「返してやるよ、お前がここまで来れるならね!」
水晶玉を手に大地を蹴ったマルフォイは無表情だった。ニヤリとハリーを見下してやった後に、今度はセシリアを睨む。ルシウスにどう文句をつけてやろうかと考えながら、セシリアは思わず溜息をついた。
「ちょっと!これ以上寮の点数を引くつもり?先生は動くなって言ったのよ!聞いてなかったの!?」
隣からハーマイオニーの焦った叫び声が聞こえる。彼女の制止も空しく、一陣の風が舞い上がったかと思うと、ハリーはすでに空中に居た。全く無茶をしてくれるものだ。いつの間にか居たのか、ヘリオスが艶やかな毛並みを足に擦り付けてくる。胸元に抱き寄せると、ヘリオスは薄目を開いて空を見た。観戦を決め込むつもりらしい。
「チッ…取れるものなら、取ってみろ!!」
明らかにハリーが空中まで追撃してくる事を予想してなかったのか、マルフォイは明らかに狼狽していた。半ばやけくそに思い出し玉を壁に向かって投擲する。さすがと言うべきか、ハリーに恥をかかせられないのであれば、目的のものを壊す事も厭わないようだ。
ところが、その目論見は見事ハリーによって破られた。矢のように飛び出したかと思うと、ハリーは一旦放物線を描いてから自由落下する水晶玉を追い、ほぼ垂直に落下する。まるで獲物を狙う隼のような姿勢に、セシリアも舌をまく。地上まで5メートルーー4メートルーー2メートルーー。加速度的に大地に迫った若き獅子は、ついに墜落ギリギリのところで目的のものを手に入れ、ほぼ宙返りをせんばかりの勢いで姿勢を立て直す。
グリフィンドールから大きな歓声が上がり、皆盛大な拍手でハリーを讃える。セシリアもヘリオスを腕に抱いたまま、小さく手を鳴らした。それほど素晴らしい飛翔だった。冷や汗を浮かべたまま、同級生にもみくちゃにされながら、ハリーは控えめに破顔した。
「ハリー・ポッター…まさか1年生でそんな……ともかく、着いてらっしゃい」
夢のようなひと時はいくばくも続かない。幾分か呆然とした様子のマグゴナガルが英雄を連れ去り、グリフィンドールは水を打ったように静まり返った。対してプライドを挫かれたマルフォイが声高にハリーの退学を主張している。
「……これ、ネビルに返しといて」
真っ青になったハリーはなぜかセシリアの目の前で立ち止まると、有無を言わさず戦利品を押し付けてきた。妙に悲壮感漂う後ろ姿を、セシリアはそっと見守った。
「ポッター!荷物はまとめたかい?それともお仲間と最後のひと時を楽しんでるところか?」
翌朝、セシリアとハーマイオニーがいつも通りグリフィンドール席に座り、その向かい側にハリーとロンが腰を下ろすと、すかさずドラコ・マルフォイが絡んだ。前日の夜から、ハリーが退学になると言って吹聴して回っていたらしい。
「いーや、しないね。それどころかハリーは最年少でシーカーに選ばれたんだ!お前とは違うんだよ!」
「なっ!?」
「マルフォイ、君のおかげだよ」
すかさず反論したハリーとロンに対し、隣で本を読んでいたハーマイオニーの眉がピクリと動いたのを、セシリアは見逃さなかった。
「ポッター、僕と決闘しろ!今夜、トロフィー室で待つ」
「良いぞ。僕が介添人を務める。お前は?」
ハリーが何か答える前にロンが代わりに承諾し、戸惑うハリーを他所に決闘の約束は結ばれた。満足げに去って行くマルフォイに、ハーマイオニーが我慢しきれないとばかりに口を挟んだ。
「ねぇ、まさか本気で行く気?あなたたちグリフィンドールから何点引けば気がすむのよ?」
「うるさいなぁ、グレンジャーとは関係ないだろう?第一、ハリーは才能があるんだ。しかもそれをちゃんと先生にも認められて…」
「あなたたちまさか規則を破っておいてご褒美がもらえたなんて思ってないでしょうね?周りの迷惑になるって微塵とも考えてないの?」
ハリーを他所2人の口論はヒートアップする。いつも思うのだが、ハリーよりもハリーの親友を自称する赤毛の少年がトラブルを起こしては、彼を巻き込んでいるのではないか。
「ちょっと、セシリアからも何か言ってよ!」
ハーマイオニーに呼ばれて、仕方なしに本に戻しかけた視線を向かい側の少年2人に向ける。ロンがすかさず佇まいを直した。彼はどうやらこちらが苦手らしい。
「規則を破ることが絶対悪とは言わない。時と場合によってそれが必要な時もある」
「ちょっとセシリア…!」
焦るハーマイオニーを片手で制し、セシリアは静かだがよく通る声で続けた。
「ぼくが気になったのはそれ以外のことだ。そうだね、主に君に対してだよ、ウィーズリー」
一瞬ホッとしたロンがすぐに顔を顰める。自分になぜ矛先が向かってるかわからない様子だ。
「君はハリーの親友を自称している。自称する以上は、ハリーを守る立場にあると思ったのだが、どうやら積極的に危ない目に会わせたいらしい」
「なんだと!?」
