一夜明けて日曜日。
てっきり今日も、両親がどこかに出掛けると言い出すかと思っていたが、母も綾乃もそれが当然のことであるかのように、家でゆったりと過ごしていた。
しかも、キッチンにはおにぎりやサンドイッチなどの手軽に摘める軽食がすでに準備してあり、お昼は自分たちの好きなタイミングで食べるようにとのお達しだった。
母は異様に上機嫌だったが、父が若干お疲れ気味なようだったので、外出を控えたのかもしれない。
父は体力はあるほうだと思うけど、久しぶりの綾乃との外出ではしゃぎ過ぎたのかな。
僕はいま、自分の部屋で綾乃の座椅子代わりになっていた。
ベッドの上に胡坐をかいて座った僕の足の上に、綾乃が気だるそうに寄りかかっている。
僕は綾乃の家から取ってきた大きめのタブレットを手に持ち、綾乃専用の台のような役割に従事していた。
座り心地が悪いのか、綾乃は先程まで何度もお尻の位置を微調整していたが、いまでは座りの良い位置に定まったのか完全に脱力して僕に寄りかかっていた。
なんだか綾乃が不機嫌だ。
動画サイトを観ている途中から段々悪くなってきたように思うので、今現在自分で開いているサイトのせいで不機嫌になっているわけではないと思う。
綾乃の後ろから、タブレットの画面を覗き込む。
さっきまでは投稿動画サイトで様々な自作音楽動画を観ていたが、今ではずっと似た様なサイトを見て回っている。
『胸を大きくする方法』
女性の絵や写真とともに、どうすればバストアップできるかが紹介されていた。
だいたいどれも内容は同じで、食事・運動・マッサージで大きくできると書かれていた。
あとは補正下着とか、サプリの広告だ。
どちらも非常に高い。
サプリはまだわかるけど、補正下着とか詐欺じゃないのだろうか。
そんなので大きくされても、僕としてはあまり嬉しく思わないと思うし。
まあサプリメントの効果ってのも眉唾モノだけど。
いや、でもあゆみさんの胸が強調されたら、それはそれでかなりの破壊力を持ちそうだ。
子供のころにお風呂で見たあゆみさんの胸を思い出す。
かなり古い記憶のはずだけど、頻繁に思い出すおかげか意外と鮮明にイメージできた。
攻撃力アップと考えれば、補正下着もありなのかも。
でも、綾乃には必要ないよね。
自然と、僕の顔の下にある綾乃の胸元に目が行く。
普段なら綾乃に視線の動きがバレて怒られるので出来る限り我慢するけど、今綾乃はタブレットを見ていてこっちを見ていないのでバレないはず。
部屋着でゆったりとした服を着ているせいか、慎ましやかなふくらみは慎まし過ぎて服の皺に隠れてしまっていた。
綾乃は余計な脂肪もないし、寄せて上げることもできないしね。
綾乃がその短い腕で、タブレット画面を操作している。
さっきから念入りに観ているのは、マッサージについてだ。
脇の下のリンパがうんぬんとか、図解付きで書いてある。
あとは吸引器具とか、シャワーマッサージとか。
色々とあるんだなぁ。
僕が何気なく観ていると、綾乃が僕の腕に自分の腕を引っ掛けて、ぐっと体重をかけてきた。
綾乃の体重くらい、簡単に支えられる。
でも、このまま続けられたら結構きついかも。
僕が微動だしないでいると、綾乃の腕から急に力が抜けた。
綾乃が腕を離したせいだ。
綾乃を支えるために力を込めてたせいで、反動で僕の腕が少し上に跳ねあがる。
その脇の下を、綾乃がころんと転がり落ちた。
「あっ、ごめん」
綾乃は僕の片足にお尻を乗せたまま、ベッドにぐでんと横になっている。
スカートが捲くり上がって、可愛らしい刺繍の付いた白いパンツが丸出しになっていた。
綾乃の背中に腕を差し入れて抱き起こそうとしたら、綾乃はそれに抵抗するような感じで脱力してきた。
どうしたんだろう。
綾乃がなんかおかしい。
「……たっくんはさ、何かしたいことない?」
僕の顔を見ないまま、綾乃がポツリと呟く。
「どうしたのさ」
ぐでっとした綾乃を、僕は抱き起こした。
脱力した人間を起こすのは少し大変だけど、綾乃は軽いから全然苦じゃない。
僕の膝の上に綾乃を乗せ直したが、綾乃は自分でバランスを取る気がまったくなくて重力に任せるままにずり落ちて行こうとする。
なんだか不貞腐れてる感じだ。
僕はタブレットを脇に置いて、綾乃を両腕でしっかり挟み込んで支えた。
こうしていると、綺麗な外見と合わせて綾乃が本物のお人形さんのように思えた。
