※この作品はR-18です。

魔法少女まどか☆マギカR‐18   作:七音

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【佐倉杏子の】後日譚その2【帰る場所】

 

 

 土曜の早朝。

 普段なら二度寝でもしている時間に、自分は珍しく早起きをして、これからやって来る、とても大事な人を待っていた。

 今まではこんな風に緊張なんてしなかった筈なのだが、なんと言うか、どうにも照れ臭くて仕方ない。

 そんな訳で、掃除する必要が無いほど綺麗な居間を片付けようとしたりして、今もなんとなく、洗面所で鏡を見てしまったりしている。

 映っているのは、長年付き合ってきた見慣れた顔。

 他人と違う所なんて、母さん譲りで少しだけ高い鼻と、ちょっと日焼けしている所ぐらいだろうか。

 けれど、ちょっとでもいい印象を持って欲しくて、前髪を弄ってみたりもした――ま、大して変わらないんだけども。

 

 

《ピンポーーーン!》

 

 

 ――と、そうこうしている内に随分と時間が経っていたのか、玄関のチャイムが鳴らされる。普段ならそんな事しないで、遠慮無しにドアを開けて家に上がり込むのに。

 やっぱり、彼女も緊張していたりするのだろうか? だとしたら、ちょっとは気が楽なんだけど……。

 洗面所から出て、玄関のドアの前で一旦止まり、はー、ふー、と深呼吸。

 そして、ゆっくりとドアを開く。

 

 

「……お、おはよう」

 

 

 うん。おはよう、杏子。

 

 

「……えと、ふ、不束者ですが、これから、よろしく……」

 

 

 ドアの向こうには、何時もの服装――デニム地のホットパンツに黒いインナー、緑色のパーカーを着て、手に小さなバッグを提げるポニーテールの少女が立っていた。

 

 佐倉杏子。

 

 自分にとって彼女は、つい最近まで妹のような存在だった。

 しかし、数日前に想いを告げられ、自分達の関係は、兄妹から恋人同士へとランクアップした。

 そんな彼女がなぜ朝っぱらから家を訪ねて来たのかと言えば、今日から彼女もこの家に住むからである。

 

 始めて杏子と結ばれたあの日。彼女はそのまま、この家に泊まっていった。

 一緒のベッドに少しだけ離れて横になり、取り留めの無い話をして。その中で、彼女が既に両親を失い、ホテル暮らしをして居る事を知った自分は、彼女にこの家に住む事を提案したのだ。

 最初は杏子も、この申し出を受けるのを渋ったのだが、翌日、両親に電話して二つ返事でOKを貰うと、苦笑いをしながらも受けてくれたのだった。

 しかし、妙に畏まった杏子の挨拶に可笑しくなり、ちょっとそれは気が早いんじゃない? なんて笑いかける。

 

 

「う、うっさいな……。いつかはそうなるんだから、別にいいじゃん……。それとも、責任取らないつもりかよ?」

 

 

 すると、彼女は不貞腐れた顔をして、可愛らしく睨みつけて来る。

 その言葉に、改めて自分達の関係が変化した事を認識してしまい、照れながらも、いや、とるつもりだけど、さ……と返す。

 

 

「……なら、間違って無いじゃんか……」

 

 

 杏子も照れているのか、強気な口調と裏腹に、その言葉尻はしぼんでいる。

 会話が途切れ、恥ずかしさにそわそわしながら、二人で玄関に立ち竦む。

 

 

「ワンッ!!」

 

「どわぁ!?」

 

 

 ――と、突然、杏子の背中に毛むくじゃらの物体が圧し掛かった。

 ……なんで君がここに居るんだメロゥ。今日はまだ庭に繋いだままのはずなのに。

 よくよく見てみれば、首輪が無い。確かに、暴れるような事もしないから緩めにはしておいたけど、まさか外したのか? どうやって?

 

 

「ちょ、ちょっと、メロゥ! お、重っ、こらっ、やっ、くすぐったいってば!」

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

 メロゥは尻尾をブンブン振りながら、杏子の顔を舐めまくっている。

 そうか、そんなに杏子の事が好きか。自分はもう過去の存在なんだね、メロゥ……。

 思わず涙が出そうになったが、しかし、この愛しさと切なさの鬩ぎ合いにも、もう慣れた。自分は涙を振り切って気丈に振る舞い、メロゥとじゃれ続けている杏子に声を掛ける。

 

 とりあえず、家に入ろう? 今日はやる事がいっぱいあるんだし。

 

 

「あ、うん。おじゃましま~す……」

 

 

 本日の予定は、杏子用の日用品や家具の購入だ。殆ど使っていない両親のベッドとかを使い回そうかとも思ったのだが、ここは心機一転、杏子のために新しく購入する事に決めたのだ。

 食器とかも、今までは来客用の予備を使用していたが、ついでに用意しようと思っている。勿論、予算は両親から支給済み。

 事前に部屋は掃除してあるけど、家具を運んで貰ったり、新しく買った布団を一回洗ったりすれば、一日仕事になるだろう。

 でも、二人でやれば、きっとそれも楽しくなる。そう思うと、自分の心は少なからず弾んでしまうのだった。

 けれど、杏子が家に上がる時に発した言葉が間違っている事に気づき、違うだろ? とそれを指摘する。

 

 

「へ? 何がさ?」

 

 

 今日からこの家は、杏子の家にもなるんだ。

 自分の家に帰って来た時はなんて言うんだっけ?

 

 

「……あ。え、と……ただい、ま?」

 

 

 ん。お帰り、杏子。

 

 

「……にへへ」

 

 

 挨拶を交わすと、杏子は、ふにゃ、と擬音を付けたくなる様な、柔らかい笑みを浮かべた。

 今、この瞬間から。

 自分と杏子の、新しい生活が始まるのだ。

 

 

「ワンッ!!」

 

 

 ――訂正。

 自分と、杏子と、メロゥ。

 三人での、新しい生活が始まるのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 トントントン、とスリッパの音を立てながら階段を上り、自分の部屋を通り過ぎて、隣の部屋のドアをノック。

 同時に、部屋の中に居る人物に向かって、朝だぞ~、と声を掛ける。

 

 

「―――――――――」

 

 

 ――返事が無い。

 この分だと、彼女はまだ夢の中に居るのだろう。昨日も、「慣れないベッドだとまだ良く眠れない」とかなんとか言っていたし。

 しかし、昨日と違い今日は月曜日。自分は学校があるし、早めに起きてご飯を食べて貰わないと困る。

 なので、ここは家主権限を行使させて貰う事にしよう。

 確認してみた所、鍵は掛かっていなかったので、そのままそ~っとドアを開け、部屋の中を覗きこむ。

 

 元々空き部屋だった部屋に、必要最低限の家具を運び込んだだけの、殺風景な部屋。

 それでも妙な生活感が感じられるのは、一昨日、一緒に買ってきたばかりの真新しいカーテンが、網戸を通る風に揺れていて、同じく真新しいベッドの上で、シーツに包まって眠る杏子が居るからだろう。

 

 

「……くぅ……すぅ……」

 

 

 ゆっくりと近づき、ベッドの側で屈み込む。

 その寝顔は、起こすのが躊躇われるほど微笑ましかったが、甘やかしてはいけないと思い直し、その肩を優しく揺する。

 

 杏子? もう朝だぞ?

 

 

「……ん゛~……まだ、ねむぃ……」

 

 

 朝飯、もう作るよ?

 

 

「……朝ごは……なに……」

 

 

 ぐずる杏子に朝御飯の存在を告げると、彼女は目を閉じたまま問い返してくる。

 その姿に苦笑いしながらも、今朝の献立を上げていく。

 

 今日は洋風。トーストとベーコンエッグに、昨日いっしょに作ったポテトサラダの残り。食べる?

