※この作品はR-18です。

魔法少女まどか☆マギカR‐18   作:七音

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 前日譚 巴マミ

 

 

 夕暮れ時。かつては逢魔ヶ時とも呼ばれていた時間帯。

 赤く染まる街並みの中を一人、家路に着いていた。今日に限って友人達は全員先約があり、一人では寄り道する気にもなれず、黙々と脚を動かす。

 場所は既に、住宅街に入っている。周囲には同じ制服を着た学生達の姿がちらほらと見受けられた。

 彼等の姿を横目に自分は、今日の夕飯は何かな、などと適当な事を考えていた。

 

 そんな中、ふと気付くと、見覚えの無い四つ辻に立っていた。

 適当に歩いている内に、道を逸れてしまったのだろうか。それにしたって、こんなに狭い路地がこの近辺に在っただろうか……?

 頭を捻っていると、不意に、背後に気配を感じた。

 何の気なしに振り返ってみても、そこには何の変哲も無い道が広がっている。

 

 気のせいかと思い、早く家に帰ろうと歩を進める。だが、しばらくすると、再び見知らぬ四つ辻に出くわす。

 ――違う。よくよく見れば、覚えがあった。

 ここは、ついさっき自分が通り過ぎたはずの道だ。マンホールの蓋に奇妙な絵柄が刻まれていたので、それが印象に残っていた。

 それが今、なぜか目の前にある。

 

 再び、背後に気配。

 だが、振り向いてもそこには何もない。

 

 心臓が早鐘を打ち始めた。

 歩くスピードを速め、先程と同じように真っ直ぐ進む。

 また、マンホール。

 背後に気配。

 

 振り向かずに、今度は右に曲がる。しばらく進むと、今度は目の前にマンホールは無かった。

 ほっと一息ついて辺りを見回し、息を呑む。

 左の道に、奇妙な絵柄が落ちていた。

 

 背後に気配はしなかった。

 代わりに、小さな音。

 

 

『――――――ペタ』

 

 

 恐怖に駆られ、走り出す。

 何度も、何度も。適当に道を曲がっては、四つ辻に出くわす。

 手の平に汗が滲む。緊張と恐怖から、喉がカラカラに渇く。

 それでも、速度を緩める気にはれなかった。

 

 ふと突然、地面が軟らかくなったような感触がして、たたらを踏みそうになる。通り過ぎ様に見たそこには、あの奇妙なマンホールがあった。

 それでも走り続けながら周りを見渡すと、それが切っ掛けだったのか、道がどんどん変化していった。

 やがて、それは周囲の景色にも及び始め、統一感の無い――いや、逆に、何かに“統一されてしまった”ような、尋常ならざる世界へと姿を変えていく。

 

 本能が、激しく警鐘を鳴らす。

 

 逃げろ。

 ここから逃げろ。

 考えている暇なんて無い。

 脇目も振らずに駆け抜けろ。

 

 肺が悲鳴を上げ、脚が疲労でどんどん重たくなっていく。

 それなりに体は鍛えていた方だから、普通の不審者相手ならもう逃げ切っていても良いはず。

 

 

『――――ペタ――』

 

 

 だが、背後に感じる気配は、距離が開くどころか、まるでにじり寄る様に迫りつつあった。

 周囲の風景は、既に常識外の物へと変貌を遂げていた。

 どこにも焦点を合わせる事の出来ない、ピントのずれた風景からは、まるで、子供が虫を解体して遊んでいる時のような甲高い笑い声が響く。いっそ無邪気にすら感じるその声が、心を切り刻む。

 いつの間にか、日は暮れていて。

 中空には、街灯と思しき光が、ぼんやりと漂っていた。柱なんて、どこにも見当たらないのに。

 

 

『――ペタ――――』

 

 

 うるさい程の笑い声の中でも、その音はハッキリと耳に届いた。

 耐えられなくなり、一体何なのかを確かめようと振り向いてみると、丁度、暗がりから何かが顔を出す。

 

 それは確かに、人の形に見えたが。

 それには、顔が無かった。

 否、顔どころか、人として必要な部分の尽くが欠損し、尚且つ、人ではありえない配色をしていた。

 

 出来損ないの球体間接人形――そんな表現がピッタリだった。それなのに、時折痙攣する様な人間くさいその動きが、より異常さを際立たせる。

 背筋の、腰の上辺りに、冷たい物が降りる感じがした。

 足がもつれて、強かに顔を地面に打ち付ける。

 痛みに呻き、それでも逃げ続けようと必死に顔を上げると――

 

 

『ペタ――――――』

 

 

 ――目の前に、無貌の面が在った。

 

 息が止まる。

 悲鳴を上げられない。

 目を離す事が出来ない。

 身震いすら出来ない。

 

 停止した思考の中に、一つだけ浮かんだのは。

 

 

 “死”と言う言葉だった。

 

 

 

 

 

「――――――ティロ・フィナーレ!!」

 

 

 

 

 

 なにか、耳に綺麗な音が聞こえた気がした、その瞬間。

 黄金色の糸によって宙へと絡め取られ、重い砲撃音と共に、“死”が消し飛んでいく。

 

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

 

 それが、自分に掛けられた言葉だという事に気付かぬまま、ただ反射的に、綺麗な音のする方へと顔を向ける。

 

 

 

 

 

「お怪我は有りませんか? もう、安心で――」

 

 ……天使?

