幸いにも、セシリアは一人部屋だった。ヘリオスのこともあり、ダンブルドアの心遣いか、部屋は外観にそぐわぬ広さを誇り、魔法薬研究のためのスペースまである。学者としてのセブルス・スネイプに向けてくれた敬意に、思わずこころが温まった。
ヘリオスは部屋に着くなり、2、3度体を揺すって、すぐに元の体格に戻った。1日も猫のふりをしていたのがよっぽど窮屈だったのか、大きく背伸びをしてセシリアのベッドを占拠した。キングサイズ以上ある寝床も、ヘリオスが横たわるとわずかなスペースしかない。仕方なく、セシリアはヘリオスのお腹あたりで丸くなった。器用にもセシリアを抱き寄せたヘリオスの体温のおかげで、安らかな眠りはすぐ訪れた。夢は見なかった。
早朝5時、セシリアは体にまとわりつく熱量にうなされ、目を覚ました。なぜか一糸まとわぬ姿でヘリオスを布団代わりに寝ていたらしい。ごろごろと寝息を立てるヘリオスを押すが、ビクともしない。コッソリと抜け出そうとするが、前足に加え後ろ足までも巻きつけられ、ままならなかった。
「『φλοξ』、起きてくれ」
仕方なく、真名をスプーン型の耳元で囁き、喉の下を撫でてやると、漸くピクリと反応した。猫科の他の動物と同様に低血圧のようだ。匂い付けのためか、腹を見せて床に転がるように、思わず笑みがこぼれた。セシリアにも散々体を匂いを擦り付けてから、ヘリオスは満足したように部屋の隅で体を伸ばした。
支度を終え、談話室に降りるとすでにハーマイオニーが起きていた。相変わらず夢中になって本を読んでいる。そればかりか、サイドテーブルには教科書や参考書が山のように積み上がっている。
「おはよう、ハーミー。早いな」
「貴女もね。おはよう、セシリア」
本から一瞬だけ視線を上げて、ハーマイオニーが答える。初日の一限が期待していた変身術ということもあり、気合が入っているのだろう。
「アクシオ」
セシリアも寝室から魔法薬の蔵書を数冊呼び寄せ、比較研究を始める。スラグホーンの取り計らいで表向は魔法省の研究施設の研究員として籍を置かせてもらっているので、未だにセブルス・スネイプとして研究を続けられる立場にある。今のテーマは近年開発された脱狼薬の改良についてだ。いかに工程を減らし、尚且つ副作用を抑えるか。セシリアは各書籍を交互に参照しながら、眉間に皺を寄せた。
「…シリア、セシリア!!」
「あ、ああ。すまない、ハーミー」
怒鳴り声の主は、すでにカンカンである。昨晩と全く同じ光景、いわゆるデジャビュである。思いっきり眦を釣り上げ、渋面を作るハーマイオニー越しに時計を見ると、確かに食事時に差し掛かっていた。
「んもぅ、昨日から緊張感が足りないわよ!せっかくの初日の授業に遅れたら、どうしてくれるわけ!」
だったら一人で行けばいいじゃ無いか、という言葉はすんでの所で飲み込んだ。下手に反論すると、後が怖い。代わりにセシリアは曖昧な返答をして、教科書を呼び寄せた。ハーマイオニーが朝食後部屋に戻らずすぐに教室に向かうであろうことは、明白だった。
「やあセシリア、隣空いてる?」
所変わって大広間。セシリアとハーマイオニーがすっかり食事を終えた頃に漸く、ポッターがロン・ウィーズリーを連れてやってきた。モーニングティー片手に読み込んでいた分厚い学術書から視線を上げて、片手で席を示すと、ハリーは明らさまにホッとした顔で腰を下ろした。大方寝坊したウィーズリーにつられた、と言うことか。
「ありがとう。本読むの邪魔して悪いんだけどさ、なんでマグルの化学の本まで読んでるの?」