 

 

「……食べる……」

 

 

 むくり、杏子はそう言いながら起き上がった。

 まだ寝ぼけ眼な彼女の頭を一撫でし、顔洗っといで、と言い残して、一足先に一階へ戻る。

 

 居間に戻った自分は、トースターに食パンを四枚セットして台所へ。

 冷蔵庫から出した細長いベーコンのパックを開けて、取り出した二枚を手早く半分にし、油を引かずにテフロン加工のフライパンの中に投入。

 火を弱めに調節し、冷蔵庫にベーコンを仕舞うついでにポテトサラダの入ったボウルを取り出す。

 小鉢に移し終えた頃には、ベーコンの片面にいい具合に焼き目が付いているので、それをひっくり返してもうしばらく。

 

 その間に皿を用意して――そうだ、バターとケチャップも出しておかないと。

 ついでに、ベーコンエッグ用の皿をフライパンの近くに持って行き、カリッとなったベーコンを皿に移して、一旦火を止める。

 冷蔵庫からバターと杏子が使うケチャップ(自分は塩コショウ派)、卵を二つ取って、フライパンに少しだけ油を足し、再び火を付け卵を投入。この時も火は弱めにしておく。

 白身の縁がふつふつと固まってきたら、水を入れて蓋をする。

 

 バターとケチャップを手にテーブルに戻ると、丁度良くパンが焼き上がった。

 熱さに手こずりながらも、急いでそれをトースト用の皿に二枚ずつ移し、フライパンの前に戻って目玉焼きに集中。

 頃合を見て火を止めて、待つ事少し。蓋を取れば、白身が固まって、黄身もトロトロな目玉焼きの完成。

 

 うむ、今日も程よく半熟だ。

 

 

「えっと、お、おはよう」

 

 

 ヘラで切り分けて皿に移そうとしていたら、パジャマから部屋着に着替えた杏子が顔を出した。

 作業を止めずに、おはよう、と返し、椅子に座る彼女の前に、ベーコンエッグの乗った皿とフォークを置く。

 そのまま自分の分も置いて、新品の色違いのカップに、杏子の好きな濃い目の牛乳を注いで再びテーブルに戻る。

 

 

「あ……さんきゅ……」

 

 

 杏子はそれを、やや照れた様子で受け取る。ん……? 何で照れているんだろう……?

 不思議に思い、どうかしたのか? と聞いてみれば、彼女はカップに口をつけながら呟く。

 

 

「いや、やっぱ、寝顔を見られるのって、ちょっと恥ずいなって……」

 

 

 ……なにを今更、昨日も見られたじゃないか。

 ついでに言えば、直ぐそこのソファでも見られた事があったと思うけど?

 

 

「あ、あん時のはフリだったから別に……くあぁ、思い出しちゃった……」

 

 

 想いを告げた時の事を、その後の情事付きで思い出してしまったのか、杏子はカップを額に当てて、顔の上半分を隠す。

 釣られて自分も思い返してしまい、少々恥ずかしくなる。

 あれはあれでいい思い出のような気もするが、やはり、男としては少々情けない気もした。

 

 ……いや、始まりがちょっとあれでも、ここから挽回すればいい。

 そうだとも、もう恋人同士なんだから、いっそ今飲んでる牛乳の代わり別なミルクを飲ませるくらいの勢いで――――――朝から何を考えてるんだ自分は。

 童貞を卒業して間もないとは言え、いくらなんでも酷すぎる。もうちょっと自重しなければ。

 と、そんな事もあり、頭を切り替えようと、バターを塗ったトーストを齧りながら別の話題を切り出す。

 

 そう言えば、バイト探すって言ってたけど、どうなった? て言っても、昨日の今日じゃまだ……。

 

 

「ん? ……あぁ、見つかったよ。ファミレスの店員。店長さんが話の分かる人でさ、ちょっと事情話したら即採用してくれたよ。

 水曜辺りから来てくれって言われてる。ホント、お人好しが多すぎて不安になってくるよ、この街……あむっ」

 

 

 言いながら、杏子はトロッとした黄身をベーコンで掬い口に運ぶ。満足気な顔を見ながら、相変わらずの行動力に感心してしまった。

 聞いた話では、杏子は現在十六歳(その割に発育が――とか思っていたら射殺すような目付きをされたので怖かった)。

 学校へは行っておらず、亡くなった両親が残してくれた遺産を頼りに暮らしてきたらしい。

 自由気ままな生活に少々羨ましさも感じたが、彼女は一念発起、学校は無理でも、せめて働きたいと言って来たのだ。

 正直、雇ってくれる所なんてあるのか? と思ったのだが、少しでも自立して行きたいという彼女の熱意は本物で、自分もそれを応援したのだけれど……。

 

 大丈夫なのか? いきなり接客業なんて。結構大変だって聞くけど?

 

 

「だいじょぶだって。客に振りまく愛想くらい、アタシにもあるんだからさ? 自慢じゃないけど、猫かぶりには自信があるし」

 

 

 胸を張って杏子は言う。威張る所か? なんて返しながら、しかし、自分の不安は別の所にあったりする。

 誰かに聞かれれば間違いなく惚気と取られるだろうが、彼女は可愛いのだ。

 

 大事な事だからもう一度言おう。 可 愛 い の だ 。

 

 そんな彼女がファミレスのコケティッシュな制服に身を包んで「いらっしゃいませー!」なんて笑顔で言ってくれたら、男は皆、彼女自身をお持ち帰りしたくなるに違いない。

 客商売という立場上、変な客にもちゃんと対応しなければいけないだろうし、正直、かなり不安だ。

 だが、可愛い子には旅をさせろ、と昔の人も言っている。ここは涙を呑んで、その背中を押してあげるとしよう――後でこっそり様子を見に行こうかな。

 

 その後も他愛ない話を続け、それと共にテーブルの上の朝食も減っていく。

 けれど、ふと時計を見てみれば、もう直ぐ家を出ないといけない時間になってしまっていた。やっぱり、楽しい時間は過ぎるのが早い。

 慌てて残りを片付け、牛乳で喉を潤すと、杏子もちょうど食べ終わる所で、揃って「ご馳走様」と手を合わせる。

 

 

「もう時間だろ? 食器とかはアタシが片しとくから、準備しなよ」

 

 

 うん、ありがとう。

 

 テキパキと席を立って動き出す彼女に礼を言いながら、鞄を取りに二階へ。

 別の意味ではまだ心配だが、この分なら、店員さんとしての仕事は特に不安はなさそうだ。むしろ、働き者として可愛がって貰えるに違いない。

 バイトか……自分も、ちょっと経験してみた方がいいのだろうか。ま、追々考えよう。

 そんな事を考えながら、鞄を手に階段を降り、居間への扉を通り過ぎながら声を掛ける。

 

 じゃ、いって来る!

 

 

「おーう」

 

 

 返事と共に、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。

 靴を履き終えて振り返ると、杏子がわざわざ見送りに来てくれていた。

 先程は着けていなかったエプロンを着け、こうして見送ってくれる様は、まるで新婚夫婦のようでもあり、勝手に顔が綻んでしまう。

 けれど、嬉しさを隠す事も無い。自分はそのまま、彼女に微笑み掛ける。

 

 それじゃ、掃除とか洗濯とか、頼むな?

 

 

「ん! 任せときなって! 住まわせて貰うんだから、そのくらいはね」

 

 

 またも胸を張る杏子。

 その頼もしい姿に一際大きく微笑みながら、自分は玄関のドアを開ける。

 

 じゃ、行ってきま――

 

 

「あ、ま、待ったっ」

 

 

 ――と、その途中で声を掛けられ、挨拶も止まる。

 何かと思い、どうした? と振り向きながら尋ねると、杏子はなにやら、人差し指同士をもじもじ絡ませていた。

 

 

「え、え~と、さ。あの……」

 

 

 ……? あ、お昼は冷蔵庫に作り置きしてあるのがあるから、レンジで温めて食べていいよ? 外に食べに行ってもいいし。散歩は、帰って来てから一緒に行こう。

 後、来ないとは思うけど、何か集金の人が来たら、居間の引き出しの右から二番目に封筒毎に分けてあるのが――。

 

 

「そうじゃなくてっ! ……はぁ、もういいや。ちょっと耳貸して」

 

 

 不思議に思ったが、とりあえず言われるがままに耳を寄せると、杏子の両手が頬を挟み、ぐぃっ、と真正面に向き直させる。

 

 

「んっ」

 

 

 唇に、柔らかい感触が一瞬だけ触れた。

 眼前に寄った杏子の顔に呆然としていると、彼女はそのまま、くるっと後ろを向き、眼だけ振り返って小さく呟く。

 

 

