※この作品はR-18です。

魔法少女まどか☆マギカR‐18   作:七音

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 前日譚 美樹さやか

 

 

 コンビニから、自宅であるアパートへの帰り道。

 買ったばかりの安っぽいビニール傘を打つ雨の音に、憂鬱になっていた。

 たかが百円といえど、無用な出費である事は確か。万年フリーターの身としては、面白くない。

 春先と言う事もあり、寒くは無かった。ポツポツと点在する街灯が、小さな水溜りをいくつも照らし出している。

 

 

「………………」

 

 

 ――が、その中に突如として人影が現れて、驚きに心臓がキュッっとする。

 

 ショートカットの少女。

 

 近くの中学校の制服を着ている事から、まだ学生である事が分かる。

 少なくとも、こんな時間に、傘も差さずにうろついていて良いはずが無い年頃だ。

 しかもその表情は、世の中に絶望しきっていると言わんばかりにどんよりとしていた。

 只ならぬ雰囲気に気圧され、危険物を迂回する様に、大きく道を逸れる。

 挨拶を交わしただけで不審者扱いされるこの御時勢。こんな危険な物件には、関らないのが賢い選択だ。

 

 

「………………」

 

 

 しかし、こんな風に距離をとっている事がバレるのもよろしくはない。

 様子を伺いながら、気付かれない事を祈りつつ、いよいよ真横を通り過ぎる。

 その時、街灯に照らされた彼女の横顔が目に入った。

 

 

「………………」

 

 

 雨に濡れてしまっていて、涙を流しているのかどうかも分からなかったが。

 その顔は、何かを堪えているように見えた。

 どうしようもなく悲しいのに、それを押し殺してしまっている様な、そんな風に見えてしまった。

 

 脚が止まる。

 少女の後ろ姿を見送りながら、迷う。

 関ったって良い事なんてない筈だ。

 まかり間違って通報なんかされたら、仕事と生活と社会的地位がヤバイ。

 無視した方が良いに決まってるのだ。

 

 ……それなのに。

 

 

「……え……」

 

 

 気が付けば。

 その背中を追いかけて、傘を差し出す自分が居た。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 薄い扉の向こう側から、水の音が響く。

 ちょっと無理をして、きちんと風呂付の部屋を借りていたが、役に立ってくれてよかった。だがそれよりも心配なのは、今現在シャワーを浴びている彼女の事だ。

 自分でも、随分としどろもどろになっていたのが分かるのに、彼女は抵抗する事無くこうして部屋まで着いてきて、あまつさえ、勧められるままシャワーまで浴びている。

 一体何があれば、あそこまで自失できるのだろうか。

 気にはなるが、それは、聞いても良い事なのだろうか。

 

 聞くか聞かないか、どちらにしても、女の子を部屋に上げる事すら始めての自分には荷が重過ぎる気がする。

 どうしようかと頭を抱えていれば、ガチャ、という音がして扉が開き、少女が姿を現す。

 

 

「………………」

 

 

 ん……うぉあっ!?

 

 ――が、その姿に思わず声が出た。

 男物の、ワイシャツ一枚。彼女はそれしか着ていなかった。

 ちゃんと、紐でサイズ調節できるジャージのズボンとか渡しておいたはずなのに。

 驚き、手で顔を覆いながら背を向けたが、眩しい太ももが目に焼きついて離れなかった。

 心臓がバクバク音を立てているのが分かる。

 

 

「………………」

 

 

 そんな中彼女は、トスッ、と軽い音を立てて、対面のクッションではなく、なぜか同じベッドに座り込む。

 近すぎもせず、かといって離れているわけでもない、絶妙な距離。

 緊張が高まる。

 

 

《ピィィイイイーーーッ!!》

 

 

 ――と、その時、火に掛けておいた薬缶から、沸騰を知らせる音が鳴る。

 助かった、と内心ホッとしながら、コーヒー飲むか? と声をかけ、備え付けのキッチンへと向かう。

 コンロの火を止めて、もしもの時のために買っておいた色違いのマグカップに、これまた、もしもの時のために買っておいた、封を開けてすらいないコーヒーの蓋を開ける。

 自分の分は、なんとなくブラックのまま。

 彼女の分には、多めの砂糖と、火傷しないように牛乳を少し。

 淹れ終わったそれを両手に持ち、ベッドの方へ戻る。目の前に差し出すと、彼女はおずおず、その手には大きく見えるマグカップを両手で受け取った。

 

 

「……あり、がと……」

 

 

 初めて聞く彼女の言葉に少し驚いたものの、なんとか笑顔を返し、ベッドの向かいにある小さなクッションへ座った。

 そして、彼女がコーヒーに口をつけるのを見届けてから、自分もコーヒーを啜る。

 

 

 

 

 

「……甘すぎ……」

 

 ……苦っ。

 

 

 

 

 

 全く正反対の感想を、同じタイミングで呟く。それが可笑しくて、苦笑いを浮かべる。

 正直に、失敗した、と言いながら少女を見ると、彼女はああ言いつつも、無言のまま、甘過ぎるだろうコーヒーを啜ってくれていた。

 

 そのまましばらく、無言が続いた。

 

 彼女の制服は一応干してあるが、乾燥機なんて持っていないし、乾き切るには時間が掛かるだろう。そもそも、乾燥機に入れても良い物なのだろうか。

 そういえば、これからどうするかも決めていない。家に送っていくにしても、男物の服を着せていくわけにはいかない。

 となれば、適当に服を買ってこなければならないのか。女物の服は高いというし、出来れば勘弁して欲しいのが正直なところだ。

 って言うか、まだ名前すら知らない。一応、聞いといた方が良いか……? あぁでも、変な風に勘違いされたら……。

 

 

「……ねぇ……」

 

 

 そんな事をつらつら考えていたら、不意に声が掛けられる。

 顔をそちらに向けると、カップを握りしめたままに、こちらを見つめる少女が。

 瞳には、先程までは感じられなかった明確な意思のような物が、ほんの少しだけ見えた気がした。

 

 

「……なにが、目的なの……」

 

 

 少女は、暗い声でそう問いかけるのだが、自分は質問の意図を捉えられず、は? と聞き返してしまった。

 だが、それを無視して彼女は続ける。

 

 

「……どうせ、体目当てなんでしょ? だったら、好きにしなさいよ……。もう、どうなったって良いんだから」

 

 

 そう言いながら、彼女は空になったカップをベッサイドに置き、視線を向けてくる。

 

 

「ほら……来なさいよ。あたし、中学生だよ……? こんなチャンス、滅多にないんじゃないの……?」

 

 

 暗い微笑み。

 どこからどう見ても、自棄になっているとしか見えなかった。しかし、そうはっきり言われて、自分の中にも不埒な考えが浮かぶ。

 よくよく見れば、中学生にしては随分と発育が良い。

 シャツ越しにも胸の大きさが分かるし、その太ももには染みどころか、傷一つ見受けられない。表情が暗すぎるのを鑑みても、顔立ちは十二分に整っていた。

 本人が良いと言っているんだ……バレなければ良いだけの話。

 彼女の言った通り、こんなチャンス、もう二度とは訪れないだろう。

 

