「いや~、ごめんごめん。連絡受けた時からまどかと一緒でさ。相談だって言うから二人で来た方が良いかと思ったんだけど、お喋りしながらだったから遅くなっちゃ誰だキサマァ!?」
開口一番、第二ターゲットである美樹さやかさんは、掌を下に両腕を掲げて片足立ちという、荒ぶるポーズを取る。
大きなハートのプリントされたシャツにショートパンツ、白いボーダー柄のパーカーという出で立ちの彼女は、ほのかを見て警戒心を露にしていた。
その後ろに続く、裾に小さなリボンが飾られたピンク色のワンピース姿の少女――鹿目さんも、警戒とは行かないまでも、大きく目を見開いている。
「い、いきなり何を、言っているの。私は――」
「うるさいこのニセモノめ! 例えそのブァディでお兄さんの事は誑かせたとしても、このさやかちゃんは騙されないわよ! あたしのほむらのおっぱいがこんなに大きいわけが無いっ!!!!!!」
「……あ、貴方の物になった覚え――」
「酷いよほむらちゃん!!」
「――はぅえっ!?」
美樹さんの物言いに、何か、溢れ出る感情を抑えようとしたのか、ほのかは米神を揉み解そうと片手を上げたのだが、その手を身を乗り出す鹿目さんに取られ、驚きに素に戻ってしまっていた。
「あ、あの、ま、まど……」
「私達、仲間だった筈でしょ?
同じ悩みを抱えて、同じ苦しみを分け合って生きて行こうって、あの日、夕日に誓ったのに、それなのに……。
こんなのって無いよ……。あんまりだよっ、酷すぎるよぉ!!!!!!」
「えぇぇぇ」
この場面だけを切り抜けば、おそらく万人の涙を誘うほどの切ない声を上げる鹿目さん。
しかし、前後の繋がりを聞いた人間からすれば、別の意味で涙を誘われる声だった。若干ほのかも引いている。
それをほむらがどう感じたのかは想像に難くなく、二人の後ろに立つ彼女は、幽鬼の如く陰鬱な表情を見せた。
「……私、そろそろ泣いても良いと思うのよ……」
「そうだそうだー、まどかを泣かすなこの裏切り者ー。冷凍庫っぽい名前の宇宙人の部下の特戦隊の隊長めー……って、誰? このクールな口調の眼鏡っ娘は?」
「……私よ」
「……ふぉお!? ほ、ほむらぁ!? えっ、あれぇ!? 本当にニセモノだったぁ!?」
「ほむらちゃんのばかぁ……お願いだから私にもその魔法かけてぇ……一人だけズルイよぅ……」
「え、え~と……」
遠回し過ぎて伝わり難いボケをかます美樹さんの言葉を受け、ほむらは髪を解いて眼鏡を外す。それを見て彼女は酷く困惑するが、未だ嘆いている鹿目さんはそれに気づく事無く、場は混沌の極み。
そんな彼女達を余所に、自分は店員さんに二人分のカフェオレを注文し、取り合えずみんな座りなさい、と声を掛ける。
割かし素直に従ってくれた彼女達は、気を利かせてくれたのか、それとも騒ぐなという暗喩なのか、瞬く間に運ばれて来たカフェオレを飲むと、その甘さにようやく一心地ついた様だった。
「それで、本当に誰なの? そのそっくりさん。ほむらって一人っ子のはずでしょ?」
「……“斯々然々”」
「四角いキュゥべえっと……。はぁ~、未来から。ビックリだわ~」
「なんだか、もの凄く手触りが悪そうだね、そのキュゥべえ」
鹿目さんの言に、そうだねぇ、と自分も同意する。
見た目だけは話に聞いたので知っているのだが、四角くなった猫っぽい生き物なんて、想像しただけでゴワゴワ感が凄い。
ともかく、事情を把握したらしい美樹さんは、腕組みをしながら、うんうん頷き始めた。
「確かに、そっくりだもんねぇ……。いや、あたしは最初からそんな気がしてましたですよ? ホントに」
「わ、私も、そうだと思ってたの! 信じてたよ、ほむらちゃんの事!」
「まどか。その言葉、私の目を見てもう一度言える?」
「……信じてるよ。ほむらちゃんの事。これからも、ずっと、ずぅっと」
「あの、私、ほのかです」
「……て、てへっ」
「まどか可愛いわまどか」『ふぅ……しょうがないわね』
「ほむらー。逆、逆」
「……おっほん」
鹿目さんのてへぺろに、ほむらは仏頂面のままメロメロになっている。
うっかり自分も可愛いとか思ってしまったのだが、突っ込みに慌てる彼女には気づかれなかったようだ。助かった。
「まぁ、そういう訳で魔力を提供して欲しいのだけど、いいかしら」
「もっちろん、OKだよ。んじゃ、ちゃっちゃと済ましますか。ほのかちゃん、って呼んでも良い? あ、でも年上か。さんのがいいかな」
「あ、いえ。出来れば、その、ちゃんの方が……慣れて、ますから。じゃあ、お願いします」
「んっ。任せて、ほのかちゃん!」
先の巴さんと同じくバックラーを受け取った美樹さんは、蒼いソウルジェムを取り出して手早く魔力を充填。
それをほのかに返し終えると、お喋りモードに移行したのか、少女達は会話に花を咲かせ始める。
「さってと、色々と聞きたい事はあるんだけど、取り合えず、車って何時になったら空飛ぶの?」
「ま、まだ飛んでないです……」
「ちぇー、なんだー。じゃあじゃあ……」
「だめだよ、さやかちゃん。そういう事を聞いちゃうと、未来に影響が出るってよく言うよ?」
「あー、それもそっか。でも、そういう意味じゃ、もう影響出てない? 特にほむらとお兄さんには」
「そうかしら。私は、特に問題とは思わないけれど」
「ほっほう。それはそれは。ほむらってば、だ~いた~ん」
「え? どういう事、さやかちゃん?」
「だって、相手がお兄さんなのは当然として、必ず女の子が生まれるわけじゃないじゃない? それでも問題ないって事は……」
「あっ、あ~……」
「な、何を言うの、さやかっ。そんなんじゃ……!」
「はいはい、分かってますって。でも、将来的には賑やかな方が楽しいですよね~? おに~いさん?」
こら、からかうのは無し。じゃないと割り勘だよ?
