「はぁ~、さっぱりしたね~」
……っぷはぁ。うん、そうだねぇ……。
寝室の扉を開ける、薄桃色のパジャマに着替えたまどかを追いながら。
どちらかと言うと、色々出してすっきりし過ぎてしまった自分は、一気に飲み干したユン○ル始皇帝液(一本三千円也)を体に染み入らせ、生気のない答えを返す。
結局、あれからまた一回してしまった。
まだ若いと喜ぶべきなのか、流され易くて脆弱な理性を恥じるべきなのか。……どう見ても後者か。反省せねば。
時計を確かめれば、既に時刻は十一時になろうとしていた。つまりは、一時間半近く風呂でイチャイチャしていた事になる。
……今夜はよく眠れそうだ。
「よいしょ」
――と、そんな事を考えつつベッドに座ろうとしていたら、彼女は寝室の片隅にある机に向かい、立て掛けてあった鞄を持ち上げた。
課題か? と声を掛ければ、腕の中に鞄を抱え、ちょっと困り顔のまどか。
「うん。すっかり忘れちゃってた……。明日提出だから、急いでやらないと」
そう言って鞄を探る彼女に、自分の学生時代の苦労も思い出されたのだが、同時に、おいおい、と呆れてしまう。
という事は、課題もやってないのに誘ったのか?
全く、駄目じゃないか。学生は勉学が本業だぞ?
「む~、分かってますよ~だ……四回もした癖に……ふ~んだ」
う゛ぐっ。
年上の威厳を示そうと叱ってみたが、ムッとした顔で痛い所を突かれ、言葉に詰まる。
確かに、歯止めが利かない自分も悪いとは思うが――いいや! あんな誘惑に勝てる男が居るとしたら、その人はきっと悟りを開きかけているに違いない!
どうかその調子で精進して、民草を生の苦しみから解放して欲しいものだ。居る筈が無いだろうけど。そんな男。
なんて下らない事を考えていたら、鞄からプリントが取り出された拍子に、何か封筒らしき物――手紙が落ちるのが見えた。
彼女はそれに気付かず椅子を引いていたので、何か落ちたよ、と代わりに拾い上げる。
「え? あ、ありが……とぅっ!」
うぉあっ!? な、なんだあっ!?
振り向いたまどかは、それに向かっていきなり飛び掛って来た。
咄嗟に手を上げてそれを回避するのだが、彼女は直ぐ様こちらの体にへばり付き、片足立ちで背伸びをしながら手紙に腕を伸ばす。
「ああああの、ありがとうっ、拾ってくれてっ、んっ、あのっそれっ、こっちにっ、ちょうだいっ」
ぴょんぴょん跳びはね、酷く慌てる様子に妙な物を感じ、その手の届かない高さで包みを空け、中身を拝見する事にする。
えーと、何々?
……拝啓。親愛なる鹿目まどか様へ……?
「あっ、ダメッ、見ないで、返して、お願いっ!」
………………まどか。
これって、ラブレター、だよね。
「あ……ぇうぅ……はぃ、そぅです……」
肩を小さくし、しゅん、と縮こまるまどか。
胸の前で手を組み、そわそわと目を泳がせる彼女からは、申し訳なさそうな雰囲気が漂っていた。
けれど、自分はあくまで冷静に問い掛ける。
いつ貰ったんだ、これ。
「……んと、お、一昨日に、同じクラスの飯島君から、です……あっ、ちゃんとお断りしたよっ! 本当だよっ!」
……ふふっ、大丈夫だよ、疑ってる訳じゃないから。
まだ湿り気を残す髪に指を通し、くるくると弄んで笑いかける。
そして、手紙を折り目通りにきちんと畳み、封筒に戻してまどかに返す。
受け取った彼女は、意外そうに目をパチクリ。
「いいの? 私が持ってても。ラブレター、なのに」
ん、気にならないと言ったら、嘘になるけど……うん、いいよ。
文面から、本当にまどかの事を好きなんだって分かるし、大切な想いの込められた手紙なのは変わらない。
取り上げたり、無かった事になんかしちゃ、可哀相だ。
……ちょっと上から目線過ぎるかな?