 

「……!」

 

 

 無言で立ち上がる。それを見て、少女が一瞬、体を震わせたように見えた。

 けれど、それでも脚は止めない。

 

 

「……ぁ、っ……」

 

 

 少女の前に立つ。

 うつむき、目を逸らしている彼女の肩が、小さく震えているのが分かった。きちんと閉じられていないシャツの胸元から肌が覗いて、胸が高鳴る。

 体を低くし、そんな彼女と視線の高さを合わせ――

 

 

 

 

 

《スコンッ!!》

 

「あいたっ!?」

 

 

 

 

 

 ――思いっきり、デコピンを食らわす。

 突然の衝撃に驚いたのか、彼女は額を両手で覆い、困惑した表情を見せる。

 それは、想像していたよりもずっと可愛らしく見えた。

 

 

「……な、なにすっ――」

 

 

 お断りします。こちとら、こう見えてもロマンチストなんだ。こんな形での初体験とか、御免被る。

 

 

「……え?」

 

 

 呆ける少女の頭を撫でながら、出来る限りの優しい声で、諭すように声をかける。

 

 何があったのかは分からないし、無理には聞かないけど。

 そんな風に自分を粗末にしちゃ駄目だ。こんな事してたら、君の事を大切に思ってくれる人が、きっと悲しむ。

 君だって、大事な人がこんな事をしてたら辛いはずだ。だから……。

 

 

「――ない癖に――」

 

 

 少女の肩が、震え始める。

 呟いた声が聞き取れず、首をかしげていると――

 

 

「何も知らない癖に、適当な事言わないでよっ!!」

 

 

 ――頭を撫でる手を振り払いながら、彼女は声を荒らげた。

 

 

「こんな体、どう大事にしろってのよっ!? もう……もう、あたしは……っ」

 

 

 言いながら、大粒の涙を流し始める少女に、自分はオロオロと手を彷徨わせる。

 

 こんな、体……? ま、まさかこの子、レイプでもされたってのか……?

 だとしたら、失敗したってレベルじゃねぇぞ――対戦車地雷踏んづけたぁ!? どどっどっどっどどうしよう……!?

 

 

「……グスッ、先輩に、八つ当たりして、友達にだって、あんな酷いこと言って……ヒック……まどかはあたしの事、心配してくれてたのに……それなのに……っ」

 

 

 内心、酷く慌てるこちらの気を知らぬまま、少女は嗚咽を漏らし続け、手の甲で涙を拭いながら肩を大きく揺らす。

 そんな彼女の口から出た言葉に、自分は“ある事”を思い出し、一縷の望みを賭け、ゆっくりと問いかける。

 

 ……大事な、友達だったんだ?

 

 

「……う、んっ……辛い、時、ずっと側に居て、くれたのに……それを、あたしはっ……」

 

 

 少女は、小さく頷く。

 それを確認してから、更に言葉を重ねた。

 

 これから、どうしたい?

 このまま、喧嘩別れしたままで良いのか?

 

 

「……スンッ……それは……やだけ、ど……でもっ……あたしには、そんな資格……」

 

 

 唇を歪め、再び俯きそうになる彼女に、自分は畳みかける。

 

 ……資格なら、十分持ってるじゃないか。

 

 

「え……?」

 

 

 友達を傷つけた事が辛くて泣いているんだから、きっと、それで十分だ。

 傷つけた事を後悔して泣けるなら、それは、君がその子の事を想っている証拠だ。そんな君の友達なら、きっと許してくれる。

 それとも、そのまどかって子は、一度険悪になったくらいで友達を見捨てるような、そんな薄情な子なのか?

 

 

「……なっ、ま、まどかはそんな子じゃないわよ!? あの子はっ……優しすぎるくらい、良い子だもん……。あたしとは、違う……」

 

 

 自分を卑下しようとする少女の頭をもう一度撫でながら、自分は再度、微笑みを。

 

 君だって優しい子だよ。

 失敗して甘ったるくなったコーヒーだって、飲み干してくれたじゃないか。

 

 

「そ、そんなの、理由になって――」

 

 

 大丈夫っ。

 

 

「……!」

 

 

 尚も否定しようとする言葉を遮る様に、言葉を被せる。

 驚いて目を丸くする彼女の姿は、やはり、自分の知る女の子の中でも上位に入るくらい、可愛らしい。

 

 君は良い子だ。誰がなんと言おうと、保証する。

 きっとその子も、君の事を大好きでいてくれてるよ。君がまだ、その子の事を大好きなのと、同じで。

 だから、大丈夫だ。

 

 

「……ホント、に……?」

 

 

 かすれる声で呟く少女に、我ながら上出来だと思う、満面の笑みを浮かべて頷くと――

 

 

「……っ」

 

 

 その顔が、クシャクシャに歪んで――

 

 

「うわぁぁぁあああぁあんんんっ」

 

 

 ――胸に飛び込んで、堰を切ったように、大声で泣き始める。

 小さな背中をポンポン叩き、大丈夫だから、と、何度も、声をかけ続けつつ、思う。

 

 ……ギャルゲーって凄いなぁ……。

 あと、やっぱこの子、おっぱいでけぇ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 女の子って怖い。

 

 目元を赤く泣きはらした少女――美樹さやかの話を聞いて思ったのは、それに尽きた。

 明日、告白するという宣言。

 一見、正々堂々とした行動にも取れるけど、相手の性格を熟知した上でそういう事をしたのなら、それは立派な牽制行為にもなる。

 まだ出会って数時間も経ってないが、この弱弱しい姿から判断するに、さやかちゃんはきっと、そういう事には奥手な子なのだと思う。

 穿った見方かも知れないが、自分にはその仁美という女の子は、相当な策士に思えた。

 

 ……本当なら、こんな体、なんて言った理由も聞きたかったが、話さないという事は話したくない事なのだろうし、ここはあえて、聞かないでおこうと思う。

 この様子なら、想定していた最悪の事態には陥っていないみたいだし。

 というか、なんなんだその幼馴染の恭介って野郎は。

 こんな可愛い子に想いを寄せられるとか死ぬほど羨ましいんですけど?

 しかも二人同時とかふざけんな。こちとら小中高と灰色の青春を送っていたというのに。

 もげろ爆ぜろ捻じ切れろ。

 

 

「……仁美は、あたしより可愛いし……あたしじゃ、勝てっこないよ……」

 

 

 膝を抱えて隣に座る彼女の声に、暗黒面へ落ちそうだった思考が引き戻される。

 その顔は、先程までに比べればかなりマシに見えたが、やはりまだ随分と気落ちしている感がある。

 ここはやはり、偉大なる先人の知恵、ギャルゲーの力を借りた方が良いかもしれない。

 さっきみたいに、ちゃんと通用してくれれば良いが……。

 

 

「勉強も、運動も……。性格だって、あたしなんかよりずっと女の子してるし……。あたしは、ただ、好きなだけだもん……。こんなあたしじゃ、恭介だって……」

 

 

 膝に顔を埋め、くぐもった声でそう言う彼女に、自分は再び声をかけ始める。

 

 それのどこがいけないんだ?