そう考えた瞬間、僕の腰のあたりがぞくりとした。
甘い疼きだが、よくないものだ。
僕はその感覚を振り払うと、綾乃との会話に意識を集中した。
「私と、したいことない?」
後ろから抱きかかえているため、綾乃の顔は見えない。
綾乃の耳は真っ赤で、体温が上がっているのも直に感じられた。
「したいことかぁ」
見慣れた天井を見上げる。
したいこと。やりたいこと。
正直、何も思い浮かばなかった。
綾乃を抱き締めて、座っているこの状況。
綾乃の体温を感じて、息遣いも鼓動も感じられるこの状況が、この上なく満たされた気持ちにさせてくれるからだと思う。
綾乃がこくりと唾を飲み込んだのがわかった。
抱き締めているからよくわかる。
体も、少し強張っていた。
僕は綾乃を安心させようと、少し強めに抱き締めた。
「ずっとこうしていたいかな」
するりと、本音が出た。
自分で言った言葉に恥ずかしくなり、顔が熱くなる。
顔を見られているわけではないけど、僕は隠れるように綾乃の後頭部に顔を押し付けた。
滑らかで柔らかい綾乃の髪の感触が心地良い。
綾乃の頭は熱でもあるみたいに凄く熱くなっていて、密着した僕の胸元からは激しい鼓動が感じられた。
いや、これは僕自身の音かもしれない。
僕が強く抱き締めた瞬間にはこれ以上ないくらい硬く強張っていた綾乃の体が、急に弛緩した。
さっきまでの無気力で投げやりな感じではなく、僕に体を預ける様な力の抜き方だった。
「私も…」
綾乃の囁くような声が聞こえた。
僕の顔の下で、綾乃の頭がくるりと動く。
こちらを向いて半分だけ見えるようになった綾乃の顔は、真っ赤だった。
綾乃の潤んだ瞳と視線が交わると、綾乃はさらに体を僕のほうに捻りながら軽く目を閉じた。
いくら鈍感な僕でも、綾乃の意図はすぐわかった。
でも、ダメだ。
ズボンの中で僕のモノは、痛いくらい硬くなっている。
幸い変な向きで大きくなったおかげで綾乃には触れていないけど、寝間着を兼用する柔らかい生地のスウェットでは、膨らみは隠しようもなくはっきりと出ているはずだ。
今ここで綾乃にキスをしたら、歯止めが利かなくなる予感がした。
僕はわざと誤魔化すように、綾乃の頬に自分の顔を擦り付けた。
柔らかくて温かい。
僕の行動が不満だったのか、僕のほっぺた越しに、綾乃の頬がぷくっと膨らんだのがわかった。
僕は抱き締める力をほんの少し強めた。
綾乃は腕の中でもぞもぞと動き、体を僕の方に完全に向けた。
向かい合って、体が密着する。
お互い部屋着な上に、綾乃はブラジャーをつけていなかった。
その柔らかな感触に欲望が頭をもたげるけど、それ以上に満たされた気持ちが僕の中に沸き上がってくる。
綾乃が僕の肩に顎を乗せてきたので、僕は強く、だけど綾乃が苦しくない程度に抱き締めた。
くぅ
その瞬間、なんだか甲高い音がした。
綾乃が再び固まっている。
いや、密着していたせいか、綾乃のお腹から音が響いたのは僕にもよくわかったんだけどね。
気付かない振りをするべきかな。
きゅぅ~
ダメ押しで再度音が響いた。
「お腹減ったの?」
黙っておこうという自制を振り切った一言がポロリと漏れた瞬間、顎に衝撃を感じた。
綾乃が仰け反りながら腕をラリアットのように振り回して、僕を殴ってきたからだ。
その勢いで僕と綾乃はベッドの上に別々に転がった。
痛くはないけど、重さがある。腰の入った良い一撃だった。
綾乃がベッドに仰向けに倒れたまま、うつろな瞳で虚空を見つめて動かなくなったので、僕はお昼ご飯を取りに行った。
綾乃を下へ連れて行こうとしたら、無言の拒絶を感じたので、僕は二階の部屋でお昼を食べることにした。
僕が一階に降りたときには母も父もリビングにはおらず、テーブルに用意されている料理の量を見るにすでに食べ終わったのだろうと思えた。
僕はちょうど二人分くらいの料理が盛られた皿を手に、慎重に階段を上がった。
母が作った一口サイズのおにぎりやサンドイッチは、綾乃にとっての一口サイズで、僕なら5~6個は余裕で口に入るくらい可愛らしいサイズだった。
からあげや卵焼きなどもあるが、どれも同様に綺麗に切り分けられている。
料理を落とさないように注意しながら部屋のドアを開けて、お皿を座卓の上に置いた。
「食べさせて」
綾乃がベッドの上に転がったまま声を掛けてきた。
