※この作品はR-18です。

魔法少女まどか☆マギカR‐18   作:七音

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【千歳】スピンアウト編・中の1【ゆま】

 

 

「でぇえりゃああっ!」

 

 

 裂帛の気合と共に、紅い旋風が舞い降りる。

 突き立てられた槍が轟音を発し、食虫花の如き単眼の異形を――魔女を大地に縫い付けた。

 が、捉えたのは単頭。残る複頭が槍の繰り手を絡めとろうと迫り来る。

 

 

「っとぉ」

 

 

 それをステップで危なげ無く回避した少女は、同時に槍へ魔力を通し形態変更、多節槍と化す。

 鞭の様にしなるそれは、空を食んだ複頭に鉄をも砕かん勢いで襲い掛かる。

 

 

「ちっ、やっぱダメか。だったら……」

 

 

 ――が、柔軟性に富んでいるらしいその身体は、殴打による衝撃を軽く受け流してしまった。

 見た目からしてそうだろうと予測していた少女は驚いた様子も見せず、更に一つ跳躍して距離を取る。

 そして、再びの形態変更の後、槍を腰だめに構えて一呼吸。

 

 

『――――――!』

 

 

 あからさまな誘いに、知性を残さぬ魔女は気付かない。

 未だ飢える腹を癒すため、蛇を思わせる動きで、少女を捕食せんと複頭が伸びる。

 

 

「――は」

 

 

 酷薄な笑み。

 刹那、《疾風迅雷》と評すべき斬撃が舞った。

 痛みか驚愕か。大きく見開かれる瞳。

 繰り出される刃は触手を千々に切断。本体と思しき単眼への道を開く。

 

 

『――――――!!』

 

「貰った……っ」

 

 

 少女が駆ける。

 十メートル以上はあろう距離が一瞬で詰まり、その勢いを加算された《打突》が標的を捉えた。

 

 

「トドメッ!」

 

 

 しかし彼女は止まらず、駄目押しに超至近距離からの《三段突き》を。

 

 

『――――――!!!!!!』

 

 

 見た目と違い、魔女は人間の様な赤い鮮血を撒き散らす。

 それが降り掛かるのを厭うたのか、少女はすぐさま離脱。

 槍の間合いを保ち、様子を伺う。

 

 

『――、――、――』

 

 

 だが、過たず打ち込まれた攻撃は、確実に魔女の命を刈り取っていたらしい。

 幾度か痙攣するように千切れた触手をバタつかせた後、異形は自壊を始めた。

 

 

「うっし、一丁上がりっと。……あ~あ、ヤなもん見せやがって……」

 

 

 もう安全だと判断した少女は、何処からともなく棒付きキャンディを取り出す。

 魔女。

 結界に紛れ、人知れず命を糧として存在する、悪意の化身。

 その反応を辿って結界に潜り込んだは良かったのだが、彼女が最深部に到達した時、この魔女は“食事中”だったのだ。

 

 

「……ぁああっ! 胸くそ悪ぃ!」

 

 

 抑え切れない苛立ちを、少女は消えかけた複頭を蹴り上げる事で解消する。

 彼女が気分を害したのは、目の前で命が奪われたからだけではない。

 もう一つの理由は、魔女に食われてしまったある夫婦のせいだった。

 普通に考えて、子供の一人でも居そうだった彼等は、互いを犠牲にして生き延びようとしていたのだ。

 夫が脚を絡め取られ、前を行く妻に縋り付く。妻はそれを足蹴に罵倒を浴びせ、そんな妻を、夫は怒りを露わに離そうとしなかった。

 

 離せ、アンタだけが死ね。

 ふざけるな、オマエだけ逃げる気か。

 

 醜いやり取りで少女が呆気に取られている間も触手は迫り、結局二人は捕らえられ、喰い散らかされたのだった。

 あまりに。あまりにも。

 

 

「畜生が」

 

 

 少女だって分かっていたのだ、こんな事は。

 清廉潔白な人間なんてこの世には存在しない。

 誰も彼もが心に闇を抱え、そんな人間を魔女が食い物にし、その魔女を自分達が――魔法少女が糧とする。

 そういう仕組み。そういう摂理。そういう世界。

 

 だから、どんな事があろうとも、魔法の力だけは自分のためだけに使う。

 助けるのは、気が向いた時だけ。

 

 少女はこれを信条とし、また、覚悟もしていた。

 それによって生まれる悲しみも、憎しみも。全てを背負い込むつもりで居る。

 いつか報いを受けるとしても、もうそんな生き方しか出来そうに無いから。

 だが、こうまざまざと見せつけられてしまったら、どうしても思ってしまう。

 自分達は――人の心は、こんなにも無様な物なのか、と。

 

 

「……はぁ。アタシらしくないね、どうにも」

 

 

 詮無い考えを捨てるため、少女は溜息をつく。

 気が付けば、周囲の景色は一変していた。

 結界の主である魔女が倒れた事で、荒れ果てた植物園のような世界は崩れ、極普通の――新規デパートに客を奪われ、人の居なくなってしまった商店街の一角へ戻る。

 位置的に、先程まで魔女の残骸が残されていた場所には、一つの黒い宝石――グリーフシードが。

 

 

「よっ」

 

 

 ブーツのつま先でそれを掬い上げ、手中に収める。

 背を向けて歩き出し、首だけで振り返る少女の頭に過ぎるのは、しかし、やはりあの夫婦に関する事だった。

 願わくば、彼等が子供を儲けていません様に。

 そうであるなら、自分と同じ思いを味わう人間が、居ずに済む。

 

 

「……いや。アタシには関係無い、か」

 

 

 けれども少女は首を振り、存在するかどうかも分からない誰かへの気遣いも投げ捨てる。

 結界に呑まれた所為で、二人の死体は跡形も無く消滅した。こちらの世界では単なる行方不明として扱われるだろう。

 それを心配する人間も居るかも知れないが、どうでも良い。心配するような資格は、当の昔に失っている。

 世に遍く発生する不幸は、全て因果応報。

 幸福であってもいつか必ず不幸が訪れ、逆もまた然り。そこに余人が関わってもろくな事にならない。

 

 

(でも、だからこそ。幸も不幸も自分で決める。これ以上、後悔なんてしないために……)

 

 

 ――自業自得の人生を、生きるしかないんだ。

 

 瞼を下ろし、決意を確かめて彼女は歩く。

 今はまだ、己の未来を知らぬまま。

 たった一人で、夜の闇へと消えて行く。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 夢を見ている。

 そう気付いた理由は、その光景が有り得なかったからだ。

 

 俯瞰から眺める、極普通の食卓。

 テーブルを囲む一組の親子――父、母、娘。

 和やかに微笑み合い、語らう姿。

 当たり前な光景に違和感を覚えるのは、彼等への見覚え故。

 