 

 

「え……」

 

 

 一番大事な物は、ちゃんと持ってるじゃないか。

 それが無かったら、きっとどんな相手とだって結ばれない。

 それとも、その恭介って奴の事を好きな気持ちも、負けてるって思う?

 

 

「それ、は……。でも、怖いの……。もし、ダメだったら……もう、側に居れなくなったり、喋ったりできなくなったら……。そう思うと、怖くて、何も言えない……」

 

 

 ……それで、そんな風に諦めて、後悔するのか?

 

 

「……っ、後悔、なんて……」

 

 

 さやかちゃんが、わずかに顔を浮かせた。

 その反応に期を見て、強気に言葉を重ねる。

 

 きっと、後悔する。

 何も出来ずに、ただ時間だけ過ぎ去って、それで後悔する。

 あの時、こうしていれば。

 あの時、ちゃんと伝えていれば、って。

 

 

「………………」

 

 

 このまま何もしなければ、その後悔に、今までの想い出も染まってしまう。

 それで良いのか? 君にとって、恭介って奴との想い出は、そんな簡単に諦められるものなのか?

 

 

「……そんなわけ、ない……」

 

 

 なら、ちゃんと伝えなくちゃ。ありのまま、全部。

 大丈夫。君には良いところが沢山ある。

 出会って数時間も経たない人間が分かるんだから、きっと、そいつも。

 自分よりも、君の良い所を沢山知ってるはずだ。

 

 

「……で、も……」

 

 

 少しずつ、暗かった声音が変わり始めていた。

 それを後押しする為に、態と茶化すようにして、自分はサムズアップして見せる。

 

 大丈夫っ!! 初対面の男を誘惑する勇気があったんだから、きっと言えるSAっ☆

 

 

「あ、あれは違っ……!! ――って、うわっ、あたしってばなんて格好っ……!!」

 

 

 反論した所で、ようやく自分があられもない格好をしているのに気付いたのか、さやかちゃんは慌ててワイシャツの裾を引っ張り、体を隠そうとした。

 その姿に苦笑いしながら、着替えてくれば? と提案する。

 

 

「……の、覗かないでよ?」

 

 

 それは覗けという振りですか?

 

 

「携帯どこだっけ……警察警察っと……」

 

 

 ちょっ!? マジで勘弁してっ!?

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……それじゃ、あたし、帰るね」

 

 

 生乾きの制服に着替え、さやかちゃんは玄関に向かう。

 それを見ながら、本当に送らなくて平気か、と声を掛ける。

 

 

「うん……もう、平気。いっぱい泣いて、スッキリしたから。ちょっと気持ち悪いけど、乾かない内に帰った方が、雨宿りしてたって言い訳がきくしね」

 

 

 彼女の言葉に、なるほど、と頷きながら、玄関の扉を開けようとする背中を複雑な気持ちで見送る。

 結局、他人の恋を後押しするような形になってしまった。

 こんなんだから女の子とちょっと良い感じになっても、最終的には友達止まりなのかも知れない。

 一体何時になったら、彼女居ない暦=年齢の壁を打ち破れるのか……。

 

 

「……あの、さ?」

 

 

 ――なんて考え込んでいたら、いつの間にかさやかちゃんは、こちらを振り返っていた。

 

 

「……その、初対面なのに、色々、迷惑かけちゃって……。本当に、ごめんなさいっ」

 

 

 言いながら、彼女は深く頭を下げる。

 突然の行動に面食らっていると、姿勢を正し、こちらを真っ直ぐに見つめて来た。

 

 

「まだ、ちょっと頭がぐるぐるしてるけど……でも、ちゃんと向き合おうと思う。

 後悔は、したくないから。まどかにも……ちゃんと、謝る。

 こんな風に思えるのは……多分、その……。あ、貴方のおかげ、だと思うから……」

 

 

 一度、言葉を区切り。

 深呼吸してから、さやかちゃんは柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 出会ってから初めて見る、その表情は。

 うっかり惚れてしまいそうな程、透き通っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 黄昏の赤に染まる、噴水公園。

 多くの人々が憩う中、一人、ベンチに佇む少女。

 物憂げな視線の先には、伸びた影を引き連れる木々の群れ。

 ただ静かに見つめ続ける彼女は、声をかけるのが躊躇われるほどの、寂寞たる様だった。

 

 

「……さやか。やっと見つけた」

 

 

 そんな事を気にも留めず――あるいは、あえて無視して歩み寄るポニーテールの少女。

 向けられた声に気付き、ベンチに座る少女――美樹さやかは、そちらへ首を巡らせる。

 

 

「……杏子」

 

「ったく、どこほっつき歩いてたのさ? 散々探し回ったんだぞ?」

 

 

 きつい口調と裏腹に、ポニーテールの少女――佐倉杏子は笑みを浮かべている。

 彼女はさやかの隣へ勢い良く腰掛けると、何処に持っていたのか、ポテトチップスの入った細長い缶の蓋を開け、薄塩味のそれをパリパリ頬張った。

 

 

「なんか、悪いね。手間、掛けさせちゃったみたいで」

 

「………………。どうしたのさ、らしくない」

 

「うん……。なんて言うのかな。全部、終わっちゃって。気が抜けちゃった」

 

「終わった……」

 

 

 珍しくしおらしいさやかの言う「終わった」という言葉に、杏子はあまり良い結末を描けなかった。

 長年、幼馴染に想いを寄せていたという彼女。

 活発で、考えた事も、割と包み隠さず表に出してしまう彼女が、胸に秘そうとまでした慕情。

 しかし、それを成就するのに立ちふさがった障害は、如何ともし難いもので。

 もがき苦しむ様を直に見て――ましてや、原因の一端まで担ってしまった事のある杏子としては、苦虫を噛み潰している気分だった。

 

 

「結局、あたしはさ。恭介のためって誤魔化しながら、自分の願いを叶えようとしてたんだよ。

 恭介の腕を治せば、また、一緒に学校行ったり出来る。一緒に過ごすことが出来る。……あたしの想いに、気付いてくれる、って。

 ほーんと、ばっかみたい。不純だよねー。そんな事、あるはず無いのに。……本当に、後悔するところだった」

 

「……なぁ、さやか。アンタ、もしかして」

 

「うん。振られちゃった。一足遅かったみたい。

 あ~あ、こんな事なら、学校さぼって色々と考えるんじゃなかったなー。

 ……ちゃんと、恭介の事が好きだったんだって言えただけ、マシだとは思うんだけどさ」

 

「………………」

 

 

 遠くを見つめる、儚い微笑。

 いつかの危うさは感じさせない、そんな表情に、しかし杏子は苛立ちを募らせる。

 

 

