夕暮れの教室。
下校時刻をとうに過ぎ、人影の残っていてはならないそこに、二つの影がある。
一つは、担任教師用のデスクに居る、自分の物。
もう一つは――
「センセーさぁ、恥ずかしいと思わないの?」
――そのデスクの上に腰掛け、嘲る少女。
ボブカットで、半袖のシャツにズボン姿。
西日を正面から受ける彼女は、幼いなりに整った顔立ちを歪め、靴下に包まれた小さな足でこちらの股間をまさぐっていた。
……っ、か、神名、いい加減に……。
「恥ずかしくないのかって聞いてるの。十二歳に足で踏まれて、しんせーな教室で汚いモノおっ立てて」
ぐ、うぅ。
ぎゅうっ、と竿が押し潰される。
同時に、たるんだ腹にも足がめり込む。
「ま、恥ずかしいのは身体もそうだよね~。中途半端に小太り眼鏡で。声だけは辛うじてイケメンなのに、外見と合ってないから違和感バリバリだし。ホントにキモいんですけど」
足裏での踏みつけから、つま先で撫でるように。
円を描く小ささがもどかしい快感を呼び、せめて顔には出さないために、歯を食いしばって耐える。
が、もう既に二十分。限界が近かった。
「あれ、イきそうなんだ。ズボンもパンツも脱いでないのに。このままじゃ汚しちゃうよ? いつも皆が授業を受けてる教室でしゃせーしちゃうよ?」
意地の悪い顔で、少女は足の動きを活発にする。
どこをどうすれば気持ちいいのか。
どこまでの痛みなら程よい刺激になるのか。
完全に把握されていた。
頼む、今日は着替え、持って、きてないから、っ、だから……。
「ホントにいいの? やめちゃって。ホントは出したいんでしょ。しょーがくせーの足にイジメられて、ぴゅるぴゅるー、ってさ?」
ち、違う、そんなことあるわけ――。
「……もう、口だけは強情。だから面白いんだけど。さ、《本当のことを言いなさい》」
ぐぁ、ぁ……。イ、きたい……神名の足で、出した、い……っ。
意思に反して声帯が震え、行為の続きを懇願してしまう。
それを聞くと、彼女は歳相応に可愛らしく、不相応に邪悪な笑みを。
「あは、素直さんだね、センセー。じゃあご褒美あげ、るっ」
う、ぁ!
体重をかけて、竿を踏みつけられる。同時に、下着の中で生温かい液体が暴れまわった。
彼女がそれを助けるように強弱を変えるものだから、あっという間にズボンにまで染みが。
「は、きったな。ねえ? どんな気持ち? か弱い女の子になじられてイっちゃったのは。気持ちよかった?」
……なにが、か弱い女の子だ、この魔女め……!
精一杯の抵抗を込めて、少女を睨みつける。
そんな事をしても意味なんて無く、この魂を縛る魔術も解けやしないけれど、上辺だけでも屈しまいと嫌悪をふり絞る。
「……センセーって、ときどき鋭いよね」
――が、返って来たのは意外なもの。
全てを悟り、諦めたような表情だった。
まさか。この程度で傷つく筈がない。しかし、あどけない顔は俯き加減に隠される。
勢い任せに暴言も吐いてしまった。後が怖いのはもちろん、僅かばかりの良心が痛み――
「でもムカつく」
がふっ!?
――油断したみぞおちへ踵が叩き込まれた。
さっきまでのとは違う、痛めつけるための攻撃。
椅子と共に倒れ、派手な音が立った。
「さーてと、わたし帰る。せーえき臭いズボンはいて職員室に戻れば? じゃーね、センセー。また明日」
振り向きもせず、少女は教室を出て行く。
這いつくばってそれを見送った後、怒り、悔しさ、情けなさ、その他諸々が混ざった感情をデスクに蹴りつける。
この状況。あの日と似ていた。
数ヶ月前――彼女の親類の葬式があった日。
そして自分が、神名あすみの
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
やけに空気が冷たい日だった。
降り注ぐ陽光が身体を温めても、葬儀場を流れる微風に当たるだけで冷え切ってしまう寒さ。
今日という日に似つかわしいと言えばそうかもしれないが、心地良いはずもない。
「………………」
そんな中、ポツリと佇む少女が居る。
黒い八分袖のワンピースを着た彼女は、空を見上げていた。
周囲に人影もなく、そこだけ時間が止まっているようで。
疲れてないかい、神名。
「……センセー。うん、大丈夫」
声をかければ、勘違いである事が証明された。
振り返った少女は――神名あすみは、こちらを見上げて儚く微笑む。
数日前、彼女は親類を失った。理由はよく分かっていない。
伝え聞いた限り、何者かが家へ侵入。彼女の……世話をしていた親戚親子三人を音もなく殺害。立ち去ったらしい。
いまいち要領を得ないが、それ以上の事を誰に尋ねる気も起きなかった。
今日は彼等の葬儀が行われる。喪主は神名だが、実際に葬儀屋と段取りを決めたのは自分だ。
他に親類もおらず、遠方に住んでいるという彼女の父親は仕事のトラブルで街を離れられないようで、仕方なくである。
いい迷惑……なんて言っちゃいけないのは分かっている。今は自分の事よりも、この子の事だ。
中に入ろう。もうすぐ葬儀の準備も終わるから。身体を冷やしちゃ駄目だよ。
「……ありがと。ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
いいんだ。今はそんなこと気にしないで。
大人になり始めた顔に浮かぶ、苦笑。
本当なら頭を撫でてやりたかったが、身体を低くし、目の高さを合わせるだけに留める。
軽く微笑み合い、自分達は休憩室へ戻ろうと足を戻す。
「――ぁ、はぁ、はぁ……!」
「オイ待て新人! どうしたってんだ一体、まだ準備の途中だぞ!?」
すると、さっきまで話していた場所に駆け込んでくる二人の男性。
葬儀会社の人間のようだが、様子がおかしい。
新人と呼ばれた歳若い男は、目に見えて身体を震わせ、肌も土気色をしていた。
「先輩、おかしいっすよ……」
「だから何が? なんだってんだお前は」
「なんで、なんで人間があんな……。一体どうすりゃ、あんな顔で死ねるんすかっ!?」
大きく取り乱し、彼はもう一人に詰め寄る。
比較的冷静な、自分と同じ年代と思える男が、己の額を叩きながら嘆息した。
「……棺桶を覗いたのか。規則違反だぞ。なんだって――」
「理由なんてどうでもいいじゃないっすかぁ! とにかくおかしいっすよ!
まるで、“生きたまま死んでる”みたいだった……。
死後硬直って、二~三日で解けるんじゃなかったんすかっ? なんで顔だけ、あんな……っ」
「俺が知るか、くそ、思い出させやがって。地獄でも覗いたんだろうよ……。
とにかく、普通じゃない事だけは確かだ。滅多な事を言うな。触らぬ神に祟りなし、だ」
「でも――」
若い男は、なおも冷静な男に言い縋る。
まだ会話は続いているようだったが、それは聞くに耐えなかった。
………………行こう、神名。
「……ん……」
二人を見つめていた神名の手を取り、彼等に背を向ける。
小さく、冷たい感触。
手の平と胸の奥に感じるそれに、少しだけ身震いした。
関係者の休憩室に入れば、また彼女と二人きりになった。
変な話を聞かせずに済むという安心感と、相対さなければならない重圧。
「――ぃち」
……? 何か言った?