 妻と娘を見守る父。

 料理を運ぶ母。

 笑顔でそれを待つ娘。

 有り得ない。

 

 

「――――――」

 

 

 娘が母に向かって何か話しかけている。

 母親は優しく笑い返し、隣に座って頭を撫でる。

 有り得ない。

 

 一人先に箸を伸ばし、料理を頬張る父。

 二人は叱りつけるが、舌鼓を打つ笑顔に釣られてそのまま笑い合う。

 有り得ない。

 

 

「――――――」

 

 

 目の前で語らう三人を見て、なお思う。

 何もかもが、有り得ないと。

 こうであったのなら、どれだけ救われただろうか。

 こうであって欲しいと、どれだけ望んだだろうか。

 

 

『ったくさぁ。いい迷惑だよ、ガキなんて』

 

 

 団欒に重なる、悪意の音。

 

 

『アンタの知ったこっちゃないだろう!? 余計な口出しすんじゃないよ!』

 

 

 やめろ。やめてくれ。

 

 

『何だったら、好きにしたっていいんだよ? 払うもん払ってくれんならね』

 

 

 夢の中でぐらい、あの子が幸せで居たって、いいじゃないか。

 だから、お願いだから――

 

 

『あんな奴、生まなきゃ良かったんだ!』

 

 

 ――もう、やめてくれ……!

 

 

 

 

 

「オジさん」

 

 

 

 

 

 間近に見下ろす、少女の顔があった。

 さっきまでの笑顔とは程遠い平坦な表情。

 普段はツインテールに結んでいる髪の生え際に、痛々しい火傷の痕が見える。

 

 

「おなか、すいた」

 

 

 ……あぁ。今、作るよ。

 

 それを見られているのに気付いていないのだろう。彼女は空腹を訴える。

 返事をしながら、オレは自分の顔を一撫で。窓に見える空とは違う、清々しいとは言えない目覚めに、大きく溜息をついた。

 厭な夢の感触を振り払うために身体を起こす。

 枕元には、ダボダボのTシャツをパジャマ代わりにする幼子が、ペタンと座り込んでいた。

 

 

「ゆま、なにか手伝う?」

 

 

 ……そうだね。なら、布団を脇に寄せておいてくれるか。

 その間にご飯を作るから。

 

 

「ん、分かった」

 

 

 こくり、起き上がるオレへ一つ頷くと、彼女は――ゆまはすっくと立ち上がり、自分の寝ていた小さな布団を片付け始める。

 日の光が薄い生地を通り、そのシルエットを写す。

 病的な細さ。

 ここ数週間で血色は大分マシになったが、それでも同じ年頃の子供達に比べ、かなり発育が悪い。

 原因は分かっている。……分かっていた。

 

 十四畳のワンルームを横切り、洗面所で、胸に込み上げる不快感を顔のベタつきと一緒に洗い流す。

 鏡から睨み返すのは、少し上目遣いになるだけで三白眼になる顔。

 あの女に似ている、悪人面。

 自分の視線から逃れるようにタオルで水分を拭い、キッチンに。

 冷凍庫から凍った袋を取り出し、小さなオムライスを一人分、トレイ毎切り離してレンジへ。

 その間に、近所の業務スーパーで買って来たインスタントのスープやひじきの煮物なども用意。

 解凍されたオムライスを皿に移してちゃぶ台へ並べれば、即席の朝食が完成した。

 

 

「おわったよ」

 

 

 丁度、ゆまがやって来た。

 背後にはキチンと折り畳まれた二つの布団。

 まだ十にもならない少女には重いはずだが、嫌な顔一つしないのは、慣れているからか、それとも。

 ……あまり、確かめたくもない。

 誤魔化す様に小さな頭を撫で、自分の朝食も用意して対面に座り、頂きます、と挨拶を。

 本当ならこんな事しないが、子供の前。面倒でもやっていた。

 

 

「いただきます」

 

 

 一緒に暮らすようになって、こういった習慣事は人並みに改善されている。

 誰かの目があるというのは背筋を正されるものであり、同時に、ちょっとした重荷でもあった。

 結婚願望なんて欠片もなかったが、これが一生続くとなると、世の“正しい親”達を尊敬したくなった。本当に、頭が下がる思いだ。

 

 

「オジさんは、それだけでいいの?」

 

 

 そんな事を考えていたら、ゆまは不意に手を止め、こちらの手元を伺う。

 オレの手にあるのは、大きめのマグカップに入った牛乳とシリアル。

 この子にすれば味気無く見えるのだろう。実際そうだが、もう慣れ始めていた。

 

 良いんだよ。今日は休みだし、体を動かさない日は節制しないとすぐ太るからね。

 おじさんの事は気にしなくていい。

 

 

「……うん」

 

 

 一応は納得したのか、再びスプーンが動き出す。

 正直に言えば、物足りないに決まっている。

 しかし、料理も出来ない三十前の男。食事のほとんどを外食・店屋物で賄っていた身分には、子供一人分とはいえ出費が痛い。

 他にも理由はあるが、とにかく節約しなければいけないのだ。

 

 

「ごちそうさま」

 

 

 ぼうっとしている間にオムライスを食べ終えたゆまが挨拶。

 お粗末様、とそれに返して、食器を片付ける。

 好き嫌いも殆ど無く、用意した物は欠片も残さずに食べてくれるし、まぁ、嬉しいかも知れない。

 

 水に浸してちゃぶ台に戻ると、今度は「テレビ見ていい?」と尋ねる彼女。

 頷き返せば、小さな指がリモコンのスイッチを押し、ニュースキャスターのがなり声が響いた。

 この時間なら子供向けのアニメもやっているのに、この子は全く興味を示さない。気が付けば、いつもニュースを見ている。

 一見、勉強熱心にも思えるが、その理由を考えると心配にしかならない。

 本当に、何をしているんだあの女は……っ。

 

 

「あ」

 

 

 簡素な食事を終え、苛立ち紛れにため息をつくと、テレビを見ていたはずのゆまがこちらを見ていた。

 視線を辿れば、それはオレの手に――いつの間にか握っていた、タバコへ向けられていた。

 

 ……ごめん。吸わないから。

 

 

「んーん。気にしなくて、いいよ」

 

 

 首を振った彼女は、またテレビに顔を戻す。

 とある政治家の逮捕を、画面が伝えていた。

 だが、この子の求めている情報はそんな物ではないのだ。

 本当に必要なのは、彼女の両親の、安否情報なのだから。

 

 

 

 

 