どうにも恥ずかしい話題に巻き込まれそうになり、矛先を変えようと脅しをかければ、美樹さんは「ゴチになりま~す!」とすかさず頭を下げる。
一方、鹿目さんはと言うと、彼女と違い恐縮しきりだ。
「すみません、私はお役に立てないのに……。ホントに、良いんですか?」
気にしないで? こういうのは大人の務めですから。遠慮しないで良いよ。
「はいっ、ありがとうございます、お兄さんっ」
「あ、ならあたし、お昼ご飯の分も頼んで良いですか? まだ食べて無くって。店員さ~ん、イチゴリゾットと、あと、ショートケーキとモンブランとガトーショコラと――」
うん、きみはちょぉおおっと自重しようか、美樹さん。
堪らず釘を刺すと、彼女は「冗談ですよぉ」と笑って注文を訂正する。
……絶対嘘だ。止めなかったら絶対に財布を空にする勢いで遠慮なく注文する気だった。全く、油断も隙も無いったら……。
追加注文が来るまでは、どこそこのケーキが美味しかった、あの服が可愛いなど、実に姦しい少女達に相槌を打つのが自分の仕事だ。
実際には話半分だが、伊達に四十を過ぎて女子を名乗る歴戦の猛者と、過去に仕事を共にしていた訳ではない。この位はお手の物である。
ほのかも加わっている辺り、時代が変わっても女の子特有の盛り上がり方に変わりは無いようだ。
そして、話が行ってみたいデート場所という話題になった所で、ほむらが美樹さんに声を掛けた。
「そう言えば、少し意外だったわね」
「ん? 何がよ?」
「貴方がよ、さやか。週末だし、てっきり彼とデートでもしているのかと思っていたのに、こうして来てくれて。まぁ、おかげで助かったのだけど……」
「ほ、ほむらちゃん! その話題は……!?」
しかし、美樹さんへと向けたはずの言葉に、何故か鹿目さんが慌てて身を乗り出す。
どうしたのかと思っていたら、その隣に居た美樹さんはピタッと動きを止め、何処に持っていたのかゴソゴソとポーチを漁り、中からある物を取り出して顔にスチャッと装着した。
「――よし。うわぁぁあああんっ!! 聞いてよホム○もぉぉおおおんっ!!!!!!」
「どうしたの、さや太君。とでも言えば満足なの? このお笑い魔法少女。なにが『よし』よ」
「遅かったかぁ……」
「あ、懐かしいです。未来でもまだ続いてるんですよ、あのアニメ」
それは凄いね。よく話が続くなぁ。
態々、丸眼鏡まで準備する用意周到な美樹さんへ冷たく突っ込むほむらを横目に、自分とほのかは暢気に未来の話をし、鹿目さんは「やっちゃった」的な顔でテーブルに項垂れる。
「全く、そんな小道具まで用意して。第一、私は未来から――来たのは確かだけど、四次元――ポケットみたいのも持ってるわね……。あれ?」
「ほむらちゃん、認めちゃってるよ……」
「そんな事はどうでも良いからあたしの話を聞いてよぉ!」
「貴方が振ってきたんでしょう!? ……それで、一体どうしたの? 彼に浮気でもされた?」
「はぁ? んなわけないでしょありえないじゃん常識的に考えてよ」
「私は今、間違い無く怒って良い」
「ほ、ほむらちゃん落ち着いて? 私が代わりに謝るから、ね?」
「……でも、実際は似たような感じ、なんだよね……」
「……え? まさか、あの彼が?」
「……大丈夫だよ、ほむらちゃん。ちゃんとオチがあるから」
え、オチ?
軽快なやり取りから聞こえた重い話題に、自分とほむらは共に身構えそうになるのだが、鹿目さんの言葉に気が抜けた。
……オチ? いや、確かに、他人から見れば壁を蹴り破りたくなるほどのラブラプっぷりな彼女達に浮気話なんて信じられなかったが、それにしたってオチ?
言い切った当の本人は、まるで結婚して二十年目の家事に疲れた専業主婦みたいな疲弊し切った顔をしている。
自分の知る限り、何時も笑顔な鹿目さんにこんな表情をさせるとは、一体……。
「そりゃあね? 今回は当日にデートに誘ったあたしも悪いけどさ?
『ごめん、先約があるんだ』の一言で済ますのってちょっと寂しくない!? これで今月三回目だよ!? しかも相手はまたまたまた恭介!!
こないだはゲーセン巡りして、その次は恭介のヴァイオリンを聞かせて貰って、今度はちょっくらヴァイオリンを教えて貰うんだって!!