 

「――え………………えっ!?」

 

 

 

 

 

 視線の先には、白銀の銃を胸に抱えて慌てる、美しい天使が立っていた。

 

 これが、自分と巴マミとの、出会いの顛末である。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「へぇ~、そんな事があったんですかぁ」

 

「くぅ~、マミさん、スゴイなぁ。かっこよすぎですよっ!」

 

「も、もうその辺にして? あんまり褒められると、恥ずかしいわ……」

 

 

 ガラスで出来た三角形のテーブルを囲みながら、対面に座る後輩二人が、目をキラキラさせている。

 その視線を受けて、巴さんは照れ隠しをするように紅茶へ口をつけた。窓から差し込む夕暮れの光に照らされて、その横顔はとても魅力的に見えた。

 ここは、巴さんの自宅――自分にとっては、ご近所さんの家となる。

 テーブルの上には、彼女の淹れてくれた紅茶と美味しそうなパウンドケーキ。

 そして、一際場違いなタッパーが一つ置かれていた。中身は、自分が親に頼まれてお裾分けしに来た筑前煮である。

 

 ……ホントに、場違いにも程がある。

 

 自分は今、自分よりも先にお邪魔していた少女二人――ホントについ先程、巴さんに助けられたという後輩達に、彼女との関係を説明するため、その出会いを語っていた。

 勿論、天使うんぬんは恥ずかしいので省いたが。

 

 

「そっか~。てっきり、マミさんの彼氏かと思ったんだけどなぁ~、あたし」

 

 

 ショートカットの後輩――美樹さんが、腕組みをしながら言う。

 その言葉に内心ちょっと嬉しくなったのも束の間――

 

 

「もう、からかわないで? 魔法少女にはそんな事してる暇なんてないのよ? 見回りとかもしなくちゃいけないから、デートなんかも出来ないしね……」

 

 

 ――ハッキリと否定する巴さんの言葉に、心が抉られる。

 もう何度か聴いた言葉だったが、こうもスッキリキッパリ言い切られると、脈が無いと言われてるみたいで辛い。

 

 あの日から、ずっと。

 何かにつけて、彼女の事が気になり始めて、彼女が学校でも有名な『高嶺の花』である事を知って。

 助けてもらったお礼だと理由をつけて、色々と接点を持とうとしたが、やっぱり身の程知らずな恋なのだろうか。

 何も出来ない、キュウべえとやらの姿すら見えない一般人が魔法少女に恋をしても、叶わぬ夢なのだろうか。

 しかし、優しく後輩に語り掛けるその横顔を見るだけで、どうしようもなく胸は高鳴る。

 そんな諦め切れない想いを胸に仕舞う為、誰にも気づかれないように、小さく溜息をついた。

 

 

「……ふむ……」

 

「あれ? どうかしたの、さやかちゃん?」

 

「え、いやいや、なんでもないから、気にしないで?」

 

「……? うん……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後。

 自分は、いつものようにおかずをお裾分けするため、巴さんの家のドアの前に、十分程前から仁王立ちをしていた。

 何でそんな事になっているのかといえば、未だにインターホンを押すのに緊張するからである。

 母親に片思いをしている事を知られたのが運の尽きだった。巴さんの家の事情を知った事もあり、恋の応援も兼ねて、こうしてちょくちょくおかずを持たされては訪ねているのだが、どうにも馴れない。

 だが、いつまでもこうしていたら確実に不審者扱いされてしまう。さっさとおかずを渡して、家に帰ろう。

 そう考え、震える指をボタンに伸ばした瞬間――

 

 

《ズガンッ!!》

 

 がふっ!?