 姉夫婦が失踪してから、もう二週間が過ぎようとしている。

 ある日、仕事を終えて帰宅すると、この子が――姉の娘である千歳ゆまが、自宅の前で待っていた。

 またか……と辟易しつつ、放っておく訳にもいかなくて、酷く冷たくなっていた手を引き、家へと招き入れた。

 良くある事だったのだ。買い物やら用事やらで、娘の世話を押し付けられるのは。

 本当はパチンコに行ったり、男と盛っているだけなのに、下らない見栄だけは忘れない。……本当に、度し難い女。

 ともかく、いつもの様に夕食を食べさせて一晩預かり、翌朝、仕事に出る前に家へと送っていけば、それで終わるはずだった。

 だが、普段なら不機嫌そうに出迎える姉は一向に姿を見せず、鍵の掛かった扉は誰の入室も拒んでいた。

 

 この日から、姉とその夫は姿を消した。

 二日三日程度なら……有り得なくも無い。しかし、四日、五日、一週間と時間が過ぎ、その間一切の連絡も取れず、警察に届けはしたが、一度家を調べに来ただけで、何の音沙汰も無い。

 年間で十万人も行方不明者が出るのだ。期待なんて、全くしていなかったが。

 いや。むしろ、消えてくれて良かったとすら、思っていた。

 これでもう、ゆまが苦しい思いをする必要は無くなると、何も出来なかった自分を棚に上げて、喜んでしまっていた。

 

 けれど、世の中そんなに上手く行く訳が無い。

 オレは今、慣れない子供の世話と、姉夫婦が借りていたアパートの契約に滞納していた家賃、未払いの給食費。

 そして、溜まって行くストレスに――吸えないタバコに、悩まされていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 両脇に警備が立つ開放された出入り口を通り、形ばかりの会釈をしながら建物を後にする。

 歩きながら振り返ると、厳めしいそれは、こちらを見下すようにそびえ立っていた。

 五郷(いつさと)警察署。

 本来、己が身を守ってくれる頼もしい存在。

 しかし今のオレにとっては、忌々しさをも感じさせた。

 

 姉が失踪してから、丁度二週間目の今日。

 仕事中、携帯へ掛かって来た連絡は、事件の経過報告をしたいという物だった。

 小さな自動車修理工場は大して忙しくも無く、暇を貰って出向いたのだが、ほとんど進展は無かった。

 やはり、心のどこかで期待していたんだろう。

 時間を無駄にした事も相まって生まれた、酷く不愉快な感情を誤魔化すために、オレはタバコに火を付け車に乗り込む。

 そしてエンジンをスタートし、ブレーキを離そうとした瞬間――

 

 

《プシー》

 

 

 ――という、エンジンの回転に紛れる、小さくて嫌な音に気付いた。

 思わず顔を覆いたくなったが、とにかく今の状態を確認するため、ギアをパーキングに戻して車を降り、バンパーの下を覗き込む。

 すると案の定、緑色の液体がドバドバと漏れていた。間違い無く問題はラジエーターだ。

 この分だと本体は大丈夫そうだ……ホースが劣化したか? 安いからってウン十年も前の中古車なんて買うんじゃなかった……。

 程度が軽いなら水を追加して工場まで走って行ってしまうけれど、距離がある。その間に冷却水は空っぽになるだろう。

 

 くそ、何でこのタイミングで……。どうすっかな……。

 

 

「……お困りですか?」

 

 

 は?

 

 ヤンキー座りをし、煙を吐きながらボヤいていると、背後から声を掛けられた。

 首を巡らせれば、そこにはスーツに身を固め、髪を丸く結い上げる妙齢の女性。

 結構な美人だ。

 

 

「あ、怪しい者ではなくてですね……。私、石島といいます。どうなさったのかな、と思いまして」

 

 

 あまり縁の無かった美女に見惚れていると、その人は苦笑いをしながら黒い手帳――警察手帳を示した。

 ……多分、睨まれているとでも思ったんだろう。本当にこの目付きの悪さは嫌になる。

 とにかく、話し掛けられたのだから対応しなくては。オレは立ち上がり、彼女へ向き合う。

 

 ええ。ちょっとラジエーターの調子が悪いみたいで。このまま乗って帰るのは不安ですね。

 

 

「そうでしたか……。どうしましょう、レッカーとか必要ですか?」

 

 

 いや、後で同僚に頼んで牽引しますので。

 まだ仕事中ですから、しばらくは置かせて貰う事になりそうですが。

 ……大丈夫ですよね?

 

 

「はい。署の人間に一言、断っておいて貰えれば」

 

 

 ならそうします。……まぁ、問題は帰りの脚なんですけど。

 仕方ないんで、歩いて帰りますかね……。

 

 

「あ、でしたらお送りします。その分だと距離がお有りでしょうし、私もちょうど戻る所ですから」

 

 

 冗談めかして言うと、願っても無い申し出。

 確かにありがたいが……。

 

 よろしいんで? 初対面なのに、そこまでして貰う謂れは……。

 

 

「構いませんよ。皆さんのお役に立つのも警察官の仕事ですから」

 

 

 ……随分と仕事熱心な女性だ。この時代には珍しいな。

 少し引っ掛かる部分はあったが、これを断れば安くないバス代が発生する。

 素直に甘えさせて貰おう。

 

 じゃあ、お願いします。中に戻って話をしてきますので。

 

 

「ええ。その間に車を回しますから」

 

 

 言うが早いか、彼女は車の鍵を弄びながら駐車場の奥へ歩いて行く。

 それが見えなくなるのを待たず、俺も鍵を抜き、署内に戻って車を置かせて貰う旨を伝える。幸い、快諾が得られた。

 再び出入り口を潜ると、正面には赤い車が。

 一世代前のハイブリッドカー。少し前に値下げされた奴だが、それでも三桁は固い代物。

 やはり、公務員というのは給料が良いらしい。羨ましい事だ。

 そんなやっかみにも等しい感想を飲み込み、俺はタバコを携帯灰皿に消して、助手席に乗り込ませてもらう。

 

 お待たせしました。

 

 

「いいえ。それで、どちらまで?」

 

 

 仕事場までお願いします。場所は――。

 

 シートベルトを締め、仕事場の住所とそこへの順路、大まかな目印を伝える。

 彼女は「分かりました」と一つ頷き、車は署の敷地を出て道路の上を進む。

 微かな芳香剤の香りが漂っていた。

 

 

「お好きなんですか? 車」

 

 

 何個目かの信号に引っ掛かった時、不意に話しかけられた。

 はい? と首を捻ると、それを補足するように言葉が続く。

 

 

「あの車、だいぶ古い物ですよね。多分、交通管制の受信・制御装置の搭載が義務化される前の。だから、お好きなのかな、と」

 

 

 ああ。確かにその世代の車ですけど、別に好きではありませんよ。

 知り合いが安く譲ってくれたってだけで。というか、車自体あまり好きでは。

 

 

「え、そうなんですか? でも……」

 

 