「ううん、何も」
かすかに握り返す手。
細さと柔らかさを意識した瞬間、不味いことをしてしまったのに気付く。
ごめん、嫌だったよね、いきなり。
「あ……」
繋いだ手をほどきながら、簡素なパイプ椅子へ導く。
一瞬、何か言いたげな目をした神名だったが、素直に腰を下ろしてくれる。
隣へ腰掛けると、彼女が座った時よりも大きく椅子が軋んだ。
「………………」
重苦しい空気が漂う。
気の利いた会話の一つでもあれば、そんなものを感じなくて済むのだが、場にそぐうボキャブラリーは持ち合わせていなかった。
……下手な気遣いしか出来そうにもないけど、黙っているよりはいいか。
のど、渇いてないか。適当に飲み物でも買ってこよう。
そう言って、返事も待たず立ち上がる。
確か、葬儀場の入り口近くに自販機があったはずだ。
小銭は――
「――に」
――と、財布を確認する腕が、何かに引っ掛かった。
「そばに、いて」
喪服の肘を引く、折れそうな指。
うつむく表情はどんなものか知れないが、胸をくすぐられる感覚を覚えた。
産休補助教員として、神名の居るクラスを受け持って数ヶ月。
母子家庭であり、その母親を失ったばかりだった彼女へは、腫れ物に触るような扱いしか出来なかった。
しかも悪意ある噂まで流されて、自分は助けることも出来なかったのに、こうして頼ってくれる。
今度こそ、応えなくては。
分かった。どこにも行かないから。
「ん……」
椅子に戻れば、満足そうな瞳が見つめてくる。
教師として嬉しいのはもちろん、その姿は庇護欲を駆り立てるものだった。
見た目が災いし、子供達にからかわれてばかりな教職だったが、少しはマシになったのだろうか。
幼いころ世話になった先生に憧れ、教師になる事だけを夢見て、早二十数年。
それ以外に興味を持たなかったせいか、純粋に女の子から頼られるなんて、初めてに近いかもしれない。
大抵は都合の良い小間使いとして扱われるだけだったし……。
「――さん」
――が、これはまたマズイかもしれない。
何かを小さく呟く神名は、こちらの手を握ったままなのだ。おまけに彼女の頬へ導かれ、十代前半特有の滑らかな肌を味わっている。
そんなつもりは無いし、そんなつもりも無いだろうが、生まれてこの方、右手が恋人の身では変な気分になってしまう。
嫌じゃないのか? と尋ねても、彼女は「そんなことない」と言って頬擦りするだけ。
「センセーの手、好きだよ。あったかくて、やわらかくて。……あいつ等と違うから」
心臓を直接ねぶられた。
と、そんな勘違いをしてしまいそうなほど、暗い“色”を感じた。
……まさか。いや、そんな。ただの噂のはず。
神名が、引き取られた親戚の家で性的虐待を受けていたなんて、ただの、噂だ。
「――ょん」
また、呟き。
なまめかしい唇が吐息を漏らす。
重なる視線に、息が詰まった。
「ほんとだよ」
ぎくり、と背筋が強張る。
考えを読まれているようなタイミングの言葉。
だが、少し考えれば間違いであることは明白だ。
彼女が言ったのは手の話で、虐待の事じゃ――
「センセーの考えてる事は、全部ほんとだって言ってるの」
――ぇ?
声が掠れてしまった。
ほんの僅か。見詰め合っていなければ気付けないくらいに、目が細められる。
たったそれだけで、目の前に居る少女の印象が一変した。
儚げで、手を尽くさなければ今にも枯れてしまいそうな憐花から、誰の手も借りず、たった一輪で彼岸に咲く、毒の花のように。
「あ、ひどい。人のこと不吉な花に例えないでよ。傷ついちゃう」
……っ!?
なん、ど、どういうことだ。自分は考えただけで、口になんか出していない。
表情を読まれた? いや、それだけで花なんて単語が出てくるわけが……。
そうか、無意識に喋っていたんだ。きっとそうに違いな――
「あはは、自分を誤魔化すのに必死だ。……本当は分かってるでしょ。わたしが何をしてるのか。自分が何をされてるのか」
神名は楽しそうに笑う。
先ほどまでの大人しさが嘘のよう――おそらくは、こちらが本来の姿なのだと思える、子供らしい笑顔。
なのに、瞳の中に居る自分が丸裸にされそうで、震えが走る。心の奥底にはりつくヘドロまで晒されそうで、恐ろしい。
思わず手を引き剥がそうとし――
「《動くな》」
――金縛りにされた。
腕はおろか、身体が丸ごと氷漬けに。
辛うじて動くのは、眼球と内臓。そして、困惑する思考のみ。
おかしい。どうなってる。なぜ動かない。これは、なんだ?
「ヒドイよね、センセー。わたし、何度も助けてって言ったんだよ。言葉には出せなかったけど、助けて欲しかったんだよ」
石になった手の平が、神名の息遣いで湿る。
ウットリとした顔で、キスをするように瑞々しいそれが動き――
「でも無視した。気付いてくれなかった。気付こうともしなかった。ううん、気付いていたのに気付かないフリをしてた。……そうでしょ」
――ザク、と胸を抉られた。
違う。そんなことない。こう言い返したかったのに、声帯は震えを禁じられている。
その分、心臓は尋常ではない恐怖に震えて。
……そうだ。確かに気付いていた。いつも身体の一部を庇っていたし、家へ帰りたくないみたいに下校時間ギリギリまで教室に居た。男に触られるのを怖がっている様子もあった。
でも、どうすれば良かったんだ。
心配しても神名は「大丈夫」の一点張り。無理に確かめようとすればその時点でセクハラになってクビ。
あの先生をマネて休みの日に家へ連絡してみても、たった一回様子を尋ねただけで苦情の電話が一ヶ月続き、教頭や校長にまで注意を受けた。
今なら分かる。体よく厄介事を押し付けられただけだったのだと。それでもやっと教壇に立てたんだ。なのに……。
「チッ。ウザいから頭の中で言い訳しないで、よっ」
う、わ!?
唐突に、金縛りが解けた。
引き剥がそうとする直前で止められていたせいか、勢いよく後ろに倒れこみ、派手な音。
後頭部もしたたかに打ちつけ、目の中に火花が散る。
頭を押さえながら仰向けに呻いていると、今度は腹の上に重さを感じ、息が押し出された。
「あは、すごい。センセーのおなか、座り心地さいこーだよ? 無駄な脂肪も意外なところで役に立つね?」
じんわりとした熱。布越しでも分かる柔らかい肉。
神名の小さな身体が、腹の上にあった。子供のように――確かに子供なのだが、無邪気に跳ねて腰を動かす。
絶対に三十キロ以上はあるはずなのに、まるでそうは感じない。
けれど、彼女のお尻はちょうどヘソのすぐ下で、微妙に股間への刺激ももたらされてしまう。
「……へぇ。こんなことで硬くしちゃうんだ。じゃあ、もっといいこと教えてあげる」
まだ勃起とは言えない僅かな隆起を、敏感に感じ取られる。
蔑んだ目をした神名は、座る位置を少し前に、寝そべって身体を密着させ、耳元に囁く。
「わたしね。お母さんのお葬式の日に犯されたんだよ」
鼓動が大きく跳ねた。
それは一旦平常に戻ったあと、言葉の意味が脳へ染みるにつれ、また早くなっていく。
……犯された? レイプ、されたのか、神名が?
だってまだ、十二歳で、そんな事できる身体じゃ。
「あいつ等にはそんなことドーデモ良かったの。モノを突っ込む穴さえあればそれでいいって、笑ってたもん。
今日と同じ、黒いワンピース着てたんだよ。それを無理やり引き裂かれて、腕と押さえられて、口を塞がれて、大事なとこに唾を吐きかけられて、強引に……」
にこり。外道の所業を語りながら、優しく微笑む彼女。
語り口も幼子にするかのように穏やか。
けれど、笑っていない。
顔も、声も、放たれる雰囲気すら柔らかいのに、瞳の奥が硬質な光を放つ。
「お母さんの弟と、その息子二人。三人に、かわるがわる。
最初の方は必死に抵抗してたんだけど、何回も殴られて気力も無くなっちゃった。それでもあいつ等はやめなかったの。
一晩中、わたしの中に何度もせーえきを吐き出して、自分の血がついたモノを無理やり咥えさせられたりもしたんだよ」
脳が勝手に、その光景を再現してしまう。
押さえ込まれる神名。抵抗しようとしても大の大人三人に敵うはずがない。
服を引き裂かれ、ブラもつけていない小さな膨らみが露出する。
恥ずかしさに隠そうとするも、腕は押さえられ、声を上げられないように口まで。
息子達に拘束を任せ、男が、彼女を。
「そう。そんな風に犯されたの。痛かったなー。まるでおなかを刺されて、傷口をかき回されてるみたいだった。こ・れ・で」
……う、あ?
不意に彼女が身体を起こし、同時に快感。
股間をまさぐられていた。
止める間もなくチャックが下ろされ、細い指が下着の中から竿を引き出す。
後ろ手になって見えないはずなのに、行為は正確そのもの。
か、神名? なに、してるんだ、止め――うっ。
「うわ、あいつ等より太いかも。でね、それから毎晩、犯された。センセー、一回だけ電話してくれたよね?
