「うーん……」
聖耶は悩んでいた。
治水工事の進展具合が芳しくない為である。
正確には今までが今まででチート過ぎただけなのだが、それに毒されている聖耶には聊かもどかしかった。
「……そうだ!」
そもそも、進展が遅いのは一つ一つの作業、特に古代魔法に関してが問題なのだ。
彼らエルダーの魔力は相当に高い。亜人、人間を含めた中で最も高い種族と言われている。
そんな彼らでも、この集落に水をひいてくると言うのはかなりの重労働だ。
ならば、そこを超チートである聖耶が補えばいい。
そう思い立った聖耶はいそいそ、と治水工事の現場に向かうのだった。
いそいそと歩いていく聖耶の後をちょこちょこ、とフィルがついて回る。
そんな様子を微笑ましそうに眺めるのはカリン。
そして、そのメイドの前では死んだマグロの如き状態のエルフの少女が転がっていた。
「おお、セイヤ殿。おはようございます。今日はどうなされましたか」
治水事業の長はエルである。
ノームの持つの自然魔法……あるいは本能、あるいは直感。
それと、ノームの中でも特に長い時を生きた彼の経験と知識が、この事業を大いに支えていた。
「おはようございます、エルさん。いえ、何か手伝おうかと思いまして」
聖耶もエルには敬意を抱いている。
お年寄りは大切に、と言うのもあるのだが、如何に小柄でもその容貌はまるで彼の敬愛してやまない祖父とその面影が重なるのだ。
と言うより、聖耶は祖父母、両親やそのご先祖には敬意を抱き敬愛をしていると言うべきか。
故に、どこか祖父を彷彿させるエルには、自身より遥かに経験のある人物であると言う尊敬と同時に、こちらの聖耶ではもう会えない祖父を重ねているのだ。
「いえいえ……セイヤ殿。我らでも行えることですので、セイヤ殿は我らの庇護者でさえ会って頂ければ」
対するエルは、聖耶に対する態度は若干違う。
孫娘のような、あるいは娘のようなフィルを預けた……いわば、フィルの良人である。
それと同時に、唯一にして絶対の創造神グリムの遣わせた神の使徒である。
公人としては、神の使徒たる聖耶にこのような土木工事を手伝わせるわけにはいかない。
「……んー……じゃあ、フィルの親友? としてお手伝いしたいのですが」
エルの言いたいことも解り、その老体の思ってることも若干ではあるが把握した聖耶は切り口を変える。
公ではなく私で接していく手法に切り替えていく。
「……ふむ、そういうことでしたならば、喜んで。と言いたいところですがの、セイヤ殿」
ふと、真面目な顔になり、エルが聖耶を見やる。
その様子にただならぬ気配を感じ、また、その顔が祖父に自らを叱る時のものと重なり、自然と背筋を正してしまう。
「セイヤ殿は自称ではなく、正真正銘の神の使徒じゃ。我らにとっては、殿上人どころではない。貴方様のその態度や心構えは、私人としては好感を抱きますし、喜びもしましょうぞ。しかし、今のような時分はともかく、この先、そのようなことでは先が思いやられまする。今すぐに、とは申し上げませぬが、この先を見据えておられるならば、よくよく考えて行動なさって欲しい」
聖耶は、亜人の保護を考えていた。
そう、考えていただけなのだ。亜人さえ保護し、彼らが生活地盤を確保して人間と真っ当に渡り合えるようになればいいと思っていた。
しかし、彼の行く道は、道を整えましたから歩いてください、と丸投げ出来るようなものではない。
それこそ、王としての道を歩まざるを得ない。彼の使命としても、彼の立場としてもそれは避けることは出来ないだろう。
彼に、王としての自覚は絶無であった。
当たり前だ。野口 聖耶と言う人間は、現代社会を生きる一般市民だ。
高貴なる生まれでもないし、王としての教育を受けているわけでもない。
ただ、ただ、大きな力を与えられただけの一般人だ。
その力の大きさも問題であった。大きすぎる力なのだ。物質生成設置を各種としてあらゆる付与された能力が。
だから、聖耶にはこれが異世界であり現実である、と言う認識がありながらもどこか非現実的で、そして舞い上がっていた。
言うなれば、現実的にこの異世界を見据えながらも、新しい玩具を与えられた子供のように、そして、どこかゲーム的な感覚で"遊んで"いたのだ。
その事を思うと、急に聖耶は背筋が寒くなる。
このまま歩んでいれば、きっと彼はそのうち暴君になっていたであろう事を。
そして、それ以上にそんな浮ついた気持ちのまま、カリンとフィルを抱いていた事を。
確かに流され体質で乞われたから、と言うのもあったが、彼としては決してお遊びで抱いたわけでなかった。
だが、そもそもこの世界に来たことを、この世界でやることを浮ついていた気持ちでしていたのなら、亜人たちの想いを、努力を、彼女たちの想いを行為を――軽んじていた事他ならない。
「……ありがとうございます、エルさん」
その忠言をくれたこの目の前の老人に感謝をすると同時に。
この老人への敬意が聖耶の中でさらに大きくなる。
リングウェインも、フィルも、カリンも、彼のままに任せてくれた。エルフィはさておいておく。
だが、この老人は自らを戒めてくれた。今までに無い存在だ。
「いかんいかん、年を取ると説教臭くなるのう」
からから、と笑う老人には先ほどの色は見えない。
その様子に、聖耶はおかしそうに笑えば頭を下げる。
「うむ……ではセイヤ殿。ここはお任せくだされ」
エルは聖耶に頭を下げて立ち去り、作業に戻っていった。
