「な…何…!?」
もうもうと湧いた土煙の中、耳障りな音が聞こえてくる。
先程の重低音とは違う…カサカサ…ヴンヴン…
「…羽音…?」
ギンタが呟くと同時に、大型犬程もある巨大な羽虫が出現する。
続けて百足・甲虫・飛蝗…そのどれもが、人間並かそれ以上に大きい。
獄鬼だ。
街はパニックになった。元々覚悟と対策ができているその他の街と違い、”安全圏”であるランゼス内には、獄鬼迎撃の武器も設備もない。魔法を使える倒鬼師達は壁の上にしか配置されない。
当然だ。黄瓦の上に位置するこの街の中に、地獄と繋がる門ができるはずがないのだから。
「なんで…ランゼスに獄鬼は来ないんじゃ…」
30代程の男性が巨大な蟻に肩を齧られながらうわ言のように喚く。
「い、いやあああっ!来ないで…来ないでぇ!」
少女の腰にイナゴの獄鬼がまとわりつき、爪で衣服を裂いて露出した尻に腹先をあてがい、無事挿入を果たすやカクカクと抽送を始める。
完全に無防備なランゼスに突如現れた蟲獄鬼の集団は、出現と同時にそこを地獄に変えていった。
「ドロシーさん、ギンタさん、とにかく逃げましょう!ここから離れましょう!」
服を引っ張ってくるシズキに身体を引かれ、ドロシーとギンタも駆け出す。
「なんで…この街には分厚い”黄色いレンガ”があるから獄鬼が出てこないんじゃないの!?」
走りながらドロシーが叫ぶ。
「わかんないですっ!こんな…聞いたことない!」
シズキは混乱していた。本当にこんなこと、聞いたことがない。
エスメラルダを中心にオズの国全土に展開して「黄色いレンガの道」を形成する、獄鬼を忌避する鉱石、黄瓦。
獄鬼を寄せ付けない特性に加えて硬度も最高級で、「黄色いレンガの道」が物理的に破壊される事例もシズキの知る限りは、ない。
そしてこの街ランゼスは、”黄色いレンガの道”が面状に広がっている上にできている街。
それが、爆発して、砕けて、地獄と繋がる門ができて、獄鬼が侵入してくるなんて、ありえるはずがない事態…
「黄色いレンガじゃ防げないくらい、ものすごい強い獄鬼が無理やり穴を開けちゃった…とか?」
ギンタが言う。
「それもありえないです!!どんなに強い”上位獄鬼”だって、分厚い黄瓦の層を破壊することなんてできないですよ!」
走った先から蟲の大群が押し寄せてくる。
「挟まれた!」
「戦うしかないみたいだね…ギンタン!シズキと私の間にいて!」
そう言い、ドロシーとシズキは蟲の大群と戦闘を開始する。
「ゼピュロスブルーム!!」
大風が蟲の群れを宙へ舞い上げ、建物の壁へと叩きつける。
「やぁああっ!!!」
ドロシーによる露払いの後、突風に耐えた百足型獄鬼の頭部へとシズキの踵落としが繰り出される。
ドロシーの風のARMやガーディアンを交えた遠距離攻撃と、近い間合いをカバーするシズキの近接格闘は互いの弱点を補う組み合わせだった。
本当ならギンタの”無機物に生命を吹き込む力”を使った人形兵による中距離攻撃をあわせることもできたが、手頃な材料もなくジャックも宿屋に置いてきているので2人の戦闘を見守ることしかできない。
「く…きりがないね…」
ギンタがいなくても安定して蟲の大群を捌き切る2人だが、数の多さには参ってしまう。ドロシーによる熟練の身のこなしでも、どうしても攻撃がかする。
蟻型獄鬼の牙でパフスリーブが破けて肩が少し露出してしまう。
蟷螂型獄鬼の爪がお腹に掠ってしまい、臍が丸出しになる。
「ひゃあっ!?」
ビリっという音に振り向くと、ドレスのスカートに爪を立てた螻蛄の獄鬼がそのまま手を降ろして引き裂いた音だった。お尻の割れ目が大きく外気に晒される。
「このヘンタイ!リングアーマー!」
小柄な甲冑騎士が出現し、螻蛄を踏み潰す。
やはり少しずつ攻撃を食らってしまう。何しろ倒しても倒しても獄鬼が湧いてくる。このままじゃ防戦一方だ。
魔法を行使する上であまり魔力切れの概念のないオズ世界の魔女であるシズキはともかく、
ドロシーが一度の戦闘で行使できる魔法の数は限られる。
最小限の戦闘でどこか1夜をやり過ごせる場所へ避難することが最優先。この包囲網を突破しないと…
「きゃ!」
絶え間ない攻防の応酬の末、地虫の獄鬼に押し倒されてしまう。
「くっそ油断した…」
「ドロシーさん!」
シズキは助けようとするが、彼女自身鍬形虫の獄鬼と取っ組み合っていてドロシーの援護ができない。
