昇降口でようやく解放された俺は黙って相模の後を追った。逃げたら色々と怖いからな。何が怖いって貴重な休日がなくなることだ。休日は小町やルミルミに癒してもらわねば、次の一週間が持たない体になっちまってるんだよ。
「ねえ、カラオケ行かない?」
ふと、振り返った相模が口を開いた。
赤い傘をさす彼女の姿はどこか儚げだった。
「……お前らが知ってる曲とか俺は知らねぇぞ」
「いいよ。今更あんたにそういうのは期待してないから」
「ああ、そう…………」
なんかこいつ俺の扱い慣れてきてない。
そういう風に言われたらどう返せばいいかわからなくなるじゃねーか。
「好きにしてくれ。もう今日は俺に拒否権なんてのはなさそうだし、とことん付き合ってやるよ」
「へー、わかってるじゃん」
というわけで、カラオケ店に入った。
カラオケといえば、一人いくらのところと一部屋いくらのところがあるが、二人の場合ってどっちが安いんだろうな。
今回は一人単位の金額のところだったため、フリータイムドリンクバー付き(午後八時まで)で一人二千円弱の出費となった。おごらされるんだろうと覚悟していたが、割り勘だったのには驚いた。相模のことだから今日はうちのために貢ぎなさいとでも言いそうなもんなのにな。
で、相模についていった部屋はこじんまりとした暗い部屋だった。
そういや先週もきたんだよな。
先週は土曜日が由比ヶ浜の誕生日で一日狩り出されていた。プレゼントは俺の一日くれってことだったが、一応小町のお勧めで首につけるアクセサリー(決して首輪と言ってはいけない)をプレゼントとして用意してたんだけどな。まあ、買っちまったもんだし渡しといたけど。で、その日は色々とカラオケを含めて連れ回されたわけだ。幸い、雨ではなかったから濡れる心配はなかったが、いかんせんはしゃいで動き回る由比ヶ浜の相手は疲れた。しかも街中でも構わず抱きついてくるため、余計に気が滅入った。
あの柔らかい感触は小町の尻の感触を大いに勝り、腕が溺れそうな感じですらある。
まあ、今回は相模だし何もないとは思うけどな。最近の俺の周りの女子はどこかおかしいからな。相模もその類に入ってないといいんだが。
「さーて、歌いますかっ」
部屋に入ると早速、相模がマイクを片手に曲を選び始めた。
今日はこいつの好きにさせておこう。
ただなんで相手が俺だったのかは気になるところだが。
「さすがにこれはあんたでも分かるでしょ」
とか言って曲を入れ、歌い出した。
うん、Aメロは知らん。
「大好ーきー、言葉にできなくってーー」
ああ、コロプラね。
そりゃ、確かに俺でも知ってるわな。
毎日のようにCMでかかってるくらいだし。
「ふう………で、どうだった?」
歌い終わると感想を俺に聞いてきた。
あ、これいちいち言わないといけないパターンか?
「あ、その、なんつーか、意外と歌うまいんだな」
頰をぽりぽりと人差し指で掻きながら俺は言う。
「まーねー。伊達に毎月カラオケに来てないからね」
さすがカースト上位のリア充。
毎月カラオケに来るとかどんだけ暇なんだよ。
「さって、次はなに歌おうかなー」
気分を良くした相模はタブレットの画面を眺めて曲を選び始める。
確かにこうしてみると普通の女子高…………生……………?
