ふと、右腕に重みを感じて、意識が浮上する。
部屋が明るい――と言う事は、もう朝のようだ。確か今日は祝日で、自分も仕事は休みを貰っているはず。
枕元を左手で探り、時計の時間を確かめてみれば、もう十時半だった。何時もの時間に比べて大分遅い。休みとは言え、寝過ぎだろうか。
それはいいとして、さっきから感じるこの重さは何なのだろう。
眼鏡が無いせいで視界はぼやけているが、この至近距離なら流石に目で見て判別できる。
「くぅ……くぅ……」
――が、緩やかに上下するシーツと、洩れ聞こえる寝息を聞けば、それがなんなのかは一瞬で理解できた。
ゆっくりとシーツを捲ると、そこには、穏やかな寝息を立てる黒髪の少女――年下の恋人、暁美ほむらが居た。
美しいその顔に浮かんでいるのは、誰もが思わず笑みを浮かべてしまうほど穏やかな寝顔。もちろん自分もその一人なのだが、それと同時に、まだ少し寝ぼけている頭に疑問が浮かぶ。
どうしてほむらがここに? 合鍵は渡してあるけど、昨日寝た時は確かに自分一人だった筈。と言う事は、態々忍び込んできたのか? 何故? なにゆえ?
彼女と恋人同士になって、もう一年以上。恥ずかしがり屋だった彼女も、人並み程度には積極的になってくれていたが、流石にこんなのは初めてだ。
「……ん、うぅん……」
そんな事を考えながら横顔を眺めていると、ほむらは鼻に掛かった声と共に寝返りを打ち、それに合わせて、薄紫のパジャマの下にある胸がポヨンと揺れた。
――ポヨン?
脳内に湧いた馴染みの無い擬音。思わず眉間に皺が寄った。
そして、その疑問を解消すべく、無意識の内に手が伸びる。
「……ん、ふ、ぅ」
むにゅむにゅ、と柔らかい感触。
ああ、そうか。これは夢だ。ほむらの胸がこんな、手に余るほど大きい筈が無い。
あの子の胸は、自分の手に丁度ジャストフィットする位の控えめな物。不自然にめり込んだ指の間から柔肉がはみ出たりしない。
「ん、んっ、あっ」
しかし、夢とはいっても、この感触は素晴らしい。
女性の胸なんて、家族を除けば、ほむらのしか触った事が無いけれど、世の男達が大きさに拘る理由が少し理解できたかも知れない。これは良いものだ。
出来れば、もうちょっとこの夢が続きますように。
なんて事を考えながら、指先に神経を集中させるため、自分はゆっくり瞼を閉じる。
「う、っ、ふ、ぅ」
この柔らかさを、なんと表現すれば良いだろう。
擬音で例えるなら、ふかふか、ぷにぷに、ふるふる、ぷよぷよ、といった所だろうか。
指に合わせて自由自在に形を変えるそれは、触っているだけで幸せな気分を味わわせてくれた。
「ぁ、は、う、ん」
ふと、手の平を押し上げる硬さが生まれる。
寝ぼけた頭に、本能と呼んで良い部分がそれを教え、ボタンの隙間を通り、ブラのカップの中に手を差し込む。
布地越しでは伝わらなかった熱が迎え入れ、肌と肌が擦れ合う。
「んん、んっ、んぅ」
指を沈めれば、柔らかい肉の中にそれは埋まってしまい、こちらの手が包んでいる筈なのに、逆に暖かさに包まれる。
ふにゅり、ふにゅり、というなんとも心地良い感触に、思わずうっとり、長い息が洩れた。
「は、ぁ、ふっ、あっ」
しばらくそれを楽しんだ後、少しだけ手を浮かせ、中指の腹で頭頂部をくりくり弄る。
軽く押し込むだけで埋まってしまうしこりは、しかし、己の存在を確かに主張した。
その硬さを楽しむため、柔らかな膨らみを優しく絞るように手の動きを変え、親指と人差し指で頭頂部をしごき、摘み上げる。
「あ、んぅ、あん、う……ぇ、えっ!?」
すると、快感を伴った吐息が、急に戸惑いの声に変わった。
折角の夢なのだから、もうちょっと色っぽい声を出して欲しいなぁ……と思った次の瞬間。
「……ぃ、いやぁぁあぁぁあぁああっ!!!!!!」
《メキッ》
んがっ!?
突如として、顔面を隕石が襲った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほん、本当に、ごめんなさい……」
場所を移し、男の一人暮しらしい、少し雑多なリビング。
少女はカーペットの上に正座し、目の前で頭を下げていた。対面に座り、鼻に丸めたティッシュを詰めながら、や……気にしないで、なんて自分は返す。
未だに顔面はしくしくと痛むが、思うがまま、あの素晴らしい感触を楽しんでしまったのだから仕方ない。
それにしても……。
君は、誰だ? 何でこの部屋に?
「あ……そ、それは、その、ぉ……」
自分の発した質問に対し、少女はひたすら肩身を狭める。
そう、余りに似ていたために勘違いしてしまったが、この少女、ほむらでは無かったのだ。
眼鏡を掛けていなかったから間違えたのではなく、本当に瓜二つだった。艶やかな黒髪も、長い睫毛も、すっと通った鼻筋も。違う所を探す方が難しい。
いや、明らかに違う所もあるのだが、ほむらの名誉の為にもそこは触れないでおこうと思う。物理的にはもう触っちゃったけれども。
……と、そう言えば、まだ謝ってなかったね。本当にごめん。余りにも恋人に似てたものだから、つい……。
「あ、いえ、そんな………………あ、の、もしかしてその人、ほむらって名前じゃ?」
あれ? 知り合い? まさか、ほむらの姉妹とか……?
