うぉおぁあああっ!!!!!! マミるぅぅううぅうぅううぅうううっ!!!!!!
「きゃあっ!?」
襲い掛かる“何か”の恐怖に、思わず身体が跳ね起きた。
ぜい、ぜい、と息を吐きながら自分を確かめれば、全くもって無傷。痛みも感じない。
――っはぁあああぁぁぁ……。ゆ、夢、かぁ……。
溜め息をつくと、同時に全身の緊張も飛んでいき、ベッドへ倒れこむ。
……あれ。なんだこのフカフカ感。俺ん家のはもっと硬いのに。
「び、吃驚しました……。先生、驚かさないで下さい……」
声のした方へ顔を向けると、そこには織莉子ちゃんが居た。
手にはタオルが握られていて、上半身だけがベッドの上に見えている。
すぐ側にへたり込んでいるらしい。
あれ? ここって……。
「はい、私の家です。目を覚ましてくれて良かった……。ご気分はいかがですか?」
よくよく辺りを見れば、憶えはあるが馴染みのない部屋。
時間は、たぶん夜。証明は点いていないが、月明かりが十分に室内を照らす。
どうやら、本当に美国邸の一室に居るようだった。なんでこんな所に……。
「……あの、どうですか? 気分が悪いとか、痛む所とかは……?」
あ、平気、だと思う。
なんでここに居るのかは覚えてないけど。
こう答えると、彼女は大きく胸を撫で下ろし、安心した表情を浮かべた。
「そうですか、良かった……。ところで先生、マミる、ってなんですか? 意味がよく……」
いや、俺にも分かんない。
口をついたって言うか、そう言わなきゃいけない気がして。
……にしても、変な夢だったな……。
「夢、ですか」
問い返す織莉子ちゃんへ頷き、俺は夢の中の出来事を語る。
帰りの道すがら、裏路地に入り込む少女を見かけたこと。
注意しようとして追いかけたら、変な迷路に迷い込んでしまったこと。
そして、その先には怪物と戦う魔法少女――キリカが居たこと。
以降は……何故か思い出せないのだが、随分とおかしな夢を見たものだ。よりにもよってキリカが魔法少女なん……? なんで俺、名前で……。
「……先生。そのこと、なんですが」
妙なことに気付いて考え込みそうになったのだが、それを織莉子ちゃんが呼び戻す。
見れば彼女は、とても深刻な顔付きでベッドに腰掛けていた。
「夢じゃ、ありません。先生が見た光景は、全て現実に起きた出来事。そして、私の祈りで“否定”した事柄です」
思わず、は? と眉をひそめる。
現実に起きた……って、どういう事だ。あんなの、実際に起きるはずが無いのに。
別世界に迷い込んだような迷路。悪魔の如き怪物。魔法少女。どれも空想の産物としか……。
夢でなければいけないんだ。そうじゃなきゃ俺は――――――なんだっていうんだ?
自分で自分の考えていることが引っかかる。
触れてはいけないものに掠めた、ゾクリ、とする感覚。
でも、それの正体を知ってしまったら――“思い出して”しまったら、俺は……?
「キリカ、居るんでしょう。さぁ、入って」
俺の様子に気付いていないのか、織莉子ちゃんはドアの向こうへ呼びかける。
しばらくして、おずおずと木製のそれが開く。
「……し、失礼、します……。あ、の……先生く――」
少女の姿が目に入った瞬間。
襲い来る牙を幻視した。
うぁぁあああっ!! あ、うぁ!?
「――あ」
ベッドから転げ落ち、後ろに這いずって逃げる。
思い出した。思い出してしまった。
肉を裂かれる痛み。骨が砕ける音。失われていく体温。心臓が止まる瞬間。
俺は、殺されたんだ。アイツに――呉キリカに、殺された……!
全身を恐怖が支配する。手足は震え、呼吸は速く、浅い。
数メートル離れた場所で唖然と立ち竦む少女が、ただただ、怖かった。
「……っ、やっぱりワタシは……っ」
「待ちなさいキリカ!」
くしゃり、顔を歪ませて部屋を飛び出そうとする彼女を、織莉子ちゃんが引き止める。
叱咤する声に跳ねた少女は、一歩を踏み出したポーズで釘付けに。
「言ったはずよ。貴方がした事から逃げるのは許さない。……貴方の、気持ちからも」
「……だ、だけど、だけど!」
「大丈夫、少し混乱しただけ。今度はきっと大丈夫だから。先生なら、きっと。さあ」
泣く子をあやすように、優しく背を撫でる織莉子ちゃん。
その手に導かれて、また彼女が歩み寄る。
こちらを見つめる瞳はまるで、家路からはぐれてしまった迷い子。もしくは、捨てられて雨に濡れる子犬のよう。
しかし、そんな弱弱しい彼女が持つ凶器によって、俺は命を落としたのだ。安心なんて出来るはずも無い。
けれど、もう一方の視線に込められるのは、切なる願い。
――キリカから、逃げないで。
こう叫ぶ、篤い瞳。曲がりなりにも恋人だ。そのくらいは分かる。
怖い。怖い。怖い。怖いけど、でも。
織莉子ちゃんに失望されるのは、それ以上に嫌だった。
たとえ恐怖に負けても……弱い俺であっても、あの子は許してくれるだろう。仕方ない、と。
けど、俺が許せない。
ここで臆病に負けて、織莉子ちゃんに悲しい思いさせてしまったら、俺は一生、自分を許せなくなる気がした。
『恐怖は命の大切な友人だが、心にとっては、常に打ち克つべき仇敵だ』
ギュッと目をつむる。
硬く握り締めていたシーツを強引に引き剥がし、よろめきながら立ち上がる。
ゆるい眩暈。
石のように重い足を引きずり、弾けそうな心臓を押さえて、一歩、また一歩。
「………………」
手の届く距離まで来た。
少女の身体は震えている。俺と、同じ。
瞳が怯えに染まっている。これも、たぶん同じ。
カラカラの喉に唾を流し、覚悟を決めて。
恐る恐る手を伸ばし――
「……ふひぇ?」
――ほっぺたを抓る。
「う……ぃ……」
抓る。
「い、ぎ、ぎ……」
「……あ、あの、先生?」
ただひたすらに、抓り続ける。
「――ったいよ!! 何するのさ!?」
やがて、我慢できなくなった少女が振りほどき、ほっぺたを擦ってこちらを睨む。
知っている。
この表情を。仕草を。声を。ちゃんと覚えていた。
キリ――呉、だよな。
「それ以外の何に見えるって言うんだよ! 伸びちゃうかと思ったじゃないか……」
ぶつくさ文句を言う呉。
若干――いや、大分しおらしいのは全然違うけど、あの仮面は剥がれていた。
まだ身体の芯に震えは残っているが、それをあえて無視し、俺は質問をぶつける。
一体、何があったんだ? あれからどのくらい経った?
あの迷路は、魔女は、魔法少女って何だ?
