※この作品はR-18です。

魔法少女まどか☆マギカR‐18   作:七音

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【美樹さやかの】後日譚その3【奇跡の形】

 

 

「……遅いですわ」

 

「……そうだね。どうしたんだろう」

 

 

 ……だねぇ。電話したのがいいかな?

 

 人でごった返す直前の、朝の見滝原駅にて。男二人、女の子一人の計三人で呟く。

 本当ならもう一人、ここに女の子が居るはずなのだが、待ち合わせの時間を二十分過ぎても、その姿は見えなかった。

 こんな事もあろうかと、待ち合わせの時間は早めしておいたのだが、もう直ぐ乗る予定の電車が来る筈。出来れば、そろそろ改札を通っておきたいのだが……。

 全く、自分で朝から遊び倒すとか言っておいて遅刻するとは、けしからん奴だ。

 

 

「ごめーん! 遅れたー!」

 

 

 ……と、ようやく来たか。

 

 噂をすればなんとやら、ようやく待ち人が訪れた。

 遠くから駆け寄ってくる少女の装いは、白いブラウスに紫色のロングスカート。普段の活動的な服装とは些か趣が違うが、これもまた似合っている。

 彼女の名は、美樹さやか。

 付き合い始めて一年近くになる、目に入れても痛くないどころか、色々と回復しそうな程に可愛い、自分の恋人だ。

 

 

「もう、遅刻ですわ、さやかさん」

 

「ホント、ちょっと心配したよ?」

 

「ごめんごめんっ、朝御飯を食べようかどうかで悩んでたら、何時の間にかこんな時間になっちゃってて……」

 

 

 彼女に対しているのは、その幼馴染である少年、上条恭介君と、その恋人であり、さやかの友人でもある志筑仁美さん。

 男の格好は(自分も含めて)見ても面白くないので省くとして、志筑さんの服装は、スカート部分がフリル状になった、薄いピンク色のワンピースという、こちらも可愛らしい格好だ。

 上条君と志筑さん。二人とも顔立ちが整っているせいか、並び立つ姿は、とても絵になっている。

 それはそうと……。

 

 朝御飯はちゃんと食べないとダメだろ、さやか? 体に毒だぞ?

 

 

「だってぇ。向こうに着けば食べ放題でしょ? せっかくだもん、めい一杯食べれるようにしといた方がお徳かなぁ、と」

 

 

 不貞腐れた顔で言い訳をするさやかだが、そんな彼女の気持ちも理解でき、自分は腕組みをしながら、うーん、と唸る。

 

 まぁ、分からないではないけどさ。

 自分なんて、株主優待券を見るのも初めてだし。てっきり、一生縁が無い物だと思ってたよ。

 

 

「あれ、そうなんですか? 父さんが結構貰ってくるんで、皆使ってるものだと……」

 

(わたくし)も、よく図書券とかを頂いて、使わせて貰っているのですけど……」

 

 

 ……聞いた!? ねぇ聞きました、さやかさん!? あいつ等やっぱ住む世界が違うよ!! ハイソックスな連中だよ!!

 

 

「聞いた! 聞いちゃったわよ!! どおりで毎年お歳暮で貰うハムの詰め合わせがやたらめったら美味しいわけよ!! 見せつけおってぇ!!」

 

「それを言うならハイソサエティかと……そんな事ないと思うんだけどな……」

 

「もう、御二人共? ふざけていないで、早く電車に乗りましょう。とっくにホームへ着いていますわ」

 

 

 如実に感じた社会的格差に、手を取り合って騒ぐ自分達を、慣れた様子であしらう志筑さん。

 苦笑気味の上条君と共に改札を潜るその背に、さやかと二人、は~い、と返事をしながら続く。

 ホームに上がれば、既に電車のドアは開いていた。今すぐに出るはずは無いが、それでも早足に乗り込むと、他に乗客の姿は無く、貸切のような状態となった。

 

 

「ちゃんと座れそうですわね。到着まで、どの位でしたでしょうか?」

 

 

 それを狙ったからね。まぁ、その分開園より早く着いちゃうけど。

 時間は、大体一時間と少し、かな。

 

 腕時計を見ながら志筑さんに答えると、隣に居たさやかは、それを聞いて悩ましげな顔を見せる――

 

 

「う~、やっぱり、何か食べてくればよかったかな? お腹鳴りそう……ところで、さ」

 

 

 ――かと思ったら、今度はこちらの上着の袖を引っ張り、上目遣いに見つめて来た。

 彼女はそれきり何も言わなくなってしまうが、チラチラと向ける視線が何を求めているのかは、簡単に想像がついた。

 その期待に応えるべく、摘まれているのとは反対の手で彼女の頭を撫で、笑いかける。

 

 初めて見る服だけど、似合ってるよ、さやか。それに、この髪留め。まだ着けてくれてるんだな。

 

 

「ま、まぁね! せっかく貰った物だし、彼女としては、着けざるを得ないと言いますか……なはは」

 

 

 さやかの望んだ通りの言葉を言えたようで、彼女は頬を緩ませながらも、「えっへん」と胸を張る。その前髪に飾られていたのは、イルカを模った髪留め。

 付き合い初めの頃にプレゼントした安物だが、一年経った今でもこうして着けてくれるのは、やはり嬉しい。

 そんなさやかを、志筑さんも微笑ましく見守ってくれていたが、やがて我慢できなくなったのか、口元に手を添えて笑みを零す。

 

 

「うふふ、さやかさんったら。本当は学校に着けてくる位お気に入りの癖に。意地っ張りですわ」

 

「ちょっ、仁美!? それは秘密って……!」

 

「本当に。うっかりなくしちゃった時には、涙目で学校中探してたものね。でも、僕も似合ってると思うよ」

 

「うぅぅ、あ、ありがとう……でもね恭介。気持ちは嬉しいんだけど、恋人の前で他の女の子を褒めるのはあんま良くないわよ? 女の子はそういうのに敏感なんだから」

 

 

 友人二人に微笑まれて、さやかは恥ずかしそうな笑みを浮かべた。しかし、直ぐさま気を取り直して、上条君へビシッと指を突きつけながら優しく叱り付ける。

 さやかにそう言われると、彼は少し目を丸くしたが、言っている事にも一理あると思ったのか、神妙な顔をして頷く。

 

 

「え……あ、そうだね。ごめん、仁美。つい……」

 

「いいえ、気にしてませんわ。でも、後でちゃんと私も褒めて下さいね? さやかさんの十倍くらい」

 

「お、お手柔らかに頼むよ」

 

 

 意外と強かな志筑さんの要求に、上条君はタジタジとなっている。どうやら、彼女の方が一枚上手の様だ。

 しかし、さやかに伝え聞く鈍感さを考えると、その位の方が良いのかも知れない。

 まったく、言葉では伝えられていなかったとしても、全身から放たれていたであろうさやかの愛のオーラに気づかんとは、不届きな男である。

 今現在、それをひしひしと感じ取っている自分からすれば、どうすればこれに気づかずに居られるのか、とんと理解できない。まぁ、今更理解された所で分けてはやらんが。

 

 なんて密かに闘志を燃やしていると、電車内に発車のアナウンスが流れ、俄かに列車が動き出す。

 立っているのもアレなので、座ろうか? と皆に促すと、自然と横一列、四人並んで座席に座る事に。

 自分の隣にはさやかが居て、その隣に志筑さん。更に隣には上条君が。

 奇しくもそれは、その人との親密さの順序であるとも言えた。

 だが、さやかと志筑さんはともかく、上条君との間にだけは、それだけでは計り知れないほどの溝があるのを、自分は感じていた。

 

 

「さぁて、着いたらまず何に乗ろっかな~? やっぱ、エメラルド・スプラッシュ・マウンテン? それとも、ブラック・サンダー・マウンテンかな?」

 

「両方ともジェットコースターではありませんか。最初は、もう少し落ち着いた乗り物の方が……」

 

「……なんだろう。唐突に漫画を読みながらお菓子を食べたくなって来たよ……」

 

 

 でも、今日一日で、それも出来るだけ改善しなければならない。自分の癖――あまり人見知りしない分、一度苦手と思ってしまうと、その印象に引き摺られて仲良くしようと思えなくなる、悪い癖を。

 恋人とのデートを楽しみつつ、今まで一方的に隔意を抱いていた相手との距離を縮める。

 両方こなさなければならないのが辛い所だけれど、さやかがそれを望んでいるのだから、やり切らなければ。

 ――上手く出来るかどうか、甚だ自信が無いけども。

 

 そんな不安を意に介す事無く、電車はレールの上を走っていく。

 向かう先は、夢の国。世界で一番有名な、ネズミがマスコットのデスティニーラ――

 

 

「ちょっとちょっと? デスティニーランドのマスコットはネズミなんかじゃないわよ?」

「そうですわ? 決して色が黒と白だったり、妙に甲高い声で笑ったりはしませんわ?」

「そうですよ? 変な事を考えてると、黒尽くめの男達に連れて行かれますよ?」

 

 

 ――エスパーかお前等ぁ!?