キラキラとした翡翠のような瞳を見つめ返す。単なる好奇心か、それとも父親譲りの無遠慮さか。途端に心がささくれ立ったような気がして、セシリアは本を閉じた。ハリーの肩越しに、朝食を掻き込みながらも、二人並んで本を広げたハーマイオニーとセシリアに顔をしかめたウィーズリー少年まで見える。付き合う人種も全く同じとは、本当にどうしようも無い輩だ。
「己の視野を狭めたく無いだけだ。行こう」
「いいわ。あなた達、授業に遅れて減点されるのだけはやめてよね」
早足で去るセシリアを追いかけながら、ハーマイオニーはそんな捨て台詞を2人に向けた。
「で、本当の理由はなんなの?」
「なんの話だ?」
「マグルの教科書を読んでいた話よ。ハリーはともかく、私を誤魔化せると思ったら大間違いよ。ついでに、あなたが朝からしてる研究についても教えてちょうだい」
「そう急かすな。ほら、君が一番楽しみにしていた変身術の教室だ。この話はおいおい、な?」
話している内に、2人は教室にたどり着いていた。授業開始時刻よりも大分早いので、人一人居なかった。嬉々として最前列のど真ん中を占拠すると、一匹のトラ猫が教壇を横切って、ハーマイオニーの前に腰を下ろした。セシリアにはその正体がわかっていたが、ハーマイオニーは興味深そうに暫く猫を見つめた後、セシリアを振り返った。
「ねぇ、この子マグゴナガル先生の猫かしら?でも目元の模様は先生の眼鏡にそっくりだわ。真逆…先生?」
少し興奮した口調でハーマイオニーがまくし立てると、猫は二、三度空の教室を見回してから、厳格な女性教授へと変貌した。
「よく気づきましたね、ミス・グレンジャー。グリフィンドールに10点。そんな生徒は数年に一度も居ませんよ」
かすかに破顔して、マグゴナガルはハーマイオニーに10点加点した、そして少し嬉しそうな口調で続ける。
「これは
神妙な顔をした2人が頷くと、マグゴナガルは再び満足そうにトラ猫の姿に戻った。
結局例の2人は遅れてきた。マッチ棒を見事に美しい刺繍針に変えたハーマイオニーとセシリアが点を稼いだから良いものの、危うくグリフィンドールから大幅に減点されるところだった。
「全く、あの2人は何を考えているのかしら!せっかく注意したのに、学生としての自覚が足りてなさすぎるわ!!」
頬を膨らませてプリプリと怒りながら、傍でハーマイオニーがサンドイッチを摘む。お昼時に至ってもお行儀悪く読み物を開いたままの2人にとって、必然と食事といえば軽食になる。同じようにカップに入ったスープを啜りながら、セシリアはページを繰る。
「だったら構ってやるな。面倒ごとが増えるだけだ」
「だってそんなんじゃ寮の点数がどんどん…あら、御機嫌よう。遅刻魔さん」
「や、やぁ…」
辛辣な声に顔を上げると、ちゃっかりと向かい側に生き残った少年が腰を下ろしたところだった。必然と、ハーマイオニーとロンが真正面で顔を合わせることとなる。ネズミを捕まえた猫のようなハーマイオニーの表情を見て、赤毛の少年は明らさまに顔をしかめた。
「その…僕はセシリアに聞きたいことがあって…」
横でやめとけよと注意するロンに構わず、ポッターはおずおずと切り出した。顔に浮かべた笑みは緊張で引きつっている。片眉を上げて続きを促すと、今度は慌てたように早口になった。
「その、僕なりにどうしてマグルの知識を取り入れようとしているのか考えてみたんだ。確かに魔法は便利だけど、万能じゃない。マグルの知識と組み合わせることができたら、もっと有効活用できるってことかなって」
よっぽど自信がないのか、最後は尻すぼみになっていた。昨年まで教師をしていた性もあって、子供に2度も同じ質問をぶつけられては、セシリアも拒めない。加えて、すっかりキラキラと好奇の目を向けるハーマイオニーもいる。セシリアは、観念したように口を開いた。