「さやかは……」

 

「え?」

 

「さやかは、それで良いのかよ。アンタは、その恭介って奴の為に契約したんだろ? 魂を捧げたんだろっ? なのに、気持ちを伝えるだけで満足だって言うのかよっ!?」

 

 

 詰め寄るような勢いに、さやかは目を丸くする。しかし、杏子自身も驚いていた。

 なぜ、こんなに苛立っているのか。

 なぜ、こんなにさやかへ肩入れするのか。

 なぜ、彼女の想いが遂げられない事を、残念に思うのか。

 自分で理解できないからこそ、苛立ちは加速し、怒りに顔が歪む。

 けれど、そんな彼女の様子を見て、さやかは小さく笑みを零す。

 

 

「杏子ってやっぱり、根は良い人だよね?」

 

「………………はぁ!? い、いきなり何言ってんのさアンタはっ!?」

 

「だってさ、杏子は今、あたしのために怒ってくれてるんでしょ? ……ありがとね。でも、これで良かったんだよ」

 

 

 動揺する杏子を微笑ましく見つめながら、さやかはベンチを立つ。

 そして、数歩歩いて立ち止まり、大きく背伸び。

 

 

「本当はね。全部バラしちゃおうかな、とも思ったんだ。

 恭介の腕を治したのはあたし。一番早くに好きになったのもあたし。だから、あたしを見て。あたしを、好きになって。……そんな風に。

 でも、そんな事したら、恭介は本当に、あたしを好きになってくれるから。好きになろうって、努力してくれるだろうから。それってさ、なんか違うでしょ?」

 

「……分かんねぇよ、そんなの」

 

「少なくとも、あたしにとってはそうなの。そりゃあ、うちの親はお見合い結婚だし、そういう関係になってから育むものもあるんだとは、知ってるけど。

 今、この事実を知られたら、そういう事すら出来なくなっちゃう。あたしは、愛されるのを待つだけになっちゃうと思うから。

 ……愛されるより、愛したい派なのですよ、さやかちゃんは」

 

 

 腰に両の握り拳を当て、さやかは胸を張って言う。

 切なげで、それなのに何故か、力強さを感じるその姿を、杏子はただ見つめ続ける。

 

 

「たとえ、恭介の心に触れる事が、出来なくなったとしても。

 あたしの想いは伝わった。恭介は、あたしの想いを嬉しいって言ってくれた。

 十分だよ。祈りは確かに、叶ったんだもん。これ以上を望んだらバチが当たっちゃう。

 恭介が、あたしの気持ちを覚えていてくれるなら、大丈夫だから。

 ……いつかは、知ってほしいって思うけど。それはきっと、今じゃない。だから、いいの」

 

 

 夕日に陰る表情は、彼女の背にする太陽が眩しくて、見ることも叶わない。

 目の前に居る少女の見せた強さに、杏子はまた驚いていた。

 

 彼女は、たった一つの祈りの為に――事故で失われた幼馴染の腕を回復させるために、己の全てを捧げたと言って良い。

 肉体を。平穏を。――魂を。

 そうとは知らず、知らされず。ただ、無邪気に願ってしまった。

 真実を知らされた時など、目も当てられぬ有様だった。……杏子自身も含めて。

 なのに――

 

 

(……なのに。なんでさやかは、さやかのままで居られるんだ)

 

 

 ――彼女は、笑っているのだ。

 誰かの為に魂の祈りを捧げ、それが報われることを信じて、愚直に献身を呈す。

 だから、その結末は自分と同じで――変わらずには居られないと、そう思っていたのに。

 彼女は、変わらない笑顔を、見せつける。

 

 

「――かちゃあぁんっ!」

 

「ん? あれって……」

 

 

 その時、遠くから名を呼ばれたことに気付いて、さやかは振り返る。

 こちらに駆け寄るのは、彼女の親友――つい先日、一方的に悪意をぶつけてしまった少女の一人、鹿目まどかだった。

 

 

「アタシが呼んだんだよ。キュゥべえを通じてな。まどか……だっけ? アイツ、ずっとアンタの事を探してたみたいだったからさ」

 

「……そっか。そういう子だよね、まどかは」

 

 

 自嘲するように、けれど、とても嬉しそうに、さやかはまた笑う。

 あの子のことだ。きっと、自分の事などほったらかしで探してくれたのだろう。

 彼女が悪い訳ではないのに、それでも自分を責めて、謝ろうとしてくれるだろう。

 知っている。そういう子だと、よく、知っている。

 

 

(ちゃんと、謝らなくちゃ。……うん、約束したもんね)

 

 

 そう、心の中で確かめて、さやかはまどかに向き合い、そして――

 

 

 

 

 

「まどか……あたし――」

 

「さやかちゃあぁぁあああんんんっっっ!!!!!!」

 

「――ぐふぇ!?」

 

「さ、さやかぁぁあああっ!?」

 

 

 

 

 

 ――勢いを殺さず飛び込んで来た頭突きを鳩尾に喰らい、もんどりうって倒れこんだ。ついでにゴシャッと噴水の角へ後頭部を強打している。

 魔法少女で無ければ、火サス並みの悲劇が起きていたことだろう。

 

 

(な、なんで、なんで? なんであたしってば心だけでなく体も痛い目に遭ってんの?

 酷いこと言った仕返し? それとも反抗期? あたしゃそんな子に育てた覚え無いぞえ?)

 

 

 直接ソウルジェムに痛みを流し込まれるのと変わらないように思えるそれに、さやかの思考はメチャクチャである。

 しかし、流石に謂れ無きダメージを負わされた気がした彼女は、後頭部を擦りながら、腹部に顔をうずめるまどかへ文句をつけようと体を起こし――

 

 

「お゛、ぁあ゛、あ、う゛……な、何すんのよぉ!? 死ぬかと思っ――」

 

「っすん、ひっく、さや、か、ちゃん……ご、め……わた、しぃ……」

 

 

 ――何も、言えなくなってしまった。

 離さないと言わんばかりに縋りつき、まどかは嗚咽を漏らす。

 

 

「ごめん、ね……あの日、追いかけなくちゃ、いけなかったのに……私、出来なかった……。

 私、弱くて……甘えてばっかりで、さやかちゃんに、辛いこと、押し付けちゃってた……」

 

「……まどか」

 

「でも、それでも! 私はさやかちゃんに笑ってて欲しい! 自分勝手って言われてもいい! 嫌われたっていい!