綾乃用のフォークやスプーンを持ってこようと思っていた僕は、立ち上がろうとした中腰のまま固まってしまった。
「食べさせて」
綾乃がベッドの上で身を起こしながら繰り返す。
「あっ、うん」
僕は綾乃を抱え上げて、座卓横のクッションに座らせた。
僕は動揺というか、少し混乱していた。
自力で食事している姿を見せたくないのかな。
それで仕方なく僕に給仕させるとか。
もうずいぶん長いこと禁止されていたことがどんどん解禁されている。
それが良いことなのか悪いことなのか判断できなくて戸惑ってしまう。
綾乃は嫌だから僕に食べさせてもらうことを禁止してたんだよね。
嫌なことを我慢するほど、回避したいもっと嫌なことが何かあるのかな。
「んっ」
綾乃と90度の位置になるように座った僕の膝の上に、綾乃が文字通り転がり込んでくる。
さっきベッドの上でとっていたような姿勢にまたなった。
僕が綾乃の座椅子になる形だ。
「ひゃやくたべまひ」
綾乃が早口でそう言うと、少し赤みが刺していた綾乃の耳が、これ以上ないくらい真っ赤になった。
綾乃が少し震えているのを感じる。
怒ってるのかな。
怒ってるようには感じるけど、僕に向けられている感じはしない。
でも、放置したらこっちに向きそうな微妙な雰囲気。
「何が食べたい?」
僕は料理と一緒に持ってきた濡れ布巾で手を拭きながら綾乃に聞いた。
綾乃は口を開いては閉じ、もじもじしている。
「…なんでも」
そう言うと綾乃は俯いてしまった。
真っ赤になってほんのり汗ばんでいるうなじが見える。
「じゃあ、はい」
挟まっている具を特に気にせず、僕はサンドイッチを一つ摘まむと綾乃に顔に近付けた。
よほどお腹がすいていたのか、綾乃は勢いよくサンドイッチに食いついた。
あまりにも勢いがよくて、綾乃の唇が僕の指に触れる。
というか、第一関節までサンドイッチと一緒に綾乃の口に含まれてた。
柔らかい感触が指先を撫でて、僕の身体が無意識にぴくりと痙攣する。
「次、これね」
僕は作業に徹することで、濡れた指先を気にしないように心掛けた。
急激に僕の心臓のドキドキが強まっている。
今度は指ごと食べられないように、なるべくサンドイッチの端を摘まんで綾乃の顔に持っていった。
「ん」
また第一関節まで咥えられた。
今度はさらに、綾乃の舌が僕の指先を少し撫でた気がする。
「……お箸、持ってこようか?」
「このままでいい」
綾乃はサンドイッチをもぐもぐと咀嚼しながら、僕の提案に即答してきた。
口に物を入れたまま喋っちゃいけないんじゃなかったっけ。
「そっか」
僕は生返事をしながら唐揚げを摘まんだ。
小さめのお肉をカラッと揚げたあと、さらに綾乃が食べやすいように半分に切ったものだ。
サンドイッチのように端を持つと衣がちぎれて落ちそうだったので、僕は唐揚げの真ん中を持って綾乃の顔に近付けた。
あれ? でもこの持ち方だとまた綾乃の口に一緒に入っちゃう?
そうやって意識してしまったのがいけなかった。
指先に向いた意識が、僕の指を第二関節まで飲み込んだ綾乃の口の中の熱さ、唇の柔らかさ、舌先がなぞる艶めかしさをより強力に捉えた。
チュ
小さな音が、やけに大きく僕の脳に響いた。
いや、その音は僕の脳だけじゃなく、心臓と股間にも大きな衝撃を響かせた。
僕の股間が綾乃のお尻を突き上げているけど、綾乃は何も言わない。
綾乃にばれないよう、僕は静かに深呼吸をした。
呼吸がどんどん荒くなってきてる気がする。
ご飯を食べることに集中しないと。食事中に余計なことを考えちゃだめだ。
それから僕はできる限り無心で、綾乃にご飯を食べさせ続けた。
綾乃が「もうお腹いっぱい」と言って僕の上から転がり出ていくまで、僕は自分が食べることも忘れてひたすら綾乃の給仕に徹していた。
綾乃はベッドから器用に掛け布団を引き摺り下ろすと、それにくるりと丸まってしまった。
そのまま何かをするような気配はない。
お腹がいっぱいになって眠くなっちゃったのかな。
綾乃から絶対に見られていないことを確認した僕は、自分の指をじっと見つめた。
わざとやったのか、たまたまなのか、僕の指先は綾乃の唾液で少しだけ濡れていた。
綺麗に舐めとるようで、少し表面に残す感じというか、綾乃のふんわりとした咥え方が生々しく思い出された。
何か、後頭部のあたりからぞろりといけない考えが浮かびそうになった。