唐突に、少女の口からほむらの名前が告げられた。
そのため、あの子の知り合いなのかと思ったのだが、しかし、少女は両手を顔の前で振り否定する。
「やっぱり……あっ、ち、違いますっ、違う、んですけど……何て、言えばいいのか……」
彼女の口振りは、いかにも戸惑っていますと言わんばかり。けれど、その様子を見ると、違うと言う言葉が嘘の様に感じられてしまった。
なぜかと言えば、その仕草すらもほむらに似ていたからだ。より正確に言うならば、魔法少女になる前の、と付け加えなければならないが。
おどおどこちらを伺う様子。そわそわと両の指を絡ませ、上目遣いになっている姿なんか、特に似ている。
これならむしろ、ほむらの関係者と思ったほうがよっぽど納得できる。それも、自分の置かれた不可思議な状況を考えれば、おそらくは魔法少女方面の。
だが――
「うーんと……えーと……」
――必死に頭を捻っている少女の手元を確かめても、その証は見当たらない。
この少女が魔法少女であるならば、その左手には、ソウルジェムの待機状態である指輪が嵌められていて、中指の爪には特徴的なマークが印されている筈なのだ。
それ等には、そこにあると知っていなければ見る事ができない、という程度の認識疎外の魔法が掛かっているらしいが、自分はそれを知っているのだから見れるはず。なのに、それが無い。
指輪だけなら外せるとの事だが、爪のマークは誤魔化しようが無いだろう。マニキュアで隠せたり出来るのかも知れないが、そこまで用意周到に準備が出来るのなら、あんなに無防備に胸を揉まれやしないだろうし。
一体、どういう事なのだろうか……それにしても凄かった……。
「あ、あのぉ……?」
あ、はい!? なんでしょうっ?
不埒な事を考えている最中に話しかけられたせいで声が上擦ってしまったが、少女はそれを気にしていないのか、言葉を続ける。
「信じて貰えるか、自信が無いん、ですけど。私は、貴方の……」
――と、少女が肝心な事を口にしようとした瞬間、玄関の方から『ポーン』と単調なチャイムが鳴った。
話の腰を折られ、誰だよもう、と文句を言いつつ立ち上がり、中腰になった所で思い出す。
自分でも、顔が真っ青になり、冷や汗が垂れてくるのが分かった。
……しまった!? 今日は朝からほむらが来てくれる約束だった!?
「……え?」
今日は二週間に一度の、ほむらが家に掃除をしに来てくれる日なのである。
自分としては、部屋が少しごちゃごちゃでも気にはならないのだが(勿論、仕事場は別だ)、恋人としては看過できないらしく、折を見て部屋を片付けに来てくれるのだ。
その後は、二人でゆっくりと休日を過ごし、時々買い物に行ったり、そのまま彼女が泊まって行ったりもする、待ち望んでいた日でもある。
が、この状況はとても不味い。
「……来る? ――さんが?」
何が不味いかと言えば、ほむらに似たこの少女に決まっている。
彼女に瓜二つ、それなのに局地的には月とすっぽん、マリアナ海溝とエベレスト山脈のような差のあるこの子と一緒に居る所を見られたら、何が起こるか分からない(我ながら酷い例えだ。後でそれとなく謝ろう)。
最悪、浮気と勘違いされて――それだけは、避けなければ!!
君! 悪いんだけど、今すぐどこかに隠れて!
「え? 隠れ……え?」
玄関の向こうに届かないよう、小声でそう話しかけるのだが、少女は状況が理解できていないのか、狼狽えるばかり。
仕方なく少女の手を取り、そそくさ・こそこそ、寝室へ戻る。
「あ、あのっ、待って下さい、私、話さなくちゃいけない事が……!」
ごめん、それは後で聞くから、今は黙ってそこに隠れてて!
「ま、待って、おと――」
必死に何かを訴えようとする少女。それを無視するのは心苦しかったが、今はこの状況をクリアするのが先決。
そんな訳で、彼女をクローゼットの中へと押し込み、自分は急いで二度目のチャイムが鳴る玄関へと向かう。
はーい、と返事をし、その扉を開けたなら――
「あ、おはよ……う……?」
――どうしてだか、朝の挨拶を疑問形にして首を傾げる女の子。今度こそ、自分の恋人である暁美ほむらが立っていた。
その出で立ちは、小さなリボンのついた白いカチューシャ、黒のジャケットに紫色のブラウス、灰色のプリーツスカートに黒のハイソックスという物。
部屋の掃除には少し向かない格好かも知れないが、やはり、好きな女の子が着飾ってくれているのは目が楽しい。
「ど、どうしたの、その顔……?」
しかし、ほむらはその顔を心配そうな色に変えてしまう。
一体どうし――あ、しまった。良く考えたら鼻にティッシュを詰めたままだった。
あ、えっと、実はついさっき起きたばかりで、その、寝ぼけてベッドから落ちちゃって……。
仕方なくそんな風に言い訳をすれば、今度は驚いたような表情を見せるほむら。
「まだ寝ていたの? それじゃあ、朝御飯は?」
まだです、と頭を掻きながら自分は返し、それに心底呆れ返った様子で、彼女は溜息を漏らす。
「ふぅ……仕方ないわね。掃除の前に、私が軽く何か作るわ。卵、まだあったわよね?」
返事も聞かず、ほむらは小さめの1LDKの中へと入っていく。その足取りは非常に軽やかで、口振りとは裏腹に、かなり上機嫌なのが伺える。
少し前……と言っても、彼女には昔の話だが、まだ病弱だった頃、医師や看護師さんにお世話されてばかりだったのが原因か、今では逆に、誰かの世話を焼くのが楽しいらしい。
そのおかげで自分も楽が出来るし、鼻歌交じりに家事をしてくれる後姿を眺めるのも乙な物で、なんとも言えない充足感があったりする。
「っと、そうそう。その前に洗濯機廻しておいた方がいいわね。また溜まっているでしょうし」
言いながら、ほむらは洗面所に姿を消し、洗濯機のふたの開閉音が聞こえた。一人やもめの習性か、つい洗濯物を溜め込んでしまうのもお見通しらしい。
なんだか、このまま結婚なんかしたら、尻に敷かれてしまいそうな気がしないでもない――まぁ、どんなに最速でも後一年は先の話だが。
どだい、それは無理な話しだし、その前にご両親の理解も得ないと――やはり、あの人に相談するべきだろうか。
と、そんな事を考えていたら、靴下を片手に彼女がひょっこり顔を出す。
「この靴下、片方だけ見当たらないんだけれど?」
あれ、そう? どっかで落としたかな……。
何時もは寝室で部屋着に着替えた後、脱いだものはまとめて洗濯機の所へ持っていくため、その最中で落としたのかも知れない。
そう考え、靴下を探そうと部屋に戻ろうとするのだが、一足先にほむらがリビングへと歩いて行く。
「多分、また寝室ね。時々ベッドの所に落ちているから」
あぁ――寝室?