地虫の獄鬼の腹部から長いものが伸びてきて、ドレスの黒衣越しにドロシーの股間へと擦り付けられる。
「やっ…」
そう、今闘っている相手は皆、獄鬼。人間のオスは喰い、メスは犯し孕ませる、オズの国にはびこるモンスター。敗北は即ち異種姦陵辱を意味する。
地虫はドロシーのドレスの臍下に爪をかけ、一気に下方向へ引き裂く。ロングスカートは真ん中で真っ二つに裂け、股間が前から丸見えになってしまう。
露わになったドロシーの性器に、地虫は己の性器を擦り付ける。
「このっ…おねえちゃんを離せ!」
ギンタは地虫に立ち向かい、掴んだ瓦礫を打ち付けて攻撃するが効いている様子がない。
ぴったり閉じた少女の割れ目に蟲性器の先端が押し当てられ、陰唇を掻き分けるようにして沈み込もうとする。
(くそ…魔力消費激しいけどガーディアンARMを…)
ドロシーのARMが光を帯びた刹那、扁平な小麦色の拳が地虫を殴り飛ばす。
「ガーディアン…?」
巨大な人型クッキーが虫の獄鬼たちを薙ぎ払う。
ドロシーはそれに見覚えがある。メルヘヴンのガーディアンARM、ジンジャーブレッドマンだ。
「パイソンウィップ!!」
続けて鞭状のチェーンがしなり、虫達を倒していく。
「あいつら…」
獄鬼達を倒す男性達にドロシーは見覚えがあった。
ピノキオンにARMをもらったならず者達だ。ここぞとばかりに暴れている。
今の攻撃もドロシー達を助ける意図はなく、大災害に対して対抗できる武器を持った高揚感にまかせて暴れまくっているだけ。
間接的にオスカーのお陰で窮地を逃れるのは癪だが、結果的に蟲の包囲網が崩れた。
「今だ、逃げるよ!シズキ、ギンタン!」
「はい!」
ギンタの返事がない。振り返るが、どこにも彼の姿が見当たらない。
「お、おねえちゃん!!」
上空から声が聞こえる。上を向くと、巨大な蝗に掴まれて空中へと連れ去られそうになる少年の姿。
「ギンタン!」「ギンタさん!」
「このっ!ゼピュロス……駄目だ…ギンタに当たる…」
風の刃で撃ち落とそうとするも、地上からだとどうしてもギンタを傷つけてしまう。
「私っ…先に助けて来ます!」
シズキはそう言うと、肉体強化の魔法で街に並ぶ屋根にジャンプし、蝗を追跡する。
ドロシーは地上を走るしかない。ゼピュロスブルームの飛行機能が故障していなければ…と歯がゆくなる。
「待ってて…ギンタン…!」
-ランゼス 外壁上-
黄瓦層の上にある街、ランゼスでは開獄日になっても地獄との”門”が街なかに開くことはない。はずである。
故に、ランゼスの魔法使い達は唯一の侵入経路である”空中”を飛ぶ飛行可能な獄鬼を迎撃するために壁上に集結していた。
ランゼスを拠点とする6人の郷属倒鬼師。
エスメラルダから派遣されている王属倒鬼師であるキサラ。
更に開獄日対策に追加で派遣された王属倒鬼師であるヨハン、ヴァーミリオン。
そして、神導器の適合者として昨日強制加入した青年、シキ。
「なんだよこれ…聞いたことねえぞ…ランゼスは黄色いレンガの道が塊になった場所の上にあるんだろ!?ランゼスに”地獄との門”が発生することなんて、絶対にねえんだろ!?」
ランゼスを覆う高い高い壁の上から地上の様子を見つめて、シキが呟く。
「…稀に…ごく稀にこういうことが起きル…」
常に不敵な笑みを浮かべているヴァーミリオンすらも、緊張の表情で地上を見ている。
「地上-地獄間の”穴”の発生すら許さないほど強力に獄鬼を忌避する分厚い黄瓦層ト…
その黄瓦層の力すら上回る程強力な力で”穴”をこじ開ける獄鬼の現れる場所が一致した時ダ…」
ヨハンが続ける。
「そういうことができる獄鬼は指で数える程しか存在しない… そんな獄鬼のことを…我々は”王”と呼ぶ…」
-ランゼス 市街地-
「くっそ…どの道も通りにくい…」
大パニックの結果、生活用の火が漏れたのだろう。街は炎に包まれていた。
獄鬼の破壊した建物の瓦礫、そして獄鬼そのもの。そういったものが、ギンタ救出へ向かうドロシーの邪魔をする。
「ゼピュロスブルーム!!」
突進してきたダンゴムシ型獄鬼を横薙ぎに風で払い、相手をせずに走り続ける。
なるべく戦闘を避けてギンタが連れ去られた方向へ急ぐ。
彼方の空を見ると、ギンタを掴んだ飛蝗がシズキの飛び蹴りを受け、墜落していくところだった。
(ナイスシズキ!)