「ぃ、いってらっしゃい」

 

 

 ……杏子、今の……。

 

 

「いいから行けってばっ! 遅刻すんぞっ!」

 

 

 顔を真っ赤にする杏子の脚に蹴りだされ、自分は玄関を後にする。

 パタン、と閉まるドアの向こうで、なにやら床を転がっている様なドタバタしている音が聞こえてきたが、とりあえず、彼女に言われた通り学校に向かう。

 中学時代から乗り続け、ちょっと軋む音のする自転車を漕ぎ出してしばらくすると、ようやく、まるで新妻が愛する夫にするが如く、「いってらっしゃい」のキスされたのだと気づく。

 どうやら、ギャップ萌え作戦は未だ継続中のようだ。

 

 ペダルを漕ぐ脚が、勝手に早くなった。

 強く感じるようになった風に、しかし、顔の熱は全く冷めてくれなかった。

 

 今日は、暑くなりそうだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 杏子が引っ越してきてから二週間ほど経った、週末の夕方。自分達は、居間でテレビを見ながらくつろいでいた。

 画面に映っているのは料理番組。やたら直感的な表現を多用するコックと、やたらくたびれたアシスタント。そして、なぜか毎回観覧席に居る熱狂的な女子中学生が名物である。

 適当な解説に女の子が歓声を上げる横で、疲れた顔のアシスタントさんが的確に情報を捕捉する様は最早コントに近いが、面白いので自分は好きだ。

 

 ふむ。今度作ってみるかな、苺のリゾット。

 

 などと考えていたら、ちょうど番組は終了。CMが始まった。

 背伸びついでに時間を確認してみると、この後の用事に丁度良い時間になっていたので、ソファに仰向けになり、ロッキーを齧っている杏子に声を掛ける。

 

 杏子、ちょっと買い物行きたいんだけど、付き合ってくれないか?

 

 

「んー? いいけど、何買いに行くのさ?」

 

 

 逆さまの顔でこちらを見上げて(見下ろして?)ロッキーをひょこひょこさせながらの質問に、自分は財布を確認しながら説明する。

 

 今日の夕飯。いつものスーパーで肉のタイムセールがあるんだよ。

 でも、お一人様一パックまででさ。今日はそれでカツレツのつもりなんだけど。

 

 

「カツレツ……うん、分かった! 準備してくる!」

 

 

 献立を伝えてみれば、杏子は眼を輝かせ、ガバッと体を起こし二階へと上がっていく。上着でも取りに行ったのだろう。

 現金だなぁ、と苦笑いしながら、先に玄関に向かい靴を履く。自分はこのまま外出できるような格好なので、特に問題は無い。

 

 

「……お、お待たせ」

 

 

 しばらくすると、背後から階段を下りてくる音がして、声が掛けられた。なんだか、上着を羽織るだけにしては妙に時間が掛かっていた気がする。

 不思議に思いつつも、待つために座り込んでいた腰を上げて、遅かったな、と振り向きながら言うのだが――

 

 

「……な、なんだよ」

 

 

 ――そのまま自分の口は、ポカン、と開かれた。

 真っ白なワンピース。

 余計な装飾も何もない、ただ純白のそれを、杏子は身に纏っていた。髪型も、いつものポニーテールからサイドテールに変わっている。真っ黒だったリボンも、薄いオレンジ色に。

 ついぞ見た事の無い彼女の女の子らしい格好に、自分は開いた口を閉じる事が出来なかった。

 

 

「……ぅ、や、やっぱ、似合わない、かな……?」

 

 

 だが、それを否定的に捉えてしまったのか、杏子はワンピースの裾を指でいじり、肩を小さくしてしまう。

 恥じ入るような表情に、はっ、として、慌ててそれを否定する。

 

 ご、ごめんっ、そうじゃなくて! 吃驚したけど、その、凄く似合ってる、というか、なんというか……か……可愛い、と、思う……。

 でも、何で突然……? そんな服、家にあったっけ……?

 

 

「い、いやさ。こないだ、知り合いと色々話してたら、ちょっと服装の話になって。

 んで、あんまりこういう……女の子っぽいの持ってないって言ったら、お古を押し付けられちゃってさ。

 ……正直、あんま似合わないって思うし、胸の所がダボダボなんだけど、折角だし……」

 

 

 似合わないなんて、今の杏子がそんな事言ったら、他の誰にも似合わなくなっちゃうって。

 ……その知り合いって、もしかして、マミ、って言う人?

 

 

「え? そうだけど……巴マミっていう名前の。でもアタシ、マミの事話したっけ?」

 

 

 あ、うん。前に一回、名前だけ言ってたよ。

 そっか……後で、色々お礼を言わなきゃね。

 とにかく、今の杏子はすっごく可愛い! 保証するっ!

 

 

「そ、そっか……なら、いいけど、さ……ほら、早くいこーぜ?」

 

 

 マミ、という女性に用意された嬉しいサプライズに、またも見事に嵌ってしまった自分だが、それを置いても杏子のワンピース姿は可憐で、勢い込んで褒めそやす。

 すると安心したのか、杏子は小さく笑みを浮かべ、こちらの手を引いて玄関を出る。

 手早く鍵を閉めた自分達は、繋いだ手を離す事無く、そのまま目的地に向かって歩き出す。

 なんだか、当初予想していたものより、随分と展開が変わってしまった。

 こんなに可愛らしい女の子が隣に居たのでは、買い物というよりは軽いデート気分になってしまう――ま、行き着く先がスーパーで、目的は特売の肉という所に所帯臭さが残るけれども、それはそれ。

 今は、隣を歩くとびきりの美少女を、ご近所さんに見せびらかすとしよう。

 

 

 そして、家を出てから約二十分ほど。繋いだ手に汗をかいた頃に、ようやくスーパーに到着した。

 自動ドアを潜れば、クーラーで冷やされた空気が全身を襲い、汗を浚って行く。まるで地獄で仏に会ったような気分になり、あ゛~、と思わず気の抜けた声を出す。

 

 

「っはー、涼しー」

 

 

 杏子も同じ気分なのか、軽く目を閉じてワンピースの胸元をパタパタとしていた。

 が、そのせいで際どい肌色成分が見え隠れしているのを、自分は慌てて注意する。

 

 あの、杏子? 気持ちは分かるんだけど、その、もうちょっと動きを控えめにした方がいいと思うんだけど……?

 

 

「ん? なんだよ急に?」

 

 

 いや……ほ、他の奴に見られると、嬉しくない物が覗けるからさ。自分はすんごく嬉しいんだけど。

 

 

「……! こ、このヘンタイ! 言いながら鼻の下伸ばすなバカ! ほら、行くぞ!」

 

 

 彼女は急いで胸元を押さえ、ふくらはぎに軽く蹴りを入れた後、籠を取って歩き出す。

 大して痛くも無い足を押さえ、その後姿を、待てってば杏子! なんて言いながら追いかけると――

 

 

「え……? あれ? もしかして杏子? どうしたのよ、そんなにお洒落しちゃって?」

 

「ん……? ……げっ、さやか!? なんでこんなとこに!?」

 

「げっ、てなによ? ちょっと酷くない? ……あ、それってこの間、マミさんがプレゼントしてた奴? な~るほど~、可愛いじゃない!」

 

「う、あ、あんま見んなよ……」

 

 

 ――唐突に横合いから声を掛けられ、そちらに振り向いた杏子が仰け反る。

 見ればそこには、結構有名な中学校の制服を着たショートカットの少女が、杏子を指差して驚きの表情を見せていた。

 その後の反応を見るに、互いに知り合いみたいだが……。

 気になって、友達か? と聞いてみると、杏子は少し気まずそうに答える。

 

 

「えと、まぁ、そんなとこ。でも、本当に何でこんなとこに居るんだよ? こっち、さやかん家の反対じゃん?」

 

「いや~、見ま――学校の用事で遅くなっちゃって。

 ついでだから、切れちゃってたマーガリンを買おうとしてたんだけど、なんでか売り切れでさ~。

 近所のスーパーもコンビニも全滅で。こうなったら意地でも、ってこっちまで買いに来ちゃった」

 

 

 手に提げた袋からマーガリンの箱を取り出し、少女は快活に笑う。

 なんだか一瞬、杏子と目配せしたように感じたけど、気のせいか……? しかし、杏子の友達にこんな子が居たなんて、ちょっと意外だ。

 いや、自分が知ってる事が彼女の全てな訳ではないのだし、先の巴マミさんも含め、良い事なのだろうけど。

 などと考えながら、ぼうっと二人の会話を聞いていると、不意にショートカットの少女がこちらに向き直る。

 

 

「杏子の彼氏さんですよね? 色々と話は聞いてますよ~? 同棲の事とか。あたしの名前は、美樹さやかって言います。

 市立見滝原中学校二年! ぴちぴちぴっちな十四歳! そして 【 彼 氏 持 ち !! 】 よっろしくぅ!」

 

 

 ぴちぴちぴっちて鮮魚かい。えっと、とりあえず、よろしく……?