いや、今寝室に行かれるのは不味い! ただでさえ感覚の鋭い魔法少女、うっかり同じ部屋に立ち入られたりしたら即行でバレかねない!
気づいた瞬間、自分は足早にほむらの前へと回り込み、その進行を押し留める。
く、靴下は自分で回収するから、ほむらは朝御飯作ってくれないか? お腹減っちゃって……。
「え? でも、先に廻しておけば、その間に食べられるし……」
いや、たまには自分でやるよっ。
そうしないと、いつまで経っても洗濯物を溜め込む癖が抜けないだろうし、ね?
「……怪しい」
へ? あ、ちょっと?
流石にワザとらしかったか、ほむらはずいっと体を寄せ、小さな頭をこちらの体に密着させてくる。
そのまま、くんくん、と鼻を鳴らしてはその位置を移動させ、右腕の辺りに来た所で――
「――他のオンナのニオイがする」
――暗い瞳で、そう言った。背筋に、ゾワリ、と悪寒が走った。
この言い知れない感覚、前に何処かで……あぁ、そうか、使い魔の結界に呑まれた時だ。
え? という事は自分、命の危機に晒されてる?
なんて思ったのも束の間、隙を突いて彼女は横をすり抜け、寝室に入っていった。
殺気から開放されて一息吐くも、安心している場合ではない事を思い出し、ほ、ほむら!? と名を呼びながら後姿を追う。
「……そこね」
彼女の背中に追いついた頃には、彼女は部屋をぐるりを一瞥し、一直線にクローゼットへと向かっている所だった。
そして、止める間も無く彼女はその扉を開け放つ。
「………………」
「……お、おはようございます……」
「……ふぅ……」
クローゼットの中で縮こまっていた少女が、目を丸くしながらも挨拶をし、ほむらは、ふぁさ、と黒髪をかき上げた。
後姿しか見えず、どんな顔をしているのかは想像できない、いや、想像したくなかったが、間違い無く誤解はしているだろうと考え、自分は声を掛ける。
あの、ほむら? これには事情があってね? いや、自分もよくは分かってないんだけど、きっと事情がある筈だから、とにかく落ち着いて――
「大丈夫。私は落ち着いているわ。でもとりあえず、貴方を殺して私も死ぬわ」
――全然落ち着いてないじゃないか!? 銃をしまって、お願いだから!?
やけに落ち着いた声でそういった後、彼女は振り返りながら、何処からとも無く銃を取り出し、スライドをジャキンと引いてこちらに構えた。
向けられているのは、デザートイーグルの五十口径仕様。
どこぞのヤの付く自営業な方々の事務所から拝借してきたと言う、少女の手には似つかわしくない、重厚な大型拳銃である。
ちなみにその事務所、ほむらの時間停止がまだ健在だった頃、火器・弾薬を密輸入するたびにごっそり盗まれる、という奇妙な出来事によって廃業に追い込まれたそうだ。
現実逃避気味にそんな事を思い出していれば、ほむらに似た少女はクローゼットから飛び出し、ほむらを宥めようと声を掛け始めた。
「あ、あのっ、違うんです、私、その人とは、変な事は何も――」
「黙りなさいこの泥棒猫。彼が済んだら貴方の番よ」
「――あ、ぅ」
あんなにもエロく胸を揉みしだかれたにも関わらず、こちらを庇ってくれる少女の言葉に、思わず涙が出そうになったが、それは火に油を注いでしまった。
……どころではなく、ガソリンをぶちまけた様な物らしくて、ほむらは背後の少女にそう吐き捨て、爛々と目を輝かせる。
「私にそっくりで、声も同じで、それなのに、こんな――巴さんみたいに一部分だけ不必要に膨れ上がった女と浮気なんてされたら……皆死ぬしかないじゃない!? 貴方も、私も! ついでにその子も!?」
物騒な台詞を言う彼女の背後に、なにか見覚えのある巻き髪のシルエットが見えたのは気のせいだろうか。
……いや、そんな事を考えている場合ではない。今はとにかく、この場を切り抜ける事だけに集中せねばっ!!
その解決方法はどうかと思うよ!? そんなので撃たれたら一発で死んじゃうからっ!? 死んだって何も解決はしないよ!?
「平気よ。ゴム弾だもの」
何処で手に入れたそんなの!? それって、殺しはしないけど死ぬほど痛い目見ろって事ですかっ!?
「理解が早くて助かるわ」
ほむらはゴリゴリと銃口を押し付けながら、非常にイイ笑顔でそう言ってのけた。
あぁ、だめだ、楽しんでいらっしゃる。
彼女の目を見るに、ちょっと状況に酔っているようにも感じられた。確かに、こんな昼ドラみたいな状況に立たされればそうなってもおかしくは無いが、痛いのは勘弁だ。
と言うかこの至近距離で撃たれたらゴム弾でも死ぬ。一体、どうすればお仕置きされずに済む……!?
両手を挙げて、引き攣った笑顔を浮かべながら、それでも最悪の結果を回避するため、必死に頭を回転させていると――
「ま、待って……お願いだから止めて、お母さんっ!!」
「……え?」
――あの少女が、身を切るような叫びを上げていた。しかし、その内容は奇妙なもので、言い間違えたのかとも思われた。
けれど、ほむらを見つめる少女の目は真剣そのもの――本当に、子が親の喧嘩を止めようとしている様な、切実さを感じさせる。
思わずほむらと二人、少女の顔を見つめてしまうが、引っ込みが付かないのか、ほむらは再び声を荒げた。
「……っ、な、何を言っているの、貴方は。私はまだ子供を産んだ事は無いわ! それに……!」
そこで一旦言葉を区切ると、ほむらは少女に向き直り、胸を張って言い切った。
「百歩譲って貴方が私の娘だとして、その胸は何!? 私の娘なら、そんなに胸が大きく成長する筈が無いじゃないっ!!!!!! ………………ぐすんっ」
「お母さん……」
……ほむら? 言ってて悲しくなる位なら、いっそ言わないという選択肢もあるんだよ?