今走っている大通りを抜ければギンタ達と合流できる。
建物の角を曲がろうとした瞬間、巨大な蛙が目の前を吹っ飛び、派手に家屋に衝突する。獄鬼ではない。ガーディアンARM・クンフーフロッグ。
「ひっ…ひいいい!!」
粗野そうな男が情けない声で逃げてくる。顔に見覚えがある。ピノキオンにARMを貰っていたならず者の1人。クンフーフロッグも彼が使役しているものだろう。
しかしクンフーフロッグは間抜けなデザインとは裏腹に、チェスの駒ナイトクラスも愛用するARM。普通の獄鬼なら一撃で倒せる程強力なはず…
土煙の中から、体長20mはあろうかという巨大な甲虫の獄鬼が現れる。この街を襲う無数の獄鬼の中でも頭一つ飛び抜けた巨体。巨躯に加えて6本の脚全てが巨木のような太さで、その外骨格に強靭な筋繊維を詰め込んでいることが想像できる。
「貴様、魔女か?」
流暢な人語。上位の獄鬼の特徴だ。
『黄色いレンガじゃ防げないものすごい強い獄鬼が無理やり穴を開けちゃった…とか?』
ギンタの言葉…シズキは否定していたが、こんな異例の事態は”想定外な程強力な”獄鬼が出現した、という仮説が1番考えられるとドロシーは思う。
「そうだよ虫ちゃん。ひょっとしてあんたが黄色いレンガの層を砕いたの?」
軽口で相手を挑発するも、強敵の出現にドロシーの額に汗が流れる。
「面白い、その余裕が口だけでないか見てやろう」
甲虫の獄鬼がドロシーに殴りかかる。ドロシーが避けた足元に巨木のような腕がめり込み、陥没する。
その刹那、2本の腕が同時にドロシーを襲う。
「くぉんの!」
身体をひねって回避するが、豊かな胸が災いし左乳房の布が甲虫の腕にひっかかり、乳首より下の半球がぷるんと露出する。
(これがこの獄鬼の戦闘スタイル…2本の脚で立ち、残りの4本による連撃…)
甲虫は身をかがめ、頭部の角を押し出すように突進してくる。
(それと…タックルか!)