仲良くなってくれて嬉しいけど、いくらなんでも短期間で仲良くなり過ぎよ!! なんか寝取られた気分だわ!!」
「……心配して損したわ。本当に、本っ当に損したわ」
「今日は朝からこの調子なの……私、疲れちゃった……」
「……えっと、まどかさん、お疲れ様です。すごく、頑張ったんですね」
「うん……。ありがとう、ほのかちゃん。その言葉だけで、あと四十五分は戦えるよ……」
あきれ返るほむらと、励ましの言葉に何とも現実的な数字で答える鹿目さん。
自分も、顔の上に笑顔は載せているが、内心で長~い溜息を吐いていた。つまりは、最近彼氏が構ってくれなくて寂しい、と。
……いや、本人にとっては大事な事なのだろうし、個人的な印象を口にするのは止めよう。
一つだけ言えるとすれば、そんな彼女を愛していると言って憚らない、自分にとっても友人である彼は、意外と剛の者なのかも知れない。
「ちょっと、みんな聞いてる!? それからね――ん?」
言いかけて、美樹さんはパーカーのポケットを探る。
彼女の携帯電話から、着信メロディーが流れて来ていた。クラシカルなその曲調は、何かの協奏曲だろうか。
しかし、穏やかな音色に、彼女は不満気な表情を見せる。
「この着メロは恭介か……何よぅ、いい所で……ん? ……ん………………どぅへへ」
「ど、どうしたの、さやかちゃ――あ」
唐突に顔を崩し、エロ親父のような笑い声を発した美樹さんに驚いたのか、鹿目さんはその手元を覗き込む。
すると、得心が行った顔でポカンと口を開き、しょうがないか、などといった風に肩をすくめた。
どうしたの? と聞いてみれば、彼女は口元に手を立て、小声で教えてくれる。
「えっとですね、画像が添付されてたみたいで。彼氏さんがヴァイオリンを構えて真剣な表情をしてる横顔が……」
「ああ……」
「なるほど、ですね」
示し合わせたように、三人揃って首を縦に振ってしまう。その位に納得の理由だった。
ついさっきまであんなにプンプン怒っていたというのに、画像一枚でご機嫌にしてしまうとは、美樹さんの幼馴染である上条君は、彼女の事をよく理解しているらしい。
しかも、笑い声こそ変態チックだったが、携帯を見つめる彼女は、頬を赤らめ、嬉しそうに目を細めながらにっこりと笑う、見ているだけで幸せが伝わってくるような、恋する乙女そのものだった。
こんなものを見てしまうと、胸の内にあった“面倒臭ぇ”という気持ちも消し去られてしまう。ここまで好かれているなんて、少し羨ましい。
そんな風に、微笑ましい少女を四人で見守っていると、丁度、注文した料理が運ばれて来た。
運ばれて来たそれに気づくと、自身が見つめられている事にも気づいたのか、美樹さんは恥ずかしいのを誤魔化すように「じゃ、じゃあ食べますかっ?」とスプーンを手に取る。
ここで仕返しに追求したりすれば、ケーキを食べたわけでもないのに口の中が甘ったるくなりそうなので、勘弁してあげよう。
「そう言えば、未来に帰るのには四人分の魔力が必要なんだよね。あたしとほむらの分はいいとして、他の二人はこれから?」
「あ、いいえ。マミさんにはもう協力して貰って、後は、杏子さんだけ、です」
「そうなんだ。じゃあさ、あたしも着いて行って良いかな?」
イチゴリゾットを頬張り、美樹さんは提案する。
その言葉へ、彼女のついでに注文したシブーストをつつきながらほむらが答えた。
「それは構わないけど、どういう風の吹き回し?」
「いやね? 杏子がほのかちゃんを見たらどんな反応するかなって、気になっちゃって。まどかも来るでしょ?」
「う~ん……。私は、やめとこっかな」
「あれ、どうして?」
「……えと、なんかね。さやかちゃん見てたら、あの人に会いたくなっちゃって。今日はお休みの筈だし、お家に行ってみようかな、なんて……。昨日もちゃんと会ったのに、変、かな」
少し自信なさ気に苦笑する鹿目さんに、そんな事は無いんじゃない、と自分は声を掛ける。
誰にだって、好きな人に無性に会いたくなる事ってあるんじゃないかな。
ましてや、美樹さんに当てられたんじゃ、しょうがないよ。
ただ、男にも色々と心の準備があるし、連絡は入れてあげたのが良いと思うけどね?
「はい、そうします」
「う~、当てられたって何よぉ、お兄さん。あたしはグチを聞いて貰おうとしただけで……」
「え? 一連の流れを読んだ上での惚気話じゃなかったんですか? 未来でも大体こんな感じで……」
「それはそれで、ある意味魔法の域ね。取り合えず、さやか? 貴方の愚痴は一般常識で育った普通の人に聞かせるともの凄くイラッとされるから、本当に気をつけなさい。そのうち、早乙女先生にキュッと締められるわよ」
「こんなにあたしと皆で意識の差があるとは思わなかった……!」
「もう、さやかちゃんったら。あはは」
然るべきタイミングで言えば、問答無用でイラッとさせられそうな台詞だったが、照れ隠しで言っているのだと分かっていれば、それも笑顔を誘ってくれた。
和やかに、穏やかに。
誰もが笑みを浮かべながら、休日の昼下がりは過ぎていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
皆を代表してチャイムのスイッチを押せば、玄関の扉越しに《ピンポーン》というくぐもった音が聞こえてくる。
しばらくして、「は~い」と少女の声が返り、内側からドアが開かれた。
「ほむらか? 遅かったじゃ――」
「さぁここで問題です! ここに並んだ二人のおなごの内、本物のほむらはど~っちだ!? スリジャヤワルダナプラコッテに行きたいか~!!」
「――何でわざわざスリランカに行かなきゃならないんだよ……。ってか、人ん家の前で何やってんだお前等……」
ごめんね、騒がしくて。あ、これ、お土産のレパ・マチュカのチーズケーキ。後で二人で食べて。
「おぉ、ありがとうございます。いつも貰ってばっかで、すんません」