「ちょ、ちょっと待って、いきなり質問責めしないでよ、お、織莉子ぉ」
「ええと……。どう説明したものかしら……」
途中で気が昂ってきたのか、詰め寄る感じになってしまい、呉が織莉子ちゃんに助けを求める。
彼女も同じく、困った顔で頬に手を当て、すがる視線を窓際に投げた。
つい、とそれを追いかければ――
「僕に助けを求められても困るよ。彼には僕の声はおろか、姿だって見えないんだから。説明のしようが無い」
――白い小動物が、人語を解していた。
赤い瞳と、驚愕が重なる。
「……ん、あれ。もしかして、僕の事が見えてぷぎゅるっっっ」
うわスゲェなんだこの生き物。触り心地が織莉子ちゃんのおっぱいそっくりだ!
窓へ駆け寄り、グワシ、と小動物を捕まえる。
ぐにゅりぐにゅり、簡単に指がめり込むその感触は、正しく、間違いなく、まごうことなき、おっぱいだった。
「あ゛、あの、やめて、潰れる、中身が……っ」
んーむ、いや違うな。
織莉子ちゃんのおっぱいはもっと弾力があって、今にも破裂しそうな……。
「わ、私の胸の事はいいですからっ。離してあげて下さい先生っ」
「しろまるの感触は織莉子のおっぱいだったのか……。そうと知っていれば、もっと抱き締めたり顔を埋めたりしたのに……」
織莉子ちゃんの「可哀相ですから」という声に、俺は渋々、小動物を開放。
ベッドへ逃れたソイツは、「酷い目に遭った……」なんてボヤいていた。
「まぁ、原因の推測はつくし、見えているなら話は早い。
僕の名前はキュゥべえ。世に不幸をもたらす魔女を狩る、魔法少女の契約を行う者さ。
そして、そこに居る二人――呉キリカと美国織莉子が、その魔法少女なんだよ」
言われて振り返る。
織莉子ちゃんは楚々と。
呉は……とても苦々しい顔をして立っていた。
「あの日、君に起きた出来事を簡単に説明するとだね。
魔法による精神汚染を受けたキリカによって、君は殺害された。
その事実を“否定”するために、織莉子は僕と契約し、魔法少女になったんだ」
“否定”するため……?
「そうだよ。契約を結ぶ際、僕はその代償として、どんな願い事でも一つだけ叶えてあげられるんだ。
織莉子はその願いを、君が死んだという事実の“否定”として祈ったんだ」
はぁ……。
説明を受けても、いまいち状況がつかめない。
とりあえず理解できたのは、魔法少女という物が実在し、それが生まれる際、願いが一つ叶うこと。
俺は一度殺されて、それを織莉子ちゃんが生き返らせてくれたこと。
最後に、あの事態は呉が望んで引き起こしたわけじゃなさそう、ということだ。
……やっぱ駄目だ。イマイチ納得できない。
「実際に見てもらった方が良さそうだね。今の君であれば、例外として関わる事も出来る」
頭を抱えていたら、小動物――キュゥべえがベッドの上を歩み寄る。
ちょこちょこ動く可愛らしい仕草に引き寄せられ、俺も腰を下ろす。
すると彼(?)はこちらを真っ直ぐに見つめ――
「行くよ。気をしっかり持ってね」
――瞬間、真っ赤な双輪が意識を襲う。
視界は揺らぎ、方向感覚も失われ、世界が原初の混沌へ。
唯一、聴覚だけが耳障りな高音を捉えていて、《パシン》という音と共に、それが止む。
視点が定まり、ついさっきまで居た室内とは違う場所、違う光景が目に映った。
『――あ』
『しっかりしてキリカ! 一体何があったの!?』
裏路地。
俺は二人の少女を見上げている。
見覚えのある男の前でへたり込む呉と、その頬を張った織莉子ちゃんを。
「これは僕の視覚と聴覚の情報だよ。慣れないかもしれないけど、すぐに終わるから我慢して」
『織莉子……? なん、で……?』
『キュゥべえが知らせてくれたの、先生が危ないって……。あぁ、そんな、脚が……先生……あぁぁ……っ』
副音声の様にキュゥべえの声が重なる。まるでテレビでも見させられている感じだった。
茫然とする呉を置き、織莉子ちゃんは男の――俺の身体を横たえ、ハンカチを裂いて目立つ裂傷に巻きつける。
その後、折れ曲がった脚を近くに落ちていた鉄パイプで添え木し、今度は髪を結うリボンで固定。
呼吸の有無を確認して、人工呼吸を始めた。
『しろ、まる……。なんで……』
『織莉子の事かい。数日前から、魔法少女にならないかって話しかけていたんだよ。まともに相手をして貰えなかったけど。
それで、彼女がどんなことに興味を示しているのかを観察していたら、恋人である彼が結界に不正規侵入させられているのを見かけてね。……でも、どうやら遅かったみたいだ』
『遅かっただなんて言わないで! キリカッ!』
酷く冷静なキュゥべえの言葉に、織莉子ちゃんが激昂。
スカートのポケットを探り、呉に向かって携帯を放り投げる。
『奈々瀬さんへ連絡して! あの人なら五分で来てくれるわ!』
『……え……で、も』
『いいから早くっ!』
怒鳴りつける声に、しかし呉は動けない。
のろのろした動作でボタンを幾度か操作するが、途中で諦めたように止まってしまう。
『ダメだ、よ……。もう、先生、君は……』
『そんなこと無いわ!! お願い、息をして……! んっ』
絶望の泥に首まで浸かったような呉。
対して、織莉子ちゃんはそれを必死に否定しながら唇を重ねる。
胸の辺りが数回上下し、次に全体重をかけた心臓マッサージ。
『織莉子。残念だけど、出血がひど過ぎる。彼はもう』
『いいえ、いいえっ! まだなんとかなる! キリカ、早くしなさい!!』
『あ、うっ』
懸命にあがく彼女は、普段の余裕を捨てて呉に檄を飛ばす。
反射的にボタンを押せたらしく、ワンコールの発信音。
微かな声が聞こえたが、答えるものはその場に居なかった。
『お願い、動いて、動いて……動いて、よぉ……』
大きな涙をポロポロ零し、縋るように胸骨を押し下げる。
けれども、俺の心臓は一向に動かないらしく――
『はぁ……ん、む……ふうぅ……うぅ、っく……うあぁああぁあっ!!!!!!』
――遂には、慟哭が響いた。
血に汚れるのも省みず、織莉子ちゃんは大切なモノを抱えて泣きじゃくる。
『どうして、どうして、こんな……。なんで先生が……こんな目に、ぃ……』
悲愴。
それ以外に表現しようがない、悲劇の一幕。
目を覆いたくなる光景に、しかし、キュゥべえは瞬き一つせず。
無理やり見せつけられる、愛しい人の悲しむ姿。
叫びだしそうになった時、不意に視界が動いた。
『この打撲傷に隠れた裂傷……見覚えがある。
どれも致命傷には至っていない物ばかりだけど、この鋭利な切り口は僕の知る魔法による攻撃と、とてもよく似ている。
まさか、君がやったのかい、キリカ』
『……え』
『あ――』
ビクン、大きく身体が跳ねる。
成り行きを見守っていた呉は、唐突に舞台へ引っ張り挙げられ、またも呆けるばかり。
『どういう、事なの、キュゥべえ。……キリカ?』
『あ――ぁ――う、ぁ――』