 

「……あら? ……え、あっ!? ご、ごめんなさいっ!!」

 

 

 ――内側からドアが開かれ、顔面を打ち付けられた。

 結構勢いがあったためか、だいぶ痛い。

 

 

「ほ、本当にごめんなさいっ、まさか居るとは思ってなくて……」

 

 

 鼻を押さえて屈んでいると、巴さんが心配そうにそれを覗き込む。

 安心させたくて、大丈夫……だから……と言いながら体を起こすが、同時に、鼻の穴から何かが垂れる感覚が。

 

 

「ああぁっ、血が……っ、直ぐに手当てするから、中に入って!!」

 

 

 鼻血くらい大した事は無いのだが、慌てた彼女に手を掴まれ、部屋へと引っ張り込まれる。

 その手の柔らかさにドキッとしてしまい、為されるがまま、巴さんの家に上がってしまった。

 

 

「そこに座っていて? すぐティッシュ持ってくるからっ」

 

 

 ソファに連れて行かれて、言われるがままに腰を下ろすと、彼女はすぐさまティッシュの箱を持ってきて、それを使って優しく顔を拭い始める。

 流石に恥ずかしくて、自分で出来るから、と止めようとしたが、巴さんは気にも留めなかった。

 

 

「いいから、じっとして? ……う~ん、魔法使ったのが早い、か」

 

 

 言うが早いか、彼女の手の平に光が生まれる。眩しさが収まると、そこには小さなオレンジ色の宝石の様な物が出現していた。

 やんわりと放たれる暖かな光に触れれば、ジンジンと熱を持っていた鼻の痛みが、スッと引いていく。

 

 

「これでよし。……どう?」

 

 

 言われて、自分の鼻を確かめてみる。

 ついさっき強打したのが嘘のように、痛みは消えていた。鼻血も止まっている。

 大丈夫そうだ、と巴さんに声を掛けると、彼女は安心したような笑みを浮かべた。

 

 

「よかった……。本当にごめんなさい。ちょっと出かける用事があったものだから。……そういえば、アナタは? 何か御用事?」

 

 

 それを聞いて思い出し、小脇に抱えたままだった包みを渡す。

 

 いつものおかずだけど、迷惑じゃなければ……。

 

 

「あ……。いつも、ありがとう。小母様にも、迷惑かけちゃって……」

 

 

 そう言って恐縮し始める巴さんに、自分は慌てて声を掛ける。

 

 これは母の趣味みたいなものだし、むしろ、受け取って貰えた方のが助かる、かな。

 でないと、無理やり自分が食べさせられる事になるし……。

 

 

「ふふっ、ありがとう。小母様の料理、美味しいもの。嬉しいわ」

 

 

 それを聞くと、彼女は再び微笑みを返してくれる。

 その柔らかい笑顔をずっと見ていたかったが、巴さんはふと何かに気付き、立ち上がる。

 

 

「ごめんなさい、本当なら、お詫びにお茶でも淹れたいんだけど、待ち合わせがあって……」

 

 

 ……待ち合わせ?

 い、一体誰と……。

 

 まさか男かと思い、ついうっかり聞いてしまったが、彼女は特に気にした様子も無くそれに答える。

 

 

「美樹さんと鹿目さんよ。今、魔法少女のお仕事を見学してもらってるの。

 契約するしないは別にしても、魔法少女がやるべき事は、知っておいて貰った方が良いと思って」

 

 

 彼女の言葉を聞いて、自分の考えが杞憂であると知り、ほっと息をつく。

 

 なんだ……さやか達か……。

 それなら安心だ……。

 

 思わずそう口に出すと、巴さんは意外な反応を示す。

 

 

「さや、か? ……随分と、仲良しになったのね……?」

 

 

 彼女はそう言って微笑んでいる。

 だが、なぜかその姿に、威圧感のような物が感じられて、すんごく怖い。

 

 あれ? 何この反応? ……でもこれって、もしかして嫉妬してくれてる……?

 

 だとしたらとても嬉しいのだけど、流石に、そう呼ぶようになった経緯を説明するわけには行かない。

 そんな事したら、出会った当日に巴さんの事が好きなのがさやかにバレて、その縁で、彼女に色々と恋愛相談に乗ってもらっている事が知られてしまう。

 実際、話していても楽しいし、気の合う男友達のような感覚で名前で呼ぶようになったのだが、まさかこんな事になるとは……。

 仕方なく、まぁ色々あって、なんて適当な言い訳をすると、彼女は今までに見た事の無い、なんとも言えない表情を見せた。

 

 

「そう、なんだ……。あ、えっと、悪いんだけど、そろそろ……」

 

 

 しかし、その表情は瞬く間に消えてしまい、それを取り繕うようにして、巴さんは時計を見やる。

 流石にその意図には気付き、頷きながら立ち上がって玄関へと向かう。彼女も包みを解いてタッパーを冷蔵庫に仕舞った後、同じく玄関へ。

 そのまま一緒に玄関を出て、鍵を閉める巴さんを見守る。

 

 

「……えっと、それじゃ、私、行くから……」

 

 

 そう言って、こちらに背を向ける彼女。

 少し迷ったが、無言で見送るのもあれだと思い、いってらっしゃい、と声を掛けた。

 

 

「……!」

 

 

 すると、巴さんは何故か驚いた顔で振り返った後、その表情を照れているような笑顔に変え、挨拶を返してくれたのだった。

 