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ダブルデート?

 

 

『そ。今度の日曜日のデートなんだけど、ちょっと予定を変えようと思って』

 

 

 週末の夜。恋人からの、電話越しの唐突な申し出に、雑誌を捲る手が止まった。

 元々、その日は彼女とのデートの予定が入っていたので問題は無いのだが、それにある一文が付け加えられていたのだ。

 ダブル。

 つまりは他のカップルと、同じ日・同じ場所でデートを行うという事。それ自体は問題じゃないし、彼女と付き合い始めてもう一年。そういう趣向も悪くないとは思うが……。

 

 う~ん、随分と急だな……。とりあえず、聞くだけ聞いてみようか。悔しく話してくれ。

 

 

『くっ、いいわよ……っ。実は、仁美がデスティニーランドの株主優待券を貰ったらしくてね? でも、その期限が丁度来週までなのよっ、なんて事……っ。

 それで、使わないのも勿体無いからって、あたし等にお誘いがあったの。あぁ妬ましいっ!

 しかもっ!! 一日乗り物フリーでフードコートは食べ放題よっ!? くぅっ、あのブルジョアジーめっ! これが格差かっ!? ――ってなにやらせんのよあんたはっ!?』

 

 

 なんだかんだ言いつつ、きっちりノリツッコミしてくれる君が大好きだよ、さやか。

 しかし、デスティニーランドねぇ……。

 

 ベッドの上で「むきーっ」と騒ぐさやかを、電話越しに想像しながら考える。思い返してみれば、遊園地なんて小学校の遠足で行ったきりだ――が、旅行にはあまり良い思い出もなかったりする。

 アトラクションには行列が出来ていて、人気のある奴は殆ど乗れなかったし、中学の京都は熱中症で倒れたし、高校の時の海外旅行なんて、前日にひいたインフルエンザのせいでそもそも行くことすら出来なかった。

 不貞腐れて一人で桃鉄九十九年やりきってやったわ。ああ、なんとも灰色な我が青春時代。

 

 

『んで、どう? 一日遊び倒すつもりだから、結構早起きして、帰りも遅くなっちゃうと思うんだけど、次の日とか平気?』

 

 

 相変わらず寄り道しがちな思考を、さやかの声が引き戻す。こちらを気遣う声に、それは平気だけど、なんて一応は答えるのだが、どうにも素直に頷けない。

 チケットの提供者が、さやかの友達である志筑さんだとするならば、ダブルデートのもう一組のカップルは、必然的に彼女とその恋人になる。

 志筑さんとは、今年のバレンタインデーに起きたとある事件で初対面し、以降、割と仲良くさせてもらっているのだが……。

 

 

『……やっぱり、まだ気になる? 恭介の事……』

 

 

 幾らか声のトーンを落とし、さやかは言う。そんな彼女に対して自分は、うーん、と唸ってしまう。

 そう、気になるのは、志筑さんの恋人であり、さやかの友人でもある人物。

 良家の跡取り息子にして、ヴァイオリンの名手。中学三年で既に身長はこちらと同じ位あり、線の細い整った顔立ちまで持つ、てめぇ何処のギャルゲの主人公だと言わんばかりの少年――上条恭介の事なのだ。

 まぁ、生まれてくる家を選ぶ事なんて不可能だし、ヴァイオリンだって彼自身の努力の賜物なのだろうから、素直に賞賛も出来よう。

 だがしかし、顔のつくりに関しては、神様とやらが居るのならば、その眼前に乗り込んで駄々を捏ねたくなる程の不公平さを感じる。天は二物を与えずとか言うが、嘘っぱちだそんなの。

 

 オマケに人生初の彼女がその幼馴染で、かつてはそいつに片思いまでしていて、今現在も友人として交友があるだなんて、恋人としてはひっじょーに複雑なのだ。

 本当なら、幼馴染だからって、彼氏の居る女の子を呼び捨てにするのもどうかと思うが、それはさやかも同じだし、それだけ“特別”なのだろうから我慢しようと、志筑さんと愚痴を零し合ったりもしている。

 重いとか思われるのは嫌なので、さやかの前で口に出した事は無いが。

 

 

『そ、そりゃあね? 彼女が昔好きだった男と仲良くして欲しいなんて、変な言い草だとはあたしも思うんだけど……幼馴染だしさ。

 こないだの一件で、仁美とは仲良くなれたじゃない? あたしとしてはさ、その調子で恭介とも仲良くなって欲しいなー、なんて、思ってるんだけど……』

 

 

 そんな風にみみっちい事を悩んでみれば、さやかは申し訳なさそうに呟く。電話の向こうで、彼女が困ったような顔をしているのが想像できる。

 少し、罪悪感を覚えた。

 自分でも見当はついている。このもやっとした感情は、見っとも無い、ただの独占欲みたいな物でなのだろうと。自分の好きな人に、自分より長い時間を共に過ごした男が居るのが、気に入らないのかも知れない。

 こんな濁った感情を抱いたのは、初めてだった。こんな自分が居るだなんて、想像すらしていなかった。

 さやかという存在に恋をして、様々な事を経験し、ちょっとした世界の裏側まで知った自分だが、それで得られた物は、手放しで喜べる物ばかりではなかった。この独占欲もそうだ。

 きっと、この暗い気持ちを凝り固めていけば、それは呪いと呼ばれるまでに成長するんだろう。

 

 

『あ、もちろん、無理にって訳じゃないんだよ? 所詮は貰い物だし、都合が合わなければお気になさらず、って仁美も言ってるし』

 

 

 ……いや、良いんじゃないか? 遊園地なんて久しぶりだし、いい年してちょっと恥ずかしい気もするけど、タダ乗りで食べ放題なら行かなきゃ損だろ?

 前に行ったのはもう何年も前だし、うん、ちょっと楽しみになって来た。

 

 

『えっ? ……いいの?』

 

 

 実に意外、と言うような声を発するさやかに対し、もちろん、と笑って答える。

 すると彼女は、明らかにほっとした息を漏らし、次は朗らかにはしゃいで見せた――と言っても見えないのだが。

 

 

『そ、そっかぁ。よ~し、じゃあ今度のデートはデスティニーランドで決まりっ! 一日使って遊び倒すぞ~!!』

 

 

 耳に届く声には、思わず笑顔にされてしまうような明るさを感じ、自分の浮かべていた笑顔もより深くなる。

 けれど、その明るさに照らされたせいか、胸の内の暗い影は、その色をより濃くしたように感じた。

 清濁併せ呑む事ができるのが人間の真骨頂、と何処かで聞いた事があるが、存外難しい。しかし、ならばこそ、自分はそれを乗り越えなければいけない。

 

 世に絶望と呪いを撒き散らし、人知れず命を奪う魔女を狩る、祈りと希望から生まれた存在――魔法少女。

 自分は、その恋人なのだから。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……で、だ。上条君。

 

 

「……なんですか、突然?」

 

 

 どうして今、自分達は男二人で歩いてるんだろうか?

 

 

「……最初でポン、のせいじゃないかと」

 

 

 隣を歩く少年――上条恭介君の曖昧な笑みに、自分も苦笑を浮かべ、ですよね~、と呟く。

 自分達は今、多くの家族連れで賑わう夢の国にて、隣り合って居歩いている。予想していなかった訳じゃないが、ここまで露骨に二人きりにされるとは思っても見なかった。

 午前中は良かったのだ。

 多少苦手意識があろうとも、間にさやか達が入ってくれていれば気にせずに済み、自分でも意外なほど、すんなり会話ができた。

 それがこんな事になったのは、お昼を食べて、休憩がてら歩いている最中、さやかが二組に分かれようと提案したからだ。しかも、カップル同士ではなく、グーパーじゃんけんで組み合わせを決めよう、と。

 今思えば、志筑さんがそれに一も二も無く賛同した事に疑問を持つべきだった。あの二人、こちらの返事を聞く前にじゃんけんを始め、「最初っ!」「でポンですわ!」と言いながらパーを出しやがったのだ。

 咄嗟の事に、自分と上条君はグーしか出せず、最初で!? と二人揃って唖然としてしまい、その間に彼女達は――

 

 

「うぁちゃー、よりにもよって女同士になっちゃったかー」

「予想外ですわー。でも、じゃんけんの結果ですもの、仕方ありませんわー」

「だよねー。たまには女同士でデートもいいよねー」

「ですわー。と言う訳でお二人とも、また後程ー」

「全てはじゃんけんがいけないのだよ。じゃ! アディオス!」

 

 

 ――などと、流れるような白々しい小芝居をして走り去っていった。それはもう見事な大根役者振りと、陸上選手なライトニングさんも吃驚な逃げ足の速さだった。

 取り残された自分達は、人混みに消えて行ったさやか達の背中をしばし見つめた後、どうしようかと悩んだ挙句、午前中から巡っていたスタンプラリーの続きをする事になった。

 それが一時間ほど前の事だ。

 

