綾乃の横に並んで、ゆっくりと下校する。
綾乃が僕のことを待っていてくれた事実によって膨れ上がっていた喜びの感情は、駅に着く頃にはすっかりと萎えしぼんでしまい、今では怒られるのではないかという疑念と恐怖心がいっぱいになっていた。
何故なら、駅に向かう道すがらは、綾乃は終始無言だったからだ。
綾乃は顔をやや俯かせたまま、視線は前をじっと見据えており、僕がいくら話しかけても相槌は全て上の空だった。
それでも綾乃は、帰り道にある障害物を、的確なハンドル操作で車椅子を動かして避け続けた。
ただぼーっとしているのとは違う異様な雰囲気だった。
駅に着く直前くらいには、もう僕は怒られる心の準備が完了しており、僕たちの間は完全に無言だった。
そんな中で、綾乃の少し荒く浅い呼吸音だけが、やけに大きく僕の耳には届いていた。
僕は怒られる心当たりをピックアップし、可能であれば怒られる前に自己申告し、絞り切れない場合は、せめてすぐに事実をありのまま説明できるよう、過去の自分の行いを必死に思い返していた。
「こんばんは。お待たせいたしました」
僕が居心地の悪さから視線を彷徨わせていたら、いつの間にかいつもの強面の駅員のお兄さんが近づいてきていた。
普段と変わらない、子供に対するものとは思えない丁寧な物腰が、異常事態に晒された僕には一筋の救いの光に見えた。
「あっ、ど、どうも、こんにちは」
「こんばんは、いつもお世話になります」
綾乃が普段通りの調子で、挨拶を返している。
いつの間に正気を取り戻したのだろう。
それと、僕だけ「こんにちは」と言ってしまい、凄く場違いな感じがして恥ずかしい。
「それでは、ご案内させていただきます」
「ありがとうございます」
「あっ、ありがとうございます…」
駅員さんは丁寧な仕草でエレベーターの方を示すと、僕らの少し前を先に歩いて先導し始めた。
なんだろう、少し違和感があるような気がする。
駅員さんと僕らとの距離が、いつもより少しだけ遠いような。
そういえば駅員さんは、挨拶をして顔を上げた直後、一瞬不自然な動きをしていたように思う。
主に僕の方を見て、一瞬ぴくりと動きが止まったような。
エレベーターの中でも、終始無言。
別に駅員さんはいつも無口な人だから、特に変なことではないんだけど、僕としては言い知れぬ重圧を感じていた。
「それでは、お気をつけてお帰りください」
電車のドアが閉まる前に、駅員さんは丁寧に頭を下げて言った。
「はい、ありがとうございました」
「ありがとうございました…」
一瞬でも救援を得たと思ったのに、結果として一度も救いの手が伸べられぬまま、電車のドアが閉まっていく。
電車のドアガラス越しに、駅員さんと目が合う。
駅員さんは強面な顔に申し訳なさそうな、それでいて気遣うような微かな笑顔を乗せて、僕の目をじっと見返していた。
駅員さんの口は僅かにも動いていなかったけど、「頑張ってください」と言われたような気がした。
電車が動き出し、お互いの視線が切れる最後の一瞬まで、僕と駅員さんはじっと見つめあっていた。
ありがとうございます。
頑張ります。
駅員さんの気遣いに触れ、少し元気が出てきた。
少し気合を入れて、綾乃に話しかけようと視線を移す。
すると綾乃は、完全に僕からは体ごとそっぽを向いて、ドアガラスの向こうをじっと見つめていた。
少し俯き加減なせいで、やや斜め後ろに立っている僕からは綾乃の表情がよく見えない。
怒ってるとき、不機嫌なときの綾乃の様子にも思える。
…僕は何を頑張ればいいんでしょう。
視線をドアガラスの向こうに彷徨わせても、すでに駅員さんの姿はなく、夕暮れ色に染まった街並みが見えるだけだった。
いや、頑張ろう。
せっかく駅員さんから応援してもらったんだ。
駅員さんの気持ちを無碍にはできない。
自分だけではどうにも動き出せなくて、駅員さんの応援を動機として行動を決意する。
他人を言い訳の道具にしているようで少し卑怯な気もするけど、それでも今はその些細な動機を大義名分にしていくしかない。