 

「い、行って来ます……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 巴さんが嫉妬(?)してくれた日から、更に数日。

 自分は今、巴さんの家で小さなクッションに座り、彼女の淹れてくれる紅茶を待っている。この間のお詫びにと、今日はお茶会に誘われたのだ。

 今までにも何度かお邪魔した事はあったが、先の一件もあって、殊更緊張してしまっている。

 

 好意的に受け取れば、嫉妬してくれたという事になり、まだ脈があるという事に繋がる。

 だが、悪く取れば、出会ってすぐの後輩を名前で呼ぶ馴れ馴れしい男、と思われたのかもしれない。

 自分でも極端な考えだというのは分かるのだが、男女交際に興味が無いと、常々宣言している巴さん相手だ。

 油断はしない方が良い、という事にする。

 

 

「お待たせ。今日は、アッサムのストレートにしてみたの。シュークリームと一緒にどうぞ」

 

 

 そんな事を考えているうちに、巴さんがテーブルの上に、ティーカップと、大きめのシュークリームが乗ったお皿を並べてくれる。

 辺りに漂う紅茶の香りが、鼻をくすぐった。

 待ちきれなくなり、頂きます、と声を掛けてから、紅茶を一口。瞬間、芳しい香りが鼻を通り抜ける。

 

 やっぱり、美味しい。

 ティーバッグや、ペットボトルで売っている物とは、全然違う。

 

 素直に感想を伝えると、彼女は嬉しそうに微笑む。

 

 

「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいわ。シュークリームも食べてみて? きっと気に入るから」

 

 

 言われるがまま、カップを一旦置いて、シュークリームをかじる。勧めるだけあって、やはりこちらも美味しい。

 特に、シューが柔らかいタイプじゃなくて、サクサクなのが自分好みだ。

 ……そう言えば、前に来た時にそんな話をしたような気がする。もしかして、覚えていてくれたのだろうか。

 尋ねてみると、巴さんは笑顔のまま頷く。

 

 

「勿論、大事なお友達の好みだもの。しっかり覚えてるわ」

 

 

 ……そっかぁ……嬉しいなぁ……。

 

 友達。友達って言われた。まだそういう位置づけだって、分かっちゃいたけどやっぱり寂しい……。

 まぁ、学校でも高嶺の花扱いで、男友達なんてまるで居ない彼女が、こうしてハッキリ友達だといってくれるだけでも、前進してると思おう。

 そうでもしないと心が折れそうだ。

 

 

「……そ、それでね? ……その、特に、意味は無いんだけど……。わ、私の事も――」

 

《PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi》

 

 

 ――と、巴さんが何かを言い掛けた時、携帯の着信音が響く。

 ごめん、と謝りながらそれを確かめれば、発信者の欄には『美樹さやか』の名前があった。

 不思議に思い、なんとなくその名を呟いてしまう。

 

 

「……美樹、さん?」

 

 

 幾分、温度が下がったように感じるその声に顔を上げると、巴さんはまた“あの”表情を浮かべていた。

 

 

《PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi》

 

「……出ないの?」

 

 

 ……出ても、良いんでしょうか?

 

 

「ええ、どうぞ? ……私の事なら、気にしないで?」

 

 

 彼女は、微笑を浮かべながらそう言う。

 とても綺麗だと思うのに、なぜに自分の口元は引きつっているのだろうか。

 しかし、出ないわけにも行かないので、震える指で通話ボタンを押す。

 

 

『あ、先輩!? もう、出るの遅いぃっ!!』

 

 

 耳元で、さやかの声が響く。

 それに謝りながらも、手早く済ませようと用件を尋ねる。

 

 

『っと、そうだったっ。あのねっ、今、まどかと一緒に病院に居るんだけど、グリーフシードが孵化し《ブツッ ツー、ツー、ツー》』

 

 

 突然、通話が途切れた。

 切れる直前に聞こえた不穏な言葉に戦慄し、慌ててリダイヤルするが――

 

 

『お掛けになった電話は、電波の届かない所に在るか、電源が……』

 

 

 ――ついさっき通話できたばかりだというのに、それは繋がらなくなっていた。

 先程とは別の理由で、指が震え始める。

 

 

「……どうしたの? 何か、あった?」

 

 

 それに気付いたのか、巴さんが心配そうに声を掛けてくる。

 彼女の声にはっとし、慌てて、今聞いた内容を伝えた。

 すると表情は一変。瞬く間に、凛々しい魔法少女としての顔が表れる。

 

 

「グリーフシードが、病院に……? マズいわ、すぐに向かわないと……!!」

 

 

 立ち上がり、玄関に向かう巴さん。

 その背中を追いながら、多分、その病院は見滝原中央病院だ、と告げる。少し前に、よく友人の見舞いに行くのだと、さやかから聞いた事があった。

 彼女はしっかりと頷き返し、玄関の扉を開けてその身を光に包む。

 