礼儀正しく頭を下げる、アーガイル柄のスカートにプリントTシャツの少女――佐倉杏子さんに、いやいや、常連さんだからね、と笑いかける。
自分達が今居るのは、佐倉さんの自宅――正確に言えば、彼女の恋人である少年のお宅の玄関前。
喫茶店を出て、恋人の家に向かう鹿目さんと分かれた後、自分達は佐倉さんに連絡を取り、お邪魔させて貰う旨を伝えた上で、こうしてやって来たのだが……。
「こらー、無視すんなー。ほむら達が可愛そうでしょ、こんな格好までしてんのに」
「どう考えたってさやかのせいだろそれ。アタシのせいにすんなよ」
玄関先に憮然と立ちすくむほむらとほのかは、さながら、照る照る坊主ならぬ、照る照る少女といった風体なのだ。
ほむらも眼鏡などを外し、普段の姿に戻っているため、どっちがどっちか、判別は難しい。
ちなみに、その首から下を覆っている白いマントは、美樹さんが魔力で作り出した物。
グリーフシードに困っている魔法少女が見たら間違いなく憤慨するだろう、魔力の無駄遣いである。
「……よく状況がわかんないんだけど、取り合えず、アタシの知ってるほむらは、右側かな」
「む、その根拠は?」
「ん~……右のは何時も見てるほむらなんだけど、左の方はなんか違和感があるっていうか……。
あぁ、そうか。そっちの兄ちゃんに似てるんだ。ほら、目元とか口元とか、並ぶとよく分かるぞ?」
「――こそ」
「ん?」
「貴方こそ、私の最高の友達よ!!」
「お、おぃ、なんだよ、やめろよ」
「……そっかぁ、私、やっぱりお父さんに似てるんだぁ」
身体的特徴でなく、顔の作りで判断して貰えたのが嬉しかったのか、ほむらは体をぷるぷる震えさせ、涙を浮かべて佐倉さんの手を上下にブンブン振り回す。
似ていると言われたのを嬉しく思ってくれるのか、ほのかはほのかで頬に手を当て、はにかんでいる。
ほむらには、そんなに気にしなくても良いのに、と声を掛けたかったが、おそらくその資格は今朝の時点で失われている。なので自分は、その場は何も言わず、少女達を見守る事に専念した。
「だぁっ、離せってば! ……とにかく、近所迷惑だから家に上がんなよ。アイツが居ないから、大した持て成しは出来ないけど」
「あれ、そうなんだ。何か用事?」
「補習だよ補習。あのバカ、英語の小テストで赤点とって、その追試でもダメだったんだよ。おかげで、休み返上で学校行ってんのさ」
「あっちゃあ、大変だ~。でも、直ぐ側にこんな誘惑の元が居たんじゃ、しょうがないよねぇ?」
「あ~! あ~! き~こえ~ない~! ほらっ、早く上がれってば!」
耳に指を突っ込んで、美樹さんのセクハラを遮断する佐倉さん。彼女に案内されるまま、お邪魔します、と声を掛け、自分達は家に上がらせて貰う。
居間に入ると、きちんと整理整頓された室内が目に入り、家主である少年の几帳面さが伺える。
高校生と中学生の二人暮らしなのに、こうして整えられた生活空間を見せられると、自分もしっかりしなければ、なんていう思いにさせられた。
佐倉さんは「今、お茶淹れるから。座っててよ」とキッチンへ向かい、急須の用意をし始める。
お言葉に甘えて、脚の低い大きなテーブルを囲むソファへ、二人ずつに分かれて座ると、慣れた様子の背中に向けて美樹さんが話しかけ、これまた慣れた様子で、振り返らず佐倉さんが答えた。
「しっかし、彼氏さんて英語苦手だったんだね。あたし全然知らなかった。結構遊びに来てたのに」
「本当に遊んでただけだしな~。アイツもボヤいてたよ。『お婆ちゃんが外国人だからって英語なんか喋れない』って」
「そりゃそうだよねぇ……ぇええ!? ちょっ、それホント!?」
「え、何が……あぁ、言ってなかったっけか」
「初耳だよっ!」
「私も初めて聞くわ。彼、クォーターだったのね」
「うん。お母さんの方がハーフなんだって。会った事は無いし、もう亡くなってるみたいなんだけどさ……。はい、どうぞ。よければ、お茶菓子も。アイツの作った羊羹なんですけど」
ありがとう。
驚く二人を余所に、佐倉さんはお茶と羊羹の盛られた小皿を配りながら説明した。
茶碗を手に取ると、今度は対面に居るほのかが首を捻る。
「私は前に聞いた事があったんだけど、もしかして、お父さんは知ってたの? あんまり、驚いてないような……」
うん、まぁね。てっきり、皆も知ってると思ってたんだけど……。
今日一日で出会った少女達。彼女達の恋人である男性人五人(自分含め)は面識があり、特に、自分の働くパン屋の常連でもある彼とは仲良くさせて貰っている。その縁で、彼の家族構成を教えて貰った事があるのだ。
佐倉さんと二人で買い物に来る事が殆どで、その割りに大量に購入してくれる彼等は上得意様でもある。
が、それを聞くと、佐倉さんは無邪気さの似合うその顔を、訝しげに歪めた。
「ん? ちょっと待った。お父さん? そういや、さっきも玄関でそんな事を言ってたよな。一体、どういう事だ?」
「あ、私は……」
「ほのかちゃん待った、あたしに説明させて。う、う゛ん、“斯々然々”!」
「まるまるうまうま、ってか。ふ~ん、娘ね」
……何度見ても、奇妙な光景だ。本当に通じているらしいのがまた。
と、そんな感想はともかく、美樹さんから情報を受け取った彼女は、ほのかを見つめてやや目を細くする。
それを受けて、ほのかは少し身を硬くするも、視線だけは逸らさない。
「……ふっ、安心しなよ? 別に、とって食おうって訳じゃないんだからさ」
「う。ご、ごめんなさい……」
「ま、ほむら達が信じるなら、アタシも信じるよ。アタシ自身、似てるって思ったんだしね」
「あ……ありがとうございます、杏子さん」
「いいって。それよりも、さん付けは止めてくんない? なんかくすぐったくてさ」
「そんな、無理ですよ、そんなの。私にとっては、その……やっぱり、格好良いお姉さん、みたいな感じですし……」