・・・・・
たっくんとは別の男性の声で、私は急激に現実に引き戻された。
気が付けばいつの間にか学校から駅に移動しており、目の前には馴染みの男性駅員さんが、丁寧な物腰で挨拶をしてくれていた。
私は普段通りの自分を意識して、平静を装って挨拶を返す。
いつから意識を飛んでいたのか、私は自分の記憶を高速で辿れる限り遡った。
放課後、私はたっくんが現れるのを昇降口付近で待っていた。
クラスメートと談笑しながらなので、特に退屈はしない。
そもそも、好きな人を心待ちにすることが、退屈であるわけがなかった。
ただ、それにしても今日はいつもより、たっくんが現れるのが遅い。
今日に限って、私はすでに一時間以上ここでおしゃべりに興じていた。
クラスメートのみんなは、いつもより長めの下校時のおしゃべりが楽しいのか、普段よりも多少テンションが高いように見える。
その会話に耳を傾け、相槌を打ちながらも、私の心の中ではある不安が頭をもたげていた。
それは漠然とした不安。
言葉では上手く言い表せないが、脳裏にちらつくのは、つい先日私を襲った騒動の際、私のもとに駆け付けてくれたたっくんの姿だった。
たっくんに何かあったのか。
探しに行くべきか。ここで待つべきか。
たっくんは私のような脆弱な存在とは違う。
それでも、いまこの一瞬の迷いが致命的な遅れとなるのではないかという恐怖が、埋火のようにチロチロと顔を出す。
自身の心の中で僅かに見えた火を明確に意識した瞬間、私は覚悟を決めて周囲のクラスメートにたっくんを探しに行きたい旨を告げようと口を開いた。
勘違いであるかもしれない、考えすぎかもしれない、事実、そうであってほしい。
自分の先走りから、クラスメートを巻き込み、学校に迷惑をかけるかもしれない。
それでも、たっくんの無事には代えられないと、声を出そうとしたその瞬間。
下駄箱へ向かうたっくんの姿を、私は視界に捉えた。
出そうとした声が、安堵の吐息となって漏れる。
「綾乃さん…どうかした?」
思いの外大きな吐息が出てしまい、周囲のクラスメートが一斉に私に気遣いの視線と声を向けてくれる。
「あっ…ううん? なんでもないの」
私は首を横に振り、人の半分しかない短い両腕を左右に振った。
何人かの子は、私のその振られる両腕の先端を無意識に目で追い、何人かの子は私の全身の動きを見て微笑む。
前者は好奇心から、後者は庇護欲から。
本人たちにそんな認識は欠片もないだろう。
そもそも、どちらも特段悪い感情ではない。
私としても、そういった視線を向けられるのは日常茶飯事なので、特に気にすることもなかった。
それよりも今日私は、普段とは違ったアクションを起こそうと心に決めており、そのことに意識が移り変わっていた。
たっくんと一緒に帰る。
たっくんと二人きりで帰る。
いままでは学校での人間関係と、何よりたっくんへの風評被害を懸念して自粛していた行いだった。
しかし今、私とたっくんは恋人同士。
以前であれば問題であった『私と付き合っているのではないか』というたっくんへの風評被害は、ただの厳然たる事実となる。
躊躇する必要はない。
それでも今日まで実行してこなかったのは、ひとえに恋バナに飢えたクラスメートから冷やかされることに怖気づいたからだった。
しかしそれも、ここ連日の夢で突きつけられる自身の欲求不満から、なんとか乗り越えるに至った。
たっくんともっと触れ合いたい。おしゃべりをしたい。
ありていに言えば、自身の欲求不満の解消。
だけどそんな低俗な表現は頭の片隅に押し込んで、恋人としてのステップアップというティーン向け雑誌にありそうなお題目に脳内変換する。
帰り道、距離は可能な限り近く、できる限り甘い会話を心掛ける。
目標設定は最低でも一緒に晩御飯。最高でたっくんとの同衾だった。
同衾中の私に手を出すかどうかはたっくんの自由意志という約束なので、最大限誘惑するもこちらからは手を出さない。
たっくんが先に眠ってしまった場合の私の行動については、あえて結論を出さないグレーゾーン設定だった。
