、縛られた縄から脱出しようともがいてみる。
「ダイアナ」
深い暗闇の向こうから、わたしの名を呼ぶ声が。
「隊長……」
声はまさしくアルバート・ウェスカーの声であったのに、姿は見えない。
「フッ、もう隊長じゃない」
ふと、クリスからかかってきた電話の事を思い出した。
「クリスから聞いているだろう?」
「……貴方が裏切り者だと、いう事ですか?」
わたしは、更に暗闇の向こうを見つめて息を飲んだ。
「貴方は、死んだんじゃ……?」
不気味にクツクツと笑う声と共に姿を表した隊長──いや、ウェスカーは、わたしを見下ろす様に目の前までやって来た。彼がウェスカーだと完全に理解出来たのは、微かに射してきた月の光がウェスカーを照らしたからだった。
「ああ、死んだ。S.T.A.R.S.の裏切り者、アルバート・ウェスカーは一度死んだ」
じゃあ今目の前にいる貴方は誰なのよ。わたしは、訝しくウェスカーを見上げた。
「……だが俺は甦った。
サングラスをゆっくりと外し、開いたウェスカーの瞳は赤く光っていて、わたしは寒くもないのに身体を震わせる。冗談も言わない男が、つまらないジョークを言っているのだとばかり思っていた。
「ジョークだと思ったか? 私が裏切り者で、S.T.A.R.S.が壊滅状態、死んで甦ったことも全て。じきラクーンシティも大変な事になるかもな」
「どういう──」
ウェスカーはわたしの言葉を遮る様に、「そういえばあの惨劇をお前は見ていない」と言った。
「ラッキーだった、と言うべきかどうか。しかし、お前に対しての実戦データを取れなくて残念だったかもしれんが……」
然り気無くサングラスをかけ戻し、ウェスカーはわたしの背後に回る。
「……まあ、今からでも遅くない。私の部下であったS.T.A.R.S.の死んでいった隊員達は、良いデータを残させてくれた。生き残りの奴らも含めて、ダイアナ・オブリー以外はな」
すると突然、右の首筋に針で刺された様な痛みを感じた。
「っな! 何を……!」
「一人だけ仲間外れは嫌だろう? それに色々あって手に入れたデータやサンプルの多くは持ち帰れなくてね、少々困っていた所だったよ……」
ウェスカーは再びわたしの目の前にやって来る。
「今打ったのはTーウィルス」
「Tーウィルス……?」
「それではダイアナ、ご協力感謝する」
そう告げると、ウェスカーは奥の暗闇に消え、ガチャンという扉が閉まった音がした。
「……ちょっと! 一体何なんです? わたしに何を投与したんですか?」
わたしは縛られた椅子をガタガタと揺らしながら叫んだ。
「本当に裏切って皆を、隊員の皆を殺めたんですか? あの後、生き残った人達は? クリスやジルは今どうして? わたしを、此処から出して!!」
わたしの声は虚しく響き渡るだけ。誰も、何も応えてはくれない。独り、孤独と恐怖に苛まれていた。
わたしがS.T.A.R.S.に入隊出来たのは、強い推薦からだと、入って二ヶ月目で知った。
「あなたを推薦したの誰だと思う?」
先輩のジルから教えてもらったのは、意外な人物の名前だった。
「誰なんです?」
「隊長よ」
「ウェスカー隊長……ですか?」
アルバート・ウェスカーは、金髪オールバックに黒のサングラスがトレードマークらしい、冷静沈着、威厳に満ちた冷徹な人物だった。入った当初から気難しそうな印象を受け、失礼ながら何となく見た目だけで察知したわたしは、何事も平和に、逆らわず彼の命令に従っていた。
ジョークを言った彼を一度も見た事がないのだから。サングラスをしているし、逆に何を考えているのかわからないし。
期待してるよと周りから言われても、当たり障りの無い受け答えしかしてはいないし、命令に使いやすい雑用としか思われてなさそうだとわたしは思っていたから、まさか推薦したのがウェスカー隊長だと知って、『信じられない』とクリスに悩みと愚痴を言ったりもしていた。
「私が推薦したのが信じられないか?」
ある日廊下で本人に声をかけられ、驚愕して唖然となっていると、ウェスカー隊長は「クリスから『ダイアナが信じられないと嘆いていた』と聞いたからな」と言った。勿論、わたしは顔面蒼白。
なんて酷いクリス! 本人に言うなんて! しかも嘆いていただなんて大袈裟に!
