幻想郷。妖怪の住まう楽園にあって、人間の生活圏は限られていた。
稗田の書物に名を記されるような英雄達は、ほんの一握りだ。それ以外の大多数、比率にして9割9分以上の人間は、管理された箱庭たる人里にその身をおいて暮らしている。
数多の妖怪の恐怖と隣り合わせになりながらも、生まれてから死ぬまでがその環境であれば、不満を抱く者は多くない。不穏分子も妖怪の賢者には捕捉され、呆気なく消される。
人里に住まう多くの人間は、概ね『幸福』を享受していた。
妖怪が支配する世の転覆を語る隣人が急に姿を消したり、勇気と蛮勇を履き違えた若者が里の外に出て戻らなかったり、それらは単なる数字の誤差なのだ。
誤差を気に留める必要は無く、気に留める者が居ないのであればそれは起こらなかった事と同義で、起こりもしなかった事で不幸になどなる筈がない。不幸で無いのなら、幸福である。
「やあ、待ったかい」
「私も今来た所よ」
人里の、とある若い男女。普通の『幸福』を享受する、何処にでも居るような人間だ。
彼らは愛し合っていた。幼い頃から意識しあい、寺子屋を出る時分にはどちらからともなく付き合い出した、そんな人里には有り触れた経歴の二人。
「そろそろ来そうだな、って考えていたの」
「僕は、君がもう待っていると思っていたよ」
「やっぱり私達、気が合うのね」
「じゃあ、君が今日は何処に行きたいか当てて見せるよ。……団子屋さんだね?」
正解よ、と声を弾ませながら女は男の腕に抱き付く。男は腕に感じる柔らかさに穏やかならぬ情を覚えるも、すぐに忘れた事にした。
彼らは長く交際している間柄ながら、性の営み……所謂『性交』をしていなかった。
それは正式に契りを交わすまでは清い体で居ようと言う女の望みであり、それを蹴ってまで行為に移る事の出来ない男の悩みだった。
男は女に腕を引かれて里を歩きながら、団子を共に分けあって食べながら、広場で沈む夕陽を眺めながら、悶々とした感情を押し殺す。
同世代の若者達には、既に行為に及んでいる者も居る。下世話な猥談を軽く耳に挟んだ事もある男は、その事実を知っていた。その事実を思い描く度、未だに触れあう程度の口付けが精々である事に溜息を漏らしていた。
「どうしたの? 何だか元気が無いみたい」
男の心の奥深くで、誰かが囁く。こう言う時は気が合わないんだな、と。
そんな声を聞かなかった事にした男は、おどけた素振りで顔を振りながら誤魔化した。
「ああ、夕陽が眩しくてね。ちょっと、目を細めていたかもしれない」
結局、その日は……『その日も』、何も起こらなかった。
女の方は愛する者と夕陽を眺めている時点で充足感を覚え、そして男を疲れさせてしまったと言う気遣いで早めにお開きとしたのだ。それが男にとってはズレた気遣いだと、ついぞ気付く事無く。
血のように紅い陽が落ち、人里に夜の帳が降りる。
早くも酒気を帯びている者達の喧騒を耳にしながら、男はふらふらと歩いていた。昼であれば誰かの注意を引いたであろうその動きも、この騒ぎと暗がりの中では埋没する。
「僕は、欲深いのだろうか」
男は小声で呟く。自分が『この先』を望むのは間違いなのだろうか、と。
男も若い盛りであり、心優しい性質が押し隠す面は有れど人並みに性欲は有る。むしろ、周囲から聞こえてくる猥談と自らの境遇を重ね合わせ、鬱屈した感情を募らせ始めてもいた。
そんな、時である。
「あら……どうしましたの? 体が強張っていますわ」
「えっ……」
声の方向に視線を向けた男は、思わず喉を鳴らす。
そこに居たのは言語に絶する美女であった。これまで人里で見てきたどの女性よりも整った美貌、透き通った空を思わせる青髪。そして、高貴な装いの上からでも分かる、男好きのする豊満な肢体。
男性が女性に抱く身勝手な欲望の理想像を形にし、更にそれを超常の位階にまで高めた淫靡なる姿。それでいて矢鱈に色気を振りまく場末の商売女のような下品さとはかけ離れた清楚なる姿。男性が共に望み、しかして相反するそれらの雰囲気を奇跡的な高次元で調和させた青い女性は、呆けていた男へと優雅に近付く。