あの時もサれてたんだ。いいところで邪魔されたって、おかげで殴られちゃった。いい迷惑」
先端に被った皮がむかれる。かと思いきや、すぐさま元に戻される。
慣れた様子でそれが繰り返され、小さな手が優しくしごき上げた竿は、あっという間に硬く。
こんなにガチガチになるのは、生まれて初めてかもしれない。
「フェラチオとか、手コキとか、他にも色々。お尻も犯されたんだぁ。
このくびれのとこ、好きでしょ。先っぽの穴も気持ちいいでしょ。必死に覚えたんだよ? 殴られないようにって。
けど、結局は理由をつけて殴られて、客まで取らされそうになって。こんなのが続いたら、いつか殺されちゃうと思ったの。だからね」
――殺しちゃった。
ただ唇が動いただけなのに、そう言ったのだとハッキリ分かった。
ぶるり、と背筋が震える。
けれど分からない。これが恐怖からなのか。少女の指が絡みつくからなのか。
なんで、こんな無邪気に恐ろしいことを言える。
なんで、女の子の手はこんなに気持ちいい。
なんで、自分はこんなことをされて。
あぁ、なんで……。
「ふふふふふ。センセー、面白いことになってる。
気持ちいいのに怖い。怖いのにもっと気持ちよくなりたい。頭の中グチャグチャ。
こんなに面白い顔を見られるなら、もっと別の方法にすれば良かったかなー」
べぇ、と出した舌で、逆手の人差し指を湿らせる神名。
それをこちらの唇に押し当てて、彼女は首をかしげながら――
「ねぇセンセー。どっちがいい? このまま気持ちよくなって死んじゃうか。それとも寸止めされて助かるか。
さ、答えてよ。口に出さないで、考えるだけでいいから。……どっちがいい?」
――究極の二択を、突きつけた。
快楽か、死か。
気持ちよくなりたいに決まってる。死にたくないに決まってる。しかし、選べるのは一つだけ。
迷う間も神名の手に玩ばれ、指が口の中へ侵入してくる。
射精感と、恐怖に、困惑。
それ等が混ざり合い、思考を放棄しそうになった時、ふと気付く。
神名がこの場で殺人を犯すことは、ありえない。
どんな方法で三人を殺害したのかは分からないが、おそらく証拠は残さずに済んだのだろう。
が、死体は処分できなかった。でなければ葬儀なんかする必要はない。
ということは、自分が死ねば死体が残る。立て続けに、しかも葬儀会場で教師が死んだとなれば、必ず衆目を浴びる。
それすらどうにかする“力”を持っているとしたらそれまでだけれど、そんな都合のいい力、何の代償もなく使える訳がない。
半年前、見捨てられたから憎まれているのだとしても、この場で殺すことにはデメリットが多過ぎる。
だから自分は、少なくともここでは殺されないはず。
「………………へぇ。意外と冷静なんだ。ふふっ、面白~い。同じ男なのに、全然違うや」
ちょっとした引っ掛かりから思考が加速。快感を忘れ、自分が助かる理論を組み立てていた。
それを読み取ったのだろう神名は感心したような顔を見せ、口に突っ込んでいた指を引き抜く。
なんとか、助かった……のか? 考えに没頭したおかげで意識も切り替わっている。これなら拒絶でき――
――うっ!
「じゃあ特別。ちょっと遊んだら記憶飛ばしちゃうつもりだったけど、選択肢を変えてあげるね?
このまま寸止めされるのと、これから先の人生をわたしの
先端がスッポリと握られた。
指がくびれを掴み、手の平で縦にグリグリ押し潰される。
大人しくなりかけた欲望が首をもたげ、今にも射精しそうに。
だが――
「……ふふ」
――その直前で、神名は手を離してしまう。
あともう少しで出せそうなのに、ギリギリ、届かない。
あと少し、ほんの少し触ってくれれば、イけるのに……っ。
頼むから、もっと……!
「くすくすくす……」
死ぬ心配がなくなったからか、自分は忌避すべき快楽を求め、頭の中で懇願する。
しかし彼女は嗤うだけ。
呼吸で、目で、思考で訴えても、変わらない。
ああそうか。屈服させる気なんだ。
決定的な一言を自らの意思で言わせることで、逆らう気力を失わせようとしているんだ。
そんな手に乗ってたまるか。まだ自分の教師人生は始まったばかり。こんなところで道を踏み外すものか。
……と、そう、歯を食いしばり――
頼、む……。おもちゃにでも何にでもなるから、神名の手で、イかせて……!
「――ご。完全掌握かんりょー。ほら、イっちゃえヘンタイ」
う、あっ。
――決意した、はずなのに。勝てなかった。
乱暴に指が上下し、達しそうになった先端へ覆い被さって、びゅる、びゅる、びゅる――と、その中に大量の精液を吐き出す。
粘液が跳ね回り、快感の熱が纏わりつく。
「ぅわ~、すっごい量。溜まってたんだねー、センセー。……ん……やっぱ気持ち悪いや」
ブヨブヨしたそれで遊んだ彼女は、滴り落ちそうになった雫を口に含んだ後、眉をひそめ、喪服で拭う。
「じゃあまずは、今日のお葬式、ちゃんとこなしてよね。わたしサボるから。今後ともよろしく、ね? わたしのモルモットさん」
……は。い……。
無意識に。本当に無意識のまま、返事していた。
屈服してしまった。心の奥にあった“何か”を、圧し折られてしまった。
なのに、そのことに対して、後悔よりも期待を抱いてしまっていたのだ。この時の自分は。
手で玩ばれただけで、かつて無いほど、一番、気持ちよかった。
これからもっと、彼女に気持ちよくして貰えるのだ。もっと凄いことをしてもらえるのだと、そう思って。
本当に遊ばれるだけだとは、微塵も考えていなかったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇセンセー。オナニーしてよ」
……は?
いつの間にか、目の前に女王様が居た。周囲を見回せば、そこは嫌な意味で馴染みのある空き教室。
真昼を過ぎ、腹を満たせた充足感が身体に残っていた。
……またか。またなのか。
自分の身に起こったことを、ありのまま、順序立てて整理しよう。
給食を食べ終え、午後の準備をするために職員室へ戻ろうとしていたはずが、空き教室で神名と向かい合っていた。
が、別段驚くような事でもないし、その原因もハッキリしている。
また“乗っ取った”のか、神名……。
「うん。だって午後の授業まで暇なんだもん」
悪びれることなく、放置された机の上で、珍しいスカート姿から覗く脚をぶらぶら。
神名あすみ――自らを魔法少女(案外数は多いとのこと)と語った彼女は、精神に影響を及ぼす魔法の使い手だった。
曰く、それは段階を踏まえるごとに強く影響を与えられるようになるらしい。
レベルⅠ――対象の抱いている表層感情を把握。
レベルⅡ――対象が今考えている事がわかるようになり、ある程度までの記憶も探れる。
レベルⅢ――より深く精神に入り込み、記憶の操作が可能となる。暗示をかけ、思うように操ったり、トラウマを抉ることも。
レベルⅣ――深層意識へ侵入。その人物の根幹を歪めることすら可能になる。
レベルⅤ――精神だけでなく、肉体までも完全掌握される。ここまでくると自殺も許されず、言葉一つで心臓を止めることだって出来る……らしい。
彼女はこの能力を駆使して生活を送っている。
父親が寄越した弁護士――財産管理人を隷従させ、事件性を疑う警察は間接的に黙らせ、教師達も彼女の行動を黙認するよう“設定”済み。
親戚の家は処分が決まっており、今は自分が住んでいるアパートの隣の部屋で一人暮らし中だ。
もちろん、面倒な事を押し付けるための配置である。主に買出しとか。
自分は既に完全掌握されていて抵抗も出来ず、その上で時折、勝手に身体を動かされるのだ。
授業を自習にさせられたりはもちろん、色んなイタズラをさせられた。
洒落で済むレベルだからまだいいが、操られている間の記憶がないというのは不安になる。
……神名。なんだったら早退してもいいから、授業の準備をさせてくれないかな。これ以上遅れるのは……。
「だぁかぁらぁ。早退してもつまんないんだってばぁ。センセーん家にあるゲームくらいしかやることないんだもん。だったらセンセーで遊ぶ方が面白いし」
あぁそうですか……。
傍若無人ここに極まれり、である。
どうぜイきそうになってる顔を見て「ぶっさいく」だの「うわ~、必死」だのなじりたいだけなのだろう。
抵抗したところで楽しませるだけ。
さっさと事を済ませるため、自分はベルトに手をかけた。
「そんなに嫌そうな顔しないでよ。今日はいいものあげようと思ってたんだよ?」
――のだが、神名はクスリと渡って机から降りる。
そして、一歩一歩踏みしめるように近づいて、「地面に手をついて」と要求。
なんだか怖いな……なんて思いながらも、しぶしぶ言われた通りに。
ちょうど彼女の腰辺りに自分の顔が来た。
「んふふ。よぉ~く見て、ね?」
すると何を思ったのか、神名はスカートに手を突っ込み、シュルシュル、と何かを脱ぎ始めた。
いや、何かなんて考えなくても分かるが、あまりに意外で理解が追いつかない。
な、にを、神名?