「今度から……そうするわ……」
自身の口から出た言葉に傷つき、ほむらは涙目になって俯いた。
しかし、ダメージを負った事で思考がリセットされたのか、彼女はおもむろに銃をしまうのだった。
「……とりあえず、言い訳があるなら聞かせて貰うわ。リビングで話しましょう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
再びリビングへ戻り、今度はテーブルを囲んで三人で座り込む。対面に少女が座り、自分とほむらは隣り合って座っている。
手元には湯気を立てる日本茶があり、春先だというのに妙に寒く感じる部屋の中、暖かな温もりが心を安らかにしてくれた。
その湯飲みを両手で包み込み、一口お茶を含んだ後、少女はおずおずと事情を語り出す。
「……私は、その。二十年くらい先からタイムスリップしてきた、お二人の娘、なんです。名前は、その、言わない方が……」
名前――確かに、聞かないほうが良いかも知れない。
未来から来たという言葉が本当なら、ここで名前を聞いてしまうと、彼女の名前の決定に大きな影響が出てしまう可能性もある。
と言うか、実の娘のおっぱいを性的に弄ぶとか、人として最低だ、自分。
どうしよう、えも言われぬこの後ろめたさ。
……いや、取り合えず置いておこう。今は彼女の話を聞く事の方が先決だ。
しかし、二十年か。君は今、何歳なんだい?
「あ、十六、です」
「一つ年上なのね……。でも、未来から来たと言うなら、それを証明できる物は持っているの? でなければ、流石に信じることは出来ないのだけど?」
「あ、あります。えと、これです……んっ」
「!」
ほむらの問い掛けに対し、少女は左腕を翳して見せる。少し力を込めると、パッ、と光が弾け、薄い円形の物体が出現していた。
見覚えのあるそれは、ほむらが魔法少女としての姿になった時、必ず左腕に装着しているバックラーだった。
細かい細工、ガラスのような部分から覗ける赤みを帯びた砂。おそらく、ほむらの持っている物と同じ物だろう。
彼女自身そう感じたのか、身を乗り出してしげしげとそれを眺めた後、静かに頷いて見せた。
「……確かに、説得力はあるわね」
「それじゃあ……!」
「でも、所持しているだけでは貴方の言う事を信じる事はできないわ。
物品をコピーする能力で作り出した可能性もあるし、第一、私以外にそれが使えるはずが無いもの。
それにもう一つ。今、貴方は確かに魔力を発した。私に娘が生まれたとしても、魔法少女になる事だけは許したりしないはずよ。絶対に」
そう言うと、ほむらは硬い視線を少女に向ける。彼女のいう事も、尤もだ。
詳細は省くが、魔法少女は契約の際に、多大な代償を払わなければならない。
例え、それと引き換えにどんな願いでも一つだけ叶うとしても、その後の結末は酷く残酷な物。愛する娘がそんな契約をしようとしていたら、自分だって必死に止めるだろう。
しかし、少女はその懸念を一言で消し去ってくれる。
「あ、大丈夫です。私、魔法少女じゃ、ありませんから」
「……どういう事? 貴方、さっき……」
「……言っても、大丈夫、だよね……この時代にも、私と同じ人は居るはずだし……」
少女は一瞬、迷うような素振りを見せたが、言うべきだと判断したのか、小さく頷く。
「魔法少女の契約をした女の人から生まれた子供は、高い確率で、魔力を扱う素養を持って生まれるんです」
「……っ!? どう、して……!」
「えっと、魔法少女って、肉体の維持にも魔力を使うん、ですよね? お腹の中に居る間に赤ちゃんがそれを感じ取って、無意識の内に、魔力を生み出す技能を獲得する……って、キュゥべえが……」
「あいつ……やっぱりまだ秘密にしている事が……!」
ほむらは憎々しげに顔を歪ませる。自分も少々――いや、かなりの怒りを感じた。
確かあいつは――魔法少女を生み出す契約を執り行う、異星知性体『インキュベーター』――通称キュゥべえは、魔法少女も問題なく子供を産める、とほむらに説明したはずなのだ。
しかし、生まれてくる子供に影響があるなんて聞いていない。
おそらくキュゥべえからしてみれば、聞かれなかったから答えなかったに過ぎないのだろうが、相変わらずの人を食った態度に嫌気が差す。
けれども、怒りをぶつける相手は自分には見えないし、ここで怒っていても仕方ない。自分は、怒りに握り締められたほむらの拳にそっと手を添え、少女に語りかける。
魔法が使える理由は分かったけど、その事で何か、デメリットはあったりするの? 例えば、魔法少女みたいに、穢れの問題とか……。
「あ、いえっ、それは平気、です。魔法を使うとすごく疲れる、ぐらいです。キュゥべえが言うには、元々、極稀に私達みたいな人が生まれていたみたいで。……中には、昔の戦争で活躍した男の人も居るみたい、です」
「……そう。良かった……」
投げ掛けた質問に、少女が否定の言葉を返し、ほむらは、ほっ、と溜息を漏らす。
考えてみれば、魔法少女が子を生す事自体、ありえない話ではないのだから、魔法少女の子孫が居たとしても不思議ではない。過去に遡るほど女性の初出産年齢は低下するはずだから、可能性はある。
ひょっとしたら、彼の舩坂弘や、ハンス=ウルリッヒ・ルーデルなんかも、魔法少女の息子――もしくはその子孫だったのかも……。
「でも、ソウルジェムが無いから、その分、魔力の制御は不安定で……。私がタイムスリップしたのも、そのせいなんです」
「……続けて」
「うん……じゃない、はい。あの日は私、なんだか寝付けなくって。お水を飲みに起きたらお母さ――ほむら、さんも起きてて。
ちょっとした好奇心が湧いて、私は、このバックラーを見せて貰っていたんです。昔の思い出話なんかも、聞かせて貰って。
だけど、このバックラーの中には、使用せずに溜まり続けた魔力が溢れていて、それに私の魔力が反応して、暴走して……気がついたら、この時代に……。
それで、この時代のキュゥべえと相談して、未来に戻るために色々試行錯誤して、蓄積した魔力を使って時間移動を繰り返して……この部屋に来れたのは、その誤差のせいだと、思うんですけど……」
「なるほど、ね。でも、私の娘だからって、都合良く時間遡行の魔法を使えるのかしら……?」