「辛そうに、耐えるようにしながら歩いて。何が有ったのかしら?」
確かに目の前に居る筈なのに、まるで耳元で囁かれているような甘い声。
音として具現化した快楽が耳を舐め回し、そのまま頭へと流れ込む感覚。背筋を愛撫されているような錯覚に陥った男は一瞬で魅了され、心を蕩かされる。
「欲深い自分を、悔いていたのです」
「どうして悔いるのです? 心が欲することを、何故辛さを感じてまで耐えねばならないの?」
「それは……」
男は口籠る。眼前の美しい女性に対して、自らの濁った性欲を晒す事に躊躇したのだ。
しかし女性の綺麗な瞳を見ている内に、男はふわふわと夢見心地になっていく。ぬるま湯に全身で浸かっているような、奇妙な安らぎに包まれ、心の壁が溶け出す音を聞く。
「愛する彼女が、体を許してくれない。それに苛立つ自分を、責めていたのです」
気が付くと男は、およそ初対面の女性への話題としては不適切な言葉を吐き出していた。
だが、男に普段なら感じるであろう羞恥の情は浮かばず、また、女性もいきなり振られた下世話な悩みに嫌悪する様子は見られなかった。
「責める必要なんてないのですよ。貴方は若い男の人ですもの、性への欲望は有って当然だわ」
ただ、一人の女性に許容されただけ。それだけで、男は世界の全てに許されたような安心感を抱く。
この女性は天から遣わされた女神で、自分の葛藤に慈悲を示されたのだ、と言う馬鹿げた思いすら浮かぶほど。
「誰しも、何処かで欲望を解放しているのです。いえ、解放する義務が有るのですわ。女にも……男にも」
もしこの場を何ら関係の無い第三者が見ていれば、今の流れに違和感を覚えただろう。急に飛躍した理論と、それによる短絡的な結論。
思わせぶりな口調ではある物の、あからさまな誘惑。それは初対面の女性から向けられる言葉としては有り得ない、警戒して然るべき物だったのだが、男には神仙からの託宣に等しき絶対的な真理として刻まれてしまった。
「欲望を……解放する義務」
男は、自らの性欲を一刻も早く解放しなければならないと言う思いに駆り立てられる。何故ならば、それは義務だからだ。義務であれば、果たさなければならない。
それも自慰によってではない、異性との性交によってだ。己の溜まりに溜まった欲望は、女体へ吐き出す事でのみ真に解放される。そら、目の前に丁度良い美肉が無防備に立っているではないか!
「慌てないで。誰の邪魔も入らない場所に行きましょう? ほら、目を瞑って。そう、いい子、いい子」
心の中の獣が命じるまま、眼前の獲物に飛びかかろうとした男だが、女性はひらりと身を躱して後ろに回り込み、絡みついて動きを封じる。
それは見世物小屋の主が猛獣を容易く宥めるような、はたまた蜘蛛が糸にかかった哀れな虫を縛るような光景であった。いずれにせよ、男は女性の意のままにしか動かない。飛びかかった勢いはどこへやら、言われるがままに目を瞑り、褒められたと言う事を認識して全身を貫く恍惚に浸る。
「はい、もう目を開けて良いわよ」
与えられた幸福感により現実から乖離していた男の意識は、再び女性の声によって引き戻された。
男が目を開けると、そこは閨と思しき一室。先ほどまでは里の路地に居た筈なのに、と蕩けた意識に疑問が浮かびかかるが。
「ここは私の仙界。誰の圧迫も無い桃源郷。さあさあ、貴方の好きにしてくださいな」
褥に横たわり誘うように両腕を差し出してくる女性を見て、男の理性は完全に箍が外れた。性欲に満たされた思考で、誰にも邪魔をされないと言う都合の良い事実のみを認識し、女性に組み付く。
だが、男には性的な知識こそあれ、実際に行為した経験は無い。そもそも獣のような性欲に支配された男に細かい小細工など出来ず、無理矢理に衣服をはぎ取り、その卑猥に過ぎる胸を揉みしだく。
「んっ! そう、その調子よ」