思わず吃りながら、弁解を言おうと必死になったわたしに、ウェスカー隊長から信じられない事も告げられた。
「キミの大学での研究発表を見てね。とても面白かったよ。【支配される我が身】」
「……え? わ、わたしの研究発表を?」
隊長が見たと言う研究発表とは、わたしが飛び級で大学に進学した15の時。生物の講義内で発表した、寄生して操る生物についての研究発表の事だ。
「研究発表もなかなかのものだったが、後から教授に質問されたキミの回答が気に入ってね」
『私がその対象となった場合、逆を突いて騙し、相手を支配します』
わたしは教授にこう答えている。しかし驚いた。何故隊長があの研究発表に?
「隊長、どうして……?」
「なに、その教授と知り合いだっただけでね。たまたま用があって講義を見学していたんだ。キミのような優秀な人材を発見出来てラッキーだよ」
「そんな……。あんな研究発表、それに自分の専門でもなかったし、何でそう答えたのか……」
「もっと自信を持て。今後のキミにはとても期待している」
何故か凄い絶賛されて──。そう、絶対、これは絶賛されたのよ。わたしはとても恥ずかしく、そして嬉しかった。隊長は見た目冷徹な印象だったけれど、もしかしたらとても良い人なのかも。その時のわたしのなんとも単純なことか。それがきっかけでわたしは隊長を、これからは心から尊敬出来る人だと信じていたのだった。
何時間経過しただろうか。放置されたままのわたしは叫ぶのを止めて、じっと静かに縛り付けられたロープをどうにか出来ないかとゆっくり考えていた。
──あの注射、一体何を打ってきたの?
何の変化も無い自身。ただただ不気味でしかない。何も無いにこしたことはないが、その変化も訪れない今の状況では、どちらにせよ不安要素でしかない。……それにしても此処は何処だろう。なれてきた暗闇の中、微かに射していている月明かりと共に見えるのは、周りの何かで錆び付いた部屋である事。横の壁を見るとそれは壁でなく鉄格子だった。
「鉄格子……?」
鉄格子向こうもまた、同じような空間であるというのは見てわかった。すると、横の部屋の扉が乱暴に開かれ、誰かが縛られた状態で、これまた乱暴に投げ入れられた。
「おい! 何処だここは!?」
投げ入れられたのは男。手足を縛られたまま、意識はあるようだった。
「何だそれ? 止めろ……やめ!」
黒い防護マスクを被った三人の内の一人が、男に何かを注した。もしかしたら同じ注射を打たれたのかもと、わたしが不安から凝視している間に、三人のマスク達は部屋から出て行った。
「あなた、大丈夫?」
我に返ったわたしは、椅子をガタガタと揺らしながら横の鉄格子までなんとか近寄ってみた。
「だ、誰だ?」
男はわたしの声に警戒しながら此方を振り向く。
「わたしはダイアナ・オブリー。落ち着いて、わたしも連れて来られたの」
すると男は、縛られた身体を這って鉄格子に近寄って来た。
「ダイアナ? もしかして……、オレ、オレだよ、ジャスだよ!」
まさか……。大学の生物の授業で一緒だった、あのジャスなのか。
「嘘でしょジャス、あなた、まさかこんなところで再会するなんて……」
「はは、やっぱりダイアナだった。意味がわからないんだけどさ、道歩いてたら突然拉致みたいにされちゃって、気づいたら……此処に」
ジャスとは同い年の飛び級同士で、授業も何度か一緒になった事から仲良くなった友人だった。卒業と共に、わたしが遠くのラクーンシティに行く事になった時はそれは残念がってくれて、いつかラクーンシティに遊びに行くと約束をして以来、会ってはいなかった。
「こんな再会になるなんて……」
この場所が何処かの街であったなら、どんなに良かったか。
「それにしても此処は一体何なんだ? 牢屋か?」
「わからない。それにさっきジャスに打たれたアレ」
「注射……ゴホっ……だろ?」
「わたしも打たれたの。あなた何にもなってない?」
ジャスは先程から咳をし始めて、何だか辛そうだった。
「多分、ゴホっ……風邪引いたのか、なんか身体ダルいけど、それ以外は特に何も」
「そう……」
咳の数は段々と増えていくジャスに無理をしないよう言ったのだけれど、ジャスはわたしに再会出来た喜びが勝り、色々と話をし始める。卒業してからの事、今何をしているかとか。わたしも話を聞いたりしていたのだけど、一向に止まらないジャスの咳や、話の合間に「痒い」と言っている様子に段々と心配になってくる。
「ダイアナ、此処から、ぐっ、脱け出せるかなオレ達?」