「……ん、ま、ならしょうがないけど。……なんか、照れるな」
逆に憧憬の眼差しを受けると、佐倉さんはそっぽを向きながら頭を掻く。
あまり、こういうのには慣れていないのかも知れない。
そんな彼女を見て、ほむらと美樹さんは顔を合わせ、柔らかに微笑んだ。
「にしても、杏子も変わったね~」
「本当に。随分と丸くなったというか」
「ん~、と言うより、優しくなった? っていう気がするんだけどな、あたし」
「な、何だよ急に。アタシは元々、おおらかな人間だっての」
「そうかしら。一年前の貴方だったら、にべもなく切り捨てていたと思うのだけど。二重の意味で」
「うぐ、ん、んな事は……あるかもだけど……そんなにはっきり言わなくてもいいじゃん……」
「あ、だ、大丈夫ですよ? 大体は槍を突き付けられるだけでしたし、斬られたのも一回だけですからっ」
「……ごめん、マジごめん。余所の世界のアタシって、まだ悪ぶってんだな……」
「あっはは……。でも、良い変化じゃない。あたしは今の杏子の方が親しみ持てるなぁ。これも、彼氏さんのおかげかな?」
「でしょうね、きっと」
「う……だから、そういうの止めろってばっ! それ以上言うと羊羹取り上げんぞっ!?」
「おぉっとと、それは勘弁。いただきまーす!」
伸ばされた手から逃げるように小皿を手に取り、美樹さんは黒文字(平べったい楊枝)で羊羹を口に運ぶ。
彼女を皮切りに、自分達もそれを頂く事に。
滑らかな舌触りと、柔らかな小豆の風味、控えめなのに確かに感じる甘み。市販の物と比べても、遜色の無い味だ。
「ん~♪ やっぱ杏子の彼氏さんの作るものって、料理でもお菓子でも全部美味しいよね~」
「ええ。悔しいけど、私には真似できないわね」
「ま、まぁな! そこがアイツの取り得の一つだし。高校卒業したら専門学校行って、そっちの道に進むのもいいかな、って言ってるよ」
それは、自分も初耳だなぁ。ちゃんと将来のこと考えてるんだね。
自分が彼くらいの頃は漠然としか考えてなかったし、凄いよ。
「っへへ、ありがとうございます。さてと、じゃ、そろそろ魔力を……」
「あ、はい。杏子さん、お願いします」
「おう。お土産貰った分くらいは、気合入れるかなっと!」
ほのかにバックラーを差し出され、それを受け取った佐倉さんは、真紅のソウルジェムを手の平に乗せて「ふっ」と気合いを入れる。
パァ、とそれが明るく輝くなり、バックラーからは駆動音が鳴り始め、瞬く間に魔力の充填は終了した。
「ふぅ、こんなもんか。ほい、終わったよ」
「お疲れ様でした。……それで、あの。ついでって言ったら、あれなんですけど、もう一つ、いいですか?」
「ん? なにさ? 言ってみな」
「……メ、メロゥちゃんに、初代メロゥちゃんに触って来ても、いいですかっ?」
「メロゥ? そりゃ、構わないけど。今なら庭で日向ぼっこしてるよ」
「は、はい! それじゃあ……!」
許可を得た途端、ほのかはぴゅーっと早足で庭に面する窓を抜け、サンダルに履き替えて、芝生の上に寝そべっている大型犬に近づいていく。
小声で話しかけたようで、それに反応したメロゥが起き上がり、ほのかに顔を寄せる。楽しげな笑い声も聞こえて来た。
「もしかして、未来ででも会った事あんのかな? にしても、初代、か」
「……ごめんなさい、杏子。あの子に悪気は無くて……」
「気にすんなって。メロゥも十二歳だしね。長生きはして欲しいけど、ちゃんと覚悟もしてるさ」
ほのかの口にした、初代という表現。すなわち、彼女の知るメロゥという名前の犬には、二代目以降が存在するという事。
多分、未来の自分達もこうして交流があり、それで知っていたのだろう。
けれど、ほのかはメロゥと遊ぶ事に夢中で、未来の情報を漏らしてしまった事に気づいてはいないようだ。
純真無垢な笑顔からは、その様な事実が待ち受けている事など、想像出来やしなかった。
「出会いがあれば別れがある。命あるものも、いつかは必ず損なわれる。それが自然の摂理なんだ。
……その時が来たら、アタシもアイツも、見っとも無く泣いちゃうんだろうけどさ。
でも、大切なのは、亡くした事を悔やむより、貰ったものを忘れない事なんだって、思うんだよ」
しかし、佐倉さんは淡い表情で、じゃれ合う二人を見つめながら、そう語る。
彼女の言葉からは、見た目の可憐さからは計り知れない重みと、それを受け止めきれるだけの包容力が感じられた。
詳しい事情は聞かされていないが、彼女は不幸な形でご両親を失っているらしい。
それでも――いや、だからこそか、こうして真摯に命へ向き合う姿勢からは、大人である自分の方が学ばされる事が多かった。
「ま、そうなるのは随分と先の事だろうけどね。まだまだ元気だし、時々イタズラまでして、困ったもんだよ」
――と、そんな表情もほんの僅か、彼女は色濃い苦労の色を顔に乗せた。どうやら、楽しいながらも気苦労は絶えない様だ。
僅かに笑みが見え隠れする所を見るに、彼と彼女にとっては、それもまた喜びの一部なのだろうけれど。
「ほんと、もうお婆ちゃんなのに、すっごく元気だもんね。あたしなんか、来るたんびに顔をベロンベロン舐められて涎だらけにされちゃうし」
「そうなの? あまり遊びに来た事は無いけど、私の前では大人しい良い子なのに」
「……犬ってさ。自分と人との間に、優先順位をつけるらしいんだよな。多分、そのせいなんじゃ?」
「あぁ、それ知ってる。あたしん家も、小さい頃は犬飼ってたし……ってどうゆう事よ!? メロゥにとってあたしは玩具扱いって事ぉ!?」
「さぁな? メロゥに聞いてみたらどうだ?」
「聞いて答えてくれるなら魔法なんていんないわよ!? ……良い度胸じゃない。魔法少女さやかちゃんの実力、メロゥに教育したげるわ!!」
怒り心頭、といった感じの美樹さんは、ソファからすっくと立ち上がり、のしのしと庭の方へと歩いて行く。
その背中に向かって、佐倉さんは呆れ顔で忠告するのだった。
