そーっと玄関に入り、抜き足差し足で階段を上る。
今日も飲み会に誘われて行ったら、ついつい遅くなってしまった。
階段を上り切ったらすぐに部屋に体を滑り入れようと心構えをし、二階の廊下の電気を点けた松莉の足が止まる。
部屋のドアの前に、誰か…6人の兄のうちの一人が膝の間に頭を埋めるようにして、座り込んでいたのだ。
(十四松兄さんだ)
顔は伏せていてもアホ毛が一本だけぴんと立っている。
部屋の前で待っていたところが、待ちくたびれて寝てしまったのだろう。
困った。ドアにぴったり体育座りで張り付かれていては、部屋に入れない。
逡巡の末、松莉は5番目の兄の肩を軽く揺さぶった。
「十四松兄さん、起きて」
「んー」
すぐにぱちっと目を開けて立ち上がる。驚くべき寝起きの良さ。
「松莉ちゃん、遅かったね。時間と場所教えてくれたら迎えに行ったのに」
いつもの口全開の笑顔、それでも夜中ということに遠慮してか、声は抑え気味だ。
「ご、ごめん。待っててくれたの?」
「うん。兄さんたちもみんな心配してた…んっ⁉︎」
兄の目が大きなネコ目に変わった。どうしたの、と聞く前に接近され、びくりと肩をすくめる。二の腕を掴まれ、周りのドアや廊下がぐるりと回ったと思ったら、背中に軽い衝撃、そして十四松兄さんの猫目が視界いっぱいに。
一拍置いてから、体を反転させられドアに押し付けられたのだと理解する。
「十四松…兄さん?」
ネコ目のままなのが怖い。つと視線が外された。5番目の兄は松莉の肩口に顔を埋め、すんすん鼻を鳴らして匂いを嗅いでいる。
「あ、お酒臭いよね…」
やんわりとやめさせようとする。早くシャワーを浴びたいと思っていたのに。
勢いよく顔を上げた十四松は、びっくりするほど真顔だった。
「…男のニオイがする…」
そしてまた嗅ぎ回る。首筋や胸元までを、くんくん、くんくん…。
「いやっやめてよ…くすぐったい」
笑ってみせるが、兄は真剣に嗅ぎ続けている。松莉の背中に冷たいものが走る。
「…女の子だけって言ってたのに」
責める口調だった。
確かに嘘をついた。竹村くんに誘われて男子も交えた皆で飲みに行ったのだが、兄たちに本当のことなんて言えやしない。
「と、途中から男の子も来て…」
「しかもこれ、松莉ちゃんに触ったよね…」
そんなことまで分かるのか。兄が顔を上げてくれないのが恐ろしい。自分でも意識しないうち、口から言い訳が滑り出ていた。
「あの、酔っ払ってよろけて来て、ちょっと当たっただけで…」
あながち嘘でもない。この間デートしていたのは実の兄だと、誰かが竹村くんに教えたらしく、酔いの勢いを借りた彼が一方的に抱きついてきたのだ。無論、即時突っぱねた。
「別に何も…」
「…松莉ちゃん」
ついぞ聞かないような低い声に驚く。ガチャと音がして、松莉の体が後ろに傾いだ。兄がドアノブを下げたことで松莉の体重がかかった部屋のドアが開いたのだ。
十四松は松莉の体をしっかりと支え、共に部屋の中になだれ込むように入り込んだ。素早くドアを閉め鍵までかけて、呆然と立つ松莉をベッドに連れ込む。
「何するの、乱暴しないで十四松兄さん!」
いつもと違う。大きな口を開けて笑って、野球しようって誘ってくれる5番目の兄はここにはいない。
女の本能が警鐘を鳴らしている。
普通じゃない、逃げなければ屠られてしまう、と。
上に乗っかって、顔は伏せたままブラウスのボタンを外し始めている兄の肩に手をかけた。腕を突っ張って引き剥がそうとする。だが松莉の細腕でどうにかなるものではなく、十四松は気にもせず胸をはだけ、デコルテに舌を這わせ始めた。
「やめてっ、だめ!」
抵抗するも手首をまとめて握られ、頭の上に押し付けられる。凄い力で、暴れようともビクともしない。
「早く男のニオイを消さなきゃ…ぼくがやってあげる」
感情の入らない機械的な声が、冷ややかに松莉の胸に落ちた。
「シャワー浴びるから、そうすれば消えるから」