女性の裸など、親を除けば春画でしか見た事の無い男。掌に感じられる豊かな乳房の柔らかさに感動を覚えるも、体は更なる先を求め続ける。
「ふふっ、勝手が分からないのですね? それでは、ただ進むだけで済むようにしましょうか」
掌に収まり切らない乳房を揉み、ぷっくりと膨らんだ乳首を舐め、しかしそれ以上の事が出来なくなった男を見かねた女性は、優しくも抵抗の出来ない不可思議な力加減で男を一旦引き離す。
「そう言えば、名乗っていませんでしたわ。私は青娥、青娥娘々とも呼ばれます。さあ、貴方の口で私の名を呼んでくださいな」
唐突に、今更な事を名乗る女性。青娥と名乗った彼女は、その言葉の終わらぬ内に自ら服を脱ぎ、体勢を整える。見る者が見れば、実に手慣れた様子だと評した事だろう。
尤も、既に青娥に魅了され虜にされた男には、それに対する感慨など浮かばない。自分のするべき行為が明確になった、その事しか男には理解出来なかった。男は青娥の
「……せい、が」
「もっとよ」
「……青娥」
「もっと大きく!」
「青娥、青娥っ! ああ、青娥、青娥っ……!」
名前を叫ぶ度に、男の性欲は増幅する。一つの言葉を連呼しながら震えるその姿は、異常者の振る舞いその物であった。
解放され、更に掻き立てられた性欲は、最早脊髄反射的な衝動となって男を突き動かした。変わらず青娥、青娥と呟き続けながら、彼女の淫らな体を力任せに掻き抱く。柔らかく、何物をも飲みこんでしまいそうな感触。男は底無し沼へ引きずり込まれるように、自分の肉が、骨が、魂が、法悦その物へと変えられていく様を味わう。
やがて男の目は、僅かな身動ぎでも迫力たっぷりに揺れる青娥の巨乳へと吸い寄せられていく。
青娥の双乳の谷間へと顔を沈め、そこから漂う甘い香りと、暖かく滑らかな感触とを存分に貪り尽くす。
「はぁんっ! ……ふふっ、胸がお好きみたいね?」
一頻り乳肉の感触を顔全体で味わった男は、その頂点で揺れる乳首を再び口に含める。
赤ん坊が母の乳を吸うような光景でいて、実情は双方が快楽を得る為の逸脱した行い。母乳が出る事など有るまいが、男は狂ったように青娥の重量感に溢れた豊乳を吸い続ける。そうしなければ渇き飢えてしまうのだ、とでも言うように。
「あははっ、まるで本当に赤ん坊みたいよ? それでは、素直な子にちょっとしたご褒美を上げようかしら」
一心不乱に乳首に吸い付く男を愛しそうに嘲笑った青娥は、自らの邪仙たる所以である術の一つ、丹による肉体改造を行う。
虚空から仙丹を取り出した青娥がそれを飲み込むと、程無くして彼女の体に……更に厳密に言えば、男を狂わせる乳に変化が現れる。
「……!?」
「さ、大きい赤ちゃん。貴方の大好きなお乳ですよお」
元々手に余る程の大きさであった乳肉は男の顔をも受け止めるまでに膨らみ、その先端からは脳髄を溶かすような甘味が吹き出す。妊娠を経ずに、青娥の胸は母乳を生み出すように『変わった』のだ。
「はぁ、はんっ……上手ね、貴方は本当にいい子よ……」
味も、匂いも、全てが甘ったるい母乳を取り込む度に、男の欠片ほどに散逸していた理性は性欲に浸食されていく。
本来ならば、ここまで短時間に強烈な甘味を味わえばそれに対する抵抗感も生まれたのだろう。しかし、男の理性は何かを訴える前に、更なる甘さを求める欲に塗り潰されていく。
「ほら、こっちも。もう片方も張って切ないのですわ……」
青娥は一瞬だけ男から乳を取り上げ、すぐさまもう片方の淫乳を差し出す。
男は取り憑かれたように新たな乳首にむしゃぶりつき、肉体を内側から染め上げるような、いやらしい甘さに酔い痴れた。
そのまま暫くの時間を淫猥な授乳によって過ごしていた二人だったが、やがて青娥が焦れたように言う。
「そこまで好きなのでしたら胸で奉仕してあげても構わないのですけれど……せっかく初めての機会なんですもの、こちらも楽しみましょう? ほら、いらっしゃいな……」
青娥は僅かに体を離し、艶めかしく腰を動かす。如何なる技巧によるものか、それだけで男の異常に怒張した肉棒は青娥のしとどに濡れる淫猥な肉裂へと導かれていた。