「あんまはしゃぎすぎんなよ~? ベチョベチョにされても知んないぞ~?」
「ふふんだ、見てなさい! きっちり躾けてあげるんだから! さぁメロゥちゃ~ん、お手――」
「ワンッ!!」
「――ぬわぁ!? ちょ、まっ、あっ、あ゛~!!」
「さ、さやかさん!? 大丈夫ですか!?」
「……言わんこっちゃない」
「ふぅ……。まぁ、さやからしいわね」
「ちょっとぉ!? 見てないで助けうひぃ!?」
「ワッフ、ワフンッ!!」
それは、とても騒がしい――けれど、目尻が勝手に下がってしまうような。
ありふれた、日常の光景だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
よいしょっと……。これで大丈夫かな。
掛け声と共に、二人掛けのソファをゆっくりと床に下ろす。
リビングを見渡せば、部屋の中央に、人が寝転がれる程度に大きなスペースが確保されていた。
「お疲れ様。これなら、なんとか三人で寝られそうね」
「うん……じゃない、はい。ごめんなさい、お父さん。わがまま言って」
背後から掛けられた声に振り向くと、パジャマ姿の湯上り少女が二人、そこに立っていた。もちろん、ほむらとほのかだ。
恥じらい、少し俯くほのかに自分は近づき、いいんだよ、このくらい、と頭を撫でる。
彼女は、最初に着ていた薄紫のパジャマ。ほむらは、この部屋に置いてあるお泊り用の黒いワンピースを着ていた。
もっとえっちいネグリジェなんかも実はあったりするのだが、流石に今日は自重したようだ。ちょっと残念。
あれから、長く談笑してしまった佐倉さんのお宅を後にし、美樹さんとも別れ、再び自宅の玄関を通る頃には、空は暗がりに包まれようとしていた。
魔力も提供して貰ったし、その気になれば直ぐにでも未来へ帰る事が出来たほのかだったが、自分はそれを引きとめ、せめて今日一日ぐらい、最後まで一緒に過ごそうと誘ったのだ。
二人はその提案を快く受け入れてくれて、自分の家には二人の美少女が宿泊する事となった。
ちなみに、ほむらは外泊になる訳だが、ご両親の許可は特に要らないという。
かつて、心臓を患っていた彼女の治療費を稼ぐため、共働きで家を留守にしがちだったご両親だが、身を粉にして働くうち、重要な仕事も任されるほどの信頼を勝ち得ていたのだそうだ。
人が良いのか、頼られるとなかなか断れないらしく、娘が完治した今でも仕事は減らず、ほむらの一人暮らし状態は続いている。
ほむらにとっては寂しい事だろうが、自分としては、彼女が家に入り浸ってくれるので嬉しかったりもした。
それはともかくとして、三人で居る時間は瞬く間に過ぎ去っていき、二人の合作料理に舌鼓を打った後、風呂に入ってさあ寝よう、といった所で、ほのかがあるお願いをしてきたのだ。
その内容とは、「三人で一緒に寝たい」という、可愛らしいもの。
仮の親とは言え、断れるはずも無く、こうして自分は力仕事に励んでいた。
「ごめんなさい、力仕事を押し付けちゃって。汗、かいたでしょう? 布団の用意は私がするから、貴方もお風呂に入って来て?」
うん。頼むよほむら。……でもやっぱり、三人で一緒に入りたかった気も――いたい痛いイタイごめんなさいっ。
「お父さん? エッチなのはダメだよっ!」
「ふざけてないで、早く入って来て頂戴! 全くもう……」
二人同時に両手の甲を抓られ、必死に謝りながら風呂場に逃げ出す。ちょっと本音が出ただけなのに酷い……。
涙目になりつつも、手早く服を脱ぎ、自分は浴室に踏み入る。
一人で長湯する習慣も無いので、さっさと体と髪を洗い、湯船で体を温め、風呂から上がる。寝間着代わりのワイシャツとズボンを着込み、髪を乾かしながら歯も磨いて、寝る準備は完了だ。
リビングに戻ると、既に布団は敷かれていて、真ん中にほのか、その左隣にほむらが座り込んでいた。
お待たせ、と二人に歩み寄ると、ほむらはこちらを見て優しく叱りつけてくる。
「もう上がったの? ちゃんと温まらないと体に悪いって、何時も言ってるのに……」
大丈夫。きちんと言いつけどおり、湯船に浸かって三百秒数えました。
というより、ほむら達が長かったんだよ。なんか、随分とはしゃいでる――いや、騒いでるような声が聞こえて来てたんだけど。
「それは……気のせいよ」
「えっ、そんな、だって私、鷲掴みに――」
「 気 の せ い よ 」
「――はい、そうでした……」
「ええ、ちょっと毟りたくなっただけだもの。それより、明日も早いんだから、湯冷めしない内に横になりましょう」
「はいぃ……うぅ、ほむらさん怖い……」
言いながら、ほむらは掛け布団を被り、ほのかも渋々それに従う。
災難だったね、なんて言えばほむらを刺激するかもしれないので、自分は苦笑いを浮かべるだけにして、リビングの電気を消しに行く。
スイッチを切ると、部屋は一瞬で真っ暗になり、カーテンの隙間から差し込む月明かりだけが頼りとなる。
恐る恐る脚を戻していたら、「お父さん、こっち」と声が掛かり、握られた手に導かれ、自分も布団へ潜り込む。
丁度、光が当たっている部分を見てみれば、どうやら、彼女の反対側の手も塞がっているようだ。
「……なんだか、変な感じです」
「……? どうしたの、急に」
「この時代に来てからは、ずっと一人で、安心して眠れる事なんて殆ど無くて。だから……」
「……そう」
ほのかの呟く言葉は、微かに孤独を滲ませる。
安らいで眠る事を幸せと思えるほど、彼女は心をすり減らしていたというのか。
一体、どのような日々を過ごしていたのか。それを思うだけで、胸が切ない。
「……ねぇ、ほのか」
「あ、はい。なんですか?」
「聞かせてくれない? 貴方が、この時代に来てからの事。この時代で、貴方が見た物。貴方が、感じた事を。……知りたいの。私と同じ魔法を使った貴方が、どんな風に過ごしていたのか」
「………………」