 

 なんだろう、この独特なハイテンション。最後の情報はサムズアップ&ウィンクしてまで強調する必要あったのだろうか。

 とりあえず突っ込んでしまったが、自己紹介してもらったのだし、自分もそれで返そう。

 そう思って、自分は、と口を開こうとしたのだが、美樹さんは視界からスススッと移動し、こちらの周囲を旋回する。彼女の視線は、()めつ(すが)めつ、といった風にとても厳しい。

 ……本当に何なんだこの子。

 

 

「ふ~む、なるほどなるほど。健康的に日焼けした爽やかスポーツマン系って感じ? おまけに家事万能で料理が得意、と」

 

「……なんだよ。言いたい事があるなら言えよっ」

 

「いやいや~。やりますな、あんこ先生? こんな優良物件見つけちゃってぇ。まぁ? あたしの 【 彼 氏 ! 】 だって負けてないけどさ?」

 

「あんこって呼ぶなって何回言えばわかんだよ!? 後、何かに付けていちいち惚気んな!!」

 

 

 ……仲が良いなぁ、君ら。

 

 というのが、このやり取りを見て思った正直な感想だった。

 こんな風に誰かとじゃれ合っている杏子を見るのは初めてで、ちょっと新鮮だ。なんか微笑ましい。もしかして、自分が杏子とじゃれている時も、こんな感じなのだろうか。

 二つも年下の筈なのにこうして名前で呼び合っているのだから、結構深い仲なのだろうけど……一体、どんな知り合いなんだろう。少し、気になる。

 

 

「さ~てと、邪魔しちゃ悪いし、あたしそろそろ行くわ」

 

「行け行け、さっさと行け。あ、誰にも言うなよ? 言ったら酷いかんな?」

 

「はいはい。全く、相変わらず照れ屋なんだから……っと、最後に一個だけ」

 

 

 杏子に素気無くあしらわれ、肩をすくめて自動ドアに向かおうとする美樹さんだったが、何かを思い出したのか、ふとこちらに振り返る。

 

 

「杏子の事、よろしくお願いしますね? ……何時か、その時が来たら。杏子の全部、受け止めてあげて下さいね」

 

「お、おぃ」

 

「それじゃあ、失礼します! 今度、遊びに行かせてくださいね~!」

 

 

 今までの笑顔から一変、美樹さんは真剣な眼差しをこちらに向けた。

 けれどそれも一瞬、再び笑顔に戻った彼女は、そのまま自動ドアを潜って夕暮れの街に消えていく。

 

 ……面白いけど、なんか、変わった子だね。

 

 

「まぁ、ね……でも、いい奴なんだよ。さやかのおかげで、アタシは、ここに居られるようなもんだしさ……」

 

 

 そう、なんだ……。

 

 

「ま、人生色々さ。それより、早く行こーよ? でないと、タイムセールが始まっちゃうし」

 

 

 そう言い残し、杏子はまた先を歩く。

 見慣れた筈の横顔に、彼女のまだ見ぬ一面が垣間見えた気がした。背中を追いかけ、並んでその横顔を見つめても、それはもう見当たらない。

 

 何かを、言おうとして。

 何も思いつけないまま、自分はまた、彼女の手を取る。

 柔らかく返って来る指の力に、何故か、ほんの少しの寂しさを感じた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 息を潜め、ひたすら耳を澄ます。

 予想通り、自室と廊下を隔てるドアの向こう側から、小さな開閉音が聞こえてきた。意識して拾おうとしない限り、決して気づかないだろう程の足音も。

 それは徐々に離れて行き、数秒後には全く感じ取れなくなってしまう。

 完全に気配を感じなくなったのを見計らって、自分はベッドを抜け出し、上着を羽織って居間へと降りる。

 

 杏子と暮らし始めて一ヶ月と少し。

 騒がしかった当初と比べて、この生活にも慣れ始めた自分は、妙な事に気付いた。

 切っ掛けは、本当に偶然だった。

 夜中にトイレに起きてみると、自室を出ようとする、何時ものパーカーを羽織った杏子と鉢合わせしたのだ。

 彼女は少し慌てたような素振りを見せたが、「トイレに起きただけだから」と言ってそのまま部屋に戻っていった。

 その時は寝ぼけていたので大して気にはしなかったのだが、よくよく考えるとおかしい。

 トイレに起きたのが本当だとしても、ベッドから抜け出すのに何かを羽織る必要がある季節では無いのに。オマケに髪まできちんとセットされていたとなれば、こんな深夜に、杏子はどこかへ出かけようとしていた事になる。

 

 一体何処へ、何をしに……?

 

 それを確かめたくて、ここ二~三日、欠伸を噛み殺しながら、こうして耳を澄ましていた。

 出来れば自分の勘違いであって欲しかったのだが、嫌な予感は的中してしまった。

 そして、それを知った今ですら、自分は悩んでいる。

 直接、何処へ行っているのか問い質すか。今まで通り、彼女から話してくれるのを待つか。それとも、彼女の後を尾け、何をしているのか探りを入れるか。

 

 直接聞いたとして、彼女は答えてくれるだろうか。もしも答えてくれなかったり、誤魔化されたりしたら……。

 おそらくは、後者の方が確率が高い。美樹さんとどうやって知り合ったのかを聞いた時も、「ただの偶然」としか答えてはくれなかったし。

 それなら、彼女の方から話してくれるのを待つしかないのか? でも、それでいいのか? 男として、恋人として。

 しかし、だからって尾行なんてしてしまったら、彼女を信じていない事の何よりの証左になってしまう。

 ……でも。

 

 

『杏子の事、よろしくお願いしますね? ……何時か、その時が来たら。杏子の全部、受け止めてあげて下さいね』

 

 

 美樹さやかという少女の言葉。

 杏子の友人だという彼女の言葉が、どうしても気に掛かるのだ。

 まるで、自分のまだ知らない、とても重要な事が隠されている様な気がして。

 それは、こちらから踏み込もうとしなければ決して辿り着けない、杏子の心の奥底にある様な気がして。

 

 杏子と結ばれた日、彼女の口から出た、報いという言葉。

 その重みを、自分は慮る事しか出来ない。ひょっとしたら、恋人にでも触れて欲しくはない事なのかもしれない。

 そして、こんな弱気な事を考えている自分は、あの頃と同じ様に、この関係が崩れるのを――変化してしまうのを、怖がっているだけなのかも知れない。

 

 ……なぁ、メロゥ。どう思う?