 ……はぁ、何でこんな事してんだろ……。

 

 

「えーと、とにかく、次に行きましょう。あと少しですし」

 

 

 一人ゲンナリとしていれば、上条君はそう言いながら歩き出す。自分はその背中を、そうだねー、と投げやりに返事しながら追いかけた。

 残りのスタンプは二つ。これを集め終えれば、自分達の取り敢えずの目標は達成。さやか達と合流する名目も立つ。

 と言っても、携帯の電源は切られているので(既に確認済み)、せめてもの仕返しに、迷子の呼び出しをしてやろうと二人で決めていた。

 そんな共通の目的もあり、それに向かって邁進してはいたのだが……。

 

 

「………………」

 

 

 男二人で黙々とスタンプラリーをクリアするのもあれなので、自分は積極的に上条君に話しかけていて、彼もそれに応えてくれていたが、流石にネタが尽きて来た。

 結果、自分達は無言になる時間が多くなり、それが結構気まずかったりする。

 彼と仲良くなって欲しいと言うさやかの気持ちは、出来る限り汲みたいと思っているが、正直、気が重たい。

 

 実際に対面してみた印象を言わせて貰えば、上条恭介と言う少年は、少し達観した所はあるが、極普通の男子中学生に思えた。

 音楽の才能はあるけれど、それにしか興味が無いわけでもなく、普通にゲームもすれば、エロ本を買おうとして女の人にレジを打たれて恥ずかしい思いをした事もある、極々普通の少年だ。

 自分も経験があるから良くわかる。それが近所のお姉さんなら倍率ドン! 「へぇーこんなの買う歳になったんだぁ」的な事を言われたら更に倍! である。本当に死ぬほど恥ずかしかった。

 が、なまじ共感できる部分があるだけに、それ以外の部分が際立って見えてしまい、それが辛く感じるのだ。

 ……本当に、程度の低い男だ、自分は。

 

 

「あの……?」

 

 

 何時の間にか思考に埋没していたのか、直ぐ横から掛けられた声に少し驚く。

 どうにか平然を装い、なんだい? と返事をすると、彼は躊躇いがちに口を開いた。

 

 

「実は、聞きたい事があったのを思い出して……。ちょっと、質問してもいいですか?」

 

 

 聞きたい事……。別に、構わないけど?

 今なら特別に、スリーサイズと女性遍歴以外なら何でも答えてあげよう!

 

 

「あ、スリーサイズはともかく、女性遍歴なら知ってるんで大丈夫です」

 

 

 ……え? 何で知ってんの?

 

 

「……えーと、さやかから、色々と聞いてまして……本当に、色々と……」

 

 

 上条君は、何故か疲れたような笑みを浮かべながら、奥歯に物が挟まった物言いをする。

 嫌な予感がして、ぐ、具体的には? と頬を引き攣らせて問うたなら、彼は笑っているとも、呆れているともつかない、奇妙な顔をして見せた。

 

 

「聞きたいですか……? 本当に聞きたいですか……? 耳が蛸壺になるくらい聞かされたからいくらでも喋れますけど、本当に聞きますか……?」

 

 

 ……いや、遠慮しときます。何か、ごめん……。

 

 一体どんだけ言ったんださやか――上条君の目が濁ってきたんですけど?

 段々と凄みを増して来る視線に気圧され、自分は咄嗟に謝る。すると彼は、「いえ、大丈夫です」と軽く笑った後、話を戻す。

 

 

「それで、質問なんですけど……。聞きたいのは、さやかの事なんです」

 

 

 さやかの、事?

 そんなの、自分なんかよりも君の方がよく知ってる筈じゃないか。

 

 質問する意味が無いように思えてそう言ったのだが、上条君は首を横に振る。

 

 

「そんな事ありませんよ。僕が知ってるのは、幼馴染としてのさやかだけですから。

 けど、さやかが貴方と付き合うようになって、違う部分が表に出るようになって……。

 それで、僕以外の男の人から見たさやかはどんな感じなのかなって、気になって。本人が居る前じゃ、なかなか聞けませんし」

 

 

 幼馴染ではないさやか。自分はむしろ、それしか知らないのだが。

 子供の頃から一緒に居て、共に育ってきた彼等。自分にも昔は、そんな間柄の友達が何人か居たけれど、上条君と同じ年の頃には、進学のゴタゴタで会えなくなっていて、それっきりだ。

 それを考えれば、彼とさやかの関係はとても稀有な物に感じられた。だからこそ羨ましくも思うのだが、しかし、それを言っても何も変わらない。

 ここは一つ、望まれた通りにさやかの事を語って、気分でも変えよう。

 

 ……第一印象は、弱々しい女の子、だったかな。初めて出逢った時なんかは、特にそう感じたよ。

 

 

「さやかが、ですか?」

 

 

 意外だったのか、上条君は大きく目を見開く。その顔に少しばかり気分が良くなってしまい、思わず自嘲してしまったが、それでも笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

 まぁ、普段の様子だけを見れば、自分だって意外に思うよ。

 最初にそれを知る事が出来た自分は、多分、運が良かったんだ。何時も元気で、明るく笑ってくれてるけど、でも、本当は……。

 今でもその印象は変わってないよ。

 

 

「そうなんですか……」

 

 

 うん。初対面の時も、随分と落ち込んでたけど……でも、そのせいかな。

 別れ際に見たさやかの笑顔が、凄く、綺麗に見えてさ。今考えると、それにやられたんだろうなぁ。

 

 今でも鮮明に思い出せる、あの澄み切った笑顔。今度は自嘲ではなく、自然な笑顔が浮かぶ。

 

 

「凄いや……。さやかと同じ事言ってる」

 

 

 思い返すために上げていた顔を横に向ければ、上条君はポカンと開けていた口を、器用にも楽しげな苦笑に変える。

 同じ事? と首を傾げて見せれば、彼は一層笑みを深くして頷いた。

 

 

「はい。さやかが言うには、さやかが貴方を意識し始めた切っ掛けは、笑顔なんだそうです。

 第一印象は、ただのお人好しっぽい人だったのに、さやかが自棄になりそうになった時には、ちゃんと叱ってくれて。

 その後に、とても優しく笑ってくれて……それに凄く安心したからなんだ、って言ってました。ちゃんと気持ちが通じ合ってるみたいで、羨ましいです」

 

 

 言いながら、上条君は微笑ましい物でも見るように目を細める。

 余りにも真っ直ぐなその言葉に、自分は妙に照れ臭くなってしまい、咄嗟に冗談を言ってそれを誤魔化す。

 

 やめろ! いきなりフェイスフラッシュを向けるなこのイケメンがっ! 心の川が浄化されて一級河川に昇格したらどうしてくれる!?

 

 

「何で褒めたのに怒るんですか!? キン○バスターなんて使えませんよ僕!?」

 

 

 いやぁ、ごめんごめん。

 イケメンに笑いかけられると、ついふざけたくなる発作がありましてね?

 

 

「どんな難病ですかそれ。仁美に言って病院でも紹介してもらいましょうか?」

 

 

 君も結構言うね……。

 

 意外にも突っ込みのレスポンスが早くて驚くが、そこはさやかの幼馴染み故だろう。きっと彼女も、子供の頃からボケ倒していたのだろうし。

 ――上条君への気持ちを、誤魔化す為に。

 さやかの恋人として、一年の時間を共に過ごして来たからこそ、それが分かる。

 彼女は、自分自身の気持ちを素直に伝えることを苦手としているのだ。大切な想いであればある程、それを心の内に秘めてしまい、表に出すのが怖くなってしまう。

 事実、この一年で彼女の方から「好き」とか「愛してる」とか言ってくれたのは数えるほど。

 その分を補うように外では惚気てくれているようだが、要するにさやかは、すこぶる面倒な性格をしているのだ。まぁ、そこが可愛いのだけど。

 

 そんな彼女が始めて恋をし、今尚大切な存在と思っているであろう上条君と、自分は笑い合っている。

 彼との言葉のやり取りは、それなりに楽しい。確かに楽しいのだけれど、彼と笑い合う自分を、冷やかに見つめている『自分』も居た。

 笑っている筈の心の奥底で、それは彼に冷たい敵意を向けている。言葉を重ねる毎に温度は下がり、硬く、鋭く凍っていく。

 

 ――ダメだ。これではダメだ。

 自分は、こんな想いを抱いてはいけない。さやかに相応しいのは、そんな男じゃない。だから、この感情を認めてはいけない。

 好きにならなければ。こんな考えを起こす必要が無いくらい、彼を理解しなければ。さやかだって、それを望んでいるのだから。

 

 

「あ、次、アレですよね? 行きましょう?」

 

 

 ……あぁ。さっさとスタンプラリーを終わらせて、さやか達をとっちめないと!