 ……さやかちゃんは、私の……大切な、友達だから……だから、幸せになって、欲しい……。そのため、なら……さやかちゃんのためなら、私は……!」

 

「だめ」

 

「……え」

 

 

 ぎゅっと、まどかを腕に抱き、さやかはその言葉を遮る。

 同じ女の子のはずなのに、妙に小さくて、柔らかくて、あったかい。

 そんな彼女を、抱き締める。

 

 

「あたしのためにまどかを犠牲になんてしたら、彼氏さんに顔向けできないよ。……なにより、あたしがあたしを許せなくなる」

 

「……で、も」

 

「デモもストも無いの。それに、今のあたしには、そんな事よりもずっと大事なことがあるし」

 

「大事な、こと?」

 

「そうだよ。先に言っちゃうんだもん、ずるいよ……」

 

 

 舌足らずに鸚鵡返すまどかへ、さやかは――

 

 

 

 

 

「酷いこと言って、ごめんね。

 八つ当たりなんかして、ごめんね。

 ……友達って言ってくれて、ありがとね」

 

「……あ」

 

 

 

 

 

 ――そう言って、笑いかける。

 あの日……あの戦いの最中に見せた、己を省みぬ凄絶な笑みとは、まるで違う。

 静かで、澄んだ微笑み。

 

 

「う……うわぁああんっ!」

 

「あぁもう、ほら、泣かないの。可愛い顔が台無しだぞー?」

 

 

 それが嬉しくて、まどかは溢れるものを堪えようとはしない。

 幼い子供のように、心置きなく、わんわん泣きじゃくる。

 彼女をあやし、頭を撫で続けるさやかは、やはり静かに笑みを浮かべていて。

 

 

(なんか、嘘みたい。全部、あの人の言う通りになっちゃった)

 

 

 思い返すのは、昨晩出会い、胸を借りてしまった、見ず知らずの男性。

 どうしてあんなに素直になれたのか。……さやか自身、よく分かっていない。

 けれど、彼が掛けてくれた言葉達は、何故か心の深くに染み入り。そして言われた通り、まどかはまだ、さやかの事を友達だと思ってくれていた。

 その身を捧げようとまで、してくれて。

 

 全て、無くしてしまったと思っていた。

 何も知らぬまま、魔法少女になって。その真実を知って、自棄になって。

 想いを告げる資格も、友達も、戦う意味すら、無くしたと思っていた。

 

 

(でも、全然違った)

 

 

 ただ、見失っていただけ。

 思い通りに行かなかった事ばかりだけど、それでも、変わらず側に居てくれる優しさのおかげで、本当に無くさずに済んだ。

 それどころか、こんなにも想ってくれる親友が居たのだと、確かめることが出来た。

 こんなにも大切なものを、あっけなく見失うだなんて。

 あぁ、なんて……。

 

 

「……あたしって、ほんと、バカ……っ」

 

 

 不意に、涙が零れた。

 恋に破れた時にも流れなかった涙が、今になって。

 

 

「さやか、ちゃん……?」

 

「だめ、だった……あたし、ふられちゃった、よ、ぉ……」

 

「……! そ、んな……!」

 

「うぁ、ああぁ、うわああぁぁあぁぁああっ!」

 

「さやかちゃん……な、泣かないで……泣かないでぇ……うぅぅ……」

 

 

 さやかの目から流れる涙を指で拭いながら、しかし、そうするまどかも、顔はぐしゃぐしゃに。

 涙が涙を誘い、二人はやがて、互いをきつく抱き締め合う。

 おそらくは、一人では耐えられない悲しみも、二人であれば乗り越えられると、無意識に悟っているのだろう。

 この温もりが、自分を救ってくれると、本当で知っているのだろう。

 

 そして、そんな彼女達を無言で見守っていた杏子は、唐突に気付く。

 

 

(……そっか。アタシは)

 

 

 ――さやかの事が、羨ましかったんだ。

 

 杏子が過去に失くしたものを、持ち続けている彼女が。

 とうの昔に諦めてしまった道を、迷い、戸惑い、覚束無いながらも歩み続ける、彼女が。

 

 最初、その存在を知った時に覚えたのは、侮蔑にも似た感情。

 それはさやかだけではなく、杏子にとって特別な意味を持つ存在――かつて共に在り、袂を分かった優しすぎる先輩、巴マミにも向けられていた。

 裏切りに等しい形で傷付けたにも関わらず、マミはさやかを受け入れ、さやかはマミを慕った。

 かつての杏子と同じように。

 けれど、その二人の在り方は、一般的な魔法少女から見れば異端としか言いようがなかった。

 魔女も使い魔も関係なく、人々の命を護るために全霊を傾ける。非効率で、リスクばかりを背負い込む、そんな在り方。

 

 杏子は苛立った。見せ付けたくなった。

 そんな生き方は損をするだけだと。もっと賢い生き方を、アタシ達はするべきなんだ、と。

 さやかの祈りが、他人のために使われたことを知って、それはもっと顕著になった。

 人が何かを祈るのは、結局の所、自分のためなのだ。

 どんな理由をつけても、どんな綺麗事を唱えても、突き詰めていけば、自分が満足するために祈る。人間とは、心とは、そんな身勝手な物の塊。

 それを履き違えて、自分を誤魔化したまま誰かの為に祈ったりすれば、最後に待つのはあまりにも惨めな結末だ。

 ――かつての杏子と、同じように。

 

 いつの間にか、杏子はさやかに、そんな結末を迎えて欲しく無いと思うようになった。

 報われて欲しいと、思うようになった。

 アタシはダメだったけど、せめて、コイツくらいは。

 誰かの為に、たった一つの願い事の為に己を捨てたバカなヤツが、幸せになって。ついでに、マミの本当の仲間になってくれたなら。

 思えば、杏子は彼女に、過去の自分を重ねていたのだろう。

 

 ……でも、結局はダメだった。

 想いを寄せていた少年に拒まれ、おまけにソイツは、彼女がその身を犠牲にして居る事を知らない。

 どれだけ苦しみ、どれだけ傷つき、どれだけ悲しんだのかを知らないまま。

 仕方が無いとは言え、あまりにも報われない。なのに、彼女は……。

 

 

(もし、アタシも、さやかみたいに。……もっと優しさへ、素直になれていたら。アタシは……)

 

 

 今も、マミの隣に居て。

 二人で一緒に、戦って。

 さやかとも、違う出逢い方が出来たかも、知れない。

 

 ――今のアタシとは、違うアタシで、居られたのかも知れない。

 

 

「……あ~あ。見てらんないよ、ったく……」

 

 

 溜息と共に呟き、杏子は噴水に背を向ける。

 呆れたような口振り。しかし、口元を飾るのは、優しい苦笑い。

 きっともう、大丈夫だろう。

 

 

(今のさやかは、あの頃のアタシとは、違う)

 

 

 少し視線をずらせば、遠方に、抱き合う彼女達を見つめる二人分の影。

 目尻に輝きを乗せ、少し悲しそうに、けれど優しくそれを見守る、先輩魔法少女。

 そして、普段と変わらぬ無感動な顔をしながらも、決して目を離そうとしない、黒髪の魔法少女。

 こんなにも沢山の人に想われ、それを素直に受け入れられた、彼女であれば。

 

 

「きっと、大丈夫さ……」

 

 

 後ろを確かめもせず、再び呟く。

 だが、確かに。

 それは、必要のない行為であったのだろう。

 

 

「ぅう、ぐ、んっ、うあぁぁあっ」

 