そう言って、最後にキザっぽく笑ってみたなら、まどかもクスリと笑い、丁重に手紙を抱く。
「……ありがと。私の気持ちは変わらないけど、でも、誰かを好きになれるのって、とっても大切な事だと思うから。ちゃんと覚えていてあげたかったの。あなたのそういう所、大好き」
惜しげもなく注がれる愛情が照れ臭く、あはは、と自分はまた笑う。
ついでとばかりに、少し気になった事を茶化しながら尋ねてみた。
まっ、まどかは可愛いんだから仕方ないさ。
……で、そんな君は、今まで一体何人に告白されたんだい? もしかして、三桁いってたりして?
恋人としては、ちょっと知っておきたい気もするな~。
「もぅ、そんな事ないよ? うんと、確か……財津くんでしょ、社先輩、生島くんに渡先輩、坊中くん、宇梶くん、田野倉くん、佐藤先輩と六川先輩、久崎くん、パトリックくん、大橋先輩――」
……ちょっ、い、意外と多いっていうかパトリックって何処の国の人だ!?
「えっと、フランス人なんだって。今年、一年に留学してきた子で、女の子みたいに綺麗な顔してるんだよ」
指折り数える名前が十を越えた辺りで理解が追いつき、驚愕に打ち震える。
確かにまどかは世界で一番――いや宇宙で一番に可愛いし、それを愛でたいという男は自分以外にも居るだろうと想像していたが……。
こうして列挙されると、なんだか、彼女が猛獣の檻にでも放り込まれたような焦燥感を覚えた。
ううん……と思わず唸ってしまったのだが、そんな様子を見て思う所があったのか、まどかも「う~ん」と悩み始める。
「ごめんね……。あなたとの事は、学校の皆には内緒だし……。ほむらちゃん達と一緒に居ると、私だけ恋人が居ないみたいに思われちゃうみたいで。
あなたとこういう関係になる前は、告白なんて……幼稚園の時、隣の組のミツルくんにされた位だったのに……。何でだろう?」
み、見る目があるな、そのミツルくんは……。
幼稚園児にしてまどかの魅力に気付くとは、侮れない少年が居たものだ。
きっと子供の頃の方が、余計な事に囚われず、純粋に誰かを好きと言えるのだろう。自分の気持ちだって、その純粋さに負けているとは思わないが。
……と、そこまで考えてようやく気付く。
彼女はさっき、「こういう関係になる前は」と言った。
自分が告白したのは、まどかが中学校を二年に上がってかなり経ってから。つまり、それからの四年近くの間――人生初の恋人に夢中になっている間に、彼女は他の男に想いを寄せられ続けていたかも知れないという事。
そんな素振りなど、全く見せなかったのに……。いや、自分が気付かなかっただけ、か? ……どちらにしろ無様だ。
また、終わってから気付いたのだから。
「あ、また……。もぅ、しょうがないなぁ」
不意にまどかは苦笑いをし、溜息をつく。
そして、手紙を机の上に置くと、こちらの手を引いてベッドに向かう。
座り込んだ彼女は、逆の手で自身の隣をぽすぽす叩き、同じく座るように促す。取り合えず腰を下ろすと、繋いでいた手が強く引かれ、体勢が崩れる。
困惑する自分を受け止めたのは、柔らかな太ももの感触だった。
「何を考えているかは分からないけど、そんな簡単に落ち込んじゃだめだよ?
あなたは、その……ゎ、私の、旦那様……に、なる人なんだし。
もっと、堂々としてくれないとっ。でないと今日の事、パパとママに言いつけちゃうんだから!」
知らないうちに、暗い顔でもしていたのだろうか。まどかは悪戯めいた口振りで励ましてくれる。
こちらを見下ろす彼女の顔には、少し困っているような、けれども慈しみに溢れ、それなのに恥ずかし気な――奥ゆかしい表情が浮かんでいて。
その瞳の奥に見えるものと、顔に落ちる毛先が、こそばゆい。
「もし、嫌な事があったり、悲しい事があったなら、それを半分、私にちょうだい。
あなたの苦しみも、辛い気持ちも。私が受け止めてあげるから。
そうして少し休んだら、いつもの格好良いあなたをみせて?