「あはは。センセー、すっごいドキドキしてる~。ほらほら、ほぉら、脱げちゃった」
細い太ももを通り、飾り気のない、クマのキャラクターがプリントされた女児用の下着が落ちた。
それを拾い上げた彼女は、わざわざ肌に触れていた方をこちらに向けて見せつける。
「はい、プレゼント。脱ぎたてホカホカの、しょーがくせーの、パ、ン、ツ。これ使ってオナニー、したくない?」
唾がのどを下る。
痛いくらいに勃起していた。
鼻面に突きつけられたそれからは、かすかな温もりと、小水の匂い。
……し、たい、です。
「わ。今日は素直さんだ。じゃあ特別に、わたしが被せてあげる。おちんちん出しなさい」
言われるがまま、大急ぎで下着毎ズボンを引き下ろす。
勢い余った竿がビヨンと跳ね、そそり立つ。
神名は焦らすように下着を広げる両手を近付け、たっぷり時間をかけて、彼女の恥部へ触れていた部分と、先端が触れ合った。
「はい、できた。冷たくなる前にさっさとコスりなさい」
しゃがみ込み、自身の膝に肘をついて、間近から竿を見上げる神名。
命を握られているのだ。仕方ない。自分は悪く、ない。
そう理性を誤魔化して、彼女に見せつけるよう、強くしごき上げる。
直接布にこすれる感触。わずかに残った体温。……気持ちいい。
「あははっ、すご~い。そんなに興奮してるの? もうこんなにおつゆが出てる」
下着は歪に形を変え、先走りが染みを作っていた。
ただの自慰より遥かに気持ちいいのはもちろん、彼女の肌に触れているみたいで異様に興奮する。
いつもは足で踏まれるか自慰を観察されるだけで、直接してもらったのは数えるほどだった。
だからこうしていると、神名を汚しているみたいで……。
仕方ない、じゃないか。君みたいな可愛い女の子の下着でするなんて、初めてなんだから。気持ち、いいんだ。
「……ねぇセンセー。キモいから《しゃべらないで》」
――っ?
唐突に、のどが凍りつく。
息を吐き出すことは出来るのに、声帯が機能しなくなった。
喉頭の筋肉をも制御されてしまう、圧倒的な従属感。
冷たい眼差しと言葉を向けられても、竿だけは熱いまま。
「あ~あ、見てるだけなのも飽きてきたな~。……ぃしょっと」
ふと、神名は立ち上がって机の上に戻る。
身体がこちらへ向き、微妙に両脚が開いていた。
影になっているその中には、むき出しの肌が隠れているはず。
「……見たい? 見たいんでしょ、センセー。女の子の大事なところ。三人の男にさんざん使いまわされた汚いのでよければ、見せてあげよっか」
視線に気付いたのか、挑発するようにスカートがずり上がる。
じわり、じわり。股の間にあった影が面積を小さくしていき、肌色が増えて。
心臓が力強く血液を送り出す。
より硬くなったモノをしごきながら必死に頷くと、「はは。みっともない」と短く笑い、彼女はいよいよ――
「はいどうぞ。あ、見るのはいいけど触ったりはダメだから。センセーは見るだけ。《絶対に触れない》の。いい?」
――己の恥部を白日へ晒した。
課せられた新しい制約も、“女性”を目の当たりにした興奮でどうでも良かった。
少しぷっくりとした、無毛の丘。
脚が開かれ、それに合わせてピッタリと閉じた割れ目もわずかに動く。
知らず、一歩を踏み出していた。
「……ふふ、センセーがあんまり必死だから、ちょっと変な気分になっちゃった。……あ、ふっ」
集中していなければ聞き逃してしまうほど小さな、つぷ、という水音。
誰も触れられないはずの場所へ、細い指が侵入し始める。
「あ、んっ! 今日は、ぁ、大サービス……。しょーがくせーの、ん、生オナニー見ながら、オナニーさせて、あげる……あっ」
神名の身体がピクピクと反応し、表情も変わりだした。
普段は罵るばかりで、二人きりだと嘲りしか見せない彼女が、深く感じ入ろうと目を閉じている。
可愛らしく思えてしまうのは、そのギャップのせいだけではないだろう。
「ほら、センセー見て? ゆび、二本も入っちゃうんだよ? ぁ、おマメいじると、すっごく気持ちいいんだよ? エッチでしょ?」
指が速度を上げ、クチュリ、音が立つ。
かと思えば、入り口を広げながら突起をコロコロ。
ヌメリで光を反射するそこは、悦に合わせて蠢いていた。
「あんっ! や、だめぇ、臭い息、吹きかけないでよぉ……やん」
甘い匂いがする。
いつの間にか膝立ちになり、顔を間近まで寄せていた。
荒い息が神名を刺激し、じわ、と愛液が溢れ出る。
触りたい。指を入れたい。舐め回したい。しかし許されているのは、ただ見つめ、呼吸する事だけ。
あの下衆三人は、ここへ好きなだけ竿を突っ込めたというのに。
悔しくて、それなのに、おかしくなりそうなほど興奮して。
我慢できそうに、ない。
「……あ。センセー、イきそう? わたしも、だよっ、一緒に、イく?」
ガクガクと、首振り人形の如く首をふる。
言葉にできない熱情が、欲望を加速させていた。
イきたい。もう、出したい。触れることが叶わないなら、せめて一緒に……!
「……っはは。このド変態。ロリコン。性犯罪者。あ、イく、イっちゃう……っ」
声に出さずとも、彼女はそれを感じ取ってくれる。
嫌悪感の込められた罵りも、もう快楽の一要因でしかない。
激しくなる水音。竿をメチャクチャにしごき、そして――
「んっ、んんんっ!!」
――同時に果てる。
温かい飛沫が顔へかかり、粘液が女児用下着を穢す。
バカみたいな勢いがあったらしく、それは手の中から零れ、床にボトボト溜まっていた。
「あ――は、ふ――んっ――」
弓なりに背を反らし、小刻みな痙攣をしていた神名は、やがて全身の力をゆっくり抜いていく。
満足そうな表情。目尻は下がり、半開きの口元から一滴。
こんなに可愛らしい顔は。
女と少女が入り混じった顔を見たのは、初めてだ。
「はふぅ、スッキリしたー。やっぱりたまには自分でしないとだねー。最近ストレス溜まってたし」
――が、唐突に身を起こし、いそいそポケットティッシュを取り出して、大股開きに指と股間を拭い始める彼女。
漂っていた淫靡な雰囲気は木端微塵。余韻もへったくれもありゃしない。
出会ってからというもの、散々イジメぬかれて女性に対する幻想は打ち砕かれていたが、それにしても現実的過ぎて気持ちが萎えてしまう。
女子児童の生オナニーと、その後始末。
そっち方面の人間なら大金を払ってでも見たい光景だろうけれど、実際に目にするとやるせない……。
「センセー。今わたし淑女タイムだから怒らないけど、後でお仕置きだから」
超ゴメンなさい。高いプリン買ってきますから許してください。
……という脳内謝罪は伝わるだろうか。
そろそろ発言も許して欲しいんだけど……。あとできればティッシュも……。
「五百円のやつだからね。《しゃべってよし》」
許可と共に、使用済みティッシュが飛んできた。
仕方なく、それをいったん広げて先端についた残り汁を拭い、手と床に飛び散った精液を拭い去る。
これくらいの気安いやり取りは大丈夫になったのだと思えば、まぁ進展か。少し前まで何をされるか気が気じゃなかったし。
そんな事を思いながら発声練習を繰り返し、ついでに彼女へ問う。
ストレスって、何かあった?
むしろ上機嫌だと思ってたんだけど。最近イジメられてなかったし。
「ん? 別にわたし、ストレス解消のためにセンセーをイジメてるわけじゃないよ?
センセーの悔しがったり怖がったり焦ったりする顔が面白いから、実験も兼ねて飼ってるだけ」
にこやかな返答。
内容は最悪なのに、大して嫌だと思わなくなったのは、慣れてしまったからか。それとも快楽調教のせいか。
自分の奴隷根性へ苦笑していると、神名はポケットから取り出した予備のパンツを穿きながら更に続ける。準備がいいなぁ……。
「ま、おかげで能力も完全に把握できたし、そろそろ新しい遊びしたくてさ。
サボって街をブラついてたらちょうどムカつくバカップルが居たんで、そいつ等にちょっかいかけたの」
バカップル……。
本来なら止めるべきなのだろうが、脳裏に浮かんだのはTPOもわきまえず「ダーリン♪」「ハニー♪」なんて呼び合ってイチャつく迷惑な二人組み。
やっかみなのは分かっているけど、ちょっとだけいい気味だ、と思ってしまう。正直な話。
「そしたらなんでか女の方には魔法が効きづらくてね? 調べてみたらなんと魔法少女だったのよ。
妙に楽しそうでイラッとしたから、思わず全力出しちゃった。要領は分かったんだけど、でも結局は失敗しちゃったの」
失敗? 珍しいな、君が素直に認めるなんて……。
頑として認めないか、記憶をいじって失敗そのものを他人になすり付けるか。
普段はそのどちらかなのに、あぐらをかきながら難しい顔。
というか、失敗ってどんな風にだろう。精神操作魔法に全力……廃人にしちゃったとか……いやまさか……。
「そんなしょっぱいマネするわけないでしょ。あ~あ、男を殺させるところまでは上手く行ってたのにな~。
あのままだったら飲まれてたかも知んないとは言え、変なとこでレジストされちゃうし、後で様子見に行ったらその男も生き返っちゃってるし。
キュゥべえが余計な事しなければ……。ああいう連中が今も笑ってると思うと、胸糞悪くなるんだよねー」
……は?
今、彼女はなんと言った。
殺させる? 男を……その魔法少女に?
好き合ってる二人に殺し合いを演じさせたのか?