 

 

「――~ゥウ……ワゥン?」

 

 

 庭に面した窓をスライドさせ、返事が貰える訳でもないのに、寝ていたメロゥに話しかける。

 大きくあくびをした後、こちらを真っ直ぐに見つめ返すつぶらな瞳には、情けない顔をした自分の姿が見えた気がした。

 結局、一人ではなんにもする勇気が無いのだ。

 だから、こうしてまた、メロゥに頼っている。自分と杏子を結び付けてくれた、この子に。

 自分と同じくらい――いや、ひょっとしたら、自分よりも杏子の事を好きなメロゥであれば、随分と時間が経ってしまった今でも、彼女を追いかけて、見つけ出してくれるような気がして。

 

 何時だって自分は、この子に励まされてきた。

 一人が寂しくて、泣きながらご飯を食べていた時も。家族の事で色々言われて、小学校で仲間外れにされそうだった時も。

 ずっと隣には、メロゥが居てくれたのだ。

 

 

「………………」

 

 

 ふと、メロゥは立ち上がり、こちらに顔を寄せて頬を一舐めした。無意識にその体を抱き締めると、このぬくもりを始めて感じた時の事が思い出される。

 そう言えば、自分とメロゥも、最初は全然仲良くなかったのだった。

 幼かった自分は、それでも仲良くなりたくて、メロゥの事を知ろうとして、色々な失敗をした。

 うっかり尻尾を踏んづけてしまって吠えられたり。毒だと知らずに玉ねぎの入った食べ物を与えてしまったり。散歩が面倒臭くて、放ったらかしにしてしまったり。本当に、酷い飼い主だったと思う。

 勿論、今ではそんな事は絶対にしないし、心もちゃんと通じ合っていると思う――ま、メロゥにとっては二番目になっちゃったかも知れないが。

 

 そうだ。そうだった。自分とメロゥとの絆は、沢山の失敗の上に築かれた物だった。

 どんなに失敗しても、どんなに嫌われそうになっても、一人で孤独を抱えているのが嫌で、諦められなくて。

 そうしている内に、自分とメロゥは、本当の家族の様にになれたんだった。

 ああ、本当に。この子には助けて貰ってばかりだ。

 

 もう一度、メロゥの瞳を見つめてみる。

 その中にあった弱弱しい影は、もう消え去っていた。

 

 こんな風に、彼女を疑うような事をしている自分は、器の狭い男なのかもしれない。

 けれど、知りたい。

 今まであえて尋ねようとはしてこなかったが、自分はもっと、杏子の事を知りたいと思っている。

 失敗を恐れて縮こまってるなんて、多分、自分らしくない。例え、それで嫌われても、謝ろう。許してもらえるまで、何度でも謝ろう。

 もっと深く、沢山の杏子を知って。

 もっともっと、好きになりたいから。

 

 ……頼りにしてるぞ、メロゥ。

 

 

「ワフ」

 

 

 そうして。

 自分とメロゥは、夜の街に駆け出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 想像していたよりも、メロゥは迷い無く脚を進めてくれた。家を離れ、人気の無くなった道を迷い無く進むその姿は、とても頼もしかった。

 が、先に進むにつれ、視界に入る景色に見覚えがある事に気づき、首を捻る。

 最初は勘違いかとも思ったが、首を巡らせていると、不意に気づく。今、自分達が走っているのは、いつもの散歩コースを逆に辿るような景色なのだ。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 

 そして、メロゥが立ち止まったのは、あの教会へと続く坂道。

 いつもとは順路が逆だったせいか、メロゥが止まってくれなければ見落としてしまう所だった。薄暗い影の中に在るそれは、今にも何かが這い出してきそうな気配すら感じる。

 

 この先に、杏子が居るのか……?

 

 呟いた言葉に、メロゥは脚を踏み出す事で返事をする。

 それに着いて行きながら、自分は考える。自分にとっては、今と同じ様に、メロゥに誘われて辿り着いたに過ぎない場所だが、もしかしたら、杏子にとっては違うのかも知れない。

 あの日、彼女はおそらく自分よりも先にあの教会に来ていた。そうでなければ、メロゥが突然走り出した理由も無くなってしまう。あの寂れた教会には、彼女にとって何か特別な因縁があるのかも……。

 そう思い、強く足を踏み締めようとした、その時だった。

 

 

「グルル……」

 

 

 突然、メロゥが立ち止まって唸り出す。あまりに唐突な変化に驚きつつも、少し屈んで近くで様子を伺う。

 これは、怯え? ――いや、警戒してるのか?

 しかし、メロゥの見据える先には、ただ暗がりが広がっているだけだ。

 ……ま、確かに陰鬱な気分になるし、子供の頃からお化け屋敷とか苦手だった自分にはそれだけで十分に心に来るものがあるけれど、メロゥがそれを警戒するとは思えない。一体、どうしたのだろうか……?

 

 思わず考え込んでしまいそうになったが、しかし、メロゥは警戒したまま、急ぎ足で再び進み始める。

 自分も慌ててそれを追いかけるが、それはあっという間に早歩きから疾走へと変わり、待てっ、という言葉も聴かず、坂を駆け上っていく。引っ張り上げられるように、自分も走る。

 瞬く間に坂が終わり、幾度か見た廃墟寸前の教会が視界に入るが、何時だったか感じた寂寥感は湧いてこず、影を纏うその姿は凄まじくおどろおどろしい。

 如何にもな洋風の建物がいらぬ雰囲気を醸し出し、本来扉が付いている部分に広がる暗闇は、底の無い穴を覗いているような感覚を覚えさせる。

 思わずそのまま回れ右をしたくなったが、メロゥに引っ張られるがまま、自分は情けなく、ひぃぃ、と声を上げながら教会に突入した――

 

 

《ガッ》

 

 あっ、へぶっ!?

 

 

 ――のだが。

 数歩と進まないうちに、倒れたままの元扉に躓き、その上に倒れこむ。

 顔面がすこぶる痛い上に、舞った埃がもの凄く煙たい。おまけにちょっと口に入った。

 ……なんだろう。この教会に来ると高確率で痛い思いをしている気がする。自分は呪われてるんだろうか。そう言えばこの教会、出るんだったか? ………………思い出すんじゃなかった。

 う゛あ゛あ゛、とゾンビの様に唸りながら顔を上げると、転んだ拍子に手が離れたせいか、薄暗い教会の中を階段の手前辺りまで進んでいるメロゥの尻尾が見えた。

 

 

「グルルルル……ウォン! ウォン!!」

 

 

 まるで、目に見えない“何か”がそこに居るかの様に吠え立て、今にも飛び掛らんと四肢を踏ん張っている。

 立ち上がり、埃を払いながら近づけば、その体毛は逆立ち、酷く興奮しているのが分かった。

 睨み付ける虚空の先には、割れたステンドグラスに描かれた男性的なシルエットと、その脇に在る女性らしきシルエット。それ以外には何も無い。

 しかし、メロゥの剣幕に影響されたのか、この空間自体に異様な気配を感じ取ってしまう。

 

 暗い壁が迫ってくる。

 じわり、じわり、と、横から影が押し寄せてくる。

 

 

「グルル……ゥ? ………………ワン!!」

 

 

 ――が、それを錯覚だと自分に言い聞かせるよりも先に、再びメロゥの様子が一変する。

 ついさっきまで、今まで見た事も無いくらい敵意を露にしていたのに、剥き出しにしていた牙を収め、行儀良くお座りをして、ワン、と一声。

 またしても起きた唐突な変化に、何かの病気かと心配になり、その側に座り込む。

 けれど、間近に見るメロゥの表情は全くもって何時も通りで、余計に混乱が生じる。

 

 一体、なんなんだ……?

 

 訳が分からず、頭を抱えそうになった、そんな時。突如として、祭壇の上に気配が生じた。

 

 

「――はぁ。たま~に見回りに来たら魔女が住み着いてるとか、勘弁してよね? ったく」

 

 

 そこに降り立っていたのは、見慣れぬ赤い服を纏った、見慣れた後姿。

 手には、身の丈を越える巨大な槍が携えられていた。

 

 

「う~ん、今更グリーフシード集めたってなぁ。場所とってかさばるだけだし。

 いっその事、他の魔法少女にでも売りつけて……いや、流石に悪どいか。かと言って無償で配ったら舐められるし……うーん、メンドクサ――」

 

 

 ……杏子?

 

 

「――っ!? ……な……んで……」

 

 

 振り返った彼女の声は、震えていた。

 その顔は、月明かりに陰って見る事が叶わない。

 

 

「どう、し、て……これ、じゃ……」

 

 

 杏、子……その、格好は……。

 

 

「これじゃ、あの時と、同じ……っ」

 

 

 

 

 

 そんな、まさか――まさか杏子に、コスプレ趣味があっただなんてっ!!