 

「……それじゃ、行って来ますっ」

 

 

 変身を終えた巴さんは、空中に身を躍らせた。

 その背に、気をつけてっ、と声を掛けはしたが……。それしか出来ない自分が、情けなかった。

 悔しさに歯噛みしながら、空を舞う彼女の姿を目で追い続け――

 

 

 

 

 

 ……あ、白……。

 

 

 

 

 

 ――飛び込んできた魅惑の三角地帯に、釘付けになってしまった。

 ……ってバカッ!! 何考えてんだよこの非常時にっ!? これから巴さんは命がけで戦うんだぞ!? それなのに、この大バカッ!!

 

 マンションの手すりに頭を打ちつけて必死に忘れようとしたが、先程見えた白い布地は、全然脳裏から消えてくれなかった。

 ……そういえば、家もどうしよう。彼女は鍵も掛けずに助けに行ってしまった。

 家捜しして鍵を見つけるなんて論外だし、鍵を開けっ放しで帰るわけにも行かないし。失礼かもしれないけど、中で待たせてもらうしかないだろうか……?

 巴さんが姿を消した方角を見つめ、しばらく考えた後。結局、中で待たせてもらう事にして、もう一度家へと入っていく。

 

 見ちゃった事は、後で何度でも謝るから。

 だからどうか、どうか、無事で……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 現実を刳り貫いて作られた、異空間。

 尋常でない形に歪められた命の跋扈するそこに、今、銃撃の二重奏が響いていた。

 

 

「待ちなさい、巴マミ! その魔女は私が――くっ!」

 

 

 硝煙の匂いを漂わせるのは、白と黒色系統で纏められた防護服に身を包む、暁美ほむら。

 彼女は眼前に躍り出た使い魔を、毎分九百発の銃弾の雨で反射的に四散させる。

 《ミニUZI》――イスラエルで開発され、小型化されたサブマシンガンのフルオート射撃は、大の男でも制御の難しい反動をもたらすが――

 

 

「邪魔よ……!」

 

 

 ――彼女はそれを片手で押さえ込む上、逆の手には、ショットガンである《レミントンM870》まで構えられていた。

 それを左手で一発。再装填の時間を惜しみ、SMGを投げ捨てて右持ちにスイッチ。

 ポンプしながら更に三発。放たれる1/12ポンドの鉛玉は、硬い外皮を持たない使い魔を効果的に引き裂いていく。

 魔力で補強された肉体と、幾たびも繰り返した時間の中での戦闘経験が、小柄な少女にアクション映画さながらの豪快な射撃を可能とさせていた。

 が、いとも容易く敵をあしらうその顔には、焦りの色が浮かんでいる。

 

 

(どうするの、このままじゃ……!)

 

 

 このままでは、“また” 繰り返されてしまう。

 その事実が、どうしようもなく焦らせる。

 しかも――

 

 

「す、すっご……何、転校生って、こんなに強かったの……?」

 

「二人とも、格好良い……!」

 

 

 ――先んじて、結界に潜り込んだのが仇となった。

 華麗な銃撃戦に見惚れる、美樹さやかと鹿目まどか。

 ほむらはこの二人から離れられない。離れようものなら、使い魔に抵抗する術を持たぬ彼女達は、瞬く間にその餌食となるだろう。

 

 予定としては、一人結界に残っているはずのさやかを護り、孵化した魔女を即行で狩るはずだったのだ。

 しかし、実際に囚われていたのは二人。マミも想定していたより遥かに早く結界深部に到達した。おまけに、魔女の孵化まで前倒し。

 まどかを護るために咄嗟に飛び出してからは、済し崩しでほむらが二人の護衛、マミが魔女と対峙する事になってしまった。

 妙なところで物分りが良いベテランにも困ってしまう。

 

 

「――ふっ!」

 

 

 その困り者は、ほむらと違い、硝煙を身に纏ってはいなかった。代わりに漂うのは、金色に似た色の、魔力の残滓。

 彼女の使用する武器も、また銃――古式ゆかしいライフルド・マスケット。

 それは、後天的に習得した魔法によって作り上げられる、魔法銃であった。

 幾つものマスケットが腕の一振りで生まれ、放たれる魔力弾は致命の一撃。

 少女の細腕に指揮される古銃の騎兵達が、次々に雄叫びを上げ、留まる事無く使い魔を食い破っていく。

 

 

「――はぁ!」

 

 

 くるくる、廻る。

 

 マスケット銃での射撃。

 それで終わらずストックを使った殴打に繋げ、遠心力を加算して使い魔を薙ぎ倒す。

 役目を終えた銃は魔力へと霧散し、その隙にまた使い魔が殺到。

 迎え撃つのは、同じ大きさの黄金以上に価値を秘めた美脚による蹴打。

 ついでに、周囲へ突き立てた予備のマスケットも掬い、またも放たれる弾丸が使い魔を塵に還す。

 

