契の杖
何がめでたい限りだ、とスネイプは心の中で悪態をついた。この11の時以来、リリーのために積み上げたものがすべて崩れた。何のために自分は努力したというのか。
「経緯は分かりました。しかしアルバス、それはセシリアが女性に戻った理由にはなりません」
「おお、そうじゃったミネルバ、それを説明しておらんかったのう。王には偽りも呪いも効かぬ。王は呪縛と病魔を喰らい、不自然を自然に戻すことができるのじゃ。故に、セシリアの時間は性を歪める前まで戻されてしまった。それから、セシリア。お主の左腕を束縛するものももうないじゃろうて」
セシリアは息を呑んだ。確かに名前を言ってはならない人が亡くなって以降、時折疼いていた左腕の印がもうない。セシリアはこの時初めて、自らのかけらた呪縛が全て消え去っているのに気がついた。
「それじゃ、ぼくは…ぼくはリリーに何も贖えない」
ポタリと涙が頬を伝い、握り締められた手の甲に落とされた。いつの間にか顕現した獣が、大きな舌でセシリアの頬を舐めた。
「いいや。それは違う。お主が贖いたいというのであれば、お主が幸せとなることじゃ。リリー・エヴァンスもきっとそれを望んでおる。じゃが11に戻った以上は、ホグワーツに通わねばならんの。ミネルバ、セシリアの編入を任せて良いかの?」
「ええ、分かりました。それでは陛下、御機嫌よう」
マグゴナガルが出て行ったのを確認して、ダンブルドアはセシリアに視線を戻した。
「責任感の強いお主のことじゃ。きっとそれだけでは納得せんじゃろう。ハリーはマグルに育てられ、愛情の不足した不安定な状態じゃ。ぜひ学友として、リリーの息子を守ってはくれんか?」
キラキラとしたアイスブルーの瞳に、スネイプは一縷の希望を見出した。確かに折角闇の王との関係が切れたのだ。学生としてそれとなくハリーを守ることは決して難しくはない。しかしそれに異を唱える者がいた。遠雷のような唸りを上げ、耳を伏せた白虎がダンブルドアを睨み据える。5mにも及ぶ獣が威嚇する様に、さすがのダンブルドアも冷や汗を流した。
「ご安心あれ。儂とて陛下の花嫁殿を危険に晒す気毛頭ないのじゃ」
「お願いだ。これは、ぼくが唯一できる償いだから、το ‘αγιον φλοξ」
名前を呼ばれた獣は渋々といった様子でダンブルドアを眺め、そしてセシリアの膝に大きな頭を寄せた。額を撫ぜられ、ごろごろと喉を鳴らす様子だけ見れば、大きな猫のようである。
「そうじゃ、陛下自らセシリアと共に過ごしてはいかがかな?校則では猫はペットとして持ち込み可能じゃ。暫く、窮屈なお姿を取らせてしまうのじゃが…」
言い終わらぬうちに、白い爆炎が巻き起こり、虎はヤマネコ程度の大きさに変化した。セシリアの膝を占拠し、その腕の中で抱っこをせがんでいる。端から一見すれば、確かに飼い猫に見えなくもない。
「ほっほ、決まりのようじゃの。ホグワーツは求めるものに与えられる。2回目の学生時代も、退屈はさせんよ」
子供のように目を輝かせながら、ウィンクをするダンブルドアに、セシリアは今更ながら少し目眩がした。
隠して魔法薬学教授セブルス・スネイプは書類上死亡し、セシリアは母アイリーンの出自であるプリンス家の跡取りという身分を得た。祖父母に当たるプリンス家の最後の2人は数年前に亡くなっており、ご丁寧にも相続先に母を指定していたため、彼らの財産がアイリーン経由でセシリアに受け継がれることは何の障害もなかった。唯一年齢の部分で引っかかったが、そこはダンブルドアが何とかごまかしたようだ。こうしてセシリアはスピナーズエンドの生家を引き上げ、1人と1匹でプリンス家の邸宅に住んでいる。
「待ったかの?」
「いえ、そこまでは」
すっかり獣の王を伴う姿が板についたセシリアは、ダイアゴン横丁の入り口でダンブルドアと待ち合わせをしていた。新学期のための準備に、導き手のダンブルドアが付き添うことになっていたのだ。猫となって肩に飛び乗った白虎を見届け、2人はダイアゴン横丁の入り口をくぐった。