「ジャス、弱気にならないで。必ず出られるわ。わたしが何とかするから」
頼もしいな、と言うジャスの痒みは増してくるらしく、「かゆいかゆい」と地面に身体を擦り付けているみたいだった。
「大丈夫なの? やっぱりさっきの注射……」
「ダイアナは何ともないし。こっちのへやにダニでもいるんだろ……ゴホっ、大丈夫だよ」
暫くするとジャスは静かになった。声をかけても返事は無いけど、咳は時々しているから寝てしまったのかもしれないと思った。
もうどれくらい経ったかわからない。わたしはいつの間にか眠っていたようで、慌てて意識を横の鉄格子に向けた。
「ごめんなさい、いつの間にかわたし眠ってたみたい」
返事は無い。まだ寝ているのかと椅子を再びガタガタと揺らして寄せて見ると、鉄格子近くにいたはずのジャスの姿がない。
「ジャス……?」
鉄格子に顔を近付けて部屋の奥を見た。
「ヴああぁッ!!」
唸り声を上げながらジャスが鉄格子に突っ込むように現れ、わたしは恐怖のあまり驚いて、横に椅子ごと倒れ込んでしまった。
「ジャス? どうしたの? しっかりして!」
倒れたわたしは縛られた状態なので、椅子からまともに起き上がる事が出来ない。横目で見れば、鉄格子を何度もガシャガシャと揺らすジャスの姿。いつの間にか縄を外している。獣のような声を出して両腕をわたしに向けて伸ばしてくるジャスの右手は、何故か無かった。
「ジャス! 手が……!」
左足も半分折れているのか無いのか、ジャスは身体半分斜めに立っている。一体全体、ジャスはどうしてしまったのか。気でも狂ったかのように唸るジャスを見て、自分も打たれた事を思い出す。わたしも同じものを打たれたのだろうか?けれど何も無い。何故なの。ジャスは、一体彼はどうしてしまったのだろうか。
呆然とジャスを見つめていると、バァンと一発、銃声が響いた。そしてジャスがバタリと床に倒れる音がした。
「じゃ、ジャス……?」
静かになった向こう側に顔をなんとか上げて見るが、ジャスの姿は見えない。バタバタと慌ただしく、隣の部屋に先程のマスク達が入って来て、懐中電灯で何かを照らしている。
「被検者J、死亡。……実験終了!」
──ジャスが、死んだ? 嘘よ。
「ねえ、ジャスは何であんな事に? ねえ!」
倒れているわたしに気づいたらマスク達は「その被検体を移動させる!」と言って、わたしがいる部屋に入って来た。
「ねえ、何で? 何でなのよ?」
一人が銃を向け、二人はわたしを起こして縄を解く。
「ジャスに打った注射は何? 何なのか教えなさいよ」
マスク達は何も言わない。わたしの目からは涙が溢れる。両手を押さえられ無理やり部屋を出される瞬間、鉄格子向こうに横たわるジャスを見た。
「ジャス……、ジャス……!」
ふらついた足で歩かされ、呟く様にジャスの名を呼んだ。両腕を左右のマスク二人が掴んでいる。
「なんて……なんて酷い」
涙が溢れ出る。ジャスに折角会えたというのに、なんて別れだとわたしは嘆いた。こんな別れ、あんまりだ。
涙の痕を残しつつ項垂れたわたしが連れていかれた先は、先程の場所とは打って変わった、研究所の様である真っ白な明るい所だった。眩しさに目を細めて前を見れば、何かを洗浄する広いシャワー室がある。
「この被検者の服を脱がせ、洗浄しろ」
「了解」
放心していたわたしは我に返って抵抗した。
「止めて! 止めてよ! 嫌、いやあ!」
冗談じゃない。何でこんな奴らに裸にされなきゃならないのか。わたしは必死で暴れ、左のマスクの脚を蹴り上げる。そして隙を見計らって逃げようとした。けれど──。
「うっ」
わたしの腕に、マスクのもう一人が何かを打った。その瞬間、わたしはそのまま意識を失ってしまった。
虚ろな状態から目を覚ますと、またわたしは椅子に縛り付けられていた。意識が朦朧とする。衣服は着ておらず、下着も無い。代わりに患者に着せる服とは言い難い、何とも露出している部分が多すぎる、薄い布が前と後ろにかけられたエプロンの様な格好をさせられている。
『おめでとうダイアナ。まずは第一歩に成功だ』
前方は広いガラスで仕切られた壁。監視するかの如く何人かの研究員達に混じり、ウェスカーがマイクに向かって此方を見つめて喋っている。
『大変驚いた。血液を調べると、お前はTーウィルスを吸収した。実に見事にね』
ウェスカーは口角を上げて喜んでいた。まるで、警察署の廊下で見せたあの時の笑みの様に。
『細胞はウィルスを騙し討ちにして逆に支配──。まさにお前が答えた通りになった』