ドロシーがダイブするように避けると、そのまま突進した甲虫は民家に激突し、家1件を粉々にしてしまう。
身体を瓦礫に埋めた甲虫。隙だらけだが強固な外殻には生半可な攻撃は通じないだろう。
そう一瞬考えると、背後に強力な打撃が入る。
「がはっ…!!」
ドロシーに背を向けていたはずの甲虫は、裏拳のような動きで素早くドロシーへの攻撃に転じた。
「くっそ…」
背骨がきしむような痛みに耐えながらドロシーは追撃を避ける。
(こいつはブリキンより少し大きい程度のサイズ…正面から出したら取っ組み合いになるけど…今の私はブリキンみたいな上級ARMを長い時間出せない…)
甲虫は再び上半身を起こし、4本の脚による連撃を行う。
その連撃にドロシーは自ら向かっていく。痛む身体をおさえながら巨木のような腕を回避し…甲虫を支える2本脚へとたどり着く。
「エアハンマー!!」
巨体を支える脚への攻撃は、容易に甲虫の転倒を招く。仰向けになった甲虫はその体型上、簡単には起き上がれずに脚をばたつかせる。
「お腹側の甲殻は…他の部位より柔らかそうね…ブリキン!!」
ブリキの巨人が空中に出現し、甲虫の腹に拳を突き立てるポーズで落下してくる。
甲虫の腹部に大穴が空いた瞬間、ドロシーもブリキンをブレスレットに戻す。
「はあ…はあ…」
辛勝だが、どうにか勝てた。
これまでドロシーが対峙した”上位獄鬼”のどの個体よりも強力な相手。
やはり自分は、強くなっている。「メルヘヴンのときより魔力燃費が悪い」というハンデが負荷となり、魔力の成長につながっている。いずれはメルヘヴンにいたときと同じ感覚で強力なARMを存分に行使できるようになるかもしれない。
しかしだいぶ時間をロスした。ドロシーはギンタの落下地点へと急ぐ。
(あの獄鬼…今まで私が戦った中で1番強かった…でも…)
(あいつが本当に…黄色いレンガの層を壊した獄鬼なのかな…)
-ランゼス 大通り-
「オラァッ!!死ねや獄鬼共ォ!!!」
ピノキオンからARMを貰ったならず者達は獄鬼を倒しながら快進撃を続けていた。
ランゼスの魔女や魔法使いが壁の上にいる今、彼らは事実上ランゼス市民にとっての英雄だった。
100人に1人程度の確率で生まれる魔法使い。彼らと同じような技を行使できるマジックアイテム、OZ-ARM。それを所持する彼らは軽快に獄鬼を駆除していく。
彼らはボランティア精神で獄鬼退治をしているわけではなく、為す術ない”非魔法使い”のランゼス市民を襲う獄鬼をまるで魔法使いのように蹂躙する快感に酔いしれていた。
「貴様ら、魔法使いではないな?その”異能”は手に持つ銀細工から出ている…”神導器”の量産に成功したか?」
ならず者たちの背後にいつの間にか出現した青年が、彼らに問う。
青年が人間でないことはわかった。肌が青白く、触覚のようなものが頭に生えている。
輪郭は人間であるものの、手足は蟲のそれだ。それに手が4本ある。背中から虫のような薄羽が生えている。
「んっだテメエ!フレイムボール!」
もう1人のならず者が手から火球を出すが、一瞬で青年は彼の腕の中に間合いを詰める。
「なるほど、似ているが別物だ。ある程度術者側からエネルギーの供給が必要で、神導器のように無制限に異能を行使できない、か?」
そうつぶやき、男の腕に装着されたARMを指でつまんだ状態で砕く。
「これも神導器との違いか…脆いな」
脆い…もとい加工可能とはいえARMは銀細工である。ちょっとやそっとでは砕けない。ましてや素手など…
「な…お…おめえら!!」
周囲のならず者達が一斉にガーディアンARMを発動する。
ジンジャーブレッドマン、クンフーフロッグ、巨犬のARMブルル…青年の身の丈3倍はある巨躯が彼を囲む。
「ほう…異形の召喚もできるのか」
青年はそう言うと、ブルルの頭を掴み軽々とジンジャーブレッドマンに投げる。
クッキー男の身体が砕けブルルが失神するのもつかの間、青年はクンフーフロッグの頭に座っていた。
「本物の生き物のようだが…本質はやはりその銀細工…殺せば破壊された銀細工に戻るのか」
脳天に手をつきたて、クンフーフロッグが絶命しシルバーアクセサリーへと戻るのを観察し、そう言う。