 

 少し先を指差す上条君の声に応え、歩くスピードを速める。

 彼の前を歩くのは、ただ、なんとなくだ。

 決して、自分がどんな顔をしているのか分からないからでは、無い。

 

 その、筈だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 急ぎ足にアトラクションの入り口に向かう、少年と青年。

 傍目には、歳の離れた兄弟のようにも見える後姿の、十数メートル後方に、そんな彼等を見守る二つの影があった。

 

 

「うーん、見た感じは、まぁまぁ仲良くやってるみたいだけど……」

 

「そうは言っても、油断は出来ませんわ。恭介君は兎も角として、あの方の心中は決して穏やかではないでしょうから」

 

「やっぱ、そうなのかなぁ……」

 

「ねー、おかーさん。あのおねーちゃん達、なんでとーてむぽーるしてるの?」

 

「こら、指差しちゃダメ!」

 

 

 不安げに呟くのは、後ろ髪を斜めにそろえたショートカットの少女、美樹さやか。

 彼女に忠告したのは、緩やかにウェーブの掛かったロングヘアーの少女、志筑仁美。

 揃いのサングラスを掛け、街灯の影に縦に並んで身を隠し(全然隠れられていないが)、親子連れに後ろ指を差される彼女達は、たった今、アトラクションの中へと消えていった二人の男性の恋人であった。

 

 

「っていうかさ、仁美。やけにあいつの事気にしてるような気がするんだけど……どうして?」

 

「それは勿論、さやかさんの恋人だからです。個人的なお友達でもありますし、他意はありませんわ」

 

「ほんとー? 結構頻繁にメールとかしてるみたいだし、あっやしーなー?」

 

「色々と気を揉むものですから。恋人に、仲の良い異性の幼馴染が居るというのは」

 

 

 自分の上に居る仁美をねっとりと見上げるさやかに、仁美は頬に手を添えて溜息をつく。

 それを聞くと、さやかは心外だと言わんばかりに唇を尖らせた。

 

 

「えぇ? そんな事言われたって……。あたしはもう、恭介の事はなんとも思ってないよ? そりゃあ、大事な幼馴染ではあるけどさ……」

 

「分かってはいても、止められないものなんですのっ。お二人にそのつもりが無くとも、余りに仲が良いのを見せられると、どうしても嫉妬してしまって……。

 その辺りの事が互いによく分かるものですから、時々お話を聞いて頂いているんです。私達の問題ですし、恭介君達には言えませんでしたから」

 

「その割りにおもいっきし言っちゃってない?」

 

「互いの恋人には、という意味ですわ。弱音を吐いている所なんて、格好悪くて見られたくありませんもの……」

 

「うーん。あたしとしては、そういうのも見せて欲しい、なんて思うんだけどなぁ……」

 

「……私だって、本当はそう思いますわ。綺麗な部分も、汚い部分も。ありのままを曝け出して、そして、受け入れて貰えたら……。

 でも、思うようには行かないんです。もし拒絶されたりしたら、なんて考えてしまって、どうしても見栄を張ってしまうんです……。難しい、ですわ……」

 

「そうだね……」

 

 

 悔やむように呟く仁美に、さやかは静かに頷く。

 本当に、人の心は侭ならない。彼女自身、そのせいで魂を失いかけた事があるのだから、身に染みてよく分かる。

 ああしたい、こうしたいと思う自分が居る一方で、それを実現できるかどうかは全くの別問題で。

 恋人から、想いを伝える事の大切さを気付かされたさやかですら、今も面と向かって「好き」の一言を言うのに苦労するのに、それが誰かへの嫉妬という良くない感情であれば、胸に秘めたいと思うのも当然かも知れない。

 

 

(でも、それじゃあきっと、駄目なんだよね)

 

 

 しかし、だからこそ話して欲しいと、さやかは思う。

 一番怖いのは、何も言えず、何も伝えられないまま、時間だけが経って心がすれ違う事。

 そうなれば、胸の内に溜まった気持ちは、ゆっくりと濁っていってしまう。良くない“モノ”を呼び寄せてしまう。

 けれども。

 

 

(簡単に出来るなら、誰も悩んだりしない、か)

 

 

 内心を吐露するというのは、存外難しい事でもあるのだ。

 友人であれば気楽に話せる人も居れば、仁美の様に、大切な相手だからこそ話せない人も居て、いっそ赤の他人の方が楽な事だってある筈。

 さやかも過去、恋人に胸の内を明かす事が出来たのは、直前に親友と喧嘩別れをし、それを優しく慰められるという積み重ねがあったからで、そうでなければ、誰にも気持ちを打ち明けられず、手遅れになっていた事だろう。

 本当に、人の心は侭ならない。

 

 

(ま、だからって諦めるさやかちゃんじゃあ、ありませんけどね! あの事件だって、諦めなかったからこそ、ちゃんと解決できたんだし)

 

 

 さやかの思い返したのは、半年ほど前に起きた、見滝原市における不自然な魔女のブッキングの事。

 それに端を発したのは、遠く離れた街に住む魔法少女達による、ワルプルギスの夜のグリーフシード――通称“ワルプルシード”の強奪未遂事件だった。

 幸いにも、それは未然に防ぐ事ができ、首謀者である魔法少女達とも、時間は掛かったものの、最終的には和解することが出来た。勿論、人的被害は皆無だ。

 今では、ワルプルシードの存在はキュゥべえを通じて全世界の魔法少女に公開され、見滝原市全域は、魔法少女にとっての中立地帯となっている。

 余計な諍いを持ち込まなければ、誰でもその恩恵にあやかる事ができ、安易に奪おうとすれば、街に集った魔法少女達によって袋叩きになる、という具合である。

 もっとも、一時期は引っ切り無しに魔法少女が訪れ、管理者だった巴マミが彼氏とイチャつけずに、使い魔とキュゥべえに八つ当たりするという事件も起こったのだが、それはまた別の話。

 

 ともかく、最初は殺し合いすら覚悟した相手とも、言葉を交わし、想いをぶつけ合う事で、今では友達と呼べる間柄にまでなる事ができた。

 その事がさやかにとっては誇りであり、今回の事を計画した理由の一つでもあった。

 だが、何も一日で「二人はマブダチ!」的に仲良くなって欲しい訳ではないのだ。

 さやかにとっての初恋の様に、上手くは行かないかも知れない。

 けれど、そんな経験ですら、決して無駄にはならないから。ゆっくりと、しかし確実に積み重ねる事が、大切なのだから。

 

 

「さぁってと、それじゃ仁美、あたし達も行こっか?」

 

「え? 行くって、何処へですか?」

 

「中に入るに決まってんでしょ? せっかくのデスティニーランド、午前中だけで満足しろだなんて無理ってもんよっ!」

 

「ええ!? それでは、恭介君達を見失って……」

 

「残りは一箇所なんだから平気平気! ほらっ、いこいこっ!」

 

「で、でも……あっ、引っ張らないで下さいっ!」

 

 

 躊躇う仁美を強引に引っ張り、さやかはアトラクションの入り口へと向かう。

 「ホーンとに出るド? マンション」という、著しく泥臭い名前の迷宮型ホラーハウスだが、名は体を現すのか、あまり人の列は出来ておらず、直ぐにでも入れそうだ。

 恋人と幼馴染の仲を取り持つという目的はあるが、せっかくのタダ乗り優待券、遊ばなければ損という物。

 それに、薄暗くて人目を憚れるこの中でこそ、仁美に聞いてみたい事もあったのだ。

 

 

「にっしし、とっころっでさぁ、ひっとみぃん?」

 

「な、なんですの、その様な呼び方? 気味の悪い……」

 

「……恭介とはどこまでイッたのかなぁ? とっくにキスぐらいはしたんでしょお?」

 

「っ!? し、知りませんわ! その様な事!」

 

「いいからいいから。あたしん時は教えてあげたでしょ? そっちも教えなさいよぉ、うりうりぃ」

 

「さやかさんが勝手に喋っただけではありませんの!? い、嫌ですわ! もうっ!」

 

 

 唐突にセクハラを受け、仁美は頬を真っ赤に染めながら、足早に迷宮の中へと消えていく。

 さやかは悠然と、追い詰めるようにその背中を捉え、ニタニタと悪代官よろしく、意地悪な笑みを浮かべるのだった。

 

 

「ぐふふ、よいでわないか、よいでわないか! さぁ、恭介との恋人生活を、熱く詳しくヤらしく語っ――」

 

「い、いやぁ! ダメですわぁ! 人前でなんて、そんなぁ! 私、恥ずかしくて頭が沸騰してしまいますわぁ!」

 

「……素で台詞の選択がエロいたぁどうゆう事よ……」

 

「ねー、おかーさん。あのおねーちゃん達、なんでさわいでるの?」

 

「しっ! 見ちゃいけません!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「うぉっ、まぶしっ。サングラス、サングラスっと」

 

 

 薄暗かったホラーハウスの外に出ると、太陽の光が瞼を強烈に貫く。

 さやかは眩しさに手をかざすと、すかさず懐のサングラスを装着した。

 

 

「なんだか、ホラーハウスという割りに、お話している間に抜けてしまいましたね。一度も驚いた記憶が……」

 