相模をじっくり見てあることに気がついた。気がついてしまった。
「な、なあ」
「なに? 歌いたいの?」
「い、いやそうじゃなくて。その、なんというか……………シャツが………」
「はっ? シャツ? がどうした…………て……………ッッッ!?」
相模がそれに気づいて顔を赤くするのも無理はない。
その、なんというか透けてるのだ。
白いワイシャツからピンクのブラが。
雨に濡れたからなのだろうが、それでもさすがにこれはダメだろう。
ブラすらも薄く透けて中の肌色が見えてるとか、無防備すぎんだろ。
「ちょ、バカッ!? 変態ッ!! こっち見んな!」
バッと隠すように体をそらす相模。
不謹慎ながらも乙女してんなー、と思ってしまった。
それくらい今の状況はやばい。
雨に所々が濡れている女子高生、それもカースト上位に君臨する女子のこんな無防備な姿を見せられたら、いくら陽乃さんに理性の化け物と称される俺であっても、心臓がバックンバックンである。鼓動が痛いくらいだ。
「わ、悪い」
鼓動が速くなったことで血液の流れが加速していく。無駄に血が身体中を駆け巡り脳にまで来ている。なんだかのぼせそうな気分である。
「…………………」
「…………………」
無言。
長い無言。
テレビ画面のDAMのアーティスト紹介の番組だけが部屋の音を作り出していた。
「……ね、ねぇ」
ぽつりと。
あの文化祭を思い出させるような相模の小さい声が長い沈黙を破った。
「……なんだよ」
「……やっぱり、その…………あんたも興味あるの?」
「なにがだよ」
言葉を濁してなにが聞きたいのかがつかめない。
そんな言葉を濁したくなるようなことを聞きたいんだろうか。
とりあえず、部屋に入る前に入れてきたお茶を口に含む。
なんか変に喉が乾いちまって、口が粘りついている。
「………そ、その………エッチなこととか」
「ぶふぉっ!?」
潤いを感じていたら、噴いた。
そりゃもう、盛大に。
「ちょ、汚いじゃない!? なに噴いてんのよ!」
「げほっ……げほっ……………、はあぁ………死ぬかと思った。お前のせいだぞ、今のは。いきなりなに口走ってんだよ」
あー、なんか喉痛ぇ。あと鼻も。逆流でもしたんじゃないだろうか。
「な、だ、だって………三年になってからのあんたって、所構わず結衣ちゃんに抱きつかれてるし、他にも生徒会長とか妹とかにも抱きつかれてるのに全く嫌がるそぶりを見せないから、いやらしい目で見てるんじゃないかって。だから、今もうちのことをいやらしい目で見てるんじゃないかって思っただけよ………」
勢いのあったのは最初だけでだんだんとしりすぼみになっていく。
「あのな………。由比ヶ浜についちゃ、お前も知ってるだろ。あいつは一度抱きついたら満足するまで吸盤でも付いているかのように引きはがせないし、一色は抵抗したら後が怖いし。小町は晩飯抜きにされる可能性があるから拒否権は最初から俺にはないんだよ」
「……それはそれで問題だと思うんだけど。みんなにいいように丸め込まれてるだけじゃない」
「だけど、拒否できないのも現実だ」
「じゃ、じゃあうちだったらどうなのっ?」
なにか思い立ったのか食い気味に身を乗り出して聞いてくる。
足高いこの距離感はなんなんですかね。というか机に膝乗せんなよ。女の子がはしたないぞ」
「あ、そ、その………ごめん」
俺が口に出していたのか、身を乗り出していることに気づいた相模は、ソファーへと腰をかけ直した。
「で、どうなのよ」
若干、顔を赤らませながら上目遣いで俺を見てくる。
え?
なにこのコンボ。
俺、狙われてる?!
なんか一色系統の匂いがしてくるんだが……………。あざとい系の。
「………どうって、まあ今日は俺には拒否権がないみたいだし。お前の自由なんじゃねーの、知らんけど」
それを聞いた相模は一層顔を赤く染め上げた。
その顔は真夏の熟れたトマトのようだった。
「じゃ、じゃあ………」
そう言って立ち上がった相模はあろうことか俺の前へとやってきた。
「えっと………、相模………さん?」
「じっとして……」
俺の前に来ても何かをするわけでもなかった。ただ、俺を見つめてくるだけ。
だけど、その唇は些か震えており、何かを躊躇っているような、そんな風に見受けられた。
そして、ついにディップでテカるその唇は開くことがないまま、彼女は動いた。