 優雅に、華麗に、鮮烈に。

 巴マミは、魔弾と踊る。

 

 

「さて、と。せっかくのとこ悪いけど」

 

「……っ! 待って! そいつは……!!」

 

 

 使い魔をあらかた一掃し、結界の主である魔女を前に、マミが発した言葉。それを耳にし、ほむらは戦慄する。

 何度か聴いた覚えがあり、そして、絶望に散る兆しの台詞。

 彼の魔女の特性――まるで脱皮するかのように拘束をすり抜けられる事を、彼女は知らない。そのせいで、マミは幾度もほむらの前で命を落としたのだ。

 ならば、せめて情報だけでも――

 

 

「一気に決めさせて貰うわよっ!!」

 

 

 ――と、声を上げようとした時には、遅かった。

 マミは魔女の座る椅子の足をストックで叩き折り、落ちて来た小さな体を、そのままクルリと踊ってフルスイング。

 次いで、宙を舞う標的を四連の一斉射撃(ティロ・ボレー)が追い、風穴を開ける。

 落下地点には既にマミが待ち構えており、仕上げの準備に更に一発。魔力の弾丸は、彼女の祈りを象徴するリボンへと変化し、魔女を空へと吊り上げる。

 それを見送りながら、マミは手に持つマスケットへ更なる魔力を流し込み、砲台へと変化させた。

 

 

「ダメッ! そいつに大技はっ!?」

 

「安心して暁美さん。外したりなんかしないわ……。一発で仕留めてみせるっ!」

 

「違うのっ! その魔女は――」

 

「ティロ・フィナーレッ!!」

 

 

 懇願にも似た叫びは、しかし、彼女に届かず。

 一つたりとも同じ世界は無かったというのに、悲劇だけが、録画されているように繰り返される。

 

 砲撃音。

 

 体を貫かれ、砲弾と化したリボンに封じ込まれるはずだった魔女。

 だが、それは唐突に口をリスの如く膨らませ――

 

 

「……え?」

 

 

 ――内側から、全く別の存在が姿を現す。

 数十メートルはあった距離を一瞬で詰める長躯の持ち主は、まるでピエロのように笑みを浮かべて見えた。

 口元が開く。

 覗くのは、カミソリに似た鋭利さを持つ、全く光沢の無い牙。

 

 

(……あ、私、死ぬんだ)

 

 

 意外なほど冷静に、マミは自分の置かれた状況を把握していた。

 高威力砲撃の反動で、身動きは取れない。

 この距離では、ほむらも助けに入ることは叶わないだろう。

 間違いなく、死ぬ。

 

 

(鹿目さん達に、格好良い所、見せたかったんだけどな)

 

 

 スローモーションになる世界の中、ジワジワと迫る死の顎を見つめながら、彼女は想いを馳せる。

 自らの人生に。

 その想い出に。

 

 真っ先に浮かんだのは、マミに憧れているのだと言ってくれた、可愛らしい後輩達。

 こんな光景を見てしまって、泣いてしまわないだろうか。

 心に傷を負わないだろうか。

 友達には、なれたのだろうか。……分からない。

 

 それに、先ほどから声を張り上げてくれていた、もう一人の魔法少女。

 理由は分からないけれど、あの子はこの事を予測していたから、あんな風に。

 意地を張らないで、もっと素直に忠告を聞き入れていれば良かった。

 そうすれば、こんな所で――

 

 

(……でも、別に、いっか)

 

 

 ――死ぬのも、いいかも知れない。

 仲間が出来たところで、またいつか、 “あんな事” になるかも知れない。

 それに、生きていたところで何があるというのか。

 誰も待っていない家に帰って、返事の返らない「ただいま」を言って、一人でご飯を食べて、一人で戦って、一人で怪我をして、一人で眠る。

 そんな、空虚な繰り返し。

 

 

(私に出来るのは、それだけ。ずっと一人ぼっちで、誰にも知られず、誰にも認められず。ずっと、一人で。だったら……)

 

 

 ここで終わっても、お父さんとお母さんに会えるなら、別に――

 

 

 

 

 

『気をつけてっ』

 

 

 

 

 

 ――嫌だ。

 

 

(……あ……)

 

 

 不意に、沸き上がる感情。

 思い出してしまった、背中を押す声。

 制御されない奔流が、マミの心をかき乱す。

 

 

(……死にたく、ない)

 

 

 彼は、帰らない私を心配するだろうか。

 

 

(……死にたくない)

 

 

 彼は、私の死を悼んでくれるだろうか。

 

 

(死にたくない)

 

 

 彼の泣き顔は、なんだか、嫌だ。

 

 

(死にたくない!)