呉の顔が青くなっていく。
ナイフを突きつけられたみたいにガクガク震え、僅かに首を横へ振る。
けれど、瞳の奥に見える怯えは、それが否定ではないと示して。
『やはり、間違いない。彼の身体には君の魔力残滓が残っている。状況から判断して、彼が死ぬ原因を作ったのは、キリカだ』
全く感情の篭もらない――冷徹とすら思えない機械音声が、咎を刺した。
『………………うそ、よ、ね。ね、キリカ?』
織莉子ちゃんが問いかける。反射的に、意味の半分も理解できていない顔で。
だが、呉は何も言わない。震えるだけで、何も言えない。赤子のように手足を縮め、自分を守ることしか出来ない。
それが紛れも無い事実だから。
常に不敵な笑みを浮かべていた彼女を、こんな風にしてしまうくらい、人を殺したという事実は――俺の死は、重かったのだろうか。
『うそよ』
微笑み。
とても美しい代わりに、見た者の心すらを切り刻む、自傷の笑み。
抱えた頭に頬擦りし、乾いたはずの血液が、雫で再び粘度を取り戻す。
『こんなの、嘘よ。嘘に決まっているわ。ええそうよ。嘘、嘘、嘘、うそ、うそ、ウソ――』
狂気が連鎖する。
心を閉ざしても防ぎ切れない、魂の軋む音。
もう見たくないのに、目を閉じられない。聞きたくないのに、耳を塞げない。叫んでいるのに、声が出ない。
悲しみに喘ぐ恋人を前にしながら、慰める事も出来ないなんて。
こんなの、拷問だ……っ。
『――ない』
そんな時、堂々巡りを繰り返す狂ったオルゴールが、変調を来たした。
哀悼に暮れるだけの声が、重く、暗く――
『認めない、みとめない、ミトメナイッ!! こんな結末、私は、認めないっ!! キュゥべえぇええ!!!!!!』
――激しく、金切り声を上げる。
生まれて初めて見る、強く愛するが故の激情。
ほつれた髪を振り乱し、血と涙でそれを顔に貼り付けながら、彼女は叫ぶ。
『今日、この場で起きたことを無かった事に――先生が死ななかった事にしてぇぇえええっ!!!!!!』
白く染まる世界。
奏でられる高周波。
無機質な、『それが君の願いだね』、という言葉。
織莉子ちゃんの苦しむような声が聞こえた気がして、存在しない手を伸ばし――
「先生っ!? 大丈夫ですかっ? 先生っ!」
――身を案ずる温かさに、金縛りは解けた。
何度も大きな呼吸を繰り返し、痛む心臓を落ち着かせる。
っは、ぁ、はぁ、はぁ……な、何……?
「キュゥべえと視線を合わせた途端、急に微動だにしなくなったものですから……。数秒でしたけど、呼吸まで止まって……。一体何をしたの!?」
「怒ること無いじゃないか。信じて貰うために僕の記憶を転写しただけだよ。手間が省けたじゃないか」
……あんなものを見せておいて、“だけ”と来たか……。
たった一言で、俺のキュゥべえに対する認識は固まった。
コイツは、他人を全く考慮していない。出来るだろうに、無駄だからしないんだ。常に自分の目的だけを優先して行動している。
相容れないように感じた。
「こんなに汗が……。今、拭きますから」
そして、優しく汗を拭ってくれる優しい少女が、空々しい。
献身的に尽くしてくれる一方、あれ程までの狂気を孕むことが出来る。
人の深淵を覗き込んだ気分だ。
けれど――
「あっ」
――それら全部をひっくるめて、彼女を抱き締める。
すると何もかもが吹き飛んで、ただ愛しさだけが胸に残った。
あぁ、大切な人を抱き締められる。
吐息を、体温を、鼓動を肌で感じられることの、なんという嬉しさ。
生きている事の、素晴らしさ。
……ごめんな、織莉子。あんな想いをさせて。
「っ! ……先、生……せんせ、ぇ……」
首筋に、温かく伝うもの。
こちらの背中に腕が回り、心の針を合わせるように、きつく、きつく抱き合う。
ずっとこうしていたい。
もう一度死ぬまで、決して離れたくなかった。
しかし、いつまでも感傷に浸っている訳にもいかない。まだ確認したい事がたくさん残っている。
どう、なったんだ? あの後……。
「……すん。一触即発、でした。私は正気を失っていて、いつ魔法でキリカを攻撃してもおかしくありませんでした」
「ワタシとしては、あの場で殺されても良かったんだけどね。しろまるが間に入ったんだ。ワタシにも魔法が掛けられた痕跡がある、って」
「その直後、この家の侍従――奈々瀬七里だったね。彼女が駆けつけて、織莉子とキリカ、そして君を回収。
周囲の洗浄を他の侍従に指示し、今日に至っている。時間的には、あれから三日ほど経過しているよ」
そう、なのか……。
俺は織莉子ちゃ――の、願いで生き返った。けど、普通の状態じゃなくなってる。
キュゥべえが見えているってのは、そういう事なんだって考えて良いんだよな。
最初、お前は僕が見えているのかって聞いた。つまり、見えるはずが無いって事だろう?
「その通り。記憶力は良いようだね。
僕の姿が見えるのは、魔法少女になる素質を持った少女か、僕が認可した者だけだ。
こうなってしまった原因はおそらく、織莉子。君にある」
「私に……?」
キュゥべえの言に、織莉子……なんか違和感があるな。でも慣れなきゃ。
とにかく、彼女は涙を拭う。
「死者の蘇生自体、珍しい願いではない。むしろ、魔法少女の歴史の中で数多祈られてきた、ポピュラーな願いだ。
けれど、極稀に――万に一つの可能性で、魂が魔法少女のソウルジェムとリンクし、魔力が流れこむ事例があるんだよ」
ソウルジェム?
「契約を行うことで生じる、魔法の源さ。
普通は契約した本人しか魔力は引き出せないんだけど、今の君なら、練習すれば魔力を引き出せるようになるだろう。
こういった能力を得た人物は、人の歴史にも数人だけ記録されている。例えば、マグダレーナとその夫とかね」
「マグダレーナ……。まさか、マグダラのマリアですか? あの復活の奇蹟は、魔法少女の祈りによってもたらされた、と?」
「……そう言えば、先生君も三日眠ってた、よね」
驚愕の事実に、キュゥべえは「そうだよ」なんて事も無げに返し、俺達は顔を見合わせた。
復活の奇蹟。彼の救世主は、ゴルゴダの丘で処刑され、三日後に息を吹き返したという。
それと同じことが俺にも起こったというのか……?
「あまりに例が少なくて、根本的な理由はまだ解明できていないんだけどね。
とりあえず、恋愛関係やそれに類する、深い精神的なつながりを持つ男女の間でしか発生していないのは確かだよ」
はぁ……。いや、でもなぁ。
石をパンに変えられても、俺はご飯派だし、水をワインに変えられてもまだ法的に飲めないし。
そんな能力が使えるようになっても嬉しくないんだけど。
「……ふふ。先生ったら、もう。でも、何だか安心です」
「うん。先生君はどこまでいっても先生君だ。心からホッとするよ」
二人とも、それ褒めてないよな? 遠回しに馬鹿にしてるよな?