 

「だあっ!?」

 

 

 

 

 

 しかし、緊迫した空気の中、自分の口から洩れたのは、そんな能天気な感想だった。

 気が抜けたのか、杏子は崩れそうになった体勢を槍で支えている。

 惜しむらくは、彼女の姿が暗くて良く見えない事だろうか。

 この位置からなら確実に覗けるであろう、短めなスカートの奥にある秘境も隠れてしまっている。惜しい、実に惜しい。

 

 

「な……なん……? ……こ、この格好は、違くて、あの、魔法少女の……」

 

 

 魔法少女……! そういうのもあるのか……! なるほどなー。

 

 杏子の姿をより近くで確認するために階段を上り、そんな事を呟く。メロゥも、それに着いて階段を上って来ている。

 前触れも無く変容するメロゥの態度。

 先程見上げた時には居なかったのに、何処からともなく現れた杏子。

 自分の置かれている状況をもっと深く考えなければいけないような気もしたが、目まぐるしく変化するそれに理解が追いつかなかった自分は、一番分かりやすい欲求を――つまりは、彼女を愛でる事を優先した。

 

 近くで見てみれば、随分と手の込んだ衣装なのが分かる。

 テレビで見かけるような目に痛い色合いと妙に薄い生地ではなく、落ち着いた赤を基調とした衣装。

 支えにしている槍は、作り物とは思えない重厚感を感じさせる――というか、冴え冴えと光る穂先がどう見ても本物にしか見えない。

 

 

「い、いや、だから違……ぁぁあ、もう! 何なんだよぉ!? ……本気でびびったアタシがバカみたいじゃんかぁ……」

 

 

 なにやら酷く疲れた様子で、杏子は溜息を零す。

 しかし、何処か間の抜けた空気はそこで途切れ、彼女は声に険を込める。

 

 

「でも、なんでアンタがここに居んのさ? ……アタシの事、尾けてたのか? ……どうやって」

 

 

 こちらを見ずに、杏子は言う。後ろめたい事をしている自覚はあったので、自分はその問いに、近くに居るメロゥを見下ろしながら素直に答える。

 

 ……少し前に、トイレで鉢合わせしたことがあっただろ? 色々考えてみて、杏子が夜中に外出してるのに気が付いて、気になって。

 それで、メロゥを頼りに追いかけてみたんだ。まさか、本当に見つけられるとは思ってなかったけど。

 

 

「また、メロゥか……。ったく、お前はもう、ホントに……」

 

 

 杏子は苦笑いしながらメロゥの側に膝を突き、両手でメロゥをワシャワシャと撫で回す。その光景に少しほっとしながらも、違和感に気づく。

 彼女の持っていた槍は、何処へ行ったのだろう? あんなに大きい物、手を放すならどこかに立て掛けたりしないといけない筈だろうに。

 

 

「ここに来れた理由は分かったけど、でも、なんでこんな回りくどい事したのさ。気づいてたなら、直接聞けばいい事じゃん」

 

 

 ……そうなんだけど、ただ聞いても、はぐらかされる様な気がしたから。

 今までも色々と話してくれはしたけど、核心の部分だけは、いつも曖昧だった様な気がして。

 ご両親が亡くなった原因とか――前に、美樹さんとどう知り合ったのか聞いた時も、詳しくは教えてくれなかったし。

 だから、悪いとは思ったけど、後を尾けたんだ。

 

 

「……まぁ、確かに、そうだったかもね。でも、だからってこんな事されて、アタシがどう思うかとか考えなかったのかよ」

 

 

 それ、は、その……。

 

 

「……悪い。隠し事なんかしてたアタシが言えた義理じゃ、ないよな……」

 

 

 責める言葉に思わず口篭ったが、杏子は直ぐに首を横に振る。

 そのまま、まるで独白する様に彼女は続けた。

 

 

「分かってたんだ、いつかはバレるって。いつかは、全てを話さなくちゃいけないって――それで、アンタから嫌われる事になっても」

 

 

 嫌うだなんて、そんな事っ!

 

 

「『そんな事無い』なんて、簡単に言うなよな? アタシにとっては、そうゆう事なんだ。それぐらいの、覚悟が要るんだ」

 

 

 否定しようとした言葉は、杏子に先んじて釘を差されてしまった。

 メロゥを撫でていた手を止め、彼女はゆっくりと立ち上がる。

 けれど、こちらを振り向こうとはせず、まるで例え話をする様に呟く。

 

 

「……例えば、さ。アタシが、本物の魔法少女だって言ったら、アンタ、信じる?」

 

 

 試す様な呟きに、自分は、しばらく考えてから答える。

 

 ……優柔不断と思われるかもしれないけど、今は、なんとも言えない。

 まずは、杏子の話す事を全部聞いて、それから考えたい。

 

 

「……それでいいんだよ。さっき言ったばかりなのに、気安く信じるとか言われてたら、アンタの事、嫌いになってたかもね」

 

 

 肩をすくめ、杏子は溜息と共に言う。

 そして彼女は、こちらの目を真っ直ぐに見つめ、今度こそハッキリと問い掛ける。

 

 

「アタシは、アンタに隠してた事がある。

 でも、それを聞いたら、今までのアタシ達じゃ、居られなくなるかも知れない――全部、壊れるかも知れない。

 それでもアンタは、アタシの事、知りたいって思う?」

 

 

 知りたい。自分は、杏子の事をもっと知りたい。

 杏子にとっては辛い、言いたくない事なのかも知れないけど、そういうのも全部ひっくるめて、杏子の事、知りたいんだ。

 

 

「……そっか。なら、アタシも覚悟、決めなくちゃ、ね……」

 

 

 迷い無く答えた言葉に、杏子は微かに目を細くした。

 自分がそう答えると予想していたのか。それとも、逆か。

 彼女は、安心、諦め、どちらとも取れる曖昧な表情を見せる。

 

 

「アンタはさ、奇蹟ってあると思う? ……アタシは、あるって信じてた。あの日までは」

 

 

 唐突に、杏子は再び問い掛けてきた。

 けれど、答えを求めている訳ではなかったのか、彼女はそのまま語り始める。

 

 

「ここはね? アタシの家だったんだ。ここに、親父と、母さんと、妹と。四人で暮らしてた。

 親父の説法は評判が良くて、信者の人達も沢山通ってくれる、自慢の家だったんだ」

 

 

 ここが、杏子の家? そんな、だって、ここは……?

 

 

「大体、アンタの考えてる通りだよ、多分」

 

 

 杏子は静かに頷く。

 じゃあ、あの話は――無理心中した牧師一家とは、杏子の家族の話、だったのか……? そんな事って……。

 血の気が引き、思わず口元を手で覆う。

 そんな様子を見て、杏子は少し瞑目した後、割れたステンドグラスに歩み寄る。

 

 

「親父は、本当に優しい人だった。毎日新聞眺めて、どうして世界は良くならないのかって、本気で泣きそうになる位に。だからかな、親父は考えた。

 今までの信仰の力では救えない人が居る。その人達を救う為には、新しい言葉で、新しい信仰を作る必要があるって。

 ――けど、それは受け入れられなかった。

 本部からも破門されて、ここも、誰も寄り付かない、寂れた場所になった。アタシ等は信者の人達の寄付で食ってたから、食うもんにも困るようになっちまった。

 でも、当たり前だよね? 傍から見れば、胡散臭い新興宗教みたいなもんなんだから」

 

 

 背を向けていながらも、彼女が自嘲しているのが分かる。

 その姿に唇をかみ締めていながら、その言い分に頷いてしまいそうになる自分が居た。

 この国の人間は、世界的に見れば神道、もしくは仏教徒扱いをされているが、その実、神の存在を本気で信じている人なんて皆無だ。

 過去には凄惨な事件が起きた事だってあるし、新興宗教というものに対しての印象は最悪と言っていいだろう。

 

 

「どんなに当たり前の事を話そうとしても、誰も聞いてくれなかった。どんなに言葉を尽くそうとしても、耳を傾けてすら貰えなかった。

 ほんの少しで良い、真正面から言葉を受け止めて貰えれば、正しい事を言ってるって理解して貰えた筈なんだ」

 

 

 確信を込めて、杏子は言う。

 その言葉に、彼女のお父さんの話を聞いてみたかったとも思うが、しかしそれは、自分が杏子の人となりを知っているから。

 もし、彼女と出会っておらず、赤の他人のままだったら。

 自分も、本気で耳を傾けようとはしなかったと思う。悲しいけれど、それが本当の気持ちだ。

 

 ……悲しい? なにが悲しいだこの偽善者が。

 自分を殴ってしまいたい衝動に駆られたが、でも、まだ杏子の言葉は続いている。だから、我慢しなくては。きっと彼女の方が、自分の何倍も苦しい筈なのだから。

 