その小さな背中を見送り、やはり、年を経た人物と言うのは偉大だ、と再認識する。
傍らにいる蒼い髪の少女――フィルに向き直ると、彼女は可愛らしく小首を傾げ見上げる。
「ごめんな」
一言謝り、頭を下げるとフィルは怪訝そうに小首を傾げる。
その後、数秒ほど考え込むと、聖耶の裾をぐい、と掴み、そのまま抱きついてきた。
「……フィル?」
「……セイヤが、どんな気持ちか、知らない……」
ぽつり、ぽつりと呟く途切れ途切れの言葉。
いつも通りにそこに乗る感情は薄い。けれど、こめられた想いは、厚く、重い。
「……けど、セイヤに、して、もらうの、好き、セイヤのこと、好き」
ふわり、と花のように微笑む少女に、頬が赤くなるのが解る。
泣く子と女性、そしてご老人には叶わないな、と呟きながら聖耶は彼女の髪を撫でる。
くしゃり、と言う音と共に、どこか嬉しそうにフィルが瞳を細める。
「……カリンも、セイヤにして、もらうの、好き。セイヤの、こと、好き」
女は女の気持ちをよく知る、と言うことだろうか。
この口数は少なくも、素直な少女がこのように語るのならば、それもまた事実なのだろう。
「そうだな、カリンにも謝らないと……」
「……エルフィも、セイヤのこと、好き」
「…………なん…………だと…………?」
衝撃的発言に聖耶は、ザ・ワールド!! 時よ止まれ!! 7秒時点で時を止め返していた……に陥る。
あの馬鹿娘に一体いつ好かれたと言うのか。否、これはフィルの勘違いではないだろうか。
堂々巡りする思考を断ち切ったのは館から聞こえてきた声である。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!??」
「……エルフィの霊圧が……消えた……!?」
決して死んでいない。が、また何かやらかしてカリンに誅されたのだろう。エルフィ、永遠に儚く。
聖耶の言葉の意味が解らなかったのか、小さく首をかしげて見やる。
その彼女の髪を優しくくしゃり、と撫でる。
「じゃあ、一旦帰ろうか」
「……ん」
エルフィの悲鳴が木霊する屋敷までの道を主従二人は歩いていく。
どうでもいいが、これが鳥の鳴声なり夕方の影法師なりなら風情があるのに、エルフィの悲鳴と言うだけでギャグにしかならないのかどうなのであろうか。
聖耶が屋敷に帰りつくと、それを出迎えたのはエルフィであった。
ただし、蓑虫の如くぶら下げられている。
「…………何してるのエルフィ」
「……蓑虫」
聖耶とフィルも流石に状況がわからない。
いや、状況はわかる。何かをやらかしてカリンに簀巻きにされぶら下げられたのだろう。
だが、何故ぶら下げる必要があるのか、全くもって色々解らなかった。
「お帰りなさいませ、セイヤ様」
一仕事を終えたような爽やかな様子。ただし無表情。のカリンを見やる。
フィルも聖耶も無表情のカリンであるが、なんとなく感情が読めるようになってきた。纏う雰囲気で。
「で、カリンこれは何……」
と尋ねようとした時点で聖耶は問いかけるのをやめた。
爽やかな雰囲気が一気に悪鬼羅刹かの如き気配に変わりかけたからだ。
よほどな何かをやらかしたのだな、と思い問いかけるのをやめた。
決してチキンなのではない。命があるって言うのは良いものだ。
エルフィも生命賛歌をドナドナの如き雰囲気で歌い上げている。
どうでもいいが、何故その曲を知っているのか。聞きたかったが聞くのはやめておいた。
「ところでセイヤ様、エル様がたのお手伝いに行ったのでは」
「ん……ちょっと思うところがあってね」
そっと、聖耶がカリンの頭に手を伸ばす。
怪訝そうにしたままも、カリンはそれを受け入れる。
優しくその髪を漉くように撫でながら聖耶はその空色の双眸を見やる。
「ごめんな、カリン」
「……? 何の事かさっぱりわかりませんが、セイヤ様が……ああ、いえ。そうですね。セイヤ様が悪く思い、謝られたのでしたならば、それを受け入れましょう」
よく出来た従者だ、と小さく笑いながら、聖耶は屋敷に入っていく。
その様子を見送りながら、カリンはフィルに向き直る。
「何があったのですか? 雰囲気がお変わりになられましたが」
「…………一歩……踏み出した」
ただそれだけ、とフィルは言う。
傍から聞けば、何を言っているのか解らない。解るわけがない。
それでも、カリンはなるほど、と頷く。
「それで、ですか。なるほど。良いことです」
いつも通りの無表情。けれど、フィルは気づいていた。
その様子は喜色に満ちていることを。
「一歩踏み出したってセイヤはさっきから歩き回ってるじゃない」
馬鹿にはそれでは伝わらなかった。むしろあれで以心伝心出来る二人がおかしいのだが。
ぶら下がってる馬鹿をカリンとフィルは見上げる。
「……素直になれば、わかる」
「素直になればわかるでしょう」
正に以心伝心。オートマタとノームが紡いだ言葉は全くをもって同じ意味であった。
ぶらーんぶらーん、とぶらさがった身を捩りながら左右に盛大に振り子の如く揺れるエルフィ。
「意味がわかんないわよーーーーーーーーーーーーー!!??」
振り子の如く揺れるエルフィを放っておいて、フィルとカリンも屋敷に入っていった。
暫く揺れながら見ていたエルフィであるが、は、と気づく。
「ちょ、降ろしていってぇぇぇええええええええええっ!?」
ぶらーんぶらーん、とまた盛大に揺れ始めるエルフィ。
彼女が降ろされたのは日が傾き、影法師が長く伸びる頃合であった。
余談であるが、今は朝である。