「だねー、ちょっと物足りないかも……。それはそうと、やるじゃん仁美? なんか、家族の成長記録を聞いてるみたいで、感慨深いわ~。恭介もヤる事はヤってるんだね~」

 

「変な言い方しないで下さいましっ! そもそも、さやかさんがいけないんですわっ。私達の目の前で、あの方との事を色々と語ったりするからっ」

 

「ひ、人のせいにしないでよ? そりゃあまぁ、色々と語ったかもしれないけど、直接的な事は言ってないはず……」

 

「それがいけないんですのっ。肝心な所で照れてお話を中断されると、こう……とにかく掻き立てられるんですわっ!」

 

「相っ変わらず妄想力が逞しい事で……。でも、ちゃんと愛を育んでいるみたいで、さやかちゃんは安心ですよ。ほんと」

 

 

 うんうん、と腕組みをしながら何度も頷くさやか。

 そんな彼女を見つめ、志筑さんは緩やかに目を細くし、淑やかに感謝の言葉を告げる。

 

 

「……それは、さやかさんのおかげ、ですわ。私がこうして幸せで居られるのも、全部」

 

「言いっこ無しだよ、そんなの。あたしがこうしてるのだって、仁美のおかげでもあるんだから。気にしない、気にしない」

 

「……はい。私、さやかさんのお友達で居られて、本当に幸せですわ」

 

「うん。あたしもだよ、仁美」

 

 

 笑い合う二人の少女は、傍目からも仲睦まじく見えた。

 しかし、志筑さんが先に言った通り、少々恥ずかしがりやでもあるさやかは、頬を指で掻きながら照れ臭そうに話を切り上げようとしていた。

 

 

「さ、何かくすぐったくなって来たし、この話はここまでにしよ? 知り合いにでも聞かれたら、恥ずかしくてあたし死んじゃう。壁に耳ありジョージにメアリーってね?」

 

「もう、さやかさんったら。誰ですの? その深夜にフィットネスマシーンでも紹介していそうな二人組みは?」

 

 

 そいつは残念。お前はもう死んでいる。

 

 

「ぎゃあっ!?」

「きゃあっ!?」

 

 

 不意打ちを狙って背後から掛けた声に、二人の少女は飛び上がって驚く。

 期待通りの反応に気を良くした自分は、そんな彼女達に向かって軽く手を振る。

 

 ハァイ、ジョージ(仮)です! 趣味はストレッチをしながら壁に仕掛けた盗聴器を聞く事です!

 

 

「え、えと、メアリー(仮)、です……? 趣味は……え~と、し、障子紙を指でぷすっとやる事です……?」

 

 

 唐突なボケに、上条君は躊躇いながらも後に続いた。

 こういうのは勢いが大事なので、もうちょっと元気が欲しい所だが、慣れていないだろう事を考えれば、及第点といった所だろう。

 

 

「な、なな、なんで後から!? 先に入ったはずじゃあ!?」

 

「び、びっくりしましたわ……ホラーハウスの外で驚かされるなんて、本当に予想外ですわ……」

 

 

 吃驚仰天、といった風に固まっているさやか達に、自分は苦笑しながら事情を説明する。

 

 いやぁ、入ったは良いんだけど、早々に迷っちゃってね?

 そしたら、前の方から覚えのある声が聞こえてきたもんだから、後を尾けさせて貰いました。

 

 

「そういえば、あんたって微妙に方向音痴だったっけね……」

 

 

 そう、実は自分、ちょっと方向感覚がアレなのである。

 おかげで、大事な仕事に遅刻しそうになった事もあって地味に大変なのだが、まぁそれはどうでもいい。

 

 それよりも、だ。なんでこんなとこに居るのかな、お二人さん? 随分前に、別行動しようって言って勝手にさっさか行っちゃった筈じゃないか。

 

 

「そ、れは、ですねぇ……ど、どうしよう仁美!」

 

「……こほん。いやですわ? 単なる偶然です。偶々この近くまで来ていて、偶々ホラーハウスに入ってみたくなっただけですわ?」

 

 

 さやかに小声で相談された志筑さんは、それに答える代わりに、ニコニコと笑みを浮かべて恍けている。十中八九、自分達を尾行して来たんだろうに。

 そう来るのであれば、こちらもそれ相応の対応をさせて貰うしかない。ついさっき仕入れたばかりのネタで対抗させて貰うとしよう。

 

 へぇ、偶然なんだ? ――所でさ、スタンプは貰えないけど、メリーゴーランドにはもう乗ってみた?

 自分は特に好きって訳じゃないけど、志筑さんには似合いそうだよね? ――特に白馬とか。

 

 

「……な、何の事か皆目見当もつきませんが、取り合えず謝りますのでその話はここまでにしましょう!? 出来心だったんですのっ!!」

 

「あの、もうその辺で……僕にもダメージが来ますから、お願いします……」

 

 

 あ、ごめん。そういやそうだね。

 

 勢い良く腰を九十度に曲げる志筑さんと、引き攣った笑いを浮かべる上条君の苦言に毒気を抜かれ、素直に謝る。

 大人しそうな顔をして、よくやるものだ。初でそれとは、羨ましくも末恐ろしい。でも、上手く聞き出すさやかが一番悪いのは当然として、うっかり話す志筑さんもどうなんだろう。

 しかもそのせいで、彼女達の後ろに着いてからというもの、脅かし役の人達の「恨めしや」に妙な気迫が込められ、本当に呪われるかと――気持ちは分かるが、とんだトバッチリだ。

 そんな訳で、ちょっと不機嫌そうな顔をしていると、今度はさやかが申し訳なさそうにして謝ってくる。

 

 

「ご、ごめんね? やっぱり、仲良くなって貰うには、とにかく話すのが一番かなって……」

 

「気を遣わなくても平気だったのに……。そんな事されなくても、きっと仲良くなれましたよね? 僕達」

 

 

 え? あ、うん。自分もそう思うんだけど、そんなに良い笑顔で微笑みかけないで? お尻がムズムズするから。

 

 

「そんな趣味ありませんってば!? 酷い発作ですね、全く……。とりあえず、それは置いておくとして、二人には何か罰を受けて貰わないとね?」

 

「ええー、仲を取り持とうとしただけだったんだし、勘弁してよー」

 

「ダメ。これでも怒ってるんだからね? そうだな……最後のスタンプは、仁美達に取りに行ってもらおうかな? いいですよね?」

 

「あれ、そんなんで良いの?」

 

 

 いやいや、さやか。地図見てみ。

 

 確認の為にこちらを振り返る上条君に、それはちょっと辛いんじゃ、と言おうとしたが、その前に、さやかは拍子抜け、と首を傾げる。

 そんな彼女の前に、パンフレットを兼ねた地図を広げると、彼女はそれをしげしげと眺め、目的地である最後のアトラクションを発見した後、目をパチパチと瞬き、笑顔を浮かべる上条君と見比べ、今度は苦笑い。

 

 

「ねぇ、恭介。なんか、めっちゃ端っこにあるように見えるんですけど?」

 

「うん。ほぼ反対側だね。あはは」

 

「あはは~……仁美ぃ! 何か言ってよぉ!?」

 

「――が、恭介君を――いえ、ここは逆に恭介君が――」

 

「おーい、戻ってコーイ」

 

 

 困り果て、志筑さんに助けを求めるさやかだったが、頼りの子は頭の中が薔薇の園へと変貌しているようだった。

 そんな二人を見て自分達は、仕方ない、と再び笑い、元々考えていた別の案を提示する。

 

 

「それじゃあ、お昼を食べた所にあったジュース屋さんで、ジュースでも買ってきて貰おうかな。ちょっと距離はあるけど、このくらいなら大丈夫だよね?」

 

「あ、うん。それなら何とか。何が良い?」

 

 

 ほっとした様子のさやかに、上条君はミックスジュースを頼み、自分は、炭酸系のを適当に頼む。

 二人分の注文を聞くと、彼女はしっかと頷き、未だにトリップ中の志筑さんの腕を引っ張り歩き出す。

 

 

「ん、了解っ。ちょっぱやで行って来る! ほら仁美、行くよ?」

 

「――うふふ――来ましたわぁ――」

 

「なんにも来てねぇってばよ。さっさと正気に戻れぃ!」

 

「いたっ! い、いきなりチョップは酷いですわさやかさん!?」

 

 

 じゃれあう二人の背中に、気をつけろよ! と声を掛ければ、彼女達は後ろ手に手を振り、走っていく。

 上条君とその背中を見送り、それが見えなくなった頃、彼は笑顔のままこちらに向き直る。

 

 

「さて、と――これで本当に、二人きりになれましたね」

 

 

 背筋がゾワッとした。

 直前に志筑さんの言動を見たせいか、そんな気はないだろうと知っていても“そういう意味”に取れてしまい、ごめん! 自分はさやか一筋だからぁ! と、鳥肌の立つ腕を擦りながら身を捩る。

 

 

「……ちょっと、座りましょうか」

 

 

 ――が、上条君はそれに何にも突っ込んではくれず、出口近くにあった休憩用のベンチに座り込む。

 心に寒風が吹きすさんだが、突っ立っていてもどうしようも無いので、言われた通りに彼の隣に座る。

 チラ、と様子を伺ってみれば、彼は酷く真面目な顔をしていた。

 

 

「少し、話を聞いてもらってもいいですか。今度は、僕自身の話を」

 

 

 ……上条君の話?