 

「……辛かった。日に日にやつれていく親父を見るのも。

 心配をかけない様に、必死に笑い続ける母さんを見るのも。

 何が起きているのか分からなくて、腹を空かせて泣くモモを見るのも」

 

 

 モモ。

 初めて聞く名前に首を傾げ、それが杏子の妹の名前だと気付く。

 杏子と、おそらくは、桃。

 とても姉妹らしい名前だと思った。

 

 

「一番悔しかったのは、アタシ自身が、何も出来なかった事。妹に、好きなリンゴを食わせてやる事すら、出来なかった」

 

 

 思い出したのは、最初に彼女と会った時の事。彼女に渡された、あの甘くないリンゴ。

 自分が何気なく齧ったあのリンゴに、杏子は、一体どんな想いを込めていたのか。

 胸が、苦しい。

 

 

「だからアタシは、魔法少女の契約を交わしたんだ。親父の話を、皆が聞いてくれますように――こんな祈りを叶えて貰うのと引き換えに。

 魂を捧げて、体を作り変えて、世界に呪いを撒き散らす魔女を倒す存在になった。力を使い過ぎれば、倒す筈の魔女になっちまうような、矛盾だらけの、魔法少女に」

 

 

 言葉の可愛らしさとは裏腹に、杏子の口から出た魔法少女の実態は、酷くシビアな現実を孕んでいた。

 願いを叶えて貰う代わりに戦う運命を課され、けれども、その力を使い過ぎれば、敵である筈の存在になってしまう。

 まるで、どこぞのダークヒーローさながらだ。

 

 

「と言っても、あの当時はそんな仕組みになってるなんて気付きもしなかったけどね。

 でも、アタシは張り切ってたよ。アタシの祈りが、本当に叶ったから。契約の翌日には、教会は人でごった返してて、信者もどんどん増えていった」

 

 

 祈りが叶った。

 普通なら、その言葉からはハッピーエンドを想像してもおかしくない。

 しかし、この教会の惨状からは、どうしても幸せな結末を思い浮かべる事が出来なかった。

 

 

「けど、魔女が居る限り、その人達の命が影ながら脅かされる。だからアタシは戦った。親父の言葉で、人の心を。アタシの力で、皆の命を救うんだって。でも、ね……」

 

 

 くるり、と杏子は振り返り、こちらに向き合う。

 瞳に湛えられた感情が、自分には読み取れない。

 

 

「ある時、親父にそれがばれた。丁度、こんな風に、この場所で」

 

 

 言われて、思わず自分の居場所を確かめる。彼女との間にあるのは、朽ちかけて軋む床と、ほんの少しの距離。

 その気になれば今すぐにでも埋められる、この小さな距離が、未だ埋め切れていない、杏子との心の距離にも感じられる。

 

 

「アタシの説明を聞いた親父は、青ざめた顔で街中に飛び出して、ある事無い事叫び始めた。でも、誰もそれに異を唱えなかった。

 その時、ようやく気付いたんだ。親父の話を皆が“きく”んじゃなくて、親父の話が皆に“きく”ようになってたんだって。

 親父はブチ切れたよ。アタシの事を、魔女って呼んでさ。おかしな話だよね? アタシは毎晩、命がけで本物の魔女と戦ってたってのに」

 

 

 皮肉る様に、杏子は笑う。

 けれど、それからは痛々しさしか感じられない。

 

 

「親父は酒に溺れて、説法もしなくなって、暴力まで振るうようになった――そして最後には、母さんとモモを道連れにして無理心中さ。

 ……親父と顔を合わせ辛くて、外をほっつき歩いてたアタシだけが、生き残っちまった。何もかも、アタシが切っ掛けだったってのに。

 親父の新しい言葉を後押ししたのも、勝手な祈りで、それを歪めたのも。

 あの日、もう少しだけ早く帰っていれば、助けられたかもしれないのに……親父の事、止められたかもしれないのにっ! アタシはっ! ――あっ」

 

 

 思わず駆け寄り、細い肩を強引に抱き締める。

 そうしないと、自分自身を傷付け続ける彼女を、止められない気がして。

 

 

「……それからアタシは、自棄になって好き勝手して生きて来た。腹が減ってかっぱらいしたり、魔法でATMぶっ壊して金を盗んだり、もっと酷い事……。

 魔法少女として生き続けるのに必要なグリーフシードを得るために、魔女の使い魔を見逃したりした。そいつ等が人を襲うって、分かってたのに」

 

 

 昂りかけた声は静まり、杏子は再び語りだす。

 その声は、淡々としていながら、多分に苦味を含んでいた。

 

 

「こんなナリして、アタシはろくでもない人間――いや、人間ですらない。

 失望したろ? 誰かの幸せを祈っておいて、皆を不幸にしなきゃ生きられなかった、とんでもない罪人なんだ」

 

 

 腕に弱く力を込め、杏子はこちらの体を押しやる。

 ゆっくりと体が離れて行き、それを惜しむ様に腕が絡んで、重なり合った手が繋ぎ止める。

 

 

「言い訳にしか聞こえないかもしれないけど。アンタと出会ってからは、もうあんな事はしてない。

 魔法で色々誤魔化してだけど、本当に働いて遣り繰りしてる。あの頃みたいに、魔女も使い魔も全部倒してる。

 ……だからって、償いきれるもんじゃないってのも――罪が消える訳じゃないのも、分かってる。

 でも、それでもアタシは……アンタと居たい。アンタと居れば思い出せるんだ。まだ、帰る場所があった頃のアタシを」

 

 

 そこで一旦言葉を区切り、彼女は顔を俯かせる。

 胸元に輝く赤い宝石が、月明かりを湛えて優しく揺らめく。

 

 

「どんなに振り切ろうとしても、どんなに悪い事をしても、アタシは結局、自分の祈りを捨て切れなくて、ずっと燻ってた。

 でも、アタシと同じ様に誰かの為に祈った奴が、今でも笑って、幸せそうにしてるのを見て思ったんだ。

 捨てなくても、良いのかも知れない。アタシはもう、致命的な位に間違っちまったけど。それでも、もしかしたら、あんな風に笑えるのかも知れないって。

 ――やっぱり、諦めたくないんだ。あんな結果になっちまったけど、それでも、親父の為に祈った昔のアタシを、否定したくない。

 虫のいい話だって思う。身勝手だとも思う。だけどアタシは、笑っていたい。救えなかった、親父達の分まで。だから……」

 

 

 伏せていた顔が上がる。

 決意を込めた瞳。期待と不安が入り混じったような声。微かに震える手。

 その全てが、彼女の想いの強さを物語っていた。

 

 

「だから、こんなアタシでも良いなら。側に居させて欲しい。アンタと一緒なら、アタシは変われると思うから……戻れると、思うから」

 

 

 杏子の口から語られた、切なる願い。

 しかし、それに自分が返したのは、呆れたような溜息だった。

 

 全く、何を言ってるんだよ。

 

 

「……え?」

 

 

 そんなの、当たり前だろ?

 自分達は、もう家族なんだから。

 家族は一緒に居るもんだ。

 

 

「……か、ぞく……?」

 

 

 戸惑うように繰り返す杏子。

 そんな彼女に、胸に溢れる愛おしさを乗せて微笑み掛ける。

 

 同じ家に暮らして、同じご飯を食べて――いつも一緒に、笑い合ってきたじゃないか。これが家族じゃなくて何だって言うんだよ?

 そ、れ、に。責任、取らせてくれるんだろ?