「……これも、キュゥべえから聞いた話、なんですけど。私達――第二世代魔法少女の魔力には、方向性が無いらしいんです」
「方向性?」
「はい。言わば、どんな色にも染められる無色の力、らしいです。普通の魔法少女は、祈りによる定義付けで方向性を決めて、限定する事でその効果を高める……って」
少女の説明に、なるほど、と呟く。
魔法と言っても、どんな事でも際限無く出来るわけではないのは、ほむらに聞いて知っていた。事実、彼女は時間遡行・時間停止という特殊な魔法を使えた半面、攻撃能力を持った魔法を殆ど使えない。
元々、時間停止は時間遡行の準備期間にのみ使える魔法で、望む未来に至り、事実上、時間停止魔法を失った今、その戦闘能力は全盛期と比べ下がっている。
そして、新たに銃火器を入手することも難しくなった彼女は現在、新たに弓矢を戦闘に組み込んでいる。
弓は機械式のコンパウンドボウとボウガンを併用し、放つ矢は自作の炸裂矢だ。
銃と弓の違いは大きいが、長い戦闘経験のおかげか、敵との距離の取り方や、行動予測の正確さでそれを補い、命中率はかなりの物らしい。
まぁ、恋人が夜な夜な爆発物を作成している事に思う事が無いわけではないが、そのおかげで自分達は平穏に暮らせるのだから、何も言わないでおこう。
思考が逸れたが、そういった方向性の定義付けが無い魔力は、正に万能の力とも言える。それに、ほむらの時間に定義付けされた魔力が重なれば――可能性は、無くはない。
「とりあえず、貴方の言った事が本当なら、私以外でも時間遡行は可能になるわね」
「ほ、本当です! 信じて下さい!」
「……そうね、信じるわ。でも、それでもまだ、貴方が私の娘であるとは言い切れないわね。無色の力とやらが本当なら、別に私の娘でなくとも発動できるわけだし」
「……っ!? そ、そんなぁ……!」
「何か、他には無いの? 貴方だけが知っている、家族の秘密とか……こういう話に定番の、ほくろの位置とか」
「ほくろ……あ、そう言えば……でも……」
一度は否定するものの、ほむらとしても信じたいと思い始めているのか、彼女は確実に信じるための証拠を求める。
それを受けて、少女は少し考え込み、ぱっ、と頭を上げるのだが、また直ぐに俯いてしまう。
「心当たりが?」
「あ、えっと……どうしよう……言っていいのかな……」
「何か、覚えのある反応ね……何を言われても怒ったりはしないから、とにかく言ってみなさい」
「う、うん……」
少女の逡巡をほむらが後押しし、少女がゆっくりと語りだす。
未だ親子の確証は無いのだが、自分から見ればそのやり取りは、母親が悩んでいる娘に話を促しているようでもあった。
そんな中、ほむらはお茶を啜り、少女の言葉を待っていたのだが――
「ほくろの位置とかじゃ、ないんですけど……お、おっほん。……に、に……二回目のHは、猫耳モード……とか……」
「こふっ!? こほっ、ぐぉほっ!! な、何でそれを!?」
「えと、その、ぉ、さっき言った思い出話の時に……他にも、色々と……」
「もういいわ! お願いだからそれ以上言わないでっ!? 娘になんて事を教えるの未来の私……!!」
――少女の口から出た秘密にほむらは噎せ返り、顔を紅くして動揺している。言った本人である少女も、恥ずかしいのか頬を染めていた。
噎せるほむらの背中を、大丈夫? と優しく撫でながら、実は自分も動揺していた。
実の娘と思しき少女にプレイ内容を語られるとか憤死物である。事実だから否定もできないし。
ちなみに、自分が要求した訳ではない。ほむらが自主的に用意してくれたのだ。それはもう、前後不覚になるくらい可愛らしかった。
「あのぉ……信じて、貰えました、か?」
「えぇ、信じるわ。信じるしかないじゃない……キュゥべえも完全に駆除してたんだから、誰にもバレる筈が無いもの……」
「良かったぁ。信じて貰えなかったら、私、どうしようかと」
少女は両手を胸に当てて、深く安堵の溜息を吐く。その表情は、やはりほむらに良く似ていた。
しかし、彼女が未来から来た自分とほむらの娘であるのならば、一体どうやって未来に戻るのだろう。
ほむらの魔法はあくまで時間遡行。時の順行までカバーできるとは思えないのだが……。
それを問い掛けてみると、少女はこちらに顔を向き直し語る。
「バックラーに蓄積されている遡行の魔力の方向性を、私の魔力で逆転させるんです。二十年分溜まってるから、それ自体は時間も置かずに、簡単に出来るんですけど、問題は目印の方で……」
「目印?」
「私の元居た世界に帰るためには、そこに向かって順行するための、目印が必要なんです。時間の経過で変化しないもので、強力な魔法少女の魔力を分けてもらうのが一番、なんですけど……。
今までの世界には、マギカ・カルテットの皆さんが揃っている世界が、見当たらなくて……。結局、上手く行かなくって、同じ時代の、別の世界に戻ってきちゃって……」
マギカ・カルテット?
聞き覚えの無い単語に、ほむらと合わせて首を傾げれば、少女は誇らしげに答える。
「今まで誰も倒せなかった最強の魔女“ワルプルギスの夜”を倒した、最強の魔法少女四人組の事です。命名はマミさんで、魔法少女の間では有名ですっ」
「……相変わらず絶好調ね、巴さん。という事は、貴方の居た未来にも……?」
「はい。さやかさんにマミさん、杏子さんとお母――ほむらさんの四人が、皆さんが居ます。……今までの世界では、もう亡くなってる事が殆どで……悲しかった、です……」
「……そう……」
ほむらと少女は、二人揃って悲しげに瞼を伏せる。
聞いた話では、この街に居る魔法少女四人が全員生存する事は、今までに無かったと言う。
もし少女が、自分達の居る時間軸の延長線上の世界からタイムスリップしたのだとしたら、知っている人、しかも、おそらくは親しい人物が若くして亡くなっている世界なんて、酷く寂しい世界と感じるに違いない。
自分もそれは同じだし、ほむらにしてみれば、救いきれなかった友人達を思い出してしまうのだろう。二人とも、辛そうだ。
そんな顔を見ているのが嫌で、自分は努めて明るく声を発する。
でも、この世界にはマギカ・カルテットの四人は揃ってるんだし、問題無いね。
彼女達から目印になる魔力を分けてもらえれば、確実に未来に帰れるんだろう?