 

 

「はい。僕と……さやかの事を。貴方からしてみれば、面白い話ではないと思うんですけど……。どうしても、話しておきたい事があるんです。二人きりで居られるうちに」

 

 

 さやかの事。

 その一言に、スッ、と背筋が伸びた。彼の表情からは、そうさせるだけの真剣さが感じられた。

 無言のままに先を促すと、彼は少し沈黙し、こちらから顔を外して、自らの正面――夕暮れの気配が漂い始めた空を見上げる。

 

 

「もう知ってると思いますけど、僕とさやかは、幼稚園の頃からの幼馴染でした。

 その頃から、さやかは明るく元気で、いつも皆の中心に居るような子で。

 そんなさやかに、僕は何時も助けられて――でも、同時に、酷く劣等感を抱いていたんです」

 

 

 劣等感?

 

 自分の知る限り、何処をとっても完璧に近い少年の発した似つかわしくない言葉に、眉間に皺が寄った。

 だが、真正面を向いている上条君はそれに気づかぬまま、少し恥ずかしげに笑う。

 

 

「あの頃はまだ背が低くて、顔もこんなですから、女の子みたいだって、よくからかわれてたんです。

 それをさやかに助けられて、余計に気にしたり――今思うと、なんて事はないんですけど、子供だった僕には、それがとても悔しかった」

 

 

 想い出を振り返る彼の横顔は、とても優しく、どこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。

 これで隣に居るのが美少女だったなら、間違いなく映画のワンシーンに見えるだろう。

 そして、ジャンルは恋愛物であろう映画の主人公は、左手をゆっくりと握り、また開くという動作を繰り返しながら、それを見つめる目線に力を込める。

 

 

「でも、そんな僕にも、胸を張れる特技があったんです。誰にでも自慢できる物が。それが、ヴァイオリンでした。

 どんなに心が荒んでも、嫌な気持ちに負けそうになっても、ヴァイオリンに夢中になっている時だけは、忘れられて。

 ――だから、事故に遭って、この腕が使い物にならなくなった時は、本当に絶望しました。まるで、僕という存在の価値を、根こそぎ奪われたみたいで」

 

 

 根こそぎって、そんな大袈裟な……。

 

 

「大袈裟じゃないです。少なくとも、あの頃の僕にとってはそうでしたし、今でも少なからずそう思ってます。僕にとって、ヴァイオリンはそういう存在なんです」

 

 

 ……そっか。ごめん、今のは、自分が悪かった。馬鹿にするつもりは無かったんだ。

 

 

「いえ。僕自身、度が過ぎてるって思う事もありますから。練習に夢中になって、仁美との約束を忘れちゃった事も、何度かありましたし」

 

 

 自嘲しながら言う上条君に、そいつは酷いな、と返せば、彼も「でしょう?」と言って再び笑う。

 そうして笑い合いながらも、ヴァイオリンへの想いを語る彼の真剣な表情が、目に焼きついていた。

 あれは、本気だった。

 混じりっけ無しの、純粋な情熱。まるで、恋焦がれる少女への慕情を聞かされているような、そんな気にさせられた。

 これ程までに心血を注げるものを、自分は持っているだろうか。これから先、持てるだろうか。思わず、そんな事まで考えてしまう。

 

 

「だから、でしょうか。この腕が治って、またヴァイオリンを弾けるようになって――これ以上の喜びは、無いと思いました。僕には、ヴァイオリンしかなかったから。

 『奇蹟も、魔法も、あるんだよ』

 さやかの言った事は、本当でした。本当に、奇蹟は起きてくれた。この奇蹟をくれたのは、きっとさやかです。

 毎日の様に病室に来てくれて、諦めかけていた僕をずっと励ましてくれた、あの子がくれた物だと、そう思うんです」

 

 

 上条君は、未だ熱に浮かされているような表情で、静かに目を瞑る。

 何も知らない筈の彼は、自身に起きた奇跡の根源を、しっかりと感じ取っていた。

 さやかがこれを聞けば、きっと心の底から喜ぶことだろう。その為にこそ、彼女は己が魂を賭けたのだから。二人は、確かに心を通わせている。

 喜ぶべきだ。あの子が笑顔になるのなら、自分はそれを歓迎すべきだ。

 ……なのに、どうしてだろう。

 悔しくて、堪らない。さやかには聞かせたくない。二人が笑い合う姿を、見たくない。

 

 

「……それなのに」

 

 

 そんな想いが通じてしまったのか、上条君はその顔を悔しそうに歪める。

 握られた拳には、震えるほどに力が込められていた。

 

 

「あの時、さやかが僕の事で苦しんでいるだなんて、全然気づかなかった。僕の体に起きた奇蹟に舞い上がって、幸せで頭が一杯で、あの子が悩みを抱えているだなんて、思いもしなかった。

 その事を知ったのだって、仁美や鹿目さんに又聞きして知ったんです――何時もそうだ。何時も、助けられてばかり。子供の頃も、そして、あの時も。

 僕はさやかに、酷い事をしたんです。腕の事を諦めろと先生に言われて、その事に絶望して、八つ当たりを――目の前で、痛みを感じなくなってた左腕を、血が出る位に痛めつけたりして。

 さやかは、それを必死に止めてくれて、泣いてくれて、それでも僕を励ましてくれた。そんなさやかの気持ちが、嬉しくて……耐えられなくて。だから僕は、あの子の気持ちから、逃げたんです」

 

 

 逃げた、だと?

 

 どう考えても、悪い意味にしか取れない彼の言葉に、知らず、憮然とした態度を取る。

 逃げたというのはおそらく、さやかの気持ちから、という事だろう。あんなにも悩み、苦しんでいた彼女が、勇気を振り絞って伝えた筈の想い。それから逃げたというのか?

 許せない。許せようはずが無い――が、彼は言いながら背中を丸め、両手を握り締めて膝に肘を突き、硬く目を閉じた。

 その姿は、まるで告解しているようにも見えて、自分の口は噤まれる。

 

 

「……はい。急に、怖くなったんです。あんなに酷い事をした僕を、それでも大事にしてくれる、さやかの優しさに。

 一度受け入れてしまえば、僕は多分、それに溺れてしまう。そうなれば、一生、あの子の優しさに縋らなくちゃ生きていけなくなって。

 ――二度と、対等な関係には戻れなくなりそうで、怖かった」

 

 

 恐れの見える項垂れた横顔に、しかし、共感は抱けなかった。

 真に対等な関係なんて、この世にあるのだろうか。親子、兄妹、友人、先輩後輩、上司部下、男と女――恋人同士。

 全く同じものなんて一つも無くて、だからこそ様々な影響を与え合い、変化が起きて、心を通わす。常に変わり続けるその中で、対等な関係を維持するだなんて、無理だと思うのだ。

 

 あるいは、だからこそ、さやかとだけは対等で居たいのだろうか。彼女に胸を張れる自分で居たいのだろうか。

 それなら少しは、分かる気がする。自分も、さやかに恥じぬ恋人でありたいと、そう思うから。

 大切な人から、一方的に優しさを与えられて、それに何も報いる事が出来ないのは……きっと、狂おしいほどの罪悪感に囚われるのだろう。

 でも、その考えは。その、想いの在り方は。

 

 

「仁美と、恋人になって。誰かを好きになるという事が、どういう事なのかを知った今なら、分かります。僕はあの頃、確かにさやかの事が――好きだったんだって」

 

 

 ……っ。

 

 息を呑む。上条君の告白に、自分は頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 やはりこの二人は、昔から心を通じ合わせていたのだ。運命の悪戯ですれ違い、運悪く結ばれなかっただけで。

 自分はそれに、割り込んだだけ、なのか? ……いや、そんな、事は。

 

 

「別の子を好きになってから気づくなんて、本当にバカですよね――あ、勘違いしないで下さいね? 今更、さやかとどうこうなりたい訳じゃありませんし、後悔は、してませんから」

 

 

 ……どうして? さやかの事が好きだったなら、どうして後悔せずに居られる? どうしてそんな風に言えるんだ?

 

 自分ならきっと、後悔せずに居られない。例え、新しい恋が始まっていたとしても、見捨てる他に無い自分の想いに、必ず後悔してしまう。

 それなのに、君はどうして、そんなにも優しく微笑む事が出来るんだ。

 勝手に口を吐いた疑問に、上条君はこちらに向き直り、視線が重なる。その顔は、穏やかな中にも強い確信を抱いているように見え、とても逞しく思えた。

 

 

「貴方が、さやかの側に居たから」

 

 

 ……自分、が?