 ………………。

 車に関わる仕事をしてるからって、好きじゃなくちゃいけない決まりはありませんしね。

 仕事をしてるからこそ、どれだけ金が掛かるのかも分かりますし、憂鬱になりますよ。

 

 

「そういうものですか」

 

 

 青になった信号に車を進める彼女へ、そういうものです、と返す。

 そこで会話を止めても良かったのだが、オレの中にはある疑問が生まれていた。

 声を掛けられた時から感じていたものが、今のやり取りで大きくなったのだ。

 黙っているのも自分らしくないと思い、オレはそれをぶつけてみる事にする。

 

 ところで……。

 

 

「はい、なんでしょう?」

 

 

 一体、私に何を聞きたいんですか。

 何か聞きたい事があって、親切にしてくれているんでしょう。

 

 

「……そんな事は。本当にたまたま……」

 

 

 生憎と育ちが悪いモンでして。無償の好意をそのまま信じられないんですよ。

 それに、さっきの「でも……」の続きは、『整備の仕事をしているのに』って言いたかったんじゃありませんか。

 事実、私の言葉に貴方は大して反応しなかった。既に知っていたんでしょう、仕事のこと。

 石島さん。貴方は私が“千歳眞子の弟”だと知っていて近づいた。……違いますか。

 

 

「………………」

 

 

 沈黙。

 肯定が返されたと感じた。

 

 

「かなり話の展開は強引ですけど、良い線いってます。刑事に向いてるかも知れませんね、貴方」

 

 

 裏付けるのは、小さく綻ぶ彼女の頬。

 運転中だからか、流し目の様に投げられた視線が様になっていた。

 

 

「半分正解で、半分外れです。

 貴方の事を知っていたのは確かですが、貴方が思っているような事を聞くために近づいたんじゃありません。

 あ、車の調子が悪くなったのは本当に偶然ですよ?」

 

 

 流石にそこは疑ってませんから、大丈夫です。

 でも、外れているって言うのは?

 

 

「貴方のお姉さん“に”関係する事ではなくて、貴方のお姉さん“が”関係しているかも知れない、という事です」

 

 

 微妙な言い回しの違いだが、それの意味する所には違いが出る。

 つまり、姉が何らかの事件に関与していたり、行方不明は別の事件に繋がっている可能性がある、という事か。

 確かにオレの懸念とは少し違った。

 

 

「……このままだと脇見運転しちゃいそうですね。丁度お昼時ですし、食事でもどうですか? 奢りますよ」

 

 

 それは、願っても無い。

 金欠なんで、助かります。

 

 

「あ~……あまり高いのはやめて下さいね? 車のローンが結構キツくて……」

 

 

 ……左様ですか。

 

 前言を撤回しよう。

 公務員にとっても世知辛い世の中になっていたようだ。

 

 しばらくすると、道路沿いに適当なレストランを見つける。

 あまり繁盛していないのか、駐車場にはスムーズに車を置けた。

 二人連れ立って店内に入り、窓際の喫煙席へ腰を落ち着けて注文を終えると、彼女は姿勢を正す。

 

 

「では、改めて自己紹介を。あすなろ市の方で刑事をやっている、石島美佐子といいます。色々と回りくどい真似をして、申し訳ありませんでした」

 

 

 いえ、気にしないで下さい。

 チーズハンバーグ定食でお相子ですから。

 

 

「そう言って頂けると、助かります」

 

 

 あすなろ市――隣の県か。道理で署を出る時に『戻る』と言ったわけだ。

 姉の事件の応援……ではないな。この程度の事件で他県へ協力を仰ぐはずが無い。

 隣接している市ならまだしも、それなりに距離がある。

 

 で、何が知りたいんです。私がお話できる事なんて、高が知れていますが。

 それに、他県の警察の方がどうして五郷で捜査を?

 

 

「あ、違います。私がここに居るのはとても個人的な理由で、仕事じゃありません。

 ですので、法的な拘束力はありませんし、無理に答えていただかなくても、勿論、嘘をつかれても結構です」

 

 

 それは、私が平気で答えを誤魔化したり、嘘をつくような人間であると言いたいんですか。

 美人の割りに、意外と失礼ですね、刑事さん。

 

 

「……貴方の方こそ、普通にしていれば良い人そうなのに、本当に捻くれてますね?」

 

 

 すみません、育ちが悪いモンで。

 

 刺々しい言葉の応酬だが、オレ達の顔に浮かんでいるのは薄い笑みだ。

 挑発を兼ねた、嘘をつくつもりなんて無い、という宣言も通じたらしい。

 これに怒り出さないというのも評価できる。大抵は怒って恫喝してくるものだが……いや、これは悪癖だな。直さなければ。

 

 

「ではまず、確認をさせて下さい」

 

 

 ――と、内心で反省していたら、石島刑事はお冷で唇を湿らせ、こちらを真っ直ぐに見据えた。

 対してオレは、そんな視線を受け流すように体から力を抜く。

 

 

「二週間前、貴方の姉――千歳眞子さんとその夫は、娘であるゆまさんを貴方の家に預けて買い物に出かけ、そのまま消息を絶った。

 以降、携帯にも連絡が付かず、彼女達からの連絡も無い。……間違いありませんね?」

 

 

 ええ、そうですよ。

 より正確に言うなら、預けたんじゃなくて置き去りにした、が正しいと思いますけど。

 それに、買い物じゃなくてパチンコに行った、らしいですが。

 監視カメラに映像が残っていたみたいじゃないですか。

 

 

「……その様で。ともかく、彼等はその映像を最後に足取りが掴めなくなった。

 借金しながらの生活を苦に失踪したにしては、預金は残されたまま。

 家にも現金が残されていて、計画性は感じられず。県警は、何らかの事件に書き込まれた可能性もあるとして捜査を開始した」

 

 

 個人的には全く期待していませんけどね。

 見つかるなら見つかるで、死体になってくれていた方が有り難い。

 アパートも処分できますし。

 

 

「感心しませんよ、そんな言い方。血の繋がった姉弟で――」

 

 

 “あれ”を姉だと胸張って言える人間が、居ますかね。

 聞いているんでしょう、あの事も。

 

 

「……はい。事実、みたいですね」

 

 

 石島刑事は苦い顔で目を細める。

 オレの口の中にも、まだテーブルにないはずのブラックコーヒーの苦味が広がった。

 

 端的に言えば、姉は自分の娘を虐待していたのである。

 表沙汰にはなっていないが、日常的に繰り返されていたそれは、近隣住民にも通報させる程の苛烈な物であり、実の所、捜査が開始されたのはこちらが本命なのだと思っていた。

 昨今、こういった事件で死亡する子供は多い。

 しかもそれが何度も通報を受けていたにも関わらず起こったとなれば、警察のイメージダウンは避けられない。

 ……せめて、ゆまを心から心配してくれる人間が居てくれれば、良いのだが。

 それに、捜査対象はきっと、姉だけではない。

 