「あ、はい、大丈夫なはず、です。これは、私の感覚的なものなんですけど、四人分の魔力を分けてもらえれば、確実に行けると思いますっ。やっと、帰れる……!」
胸の上で小さな手を重ね合わせ、少女は控えめに喜びを表す。
泣きそうにも見えるその顔を見て、自分の中には、この子を助けたいという強い思いが生まれていた。
隣を見てみれば、ほむらと視線が合う。どうやら、同じ事を考えているらしい。ふっ、と二人で笑いあった後、彼女は少女に向けて尋ねる。
「所で、その魔力はどうやって分けて貰うつもりだったの?」
「あ……えと、今までは、その、生きているって分かった時は、事前にどうにかして魔女を倒して、グリーフシードと引き換えに、少しだけ分けて貰ってました。
それでも、信用して貰える事の方が少なくて……仕方ないから、戦いに割り込んだりして……」
「随分と無茶を……今まで、よく無事だったわね」
「……怖かった、ですけど、そうしないと帰れないから……私、必死で……」
「……そう。でも、もうその必要も無いわね」
「え?」
首を傾げる少女を余所に、ほむらは椅子から立ち上がる。
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「さて、と。貴方の着る服を取ってくるわ。それと、何時までも“貴方”じゃ呼びづらいし、仮にでも名前を決めておかなくちゃね」
「え、え? あ、の……もしかして、手伝ってくれるん、ですか……?」
「何を言っているの。そんなの、当たり前でしょう?」
「………………」
然も当然、と言ってのけるほむらを、少女は黙って見つめる。
ぼう、とした視線が横に滑り、こちらに向けられると、自分はそれに躊躇い無く頷き返す。
例え、この時代ではまだ産まれていなくても、君は自分達の娘なんだろう?
だったら、それを助けたいと思うのは、親として当然だよ。手伝わせてくれるね?
「……ぁ、ありがとう、ございます!」
ほんのちょっとの間だけ、呆気に取られたような顔を見せた少女は、不意に涙を浮かべて、深々と頭を下げる。
その姿はやはり、出会ったばかりの頃のほむらと、瓜二つだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カフェ<レパ・マチュカ>見滝原店。
一年近く前に開店したこの店は、オーナーがシェフである事も手伝って、料理の美味しいカフェ・レストランとして人気を博していた。
デザートメニューも豊富で、中には、食べきれば賞金五千円の特大バケツパフェなんていう物もあったりする(要予約)。
お昼前の、空きの目立つ店内。その窓際席にて。
自分達は早めの昼食を兼ねた、遅めの朝食を摂った後、これからの事を打ち合わせていた。
「最初のターゲット――じゃなくて、魔力を提供して貰うのは、巴さんよ」
「は、はい……!」
食後のレモンティーを一口含み、ほむらは言う。向かい合い頷く少女は、やや緊張の面持ち。
ほむらと同じく、食後のコーヒーを啜る自分は、そんな二人を笑顔で見守っている。
なんと言うか、恋人が二人に増えたみたいで、ちょっと幸せだ。
「もう巴さんは電話で呼び出してあるから、上手く行くかは演技次第。大丈夫?」
「が、頑張ります……!」
「駄目よ。私はそんな喋り方しないわ。もっと落ち着いて」
「あ、はい……じゃない、えと……わ、分かった、わ……大丈夫、必ず成功させて見せるわ」
「ん、大分マシね。でも、私も巴さんには基本敬語だから、余り緊張しないで」
「……はい。気をつけます」
満足そうに頷くほむらに合わせて、結い上げたお下げ髪が揺れる。その目元には、真っ赤なフレームの眼鏡が掛けられていた。
彼女は何故そんな格好をしているのか。
それは、せっかくの休日なのに、ただ四人の仲間と会うだけではつまらないから、と、自分が提案したからだ。
どうしてそれがほむらを昔の姿にしたのかと問われれば、答えは先のやり取りの中にある。
そう、自分が思いついた事とは、演技をする少女をほむらと勘違いさせ、その後ろから変装した本物のほむらがネタ晴らしをすると言う物。
いわゆる、ドッキリである。
最初は二人とも乗り気ではなかったようだが、いざその時となると、こうして真剣な表情をしている。
友達を驚かすために入念な打ち合わせをしている彼女達の姿は、歳相応の少女そのもので、とても微笑ましい。
加えて、自分にとっては、昔のほむらと今のほむらを一遍に見られてとても目が嬉しい上に、二人の性格が当時のそれとちぐはぐなせいで、可笑しくてしょうがないのだった。
「それじゃあ、私はそろそろ向こうの席に行くわ。しっかりね」
こちらの顔を順繰りに眺めた後、ほむらは席を立つ。
ブレの無い足取りを見送りながら、少女と二人合わせて頷くのだが、その後姿が見えなくなった途端、彼女は不安そうな表情を露にした。
「はぁ。上手く、出来るかなぁ……? 自信、無いよ……」
大丈夫だよ。いざとなったら、自分もフォローするから。
それに、最後はどうせバラすんだからさ。そう思っておけば平気平気。
隣に座る頼りなげな少女を、そう言って励ます。ついでとばかりに頭を撫でてあげると、彼女はくすぐったそうに目を閉じた。
「わ、私、もう子供じゃない、です……ぇへへ」
子供じゃないと主張する割りに、その顔には、隠しきれない喜びの色が見えた。釣られて、自分まで笑顔になってしまう。
それを隠さぬまま、もう平気? と尋ねれば、彼女ははにかみながら小さく頷く。
「うん。ありがとう、お父さ――あっ、ご、ごめんなさ……」
言いかけて、少女が急に謝る。
小さく息を吐き、好きに呼んでくれて良いよ、なんて微笑み掛けると、彼女は恐る恐る呟く。
「……お、お父、さん……?」
なんだい、ほのか。
「……ぇへへ」
堪えきれない、といった様子で、少女は――ほのかは笑顔を零す。自然と、自分達は微笑み合う形となった。
この喫茶店までの道中、ほむらと二人でああだこうだと言い合った結果、未来からやって来た娘の仮名は、「ほのか」となった。
それを聞いた時、彼女が驚いた顔をしたのが気にはなったが、本人もそれが良いと言うので、決まりになる。
……が、自分としては、この名前だと自分との娘というより、ほむらと、その大親友である鹿目まどかさんとの娘な気がして、なんだか負けたような気がしてしまう。
なのに、胸をじんわりと温めてくれる、こんな笑顔を向けられると、そんなのは些細な問題にも思えた。
これが、親馬鹿という物なのだろうか。
『実の娘を口説くとか、良い度胸してるじゃない。お、と、う、さ、ん?』
しかし、脳内に冷気を孕んだ声音が響き、思わず不整脈が。
咄嗟に心の中で、そんなつもりは、と言い訳してしまうが、それがほむらに届く訳も無く、冷や汗が流れる。
ほのかには聞こえていないようで、彼女は未だニコニコと笑顔を浮かべてくれているのだが……これは、どうしたもんだろうか……。
なんて考え、乾いた笑みを浮かべてしまいそうになった時、カラン、とドアのベルが鳴り、見覚えのある少女が店に入って来た。
「いらっしゃいませ~。一名様ですね? お席にご案内しま~す!」
「あ、いえ。友人と待ち合わせで……」
可愛らしい、エプロンドレスに似た制服を着た店員さんと話す、胸元に大きなリボンの付いたベージュのワンピースに身を包む少女。
彼女こそ、第一のターゲットである、巴マミさんだ。
軽く手を上げて合図すれば、それを見つけた彼女は小さく頭を下げ、こちらのテーブルへ優雅に歩み寄る。
「すみません、お待たせしました。それで、急にどうしたの、暁美さん? 未来に関わる大事な……相……談……」
席に着こうとした巴さんだったが、ほのかを見るとその動きは止まり、彼女を凝視して体を硬直させた。
まさか、一目でばれたのだろうか?