 

 

「さやかが一番苦しんでいた時に、一番側に居て、あの子の支えになってくれた貴方が居たから、後悔せずに居られるんです。

 今のさやかは、とても幸せそうです。もし、運命が悪戯して、貴方の居る場所に僕が立っていたとしても、あんな笑顔を引き出せる自信は、ありません。

 だから、さやかを救ってくれたのが貴方で――恋人になったのが貴方で、良かったって思えるんです」

 

 

 ……買い被りだよ、それは。自分は、偶々通り掛っただけで。

 特別な事なんて何も……何も出来ない、ただの凡人で……。

 

 

「そんな事ありません。辛い時に側に居てくれて、気に掛けて貰える。それがどんなに嬉しいか。それに、どんなに救われるか。僕は知っています。

 見ず知らずの女の子にも、その優しさを向ける事の出来た貴方だから、きっと、さやかを助ける事が出来たんです」

 

 

 否定しようと発した言葉に、しかし、見つめる視線は揺るがない。

 堪らず、目を逸らしてしまったけれど、彼はベンチから立ち上がり、こちらの正面に立つ事で、それを許してはくれなかった。

 

 

「だから。貴方に、お礼を言いたいのと、一つ、お願いがあります。

 さやかを助けてくれて、本当にありがとうございました。

 そしてこれからも、さやかの事をお願いします。

 あの子の事を――僕の大切な幼馴染を、世界で一番、幸せにしてあげて下さい」

 

 

 そう言って、上条君は深く頭を下げる。

 ――あぁ、そうだったのか。

 ここに来て、理解した。理解出来てしまった。上条君の事をでは無い。彼を好きになった、さやかの気持ちをだ。

 真っ直ぐなのだ。ヴァイオリンへの情熱も、志筑さんへの想いも、さやかへの親愛も。どこまでも真っ直ぐで、純粋で、それ故に曲がれない。さやかも、志筑さんも、彼のそんな所に惹かれたのだろう。

 認めよう。

 ただ単に、上条君に嫉妬していただけなのだと。全てにおいて恵まれている彼が羨ましくて、子供染みた対抗意識を燃やしていただけなのだと。

 こんな風に言われてしまっては、もう、敵うとは思えない。彼を嫌っていた自分が、恥ずかしくて仕方ない。

 だけど、こんな自分に彼は頭を下げて、ひたむきにさやかの幸せを願っている。せめて、それだけには応えなくては。これでも自分は、彼女の恋人なのだから。

 

 そんな事、言われるまでも無い。自分は、さやかの笑顔が好きなんだ。その笑顔を曇らせる事なんて、絶対にするもんか。

 ……信じて、くれるか?

 

 

「……はいっ」

 

 

 頭を上げた彼の顔には、輝くような表情が浮かぶ。

 唐突に、眩暈がしたように感じて、堪らず顔を背ける。そして、向けて欲しいと言った筈の信頼からも、目を逸らす。

 なんだか、自分が小さくなってしまったような、そんな感覚を覚えた。

 

 

「お~い! 買って来たよ~!」

 

 

 遠く呼びかける声に、上条君と共に振り向き、ベンチから立ち上がる。こちらに駆け寄る二人の少女に、自分は意図して口角を引き上げた。

 自分は今、笑えているだろうか。

 ……笑えていると良い。

 そうでなければ、自分が必死に強がっているだけだという事が、ばれてしまうから。

 あの言葉が、自分に言い聞かせているだけの言葉だと、見破られてしまうから。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……ねぇ、ちょっと」

 

 

 呼び止められたのは、四人で最後のスタンプを集めた後、今度こそカップル同士に分かれて、しばらくして。

 次は何に乗ろうかと、歩きながら地図を広げていた時だった。

 何だ? と後ろを振り返れば、さやかはその顔を少しばかり曇らせていた。

 心配になり、どうかしたのか? と、もう一度声を掛けたのだが、彼女は「ううん」と首を横に振る。

 

 

「それはこっちの台詞。どうかしたの? 何かあった?」

 

 

 近寄り、こちらの頬に右手を添えるさやか。見上げる顔には、こちらの身を案じる様子がありありと見て取れた。

 それは嬉しかったのだが、ついさっき誓ったばかりで、そんな顔をさせてしまったのが悔しくもあり、それを隠すために、別になんとも無いけど? と笑って返事をする。

 

 

「……うそ。あんた、無理して笑ってる。あたしには分かるんだから」

 

 

 しかし、彼女はそれを信じてくれなかったようで、そのまま優しく頬をつねり、真剣な表情で言葉を重ねた。

 

 

「恭介と、何かあったの? もしかして、無理、させちゃった? ……嫌な事があったなら、ちゃんと言って? あたし、バカだから。言葉にして貰わないと、分かれないから」

 

 

 さやかの言葉に、自分の胸は、締め付けられる様な喜びで一杯になってしまう。

 だが、それを表に出すと、余計なモノまで出て行ってしまいそうで、自分はその感情を、無理矢理に押し留める。

 

 大丈夫だよ。少し、疲れただけだと思うから。上条君とだって、別に喧嘩とかした訳じゃないし。むしろ、いい奴だと思うよ……自分は。

 

 

「……ほんと?」

 

 

 ……勿論。嘘なんかじゃないよ。礼儀正しいし、嫌味な所も無くて、話し易いし……イケメンなのはちょっとムカつくけどもさ?

 

 頬に触れている彼女の右手を握りながら、そんな風に、ふざけて笑う。

 少なくとも、自分は笑っているつもりだ。彼から聞いた、さやかが好きだといっていたらしい笑顔を、浮かべていられると思っていた。

 ……けれど。

 

 

「………………」

 

 

 静かにこちらを見つめる瞳と、触れ合う肌から伝わるものが、必死に被り続けた仮面を、いとも簡単に剥がしてしまう。

 持て余していた感情が溢れ、それは、言葉という形を成していく。

 

 ……自分で、良かったのかな。

 

 

「――え?」

 

 

 自分は、上条君みたいに顔も整ってないし、誰かに誇れる才能もないし、家だって普通の中流家庭で……あれほど情熱を注げる物も、持ってない。

 何ていうか、さ。全部、負けちゃってる気がして……自分はただ、好きなだけ……。

 そんな奴が、さやかの隣に居て……恋人で居て、良いのかな、って……。

 

 彼女に投げ掛けたのは、そんな言葉。こう言えば同情してくれると期待しての、あざとい言葉。

 だが、期待した反応は得る事が出来ず、片手を握り合ったまま、長く沈黙が続く。

 

 

「……ねぇ。ちょっと、かがんでくれる? ついでに、目も閉じて」

 

 

 不意に、さやかの開いた手が服を掴む。何? と問い掛けても、彼女は「いいから」と言うばかりで答えてくれない。

 仕方なく、言われた通りに少し体を前傾させ、目を閉じる。すると、こちらの肩に手が乗せられた。

 一体、何をされるんだろうか。まさか、キスでもしてくれるのか――

 

 

 

 

 

《ゴスッ!!》

 

 ぐほぁっ!!

 

「くぉ……キ、キスされるかと思った? 残念!! 頭突きでしたぁ!! ……うぅ、加減間違えたぁ……」

 

 

 

 

 

 ――だなんて思っていたら、額を襲った衝撃に、脳内に星が飛ぶ。

 な、何事だ……? つーか、スッゴイ音が…?

 

 さ、さやか、お、おま、お前なぁ……!? 何してくれんだよ!? シリアスな空気ぶち壊しじゃん!?

 

 

「うっさいわね! ぬぁにがシリアスよっ! ただイジケてるだけじゃない! 自業自得よ!」

 

 

 なにぉお!? ……うぉお、クラクラする……。

 

 

「……はぁ。ほら、こっち」

 

 

 魔法で強化でもされてたんじゃないかというほどに額が痛く、脳みそがグワングワンと揺れている。血が出ていないのが不思議なくらいだ。

 涙目で頭を押さえていたら、溜息を吐くさやかに反対の手を取られ、手近なベンチへと導かれる。

 何度目だろうと思いつつそれに座れば、彼女はこちらの正面に立ち、静かに問い掛けて来た。

 

 

「……ねぇ。もしかしてあんた、忘れちゃってる?」

 

 

 忘れ……? 一体、何の事だろう……?