 私は、容疑者として疑われている、という事ですか。

 

 

「はい?」

 

 

 一番最初に姉を通報したのは私です。姉夫婦に脅されてそれを撤回してしまったのも、私。

 なんとか虐待を止めさせようとして、何かの弾みに殺してしまった……そう思われても不思議じゃない。

 実際、今日は事件の経過説明だったはずなのに、事情聴取を受けているような感覚を覚えましたからね。

 姉がアレですから、しょうがないとも思いますが。

 

 

「……私の口からは、なんとも。けど……」

 

 

 守秘義務でもあるのだろう。

 言いよどむ彼女は、しかし、視線を逸らさずに言葉を付け加える。

 

 

「私は、貴方がそんな事をするとは思っていませんよ。個人的な意見を言わせて貰うなら、千歳さん夫妻の失踪は事件性が高いと考えています」

 

 

 何故? はっきり言って、ゴミのような人間ですよ。

 発作的に何もかも投げ捨てて逃げ出すくらい、有り得そうですが。

 姉がこうなるまで興味すらありませんでしたが、行方不明者自体、年間で十万人近くも出るんです。

 一々事件として処理していたら、猫の手どころかネズミの手だって借りたくなるでしょうに。

 

 

「……そう、そうです。そうなんですよ」

 

 

 忌憚の無い意見をぶつけると、石島刑事は思いを馳せるようにしばらく目を閉じ、次にテーブルへ視線を落とす。

 

 

「多過ぎると思いませんか」

 

 

 ……何が。

 

 

「この国で――いいえ、この世界で行方不明を遂げる人間が、です。先ほど仰っていましたが、その十万人の内、所在が確認された数はご存知ですか」

 

 

 ……約、六万人程度。確かに少ない気もしますが、昔からこうみたいですし、世界的に見てもそれほど多い訳では。

 

 

「ええ。統計から見ればそう考えるのが普通でしょう。

 災害などで大幅に増えることはありますが、それがこの世界の妥当な数字。

 ですが、私はどうしても違和感を覚えるんです」

 

 

 違和感。

 そう言われても、調べられる限りではさっきの情報が全てなのだ。

 昔からこうだった。

 なら、それが“普通”であると考えるべき。そう思って、納得するしかないじゃないか。

 

 

「取り分け多いのが、原因や動機が不詳とされる行方不明者。去年は二十三パーセントを越えています。

 犯罪に巻き込まれ、そのままにされている可能性も捨て切れませんが、やはり、多い」

 

 

 姉も、そうだと仰る……。

 

 

「分かりません。でも、犯罪に巻き込まれただけとは思えないんですよ。あまりにも唐突な気がします。

 こう……神隠しにでも遭ったような……。得体の知れない“何か”の存在を感じるんです」

 

 

 神、隠し……。

 そう言えば……。

 

 

「……っ! 何か心当たりが!?」

 

 

 何とは無しの呟きに、どうしてか大きな反応を示す石島刑事。

 驚いたものの、オレは気を取り直して、違います、と前置く。

 

 昔の事を思い出しただけです。中学時代、同じクラスの女子が二人、忽然と姿を消した事があったな、と……。

 

 

「そうですか。やっぱり……」

 

 

 やっぱり? どういう事ですか?

 

 落胆したような声だったが、同時に確信を新たにしたようにも聞こえた。

 それを証明するのは、テーブルの上で握られた拳と、遥か遠くを見つめる瞳。

 

 

「私の友人も、中学の三年に上がった頃、行方不明になっているんです」

 

 

 貴方も……。

 もしかして、非番の日にわざわざこうしているのは……。

 

 

「はい。この街に来たのは、別件の捜査中、関係者として浮上した人物の近親者に、彼女と同じ名前の女性が居たからなんです。

 年齢は違いましたし、ただの同姓同名なのは分かっていても、確認せずにはいられなくて……。

 それでも諦め切れなかった私は、何か手掛かりをと、同期に無理を言って情報を貰って、お二人の行方不明を知ったんです」

 

 

 ガラスのコップを握り締め、彼女は悔しそうに眉間へ皺を寄せた。さっき言っていた個人的な理由とは、この事らしい。

 オレにとって、神隠しに合った少女二人は特に接点も無いただのクラスメイトであり、担任から行方不明になったと聞かされても現実感は乏しく、今の今まで忘れていた。

 薄情だと分かっているが、それが真実。誤魔化すつもりは無い。

 

 しかし石島刑事にとっては、その子はよほど大切な友人だった――いや、友人らしい。

 でなければ、事件から十年以上経っているだろう(あくまでオレ個人の見立てであり、実際に何歳かは知らん)今も、こうして探したりなんか出来ない。

 刑事になったのもこれが理由か?

 

 

「これはあすなろ市近辺での話ですが、この数ヶ月だけで行方不明者は数十人に上ります。

 中には、全く素行に問題の無い少女も多数含まれていて。

 まだ事件性があるとはいえない状態ですし、事実、彼女達に関係性は見出せません。ですが……」

 

 

 関係性が無いことそのものに、“何か”を感じる、と。

 

 

「……ええ。ただの勘、ですけれど」

 

 

 重々しい頷きが返り、会話が途切れる。

 いつの間にか、よくある駄目人間夫婦の失踪から大規模な集団失踪へと、話が大きくなってしまった。

 正直に言えば眉唾物だし、鼻で笑いたくなる話だが……。

 

 

「すみません、話が脱線してしまいましたね。こんな事だから、女の癖に、とかよく言われるのに。駄目ですね、私」

 

 

 ……たしかに、証拠に基づいて犯罪を暴くべき刑事が、勘に頼った上で神隠しとか、有り得ませんね。

 

 

「そう、ですよね。話を戻しましょうか。ええと、娘さんは――」

 

 

 ですが。

 

 

「――え?」

 

 

 どちらかと言えば、オレは、貴方の言う事を信じたい。

 最低の人間でも、あの子――ゆまにとっては唯一の肉親なんです。

 どんなに殴られても、蹴られても。タバコの火を押し付けられたって、「ママ」って呼んで離れなかった。

 それに捨てられたとあっちゃあ……悲し過ぎる。

 抗いようの無い“何か”の所為であった方が、まだ、あの子も救われるはずだ。

 

 

「………………」

 

 

 実の親に存在を否定されるよりは、マシなはず。

 ろくでもない人間で、現実には改心する余地が無くとも。

 生きていれば違ったかも知れないと夢想できる方が、幸せだ。

 そう思いながら、オレはお冷を一息に飲み干す。

 

 

「笑わないんですね。この話を聞くと、大抵の人は笑って否定するのに」

 

 