「……っ、すんっ、あ、ぅうぅ……」

 

 

 黄昏の中、二人の少女は、人目を憚ること無く、泣き続ける。

 嬉しさと、寂しさと。その両方を抱えて。

 それぞれに異なる感情を秘めた、二対の瞳、一つの背中に見守られているのを、知らぬまま。

 胸の奥に誰もが持つ、魂という名の宝石を、涙で洗い流していく。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 あれから数日。

 何事も無かったように、いつもと同じ、退屈な日々を過ごしていた。

 ちゃんと友達とは仲直りできたのか。さやかちゃん自身の気持ちはどうなったのか。

 連絡先も知らない自分には、知る由も無い。

 出来る事なら、上手く行っていて欲しい。あんなに良い子なのだから、是非とも幸せになって欲しい。

 恭介とやらはもげて欲しいが。本気で。EDになれ。

 

 ……彼女、欲しいなぁ。

 

 自身の現状を振り返り、その情けなさに溜息をつきながら、暮れ始めた太陽に照らされたアパートの門をくぐる。

 

 

「あ……オッス、久しぶりっ」

 

 

 すると、横合いから不意に声を掛けられた。

 顔を向ければ、そこには、あの日と同じ制服に身を包む、さやかちゃんが立っていた。

 驚き、おう、とぶっきら棒に返事をしてしまったが、彼女は気にしていないのか、笑顔で話しかけてくる。

 

 

「ごめんね、いきなり来ちゃって。ちょっと話したい事があるんだけど、時間いい?」

 

 

 問いかけに対し頷きながら、上がっていくか? と聞くも、さやかちゃんは首を横に振った。

 

 

「ううん、直ぐ済むから。改めて御礼を言いに来たのと、ついでに、報告だけしときたかったの」

 

 

 言いながら、彼女は居住いを正し、あの日と同じ様に頭を下げる。

 

 

「本当に、ありがとうございました。おかげで、まどかとも仲直りできたし、恭介にも自分の気持ち、伝えられたよ」

 

 

 顔を上げた時に浮かんでいた表情は、晴れやかな笑顔だった。釣られて、自分も笑顔になる。

 この分だと、告白も上手く行ったのだろう。

 少し――いやかなり羨ましいが、こんな風に笑っていられるなら、それはきっと良い事なのだ。

 そう思い、よかったな、と声をかけたのだが、さやかちゃんの口からは思わぬ言葉が発せられる。

 

 

「……うん。まぁ、一足遅くて、フラれちゃったんだけどね?」

 

 

 事も無げに言ってみせる彼女に驚き、どうして、と問いかけてしまった。

 

 

「ん~、なんか、長く友達で居過ぎたって言うか……そんな感じ。仁美の告白も受けちゃってたし、しょうがないよ……」

 

 

 さやかちゃんは苦笑いをしながら、指で頬を掻く。

 それを見て、自分の中にはモヤモヤとした、不快な感情が生まれた。その正体は、自分でも直ぐに理解できた。

 ――嫉妬、羨望、怒り。

 そんな感情を、彼女をフッた恭介に対して抱いたのだ。どうやら自分は、思っていた以上に、さやかちゃんの事が気に入っているらしかった。

 暗い感情を抑えきれず、そいつの目は節穴だな、と悪態を吐いてしまう。

 

 

「あははっ、そうかもね。でもその分、手先は器用なんだよ? 恭介のヴァイオリンは凄いんだからっ」

 

 

 だが、それを聞いても、彼女は穏やかな笑みを絶やさない。

 それ程までに想われている恭介という男が、どうしようもなく、羨ましかった。

 

 

「……恭介の事は、駄目だったけど。

 でもね? あいつのヴァイオリンだけは、好きで居ようって思うの。

 ……好きで居たいって、思えるんだ。これだけは、絶対に、誰にも負けないから」

 

 

 さやかちゃんは、誇らしげに胸を張る。

 その姿が眩しく見えて、強いんだな、と目を細めながら呟く。

 

 

「えへへ、そうですとも。恋を知った女は強いんだからっ。

 ……それじゃ、あたし、もう行くね? ……本当に、ありがとう」

 

 

 彼女は、微笑みながら背を向ける。

 後姿がゆっくりと小さくなるにつれて、自分の中には、胸が締め付けられるような焦りが生まれた。

 このまま見送ったら、もう二度と、会えなくなるような気がして。

 だからつい、あのっ、と去っていく背中に声をかけ、呼び止めてしまった。

 

 

「……? なに?」

 

 

 しかし、振り返る彼女に、なんと言って良いのかが、分からない。

 散々迷って、目を泳がせて、咄嗟に出たのは――

 

 ……コーヒー、飲んでかないか?

 

 ――なんて言う言葉だった。

 

 

「え?」

 

 

 さやかちゃんは、突然の誘いに首をかしげている。それも当然だ。ついさっき上がってかないかと言って断られた相手に、同じようなこと言ってどうする。

 なんでこう、ギャルゲーの助けが無いと、気の利いた台詞一つ浮かばないんだっ。

 変に思われたに決まってる……どうしよう……。

 

 

「……クスッ」

 

 

 顔を背け、頭を掻き毟りながら、あ~う~唸っていると、小さな笑い声が聞こえた。

 視線を向けると、彼女は足を戻し、少し身を屈ませるようにして、じっとこちらを覗き込んでいる。

 慌てて再び顔を背けたが、自分の顔は少し、熱くなっている気がした。

 

 

「……甘いのが、いいな」

 

 

 その言葉に呆気に取られ、動きを止めていると、さやかちゃんはこちらの腕を取り、アパートへと引っ張って行く。

 

 

「ほらっ。コーヒー、淹れてくれるんでしょ? 早く早くっ」

 

 

 微笑みながら、そう言う彼女に。

 自然と、自分も笑みを返していた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その日から、色気のいの字すらなかった生活は一変した。

 連絡先を交換してからと言うもの、毎日のようにやり取りを繰り返し。

 二日と置かず、さやかちゃんは家に遊びに来てくれて、その度に、彼女は甘いコーヒーを飲んで行った。

 

 他にも、買い食いをして歩いたり――

 

 

「……ねぇ、本当に食べるの? その《桃色ドリあんぱん》……すっごくイロモノっぽいんだけど……?」

 

 ……いや、せっかく買ったんだし、一口だけでも………………ぶほぁっ!?