「ごめんね、今日は一緒に帰る約束があるから、みんなは先に帰ってて?」
何度となく脳内で練習したセリフを、噛まないようにゆっくりと口にする。
誰と帰るのかは言わなかった。
想いを確かめ合った今でも、時々あれが夢なのではないかと思ってしまう弱い自分のせいで、そこまで図々しくはなれなかった。
ちなみに、たっくんと約束なんてしていない。
なぜかここ最近、巡りあわせが悪くて校内ではたっくんと会うどころか、見掛けることすらなかった。
クラスメートたちの目が一様に大きく開かれるが、すぐにそのうちの何名かが事情を察して、楽し気にニヤリと笑った。
「そっかぁ、じゃあ、また明日教室でね!」
「また明日ね~」
私の意図を察した数人が、意図に気付けず戸惑っている他の子の肩を押し、腕を引きながら別れの挨拶をしてくれる。
戸惑いつつ私の方に視線を向けている子に、「大丈夫だから」「歩きながら説明するよー」等と声を掛けながら、クラスメート達は昇降口から去っていった。
もっとからかわれるかと思っていた私は、クラスメート達の気遣いに感謝の念を送りながら、みんなの背を腕を振りながら見送る。
すると、その視界に、突然愛しい人が飛び込んできた。
たっくんは昇降口の玄関扉から飛び出すと、慌てた様子で左右を伺っている。
今にも駆け出しそうなその様子に、私は驚いて固まっていた体に喝を入れて声を出した。
「ちょっと!」
結構大きめの声を出したつもりだったが、たっくんが気付いた様子はない。
左右をキョロキョロと見渡しながら、その体はじりじりと校舎から出ていく。
今にも駆け出しそうなその様子に、私は車椅子を操作して近付きながら、もう一度、今度はもっと大きな声を意識して声を掛けた・
「ちょっと…ねぇっ!」
私の声に気付いたのだろうたっくんが、ガバッと音がしそうな勢いで、体ごとこちらを振り向いた。
たっくんに声を掛けたときの、振り向きざまの不安そうな表情。
その直後の心の底から安堵した眼差しと柔らかな笑顔。
なんという不意打ちだろう。
友達の好奇の視線まで覚悟して、自分なりにアプローチを仕掛けようとした途端、盛大にカウンターを食らってしまった。
非常にレアな上に、攻撃力抜群の二連撃を食らって、私の中の全ての負の感情が消し飛んでしまった。
その様子を見ただけで、お腹の底から幸せな高揚感が沸き上がってきて、胸がいっぱいになる。
自分の中の全てが満たされて、今のこの瞬間が永遠に続けばいいのにという気持ちになってくる。
でもダメだ、このままじゃせっかく決めた覚悟が揺らいでしまう。
自分がネガティブで矮小な人間であることは、私自身が一番よくわかっている。
ここで反骨精神を失ってしまったら、また日和ってしまいそう。
いつもの距離感のまま、家についてしまうことになる。
それだけは、ダメ。
だから私は、一度は消し飛んだ欲望を必死にかき集め、今朝方の夢に対する不満も寄せ合わせてできるだけ気持ちを奮い立たせる。
相手が悪いから、全ての自分の行いを正当化する。
酷いやり方だとは自分でも思うけど、他のやり方なんて知らない。
いや、知ってはいる。
素直に甘え、おねだりする。
たまにお母さんがお父さんにしている姿を見ることもあり、私の最終目標だ。
だが自身を曝け出すことで、身の内に隠した欲望を見せたことで、たっくんに拒絶されるような事態になってしまうなんてことは、想像するだけで恐ろしい。
たっくんが悪いと言い訳して、自己正当化して不遜にふるまう。
自分自身悪いことだとはわかっているけど、他に取りようもない。
たっくんより数年早い思春期で培った仮面は、もはや私の心の一面だった。
それにこのやり方は、数年続けてもたっくんが離れていかなかった実績付きだった。
私はいつも通りを装って険しい表情でたっくんに近付く。
えい、イライラアタック。
私は慣れた操縦で、車椅子の角をたっくんの腕にぶつける。
手の無い私は、たっくんを掴んで引き寄せることなんてできない。