 

 

 溢れ出たそれは、一瞬にして、マミに様々な想いを自覚させた。

 魔法少女になった時の、最初の気持ち。

 救えなかった命の分まで生きるという誓い。

 自分の帰りを待ってくれているかも知れない、一人のクラスメイトへの、淡い想い。

 

 死にたくない。

 まだ、生きていたい。

 まだ、彼に言えていないことがある。返事を聞いていないことがある。

 やってみたい事だって、まだ、沢山。

 まだ、まだ、まだ――!

 

 

 

 

 

《ガチン》

 

 

 

 

 

 ――けれど。

 時は無常に針を進めて。

 刃の噛み合う音が響いた。

 

 

 

 

 

「――え?」

 

 

 まだ生きていると気付けたのは、襟元の後ろを引っ張られ、強かに打ちつけた臀部の痛みのおかげだった。

 

 

「……っ、ふぅ、間に合った……」

 

「暁、美、さん……?」

 

「マミさんっ! よ、良かったぁ……!」

 

「だ、大丈夫ですかっ!? だいじょぶですよねっ? マミさぁんっ!?」

 

 

 一度、大きく息をつき、ふぁさ、と長い髪をかき上げるほむら。

 念のため、マミの必殺技に合わせて固有魔法を――時間停止を準備していたおかげで、間一髪、命を拾うことが出来た。

 でなければ今頃、帽子に飾られたソウルジェムごとパクリといかれていただろう。

 しかし、安心している暇も無い。

 茫然とするマミへ駆け寄るまどか、さやかを背に、ほむらは一歩前に進み出た。

 

 

「巴マミ。貴方の魔法とあの魔女の特性とは相性が悪すぎる。私が相手をするわ。貴方は、彼女達を守って」

 

「……あ。え、えぇ、分か、った、わ」

 

 

 我に帰ったマミは、動揺を無理やり押さえ込み、立ち上がる。

 膝が震えている。鼓動も早く、冷や汗も止まらない。

 だが、まだ戦いは続いているのだ。今は、余計な事を考えている暇は無い。この二人を護ることに集中しなければ。

 そう判断してからの彼女は見違えた。

 リボンで守護領域を形成し、未だ何処からとも無く生まれ出でる使い魔に視線を配り、接近すら許さない。

 いつも通りの、経験豊富なベテラン魔法少女の姿。

 

 

「……マミ、さん……?」

 

 

 だから、気付かない。気付いても、何も言えない。

 瞬く間に消えてしまった危うい色を、見間違いだと思わせるほど、マミは、強がりが得意だったから。

 自分に嘘をつけるほどに、得意だったから。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 気がついた時、マミは一人に戻っていた。

 時間停止を駆使し、魔女を手玉に取るほむらは――その能力を知らないマミからすれば、瞬間移動でもしているかのような一方的な戦いを終えた後、グリーフシードも回収せずに立ち去ってしまった。

 背中に向けて感謝の言葉を投げたものの、彼女は一瞬振り返っただけ。

 その後は、マミの事を心配し続ける後輩達を家に送り届け、また、一人の家路。

 

 

(私、何してるんだろう)

 

 

 ぼんやりと、そんな事を考える。

 自分を慕ってくれる後輩を助けるため、勢い込んで結界に飛び込んだというのに、この体たらく。逆に心配までかけてしまった。

 それに、暁美ほむら。

 あれほど明確に――敵対しているといっても過言ではなかったというのに、彼女は助けてくれた。

 去り際に向けられた視線に篭もっていたのは……安堵? 不安? ……それとも。

 

 

(……分からない)

 

 

 彼女の目的、彼女の能力、彼女の祈り。

 分からない事だらけ。

 ほむらの事だけではない。マミは、自分自身の事も分からなくなり始めていた。

 

 

(あの時、私は何を考えていたの)

 

 

 魔女の大口に捉えられそうになった、正にその瞬間、マミの思考は死に逃げた。

 戦いの運命から開放される事を、両親が居る永久の畔に向かう事を、望んでしまった。

 なんて、情けないのだろう。

 

 

(そんなのダメよ。私は、誓ったんだから)

 

 

 そう、誓ったはずなのだ。

 救えなかった命に。この手をすり抜けてしまった、掛け替えの無い人達に。

 強くなると。

 もう二度と、あんな悲しみを、誰かに味わわせてなるものか、と。

 なのに――

 

 

「……っ」

 

 

 思い出すだけで、体が震える。恐怖に身を裂かれ、脚が竦む。

 怖くて、怖くて、仕方ない。

 戦いたくなんて無い。今すぐ何処かへ逃げてしまいたい。

 後輩達の前では強がって居られたのに、一人になってしまえばこれだ。

 これが、本当のマミ。本当の、自分。

 