 

「ちょ、ちょっと!? 大丈――く、くっさ!! なに、なにこれ!? ち、ちょっと、近寄んないで!?」

 

 ぐほっ、えほっ……さ、さやかちゃんが買えって言ったんじゃないか……死なばもろとも……ぐふぉっ。

 

「ぎゃーーーっ!? 来ないで、来ないでってばーーー!!」

 

 

 彼女をからかって遊んだり――

 

 

 ……本当に、さやかちゃんはいつも必要以上に元気だな……。

 

「ん? 当ったり前よっ。さやかちゃんはいつだって元気がとりえですからねっ――って、必要以上てどゆ事?」

 

 いやいや。特に深い意味は。でもそれ、元気以外にとりえが無いみたいに聞こえる。

 

「むっ。そんなこと無いわよ!! 例えば……例えば……え~と……」

 

 ………………。

 

「……か、可愛い、とか?」

 

 ……うん、そうだね。(うざ)可愛いね。

 

「ねぇあんた心の中で馬鹿にしてない? あたしの目を見て言いなさいよ」

 

 ウン、ソウダネ。(ウザ)カワイイネ。

 

「可愛いの前にある微妙な間はなんなのよ!? あ、コラ!! 逃げんなぁ!!」

 

 アハハハハ。サヤカチャンハ(ウザ)カワイイネェーーー。

 

 

 二人だけで、食事に行ったりもした――

 

 

「いや~。初めて来たけど、美味しいね~、ここのパスタ」

 

 本当に。値段も手頃だったし、良い所教えてもらったよ。

 

「うんっ。今度、まどか達とも来てみよっかな……ん? あれ、あんた、なんでトマト残してんのよ?」

 

 ……え? あ、いや……生のトマトは、苦手で……入ってると思ってなくて……。

 

「えぇ? 何言ってんのよ、好き嫌いはダメでしょ? 勿体無い……ほら、口開けなさいっ」

 

 い、いや、ホントにダメなんだって!? 勘弁して!?

 

「食べ物を粗末にしちゃだ~め!! ほらっ、あ~んしなさいあ~んっ!!」

 

 だから無理だっ――むごぉ!?

 

「ぃよしっ、勝った!!」

 

 

 彼女との関係も、急速に近づいていた。

 それこそ、さやか、と呼び捨てにする事を許される程に。

 本当に、楽しかった。

 明日が来るのを待ち遠しいと思ったのは、久しぶりだった。

 出来る事なら、いつまでもこうしていたかった。

 

 しかし、そんな日々は。

 始まった時と同じように、唐突に変化を迎える事となった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……魔法、少女?

 

 

「うん……。さっきあんたを襲ってた使い魔と、その親玉の魔女を倒すのが、あたし達の役目ってわけ」

 

 

 驚きの連続で、思考が麻痺し始めていた。

 バイトからのいつもの帰り道。奇妙な空間に迷い込んで怪物に襲われたかと思ったら、颯爽と現れた、コスプレみたいな格好をしたさやかに助けられた。

 その周囲には、似たような格好をした女の子が二~三人居たが、驚きのせいかあまりよく覚えていない。

 さやかは彼女達と少し言葉を交わした後、呆然とする自分に付き添い、家まで送ってくれて。

 そして今、自分は家でベッドに腰掛け、起こった出来事の説明を受けている。

 正直に言えば、自分の頭を疑いたかった。

 

 魔法。

 契約と奇蹟。

 魔女と使い魔。

 そして、魔法少女。

 

 今まで空想上の存在だったそれ等が、現実に存在する。

 俄かには、信じがたかった。

 

 

「やっぱり、信じられないよね? ……証拠、見たい?」

 

 

 頭を抱えていると、対面に立ったさやかが声を掛けてくる。

 反射的にそれへ頷けば、彼女は手の平に美しい青の宝石を乗せ、集中し始めた。

 

 

「……むっ」

 

 

 力を込めるような声。すると、宝石から一本の刀が飛び出し、チャキ、と音を立てて、さやかの手へ納まる。

 手品にしても有り得ないと感じるその光景に、再び呆然としてしまう。

 

 

「……ちょっと、吃驚するかもしれないけど。心配しないでね?」

 

 

 言いながら彼女は、逆の手を刃を撫でるように走らせる。

 慌ててベッドから立ち上がり、何してるっ!? と叫びながらその手を掴む。

 

 

「あっ、だ、大丈夫だってば……よく見て?」

 

 

 そう言われても、なんて思いながら、とりあえず傷を確かめようとする。

 が、どういう訳か、その傷は瞬く間に塞がっていった。傷口の断面も、この目で、間近で確認した。

 手品なんかでは、無い。

 

 

「これが、証拠。有り得ないでしょ? その気になれば、痛みも殆ど感じなく出来るの……。そういう風に、作り変えられちゃった……」

 

 

 ……作り、変えられた?

 

 どういう事かと思案していると、その答えはさやかの口からもたらされた。

 

 

「……魔法少女はね、奇蹟の代償に、体から魂を抜き取られるの。そしてその魂は、魔法を使うための道具になる。それが、ソウルジェム」

 

 

 いつの間にか、彼女が持っていた筈の刀は消え去っていた。

 代わりにその手に乗っていたのは、先ほど見た、海のような青の輝きを放つ宝石。

 

 

「魔法少女にとって、肉体は只の操り人形なんだよ……。

 奇蹟の代償として、魔女を狩るためだけに、死んだ体を動かして、生きてるフリをしてるだけ……」

 

 

 宝石を握りこみながら、さやかは硬く目を閉じる。

 理解が追いつかない。それが今の自分の現状だった。

 『魔法少女』と言う単語から、日曜の朝アニメっぽい感じかと思っていたのに、なんだこれは。

 奇蹟の代償に魂を弄られて、戦わされる? 普通逆じゃないのか? 戦った末に願いが叶うとかじゃないのか?

 そんなの、借金のカタに働かされてるようなものじゃないか。

 どうして、こんな事が……。

 

 

「気持ち、悪いよね……? 見た目は人と同じでも、ゾンビみたいなものだもん……幻滅したでしょ……?」

 

 

 さやかは、自嘲するように小さく笑う。

 そんな顔を見ているのが嫌で、すぐ様、そんな事ないっ! と強く否定し、彼女の肩を掴んで瞳を見つめる。

 

 

「あ……っ……」

 

 

 しかしさやかは視線を逸らしてしまい、気まずい沈黙が生まれる。

 動けないまま、時間だけが過ぎていく。そんな中、麻痺していた頭に、ふと疑問が浮かぶ。

 奇蹟の代償として魔法少女になるのなら、さやかは、なにか奇蹟を願ったという事になる。その願いさえなければ、さやかはこんな事にならずに済んだのに……。

 見当違いの怒りだと自分で分かっていたが、どうしても、何を願って魔法少女になったのか、尋ねずにいられなかった。

 それ聞くと、さやかは少し言い淀むものの、しばらくして根負けしたかのように答えを口に出す。

 

 

「……事故で動かなくなった、恭介の腕を、治す事……それが、あたしの祈り……」

 

 

 また、恭介。

 どうして、いつも……っ。

 

 悔しさに、知らず奥歯をかみ締め、肩を掴む手に力が篭った。

 

 

「ち、ちょっと、痛い……」

 

 

 あ、ごめっ……。

 

 彼女の痛がる声に気付き、謝りながら手を離す。

 再び、沈黙。

 

 

「……あたし達、もう会わない方が、いいかもね……?」

 

 

 耳が痛くなる程のそれを破ったのは、さやかの別離を促す言葉だった。

 その衝撃に、なんで、どうして、と詰め寄るが、彼女は冷静に言葉を続ける。

 