「……ァぁぁああああアア!」
どろどろと溢れ出す愛液が、もはや獣同然となった男の、最後の人間らしい性質を溶かし尽す。
男は人の物と思えない叫びを上げ、初めての行為への不安や躊躇を何一つ抱かず、青娥の淫裂に己の肉棒を捻るように押し込んでいく。
「あはっ……! そうそう、それで良いの。余計な事を考える頭は空っぽにして、精根尽き果てるまで、ね」
男の脳には、もはや青娥の言葉ですら意味を為す音として認識されていない。如何にして体を動かし快楽を貪るか、それ以外の機能が失われてしまったかのようであった。尤も独り言の様相を呈した青娥の言葉は、例え男がその脅威を正しく認識したとしても手遅れだっただろうが……
男が雄叫びを上げながら、乱雑に、強引に腰を振り、快楽に咽び泣いているのに対して、青娥の様子は極めて対照的であった。
ただ静かな笑みを浮かべ、時折反射的に僅かな喘ぎを漏らしながらも、無言で男の狂騒を眺め続ける。仮にも自身の肉壺を貫かれている最中であろうに、そこには学者が研究動物を見るような客観的な態度さえ在った。
青娥の膣はいやらしくうねり、侵入を繰り返す男の肉棒を隙間無く締め付ける。
誂えたかのように男の肉棒へ形を合わせ、搾るようにきつく、かと思えば労るように優しく、その具合を常に変化させる淫肉。正しく人外の悦楽に、男は絶頂の予感を耐える事など出来はしない。
「……!」
「出るのね。遠慮は要らな……ぁんっ!? ……ふふ、言う必要も無かったみたいですわね?」
何一つ躊躇う事なく、男は青娥の中で達した。淫靡に熟れた膣肉によって、許容量以上の快楽を送り込まれた男は、その当然の結果として射精する。
初対面の女性に対して避妊対策もせずに膣内射精を行う、それに対して停止を命じるべき理性は既に破壊されている。自分の魂が精液となって溶け出しているような虚脱を何処かで感じながらも、男は浅ましく腰を振り続ける。
「うふふっ、男の子は元気が一番。そのまま全力を出し続けなさい……」
肉と肉のぶつかる、湿った音が重く響く。精液にぬめった膣肉を掻き回し、腰の動きと共にゆさゆさと揺れる淫乳を握り、力任せに青娥と舌を絡め合わせ、男は脳を焼き尽くす快楽に喘いだ。
二度目の射精。変わらず腰を振り続ける。三度目の射精。変わらず腰を振り続ける。四度目の射精。肉体の上げ始めた悲鳴を無視して腰を振り続ける。五度目の射精。明確な苦痛を訴える肉体を無視して腰を振り続ける。
六度目の射精の際、男の肉体は疲労と構造上の問題による限界を迎え、腰を動かす体力を失う。睾丸もまた人間のペースを超えた射精頻度に精を作り出す速度が追い付かず、枯れ果てていた。それでも尚、破滅と隣り合わせの快楽を得るために男は体を震わせる。
「そろそろ『そっちは』限界かしら? それでは私がご奉仕する番と致しましょうか……でも、その前に」
もはや気力ではどうしようもない疲労に男が息を切らしていた時、その口元に青娥の瑞々しい淫乳が添えられる。
男はまるで呼吸をするような、ごく自然な動きでその乳首に吸い付いた。そしてそこから滲み出す甘い乳をしゃぶる度に、枯れ果てていた筈の男の睾丸は何か大切な物を代償に精を再生産していく。
「体の方は限界でしょうけれど、精を出すだけならばまだ頑張れますわよね?」
青娥は笑った。それは清楚可憐な笑みであり、同時にどこまでも淫靡な誘いであった。
それまで男のするに任せていたピストン運動を、自ら腰を振る事で強制的に再現させる青娥。表面上、確かに奉仕と取れなくも無い行為であったが……既に限界を迎えた肉体を再び酷使させているのである。どちらが奉仕する側なのかは、明白であった。
総計十一度目の射精で、男の肉体は今度こそ完全なる限界を迎えた。人間の身では本来味わえない暴力的な快感を注ぎ込まれ続け、『何か』を削ってまで精を吐き出し続けた結果、男の脳は生命維持に危険を要するレベルにまで機能を喪失してしまったのだ。