私が、側に居るから。またあなたが落ち込んだりしても、言ってあげるから。
あなたは、私の一番大好きな、一番、大切な人だって。何度でも、言ってあげるから
……だから、元気出して?」
微笑みと共に、目に見えない――喩えようのない感触を伴った言葉が降って来る。
自然と目を閉じていた。
浴びせられるそれを、心で感じられるように。
そして、それと混じり合って自分の内に生まれた、形も覚束無い何かを、確かめるように。
……なぁ、まどか。
「……? どうしたの、あなた」
まどかを選んで、良かった。
君に恋した自分を恥じた事もあったけど。
でも今は、君とこうして居られて――君を愛せて、幸せだ。
「……ぁ……ど、どうしたの、本当に。いきなり、そんな」
繋いでいた手を解いて、上に伸ばす。
指の背が頬に触れた。
それだけで傷付いてしまいそうに繊細な――しかし、誰にも穢す事は出来そうも無い、無上の幸福に触れながら。
瞼を開き、無心に喉を震わせる。
分からない。でもなんか、言いたくて。
……愛してる。君を愛してる。
いつまでも、側に居てくれ。
君が支えてくれれば、きっと自分は、どんな困難にも立ち向かえるから。
まどかの事を――君の幸せも、未来も。全部まとめて、守らせてくれ。
「……ん……」
声を漏らすだけで、彼女は答えない。
けれど、目を伏せ、再び手を取り、上気した頬に密着させる姿が、全てを物語ってくれていた。
かつて、自分とまどかの前で、こう言った少女が居た。
この世界は、幾度となく悲しみと絶望ばかりを繰り返し、その円環に囚われた者達が居る。
自身もその中に居て、それを後悔はしていないけれど。
どうかまどかを、そんな救いの無い存在に落とすような事だけは、しないで欲しい、と。
あの時は頷くのが精一杯だったが、今なら、彼女が間違っていると言い返せる。
世界は、悲しみと絶望だけを繰り返してなんかいない。
喜びと、希望も。同じ様に生まれているのだから。
永遠に救われぬ魂もまた、存在はしない。
まどかと一緒だから、そう言える。……いつまでだって、そう言い張れる。
まどかと一緒なら。
だから――
よい、しょっと!
「えっ、きゃっ!」
――そんな未来のためにも、まずは第二試合を開始することにしよう。
自分は、まどかを強引にベッドへ押し倒し、無言のまま、その上へ馬乗りになる。
小さな頭の横に手を置き、体をゆっくり下ろして行くと、何をされそうになっているのかを悟ったのか、彼女は拒むように胸板を押し上げる。
「だ、だめだよっ、さっき一杯したでしょ? 私、課題やらないと……」
それは分かってるんだけどね?
自分の嫁さんが余所の男に粉掛けられてるのに平然としていられる男なんて、この世には居ないんだ。
だから、諦めてくれ。
「ま、まだ結婚してな――あ、やっ、ぁっ! せっかくお風呂入ったのに、また汚れちゃ……んむっ! んっ、ん~っ!」
体重を掛けて拒絶を無理矢理に押さえ込み、嫌がるまどかの唇を吸い上げる。
細い腕が胸板を叩き、キスから逃れようと体がくねる。
「ふ、はっ、や、む、ぅんっ! ん、っ、~っ、……っ……ん……ふ……」
だが、暴れる腕ごと体を抱き締め、舌を差し入れた辺りで抵抗は弱まり。
やがて、舌と一緒に流し込んだ唾液を彼女の方から啜るようになった。
存分に口内を犯し尽くした後、糸を引かせながら顔を離すと、まどかは蕩けてしまいそうな表情で、しかし未だに抵抗の意思を示す。
「は……ぁ……お、お願い、今日はもぅ、だめ……課題、が、ぁ……」
辛うじて理性の色を残す、焦点の合っていない視線を受け止めながら。
うん、それ無理、と無情に宣言し。
吸血鬼がそうするように、まどかの首筋へと、彼女が己が獲物である証を刻み付けるのだった。
「や、やぁあんっ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まどろみの気配が少しずつ遠ざかって行き、反対に、現実感が体を侵食する。
頭の中に電子音が響いているのに気付き、しかし、心地の良い気怠さに身を任せたかった自分はそれを無視。
暫くすると、胸の上に在った重さが消え、淀む意識に音声らしき物が届く。
「――ぃ、もし――――あ、ほむ――――、おはよ――――? ど――て、――――――えっ!? ぅ、うそ――ねっ!?」
なにやら、騒がしい。せっかく気持ちよく寝ているんだから、もう少し静かにして欲しいのだが……。
と、目を閉じたままにしかめっ面をして思っていると、陽だまりのような温かさを伴う激しい揺れが、安眠を妨害し始める。
「お、――てっ! ――あさ――! ――しちゃうぅ!?」
……ん、ん゛~、まだもう少し――。
「ぉ起っきろぉおーっ!!!!!!」
――うぇひぃっ!?