 

 

「そ、そりゃ、そうだけどっ。でも、いいのかよっ? アタシは、魔法少女なんだぞ? 普通の人間じゃないんだぞっ!?」

 

 

 握られた手に、強く力が込められる。

 痛い位のそれをしっかりと受け止めながら、自分はそれでも笑ってみせる。

 

 確かに、普通じゃないのかも知れない。でも、それを言うなら元々、杏子は自分にとって普通じゃない存在だよ。

 

 

「……どういう、事だよ?」

 

 

 だって、杏子以上に好きになれる女の子なんて、きっと居ないから。そう思えるくらい、大好きだから。

 杏子が居ない生活なんて、もう考えられない。今更あの家にメロゥと二人で暮らせって言われたって、もう無理だ。

 それ位、杏子は特別な存在なんだ。そこに魔法少女って事実が加わった所で、何も変わりはしないよ。

 むしろ、こっちから頼みたい位だ。ずっと一緒に居て欲しい、って。

 

 

「………………」

 

 

 勝手と思われるかもしれないけど、杏子が帰る場所は、ちゃんとあるから。自分が、杏子の居場所になるから。

 他の人がどう言おうと構わない。自分も、杏子には笑っていて欲しいし……一緒に、笑って居たい。

 誰かを不幸にしてしまったって言うんなら、その人達に分けられるくらいに、沢山、幸せになろう。

 今はまだ無理だけど、ちゃんと大人になったら……そうしたら、本当に家族になろう、杏子。

 

 

「……は、は。なんだ、コレ」

 

 

 肩を震わせながら、杏子がまた俯く。

 

 

「なんで、こんな……バカじゃん……なんで……」

 

 

 彼女はまるで、拒絶するかのような言葉を漏らす。

 しかし、それが違う意味で呟かれたのが、自分には良く分かっていた。

 

 

「なん、で、こんなに嬉しいのにっ、アタシ、泣い、て、っ」

 

 

 何故なら、杏子の伏せられた顔から、幾つもの雫が、光を反射しながら零れ落ちていたから。

 彼女はそのまま膝を崩し、跪くように体を小さくする。

 

 

「クゥン……」

 

「メロ、ゥ……ア、タシ、は……っ」

 

 

 直ぐ様、メロゥが心配そうに駆け寄り、彼女の顔に鼻を寄せた。

 それを撫で、何かを言おうとする彼女だったが、言葉に詰まり、結局、何も言わずに抱き締める。

 自分は、そんな二人を纏めて腕の中に包み込む。

 

 

「う、ぁ、っ、ぁあ、うわぁぁあああっ」

 

 

 胸の中で、杏子の泣き声が木霊する。

 初めて聞くその声に、新しい彼女を見た喜びと、彼女が失ったものへの想いを感じ、自分も涙を誘われた。

 けれど、この涙には、悲しみだけが込められている訳じゃない。

 ようやっと次へと進む事が出来る、未来への希望も、確かに込められている。

 

 きっと、自分達は。

 今日に泣いた分だけ、明日に笑えるから。

 こんな風に涙を流せる事は、とても尊い事なのだと、そう思った。

 

 月光に透ける、欠けた聖母と救い主が。

 それでも尚、優しく見守ってくれているような気がした。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「な、なぁ。やっぱ、変じゃない? なんかおかしな所とか……」

 

 

 無いってば。さっきから何回目だよ?

 

 

「だってさぁ……」

 

 

 朝日が燦々と降る中、忙しなく襟元やリボン、スカートの裾をいじりつつ、杏子は不安げな表情をしていた。

 自分は自転車を押しつつ、彼女は青い鞄を手に提げつつ、転入する予定の中学校に向かって、同じ道を歩いている。

 今、彼女の体を包んでいるのは、市立見滝原中学校の女子制服だ。

 

 季節は移り変わり、夏から秋に。

 杏子と出会ってから半年近くが経とうとして、その時間は、自分達の絆をより深く、確かな物にしていた。

 

 あの夜、杏子の過去以外にも、自分は様々な事を教えられた。

 その中には幾つかの嘘の訂正も含まれていたが、やはり、驚く事も少なからずあった。

 魔法少女、魔女、使い魔、ソウルジェム、グリーフシード、ワルプルギスの夜、仲間達、などなどなど――非常に盛り沢山だった。

 その上、彼女が本当は十四歳の中学生だと知った時には、とても興奮げっふんげっふん吃驚したものだ。

 

 そして、両親にもきちんと話したいという杏子の願いにより、無理に時間を作って貰って、杏子は過去を(もちろん魔法とかは除いて)打ち明けた。

 最悪、引き離される事も考えていた為、どうにか説得しようと必死に頭を下げたのだが、意外にも快く、両親も彼女を受け入れてくれた。

 曰く、「もう家の娘だと思ってたんだけど」との事。なんとも家の親らしいと言うか、何と言うか。

 しかもそれだけではなく、これから先の事を考えて、きちんと学校へ通えるようにしてくれたのだ。

 面倒な手続きやらなにやらも、仕事の片手間にやってくれた。詳しい事は分からないけれど、見事としか言い様の無い早業だった。

 ま、歳を誤魔化してのバイトは、お店に迷惑が掛かるのでバレる前に辞めさせられたが、それは仕方ない。

 何故この手際の良さを家の中で発揮できないのかと、何時もなら呆れる所だが、今回ばかりは二人の大らかさに感謝している。

 きっとこれは、杏子にとって、新しい人生を送るための大きな一歩になってくれる筈だから。

 

 

「でも、いいのかよ? 学校、反対方向だろ? わざわざ送ってくれなくてもさ……」

 

 

 大丈夫だよ、自分は自転車だし。それに、杏子の制服姿も、もっと見ていたいし。

 

 

「……この変態。この格好ではしないかんな? 絶対にしないかんな?」

 

 

 身を庇う杏子の言葉に、酷い言われ様だ、と思わず呟く。

 確かに、彼女が魔法少女だと知って以来、割と高確率で変身して貰ってそのまんまHしたりもしたが、そんなに恥ずかしいのだろうか。

 だがしかし、自分は悪くない。全ては可愛すぎる杏子のせいだ。だから、彼女の制服姿にときめくのも、彼女のせいだ。

 明日か明後日辺り、土下座してみようと思う。

 

 

「……あ」

 

 

 ふと、杏子が声を上げる。

 釣られて前を見てみれば、少し先に、こちらに手を振る四人の少女達の姿があった。微かな呼び声も耳に届く。

 見覚えがあるのは、何度か家に遊びに来てくれた、美樹さんと鹿目さんに、巴さん。そしておそらく、こちらに頭を下げる長い黒髪の少女が、噂の暁美さんだろう。

 態々、こんな所まで迎えに来てくれたようだ。彼女達のような友達が居るなら、自分も安心して杏子を送り出せるというものだ。

 

 

「じゃあ、ここで」

 

 

 自転車の反対側で、彼女は一度こちらに振り返り、歩き出そうとした。

 そのまま見送っても良かったのだが、一緒に家を出たせいで朝の習慣が出来なかったのを思い出し、景気付けも込めて、ちょっとした悪戯をする事にする。

 

 杏子、ちょっと待って。リボンが曲がってる。

 

 

「え? ど、どっちに? こう?」

 

 

 焦ってリボンを直そうとする杏子を、ちょっとこっち、と呼び寄せる。

 素直に首を寄せる彼女に、ちょっと罪悪感を覚えながら。

 リボンをつい、といじり、そのまま肩を押さえて――

 

 

「……うひゃあ!?」

 

 

 ――軽く頬にキスをする。流石に、公衆の面前で唇に行く勇気は無い。

 が、それでも十分に恥ずかしかったのか、杏子は顔を真っ赤にして、手に提げた鞄で攻撃を仕掛けて来た。

 

 

「こ、このっ!? 変態!! バカッ!! スケベー!!」

 

 

 ちょっ、痛、いった、悪かったって! ほら、皆待ってるぞっ!! 早く行かないとっ!!

 

 

「んぁぁあああ! 絶対からかわれるぅぅううう! 後で覚えてろよぉ!?」

 

 

 捨て台詞と共に、杏子は友人達の元へと駆けて行く。

 そんな背中を見送りながら、ふと思い出し、杏子!! と、笑顔でその背中に呼びかける。

 

 

「なんだよ!?」

 

 

 いってらっしゃい!

 

 

「……! ったく……」

 

 

 不機嫌そうに歪んでいた顔は、しょうがない、と言った風に苦笑いへと変化し、更に次の瞬間には、満面の笑みへ。

 そのまま杏子は、制服のスカートを翻し、楽しげに手を振って見せた。

 

 

 

 

 

「いってきま~すっ!!」

 

 

 

 

 




 制服姿の杏子ちゃんは、後で美味しく頂かれました。
 さぁ、次はロッソ・ファンタズマで擬似多人数プレイだ!
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