「お乳をあげても、もう出ないみたいね。御体の方も、これ以上続けては本当に死んでしまうでしょうし……それは本意では有りませんの。尤も、貴方が望むのなら別ですわよ?」
青娥は張り付けたような笑顔を浮かべながら、自らの蜜壺に飲み込まれたまま痙攣する男の頭を撫でる。
気遣うような内容ではあり、さも男の自由意思を尊重するかのような言いぶりではあったが、ここまで快楽の落とし穴に堕ちた男に果たして『自由意思』など残っているのだろうか。
「どちらにせよ、性欲の解放は存分にお楽しみ頂けたようですし……今日はこれでおしまい。ふふっ、他の女性ともこうして楽しめると良いわね?」
青娥が意味深な言葉を発すると同時に、部屋に闇が満ちていく。そのまま男は青娥の仙界から弾き出されたのだが……意識を閉ざしていた彼にはそれを認識する事は出来なかった。
翌日、男は自室の布団の上で目を覚ました。いつもの習慣で無意識に体を起こして……その途端に甦る昨夜の淫行の記憶。
「うあっ……!?」
行為の最中に脳髄を犯していた、性への渇望は治まっている。しかしあの美しく淫乱な女性との極楽浄土のような一時、その素晴らしい快楽の記憶は消える事無く植え付けられたまま。
想起しただけで男の肉棒には血が滾り、脳は再び性の快楽を求め、心臓は煩く鼓動を刻み始める。何故か、自慰をしようと言う気には至らなかった。男は必死に衝動を抑え、記憶を遠ざけると、何とか立ち上がり朝の身支度を整え始めた。
その日、男は一日中上の空だった。それは少しでも気を抜けば頭の中を埋め尽くしてしまう青娥の姿を遠ざけようと努めていたからだったし、活力が失われ肉体的な疲労が全身を鉛のように重くしていたからでもあった。
男は女性を見れば内なる性欲に唆され襲いかかってしまうのでは、と密かに恐れていたのだが、特段にその類いの衝動が沸き起こる事も無く。むしろ、昨日までの自分が不思議に思えてしまうくらいに、女性の体への関心は消失していた。
愛する彼女とも表面上こそ普段通り振る舞えたのだが……男は心の何処かで彼女への執着、醜く言えば支配欲のような感情が薄れている事を実感する。
確かに幼い頃から数々の行動を共にし、互いを意識しあう関係になった、その事は理解出来る。しかし、それは。これからの人生をも共に歩む覚悟……いや、自らを『捧げる』に足る程の情熱を伴う間柄と言えるのだろうか?
結局男は、今日もふらふらと自宅へ向かう路地を歩いていた。昨日とは違う理由で……根拠の無い、確信めいた思いに囚われ。
「あっ……」
男の視界の端に写った、青髪の女性の優雅な後ろ姿。それに惹かれるように、男は夢遊病者の如き足取りで路地裏へと入り込んでいく。
青娥に目を付けられた哀れな男は、今日も命を失う寸前まで精を絞り取られ続けられるのだろう。命を奪わないのは決して青娥の慈悲ではない。幻想郷のルールを破る事なく、活かさず殺さずで邪法を生み出す精を採取するための、最も合理的な手段であるからに他ならない。
男は日に日に他人との関わりを断つようになり、家に閉じ籠りつつも毎晩決まった時間に路地裏を徘徊すると言う奇行が目立つようになった。
心配した女や友人が声をかけながら追いかけても何故か振り切られ、特定の地点まで来ると必ず見失ってしまうのであった。余りの不気味さに耐え兼ね、遂には誰一人として男を気にかける者も居なくなる。
男の身に何が起こったのか正確には理解出来ずとも、『良くないモノ』に遭遇してしまったのだ、と朧気に気付いたからだ。それならば、これは『誤差』であり、知らない方が『幸福』である。いや、そもそも、彼は人里に存在などしていなかった。これが人里の者達の結論であり、厳然たる事実であった。
やがて男は誰の話題になる事も無く、原因不明の失踪を遂げる。
幾度の行為の結果として『自ら望んで』衰弱死したのか、それとも何処とも知れぬ界で未だに人外の快楽に縛られ続けているのか。それは、青娥と男以外には知り得ない事だった。