静かな声。
闇に慣れた視界には、見詰め合う少女達の姿。
しばらく、無言でそうしていた後、こちらに近い方の少女は、天井を見上げて語り出す。
「……私が巡って来た世界は、どれも、悲しみで一杯でした。
今日、歩いた中だけでも、沢山の未来の面影を見つける事が出来たこの街は、私が最初に遡行した時間では、既に壊れていて、多くの人達が、必死でそれを直している所だったんです。
私は、処理し切れなかったその瓦礫の中で目を覚まして……。最初は訳が分からなくて、泣きながら、色んな所を彷徨いました。
キュゥべえを見つけて、あの瓦礫の山が見滝原だって知った時は、全然信じられなかったです」
瓦礫の山……。
この世界では、幸いにも被害は最小限で済み、復興も瞬く間に終えて、今ではすっかり元通りになっているが……。
もし、ほのかが巡った世界が、ワルプルギスの夜を止められず、蹂躙されてしまった世界なのだとしたら。
彼の魔女がもたらした被害は、考えたくも無い規模に及ぶだろう。
「キュゥべえは、基本的に知恵しか貸してくれないし、頼れる人も、誰も居なくて――マミさんも、さやかさんも、まどかさんも、杏子さんも、お父さんも――ほむらさんも。誰も居なかった。
それでも、諦める事なんて出来なくて、キュゥべえの推測を頼りに、皆を探して、何度も世界を渡ったけれど……その度に、世界は悪くなる一方で……。
運良く知ってる人に会う事が出来ても、それはやっぱり別の人で。私の存在を否定されてるみたいで、とても、怖かったです……」
ほのかは、握る手に力を込める。
自分の知る人に、その思い出を否定されるというのは、どんな感じなのだろうか。
想像するに、暗闇にたった一人取り残されるような、そんな、身震いしたくなる恐怖を思わせる。
自分だったら、耐えられるだろうか。その、魂も凍る孤独に。
「……幾つかの世界では、キュゥべえも居なくて――命が全て消えてしまったんじゃないかって言うくらいに、世界そのものが壊れている事もあって……。
ほむらさんは、こんな物を見てきたんだって思うと、すごく苦しくて……私には、辛すぎて……。
何度も繰り返すうちに、私はもう、帰れないんじゃないかって、思うようになりました。
こんな目に遭っているのは、私がいけないんじゃないかって。
どの世界も、私の居た未来には、繋がっていなくて……。まるで、お前は生まれる筈の無い命だったんだって、そう言われてるみたいで……本当に……」
やがて、彼女は声を震わせ始める。
今まで一人で抱え込んでいた、誰にも言えなかった苦しみを、ようやっと吐き出すように。
彼女は、静かに慟哭する。
「この世界は、嘘みたいに、優しすぎるよ……。ねぇ? 私、ちゃんとここに居るよね? ちゃんと手を握ってるよね? 夢じゃ、ないよね?」
ぽろぽろと涙を零し、ほのかの小さな手が、縋る様に絡みつく。声だけでなく、体も震えていた。
いつかのほむらと同じ様に、彼女は、形ある不幸に慣れ、曖昧な幸せに怯えている。
自分は、張り裂けそうな胸にその手を抱え、大丈夫だよ、側に居るよ、と何度も繰り返し、ここにある温もりが嘘ではない事を、強く示す。
同時にほむらも体を起こし、彼女の頭を腕に抱いて、赤子をあやすように語り掛ける。
「そんな悲しい事、言わないで。貴方も、私達も。ちゃんと同じ時間に居るわ」
「ほむ、ら、さ……」
「……ごめんなさい。貴方が苦しんでいるのは、きっと、私のせいよ」
「……え?」
「貴方が歩いた世界は、多分、かつて私が居た世界。私が、救えなかった世界。貴方はきっと、私の足跡を辿っていたのだと思う」
ほむらの足跡を辿る旅。
それは、たった一人の友を助けるために奮闘し、そして、幾度となく繰り返された、哀しみの道。共に在ろうと誓った自分ですら、どうやっても触れる事のできなかった部分。
ほのかは図らずも、それに触れ、肌で知る機会を得たのかも知れない。
けれど、何の前触れも無く世界の厳しさに晒されてしまった彼女を思うと、やはり、胸が痛くて仕方なかった。
「ずっと、気になっていたの。私の祈りのせいで、因果の糸に絡め取られた世界の事……。
世界に呪われるべき存在が居るのだとしたら、それは私。幾億もの犠牲を無視したまま、望む未来に辿り着いてしまった、私の方。
……貴方の言う通り。この世界は、痛いくらいに、優しすぎる。こんな私が、幸せでいられるんだから。
でも、私はね、こうも思っていたの。大切な人を助けるためとはいえ、そのために何かを犠牲にしたなら、その報いは必ず訪れる。
いつかきっと、途方も無い苦しみの中で、私は死ななきゃならないんだって――そう、思っていたの」
ほむらの言葉に、自分の胸は更に締め付けられた。
やはり、まだ苦しんでいたのか。共に過ごした時間の、その裏で、罪の処断に怯えていたのか。自分は、どうしても、ほむらにとっての救いにはなれないのか、と。
だが、彼女の言葉が過去形になっている事にもすぐに気づき、それを裏付けるように、彼女の浮かべる笑みには、慈愛が満ち満ちていた。
「でも、今は違う。その考えは、幸せから逃げるための言い訳。自分がしたことから目を背けて、死に逃げようとする、弱い気持ち。
私のせいで失われてしまった幸福があるなら、その分を補えるくらい、幸せにならなくちゃいけない。
私には、その義務がある――いいえ、義務とか、そういうのじゃないわ。私自身が、そう在りたいと思えるの。
掛け替えの無い人と、幸せになるために努力する。そうして産まれた幸福は、きっと、死ぬ事で罰を受けるなんかよりも、尊い事だと思えるの」
気づくと、自分とほむらは見つめ合っていた。
その視線に宿るのは、きっと、愛情と呼べる気持ち。
「全部、友達からの受け売りだけど、ね? それに、今だって信じられないくらい幸せだけど、希望と絶望の天秤が絶対に釣り合うなら、これで終わるはずが無いわ。