 

(それでも、戦わなくちゃ……。私には、これしか無いんだもの)

 

 

 ――他の生き方なんて、知らないんだもの。

 

 自らの体を抱き締め、マミは空を見上げる。

 太陽の赤を、夜の帳が覆い隠そうとしていた。

 昇り始めた月が、滲む。

 

 

「……さて、と。夕飯、作らなくちゃ」

 

 

 言葉に出す事で、彼女は込み上げそうになった物を振り払う。

 いつの間にか、自宅の前にまで戻って来ていた。

 ドアの横にある窓からは、他の家とは違い、明かりが漏れたりしていない。

 

 

(やっぱり、帰っちゃったよね)

 

 

 なんて事は無い。

 いつも通り。

 ただ、暗い部屋に帰るだけ。

 なのに、何故だろう。

 

 

(あぁ……)

 

 

 温もりが、恋しい。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ガチャリ、と言う音に、落ちかけていた意識が覚醒する。いつの間にか、ソファで舟を漕いでいたようだ。

 部屋に差し込む光も、すっかり暗くなってしまっている。

 緊張感がなさ過ぎな気もするけれど、部屋全体になんとも言えない良い匂いが漂っていて、妙にリラックス出来てしまったのだ。仕方ない。

 そんな言い訳染みた事を考えつつ、慌てて立ち上がり玄関の方へと向かえば、制服姿に戻った巴さんが立っていた。

 

 

「……え? どうして……」

 

 

 驚いた表情を見せる、普段通りの姿に心底ほっとし、自然と微笑みながら、お帰り、と声を掛ける。

 

 

「あ………………た、ただいま」

 

 

 出迎えの言葉に、巴さんは戸惑いの表情を見せたが、やがて、はにかむようにして言葉を返してくれた。

 その笑顔に見蕩れていたい気もしたが、事態の推移も気になり、矢継ぎ早に問いかける。

 さやか達は無事だった? 怪我はない? と。

 だが、その質問をした途端、彼女の表情は曇り始めた。

 

 

「……えぇ、無事よ。ちょっと、手こずったけど……。暁美さんが、助けてくれたから……」

 

 

 暁美――確か、キュウべえを攻撃してきた、転校生の魔法少女だったか……。

 正直、目に見えないキュウべえがどうこうされたって、自分は気にもならないが、巴さんが酷く怒っていたのを覚えている。

 しかし、個人的にはむしろ、まどかちゃんに執着しているような様子の方がよっぽど気になるのだが……。

 

 

「……ねぇ……?」

 

 

 考え込んでいると、不意に巴さんが話しかけてくる。

 その顔には、読み取りづらい、いくつもの感情が混ざり合ったような、複雑な表情が浮かんでいた。

 

 

「そんなに、心配だった? ……美樹さんの事」

 

 

 彼女の問いかけに首を捻りながらも、そりゃまぁ……と答える。

 可愛い後輩達が命の危険に晒されていたのだから、心配するのは当然だ。

 まぁ、その何割かは、相談相手が居なくなると困るからという打算が無かったわけではないが。

 

 

「……そっか……。じゃあ、私の事は……?」

 

 

 ……え?

 

 再びの問い掛けに、なんだか妙なものを感じて、思わず聞き返してしまう。

 

 

「私の事は、どうなの……? 二番目くらいには、心配してくれてる……?」

 

 

 巴さんの口から出る言葉に、流石に様子がおかしいと感じ、更に聞き返す。

 

 あ、の。どうかした?

 

 

「……答えて、くれないの……?」

 

 

 彼女の手が、制服を掴む。

 突然近くなった距離に緊張が走り、言葉が詰まる。

 

 

「………………」

 

 

 その間も、巴さんはこちらを見つめ続けていた。

 上目遣いの視線に、胸の鼓動が早くなる。そのせいもあってか、思考が全然まとまってくれない。

 

 なんなんだこの状況? なんでこんな事になってるんだ?

 嬉しいけど、これからどうすれば良い? あれか、ガバッと行って良いのかこれは。

 いやいやいやまずいだろそんな事したら只の変態だろ………………誰か助けてぇ!?

 

 

「……そっか……言えないんだ……」

 

 

 脳内で悲鳴を上げていると、服を掴んでいた手が解かれ、彼女は背を向けた。

 緊張が溜息と共に出て行くが、それよりも、背を向けてしまった巴さんが気になり、後姿に問いかける。

 

 ……巴、さん? 一体、どうし――。

 

 

「もう、いいの」

 

 

 こちらの言葉を遮るように、巴さんがそう呟いた時。

 目の前に光が溢れ。

 次の瞬間には、視界が暗闇に染まった。

 

 

 

 

 

「……やっと、気付けたのに……盗られるくらいなら……いっそ……」

 

 

 

 

 

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