三人掛けのソファ。その窓際に座るほのかの格好は、下はほむらに借りた黒のプリーツスカートだが、上は自分が着古した男物のワイシャツだ。
何故そうなったかは察して貰うとして、確かにコーディネートとしてはおかしいのかも……。
当のほのかは、巴さんの様子に戸惑うような素振りを一瞬見せるも、直ぐに気を取り直し、彼女に声を掛ける――
「あ、の。巴さん? どうかし――」
「駄目よ暁美さんっ!!」
「――えっ!?」
――のだが、巴さんはほのかの手を取り、悲しげに顔を歪ませた。
「貴方の気持ちは分かるわ。好きな男の人に、より良い自分を見て貰いたいという気持ちは。
でも、そんな風に魔法を使って誤魔化したって、本当の自分に嘘を吐く事なんて出来ないのよ?
……ごめんなさい。そこまで悩んでいただなんて、私、全然気づかなくて……」
「あ、あの、何の話を……」
「いいの、何も言わなくて。もっと自分に自信を持って? そんな事をしなくても、暁美さんはとっても魅力的なんだから! そう思いますよね?」
……え? ……それは、勿論。自分は、ありのままのほむらが大好きですから。
唐突に振られた話に、取り合えず本心をぶっちゃける事で何とか対応する。
それが満足のいく返答だったのか、巴さんは満面の笑みを浮かべた。
「ね? だから、体に余計な負担をかけちゃ駄目よ? 貴方一人の体じゃないんだから」
「は、はい。そう、です、ね……?」
「良かった。分かってくれたのね」
余りの勢いに怖気づいてしまったか、ほのかは演技を忘れ、おそらくは素の反応を彼女に返す。
それを聞いて安心したのか、巴さんはとても晴れやかに笑うのだが、残念な事に、背後で夜叉が御降臨なされた事には気づかなかったようだ。
「……ええ。よぉく分かったわ、巴マミ。貴方が私をどう思っているのかが、ね」
「ひゃん!? つ、冷たっ!? 何っ!?」
その御方は、巴さんの首筋にレモンティーの雫をストローで垂らし、驚いた彼女は、飛び上がりながら後ろを振り向いて、またも体を硬直させる。
「え、え、え? ……あ、もしかして、暁美さん、なの? え? 二人? どうして? 一体、何時の間にロッソ・ファンタズマを習得して?」
「ふぅ……。取り合えず、事情を説明するので座って下さい」
「……分かったわ……」
溜息を吐くほむらに促され、腑に落ちない顔をする巴さんがほのかの対面に座る。
ほむら自身はこちらの隣に座り、都合、同じ顔をした少女達に、自分は挟まれる事となった。
「それで、えっと、その子は一体……? ううん、その前に。眼鏡を掛けている方が、私の知っている暁美さんで、良いのよね?」
「そうなります。この格好は、まぁ、色々あって」
「……似てる、なんて次元じゃないわね。まさか、双子とか?」
「あ、いえ。その、私、は……」
「……“斯々然々”、という訳です」
「なるほど。未来から……」
え? 今ので通じたの?
自分の耳が確かなら、ほむらは斯々然々としか言ってないような気がするのだが……。
「テレパシーと音声を併用した、魔法による高密度情報伝達法なんですよ? と言っても、至近距離でしか通じないし、戦闘中だと安定しませんから、滅多に使う事は無いんですけど」
「こういう場合は、やっぱり便利ですね」
「その気になれば、普通の人にも使えるんです。私も時々、魔法の事を知ってるお友達と、内緒話とかしてました」
問い掛けには巴さんが答え、ほむら達が頷く。
本当に、魔法って便利だ……。感心すれば良いのか呆れれば良いのか、なんとも難しい。
が、そんな自分を余所に、少女達の話は続く。
「それで、私は――ほのか、さん? に、魔力を提供すれば良いわけね?」
「は、はい。お願い、出来ますか……?」
「もちろん。私でお役に立てるなら、いくらでも協力するわ」
「……有り難う御座います、巴さん。このお礼は、近いうちに」
「お礼だなんて、そんな水臭い事を言わないで? 私達は仲間なんだから。この位、お安い御用よ」
「……はい」
穏やかに微笑む二人。
その間には、友情とは斯く在るべき、と言いたくなる信頼関係が感じられた。だが、それを見たほのかは、何処か不思議そうな顔をして首を傾げている。
どうした、ほのか? と尋ねてみれば、彼女は小さく首を振る。
「大した事じゃ、ないんですけど。この頃は、まだ苗字で呼び合ってるんだなぁ、って――あっ」
言った後、ほのかは失敗した、という顔で口を覆う。おそらくは、未来の情報を喋ってしまったのに気づいたのだろう。
これから起きる事件等の情報ではないし、この程度の事なら未来に影響が出るとは思えないのだが……。
巴さんもそう思ったのか、彼女は楽しそうに笑って見せる。
「呼び方、ね。そう言えば、暁美さんって呼び方も何時かは出来なくなっちゃうんだから、この機会に変えてみようかしら?」
「な、何を、突然。そんなの、まだ先の話で……」
「あら、照れちゃって。どうなんですか? その辺は?」
え? あ~、はは。どう、なんでしょうね?