例え私に両手があったとしても、そんなことはたぶん実行できないであろうことは置いておいて、そんな中で培った技術がこの「イライラアタック」だった。
無限軌道付き車椅子という、本来他者とある程度距離を取るべき乗り物であっても、たっくんと触れ合える距離まで自然に近付ける技だ。
「ほら、早く帰りましょ」
さらに自然な風を装って、車椅子をたっくんに近づくように操作する。
すると、車椅子に接触したたっくんの手が、期せずして私の太ももの間に割って入ってきた。
人に触れられる機会の少ない敏感な付け根のあたりまで、たっくんの温かくてじっとりと汗で湿った手の平が触れる。
意識がその接触点に全神経を集中させる。
本当に一瞬のことなのに、たっくんの手の感触や僅かな動きが、目で見る以上に明確にわかった。
自分でもまったく無意識に、まるで獲物が触れた瞬間の食虫植物のごとく、たっくんの手を捕らえるべく私の太ももが閉じられた。
腰を若干前にずらしながら、できるだけ深い位置に当たることを期待しつつ、太ももの間に挟もうと試みる。
手は出してない。
足だからノーカンだ。
自身の行動を私の脳が認識した瞬間、私の頭に浮かんだのはそんな情けない言葉だった。
意思の力を借りた身体が、より積極的に動いた瞬間。
たっくんの手が私の一番深い所に、下着越しにぴとりと触れた。
その僅かな刺激に、私の身体は滑稽なほど大きな反応を見せる。
雷に打たれたかのように私の身体はビクリと震え、そのせいで足を閉じる動作が一瞬遅れてしまった。
その僅かな隙に、たっくんは慌ててその腕を引っ込めてしまった。
惜しい所で逃げられてしまい、残念に思う気持ちはあるが、渇望していたたっくんとの性的接触に、私の心が急激に満たされていくのを感じた。
だけど、それに反して私の身体は急激に飢えていく。
いや、心の方もそうかもしれない。私の心を満たした感情は、たっくんへの愛欲なのだから。
「……ほら」
私の様子を気にした風もなく、たっくんは呑気に頭を掻いている。
私はたっくんに帰宅を促そうとする体裁で、その腹部に抱き着いた。
…ちょっと距離が遠くて、私の短い腕がたっくんのお腹を押すことしかできなかった。
これは性的な意味で手を出したわけじゃないからセーフだもん。
あっ、なんか今日は、凄くたっくんの良い匂いがする。
「で、でも、……はいいの…?」
たっくんの声が聞こえた気がした。
私の鼻から耳から、たっくんが私のことを誘惑してくる。
私はその甘い誘惑に誘われるままに、車椅子の上から身を乗り出した。
たっくんの胴体にしがみつき、顔を押し付けてたっくんの体温や匂いを堪能する。
一呼吸するたびに私の下腹部が熱く疼き、もっとたっくんを吸い込もうとして自然と呼吸が荒くなっていく。
えっと、これは…セーフ、だもん…
「ちょっ、危ないよ」
私がたっくんを感じることに夢中になっていると、たっくんの両手がスッと私の脇の下に差し入れられた。
やった、たっくんから手を出してもらえた。
ほら、だからさっきのはセーフなんだよ。
このまま抱き締めて欲しい。
キスしてほしい。
私が学校の昇降口で考えるべきじゃない展開を妄想して胸を躍らせていると、たっくんは何の躊躇もなくすぐに手を離してしまった。
舞い上がった心が、直後に地に叩きつけられた気分だった。
しかも今ちょっと、たっくんが早く私から離れたがったような雰囲気を感じた。
いや、落ち着け私。
いくらたっくんとの関係を隠さないと決めたとはいえ、これ以上校内で盛るなんて非常識すぎる。
私はどこか空の彼方へ飛んで行っていた理性を気合いで連れ戻すと、これ以上無様を晒すまいと強く決意して顔を上げた。
その瞬間、たっくんと目が合う。
たっくんは一切目を逸らすことなく、いつもと変わらずに私の邪な目を見つめ返してくれていた。
その綺麗で真っ直ぐな瞳から、私のことを純粋に気遣ってくれているたっくんの優しさが流れ込んできて、私の胸がカッと熱くなる。
好きな人に大切に想われる嬉しさと、自身の性欲にまみれた浅ましい行動に対する恥ずかしさから、私はたっくんからすぐに目を逸らしてしまった。