 どんなに荒唐無稽でも、貴方が心を砕いて導き出した結論なのは見て分かります。

 笑ったりなんか、出来ませんよ。

 

 自嘲する石島刑事は、無視できないほどの意気消沈ぶりだった。顔は笑っていても、瞳には明らかな憔悴の痕が見える。

 ……見覚えがあった。これは、疲れてしまっている眼だ。

 古い体制の残る警察内部では、未だ男尊女卑の傾向が強いらしい。

 彼女がどんな気苦労を背負っているのかは想像するしかないが、そんな中でこの結論に至り、それを拠り所にして行動するのは、痛みを伴ったことだろう。

 それに、彼女は真剣だ。真剣に事件へと向き合い、解決するための努力をしているように見える。

 敬意は払えても、馬鹿になんてしたくなかった。

 

 

「……十五年、経っているんです」

 

 

 すると、石島刑事は不意に緊張を解き、背もたれに寄りかかる。

 

 

「レミが行方不明になって、私だけが大人になって。

 でも、心の何処かが、あの時のまま止まっている。……取り残されている気がするんです。

 この気持ちはきっと、あの子を見つけるまで動かない。どんな結末だとしても、知らないままでは、本当の意味で先に進めない」

 

 

 何かを確かめるように胸元へ手を置き、また姿勢を正す。

 浮かぶ笑みには、先ほどまでとは違う気力が満ちていた。

 

 

「ご家族の方に安心して頂きたいのは勿論、これは私自身のためでもあるんです。

 身勝手と存じていますが、どうかお手伝いをさせて下さい。

 過去に決着をつけて、悔いなく前を向くために。

 きっとゆまさんも。少なからず、私と同じ想いを抱いているでしょうから」

 

 

 被害者のためだけじゃなくて、自分のためでもある、ですか。

 

 

「はい。むしろ、比重としては『私のため』の方が大きいかも知れませんけど。刑事失格ですね」

 

 

 いや、そんなことは無いんじゃないですか。

 ただの職業意識的な正義感よりは、よっぽど共感できる。

 オレ好みの答えです。

 

 

「それじゃあ……?」

 

 

 若干、眼を見開く彼女へ、強く頷き返す。

 警察官なんて本当はあまり信用したくないのだが、美辞麗句で固められることを馬鹿正直に語ってしまうこの人であれば、頼ってみても良いかも知れない。

 それで駄目だったのなら……オレの観察眼がその程度だったという事で、諦めるとしよう。

 

 不肖の姉ですが、どうか見つけてやって下さい。

 直接会って一発殴らないと、やっぱり気が済みませんしね。

 

 

「……はいっ。でも、殴るのは駄目ですよ? 暴行の現行犯で逮捕しなくちゃいけません。せめて私が見ていない所でお願いします」

 

 

 それで良いんですか、刑事さん?

 しかし、本当に大丈夫なんですかね。あすなろ市の警察官が他県で行動しても。

 管轄とか、結構うるさいって話に聞きますが。

 

 

「ええ、かなり。でも平気です。つい最近、大きな事件を解決したばかりで、そこそこ発言力は増しましたから」

 

 

 なるほど……。

 

 全ては計算尽く、という訳か。強かな人だ。

 まぁ、その方が頼もしい。

 

 

「お待たせ致しました~」

 

 

 ――と、タイミング良く注文した料理が運ばれて来る。

 オレの前にチーズハンバーグ定食、石島刑事の前にカルボナーラが置かれた。

 気が緩んだせいか、食事をしながらの会話は意外と弾み、それなりに楽しい時間を過ごす。

 

 そして、会計を済ませて自動ドアを出ると、唐突に《pipipi、pipipi……》と携帯の着信音。

 同じ着信音だったのか、二人揃って携帯を取り出してしまい、苦笑いしてしまった。

 確認すると、着信していたのはこちらの携帯だったので、早速それに対応する。

 

 ……もしもし。

 

 

『あ、どうも。わたし、ゆまさんの担任の……』

 

 

 ああ、衛藤先生ですか。どうも。……もしかして、また、ですか。

 

 

『はい……。困るんですよねぇ、こういうの』

 

 

 すみません。あの子もまだ不安定なものですから。

 ご迷惑をお掛けしますが、どうか長い眼で見てあげて下さい。

 お願いします。

 

 

『……そうですね。いや、失礼しました。では、五時間目がありますので、わたしはこれで。ゆまさんのこと、お願いします』

 

 

 はい。失礼します。

 

 通話を切り、はぁ、と溜息。

 石島刑事は黙って様子を伺っていたが、聞き辛そうにしていたので、こちらから事情を話す。

 

 学校からでした。ゆまが、居なくなったみたいです。

 

 

「え!? た、大変じゃありませんかっ! 早く署に連絡を……!」

 

 

 慌てて自分の携帯を弄りだす彼女を、大丈夫です、と宥める。

 

 あの子の行き先は分かってます。

 これで四度目ですから。

 

 

「……四度目?」

 

 

 ええ。申し訳ないんですが、こちらも目的地を変更させて貰えますか。

 出来れば、早いうちに迎えに行ってやりたいんで。

 

 

「勿論です。乗りかかった船ですから。お付き合いします」

 

 

 何かのマスコットらしいキーホルダーの付いた鍵を示し、石島刑事は笑顔を見せてくれた。

 その姿に頼もしさを新たにしながら、オレは車へと乗り込む。

 目的地は、ゆまにとって辛い思い出しかないであろう場所。

 

 ――千歳家だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 有り体に言えば、安っぽいアパートだった。

 誰もがテレビなどで見た事のある、適当なドアと格子の付いた窓。

 規則的に並んだそれ等のうち、『千歳』とネームプレートが掛けられた部屋の前に立つ。

 

 

「ここに、ゆまさんが?」

 

 

 背後から尋ねる石島さんに、振り向かないまま頷く。

 姉達が失踪してからというもの、ゆまは時折、勝手に学校を抜け出してはこの家に戻っているのだ。

 最初の一~二回は本当に驚き、警察にも連絡したりしたのだが、三度目からはそれもしていない。

 正直、理解できない気持ちがあった。

 この家はゆまにとって、長きに亘り苦しみを強いてきた拷問部屋のはず。それなのに、学校を抜け出してまで親の帰りを待つ。

 何故ここまで慕うことが出来るのか。全く、理解できなかった。

 

 ゆまちゃん。入るよ。

 

 そう告げて、ドアノブを回す。

 鍵は掛かっていなかった。

 

 

「私はここで。何かあったら呼んで下さい」

 

 

 気を遣ったのか、石島さんは部屋の中に立ち入ろうとはしなかった。

 有り難う御座います、と小さく返事をし、オレは部屋に上がりこむ。

 大して広くもない部屋を見渡せば、その小さな身体はすぐに見つかった。

 