「なぁに、意外? わたし、もう三人殺してるんだよ? 今さら数が増えたところで大した事ないじゃない」
……そうだ、思い出した。いいや、無意識に忘れようとしていたのか。
彼女が既に殺人者である事を。
友人だけは一人も居ないが、真面目に授業を聞いてくれて、ぬいぐるみとか女の子っぽいアイテムが好きな、どこにでも居そうな少女。
だがその実、三人の男を恨みに任せて殺害した、人の精神を玩ぶ、魔法少女。
必要があれば、誰であろうとも、きっと躊躇いなく殺せる。現に彼女は、己が愉悦のためだけに一つ命を奪った。けれど、それは……。
な、なぁ、神名。そういうのは、やめておいた方が良いんじゃないかな。
いくら物的証拠が残らないったって、頻発すれば注目は浴びるんだし。
君のお母さんだって、娘がそんな事をするのは望まないと思うんだ。だから――。
「……ねぇ。センセー」
顔付きが変わった。
容易に見て取れた表情が消え去り、瞳は、こちらを通して何かを見ているように遠く。
が、それも一瞬だけ。
「《命じる。窒息しろ》」
――あ゛、は――っ!?
次の瞬間には、睨みつける半眼と共に、死を命じられた。
肺が勝手に息を吐き出す。
もう何も残っていないのにそれが続き、横隔膜が痙攣する。
耳の奥で、グツグツ、と奇妙な音がした。
痛い。苦しい。酸素が欲しい。このままじゃ、本当に……!!
「全くもう。ちょっと甘やかすとつけ上がるんだから。
勘違いしちゃダメだよ? センセーの代わりなんていくらでも用意できるんだからね。
めんどーだから殺しはしないけど。ほら、《許してあげる》」
膝をつき、額で床をこすりながら喘ぐこちらに向けて、特赦が与えられた。
すぐさま大きく息を吸うのだが、一緒に埃まで吸い込んでしまい、むせ返る。
「あはっ。そう、これこれ。これがいいの。色んな感情でグチャグチャになった頭の中。まるで万華鏡みたい。
綺麗な想い出も、嫌な想い出も、ぜぇんぶ混ぜ合わせたメチャクチャな色。わたしだけが見られる色。さいこぉ」
ほんの少し。一メートルも離れていない場所から見下ろす神名。
まるで玉座からそうするよう、彼女はゆったり降り立ち、歩み寄る。
反射的に後退り距離を取ろうとするが、そのままこちらに跨り、見下ろされた。
「これからも、精々わたしの御機嫌をとって楽しませてね、センセー。でないと――」
――棄てちゃうよ。
音になっていないはずの声が頭の中で響き、心が冷える。
思い知らされた。自分が単なるおもちゃなのだと、再認識させられた。
遊ぶも壊すも、彼女の思うがまま。
無邪気に残酷な顔も、真面目な児童としての顔も、どちらも真実。天秤の両端。
この命は、吹けば飛んでしまう、二十一グラムの重り。
自分はもう、この子に逆らうことが許されない。
この人生はもう、彼女のために消費されるだけのモノ。
そう、魂へと刻み込まれてしまったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ん~んん~♪ ふふ~ん~♪」
その日、あすみは上機嫌だった。
すでに放課となった夕暮れの街を、今にもスキップしそうな様子で帰るほどに。
より正確に言うなら、前日の夜から機嫌が良かった。
原因は、彼女が“センセー”と呼び、隣人でもある担任教師の男性。
「あ~、早く帰ってモフりたい~!」
彼に貰ったある物の感触を思い出すと、身体がウズウズしてしまう。
それは、二十センチほどのクマのぬいぐるみ。
あすみはクマが好きだった。
きっかけは彼女の母が生前にくれた誕生日プレゼント。貧しく、寂しい生活を送っていた当時の彼女にとって、唯一と言っていい女の子らしいアイテム。
数日前にちょっと痛めつけた結果、早速ご機嫌取りに彼が用意したのは、それと全く同じものだったのだ。何故だか知らないが、彼は良い意味でも悪い意味でも、あすみの心をくすぐるのが上手い。
まぁ、所詮は大量生産品。偶然の一致であろうが、それでも幸せ“だった”頃を思い出せて嬉しかったのだ。
抱きしめて眠った昨日。母の夢が見れたことも、上機嫌を誘ったのかも知れない。
「……チッ。ヤなことまで思い出しちゃった」
――が、不意に感じた強烈な殺意と、吐き気をもよおす記憶に、あすみの足が遅くなる。
初めて犯されたあの日。
母の形見とも呼べるぬいぐるみは、彼女の目の前で首をもがれ、踏みにじられた。
恨みは晴らしたといえど、こうして脳裏を過ぎっては不愉快にさせる。どこまでも度し難い存在。
(もっと時間をかけて、ゆっくり殺せばよかったなぁ)
仄暗い笑みで、あすみは思う。
契約の対価として彼女が祈ったのは、自分の知る周囲の人間の不幸。
結果、彼女を虐げていた男三人は、声一つ上げる事もなく、自分達に何が起きているのかも分からぬまま、数秒、不気味な踊りをして狂死した。
その間に、人間が一生をかけても味わえない悪意に曝されたのだとしても、まだ足りない。
もっともっと苦しめて、もっともっと怖がらせたかったと、後悔していた。
(……なんで、自分には使えないんだろ)
奇蹟すらも可能とする魔法という技術。しかしながら、技術である限り万能は有りえない。
精神を操り、トラウマをえぐることも、癒すことも可能なはずのそれは、自分にだけは決して使えなかった。
また、担任教師を使って磨きをかけたはずの能力も、通常の人間に比べ、魔法少女には効きが悪い。あの女のようにレジストされる可能性もある。
時間をかければレベルⅣまでは浸透させられるが、対象の同意が必要なレベルⅤは入念に準備しないと不可能。ただ害するだけなら、トラウマをえぐって攻撃した方が早いと考えられた。
彼女が思っていたよりも、魔法とは不便な物だった。
(もし、この力が自分に使えたら……)
――わたしは、どんな生活を送っていただろう。
歩く速度を戻しながら、取りとめもなく考え続ける。
想像するのは、自分が助かっていたらという仮定の再現。
(とりあえず、クソ野郎共にマワされた記憶は消すでしょ。膜も再生して綺麗な身体に戻って、それから……それか、ら……?)