「な…なんだよ…なんなんだよお前…」
-ランゼス 中央広場-
「ギンタさん!!」「シズキさ…」
ギンタを連れ去った蝗の獄鬼を撃墜したシズキはギンタと一緒に石畳に落下しそうになった。シズキは受け身が取れるがギンタはその限りでない。
あんな空中で蝗を倒すべきでなかった…とシズキが悔やんだ瞬間、木の枝でできた腕がのびてギンタを優しく受け止める。
「ジャック!!」
カボチャ頭のジャックが宿屋を抜け出し、ギンタを守るために駆けつけていた。
ギンタが簡易的に操作できる木偶人形と違い、”生命を与える力”で自立駆動ができるジャックだからこそできたことだった。
「よかった…じゃあドロシーさんが来るまでここを切り抜けましょ…」
そう言うシズキの横を、肉塊のようなものが横切る。
「ひ…!」
とっさにシズキはギンタの目を押さえる。それは、力まかせに投げつけられた男性の上半身だった。
顔に見覚えがある。ピンチだったドロシーをARMで助けたならず者…
「…つまらん」
肉塊の飛んできた先には、青年が立っている。肌が青白く、羽と触覚の生えた…明らかな人外。
「顕現した先に偶然黄瓦層があり、それを無理やり引き裂いたのは愉しかった…量産型の神導器のような者がいたのも新鮮な驚きだった…が、弱い。黄瓦層がある安心感から強力な魔法使いが配備されていないのか?」
「え…何あの人……獄鬼…?」
ギンタが言う。
「ギンタさん…動かないで…あれはまずい…」
シズキの勘が告げる。あれは”上位獄鬼”の範疇に収まる個体ではない。もっと上…
『黄色いレンガじゃ防げないものすごい強い獄鬼が無理やり穴を開けちゃった…とか?』
ギンタさんの推測は間違っていないかもしれない…そうシズキは思った。
-ランゼス 外壁上-
「王…?」
シキが言う。
「そうだシキ。獄鬼にはその種類ごとに王がいるんだ。人型獄鬼の王ロークワット、爬虫類型獄鬼の王クィゲロウク…とかな、全部で数体しかいない。その数体から、地獄と地上に無数にいる獄鬼どもは生まれた…とされている」
ヨハンが解説する。
「王様であり、祖先…ってわけか…」
「そして強力だ。王1人でが暴れたら、一晩で10の街が破壊できるだろウ」
ヴァーミリオンが補足する。
「やむを得ない…ドリザエムを使用すル、いいネ?ヨハン」
ヨハンは苦い顔をしながら象形文字の刻まれた宝玉を取り出す。
「局所障壁ドリザエム。エスメラルダが所有する、半球状の絶対防壁を生み出す神導器…それを”王”の周囲に展開する」
「なるほど、防御用のバリアを敵に使えば、そいつを閉じ込める檻になるわけだな?」
「そうだ。あとは夜明けまで待てばいい」
ヨハンの言葉にピンと来ない様子のシキに、キサラが解説する。
「開獄日は地獄と地上の境が大きく開いて、強力な獄鬼が地獄からやってくる日…でも、”王”レベルの獄鬼は地上に顕現しているように見えてその実体は地獄にあるの。やっと空いた穴から首だけ突っ込んでるようなイメージかな?」
「そうか…じゃあ開獄日が終わって”穴”が小さくなって首すらも出せなくなっちまったら…!」
「“王”は地獄に戻るしかないワケだネ」
「じゃあ早く閉じ込めようぜ!ヨハンさん!」
「…もうやってるさ…この神導器の難点として、障壁の完成まで時間がかかるんだ…」
ヨハンが神導器を握りしめ、そう言う。
シキが地上を見ると、確かに白い光の壁が地面からせり上がるように発生している。
壁の上からだとそれが円形であることがよくわかる。時間をかけてせり上がっていき、ドーム状になったときに防壁が完成するわけだ。
「…なあ、ちょっとデカすぎねえ?」
半径5kmの面積を持つランゼスの街に、黄瓦層が爆発した中央広場を中心とした半径3km程度のドーム状の壁が発生し始めていた。
-ランゼス 中央広場-
「ギンタン!シズキ!」
駆けつけたドロシーが見たのは、手足がばらばらになったジャック。
その傍らで、頭を踏みつけにされているシズキ。
そして、シズキの頭を踏んでいる”青年”に腕を掴まれ持ち上げられているギンタ。
(あれは…獄鬼…?)