 

「………………」

 

 

 二週間前と――オレの家の前で待っていた時と、同じ様に。

 カーテンが閉められている所為で薄暗い部屋の片隅に、体育座りで膝を抱え、ゆまは居た。

 投げ出された赤いランドセルを過ぎて、その右隣へ、無言で腰を下ろす。

 

 

「ねぇ、オジさん」

 

 

 しばらくすると、ゆまの方から話しかけて来た。

 

 

「たばこ、吸って」

 

 

 ……身体に毒だぞ。

 

 

「いい。ママと、おなじニオイだから」

 

 

 そう言う彼女は、こちらを見ようともしなかった。

 仕方なく、一本だけだからな、と火をつける。

 僅かに吸い込み、肺から紫煙を吐き出せば、周囲にタバコ特有の臭いが広がった。

 

 これを吸い終わったら、一緒に帰ろう。

 今日はもう、学校はいいから。

 

 

「……ゆまの家は、ここだもん」

 

 

 ただでさえ小さい体躯をより縮めるゆま。

 呟きには、意固地になっているような気配があった。

 どうしてここまで……。

 

 ゆまちゃん、君のお母さんは、いつ帰ってくるかまだ分からないんだ。だから――。

 

 

「『待ってろ』って、()ってた。だから、待ってないと怒られる……」

 

 

 ――っ。

 

 おそらくは、あの女が何気無く、厄介払いにでも放った言葉。

 それが捩れに捩れ、彼女の呪縛となっていたらしい。どおりで尋ねても理由を教えてくれなかった訳だ。

 話してくれたのは……右の指に挟まるコレのおかげか。

 一体、何処まで深く食い込んでいるんだ……っ。

 

 なぁ。君は本当に、また姉さんと――お母さんと会いたいのか。

 

 

「……え?」

 

 

 ようやく眼が合った。

 くりくりとした小さな瞳は、子供らしい愛くるしさと、その見た目にそぐわない暗さを宿す。

 

 お母さんが帰って来たとして、またあの生活に戻るんだぞ。

 意味も無く殴られて、蹴られて。後に残る傷を付けられる。本当にそれで良いのか。

 君が望んでくれるなら、おじさんの――いや、君のお爺ちゃんの所へ……。

 

 

「……でも、オジさんはゆまのこと、好きじゃない、でしょ?」

 

 

 そんな訳無いじゃないか。

 どうしてそんな風に……。

 

 

「だって、オジさん、笑わない。いっつもコワい顔、してるもん」

 

 

 ……笑わない?

 

 思わず、自分の顔を指でなぞる。

 冷水でも浴びせられた気分だった。

 いつもニュースばかりを見ていると思っていたのに、この子は、ちゃんとオレの事も見ていたのか。

 だが、違う。それは違う。

 

 確かに、そうだったかも知れない。でもそうじゃない。君の事を嫌いな訳じゃないんだよ。

 もっと別な理由があって――。

 

 

「でも、それもゆま達のせいなんでしょ」

 

 

 今度は、違うとは言えなかった。それは確かに、彼女達が俺にもたらした厄介事だったからだ。

 金銭的な問題。仕事への影響。ゆまの世話に使う時間。

 負担になっていないと言えば嘘になる。

 けれど、謂れの無い暴力に晒されていたこの子に、そんな事を言えるはずも無かった。

 

 

「ママも、そうなのかな」

 

 

 沈黙を肯定と受け取ったのか、ゆまはまた俯く。

 

 

「ママも、ゆまのこと好きじゃないから、帰ってこないの?

 パパが家に居ないのは、ゆまがカワいくないからだって、ママ、いつも()ってた。

 ……だから、捨てられたの?」

 

 

 凍えるような声だった。

 助けを求めているようにも聞こえた。

 しかし、それに答えられるだけの言葉が、オレの中には無く。

 ただ、彼女の小さな頭を、左腕に抱きかかえる。

 声とは裏腹に、寄りかかってくるその身体は、温かかった。

 

 

「オジさんの手、ゴツゴツしてるね」

 

 

 ああ、痛かったか。

 

 

「んーん。かたいけど、あたま撫でてくれるから、好き」

 

 

 ……そうか。

 

 出来うる限り優しく、絹糸のような髪を撫でる。

 石島さんの言った通り、この子の心は止まっているのだろう。

 姉がボヤいていたような我侭なんて言わずに、オレの言ったことは良く聞き分け、全く子供らしくなかったゆま。

 確かに肉体的な傷は癒された。だが、その心はどうだ。

 こんな形で放り出されて、平静で居られる訳が無い。表に出せなかっただけで、この小さな体の中に、色々な感情を抱え込んでしまっている。

 

 変わらずに送れる日常の中で――いいや、むしろ平穏にすらなったはずの生活の中で、徐々に徐々に固まっていく、透明な氷。

 それはゆっくりと大きくなって、本来の子供らしさを閉じ込める。

 ……ああ、そうだ。今さら気付いた。

 オレも、この子が笑っている所を見たことが、無い。

 

 何、してんだろうな。オレは……。

 

 

「……オジさん?」

 

 

 唐突に感じた苦味への呟きに、ゆまが不安そうな顔を上げた。

 誤魔化すために煙を吸い込み、吐き出すそれが直接掛からないよう、そっぽを向く。

 

 ゆまちゃん。お爺ちゃんの事は、好きか?

 

 

「おじいちゃん? うん、好き。でも、なんで?」

 

 

 もし仮に――例えば、お母さんが何時まで経っても帰って来てくれなかったら。

 君は多分、お爺ちゃん達と一緒に暮らすことになる。だから聞いておきたかったんだ。

 

 

「おじいちゃん、と……」

 

 

 おそらく、これが一番妥当な選択肢だ。

 娘を虐待していた女の弟よりは、遠く離れて暮らしている祖父母の方が、真っ当に育て上げることが出来るだろう。

 何度も電話を掛けて来てくれたようだし、会った事は無いが、あの人達になら――

 

 

「でもそれじゃ、オジさんが一人になっちゃう。さみしく、ないの?」

 

 

 ――と、そう思っていたら、ゆまはこちらの太ももに手を置き、覗き込むようにして言った。

 まさか、この子はオレの事を心配しているのか? 嬉しくはあるが、正直、余計なお世話だ。

 

 オレは長い事、一人で暮らしてきた。

 幼い頃に両親が離婚し、母は女手一つでオレと姉を育ててくれた。

 けれど、その母も病で呆気無く他界。それからは、歳の離れた姉が母親代わりとなって世話をしてくれて。

 そんな姉に負担をかけまいと、早々に手に職を付け、家を出た。

 