記憶を消したとして、契約の経緯が不明瞭になり、最悪フリーズしてしまう可能性はないだろうか。
綺麗な身体に戻ったとして、母は死に、父はあすみを忘れて日常を教授している。
結局、今と同じではないのか。
(……ううん、同じじゃない。きっと、今よりも)
孤独、であろう。
母が死ぬ前から、裕福ではない事を理由に友達は居なかった。
虐待の事実を勘付かれ、クラスの男子達に犯されかけたこともあった。偶然“センセー”が通りかかって未遂でおわったが、露見もせず(もちろん復讐済み)。
家でも学校でも、心休まる時間がなかった。せいぜい、教室で授業を受けている間くらいが、自分の境遇を忘れられる時間だった。
それをくれた彼とも、今でこそ奴隷扱いで側に置いているが、そうでなければ私生活で関わる由がない。
神名あすみという存在は、不幸の上に成り立っている。
(わたしから不幸を取ったら、なんにも残らない。……そうだよね。でも……)
だからこその、力だ。
不幸無くして自分が成り立たないなら、この身の証は不幸で立てるしかない。
しかし、だからと言ってこれ以上苦しい思いなんてする必要もない。
幸福はもろく、厄災は突然に降ってわく。あすみがそうだったように。
それが誰かの手で為されたとしても、些細な問題。
(わたしだけが不幸だなんて不公平。だから)
――どいつもこいつも。平等に、不幸にしてやる。
「さて。そろそろ出てきたら、お二人さん?」
唐突に立ち止まり、あすみは背後へ呼びかける。
彼女が立っている場所は、人気のない路地裏。
今、背後に隠れている人物達にとって、因縁深い場所であるはずだった。
「……やはり、バレていたようね」
姿を現したのは、二人の少女。
男であれば生唾を飲みたくなる身体つきが、服の上からでも分かる長身の少女。
そして、陽炎の如く敵愾心を燃やす、トランジスタ・グラマーな少女。
「自己紹介は必要かしら」
「いらない。そっちのこわ~い顔してるお姉さんに“教えて貰った”から。……美国織莉子さん」
「何が教えて貰っただ、この――!!」
「落ち着きなさい、キリカ。……なら、私達の用件も察しがつくはずね」
今にも飛びかからんとする少女――キリカを制しながら、織莉子が無表情に告げた。
それに対し、あすみは実に楽しげな様子で答える。
「もっちろん。さしずめ復讐ってとこでしょ。殺気でバレバレ。こうして相応しい舞台へ案内したんだから、感謝してよね?」
両腕を広げ、くるりと一回転。
姿がぶれ、再び正面を向いた時には、ゴシックロリータ風の防護服を身に纏っていた。
右手には、棘付き鉄球に鎖で持ち手を繋いだ鈍器――モーニングスター。
「それにしても、よくわたしに辿り着いたね。わたしの痕跡、記憶から完璧に消しといたのに」
握りを確かめながら、今度はあすみが問う。
答えるのは、また織莉子。
「完璧過ぎたのよ。
貴方と接触させられていた時間だけが綺麗に消えていて、操作を受けた部分とそうでない部分がハッキリしていた。
前後の記憶から行動範囲を特定できれば、あとは簡単だったわ」
「街中に誘い込んだのが運の尽きだったのさ。監視カメラにバッチリだ。美国家のマネーパワーを甘く見たな!」
「マネーパワーって……」
「……あの、キリカ? 事実なんだけど、そんな胸を張っていう事では……」
――なのだが、《ズビシッ!》と指を突きつけるキリカの補足に、間抜けな空気が漂う。
見事な推理で足跡を辿られたかと思いきや、金に物を言わせて人海戦術でもしたのだろうか。
反省点を見出しつつも、これだから金持ちは、とあすみは呆れ、織莉子が「おっほん」と咳払い。
「それはさておき……貴方に問いたい事があります。正直に答えなさい。返答如何によっては――」
「ムカついたから」
「――何ですって」
言葉を遮られ、眉をひそめる織莉子。
なおも挑発する薄ら笑いを浮かべ、あすみは続けた。
「どーせ『なぜキリカを狙ったの』とか『どうしてあんな事をしたの』って聞くんでしょ? そんなのムカついたからに決まってるよ。
わたしね、楽しそうな人を見ると憎らしいの。嬉しそうな人を見ると虫唾が走るの。幸せそうな人を見ると反吐が出るの。
それを見せつけられる人間がどんな思いをしているかも知らず、好き勝手に見苦しいモノをさらけ出すクソ共が目障りで仕方ないの」
ニィィ、と、耳元まで裂けるかのような口端。
眼はむき出しに、獲物を捉える。
「だからちょうど良かったー、仕留めそこなった奴等がまた現れてくれて。
こっちから追いかけるなんてダサいし。
今度はめんどー臭いことなんてしないよ? この手で直接、砕いてやるんだから」
細腕が振るわれ、目にも恐ろしい鈍器が壁を打つ。
髪を払う程度の気安い動作にも関わらず、車が突っ込んだかと思えるヒビが入った。
「……神名あすみ。十二歳。幼い頃に両親が離婚し、母親と貧しい生活を余儀なくされる。
母が過労で亡くなった後は親類の家に引き取られるも、性的虐待を受けた……」
「境遇には同情しないでもないけど、だからって他人を不幸にしていい道理はない。報いは受けてもらう。二対一だ、勝ち目はないぞ」
「それはどうだろーねぇ。いいから来なよ。
手足を砕いてダルマにしてから、目の前でもう一度、あの男を殺してやる。
あんたの恋人、今度はどんな顔して死ぬかな? 楽しみ」
興奮とも、嫌悪感とも取れない感覚に猫背になり、臨戦態勢をとるあすみ。
相容れないことを悟った織莉子達も、同じく。
「そう。なら……」
「……仕方ない、ね」
二人が左手を顔の横に構える。
織莉子は手の平を前に腕を伸ばし、キリカはそれを振り下ろす。
漆黒と白銀が路地を満たし――
「教育の」
「お時間だ」
――魔法少女同士の戦いが、幕を上げた。
織莉子が水晶球を互いの中間へ投げ込み、目くらましの粉塵を立てる。
「――シィッ!」
「あはっ」
一拍の後、弾丸の速度で黒い魔法少女が突貫。牙持つ腕が叩きつけられ、鉄球と衝突した。
重さの違いか簡単に弾かれるが、それを意に介さないキリカは怒涛の連撃をくり出す。
「クソッ、なんで……!?」
しかしあすみは、いなし、避け、防ぐ。
魔法少女の中でも高レベルに位置するだろう速度を、完全に読みきっていた。
「ほらほらどうしたの? そんなトロ臭い攻撃じゃ、一生かかっても当たらないよ?」
「くぅぅ、なんか肝心な時にかわされてばっかだ……っ」
いや。正確に言うなら、読み続けていた。
焦るを募らせるキリカ。彼女のレジストは完璧ではなかったのだ。
それに気づいたのは、あの強烈な殺意を受けたとき。
あすみの魔法は射程距離が短い。が、影響下に置くことが出来ればそれは拡大される。その圏内に入って来たキリカの感情を無意識に読んだことで、彼女にまだ“クサビ”が残っていると悟ったのである。
最終的にかけた魔法のレベルはⅣ。その半分――レベルⅡでも、戦闘においては多大な影響をもたらす。
いつ、どこを狙って攻撃されるのかが分かっていれば、どんな攻撃も意味はない。例え、目くらましの一瞬で展開された、《速度低下》を受けていても。
むしろ注意すべきは――
「――っと! あっぶないあぶない」
「キリカ、いったん下がって!」
――今、水晶球で側頭部を狙ってきた、白い魔法少女だ。
狂気によるレジストの衝撃でしばらく動けなかったため、その後の経緯は分からないが、死に瀕していた男が今も生きていることを考えるに、彼女の祈りは回復か蘇生のたぐい。
戦闘能力は低いだろうけれど、自由に軌道を描く飛び道具は、厄介だ。
(やっぱ、あっちを先に片付けるべきかな)
そうは思っても、あすみの手にある武器は届きそうもない。
一つ、不確実な思いつきはあるが、魔法少女相手に使えるかは試した事がない。
(かわせはしても、こっちも当たらない。どっちにしてもジリ貧か。なら、やるっきゃない)
キリカの攻撃は容易く回避できる。しかしこちらの攻撃も速度が半減していて有効打にはならなかった。
であれば、さっきから遠距離攻撃ばかりしている、重そうなドレスを着た織莉子の方が可能性はあるだろう。
ポーカーフェイスに覚悟を決め、様子を伺うあすみ。
と、早速そのチャンスは訪れる。
「織莉子、ワタシの攻撃は通用しないみたいだ。どうすればいい?」
「貴方はとにかく陣を維持して。近寄らなければあの子の魔法は効かないわ。でなければ、私の攻撃も余裕で回避されていたはず……」
キリカの肩へ手を置き、織莉子が前に進み出ようとした。
瞬間――
(黒いのを介して“クサビ”を打つ!)
――すでに影響下にある対象を中継して、魔法を行使する。
精神を操る魔法だからこそ出来る、テレパシーの応用。魔力を打ち込めさえすれば、あとは時間を稼いで耐え忍ぶのみ。
歩み出る織莉子とダブって、紫の色が見えた。
これは、警戒色。
「――ぃち」
ぐにぃ、と歪な笑い。
あすみの靴が爆ぜる。
「させないわ……!」
紫から赤。
織莉子は両手を打ち合わせ、また広げる。その間に幾つもの小型水晶球が出現。雨あられと放たれた。
が、直前で攻撃色を見取ったあすみは跳躍。壁面を三角飛びして頭上へ。
あと五秒。
「そうら!」
「くっ――う゛!」
織莉子が後方へ飛ぶ。
それを見越してモーニングスターへ魔力を流し可能な限り――腕一本分、鎖を延長。
強引に回避するためか、今度は水晶球がドレスを穿つ。鉄球の棘も、服をわずかに千切り、地を砕くに留まった。
あと三秒。
「織莉子に触れるなぁああっ!!」
激昂したキリカから牙の投射。これは容易く回避。
その間に体勢を立て直されてしまうも、まだ効力圏内。
あと一秒。
「キリカ!」
「ん!」
一瞬の視線の交錯。おそらくはテレパシー。
だが、遅い。
「――に」
織莉子の思考が流れ込む。
キリカを使った時間稼ぎ。
その隙により高威力・広範囲な飽和射撃の準備。
「読めてんだよクソ
口汚い罵りと共に、あすみが瓦礫を蹴り上げる。
それは織莉子の頬をかすめ、割り込もうとしていたキリカの動きを制す。
驚愕に開かれる瞳。
振りかぶる鉄球。
――取った!
「待っていたわ。この時を」
そう思った瞬間、白い魔法少女が笑った。
「はっ――くぁああぁ!?」
脳を直接、揺さぶられたような衝撃。
平衡感覚が失われ、堪らず膝をつくあすみ。
(な、なに、なんなの、この情報量!?)