シーツを剥ぎ取られ、全身を襲った肌寒さに、思わずまどかの様な悲鳴を上げてしまった。
……まどかの様なって何だ。
いや、そんな事より、なんだってこんな起こし方を……?
慌てて周囲を見渡せば、直ぐ隣に居る、剥いだシーツで裸体を隠す女神が、ぎろっ、とこちらを睨みつけていた。
……まどか? なんだよ、こんな起こし方しなくても……。
「いいから早く起きてっ!! もう時間が無いのっ!! このままじゃ遅刻しちゃうっ!!」
持っていた携帯を突きつけ、彼女は焦る。
寝ぼけ眼を擦ってみれば、そこに表示されていた時間は七時五十九分。
見間違いかともう一度目を凝らしても、七時五十九分。
七時五十九分。
『……暁美ほむらが、八時をお知らせします。寝ぼけてないで、さっさとまどかを送って来なさいこのロリコンめが』
申し訳御座いませんっ!! ……って八時ぃいいっ!? ヤバイ、遅刻するぅ!?
携帯から放たれるプレッシャーに、反射的に土下座。直後、火急の事態である事に気付き、ガバッと頭を上げる。
どんなに急いでも家を出るのに十分は掛かって、出社時間がああで、まどかの学校までがこうで――本当にギリギリだっ。
「だから、さっきからそう言ってるのにぃ! お弁当も作ってないし……ぁあっ、課題もやってない! どうしよぉ! ……もぅっ! あなたのせいなんだからぁ!!」
ご、ごめ……けど、人のせいにばっかりしないでくれっ! まどかだって最後の方はあんなに悦んで……!!
「ぁわ、わっ、わーっ! まだ電話繋がってるんだから変なこと言わないでぇ! ご、ごめんねほむらちゃん! 先に学校行って――ぁ、んぅうっ」
ベッドから飛び降り、電話の向こうにいる友人に向かって話していたまどかは、突然、淫らに身を捩る。
明らかに色の乗った声に驚き、どうした、と自分もベッドを下りながら尋ねてみれば、彼女は顔を真っ赤にして呟いた。
「……あ、あなたのが、垂れて、きちゃった……」
………………。
「お、おっきくしちゃだめっ! 早く準備してっ! 私、シャワーだけ浴びちゃうからっ!」
うっ、せ、生理現象なんだから仕方ないだろうっ!? と言うか、自分だってシャワー浴びたい……。
「女の子が優先ですっ! 一緒に浴びたらまたエッチな事されそうだからやだっ!」
んなっ! 昨日はまどかの方から一緒に入ろうって言った癖してっ!
「し、知らないっ、知らないもんっ! とにかくあなたのせいなのっ! もういいでしょっ! あんまり言うと、もうしてあげないんだからぁ!」
ちょっ、それは困るっ……あ、いや、止められてるんだからそっちの方が良いのか……いややっぱ困る! ま、まどかぁ!?