僕は素早く布巾で手を拭くと、綾乃に給仕してたのとは逆の手で料理を食べ始めることにした。
お腹はすごく減っているんだけど、あんまり食欲がないというか、胸につっかえるものがある。
僕はそのよくわからない感覚に首を傾げながら、残った料理を全部平らげた。
結局綾乃は布団にくるまったまま寝てしまったのか、声を掛けてみても揺すってみても、うんともすんとも言わなかった。
僕もお腹がいっぱいになって眠かったので、布団で繭のようになってる綾乃の横でそのまま昼寝してしまった。
目が覚めると夕方で、僕は綾乃がくるまっていた布団を掛けていた。
綾乃は部屋にいなかった。
僕はバネ仕掛けのように跳ね起きると、勢いよく部屋を飛び出した。
階段を転がり落ちる勢いで駆け降りると、ちょうどタイミング良く母が廊下に出てきており、あゆみさんが旅行から帰ってきて綾乃を連れて帰ったことを教えてくれた。
僕があんまり気持ちよさそうに寝ていたから、あゆみさんは僕を起こさずに綾乃を連れて帰ったらしい。
「今日はお邪魔しないで、また明日改めてご挨拶しましょう」
母が笑顔でそう言うので、僕はどっと気が抜けるのを感じながら頷いた。
寝ぼけていたのか、目が覚めて綾乃がいなかったときに感じた焦燥感が一気に霧散していく。
何をそんなに慌てていたのか、自分でもよくわからなかった。
首元がじっとりと湿って気持ちが悪い。
寝汗をかいたのかな。
「もうお風呂に入ってしまってください。顔をちゃんと洗ってくださいね」
母は上機嫌な軽い足取りで、台所に戻っていった。
普段よりだいぶ早い時間だけど、もうお風呂が沸いてるらしい。
僕は母の背をなんとなく見送ると、素直にお風呂場に向かった。
お風呂場で洗面台の鏡を見たら、僕の頬っぺたとおでこと顎先にはうっすらとピンク色の口紅の跡がついていた。
それに気付いてハッとなると同時に、もっと重大なことを思い出してさらにハッとする。
綾乃の家の脱衣場に、大量のバスタオルが出しっぱなしだった。
綾乃のタブレットを取りに行ったときに洗濯機を回そうとしたけど、使い方がよくわからなくて全部洗濯籠に突っ込んである。
そのまま綾乃に相談するのも忘れて、そのままにしていた。
僕は全裸のまましゃがみ込み、どうしようと暗い気分に染まる。
…………でもまあ、綾乃が上手く言ってくれるかな。
最初に事情を聞かれるのは綾乃だろうし、綾乃なら上手く誤魔化してくれると思う。
もういまさらどうしようもない話だし、気にしないようにしよう。
うん、そうしよう。
気分一転、僕は問題が全て解決したような晴れやかな気持ちになる。
綾乃なら大丈夫だよね。
うちに来るときの言い訳は僕が考えたし、これでおあいこだ。
僕は気楽な気持ちでお風呂を堪能すると、晩御飯のいい匂いが漂うリビングに意気揚々と入っていった。
リビングではすでに父が晩御飯を食べ始めていた。
なんだか父の影が薄いというか、父自体の色が薄くなってるように感じる。
もちろん人間がそんな変化をするわけがないから、僕の印象に過ぎないんだけど。
元気がないわけじゃないけど、どことなく疲れた雰囲気が父から漂っている。
今日は一日家に居たはずなのに。
それとも僕が寝てる間にどこか出掛けてたのかな?
父とは対照的に、台所にいる母は鼻歌を歌ってご機嫌だ。
父も別に機嫌が悪いわけじゃないんだけど、僕にはすごく二人が対極的に見えた。
「正」
僕が座ると、父は声を掛けてきた。
何か言おうとした父は、母が料理を持ってくるのを見て口を噤んでしまった。
「あら、どうかしましたか?」
母は普段以上のニコニコ顔で父に問いかけた。
料理をテーブルに置くと、母も食事の席に着く。
なんだかいつもより、母が父の近くに座ってる気がする。
というか、食べるのの邪魔になるぐらい母は父に密着して座っていた。
「いや」
父はそれだけ言うと、そのまま黙って食事を再開した。
「何?」
僕は少し気になったので父に続きを促した。
父のいつも皺の寄った眉間が、ぴくりと少しだけ深くなった。
「いや、また今度な」
「え~、私に内緒の話ですかぁ?」
母が茶碗を持つ父の腕に自分の腕を絡めながら、父にしなだれかかった。
父の言おうとしたことが気になったけど、父はもう何かを言うつもりはないみたい。
僕は両親のやり取りに興味を失うと、食事に集中した。
いつも通りおいしい。
もうお風呂に入ったし、今日は早く寝よう。