攻撃の情報だけを読み取るつもりが、逆に無意味な情報を流し込まれた。
把握しきれないそれが思考を乱し、脳髄を犯される感覚に悶える。
……と、いうよりも。
「なんつーもん見せんのよあんたぁ!? ほぼAVじゃないのこれぇ!?」
なんでこの女は、澄まし顔で恐ろしく卑猥なことを考えているのか。
あすみの脳へ現在進行形で上映されているのは、女の一人称視点の濡れ場であった。
もちろん、無修正である。
「あら、意外と初心なのね。この程度で狼狽えるなんて」
「アホかぁ! こんなドぎついヤツ発禁受けるってぇのぉ!」
「え、あれ、織莉子? なにがどうなって――あ。そっかそっかそうだった。読まれないように封じてたんだっけ」
正常位。側位。後背位。対面座位に駅弁。
落ち着いた内装の部屋。風呂場。教室らしき場所。屋外。プール。薄暗い倉庫。
ワンピース。制服。体操服。メイド服。紐水着。バニーガール。スモック。
オーラルセックス。アナルセックス。ディルドーを使っての二本差し。魔法で膜を再生して処女喪失。ビデオ撮影。
もう、なんと言えばいいのか。四十八手を網羅しているんじゃないだろうかと、そう思える多彩なプレイの数々だった。しかも濃厚なのにいちいち幸せそうで(ついでにほとんど3p)。
あすみの一番嫌いな、本物のラブシーンだった。
「……ってそうだ、読まなきゃいいん――」
「いいえ。貴方は《読むのを止められない》」
「――なっ」
奇妙な感覚がした。
何か……見えない何かに鎖を巻かれたような。
いや、それよりも。今の言葉に魔力を乗せる感じは、あすみ自身がいつも使う、精神操作魔法の。
「な、なんで、止まらないの。いや、いやだ、やなのにぃ!?」
狂乱するかの如く、あすみは髪を振り乱し、うずくまる。
魔法が暴走し、勝手に読心が続いてしまう。
女の喘ぎ声。愛を囁く男の声。おぞましくて、堪らない。
「残念だったわね。精神的に“触れている”今、貴方は《私に逆らえない》。抵抗は無意味よ」
「く、うぅ……。回復系じゃ、なかったの……? この、色ボケ女……!」
「口の悪い子ね。そんなこと言えないようにしてあげましょうか。《もっと深く同調しなさい》」
「ふっ!? やぁ、ぁ!?」
歯軋りしながら、なおも鈍器を振りかぶろうとするあすみへ、織莉子が更に魔法を重ねる。
途端、あすみは武器を取り落として身体を震わせ始めた。
「うぁ、ぁ、なに、これ、ぇ……」
「どう? 気持ち良いでしょう、私達の先生に抱かれるのは。特別に味わわせてあげるわ」
「精神を操作するってことは、その構造を読み取れる事が前提。織莉子の推測はドンピシャだったね。
そして、考えを読まれること前提で、大量に情報を送り込み行動不能にさせる。敵ながらちょっと同情するよ」
途方もない快感が押し寄せていた。
口付けられ、胸を揉みしだかれ、内側をこすられ。
織莉子の記憶を介して、あすみは見知らぬ男に
「う、そだ……」
小さな呟きが、路地裏に響く。
「こんなの、嘘、だ……。セックスが、こんなに、気持ちいいはず、ない……。こんなの、知らな、い……」
あすみにとって、この多幸感は未知の物だった。
彼女にとっての性交とは、男が悦ぶために女の穴を使うというだけの行為。まともな愛撫すらされた経験がない。
気持ちよくなれることは一切なかった。嫌悪感はあっても、快感はなかった。
自慰でなら別だが、男根を突き込まれて感じることだけは、絶対に。
「……憐れだね」
「ええ……。幼くして強姦されたあげく、愛する人と心結ばれる幸せも知らない。歪んでしまうのも無理はないわ」
ピク、とあすみが反応する。
顔を上げれば、織莉子とキリカの二人が、憐憫の情をもって見下ろしていた。
奥歯が軋む。
全身を染める、性的快感とは違う熱。
「――むな」
純粋な、怒り。
「わたしを憐れむなぁぁあああっ!!!!!!」
激情に任せて立ち上がり、鉄球を振るう。
横向きのスイング。
会心と呼べる不意打ちに、織莉子は微動だにせず――
「こふっ」
――あすみの身体が浮き上がる。
鉄球の軌道も変化し、帽子を飛ばすことしか出来なかった。
「……気持ちいい物じゃないね。年下の子を殴るのって」
みぞおちに突き刺さるキリカの拳。
そのまま後方へ飛ばされ、あずみはえずく。
「殺しても飽き足らないはずだったけど、もうそんな気分じゃないし、先生君にも止められてるからね。特別にそれで見逃してあげよう」
「え゛ほっ、えほっ……くそ、が、ぁ……」
あからさまな侮蔑を受け、叛骨心に火が付く。
べっ、と地面に唾を吐き、キリカ達へ向けて悪態を放つ。
「なに、が、センセーくん、だ……。
あんた達、近い内に絶対ダメになるよ……? わたしがどうこうしなくたって、絶対に……。
そんな歪んだ関係、いつか破綻するに、決まってる……」
流し込まれていた記憶を見る限り、織莉子とキリカ、それにあの若者は三人で恋人同士。
美国とは、小学生のあすみですら知っている“ご立派”な家系。そんな不道徳な関係が許されるはずがない。
「心配は無用よ。そんなこと、百も承知です」
「実際、ワタシ達自身も歪んじゃってるしね。いつか破綻するのも織り込み済みさ」
「は……?」
しかし、二人はさも当然とそれを受け流す。
ムキになって反論されるのを期待していたのに、肩透かしだった。
「人はいつか死ぬわ。私達の物語は、必ず死で締めくくられる。つまるところ、人は不幸になるために生きているのよ」
「……だったら、なんで? 結局、後に待つのが不幸だって分かってるなら、幸せになる意味なんて……」
――生きている意味なんて、無いじゃない。
無意識に、あすみは心の中で問いかける。
誰もが不幸になってしまうのなら、何のために生きるのか。
不幸のために生きるのなら、どうして人間はそれを苦しいと思うのか。
どうして、あんな思いをしてまで生きたいと思ったのか。
痛みと困惑。思考がグルグルと巡り、落ち着かない。
「それこそ君には関係ないだろう。ワタシ達は幸福を感じたいから幸せになる。そのために努力し、ちょっとは我慢もするのさ。たとえいつか、全てが失われる日が来ようともね」
「遺される可能性もあるでしょう。遺してしまう可能性もあるでしょう。
その悲しみを乗り越えるため、私達は想い出を積み重ね、幸せを胸に溜めるのよ。最後の瞬間、笑っていられるように。
……まぁ、先生にとっては、ちょっとの我慢じゃ済まないみたいだけれど……」
「あー、確かに。思いっきし泣いてたもんねー」
脳裏にまた情報が流れ込んだ。
ついさっきまで精神をなぶっていた若者が、地面に手をついて咽び泣く姿。
『二人分の責任を取ろうと国外逃亡を計画していたら、恋人達に内縁関係でいましょう宣言をされたでござる……』
意味が分からなかった。
心底、本気で、あすみはそう思った。
「ど、どういうこと? なに今の? なぜにござる?」
「あちゃ、また読まれてたか」
「もう除去した方がいいかしらね。それも選択肢の一つというだけなのに、先生ったら本気で落ち込んでしまって。困った人」
おっとり、頬へ手を当てつぶやく織莉子。
困ったというわりに、楽しそうにも見えた。
……不愉快。
「……はっ。なによ良い子ちゃんぶって。わたしと同じことが出来るなら、なんだって出来るじゃない。美国家のお嬢様なんだから。
片っ端から政治屋共を操って、自分好みに国を――法律を変えることだってさ?