「やだもぅ! ブラブラさせながらこっち来ないでぇ! パンツぐらい穿いてよぉ!」
寝室から逃げ出す背中を追い、時間が経つのも忘れ、朝から痴話喧嘩を繰り広げる。
下らない事に本気になって、喧嘩して。
けれど、こんな騒がしい日々を誰より望んでいるのは、きっと自分自身。
この時間が、どんな宝石よりも光り輝く眩さを持つ事に、今はまだ気付かぬまま。
大切な人と過ごす新しい一日が、また、始まる。
『……ふぅ。これは駄目ね……え? ……えぇ、その通り。多分、課題を写させてって泣き付いて来るでしょうから、先に行って準備だけしておきましょう。全く、しょうがな《プツン》』
――そして。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――郎――――……新郎?」
聞き慣れない単語が自分を呼ぶ物だと気付き、はいっ、と慌てて返事をする。
……いけない、この大事な場面で何をトリップしているんだ自分は。
ささっと周囲を探ってみれば、右後方からは、ほっとしている様な気配――ベストマンを務める会社の後輩が居る。
左後方の離れた位置には、同じく肝を冷やしたような顔をしている少女と、ブーケを預かる若干呆れ顔の少女――ブライズメイドの二人、さやかちゃんと暁美さんが。
そして、直ぐ左隣には、「くすっ」と笑う、純白のヴェールにかんばせを隠した愛しい人――まどかが居た。
身に纏うのは、いつか彼女と共に雑誌で眺めた、あのウェディングドレス。
このチャペルでは今、自分と彼女の結婚式が執り行われていた。
やはり、女の子であれば誰もが憧れるのか、まどかの達ての希望で教会式の手順を踏襲しているが、実際には人前式となる。
そうした理由は、と言えば。
「……うぉほん。汝は、この者を妻とし。
良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も。
共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かとうとも、その魂が尽きる時まで。
愛を誓い、妻を想い、妻のみに添う事を。
汝を見守って来た、友と信じる仲間と、心優しき両親に、誓いますか?」
……はい、誓います。
一番は、この誓いの言葉。
互いを想う気持ちを、あやふやな形の神にではなく、同じ時間を過ごして来た人達に誓いたかったから。
本当に信仰している人からすれば罰当たりにも程があるのだろうが、どうしても。
彼等の助けが無ければ、自分は今、ここには居ない。確信を持ってそう言い切れる。
だからこそ、皆の前でこの気持ちを誓い、自分達のこれからを示して、安心して欲しかったのだ。
神父役の初老の男性からの言葉に、自分はしっかりと頷き、それを受けた神父さんも満足げに首を縦に振る。
「では……。新婦、まどか」
「……はい」
新郎の次は、新婦である彼女の番。
先の言葉の「妻」を「夫」に変えただけの繰り返しだが、問われてようやく分かった事がある。
言葉という物は不思議な物で、実際に口にすると、心で想うだけよりも、気持ちはぐっと強くなるのだ。
人の心は、脆く崩れやすい。
だからこそ寄り添い、大切な気持ちを忘れぬよう、幾度も言葉を重ねて、強くあろうとするのだろう。
「――に、誓いますか?」
「はい、誓います」
「……宜しい。では次に、指輪の交換を」
明確に、嬉しさを滲ませるまどかの返答。
思わず笑顔を引き出されてしまうそれに、神父さんも釣られてしまったのか、目尻に深い皺を浮かべながらも、彼は挙式の進行に勤めてくれる。
ドレス姿の彼女に向き直ると、こちらに近づく二つの気配――自分の後輩と、その恋人であるさやかちゃん。
普通はベストマンにだけ預けるらしいのだが、これまたまどかの提案によってこういう形になっている。
形式に囚われない、人前式ならでは、だ。
「……先輩」
呼ぶ声に、自分はまた頷く。
公私において付き合いがあり、掛け替えの無い友人でもある彼の手には、エンゲージリングの覗く小さな箱。
台座からそれを抜き取ると、彼は一歩下がって側に控える。