「気付かないのか?マルフォイの挑発は明らかに罠だ。そして君はハリーの代わりに承諾した。大方、腰抜けと呼ばれたくなかったからだろう。ハリー本人には相手にしないという選択肢があったのにそれを勝手に捨てたわけだ。座りたまえ。話は終わっていない。それは純粋な好意ではなく、自分の親友には格好をつけてほしいという子供じみたエゴだ。果たしてハリーは本当にそれを望んだかね?」
「なんてことを言うんだ!?ハリーだって同じことを考えてるに違い…そうだよね、はりー?」
ハリーが苦笑しているのを見て、ロンの言葉尻が小さくなる。それでも、ロンは引き続き噛み付いた。
「でもマルフォイが本当のことを言ってたとして、僕らがすっぽかしたら、グリフィンドールのくせにって絶対に吊るし上げされるだろ?」
「そこだよ。君の最も愚昧な点は。仮にマルフォイが君の常日頃の主張通り純血主義で闇の魔術に手を染めていたら、きっと君の想像もつかないおぞましい魔法を知っているぞ?決闘はお遊びではない。そう易々と君の親友と君の2人だけを誘い出す罠に乗っては、今後が危ぶまれますな。相手が死喰い人だったとしても、君は同じことをするのかね?ハリーの代わりに挑発に乗って、2人きりで危険の中に飛び込むわけだ。大した親友殿ですな。むしろそこの英雄殿が喜び勇んで危険を犯そうとするときに、止めるのが君の役目ではないかね?」
セシリアの言葉に、ロンは即座に青くなった。言い訳がましくもごもごと何か呟いてから、ロンはハリーに小さく謝った。渦中の本人はと言うと、微笑みながらセシリアに向き直った。
「僕を心配してくれてありがとう。今夜のことは、もう少し考えてみるよ」
「ふん。勝手にしろ」
気が収まったのか、ハーマイオニーは隣で読書を再開したようだ。ぼそりと小声で「あなたってすごいのね」と呟かれたが、何のことやらとセシリアは小首を傾げた。
その日の最初の授業はフリットウィック先生の呪文学だった。2人一組になって、羽根を浮かすという実技課題だ。セシリアがハリーと組まされ、今朝方喧嘩したばかりのハーマイオニーとロンもペアになった。
「ウィンガーディアムレヴィオーサ!」
ハリーが羽に向かって正確に杖を振るうが、ピクリともしない。セシリアは内々的に課題を免除されているため、今はハリーの手助けをしている。
「今、何を考えて杖を振った?」
「前回セシリアに科学と魔法の話を聞いてハッとしたんだ。それで、僕なりに考えてみたんだけど、いまやった時、咄嗟に浮力を持たせるべきか、重力をどうにかするべきか忘れちゃって…」
「実を言うと、それはどちらとも良い。最初は頭を空にしてただ呪文を諳んじて杖を振るえばいい。ある程度は自動補正がかかる。明確に羽が浮かぶイメージの方が、今の所は重要だ。だがまあ確かに、最初からそこまで意識できた方が、後々のコントロールは正確になる。通常のやり方より遙かに難しい方法を君は取ることになるのだが…」
「そこはウィンガーディアムレヴィオーサよ、あなたのはレヴィオサー!発音が違うって分からないの?」
「うるさいな!そこまで言うならお前がやってみろよ!」
「ウィンガーディアムレヴィオーサ」
早くも隣の席では戦争が勃発したようだ。やけくそに叫ぶロンにハーマイオニーが見事に羽根を浮かせると、セシリアとハリーは互いに顔を見合わせ、溜息をついた。
「あの2人、もう少しうまくやってくれないかな?」
「全くだ」
「話を戻すけど、その難しい方法が後々優れているなら、やり方を知りたい。なんか指標になるものはある?イメージするにあたって」
「まずはお前の言う通り浮力が重力がどちらかに絞ることだ。それから、地上何メートルの所に正確に浮かべ続けられるか。浮かすだけなら簡単だが場所を維持するのは並大抵ではできない。それだけで相当な訓練になるぞ?」
「セシリアって、先生みたいだね。分かった。ウィンガーディアムレヴィオーサ!」
教師のようではなく、実際に教師をやっていたという言葉を飲み込む。意を決したようにハリーは深呼吸して、羽根に杖を向けた。そして指定通りの操作を行うと、羽は見事緩やかに上昇し、そして机から丁度30センチ上空のところで、ピタリと止まった。
「すごい!セシリア、僕にも出来たよ!」
「ふん。当然のことだ」
キラキラと輝くエメラルドの瞳に射抜かれ、セシリアは何とも言えない複雑な心持ちになる。なぜポッターと同じ顔をして自分に懐くのか。しかし、教職をやっていた関係か、セシリアは素直に教えを請う子供を拒めない。そのちぐはぐな感情は、憎まれ口となってするりと吐き出された。それでもハリーは嬉しそうだったが。
「おおっ素晴らしい!ミス・グレンジャーとはミスター・ポッターが見事にやり遂げましたぞ!グリフィンドールに20点!」
やがて、フリットウィック教授が2人に加点するまでーー30秒も満たない短い時間ではあったがーーハリーは正確に羽根を空中に留めた。