私達と、この街に住む人々。魔法少女も、そうじゃない普通の人も。この国に住む人、この星に住む人――ううん。もっと沢山の人の未来が、花を咲かせられるはず。
この世界には、数多の世界から運ばれた幸せの種が、一杯詰まってる。貴方も、その一粒。私達が紡ぐ、幸せの、第一歩」
小さく笑い、ほむらは手を差し伸ばす。
自分はほのかに身を寄せ、その体の上で、手を重ねようとする。
指先が、一本ずつ触れて。その小ささを感じながら、繊細な硝子細工に触れるように、そっと指を絡ませる。
触れ合った手の平から伝わる脈動。
これも、きっと。
「ほのか。貴方は、私が直接お腹を痛めた子ではないけれど、それでも、私達の娘よ。だから、生まれる筈が無いだなんて、言わないで。貴方は、私の幸せの証――生きた証なんだから」
微笑む姿は、全てを包み込むような母の強さを、在り在りと見せ付ける。
自分にとってのほむらは、例え魔法少女であろうとも、弱弱しく、守ってあげたい存在。だが、そんな彼女も成長し、何時の間にか、こんな強さを見せてくれるようになっていた。
……嬉しかった。
言ってあげたかった事を全部言われてしまったのは、ちょっとだけ悔しいが。
「……お、母、さん?」
「うん。なぁに、ほのか」
ほのかは、戸惑いながら、ほむらを呼ぶ。
ほむらは、愛おしそうに頬を寄せ、ほのかに応える。
「……お母さん」
「……うん」
「お母さん」
「うん、ほのか」
「お母、さ、ぁ……っ」
何度も呼び合い、確かめ合って。
ようやく確信できたのか、母の胸に縋りつき、ほのかはむずがるように雫を流す。
それをしっかと受け止めながら、決して、こちらと繋いだ手も離そうとはしないほむら。
そして自分は、そんな二人と手を繋いでいて、温もりだけでなく、溢れる気持ちを伝え合う。
この繋がりは――この絆は、ほむらの言う通り、幾つもの世界の犠牲によって成り立つ、罪深い物なのかも知れない。
けれど、大切な人の幸せを想い、慈しむ気持ちが間違いだなんて、あっていい筈が無い。
例え、誰から咎められようとも、自分は、胸を張って言えるだろう。
この愛は、宇宙一つとだって引き換えに出来る、そんな価値が在るんだ、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
東の空が、やっと白み始めた頃。
自分達三人は、アパートの屋上で向かい合い、誰にも知られぬよう、静かに立ちすくんでいた。
「準備はいい? 忘れ物とか、ない?」
「何も持って来てないし、何も持って行けないよ? お母さん。ふふっ」
「あ……そうだったわね」
くすり、と笑い合う二人だったが、その場には、寂しい空気が漂う。
――帰る時が来たのだ。
「ほのか」
「うん」
呼ばれると、ほのかは楚々と歩み寄る。開かれた腕の中に納まると、互いの体をきつく抱き締める。
しばらくそうすると、今度はこちらに顔を向け、自分も腕を広げる事で返事をする。
「お父さん」
……ほのか。
弾むように飛び込んで来た娘を、愛おしく抱きしめる。
ただ、名前を呼ぶだけで、他には何も言わない。それでも、伝わる自信があった。
忘れない。
この温もりも、あの涙も、繋いだ手の柔らかさも。
絶対に、忘れないから。
「……それじゃあ、行くね」
温もりが離れ、少しだけ鼻声になりながら――だからこそ、ほのかは強く宣言する。
初めて会った時と同じ、薄紫のパジャマ姿の。しかし、全く見違える表情をした彼女は、緩やかに、体を魔力の光に包ませた。
カチリ……カチリ……。ゆっくり、音が響く。
細い体が宙に浮かび、長い髪がはためく。
「……お母さん!」
ほのかは、カチリ、カチリ、と早くなっていく音を、掻き消すように叫ぶ。
「私ね、本当はね、お母さんの事、嫌いになりかけてた! お母さんの娘に生まれなければ、こんな辛い思いせずに済んだって! でもね!」
涙混じりの声は、最後まで隠していた暗い気持ちを告げる。
しかし、それだけではない事を、彼女の笑顔が教えてくれる。
「年下のお母さんに会えて、変わらないお父さんに会えて……。皆に会えて、嬉しかった!
二人は、本当のお父さんとお母さんじゃないけど、でも、ちゃんとお父さんとお母さんだったから!
私の居た世界が、どれだけ大切なものか、知る事が出来たから!
私、この時代に来れて、本当に良かった!」
身を包む光に負けないくらい、輝く笑顔。
微かに身じろぎする気配に、隣に立つほむらの手を取れば、それが細かく揺れているのが分かった。
自分は、正面を向いたまま、ほむら、と小さく呼びかける。
彼女が、頷いてくれた気がした。
「ええ……ええ! 私もよ! 私も、ほのかに会えて嬉しかった!」
「うんっ、うん、っ、また、会えるよね? 絶対に、会えるよね?」
ああ、会える! 絶対に、直ぐにまた会えるから! だから……!
「うんっ! またね、お父さん! お母さん!」
決して、別れの言葉は使わずに。
再会の祈りだけを残して、ほのかは光の中に消えていく。
その姿を、最後まで瞳の中に留めて置きたくて、眩しさを堪え、見つめ続ける。目尻から、何か、落ちる物があった。
やがて、我慢出来ないほどに光は高まる。それが、ほのかの背にしていた陽光と重なり、つい、目を閉じてしまう。
それきり、彼女の気配は感じられなくなってしまうかと思ったが、そんな事は無かった。
降り注ぐ光が。
太陽の暖かさに混じる、明日へと続く道の光が、それを感じさせてくれた。
この光は、きっと。
自分達が帰るべき――辿り着くべき明日を指し示してくれる。
輝ける未来への、道標。
「あ、言い忘れてた。お母さ~ん! お父さんにおっぱい揉まれた~!」
ちょっ!? ほのかさぁん!?
「……詳しく聞こうかしら」
箱○の「俺の嫁」にて、CV斎藤千和さんの感情希薄型ヒロインに「ほむら」と名付け、家の中では赤眼鏡を掛けさせてニヨニヨしていたのは筆者だけではないと信じたい。