腕の中と、少し離れて立つ少女達が笑い、釣られて俺も。久しぶりに笑った気がする。
キュゥべえは「彼にそんな技能あったかな……」と悩んでいるが、ようやく元の関係へ戻りかけた雰囲気に、肩の力が抜けた。
まぁ、俺の事はもういいや。とにかく生きてるんだし。
呉だって、魔女とか、他の魔法少女に操られてただけなんだろう?
そうじゃなきゃあんなこと言わないもんな。だったら――。
「それは違うよ。ワタシは操られていた訳じゃない」
しかし、柔らかくなりかけていた顔を冷やし固め、呉が言う。
操られてなかった? でも、キュゥべえは魔法による精神汚染がどうのって……。
「確かにあの時、ワタシは魔法の影響下にあったと思う。
でも、あの行動を引き起こした原因は――君への殺意は、元々“ここ”にあったんだよ。
自分の事だから、間違えようが無い。ワタシは君を妬み、心を濁らせ……その隙を突かれたんだ。
魔法少女の力は、精神状態に大きな影響を受けるらしいからね」
自分の胸を拳で叩き、淡々と語る。
心の奥では殺したいと思われていた。
面と向かってこんな事を言われればショックに決まっているが、しかし、それを素直には認められない。
誰にだって魔が差す時はあるし、瞬間的に殺したいほど憎む事だってあるだろう。
でも、それだけだ。呉はそれを魔法でエスカレートさせられただけだ……と、俺は考える。
胸の内に悪意を抱く事が罪だというなら、人類は全て、生まれながらに悪人だ。
俺を殺した責任は問わなきゃいけないけど、彼女だけに責を負わせるべきじゃない。
「ワタシは君を殺した。自分の心を制御できない、どうしようもない弱さがこの事態を引き起こした。これが変えようの無い事実。それでいいじゃないか。だから――」
「駄目よキリカ。そんな風に誤魔化しちゃ。言ったでしょう? 逃げないでって」
「……けど」
「お願いよ。無理やり歪められてしまっただけで、その気持ちは本当に尊いものなの。
だから、逃げないであげて。それが貴方に対する罰の一つよ」
「……分かった、よ」
そんな事を思っていると、俺よりも先に織莉子が窘めた。
結果だけが大切で、その理由なんかどうでもいいと言う呉へ、哀しげに罰を宣告する。
おそらく、眠っている間に何度も繰り返されたやり取りなのだろう。
彼女は諦めたように肩を落とし、次に、目を閉じたまま天井を見上げた。
「最初は……ね。邪魔だなぁ、としか思わなかった。
いつも織莉子とくっついてるし、すぐに突っかかって来るし、ワタシと二人っきりにさせてくれないし。
憎らしくて、喧しくて、煩わしくて。どうしようもない人としか思えなかった。……でも」
静かな表情からポンポン出てくる身勝手さ。
場の雰囲気もわきまえず、鼻くそでも飛ばしてやろうかと思ったが、開かれた優しい眼差しに阻止される。
「楽しかった。織莉子には想いが届かなかったけど、でもね? 三人で騒ぐのは、本当に楽しかったんだ。
先生君と織莉子を取り合って喧嘩したり、皆でご飯を食べたり、カラオケ行ったり。
あんな時間を過ごしたのは、初めてだったよ。とても、とても、楽しくて。……とっても、とっても、羨ましかった」
想い出を振り返る顔は本当に楽しげであり、彼女を見る俺達にも笑みがうつった。
しかし、呉はまた下を向き始め、やがて、切なさを声に宿し始める。
「君の事が、羨ましかった。知りたくなっちゃったんだ。
大切な人に愛されるのって、どんな感じなんだろう。大切な人と思いを通じ合わせるのは、どんな感じなんだろう。
最初は、先生君の事だけ。でも、次第に織莉子の事まで羨ましくなった。ワタシも織莉子達みたいに、愛し、愛されてみたい、って」
赤裸々に、羨望を呈する呉。
誰もが人生を送る上で、幾度となく抱くだろう感情。
性格を考えれば、正直に告げるのなんて抵抗があるだろうに、彼女は、しっかりとそれを見据える。
「気が付いたら、先生君はワタシの中で、織莉子と同格の存在になってた。胸の奥に焼きついてた。
織莉子みたいな――太陽のような眩しい明るさじゃなくて。満ちては欠ける――色んな表情を見せてくれる、月のように優しい、先生君が。
今なら分かる。先生君が名前で呼んでくれたあの時、心を縛っていた魔法は解けた。
だから、あの時の言葉は本心なんだよ。織莉子にだけ向けるはずだった愛を、君に奪われてしまったのさ。ワタシは。
……一応、言っとく。男の人にこんな感情を抱いたのは……初めて、だから」
あっさりと、告白された。
とても自然で、俺に向けているのだと分からなかったくらい、あっさりと。
驚く暇もないほどに、すんなり胸へ染みこんで来た。
「それに君は、初めて出会った時、織莉子よりも先にワタシに気付いてくれたじゃないか。多分、あの瞬間からもう、先生君はワタシの特別だったんだ」
……けど、俺はただ、覚えていただけだ。
たった、それだけで……?
「そうだよ。たったそれだけで十分だったんだ。……その程度の事が、本当は嬉しかったんだ」
小さな微笑み。
薄闇の中、差し込む月明かりがそれを彩る。
腕に恋人を抱いているというのに、見惚れてしまった。
……綺麗だった。
「でもね。そんな風にどっちつかずだったから、分からなくなっちゃった。
ワタシが愛したのは織莉子。愛したいと思ったのも織莉子。だけど、これから愛していきたいのは? 愛されたいのは?