一見すれば、それは端正な顔をした青年。輪郭も大きさも普通の成人男性のもの。
しかしそれ以外の全てが、彼が人外のものであることを示していた。
頭から生えた触覚、背中から広がる昆虫のような羽、4本の腕。青白い肌。獣のような骨格の脚。
人間のような体型は輪郭だけで、柔らかい肌でなく硬い外骨格がそれを形成していた。
何より、10mは離れているのに感じるヒリヒリするような闘気。先程倒した甲虫の化け物の10分の1もない背丈から放たれる重圧に、ドロシーの額から汗が滴る。
しかし、大切な仲間が襲われている以上、戦わない選択肢はドロシーにはなかった。
「ギンタンを離せ!!ゼピュロスブルーム!!」
風の刃が青年の胴体に直撃する寸前に彼の姿はかき消え、ドロシーの背後から低い声が聞こえた。
「この小僧、懐かしい匂いがする。身体に何か埋め込まれているのか?裂いてみればわかるか?」
ドロシーの真後ろで、ギンタを掴んだまま彼の胸のあたりをコツコツと小突きながら、青年はドロシーに問う。
「トト!!」
躊躇いなく上級ガーディアンARM・トトを使う。ギンタの救出ということもあったが、トトを使う必要がある存在であることを肌で感じた。
「こいつ喰っていいのか?ご主人」
巨狼が青年をまるごと覆う程の大口を開け、ギンタを掴む手以外をばくんと口に入れる。
トトはぐちゃぐちゃと咀嚼し、骨の砕ける音が聞こえる。
安堵したのもつかの間、トトの頬を突き破って腕が伸び、傷一つない青年が頬の中から出てくる。
「嘘…トト…噛んだわよね…今…何度も…」
ギンタを掴んでいた右腕は切断され地面に落ちているが、青年の右肩には綺麗な腕がついている。
(再生能力が異常…そんな…)
「トト!!」
トトは破られた頬の痛みに耐えながら、再度青年に噛み付こうとする。
しかし噛んだ先に青年の姿はなく、トトの尻先に現れる。
(疾い…!)
青年は自身の10倍は大きい巨狼の尻尾を掴み、ぐいと捻り上げる。トトの巨体がふわりと浮かび、大地に叩きつけられる。
「何よ…それ…」
続けて、青年はトトの顔面に乗り殴打を始める。あれではトトが破壊される。
「ッ……トト!!戻りなさい!!!」
ドロシーは慌ててトトをARMに戻す。
「ドロシーさん…あれ…きっと…”王”です…コッローディさんから訊いたことがある…普段は地獄にいる獄鬼の王様…」
頭から血を流したシズキが言う。
周囲を見渡せば大量の虫型獄鬼が3人と青年を囲んでいるが、何故かそれ以上近寄らない。
中には、うやうやしく青年に向けて頭を垂れている虫もいる。
獄鬼に”王”と呼ばれる強力な個体がいることは何度か聞いていた。
モンビが若返ってまで振り向いてもらいたがったのは人型獄鬼の王ロークワット…
他に爬虫類獄鬼の王や蟲の獄鬼の王もいるとか…
(じゃああれが…蟲の獄鬼の王…?)
頭の触覚と背中の薄羽。計6本の手足。そして外骨格の肉体から、ドロシーはそう推察する。
そしてそうであれば、様々な姿形を持つ獄鬼のうち、蟲の獄鬼だけがこの場に満ちているのも道理だ。
そして”王”であればランゼスの黄瓦層を力技で破壊するという異例の事態を起こすことも可能だろう。
”王の出現地点”と”分厚い黄瓦層に守られた街”が一致するなどという天文学的な確率の偶然など、誰も想定しない。対策を提言する者がいたら杞憂と笑われるだろう。
まさかそんな異例の事態が、よりによって自分達の滞在中に起きるなんて…
ドロシーはあまりの運の悪さに笑いそうになる。
それでも、逃げる隙がない以上、戦うしかない。
せめてひるませることでもできれば…
「ブリキン!!」
再び、巨大なブリキの兵士が轟音とともに王の背後に出現する。
頭上から振り下ろされる巨大な拳を、王は片手で受け止める。王の足元がすこし陥没するが、王本人は涼しい顔だ。
(化け物…)
このままブリキンに頑張らせてもいいが、今のドロシーにそんな魔力は残っていない。
「ウィンダールヴ!!」
ブリキンを解除したドロシーは瞬時に”王”に向かって走り、数多の風の刃を放つ。
王は、最小限の動作で、風の刃の群れの間を縫うようにしてドロシーとの距離を詰める。
「娘、病でも患っているのか?」
大量の斬撃を律儀に全て避けた”王”は、世間話でもするようにドロシーの前に立つ。