「さて、まずはローブと行きたいところじゃが、儂は少々寄り道があってのう、一旦トーキンズの理髪店に行ってはくれないかの?」
「…ミネルバですか?」
「髪を整えさせるまでは校長室に入れないと言われての、わしも困っておるのじゃ」
溜息をついて、セシリアは渋々と理髪店に向かった。最初の学生時代から見た目には無頓着だったが、娘のような存在ができたとはしゃぐミネルバがそれを許さなかったのである。女の子は身嗜みをしっかりしないとダメ、と、先日もガミガミと説教してきたマグゴナガルを思い浮かべ、スネイプは少しゲンナリとした。
「ああ、いらっしゃい。今日はどのような髪型に?」
「すまないが良く分からないのだ、適度に整えてくれたらそれで良い」
「ではお任せということで」
「おおこれは、見違えるようじゃの」
ダンブルドアが待ち合わせ場所のグリンゴッツ前に到着すると、そこには垢抜けた美少女がいた。もとより純血プリンス家の血筋が色濃く出たセシリアは、艶やかな黒髪と雪のように白い肌を持った楚々とした娘だった。それが無理な男性化による骨格の変成や、父の風貌を模した鷲鼻が災いして威厳のある、悪く言えば醜い容姿となっていた。
それが今は、べたついて脂ぎっていた黒髪は、方で切りそろえられて、本来の艶を取り戻し、青白い肌は華奢な体のラインと相まって、オニキスの大きな瞳を引き立たせていた。やや垂れ下がった目尻と、伏し目がちな表情もあって、さながら深窓の令嬢と言ったところか。
「お待たせしました、ダンブルドア先生」
「よいよい。それでは、行くかの」
年齢が逆行したことを隠すため、外では先生呼びを貫くセシリアを微笑ましく思いながら、ダンブルドアは優雅に手を差し出した。背後では一年生に必要な教材などを入れたトランクが1人でについて来ている。2人が向かった先は、オリバンダーの杖店だった。
「ギャリック、ほれ、ギャリック!貴賓じゃ!」
「おおこれは陛下自ら御光臨とは!少々お待ちを」
戸口でダンブルドアに呼ばれたオリバンダー老人は、セシリアが抱えていた獣を見るなり歓喜の声を上げ、営業中の札をひっくり返した。
「先生、ぼくは既に杖を持っている」
「ではそれは私から。花嫁殿、陛下にはあらゆる魔法が及ばないことは既にご存知の通りだが、歴代の花嫁もまた名を呼んだ時点で並の杖では耐えられない器へと変ずるのですよ。今お持ちの杖を」
長年共に過ごしてきた杖を渡すと、オリバンダー老人は「結構」と呟いて奥へと引っ込んだ。手にして戻ってきた箱は、杖を収納するためには明らかに小さすぎる代物だった。それに呼応して獣はするりと腕から飛び出し、本来の姿に戻った。片膝をつき、恭しく箱を差し出された獣は、その中央に収められた指輪を器用に咥えた。
「花嫁殿、左手を」
言われるがまま左手を差し出すと、獣は指輪を慎重にセシリアの薬指にはめた。ひとりでに伸縮したそれは指にぴったりと吸い付き、オリバンダー老人がさらに手をかざすと、古い杖が光の粒となって吸い込まれた。
「さあ、降ってみてごらんなさい」
手にした途端、セシリアは正確にその使い方を理解した。と言うより、杖が直接脳裏に語りかけてきたのだ。左手を握ると、純白の杖が手中に収まり、店内のいたるところに眩い光を溢れさせ、白百合とヘリオトロープの花を咲かせた。
「ブラボー!この杖は陛下の牙と尾骨の一節を聖なる炎で錬成した世界でたったひとつのもの。芯には陛下のたてがみが使われており、貴方様の古い相棒との絆を纏わせております。繊細で気高く、白魔法に最適。常に貴方様と共にあって、貴方様を守護するでしょう。元は預けられていたものゆえ、お代は頂けません。では、お気をつけて」
「助かったぞ、ギャリック。ではセシリア、帰るとするかの」
再び腕の中へ収まった白黒の毛玉に頬を寄せ、セシリアは小さくありがとう、と呟いた。