愛するだけで満足だったはずなのに、それ以上を望んでしまったから。……その隙を、誰かにつけ込まれて。ワタシは、君を……」
頬を伝う銀の糸は、見事に少女の可憐さを際立たせ、芸術の域にまで届かせる。
惜しむらくは、それが瞬く間に、自責の念で歪んでしまったこと。
「酷いだろう? ワタシは、織莉子を愛せるような強いワタシになりたくて、違う自分になりたくて、魔法少女になったのに。
いつの間にか、分不相応にも愛される事を望んでたんだ。
あの頃と何も変わらない……ひたすら、誰かがこの気持ちに気付いてくれるのを待ってる、弱い子供のままだった……。
挙句、織莉子の一番大切な人を奪って、ワタシのせいで織莉子は魔法少女なんかに……! 許されていいはずがない……!!」
凍えるように身体を抱きしめ、呉は懺悔する。
聞かされているこちらが、痛々しさに耐えられなくなる、心の底からの後悔。
思わず、届かないのにその涙を拭おうと、手が伸びて――
「ええ。私は、貴方を許さない」
――間近から放たれた冷酷な言葉に、それは萎縮してしまう。
見れば織莉子は、厳しいとも、哀惜に暮れるともとれる、静かな表情。
そのまま俺の腕を抜け出し、彼女は呉へ歩み寄る。
「どんな理由があれ、貴方が先生を一度殺したのは事実。絶対に、許さない。
貴方にそんな事をさせた下種にも、必ず報いは受けさせる。でもその前に、キリカにも罪は償って貰うわ」
背筋に怖気が走った。
地獄の最下層を思わせる、深い、深い――果てしなく深い冷気。
呉が俺に向けたものとは真逆の、冷静さから生まれる、白い殺意。
「……良かった。織莉子にまで許されそうだったら、後は勝手に自殺でもするしかなかったからね」
しかし、向けられているはずの呉は、何故か安心したような顔を見せる。
罰を与えられなければ、自ら死を選ぶしかないと。
そこまで、追い詰められていたのか。追い詰めていたのか、俺は……。
「さぁ、何でも言っておくれ。
この街を去れというなら、今すぐ地球の反対側へ飛ぼう。
代わりに魔女と闘えというのなら、魂が燃え尽きるまで戦おう。
改めて死ねというなら、ここで――だと迷惑がかかるね。適当な場所で自害しよう。
だから、永遠に許されなくてもいいから」
全てを受け入れる証に、両腕を広げ。
そして、罪を確かめるように、祈るように手を組み合わせ。
――乞い、願う。
「どうか、ワタシに罰を」
……違う。呉が求めているのは、罰じゃない。
本当に欲しいのはきっと、救い。罰という名の救済。
ここで彼女を害してしまっては、何にもならないんだ。
傷付けられたから傷付け返すんじゃ、それこそ永遠に救われない……!
待ってくれ織莉子、俺は!
「大丈夫です。私の事を、信じて下さい」
冷たい怒りに囚われていると思われた織莉子は、意外にも柔らかく振り返る。
出会ってから数限りなく見てきた――俺の惚れた、咲顔。
信じたいと思わせてくれる、力強さ。
「キリカ。貴方には……」
しかし、完全には不安を殺せず、固唾を飲んで二人を見守る。
言葉を区切り、大きく深呼吸。
そうして、織莉子の口から告げられたのは――
「先生の愛人になって貰います! 貴方は永遠の二番手よ!」
教育的指導ぉぉおおおっ!!!!!!
「きゃひんっ!」
「……は……ほ……へ???」
――それなんて昼ドラ? な、酷い罰ゲームだった。
なんだ。なんだ。なんなんだ。何を言いやがったこの美少女は。
シリアスな空気が一瞬でシリアス()になっちまったじゃないか。思わず初めての物理的突っ込みしちゃったじゃないか。
どうしてくれるこの失速感。どうしてくれるこの凄絶な肩透かし。
呉の顔がハニワみたくなってるぞ?
「た、叩かれました、枕で叩かれました! お父様にも叩かれた事なかったのにっ。人生初ですっ。私、嬉しいです!」
ええい喜ぶなこのMっ娘ぉ!! どこをどうやったらそんな結論に達するんだよ!?
「三日三晩寝ずに考えて辿り着いた結論ですっ。先生だってキリカの事は憎からず思っていますよね? だったらいけます、妻妾同衾!」
自信満々に浮気を推奨するなぁああ!! ああもう、とにかくやり直しだ、撤回しろこのおバカ!
「やです! どうしても嫌だと言うなら、私がキリカと関係を持ちます!
そうしないと、キリカはどこかへ逃げちゃいますっ。
これ以外で三人一緒に居られる関係は無いんです、撤回なんてしません!」
そんなの詭弁だ! ただの屁理屈じゃないか!?
「屁理屈でもなんでも良いんですー! 私は絶対に譲りませんから!」
予想の斜め後ろな提案に詰め寄るも、織莉子は一歩も譲らず、遂にはバイセクシャル宣言まで。
どうしちゃったんだこの子は? 魔法少女になってネジが飛んだのか? それとも俺が死んでおかしくなっちゃったのか?
いずれにしても俺のせいじゃん。久臣さんと奈々瀬さんになんて謝ればいいんだ……!?
「……ふ」
――と、ギャグ時空に呑まれかけた部屋に、小さな声。
発生源の方向を確かめれば、俯き、身体を震わせていた少女が――
「ふざけないでよ! なんなのさそれはっ!?」
――怒りに満ちた瞳で、俺達を睨みつけた。
「馬鹿にしてるのかいっ? そんなのが罰として通るわけが無いだろう!? ワタシは先生君を殺したんだ! 織莉子の、大切な人を……!
それだけじゃなく、君をこっち側に引き込んだ……。人としての幸せまで奪ったんだよ!? それなのに……っ」
全身の毛を逆立てて、猛り狂う呉。
もっともなお怒りにも見えるが、気になる言葉があった。
人としての幸せ。
それはまるで、未来に絶望しか待ち受けていない――何をした所で幸せになれないと、哀しんでいるようで。
どういう事だ? 人としての幸せを……って。
「……先生君、魔女って覚えてるかい」
ああ、と頷く。
忘れようはずがない。あの迷路の奥で遭遇した、色とぬいぐるみの塊。
キュゥべえは世に不幸をもたらすとか言っていたが……。
そういえば、俺を穴に蹴落とした
「魔法少女はね、ソウルジェムを介して魔法を使う。でも、使い過ぎたり、負の感情を溜め込んだりすると、穢れという濁りを生むんだ。
それが限界に達した時、魔法少女は……魔女になる。ワタシ自身、堕ちかけたから分かる。間違いないよ。
ワタシは知らされていなかった。織莉子は知る暇すらなかった。一度なってしまえば、もう戻れない。知ってさえいれば……!」
……何?
しばらく、その言葉が理解できずに唖然とし、意味が分かった途端、鼓動が加速し始めた。
魔女に、なる。魔法少女が。織莉子が。呉が。あの怪物に。
無意識に顔を向けると、愛らしくベッドへ座り込む“それ”は、さも当然だというように頷く。
「知らなくてもどうにかなるからね。魔法少女は、そのポテンシャルを維持するために、ソウルジェムの浄化を常に行う。
事実関係を認識していなくても予防は出来るわけだ。詳細を伏せたところで、何も問題は――」
……っ! ふざけるなよ!
赤熱した感情のまま、キュゥべえに掴みかかる。
簡単に捕らえられた小動物の首を締め上げるも、そこは発声器官ではなかったのか、呆れた声が。
「君達はいつもそうだね。
明確な対処法があるというのに、人としての姿や意識が失われる可能性を知ると、決まって同じ反応をする。
訳が分からないよ。どうして人間はそんなに、回避できる結末を怖がるんだい」
そういう問題じゃないっ!!
奥歯がギシリと軋む。
もしも視線に熱量があったなら、とっくにこの部屋は業火に包まれているだろう。
織莉子達が、怪物になってしまう可能性がある。
あんな理性の欠片もない、生命を害するためだけに存在する、おぞましいモノに。……俺の、せいで。
怒りが在った。
なんの説明も無いまま、二人を魔法少女にしたキュゥべえへの。
そして、こんな事態を招いた元凶である自分自身への、激しい怒りが。
八つ当たりに等しいそれを、丁度良くぶつけられる存在が助長し、握り潰そうと力が篭もり――
「先生、止めて下さい。怒って頂けるのは嬉しいですけれど、キュゥべえを苛めないであげて」
――添えられる優しさに、ハッとする。
なんで止める!?