必死に言い募っても聞かない。拘束している手が緩むこともない。
「シャワーなんかじゃダメ。全部、おれが、上書きするの…」
五男が自分をおれと呼ぶのを初めて聞いた気がする。松莉はいやいやと首を振った。
「汗かいたし、このままそんなことされるのいや…」
妹の必死の訴えも無視して、十四松は、空いた片手でどうにかブラのホックを外し、胸の谷間や膨らみの下をぺろぺろと舐めてくる。汗をかいた自覚がある場所だ。脇の下まで舐められて、恥ずかしさに涙が滲んだ。
「汗なんて平気…松莉に触ったその男は、こんなこと出来ないでしょ、でもおれは出来るよ、全部舐めて綺麗にしてあげる、だって松莉のこと大好きだから!」
「十四松兄さん…」
こんな状況だけど胸にきゅんとくるものがあって、抵抗の気力を摘み取られてしまう。
それと同時に十四松はぴくりとして、顔を上げた。松莉が恐る恐る見てみると、いつもの焦点の合っていない目と大口開けた、まともな(?)十四松兄さんの顔があった。
「あれー? 松莉ちゃんの体にまではニオイついてないねー。ぼく、なんかおかしくなってたみたい…」
言葉も声も、いつものものに戻っている。松莉は安心して息をつく。
十四松は松莉から手を離すと上半身を起こして、首をひねっていた。
「十四松兄さんは…嫉妬したの?」
「しっと…?」
きょとん、ぱちくり、見下ろしてくる。
「なんか分かんないけど、松莉ちゃんが知らない男に触られたって思ったら頭の中グチャグチャになって、分かんないうちに勝手にこんなことしてた…」
それが嫉妬だよ。つい頬が緩んでしまう。
十四松は再び身を伏せ、松莉の頬に優しく手を添え見つめてきた。
「ごめんね松莉ちゃん、乱暴なことして…」
そっとほっぺを撫でられて、ごつごつがさがさの手を愛しく思う。
「ぼくのこと嫌いにならないで…」
瞳に深い色を見た。後悔と悲しみだろうか。こんな兄も初めてだ。松莉も手を伸べ、十四松のつるつるしたほっぺの輪郭をなぞった。
「大丈夫…いつだって大好き…」
伝えるとにぱっと花を飛ばすように笑って、そのまま、キスをくれた。深く絡めて、手指と手指も絡めて、長い時間、キスしてくれた。
そのまま続けようとする5番目の兄をどうにか説得し、シャワーを浴びて戻ってみると、松莉のベッドで五男はとうに夢の中。
遅くまで待っていてくれたのだ、眠たかったのだろう。
狭いベッドだがどうにか体をねじ込んで、十四松兄さんとは一緒に寝ることが多いなぁと思いながら眠りに就く。
いい夢を見れそうだ。
風邪でも引いたようなふわふわ感で目が覚めた。重い。目を開けるとぴんと立ったアホ毛が一本だけ見えた。
「十四松兄さん…あぁ…」
変な声が出る。
「あ、起きた? おはよう松莉ちゃん」
満面の笑顔で挨拶をしてくれる兄の顔は双丘の間にあった。
パジャマがはだけられていることに気付く。どうやら先に目覚めた兄にイタズラされていたらしい。
「昨日できなかったし、松莉ちゃんの寝顔見てたらムラムラしちゃって」
ちゅっとてっぺんに吸い付いてはれろれろ舐め回す。呼吸が一瞬追いつかず、短く息をしたら、やぁん、と色っぽい声が出てしまう。
「十四松兄さんったら…」
「セクロスしたらさ、野球しに行こう」
この雰囲気にそぐわない明るさにくすっと笑う。
「欲張りだね」
「松莉ちゃんをぼくのものにしておきたいから…他の男になんて、触らせない…」
昨夜のような声の低さに、背筋が冷たくなる。おそらく無意識だろうが、枕に力一杯爪を立てて握ったのを松莉は横目で見ていた。
あぁ、この5番目の兄を、怒らせてはいけない…。
「大好きだからね松莉ちゃん」
頬を寄せてちゅうされて、いつもの笑顔を向けられれば、松莉もふわっとして抱き返すけれど、奥深いところに刻み込まれた恐怖はおそらく一生消えそうにない。
それ以降、松莉は、玄関にファ○リーズを常備しておくことにした。
END