 しばらくは連絡を取り合い、直接会ってもいたが、段々と足は遠退いて、気付けば十年以上。

 子連れになった姉が偶然この街に越して来た時なんて、本当に驚き、喜んだ。だが、その十年の間に姉は変わり果てていて……。

 こんな事なら、再会なんてしない方が良かった。知らなければ、他人事で居られた。

 だから、一人の方がよっぽど気が楽だ。そのせいで何が起きようが与り知らぬ事。どうでもいい。

 

 ……しかし。

 オレの口は、ピクリとも動かなかった。

 寂しくなんてない。

 この一言が。たった一言が、胸から出て行かない。

 

 

「それに、おじいちゃん達のことは好きだけど、ゆま、ここがいい。しらないとこ行くの、コワいよ」

 

 

 その間も、ゆまの言葉は続く。

 良く考えれば、不安になるのも当然だ。

 住み慣れた街を離れるというのは、大人であっても大変な労力を費やす。

 なのに、支えとなるべき両親は行方知れずのまま。……本当に支えてくれるとは思っていないが。

 生活環境を無闇に変えるのも、教育には良くないのだろう、きっと。

 

 ゆまちゃんは、寂しいのは嫌か。

 

 

「……っ」

 

 

 無言の頷き。

 小さな手が、太ももの上できゅっと握られる。

 

 そう、だよなぁ。あんなのでも、親、だもんなぁ……。

 

 

「……オジさんは、ママのことキライなの?」

 

 

 姉さんの事? ……そう、だな。おじさんは――。

 

 問われて真っ先に浮かぶ感情は、ネガティブな物ばかりだ。

 変わってしまった事への失望。変わるのを止められなかった悲しみ。あまりにも身勝手な行動への呆れ。

 それ等を統合して生まれる怒り。憎いと言って良いのかも知れない。

 

 だが、ゆまと話していて思い出した事もあった。

 母が死んでから、親代わりをしてくれた姉。あの頃、姉は優しかった。確かに優しかったのだ。

 母の残してくれた遺産は僅かで、父親には一切連絡が付かず。

 高校を卒業して間も無い女の子が、中学生になったばかりの弟の世話をするのは、どれほど苦労しただろう。

 随分と迷惑を掛けた気がする。色んな事を押し付けてしまっていた気がする。

 それに気づいたのは、姉が疲れ切った目を隠し、強がって笑うようになったからで。

 だからオレは、独り立ちを選んだ。

 

 けれど、今となってはそれも後悔しか呼び起こさない。

 家を出たりなんかしなければ良かった。姉の側に居て、二人で苦労して行けば良かった。

 そうすれば、いつか夢で見た、あの優しい笑顔を、失くさないで居てくれたかも知れないのに。

 姉の事は間違い無く嫌いだ。

 しかし、今の姉を嫌いに慣れるくらいには。

 

 ――好きだった。大好きだったんだよ。眞子(ねぇ)の事。

 

 

「……そっか」

 

 

 今更な懺悔に、どうしてだか、ゆまは安心したような声。

 そしてそのまま、こちらにもたれ掛かってくる。

 

 

「ゆまはね、分かんなくなっちゃった。

 いつもイタイことするのに、ときどき、優しくあたまをワシワシしてくれて。

 けど、またすぐにイタイことされて、いらないって()われて……。

 ほんとはママ達といっしょにいるの、ヤだった。でも、一人ぼっちは――さみしいのは、もっと、ヤで……」

 

 

 微かな震えが、伝わって来ていた。

 オレは、その頭に軽く手を乗せながら、静かに呟く。

 

 なら、一緒だな。おじさんと。

 

 

「……いっしょ、なの?」

 

 

 おじさんはずっと一人で暮らしてた。だけど、本当は一人になんてなりたくなかったんだ。

 でも、そうしなきゃいけないって我慢している内に、何も感じなくなった。

 それが君と――ゆまちゃんと出会ってから。変わったんだ。

 

 

「変わった……?」

 

 

 ああ。

 

 見上げる瞳へ、確かに頷く。

 姉の元を離れて一年近くは、一人暮しの忙しさに眼を回すだけだった。

 それに慣れてからしばらく、開放感に酔いしれ。また時間が経つと、孤独感に苛まれるようになった。

 だが、良くも悪くも人は慣れる。

 家事と仕事に追われるだけのルーチンを繰り返す内に、何も気にならなくなった。

 どうして働きたかったのかも、何時の間にか、すっかり忘れて。

 

 そんな日々に一石を投じたのは、やはりこの子なのだ。

 無感動に送っていた変化の無い日々を壊され、俺は戸惑っていたのだと思う。

 久しぶりに呼び起こされた暗い感情を、持て余していたのだと思う。

 しかし、それがどんなに辛くても、無感動よりはマシだ。

 一切心を動かさず、生きる目的を見失って尚、惰性で呼吸をし続けるよりは。

 苦しんで、悲しんで、怒って。何かを感じ、心を砕く方が、余程。

 

 振り返ってみて、確信する。

 ゆまが居てくれなければ、手遅れになっていた。

 延々と続く平坦な人生に、心を壊死させていた、と。

 だから――

 

 ゆまちゃんのおかげで、おじさんは寂しくなかった。怖い顔してるように見えただろうけど、本当は違ったんだ。

 ……さっきも言ったけど、いつか、君はお爺ちゃんの所へ行かなくちゃいけなくなると思う。きっと、偉い人からそう言われる。

 でも、それまでの間は。その日が来るまでは、おじさんと一緒に居てくれないか。

 

 

「………………」

 

 

 ――だから、これはオレ自身のためだ。

 無償の好意なんかではなく、オレがオレで居る為に、この子が必要なのだ。

 それがたまたま、彼女にとっても救いになれば、それに越した事は無いけれど。

 

 

「オジさんは、さみしんぼさん?」

 

 

 ……はは。そうだよ?

 

 小首をかしげながら可愛く例えられて、つい苦笑いが零れる。

 何だか照れ臭くもあり、ちょっと雑にゆまの頭をガシガシすれば、「わ」と声を上げて彼女も笑ってくれた。

 可愛らしく、笑ってくれた。

 

 一緒に、帰ろう。

 

 

「うん」

 

 

 携帯灰皿にタバコを捨て、立ち上がる。

 右手には、彼女の真っ赤なランドセル。左手には、包んで隠してしまえる小さな手。

 改めて握り直すと、離さないと言わんばかりに力が返る。

 この日、オレはようやく向き合えた気がした。

 ただ一緒に居るだけの他人ではなく、共に暮らす、血の繋がった家族として。

 姉が産んでくれた可愛い姪っ子と、向き合えた気がした。

 

 帰って来たなら、姉とも思いっきりぶつかってみよう。

 そう簡単にあの性格は直らないと思うけれど。

 悪い方向へ変わってしまえたのなら、もう一度、良い方向へだって変われるはずなのだから。

 

 

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