コイツは君を、織莉子を……!
「キュゥべえが居なかったら、私は先生を助ける事が出来ませんでした。
その一点だけで、私にとっては恩を感じる存在なんです。
それに、例え知っていたとしても、私は絶対に契約しました。だから……」
慈悲深い嘆願に、憎しみの炎が静まっていく。
憎悪自体は消えずに残っているが、意識を焼き尽くそうとする熱は、徐々に引いていった。
……どうして。どうしてそんな事が言える。
俺のせいで君は、怪物になってしまうかも知れなくなったんだぞ?
なんで怒らないんだ。なんで憎まないんだ!? なんで……っ。
「……私は、先生を愛しています。
先生さえ生きていてくれるのなら、いくらでもこの魂を捧げます。
末に待ち受けるのが、化け物としての死であったとしても同じこと。
その程度の絶望で私の想いが潰えると思ったら、大きな間違いです」
キュゥべえを投げ捨て、行き場のない感情を喚く俺に向けられたのは、聖母の如き献身。
魔女へ身をやつすかも知れない未来を、その程度と言ってのける、愛の深さ。
そのまぶしさに、目が眩んだ。
あぁ、思い出した。このやり取りは、あの時と同じだ。呉の事を名前で呼んでしまった、あの時と。
彼女も、こんな気持ちだったのか。
大き過ぎる優しさは、こんなにも嬉しく、こんなにも胸を抉るのか。
「だったら尚更だ。織莉子、君の先生君は一人。この世にたった一人しか居ない。共に過ごせる時間だって有限だ。
なのに、何でそれを分け与えようとするのさ? とても正気とは思えない……っ。同情なら、やめておくれよ……。これ以上、惨めになるのは……」
心で感じる重みに耐えていると、呉がまた説得を試みる。
今までの彼女からは信じられない、強い否定の言葉。
しかし、強がりを維持するのも難しいのか、肩を落とし、気勢も削がれていく。
「ねぇ、キリカ」
それを受けた織莉子は、一度、俺の手をギュッと握り、名残惜しそうに離れる。
こちらに背を向け、呉に真っ直ぐに向き合い、彼女は胸を張った。
「愛される喜びを知った女が、狂わずにいられると思う?」
壮絶な宣言だった。
私は既に狂っていると。愛を知った時から狂っているのだと。
愛が全てを狂わせた。全ては愛のせい。
――だから、何も悪くない。私も、貴方も。
織莉子はこう言っているのだ。
そんな意味を内包しているのだと、何故か確信できた。
「私はね、キリカ。先生と出会ってから気付いた事があるの。それは、私がとっても欲張りだっていうこと。
欲しいものの為なら、どんな努力だって出来る。どんな我慢だって出来る。
そして、せっかく手に入れたものを手放すのも、絶対に嫌。だから、私から逃げられるとは思わない事ね?」
輝かしい演説はまだまだ続く。
普通なら恥ずべき事を、それでも誇らしいと、笑顔を振りまいて。
差し伸べられた手に誘われて、俺は二人の側へ。
更に輝きを増す希望と、また指を絡ませる。
「先生は私の一番大切な恋人。貴方は私の一番大切な友達。どちらが欠けても私は苦しむ。なら、両方とも手に入れるわ。
そして、共に在るなら幸せになって欲しい。キリカにも知って欲しい。愛される喜びを。想いが結ばれる奇蹟を。
……確かに、先生が他の女の子と仲良くするなんて、ちょっと辛いけど。
貴方だったら許せるし、先生ならその分、私を深く愛してくれるって信じているもの」
「だ、だから、そんな事する必要は無いんだってば!
君が我慢する必要なんて無い。君が先生君を独り占めするべきだ、先生君も織莉子を独占するべきなんだ。
ワタシは、お邪魔虫なんだから……。愛される資格なんて……愛する、資格なんて、もう……」
「いいえ。いいえ、違うわ」
己に差し出された手を、呉は取れない。
どこか怯えた表情で、自分には必要ない、と。
救いを求めておきながら、いざとなると救われる自分を許せない。
そんな、素直になりきれない少女へ、織莉子は――
「誰かを大切と想う事に、資格なんて要らない。
人の心はそんなものに縛られないわ。
だから、貴方はそれで良いの。
想うままに人を愛して、良いのよ」
――自身の信じる、愛を説く。
それは、愛することから逃げないでと、言っているように聞こえた。
「……む、無茶苦茶、だよ……。ワタシ、は……どうしようもない、バカなんだよ?
織莉子だけを愛すると決めたはずなのに、貫けなくて。勝手に先生君に嫉妬して、命まで奪った!
君みたいに誰かを救うためじゃない。自分に自信が無くて、こんなワタシを好きになっては貰えないから、奇蹟に頼った、優柔不断な、弱虫、で……」
呉は、自分を否定する言葉を重ね、何度も、何度も、首を振る。
織莉子は、そんな彼女へ優しく、慈愛の眼差しを注ぐ。
「……そんな、ワタシ、でも……」
やがて、頑なだった心は解けて――
「君達の、事を……愛して、いい、の?」
――愛したいと言う少女の、素顔が見えた。
織莉子と顔を見合わせ、どちらからともなく微笑み合う。
この場にそぐうのはきっと、言葉なんかじゃない。それが分かったから、俺達は彼女を迎え入れるよう、腕を広げる。
「あぁ……ぁ、あ……」
ヨタヨタと歩み寄ってくる。
まるで、夜道を彷徨っていた迷子が、ようやく見つけた光へ誘われるように。
両手を伸ばし、雨に頬を濡らせて。
触れられる距離に届いた瞬間、彼女は首っ玉へかじりつく。
二人掛りでそれを受け止め、泣きじゃくる背中をあやす。
握ったままの手と、首に巻きつく腕。それ等の体温を感じながら、俺は思う。
あぁ、人間は恐ろしい、と。
愛と憎しみ。
友情と敵意。
男と女。
一人だけを想う事が大切であり、愛は無限に有限だと叫んだ呉。
全てを赦す寛容さを持ち、愛を縛れるものはないと説いた織莉子。
愛と友情の狭間で迷い、大切なものを傷付けながら、二人を想いたいと言った呉。
愛したものにはどこまでも優しく、それを傷付ける輩には冷徹な敵意を向けられる織莉子。
数限りなくあげつらえる、矛盾の中で生きる生命。
どこを探したって、これほど理に適わない存在は他に無いだろう。
しかし、だからこそ。
矛盾の中で生まれ続ける人の想いが、この世界を創ってきたのだ。
人は神にも、悪魔にもなれる。
全てを生み出す両極の可能性を持つ、人間という生き物が恐ろしい。
何より恐ろしいのは、俺の腕の中で、その矛盾を体現する少女達。この二人をすら愛おしいと思ってしまう、自分自身の節操の無さだった。
「さ、もう泣かないで? ちゃんと仲直りしましょう、キリカ」
「ずびっ……う、うん゛……」
ようやく落ち着き始めた呉をベッドへ座らせ、織莉子が微笑む。
俺も腰を下ろし、その間には彼女が入るのだが、仲直りってこれ以上に何をするつもりなのだろうか?