「先程屠った者たちは全力で向かってくる小動物の如き弱さだったが、貴様はまるで牙と爪をなくした獣のような戦い方をする。」
回し蹴りで牽制しながら、旋回の勢いを使った裏拳打ちをエア・ハンマーに乗せたドロシーの一撃。”王”はドロシーの手首を払ってそれを避ける。
「貴様の身のこなし、強者のそれだ。本来であれば獅子の如き強さなのに、その力をふるっていない…いや、力はふるえているがどこか自制している…違うか?」
“王”の慧眼どおり、ドロシーは元の世界、メルヘヴンでは最強の魔女だった。
しかしここオズの国の魔力がメルヘヴンのそれと質が違うことが災いし、ドロシーの魔力燃費は極端に悪くなった。
1戦に30回は発動できたARMが数回の使用で魔力が底をついてしまったり、1分間は召喚できていたガーディアンが十数秒しか出せなくなってしまった。
カルデアの民の特徴・膨大な魔力量を武器にして強力なARMをふんだんに使った戦い方をメルヘヴンでしていたドロシーは、この世界では本領を発揮できないでいる。
それ故、この世界に来てから彼女は今までは想像もできないような弱い相手にも遅れをとり、敗北し、その代償を女性になったばかりの身体に刻み込まれてきた。
あくまで燃費が悪くなっただけでARMの威力は変わらない。使用回数に制限がかかっただけ。
メルヘヴンでのウォーゲーム・4thバトルでナイフ1本で相手を倒したように、必要最低限のARMで相手を倒すセンスをドロシーは持ち合わせていたが、連戦や強敵との戦いとの戦いでも低燃費を強いられ続けるこの世界での戦いはまさに爪や牙に怪我を負った獅子のような歪な戦い方。”王”はそんなドロシーの戦いを見て、彼女が本来であれば相当な強者であることを見抜いた。
(強い…とても逃げる隙なんて作れない…)
そうドロシーが思った瞬間、大地が揺れるような音が響き渡る。
青年は3人から注意をそらし、空を見上げる。
「…ほう、我を閉じ込める作戦に出たか」
見れば彼らをぐるりと取り囲むように、直径3km程の光の壁が出現する。
周囲からじわじわと半球状にせり上がり、やがて球の頂点まで光の壁が形成されようとしている。
「それはつまらぬ…せっかく季節に一度、一晩だけ地上へ出られるのだ。
いつも開獄日には、10は人間共の集落を破壊せねば気が収まらぬのだ…このような狭い空間に縫い付けられるのはつまらぬ…」
“王”にとって幸いなことに、半球が閉じきるまでまだ時間がある。
そして王の身体能力なら、直径1kmの球の頂点まで飛翔し脱出することは可能だった。
-ランゼス 外壁上-
「なあ…あんなでかい壁を張るのか?…そうか!あれで”王”が移動するのを妨害しておいて、その中に狙い定めた本命の小さな壁を作って王を閉じ込め…」
「…違う。あれが防御壁だ。あれで”王”を閉じ込める」
「え…でも…」
シキは会話の中で感じていた違和感への答えに気づく。
最強の獄鬼が出てきてしまったというアクシデントを解決する術があるのに、ヨハンもキサラも渋い顔、辛そうな顔をしている。
「…こんなにでかい防壁…ランゼスのほぼ全域じゃねえか…中に人もいっぱいいるだろ…?」
「黄煉層が割れ、ひびが入った範囲全体を覆ったからネ」
シキにはその意味がわかった。
ランゼス内に空いた”穴”から無数の獄鬼が沸いて出てきたが、防壁でそれらを覆ってしまえば、結界外のランゼス内には、これ以上獄鬼は出てこない。
逆に言えば防壁内では、”穴”から地獄の獄鬼達が無数に出てきて、半径3kmの空間の中で”王”と共に蹂躙の限りを尽くすだろう。
「…クソ野郎が…ランゼスの人々を捨てる気かよ…」
「地獄の王など、誰も倒すことなどできなイ。我々が出来ることなど、”隔壁”として特化したこの神導器に閉じ込めることぐらいダ」
ヴァーミリオンは言い放つ。
「“王”を放置したら、人類にとって重要な拠点であるランゼスが破壊しつくされた上、同じ夜の間に更に10以上の街を破壊できるだろウ。私を否定するということは、それを肯定するということだヨ、シキ君」
「…ッ!!…なんでそんな都合の良い神導器が、こんな都合の良い場面でお前が持ってるんだよ!まるでわかってたみたいじゃねえか…!」
「これは”子機”だヨ…開獄日の度に各地の”黄瓦層の上にある街”に派遣される王属倒鬼師が、これを持っていル…」
「そんで…何百人か巻き込んで王を止めるってかよ!!」