 

「魔法少女にはね、もう一つ、秘密があるの……。それは……このソウルジェムが、濁りきった時……魔女になるっていう、運命……」

 

 

 自分の喉から、言葉にならない息が洩れた。

 開いた口を、塞ぐ事が出来ない。

 

 

「だから、側に居ない方が良いんだよ。絶対に、傷つけたくないから」

 

 

 思考が止まる。

 さやかの言葉が、耳を通り過ぎていく。

 

 

「ホントはね? あんたに会ってすぐ、この事を教えられたの。でも、あんたと居ると楽しくて……。自分が、人間じゃないって、言えなかった。……言いたく、なかった」

 

 

 彼女の頬を、何かが伝う。

 それは、とても尊く、とても、寂しそうに見えた。

 

 

「……騙してて、ごめんね。……さよなら。一緒に居られて、嬉しかった……っ」

 

 

 視界から、さやかの姿が消える。

 側に在った気配が、少しずつ遠ざかって行く。

 訳が、分からなかった。

 麻痺しきった頭の中に、さやかの言葉が木霊する。

 

 

 魔法少女。

 魔女。

 奇蹟。

 代償。

 魂。

 恭介。

 祈り。

 側に居ない方が良い。

 さよなら。

 一緒に居れて、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 ガチャリ、と、ドアの開く音がした。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 気がつけば。

 その背中を追いかけて、抱きしめている自分が居た。

 

 

「な、なにして――」

 

 

 行くな、と、ただ一言、口に出す。

 

 

「……!」

 

 

 開きかけたドアが、閉じていく。

 さやかは、困惑したように声を上げる。

 

 

「だ、駄目だってば。あたしは、魔法少女なんだから。いつか、魔女になっちゃう……。

 一緒に居たら、あんたを不幸にしちゃう。だから、関らない方が、あんたの為に……」

 

 

 弱弱しい声で、必死に拒絶しようとするさやかの言葉を、嫌だ、と拒否し返して。

 腕に力を込め、小さな体を強く抱きしめる。

 さやかの肩が揺れ始め、涙を押し殺しているような、悲痛な声で彼女は言う。

 

 

「駄目、だってばぁ……。あたし、もう、人間じゃない……化け物、なんだからぁ……」

 

 

 尚も拒絶しようとするさやかに、自分は語気を強める。

 

 ……そんなの、知った事か。

 

 

「……っ……でも……」

 

 

 変わらない。

 例え、命の在り方が変わっても、魂の形が変わっても。

 心は、変わってないはず。

 だからそんな風に、泣いて、苦しんで。

 だったら、何も変わってなんかいない。

 人間かどうかなんて、関係ない。

 どんな存在だろうと、さやかの事を好きな、この気持ちは変わらない。

 

 

「……っ……」

 

 

 さやかの体に、一瞬、力が篭る。

 我慢していた物を吐き出すように大きく肩を揺らし、大粒の涙が、抱きかかえた腕に落ちた。

 そして彼女は、首を傾け、肩越しに振り返り、こちらを見つめる。

 

 

「でも……でも、ぉ……」

 

 

 固く結ばれた唇からは、未だ戸惑いの声が漏れていた。

 不謹慎だが、その泣き顔が、とても愛おしくて。

 この気持ちを伝えたくて、ゆっくり顔を近づけ。

 さやかの頬に左手を添え、触れるだけの、拙い口付けを交わす。

 

 

「……!」

 

 

 さやかは、少しだけ体を強張らせた後、ゆっくり、その力を抜いていった。

 そして、左手を、自身を抱く右手に重ね、右手を、頬をなでる腕に添えてくる。

 

 

「……ぁ」

 

 

 やがて、唇が離れ、見つめ合う。

 もう一度、さやかの頬を撫で、その髪に顔を埋めながら、伝わったか、と囁く。

 

 

「……うん」

 

 

 問い掛けに対し、さやかは恥ずかしそうに、小さく呟く。

 そして、少しだけ体を離し、向き直るようにして、視線を重ねる。

 彼女は一度、照れた様子で視線を逸らしたが、直ぐに顔を戻し、上目遣いで見つめながら、恐る恐る口を開く。

 

 

「……あの……ね……? まだ……もう、ちょっとだけ……。今度は……あたしの気持ちも、伝えたいから……。だから……ぁ……む……」

 

 

 言葉が終わるのを待たず、さやかの背に手を回し、もう一度、唇を重ねる。

 彼女もこちらの首に腕を回し、体を密着させ。

 そうして、何度も、何度も。

 お互いの気持ちを伝え合った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 長い間、気持ちを確かめ合った後。

 ただ静かに、二人で抱き締め合っていた。穏やかな沈黙が広がり、互いの鼓動だけを感じていた。

 そんな沈黙の中、さやかの静かな声が聞こえる。

 

 

「……ね……あの日の続き……あんたと出逢った日の続き、しよっか……?」

 

 

 腕の中でそう言う彼女に、今度はこちらが戸惑う声を漏らす番だったが、その顔を見るに、さやかの意志は固いようだった。

 

 

「……やっぱり、あたしは、魔法少女だから。

 どうしても、戦わなくちゃならないし……いつか、死んじゃうかもしれない。

 だから、ちゃんと伝えられるうちに、全部伝えたいの。後悔、しないように」

 

 

 その真剣な表情と、ひた向きな言葉に、拒否をしようとは思えなかった。

 むしろ、彼女が自分を選んでくれた事が、嬉しくて堪らなかった。

 それでも、一応礼儀として、さやかの頬を撫でながら、いいんだな、と問いかける。

 

 

「うん……でも、やっぱり、変かな……? 失恋して、まだ一月経ってないのに、こんな事……」

 

 

 彼女はそう言って、不安げに顔を俯かせてしまう。

 それを安心させたくて、再び顔を寄せ、嬉しいよ、と声をかける。

 

 

「……うん……」

 

 

 胸板に顔を埋め、さやかは吐息を漏らす。

 その肩を抱きながら、そう言えば、と思い立ち、ちょっとしたお願いをしてみる。

 

 もう一度、変身して見せてくれないか?

 あの時は気が動転していて、よく見られなかったし。

 

 

「え? いいけど……ま、まさか、変身してするの? 初めてなのにっ?」

 

 

 別にそういう訳ではなかったのだが、慌てるさやかの様子を見て、それも良いかも、と思ってしまう。

 それが顔に出ていたのだろう、彼女は怒ったような声を上げた。

 

 

「もうぅ、このスケベッ!! なんであたしこんなのに……」

 

 

 文句を言いながらも、腕の中からすり抜けて、さやかは部屋の中へと戻っていき、その手にソウルジェムを握り締める。

 そして、少し離れた所まで行くとこちらを振り返り、手を掲げた。

 

 

 

 

 

「それじゃ、するから……ちゃんと見ててよねっ、あたしの、もう一つの姿……!!」

 

 

 

 

 

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