 唐突に思える質問に呆けていると、彼女は溜息をついて肩を落とす。

 

 

「は~ぁ。ちょっとショック。あたしにとっては、すっごく大事な事だったんだけどなぁ……」

 

 

 酷く残念そうに呟くさやか。その姿に、額の痛みも忘れて、思い出そうと慌て始める。

 大事な物。さやかにとってのそれは、多分、上条君と志筑さんと、魔法少女の仲間達や家族、後は、恋人である自分の事、だろうか。

 だが、忘れている事なんて――ダメだ、思いつかない。

 どんなに考えても、さやかの言った事に思い当たる節が無い。それでも何とか思い出そうと、自分は首を捻って必死に唸る。

 

 

「……ふふ」

 

 

 ――が、彼女はそんな姿を見て微かに笑い、体をかがめて、右手の人差し指で鼻をツンと突いて来て。

 

 

「一番大事な物は、ちゃんと持ってるじゃない?」

 

 

 ……あ。

 

 

「それとも、あたしの事を好きな気持ちは、そんないじけた気持ちに負けちゃうくらいの、弱い物なの?」

 

 

 覚えのある台詞。

 あの日――さやかと出逢ったあの日、必死に頭から捻り出した、あの台詞。

 

 

「あんたの気持ちも、少しは分かるよ。あたしも前はそうだったんだから。自分と仁美を比べて、何にも勝てる所を見つけられなくて。

 でも、一番大事なのはそんな事じゃないって、そう言ってくれたのはあんたじゃない?

 誰かと比べるなんて事、しなくていいんだよ。あんたはあたしを選んでくれた。あたしはあんたを選んだ。それが事実なんだから」

 

 

 身を起こし、彼女は微笑む。

 指が離れると、その胸に頭を抱え、優しく髪を撫でてくれる。

 鼻の奥が、ツンとした。

 

 

「こんな事言うと勘違いされちゃうかもしれないけど。あたしはね、恭介を好きになった事、後悔なんてしてないよ? ……だって、そのおかげであんたと出会えたんだもん」

 

 

 囁く声には、紛れも無い愛しさが込められているのを感じる事が出来て。

 たったそれだけで、全てが満たされてしまう気がした。

 気だるい体も、冷え切っていた心も、瞬く間に癒されてしまう。

 愛する人の温度が、堪らなく心地良い。

 

 

「あたしが、恭介を好きじゃなかったら。仁美が、恭介を好きじゃなかったら。恭介が事故に遭わなかったら。

 あたしが、魔法少女にならなかったら。あの日、まどかと喧嘩しなかったら――あの日、雨が降ってなかったら。

 きっと、一つ違ってただけで、あんたとは出会えなかった。

 これってさ、凄い事だと思わない? こんな偶然、何処を探したって他に無いよ!

 ……だから、あたしは思うんだ。あんたと出会えた事こそが、あたしが祈った奇蹟の、本当の形だったんだって」

 

 

 ――あぁ、君は。

 

 

「だから、不安になんてならないで? あんたのおかげで、私は心を捨てずに済んだんだから。

 誰がなんと言おうと、あんたはあたしにとって、ピンチの時に駆けつけてくれた、白馬の王子様なんだから!!」

 

 

 君は、奇跡と呼んでくれるのか。

 ただ偶然が重なっただけとも言える出逢いを、魂を捧げるに足る奇蹟だと、思ってくれるのか。

 

 

「ま、王子様にしては、顔の造りがちょっと平凡だけどね~? そこだけがちょっと残念かな~?」

 

 

 ……いちいちオチをつけるなぁっ! このぉ!!

 

 

「きゃんっ! こ、こらっ、危ないでしょ!?」

 

 

 さやかの体を抱きすくめ、その勢いのままに立ち上がる。

 自分は、本当に、なんて単純な人間なんだろう。ついさっきまで、あんなに気分が沈んでいたというのに、大好きな人から肯定されるだけで、こんなに楽になってしまった。

 情けないけれど、こうして彼女の優しさを感じなければ、自分はダメになっていたかもしれない。暗い気持ちに負けて、本当に大切なものを失っていたかも知れない。

 だけど、思い出せた。さやかが、思い出させてくれた。あの頃の気持ちを――彼女に恋した時の気持ちを。

 そして、今までよりもずっとずっと、彼女の事を好きになってしまった。

 こんなに嬉しい事は無い。

 

 ……負けるもんか。

 

 

「え?」

 

 

 いつかまた、今日みたいに大切なものを見失う事があっても、さやかを想う気持ちだけは、きっと変わらない。

 この想いこそが、自分の持てる唯一の、そして、一番揺ぎ無い物なんだ。

 才能だとか、家柄だとか、そんなのどうでも良い。

 他の全てで負けたとしても、けど、この場所は。

 さやかに一番近い席だけは、他の誰にも渡さない。

 ……ああ、そうだ。

 この気持ちだけは、この世の誰にも負けるもんか! この世界の誰よりも! 自分が一番! さやかの事が大好きだっ!!

 

 

「ちょ、ちょっと、恥ずかしいから……! やめてよ……!」

 

 

 突然の叫びに、園内に見えた人影がこちらを振り返る。だが、抱き合う自分達の姿を確かめると、皆、柔らかな笑みを浮かべてくれた。

 暖かな視線を浴びせられて恥ずかしいのか、さやかはジタバタと腕の中で藻掻くのだが、そんな彼女を、自分は更に強く抱き締める。

 自分だって、注目を浴びるのは恥ずかしいけど。

 それでも、無性に。

 

 君への想いを、叫びたくて仕方がない。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 遊園地を巡る幅の広い道の真ん中で、誰もが恥ずかしくなるようなラブシーンを演じる一組の恋人達。

 そんな、抱き締め合う二人を――さやか達を遠目に見ながら、同じく恋人同士である少年と少女は――上条恭介と志筑仁美は、苦笑いを隠さない。

 

 

「余計な心配だったみたいだね」

 

「……ですわね」

 

 

 ジュースを手に戻ったさやか達と合流した後、やけに口数が少なくなったように感じた彼等が気になり、こうして物陰から伺っていた訳だが、それは全くの杞憂だったようだ。

 恭介としては、幼馴染を取られてしまった様でもあり、少しばかりの寂しさも感じたが、それ以上に、恋人からの愛の言葉に照れるその顔が眩しく見え、自然と笑顔が浮かぶ。

 

 

「……あの。恭介、君」

 

「ん? なに、仁美」

 

 

 しかし、同じものを見ているはずの仁美は、その顔を暗い色に染めていた。

 

 

「恭介君は、後悔、していませんか? 私を、選んでしまって」

 

 

 彼女を苛んでいるのは、不安。

 さやかと同じく恭介を想い、それ故に正々堂々と決着をつけたくて、彼女はさやかに告白を宣言した。しかし、結果としてそれは、さやかに先んじて、想いを告げる事を可能にする効果を持ってしまった。

 意図していた訳ではない。だが、全く予想していなかった訳でも無い。

 元来、人の心とは矛盾を孕み易い物。恋する苦しみを知る者であれば、彼女の気持ちも理解できるかも知れない。推奨するかは、また別だが。

 けれども、恭介と想いを通じ合わせてから積み重ねた想い出は、決して嘘偽りではなく、仁美としても胸を張ってそう言える。

 だからこそ、悲しみを越えて尚、光り輝くさやかの姿に、自らの汚い部分を再認識させられてしまうのだ。

 

 ――私よりも、彼女の方が。

 

 思わず、そんな事を考えてしまう位に。

 

 

「その言い方、嫌いだな」

 

「……え?」

 

 

 だが、そんな仁美の不安を、恭介は真っ向から否定する。

 

 

「選んでしまった、じゃなくて、僕は仁美を選んだんだ。

 色々あって浮かれてたのは確かだけど、でも、それを間違いだって思った事は、一度も無いよ。

 それが、受け入れなかったさやかの気持ちに対する、礼儀だとも思う。

 なにより、仁美の事が好きで、一緒に居たいと思うのは、紛れも無い今の僕の本心だ。……後悔なんて、あるはず無いよ」

 

「……恭介、君、っ」

 

「泣かないで、仁美。さ、行こう? まだ時間はたっぷりあるんだ。

 もっと楽しまなくちゃ! さやか達になんか負けない位、沢山の思い出を作ろう?」

 

「……っ、はいっ、さやかさんには、絶対に負けませんわっ!!」

 

 

 涙を拭いながら、仁美は差し出された手を握り返す。笑い合う二人の顔に、暗い影は一片たりとも見えはしない。

 指を絡ませ、肩を寄せ合いながら、彼等は騒がしい恋人達に背を向け、歩き出す。

 彼の言葉には、そうであろうとする誓いと、そうありたいという想いが込められている。

 ああ言った手前、恭介だって負けてはいられないのだ。仁美の事を、さやかに負けない位、幸せな女の子にしてあげたいのだから。

 

 

(ありがとう、さやか)

 

 

 遠ざかる気配を感じながら、恭介は祈る。

 気づいた時には既に終わっていた、余りにも拙い初恋と、そして、掛け替えの無い第二の恋に。

 幾許かの寂しさと、明日への期待を望ませる、素敵な終わりをくれた、彼と彼女の未来に。

 

 どうか、幸多からん事を。

 

 

 

 

 

 大好きだぁぁぁあぁあぁぁあぁあぁあぁああっ!!!!!!

 

「やめろっつってんでしょうがぁ!!」

 

 あべしっ!?

 

 

 

 

 




 おい、誰か騒乱罪で通報しろよあのバカップル。
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