「それで何千人が助かる。そういう仕事だヨ、シキくん。これから君がするのはネ」
ヴァーミリオンがそう言い、今にも半球に向かって飛び降りそうになるシキの鳩尾を突き、気絶させる。
「拒否権はないヨ。呪血刀シヴェシュが適合する人間、ようやく見つけたのだ。君には早く、この仕事に慣れてもらわねバ…」
(それにこの作戦が成功するかも賭けなのダ…)
ヨハンが懸命に神導器に念を込めているが、それでも障壁の形成が遅い。
王はもう自分が閉じ込められることに気づくだろう。そして王なら、未完成の障壁を突破することも可能だろう。
-ランゼス 中央広場-
王は背についた薄膜の羽を羽ばたかせ、飛翔の体制に入る。
とりあえず王が自分たちから離れていくことにシズキは安堵しかけたが、ドロシーはARMを起動させていた。
「ガーディアンARM、スケアクロウ…!」
巨大なかかしが出現し、虚ろな眼光が怪しく光る。スケアクロウの能力で”王”はその動きを金縛りのように封じられる。
「お姉ちゃん!?何を…」
ギンタが驚いてドロシーに叫ぶ。
「あの壁…誰が作ってるかわからないけど…あいつを閉じ込める為のものだよ…それは正しい…だってあいつ…一晩で村を10箇所以上も壊滅できる化物なんでしょう?」
ドロシーの額に汗が滴る。スケアクロウは彼女が持つ最上級のARM。
彼女の魔力燃費が悪化しているオズの国では、魔力を振り絞っても十数秒しか出していられない。
「障壁を作ってるやつがそういう考えなら…あいつを閉じ込め損ねた時点で障壁を解除する…そしたら私たち、あいつにこの街ごと皆殺しにされる…」
「っでも!!アレを閉じ込める障壁の中に私たちもいたら意味ないじゃないですか!!」
シズキが抗議する。
「大丈夫…っフライングレオ!!」
有翼の巨大な獅子が出現する。
ガーディアンARMの複数行使は、それができるだけでもメルヘヴン指折りのARM使いの仲間入りを果たせるレベルの高等技能だ。一度に5体のガーディアンを操るファントムのような化物まではいかないが、ドロシーは2体までなら可能だった。…というより、これが初挑戦だった。
フライングレオがギンタ、シズキ、ジャックを優しく咥え、羽ばたこうとする。
「え…ドロシーさん…?」
「ガーディアンARM発動中は、術者は動けないんだ。1体までなら背中に乗って移動とかはできるんだけど…2体動時だとそれも無理みたい…」
「や…嫌だあっ!お姉ちゃん!!」
ギンタが叫ぶが、ドロシーはにっこり微笑み、レオを飛翔させる。
「大好きだよ、ギンタン」
「ドロシーさん!!ドロシーさあん!!」
「シズキ!!きっとドームの外も獄鬼がいっぱいいる!ギンタを守って!大丈夫…絶対生きて戻るから!!」
ドロシーはそう叫び、半球の頂点-まだ光の障壁が形成されていない穴から彼らが脱出するのを見送る。
半球が完全に閉じるまでまだかかりそうだが、特上のARMであるスケアクロウの発動を維持する魔力はドロシーにはなかった。
「…面白いことをするな、娘」
金縛りが解かれた”王”はそう口で言うが、王の表情には苛立ちが見て取れた。
更にその周囲には、”王”とそれに逆らう愚かな魔女の戦いの行く末を見守る無数の獄鬼達がひしめき合うように囲んでいた。
ドームが完成するまで“王”を引きつけることに成功したとして、逃走するためには”王”から逃げつつもこの大量の蟲達の包囲を突破しなくてはいけないことをドロシーは理解する。
ドロシーの逡巡の間に、スケアクロウの拘束が解かれた”王”は背中の羽を羽ばたかせ、再度飛翔しようとする。
すかさずドロシーが箒を振るい、大風が大気を見出し”王”の飛翔を妨害する。
そうだ。今は『逃走』など考えるな。逆…『追跡』に集中しろ。
こいつをドームの中に閉じ込めきらないと、都市を破壊する規模で一晩中暴れる。ギンタ達に逃げ道などない。
ドロシーの肌に、胎内に、つい数刻前まで愛し合った少年の温もりが残っている。
(ギンタン…あの子の為なら私は…)
「…面白い…面白いが…少し戯れが過ぎるな、小娘…」
“王”は静かに呟く。その微かな声量に反して、人間の成人男性程度の背丈に反して、
周囲の空気が鉛のように重くなる重圧を感じる。
「…行かせないよ…”王様”…」
メルヘヴンの魔女は烈風を操る箒を構え、獄鬼の王にそう微笑んでみせる。