それを尋ねてみると、月光に輝く満面の笑みが返り――
「もちろん、皆で仲直りのキスです。さ、先生。まずは私達ですよ? ん~……ん゛にゅ」
な、ん、で、そ、う、な、る?
――近寄ってきたキス顔を、遠慮なく両手で押し潰す。
どういう判断だよ。羞恥心と道徳観念を道頓堀に投げ捨てたのか君は。
そしてなんでぶっちゃぶれても可愛いんだよ君は。
「や、やえてくらさい、しぇんしぇい、い、痛いれすぅ……」『あ、先生に思いきり苛められてる……。新・感・覚……!』
拘束を逃れようとする彼女からは、心の声(と思しきもの)まで聞こえてきた。
気のせい、か? ……どっちにしても本気で喜んでるだろう。
少しマゾっ気あるんだよな、この子。Hの時もちょっと強引にすると嬉しそうにしてたし。
俺だってそりゃあしたいのは山々だけど、なーんか腑に落ちない。ホントにさっきの聖母様と同一人物か?
色々理由つけてるけど、結局は自分がしたいだけなんじゃないのか? 織莉子。
「そうとも言いますね。でも、先生が悪いんですよ?
本当は先生が目を覚ましたら、いの一番にキスをしたかったのに、変なことを叫んで驚かせるから……。
起きている先生とはまだ出来ていなくて、寂しいんですもの……」
唇を弄り、物欲しそうな表情。
求められるのは男として嬉しいんだけど、でもその言い方はちょっと引っ掛かる。
なんか、寝ている間にしこたまキスされてないか? 俺は白雪姫じゃねぇぞ……。
それは分かったけど、呉も見てるしさ……。魔法少女に負の感情は良くないんだろ?
俺と織莉子がキスしてるのを見たら、ソウルジェム……だっけ。濁ったりしないか?
「ん……大丈夫だと思う。君達はもう、ワタシにとってこの上なく大切な二人だ。
ちょっと前のワタシなら、歯軋りしながら睨みつけて魔女に八つ当たりしただろうけど。
今なら幸せそうにしているのを見たところで、こっちも幸せなだけだよ」
ということは、濁ってたのか今までは。難儀な存在だな魔法少女って。
……ん、そう言えば、魔女って魔法少女が……それを倒すって、事は。……いや、後でしっかり確認しよう。
魔法少女の事や、魔女の事。それに、ソウルジェムの浄化方法。全部調べて、俺に出来る事を考えよう。
キチンと考えるけど、でも、今だけは。
「ほら、お許しが出ましたよ、先生。《我慢しないで》……ね?」
胸板にしな垂れかかり、猫なで声で甘える織莉子。
……これは、断れなさそうだ。状況的にも、心情的にも。
諦めたような心持で肩を抱き、顎を持ち上げる。
眠りへ落ちそうに目が細められ、やがて完全に閉じられた。
「んむ……んぅ……ちゅ……」
「ぅ、ゎ」
久しく味わっていなかった唇を堪能する。
吸い付き、挟み込み、舐め上げ、つつく。
舌を絡ませて唾液も交換し、互いを味わい尽くす。
傍から見れば生々しいのだろう、呉の息を飲む声が聞こえたが、織莉子に夢中で気を遣えなかった。
「ふ、あ、は、はう……。せんせぇ……」
涎の糸を引きながら離れれば、織莉子は蕩けた顔で首筋に頬擦り。
それほど長くはなかったキスなのに、もう満足してしまったようだ。
求め合うキスによっぽど飢えていたのか、この子がエロく敏感なだけか。……両方の気がした。
「ぅぅ……」
ふと、寂しそうな鳴き声。
顔を向けると、そこには「ワタシも構って」と幻の耳と尻尾をピコピコさせる子犬。
何故だろう、やけに可愛い。色んなところを撫でくり回して、喜ばせてやりたい衝動に駆られた。
と、そんな時、織莉子が僅かに身を起こす。
「あ……ごめんなさい。次は貴方の番よね、キリカ」
「……えっ!? わ、ワタシも? まさか、先生君と!?」
「仲直りって言ったでしょう? 当然よ」
今さっき気持ちを確かめ合うキスをブチかましたばかりだというのに、なんと彼女は浮気キスまでしろと要求してきた。思わず口があんぐりである。
本当にどうしちゃったんだ。さっきから妙にテンションも高いし……。
もしかしたら、本当に三日三晩寝てなくて、正常な判断が出来てないだけなんじゃ……?
そうだ。なんの脈絡も無く恋人が死に、しかも手を下したのは親友。命を救うために人を超えた存在になり、いつ目覚めるかも分からぬまま看病を続ける。
ストレスでおかしくなっても変じゃない――というか正常を維持できる方がおかしい。
やはり、こちらが自重するべきだろう。
あのさ、男としては満更でもないんだけど、恋人の目の前で浮気って言うのは……無理。
呉はとっても魅力的だと思うよ? でも……な?
「そ、そうだよ、先生君の言う通りだよっ。
織莉子だってさっき言ってたじゃないか、他の女の子と仲良くされるのは辛いって。
先生君の事も……愛してるけど、魅力的って言って貰えただけで、とりあえずは……ね?」
困ったような笑みにうんうん頷き、「愛してる」の一言に、ん!? と吃驚していると、織莉子は清々しい表情で言い放つ。
「あら、大丈夫よ。確かに想像すると胸がシクシク痛むんだけど、それ以上にお腹の奥がキュンってするの。だからむしろ大歓迎?
もちろん、相手がキリカの場合だけで、知らない女性とだったらどうやって排除するか百通りくらい考えてしまうのだけど」
「そんなニッチな性癖のカミングアウト聞きたくなかった……っ! ワタシの中の織莉子像がどんどん穢れていくぅううぅ……っ」
「現実なんて、えてしてそんなものよ、キリカ。トイレに行かないアイドルは居ないし、サンタクロースはグリーンランドにしか居ないわ」
「ぅえっ!? 実在するの!?」
悟った言い方だけど決して誤魔化せてないからな? ちなみに本当に居るぞ、百人近く。
全くもってどうしよう。恋人が想像以上に奔放だった。しかも性的な意味で。
寝取られ好きとか予想外にも程があるぞ。Mっ気もそこまで行きゃあ大したもんだよ。絶対に褒めねぇけど。
呆れてものが言えない俺と、ベッドに手をついて現実の厳しさに打ちひしがれつつ、「サンタさんが……」と呟く呉。
それを見てもまだ諦めないのか、彼女はまだ言い募る。
「うーん……。じゃあ、こう考えてみて? あなたは先生とキスするんじゃなくて、私と間接キスするの」
「へ? 織莉子と、間接キス?」
「ええそう。貴方は先生を通じて私と重なる。
先生の唇に残っている体温を感じ、柔らかさに触れて、甘い蜜を吸うのよ。
さぁ、素直になって。キリカは《自分を偽れない》。私と間接キス……したくない?」
「……し、したい、けど……でも……あの……急に、男の人と、なんて……恥ずかしぃ……」
「大丈夫。すぐにキリカも夢中になれるから、安心して。ふわふわで、ぽかぽかで。とっても幸せな気持ちになれるわ」
「ふわふわ……。ぽかぽか……」
お、おい呉? 口車に乗るなよ? それは悪質な思考誘導だぞ!?