まどかは、さやかちゃんに外した手袋を預け、そして、白磁のような左手をおずおず差し出す。
微かに震えている手を、そっと握り締め、薬指に通すのは、細かなダイヤの埋められたプラチナリング。
「……っ」
嵌められたそれを眺め、彼女は左手を大事そうに胸へ抱える。
そんなまどかを、さやかちゃんは優しく見守り、頃合を見て指輪を示す。
「さ、次はまどかの番だよ。頑張って!」
「……うん。ありがと、さやかちゃん」
指輪を渡し終えると、さやかちゃんも静々、後ろに控え、こちらにも一度頷きを。
ついでとばかりに後輩の方にもウィンクを飛ばし、こんな時まで仲の良さを見せ付ける。
まぁ、あくまで主役は自分とまどか。あの二人に負けぬよう、こっちも見せ付ければいいだけだ。
胸を張り直し、自分もまどかに向けて左手を差し出す。
ほっそりした手が添えられ、指に通されたのは、女性用に比べてシンプルなデザインのリング。
……何故だろうか。冷たい筈の貴金属が、やけに暖かい。
「ここに、誓約の指輪の交換は為されました。二人の婚姻に賛同頂ける方は、惜しみない拍手を願います」
この場に居るのは、自分とまどかの両親、極僅かな親族に加え、彼女との関係を知ってなお応援してくれた友人達だけ。
おおっぴらに出来ないのもあるが、随分とこじんまりした印象の式となった。
それなのに、神父さんの求めには割れんばかりの拍手が巻き起こる。
見渡せば、彼等の顔に浮かんでいるのは、曇りの無い笑顔のみ。
服の上からくすぐられているような、体が宙に浮いているような、そんな感覚。
「賛同頂いた全ての方を証人とし、この結婚は成立致しました。最後に、夫婦として初めての口付けを」
いよいよ、だ。
挙式において、最大級に緊張する、一番大きなイベント。
ここでトチるようなら、自分はこの場で首をくくろう……というのは冗談だが、その位の覚悟はしていた。
絶対に、失敗だけはしたくない。そんな思いが、ヴェールを上げる手を震わせる。
隠されていた顔が目に触れれば、鼓動は早鐘の様に高鳴った。
素顔のままにも見える、自然な薄化粧。
ぷっくりした唇に引かれたルージュは、彼女の好きな淡いピンク色。
頬に差す赤みは本人の物で、チークとはまた違う。
瞼が開き、伏せられていた視線が合うと、一瞬で世界から音が消える。他の一切が、もう目に入らない。
……まどか。
「うん……」
無意識の呼びかけに、彼女は小さく返事をし、もう一度目を閉じる。
何時の間にか、自分はその肩に手を乗せていて。
引き寄せられるように、キスをしていた。
「……ん……」
軽く触れただけなのに、それだけなのに、胸が愛しさで満たされる。
幸せ。
たったの二文字で表せる言葉の、真の意味。
語り尽くせない想いを唇で伝えようとしたが、本当に伝えられているかが心配で。
使い古された、有り触れて、陳腐な台詞が口をつく。
……愛してる、まどか。
「……うん! 私も、あなたを愛してますっ!」
けれど。
それに返されたのは、満開の花。
沸き上がる歓声と、津波のような拍手に、鳴り響く鐘の音。
ああ、どうしよう。
嬉し過ぎて、窒息しそうだ。
「さぁ、新しい御夫婦の退場です! 皆様、盛大なる祝福を!」
神父さんの声に、自分とまどかは参列者の皆に顔を向ける。
向かって左側には、自分の後輩、両親に親族、そして友人達。右側には、先の少女二人と、まどかのご両親に親戚・恩師、そして、自分とも面識のあるまどかの友人達。
奇しくも、この場に居る友人達の全ては、それぞれに恋人同士。なんとも奇妙な縁だ。
右肘を差し出せば、すかさず細い腕が絡み、自然に微笑み合う。
「先輩、おめでとうございますっ!!」
側に居た後輩が真っ先に歩み寄り、こちらに握り拳を向けた。
自分も拳を握って、おう、と軽く打ち合わせる。
彼は、少年の様に無邪気な笑みを浮かべ、また一歩下がり、拍手を再開。
「まどか、おめでとう……。本当に、おめでとうっ」
「あっ、ちょっとほむら抜け駆けしないでよ! まどかっ、おっめでと~!!」
「うんっ! ほむらちゃんも、さやかちゃんも、ありがとっ! 私、幸せだよ!」