意地悪な質問に、自分は曖昧に笑って顔を逸らす。そりゃあ、早くウェディングドレスを見たい気もするけれど、きちんと学校は出てほしいし。……色々と難しい。
そんな風に思って、なんとなくほむらの方を見れば、彼女もこちらを見ていたのか、ばっちりと視線が重なり、慌てて反対方向へ首を捻る。
すると今度は、興味津々といった顔のほのかと睨めっこする事になってしまい、仕方なく正面に向き直る。
が、その先には微妙に座る位置をずらした巴さんが陣取っており、優しくも小悪魔的な笑顔でこちらを見つめていた。
どうしよう。逃げ場が無い。
「そ、そんな事より、早く魔力を……」
「あら酷い。お互いの呼び方って、結構大事な事よ? ほむらさん? ……ほむらちゃん、の方が良いかしら?」
「その呼び方をして良いのはまどかだけよっ!」
あれ? 自分も駄目なの? 前は呼ばせてくれたのに。
「あ、貴方は別だけど、今はもう呼び捨てだし……あぁもぅ、分かったわっ、名前で呼べば良いんでしょう!?」
照れ隠しに話を混ぜっ返すと、ほむらは真っ赤な顔で、ヤケクソ気味に宣言する。
幾度か、はぁ、ふぅ、と深呼吸を繰り返し、彼女は斜め前の巴さんを見据えて、何度も躊躇ってから、ようやく口を開いた。
「ま……マ……マ、マミしゃん」『……噛ん、だ』
「………………何、ほむらさん」『……噛んだ?』
「………………噛んじゃった」『お母さん可愛い』
皆、心の声が洩れてるよ? 特にほのか、多分だけど逆になってる。
指摘すると、巴さんは「やだ」と指で唇を押さえ、ほのかは両手で「むぐぅ」と再び口元を覆い隠し、ほむらは無言で俯いてしまう。
「ふ、ふふふ。笑いたければ笑えば良いわ。どうせ私は噛み性よ。これからずっと噛みまみたとか言ってれば良いんだわ」
ほらほらいじけないで。誰だって噛む事ぐらいあるんだから。ね?
ぷるぷる震え、いじいじスカートの裾を摘む彼女の頭を、そう言いながら撫でる。
しばらくはそっぽを向いてつーんとしていたが、何度も優しく髪を撫でていると、やがて、小さく頬を膨らませながら肩に体重を掛けてきた。
そんな姿を見て、巴さんはくすくす笑いを零していたのだが、ふと何かに気づき、目を丸くする。
「ちょっと、苛め過ぎちゃったかしらね? ……やだ、もうこんな時間。ほのかさん、バックラーを出して貰える?」
「あ、はい。何か、お約束でも……?」
「ええ。今日は元々、高校のお友達とランチの予定だったの。何も注文しないで帰るなんて失礼だけど、そろそろ行かなくちゃ」
「……いいんですか? 先輩を放っておいて。意外とモテてるって話ですけど」
「ご心配無く。偶には、ね? 栄田君――あ、クラスメイトなんだけど、彼に引っ張り回されてるみたいなの。それに、時々こうして離れて、今何してるのかなって考えるのも、結構楽しいものよ?」
「……ご馳走様でした」
テーブルの下で微かに光が弾け、バックラーが実体化。
巴さんは、女の子の手と比べると肉厚に見えるそれを受け取りながら、ほむらの精一杯の反撃に、十六歳とは思えない大人びた返答をした。ほむら、完敗である。
見た目ほど重くないのか、彼女は片手でそれを持ち、空いた左手を軽く握る。
翻された手の平には、黄色とオレンジ色の中間のような明るい色をした宝石――魔法少女の魂の結晶である、ソウルジェムが乗っていた。
それが厳かに光を放つと、目には見えない“何か”がバックラーへ流れ、カチ、カチ、と駆動音が聞こえ始める。
しばしの間があって。彼女は「ふぅ」と息を吐き、同時に、光と音が収まる。
「こんなものかしら。どう?」
「……はいっ、十分ですっ。ありがとうございます!」
「いいのよ、このくらい。それじゃあ、私はこれで」
ほのかにバックラーを渡し、小さめのショルダーバッグを肩に席を立つ巴さんへ、態々来てくれてありがとう、と見送りの言葉を掛ける。
彼女はそれに軽く手を振り返しながら、最後にもう一度、くすりと笑った。
「はい。また何かあれば、ご遠慮無く。ほむらさん、また今度、見回りの時に」
「……はい。あの、でも、本当にその呼び方に?」
「いいじゃない、こういう切っ掛けでも。ほのかさん……未来で逢いましょう。必ず」
「はい、マミさんっ。未来で、必ず……」
「ええ。じゃあ、今度こそ失礼します。機会があれば、またお店にも寄らせて貰いますね、お兄さん?」
「……マ、ミ、さ、ん?」
「うふふっ」
笑みと共にちょっとした火種を残し、巴さんは逃げるようにして店の出口へと歩み去る。その後姿が消えるまで、ほむらはジト目で彼女を見つめていた。
以前、ほむらに「お兄さん」と呼ばれていた事が彼女達に知られてからというもの、からかいついでにそう呼ばれているのだが、なんとも反応に困る。
可愛らしい女の子達から親しげにそう呼ばれるのは、男としても嬉しいし、一昔前の自分が見れば、唇を食い破らん勢いで羨ましがるであろう、すばらしい環境ではあるのだ――
「むう」
――が、その度にこうして、占有権を主張するように腕を抱えられてしまっては、ちょっと困ってしまうのだ。
そして、何より。
ヤキモチを焼いてくれるほむらが愛らしくて、つい抱き締めたくなってしまうのが、一番困る事だった。