座る場所を変えた織莉子が、呉の隣で蛇の如く誘惑する。
肩に手を置かれた彼女は、まるで催眠術にでもかかったように、ぐるぐるした眼で俺を見つめた。
……正直に言えば、呉の事は可愛いと思っている。手篭めにして許されるなら、メチャクチャにしてやりたいという欲求もある。
だが、それは邪な願望だ。
どんなに可愛らしく感じても、俺にはもう恋人が居て、添い遂げたいと考えている。
例えその恋人からお許しが出ていたとしても、実際にしでかしてしまえば、結婚への道は今度こそ閉ざされてしまう。
「……先生君……」
く、来るな……っ。いくら織莉子が許したからって、久臣さんにはどう説明すればいい?
娘さんの了承を得てから浮気しました? ふざけんな、俺だったらどんな手段を使ってもブチ殺すわ!
いや、それより前に奈々瀬さんにバレて、悲しみの向こうへかっ飛ばされる……っ。
どう誤魔化すつもりだよ? 俺は未来のお義父さんにこれ以上の隠し事するなんて嫌だぞ!?
「それもちゃんと考えてありますよ、先生。私の能力、《事象否定》は、既に発生した事柄に限りますが、触れた対象のあらゆる事を否定できます。
物理的な損壊から、価値観の否定による一時的な暗示も出来ますし、相打ち覚悟なら存在そのものまで消し去れます。
なので、見たものを見ていない事にするくらいは御茶の子さいさいです。むしろ前より誤魔化しやすくなりましたね♪」
「……間接、キス……」
力尽くで問題を解決するのは先生どうかと思うなぁ!?
随分と都合の良い能力へ戦慄し、ベッドの上を這いずって逃げる。
四つん這いになってにじり寄る呉の瞳は潤み、その背後で黒幕がたおやかに微笑む。
た、性質が悪い。考えていた以上に腹黒い。このままじゃあ、本気で浮気を強要される……!
やっぱ駄目だ! これ以上、人としての道を踏み外すわけには……っ!
「往生際が悪いです先生っ。さぁキリカ、間接キッスよ!」
「ふわぽか……」
おいこらっ、駄目だってば――んぐっ。
「ん」
なにか、理不尽で非常識な生き物達のトレーナーみたいな号令と共に、呉が圧し掛かってきた。
抵抗する間もなく押し倒され、無理やり唇を奪われる。
「っ、あ、むぁ、んう、ぅ」
ぷっくりとした柔らかさを、ただ重ねるだけの幼いキス。
それが段々と貪欲になり、吸いつかれ、挟みこむように。
もどかしくて口を開けてしまうと、おっかなびっくり、可愛らしい舌が口内をつつく。
「――んふっ!? んっ、ん!」
反射的に、こちらから舌を絡めてしまった。
織莉子よりも中が熱い。
織莉子よりも舌が小さい。
織莉子よりも八重歯が大きい。
そんなことしてはいけないと分かっているのに、記憶が勝手に比べてしまう。
恋人に見られながら、その親友とキスをする。
普通では体験しようのない異常な行為に、抵抗する意志を奪われていく。
……嘘だ。初めから抵抗する気なんて無かったくせに。
肩を押さえる手も、上に乗る身体も、跳ね除けようとすればいつでも出来た。
口先だけで常識を説き、その実、こうなるのを期待していたんだ。
なんて、ろくでもない。
「んー、ん~、っはぁ、は、はう、先生、君……」
なのにどうして、そんな人間の名を、甘く呼ぶ。
眉を下げて、眼を細め、寂しそうに舌を離すんだ。
「これが、キス……凄い……」
夢見心地といった様子で、呉が呟く。
こんなどうしようもない男を愛するのが、嬉しいというのか。
なんでそうまでして、女は愛に生きる。
分からないのに、そんな彼女が、愛おしくて仕方ない。
「……先生っ、んむ、ぅ!」
「あ、織莉子……」
唐突に割り込むもう一人の女。
今度こそ、無理やりに唇を奪われた。
「ん、ふむぅ、んっ、ちゅ、んっぷ」
先程の優しいキスとは正反対の、貪るキス。
ひたすらに快感を求める、恥も外聞も無い、本能の姿。
「はふ、ちゅる、んぱぁ、はぁ……あ……」
「わ、ワタシも、もっと……ん……」
息継ぎの合間を縫って、また呉が。
こちらもさっきまでと違い、積極的に男を求める。
「んは、ぁ、先生、ん、好き、んっ」
「はぁ、む、ん、せんせ、んぅ、くぅん」
織莉子としている間、呉は頬や首筋に舌を這わせ、呉としている間、織莉子が耳を甘噛み。
胸板に二組の柔らかさが押しつけられて、四本の手で身体中をまさぐられる。
三人分の吐息が重なり、愛に爛れた雫となってシーツを汚す。
息苦しいほどの欲をぶつけられ、欲情がせり上がる。
「ん……っ!? お、織莉子、これ……っ!」
「え? ……あ、喜んでくれたんですね、先生。嬉しい……」
気付かれた。
身体を押し上げられ、呉はしどろもどろになりつつ、それを凝視。
対照的に、織莉子は蕩けるような顔で手を伸ばす。
普段の印象とは真逆の対応を見せる、二人の少女。数少ない共通点は、向けられる愛情と、美しさ。
もう、我慢できない。
――等――いな――。
「……先生?」
「わ、ぁ、こんなおっきく……」
お前等みたいな美少女にキスされて興奮しない男がこの世に居るかぁぁあああっ!!!!!!
「きゃっ!」
「ひあっ!」
雄叫びを上げながら、全力で二人をひっくり返し、押し倒す。
上下が入れ替わり、俺の下には、驚くばかりの愛人(予定)と、これから何をされるのかとワクワクしている嫁(未定)。
世の中、不公平だ。
なんでこんなエロ娘に誘惑されて、実際にしたら逮捕されるのは男だけなんだ?
全部こいつ等のせいじゃないか。こんなにエロくて、可愛くて……愛しくて。
駄目だ。イラつく、ムカつく、ムラムラする。この衝動を、我慢していられない……!
もう、いい……。久臣さんも奈々瀬さんも法律も世間体も知ったことかぁ!!
ドロッドロになるまで犯してやるからな、このエロ中学生共ぉおおっ!!!!!!
「きゃー! 先生のケダモノー♪」
「え、えっ、ワタシも? ……やんっ」
嬉しい悲鳴を上げる織莉子と狼狽える呉へ、服をばら撒きながら襲い掛かる。
後悔先に立たず、とはよく言ったもので。
数時間後の罪悪感も鑑みず、俺は、自らの性欲を暴走させるのだった。
「ねぇ、三人とも。お邪魔なようだから、僕はそろそろ帰っても良いかな。
……聞こえているかーい。……聞いてないよね、どうせ。失礼させて貰うよ。せいぜい楽しんでおくれ……」