まどかの方にも二人の少女が駆け寄り、暁美さんは、預かっていたブーケを返しながら祝福してくれる。目には薄っすらと涙まで浮かべてくれていた。
さやかちゃんも全身で感情を表現していて、心から祝福してくれているのが分かる。
後ろ髪を引かれながらも、まどかと共に一歩を踏み出せば、左右から幾重にも、何度でも、「おめでとう」と祝福が。
最初は色々と心配をかけてしまったが、今日まで、自分達を慈しみ、惜しまず手助けをしてくれた自分の両親と、知久さんに部長。
この呼び方も、仕事以外では出来なくなるのか。少し、寂しいかも知れない。
家の両親は、自分達の結婚式でも思い出しているのか、拍手しながら互いをつっつき合っている。
知久さんと部ちょ――詢子さんは、予想に反して知久さんの方が終始笑顔を浮かべていて、詢子さんの方が事ある毎に涙腺を緩ませていた。
今もポロポロと涙を零し、泣き笑いの表情で手を叩いてくれて……。意外な面を見てしまった。こんな些細な事も、また嬉しい。
笑顔でライスシャワーを降らせるのは、暁美さんの恋人である眼鏡をかけた男性に、「ちょっと勿体無いかなぁ」と呟く青年。
そして、「細かい事言わないで下さいよ」と突っ込む癖毛の青年。
披露宴ではこの三人にも出番があるし、一体どうなるか楽しみである。
彼等の向かい側では、二人の少女が同じく花びらを降らせていた。
感動しきり、といった様子で涙を流している巴さんに、その隣で困った笑顔を見せる佐倉さん。彼女の持つ花篭からは、なにやら光が漏れていて、舞い散る花びらは虹色に輝く。
嘆息したくなる美しさに見惚れていれば、彼女は「にしし」と片目を瞑る――心憎い演出だ。
最後列には、自分とはあまり縁が無かったが、志筑仁美さんと上条恭介君のカップル。彼女達もまた、憧れに似た眼差しでこちらを見つめている。
おそらく、自らの将来を思い描いたりしているのだろう。この挙式が、その一助になれれば嬉しいが……。
最後に、この場には居ないが、祝電を送ってくれたらしい美国さん達。
色々と難しいだろうが、あのカップル達にも幸福が訪れて欲しい。
出口が近づき、厳かに開く扉からは、太陽の光が眩しく射し込む。
目を眩ませながらも、しっかりとした足取りで歩を進め、自分は考える。
こんなに幸せで、良いのだろうか?
まるで、世界中から幸福をかき集めて、一つの宝箱に、ぎゅうぎゅうに詰め込んだような。
こうしている間にも、この世界には不幸が生まれて、涙している人が居るのかも知れない。
両手でも受け止め切れないほどの幸せを、自分だけで独り占めして、いいものだろうか。
そんな事を思ってしまい、何気なく上を見上げて、光の壁を突き抜ける。
「……わぁ!」
迎えたのは、抜けるような広い空。
挙式が始まった時から太陽を覆っていた、厚く暗い雲は、どこかへ消え去っていた。
肩からふっと、力が抜ける。
幸せに不安を抱くだなんて、なんとも情けない。自分は、これで良いんだ。
今はまだ、幸せを受け取る事しか出来なくても、いつかきっと、この大きな幸せを、誰かに――大切な家族や仲間達に分け与えられる。
そして彼等も、胸に収め切れない気持ちを感じた時、それを誰かに渡していくのだろう。
そうやって、この環は広がって。遠い未来で、この星を覆える位になってくれたら。
希望的観測と言われれば、正にその通り。
だが――
「……? なに、あなた?」
――信じよう。
せめて、今日一日。せめて、この一時だけでも。
こちらを見上げる笑顔を曇らせるような、悲しみと絶望が。皆の居る小さな世界から、消えている事を。
そう祈って、何でもないよ、と自分は笑う。
「変なの……。ねぇ?」
すると、右手に絡まる暖かさ。
組んだ指に触れる小さな硬さは、共に在る未来を誓った指輪。
それを示すように、きゅっ、と手を握って、肩を寄せて。
まどかは、この世界で一番に輝く笑顔で、笑い返してくれたのだった。
「二人で、一緒に……。ううん、皆も一緒に。もっと、ずぅっと、幸せになろうねっ!」
新妻が エロ可愛くて 腹上死 ――――――ロリコン主任、辞世の句。