考えた事もないなんて言わないでよね。断片的な情報からわたしを攻略して見せたんだから、そのくらい思いつくはずでしょ」
精神に影響を与える魔法の存在は、状況が教えてくれる。
けれど、そこから戦術を組み立てたのはおそらく織莉子。
あすみと同じ効果を発生させられるなら、キリカに残った精神汚染を消し去ることだって可能だったろう。自身が影響下におかれることも防げたはず。
それをしなかったのは、魔法を使わせるため。
自分が優位だと思わせておき、最高のタイミングでひっくり返す手腕。あえて読心させた上、一瞬で脳をパンクさせるほどの情報を送り込める思考力。そもそもあすみに勝ち目はなかったのだ。
これだけのスペックを有する女が、こんな簡単な事を思いつかない訳がない。
「えぇ、考えたわ。実行しようと思った事もある。でも私は、欲しい未来は努力して勝ち取りたい主義なの。奇蹟のような力に頼るつもりは無いわ」
「……予言してやる。あんたの代で美国は潰れるよ。それでもいいの? 大切な“お父様とお母様”が人生を賭けたものをぶち壊しにして」
人の口に戸は立てられない。
今は何とか隠し通せているようだが、きっと長くは続かない。
そうなればマスコミの餌食となり、父親の威光は穢れ、白眼視される。
ご立派な血筋も終わりというわけだ。
キリカの記憶からも知っていることだが、織莉子は両親をいたく敬愛している。
なのに、彼等が積み重ねてきたものを無為にするような真似は出来ないだろう。
「そうしなければ私達が幸せになれないというのなら、それも良いかもしれないわね」
――と、思っていたのに。
あすみの予想を、彼女はあっけなく裏切る。
「私は。私達はこの愛に生きると決めた。貫くためなら、何を犠牲にすることも厭わないわ。
もちろん、そうならない道は模索し続けるけれど、他に手段が無くなったのなら、美国を捨てることだって。
それか、貴方の言った方法で世界を牛耳るのも一興ね」
「世界を裏から支配する魔法少女……。まるでラスボスだね! ならワタシは中ボスかな?」
「そんなことないわ。二人で一緒に……いいえ、先生も入れて三人でラスボスやりましょう。一緒なら、きっとなんでも楽しいわ」
ラスボスっていう例えはいいの? 結構ヒドくない? なんて思いつつ、あすみは慄く。
こいつ等は、本気だ。
いまだ繋がっているからこそ理解できる。
必要とあらば、彼女達は本気で世界を手にかけるつもりだ。
「狂ってるよ、あんた達」
「は? 何を今さら。正気か狂気かなんて、些細な問題だ。
正しく在って誰も愛する事ができないのなら、狂っている方がマシさ。
それに、君は人の事を糾弾できるほど正気だとでも?」
「……っ……」
答えられなかった。
目の前にいる二人ほど、狂ってはいないと思う。
けれど、簡単に人を殺そうと思えるくらいには異常。
一体どちらが、より狂っているのか。異常なのか。そもそも比べる事に意味はあるのか。
……分からなかった。
「覚えておくと良いわ。女という生き物は、愛を知った瞬間に狂い始めるのよ。
……さて、と。そろそろ貴方の処遇を決めないといけないわね」
沈黙するあすみへ歩み寄り、織莉子がしゃがみ込む。
迫る指に思わず身を硬くするが、それは軽く額に触れるだけ。
「《この街に留まる事は許さない》。一週間以内に去りなさい。貴方の力があれば理由付けも容易でしょう。
それ以降、この街であなたを見かけるようであれば、今度こそ力尽くで排除するわ」
「……はぁ?」
だが、そうして告げられたのも、耳を疑うほど軽い罰であった。
彼女の後ろに立つキリカを見るが、特に異論はないように見える。
寛大な処置――違う。見くびられているだけ。
少し痛めつければ大人しくなるだろうと、そう思われている。なんて傲慢な女。
こんな痛み、痛いうちに入らない。あの日々に比べたら、生温い。心を折るには至らない。
「……後悔するよ、わたしを殺さなかったこと。こんなコケにされて、黙っているとでも――」
「勘違いしないで欲しいのだけど……」
それを示したくて不敵に嗤うも、織莉子が立ち上がって遮る。
見下ろす視線は――
「私は貴方を殺さないんじゃない。貴方に殺すだけの価値が無いだけ」
――まるで、虫を見るかの如き物だった。
命ある物として認識していない。
手が汚れるから。後片付けが面倒だから。触れたくもないから。
本当に、ただそれだけの理由で殺さないだけ。
「さようなら。愛を知らず、求め方も分からない、憐れな魔法少女さん」
「殺しはしない。その代わり救いもしない。これが君への罰だ。
一人寂しく、孤独に生きるといい。二度と会わないことを祈っているよ」
あすみに背を向け、二人は夕日の降り注ぐ街へ戻っていく。
ついさっきまでの戦いを忘れたように、「帰ったら何しようか?」「奈々瀬さんにまた折檻されてるでしょうから、慰めてあげましょう」なんていうやり取りをしながら。
日の光に照らされるその背中を、ただ、見送る。
「――はっ、はぁ! はぁ、っはぁ……!」
呼吸するのを忘れていた。
プレッシャーから開放された途端、全身から汗が吹き出る。手足の震えが止まらない。
魔女を相手取るのとは比べ物にならない、悪意。
思えば、あれほど純粋な隔意を向けられたのは、初めてだった。
“センセー”へそうしていたように、抵抗できないようにしてからなぶるのがあすみのやり方。
万能感すら抱いていたが、初めて魔法少女と直接対決をした結果が、これだ。
敗北。失敗。完敗。
「……ち、くしょう……っ」
吐き捨てた言葉が、握り拳と共にコンクリートへ吸い込まれる。
血の、味がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……はあっ」
いつもの定位置へランドセルを投げ捨て、布団に身を投げ出す。
枕に顔を埋めれば、程よい柔らかさが疲労を拭ってくれた。
「……くっさ」
――が、同時に加齢臭も。
ちゃんとカバーを洗って天日干しとかしてるのだろうか、この枕。
今度は仰向けになり、天井を見上げる。
見覚えがあったが、しかしここはあすみの家ではない。隣人である“センセー”の家であった。
「さっさと帰ってきなさいよ、あのウスノロ……!」
――そうしたら、このイライラをぶつけられるのに。
自分勝手なことを思いながら、あすみは布団を叩く。
苛立っていた。
とにかく、この感情を誰かにぶつけたかった。
多少痛めつけたところで、最終的に二~三発ヌいてやれば文句は出ないはず。
本当に、男とは御しやすい生き物。
「……くそっ」
しかし、どうしようもない焦燥感が精神を煽る。
この場に居たくない。取るものも取らず、どこかへ行ってしまいたい。
間違いなく、織莉子に植えつけられた強迫性障害だ。
何度も抑制を試みたが、魔法の強度はあちらが一枚上手らしく、無駄だった。
(ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく……っ)
一番悔しいのは、このイライラを解消するには、本当に街を出るしかないと分かってしまうこと。
あの幸せ一杯脳みそ白濁女の言いなりになるしかないことだ。
「絶対、このままじゃ済まさない」
とりあえず、今は従おう。
魔女の出現率は良かったが、戦いに楽しみを見出していないあすみにとっては歯応えがありすぎる。
綺麗な想い出は醜悪な欲望に塗りつぶされ、未練も持てない。
この能力さえあれば、引越し先に魔法少女が居ても縄張りは奪い取れるだろう。
見限るにはいい頃合だ。
しかし、必ず。
(いつか必ずこの街に戻って、仕返ししてやる)
街を出る決意さえしてしまえば、少しは焦りが治まってきた。
身体を起こし、畳を這って近くの机へ。
「準備は……センセーにやらせればいっか」
必要と思えるものは、着替えと、お金と、後は……ぬいぐるみくらいか。意外と少ない。
これなら自分でも出来そうだが、なんかシャクなので彼にやらせよう。
次は、学校関係者への記憶の植え付け。家庭の事情、という単語でも入れておけば、勝手に自己補完してくれる。
財産管理人とアパートの大家にも処置しなければ。やはり手間だ。
「センセー、どんな顔するかな」
それより気になるのは、あすみが街を出ると知った時の、彼のリアクション。
本人は否定するだろうが、彼は心の奥底であすみの身体を望んでいる。
もちろん、最初からそうだった訳ではない。葬儀の日、魔法で少し性的嗜好のハードルを下げただけだ。気付いてすらいないだろう。
今となっては小学生でしか興奮できない、立派な異常性癖の持ち主。
そんな彼が、唯一欲望をぶつけられる存在と離れなければいけないとなったら。
(行かないでくれって土下座するかな。それとも着いて来ようとするかな。もしかしたら、最後だからって無理やり犯そうとするかも)
想像しているだけで、クスクスと声が漏れた。
いずれにせよ、見っともない有様を見せてくれえるに違いない。
なんだかんだで重宝した。泣いて頼み込むようなら、本当にシてやってもいいかも知れない。
そう思えるくらいには、いいおもちゃだった。
「……ん?」
ふと、机の引き出しが微妙に開いているのに気付く。
何となく引いて見れば、書類やら何やらでゴチャゴチャしていた。
弱みでも探れないかとかき回してみたら、その奥に宛名も差出人も書かれていない、無地の封筒が。
他はなにがしか書かれているのに、これだけ。
(なんだろこれ。まさか昔書いたラブレターとか?)
んなわけないか、と一人でまた笑い、封もされていない中身を取り出す。
「――え」
だが、書かれていた内容が目に入った瞬間、再び焦りが加速する。
三つ折りにされた紙の上部に、手書きの文字があった。
退職届。
(どういう、こと。こんなの書いてるところ、見た覚えない)
いや、見た覚えだけでなく、彼の記憶にもなかったはず。
常に読んでいる訳ではないが、一日一回は履歴を漁って、後で笑ってやるネタを探している。
あの性格だ。こんな物を書けば嫌でも意識し、記憶に焼きつくだろう。
なのに、あすみは知らなかった。
(寝てる間に書かれた? ううん、時間は関係ない。わたしに読まれないくらい、慎重に、注意深く準備してたってこと……?)
知る限り、教師という仕事は彼にとって幼い頃からの夢。
それを辞してまで、逃げたかったのか。
欲に溺れていたのでは、なかったのか。
「……違う、でしょ。イジメるのは、わたし。遊ぶのはわたし。捨てるのも、わたし。なのに、なんで」
――いつもわたしだけが、置いて行かれるの?