「…ほら、早く帰りましょ」
なんとか、自分がそんな言葉を絞り出した事だけは覚えている。
でもそれ以降は、色んな想いで頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって、気が付いたら今こうして電車に乗り込んでいる始末だった。
周囲の目を気にせず、初めて一緒に並んで帰ったはず道のりを、私はよく覚えていなかった。
そのことを酷く後悔しながらも、このままじゃいけないと私は気を取り直した。
こんな最悪の雰囲気のままじゃ、たっくんと一緒に晩御飯を食べることすら出来ないかもしれない。
私はゆっくりと深呼吸をすると、この悪い流れを変えようとたっくんに話しかけることにした。
でも、まだ心の準備が万全とは言えないので、電車の外を流れる風景を眺めながらだったけど。
「今日、遅かったね」
ああ、ダメだ。
自分で思っていた以上に、私は心の準備が出来ていなかったらしく、口から出た言葉は非常に固くて責めるような音になってしまっていた。
暗い後悔の念が、一気に私の心を押し潰す。
「ああ、そうそう、それなんだけどさ」
鼻の奥にツンと熱いものが込み上げ、私が情けなく啜り泣きそうになった瞬間、思ったよりも明るく元気なたっくんの声が私の横から語り掛けられた。
ドロドロとした嫌味に計算高い私とはまるで違う、たっくんの朗らかで純粋な話し声が、泣き出しそうだった私の心をどんどん清めていってくれた。
私がほとんど相槌も打たずに、たくんの声に聴き惚れているにも関わらず、たっくんは一生懸命今日あったことを説明してくれた。
放課後にあったという先生からのお説教の話は、たっくんにとってはあまり関心の持てる話ではなかったのだろう。
たっくんの話は所々飛び飛びになったり、それを捕捉するために戻ったりと、お世辞にも説明が上手いとは言えない。
でも、『私に伝えたい』という気持ちはハッキリ伝わってくるので、私にとってたっくんとの会話はまったく苦じゃなかった。
「綾乃はどう思う?」
何について意見を求めているのか言わずに、たっくんは長い説明をそう締めくくった。
たっくんなりに興味の無いわからない話を、それでもわからないなりに真剣に考え、それでもわからなくて私に答えを求めているのだろう。
私はいつのまにか、たっくんの方を向いてその目を真っ直ぐに見つめていた。
たっくんが真剣だったから、私もそれに応えるために目をそらす事をやめていた。
他の人なら、たっくんと会話するのは苦手に感じるに違いない。
こんなに一生懸命、自分でも理解出来ていない話を大真面目に語るたっくんのことが、私は好きだった。
だから苦手になんて絶対思わない。
そんな些細な特別感が、私の心をほんの少し沸き立たせた。
いけないいけない、今はたっくんに応えてあげないと。
たっくんの話を要約すれば、学校の先生が話した『時間を守る大切さ』の話が、どうやって時間を守る方法を知ることに繋がるのかわからないってことだ。
先生の言いたいことは私もわからなくはないが、生徒それぞれに合った説明が出来ないことに、軽い失望と怒りを覚えた。
いや、私達が通う学校の先生方は、とても良い人たちばかりで教師としても優秀であることは疑いない。
単純にたっくんの特殊性を、先生が把握出来ていなかっただけなのだろうから、先生を責めるのは酷だろう。
そもそも、今は先生を責めても意味は無い。
私は少しだけ俯いて考え込む。
そんな私のことを、たっくんはジッと見つめながら待ってくれていた。
ほんの僅かな時間で、私はたっくんに伝わりそうな例えを思いついた。
「やっほーっ、お二人さん、おかえりなさーい」
でも、私がそれを言葉にする前に、電車は降りる駅に着いてしまっていた。
これは流石に、たっくんの話が長過ぎたのが悪い。
今日初めて、当て擦りではなくたっくんが悪いと言えた気がした。
「あとで、話すね」
私はたっくんに短くそう言うと、いつもの駅員のお姉さんに誘導されながら電車を降りた。