何故綾乃が気を失ったのかはわからなかったけど、原因が僕にあることだけはすぐ理解できた。
ぐったりとしている綾乃は、いくら揺すっても起きる気配がなかった。
お風呂場には時計がないので今が何時かはわからないが、相当に時間が経っている気がする。
僕は綾乃を起こすことを諦めると、水流を最弱にしたシャワーを綾乃の股の間に慎重に当てて、おしっことぬるぬるした粘液を落とした。
焦りから少し手荒く洗う形になってしまったが、綾乃はたまに少しぴくんと体を反応させるだけで、目を覚ますことはなかった。
綾乃をお風呂場から連れ出し、バスタオルで体を拭く。
綾乃に教育されて、できるできないは別として紳士の嗜みを意識することを覚えた僕は、バスタオルを何枚も綾乃の上に掛けて、素肌を見ないようにしながら体を拭いた。
大量のバスタオルが干されたらそれが原因で怪しまれるかもしれないから、この大量の洗濯物は明日コインランドリーで洗濯した方がいいかな。
このあとの両親への言い訳と、未熟なりにも紳士として気を使った後始末に考えを巡らせることで邪念を払うことができたのか、いつのまにか綾乃に寝間着まで着せることが出来ていた。
綾乃の顔を見ると、幸せそうなゆるみきった顔でぐっすりと眠っていた。
綾乃の寝顔を、こうしてまじまじ見るのは久しぶりだ。
綾乃からは普段の大人びた雰囲気が薄れ、子供っぽいあどけなさが溢れていた。
そういえば子供のころは、綾乃によく「たっくんのお嫁さんになる!」って言われてたなぁ。
なんだか懐かしくて、しみじみとそんなことを思い出していると、さっきまでの強烈な記憶とともにその始まりである綾乃の言葉が頭にフラッシュバックする。
顔が熱くなって思考が停止しそうになるが、僕は義務感に突き動かされて手を止めることなく綾乃を抱きあげた。
ここでぼーっとしていては、取り返しのつかないことになるかもしれない。
綾乃との接触禁止令を出されるなんて、考えるだけで身震いがする。
僕は綾乃を連れて綾乃の部屋に戻ると、自分の家に帰る準備をした。
綾乃を車椅子に乗せて、僕の家の玄関前に立つ。
綾乃はまだ寝ていたが、綾乃が寝たままで家に帰ることはできない。
不自然だし、僕は綾乃が寝ている理由まで説明できるように言い訳を用意していなかった。
「綾乃、そろそろ起きてよ」
車椅子の後ろから綾乃の肩を揺する。
返事がないからまだ目を覚まさないのかと思い、ほっぺたをつねって起こそうとしたところ綾乃が僕の指に噛みついてきた。
痛い痛い痛い痛い痛い。
「ほひへふわよ」
綾乃は僕に噛みついたままそう言うと、最後に一噛みとばかりに僕の指にぐっと歯を突きたててから口を離した。
歯型がついてる…
綾乃に噛みつかれるのは久しぶりだった。
幼いころは何かにつけてよく噛みつかれていたが、小学生になってからはそんなことは無くなっていた。
「ゲームやっててこっちに来るのが遅くなったってことにするから、綾乃もよろしくね」
綾乃の家には結構ゲームがたくさんあって、特殊なコントローラーが色々ある。
あゆみさんの趣味らしいが、それらを使えば綾乃の体でもできるゲームがあるので、昔から僕らはそれで遊ぶことが多かった。
だから今回も、お目付け役である綾乃の両親がいなかったから、ついゲームに熱中してこんな時間になったという言い訳を考えたのだった。
「わかった」
綾乃がこちらを見ずに頷くのを確認して、僕は家の玄関を開けた。
もう、とうの昔に両親は家に帰っているようで、玄関のカギは当たり前のように開いていた。
玄関の中に入ると、綾乃が来たときのための手作りのスロープが既に設置されていた。
やっぱりあゆみさん達が旅行中は、綾乃がうちに泊まることで話がついていたんだろう。
綾乃の車椅子のキャタピラーを丁寧に拭いて、僕たちは家の中に入った。
「ただいまー」
僕がそう言うか言わないかというタイミングで、リビングから母親が飛び出してくる。
僕の母親はいつも笑顔だが、今日は特に輝くような満面の笑顔をしていた。
「二人とも、おかえりなさい」
「あ、お久しぶりですおばさま。お邪魔します」
綾乃がそう挨拶を返すと、母は笑顔のままピシリと動きを止めた。
母の輝いていた笑顔に、急に影が差した。
その理由を良く理解している僕は、綾乃の車椅子の後ろから一歩離れた。
「綾乃ちゃん」
笑顔のままの母から、どこからそんな声が出てるんだと思うほど冷たい声が響いた。
僕よりもだいぶ小柄な母の体が、ぐぐっと大きくなったように感じた。
綾乃が過ちに気付いて、慌てて言い直す。
「おっ、お邪魔します。おかあさま」
母の表情がパッと元に戻る。いや、表情は欠片も変わっていないが、母の雰囲気が明るくなった。
だがまだ最初ほどではない。まだ足りてないですよ綾乃さん。
母はニコニコ顔で綾乃に近付くと、綾乃の頬を両手でぎゅっと挟み潰した。後ろにいる僕からは見えないが、潰された綾乃の顔は、美少女としてはあってはいけないタコ顔にされているはずだ。
「綾乃ちゃん。家に帰ったら『ただいま』ですよ」
「ひゃい…」
綾乃の返事に気を良くした母は、綾乃の頬やおでこにキス責めを開始する。
可愛くて仕方ないのはわかるけど、玄関ではやめてください。
母は満足するまで一通り綾乃を愛でると、綾乃の車椅子の後ろに回ってハンドルを掴んだ。
「晩御飯は食べましたか? まだなら一緒に食べましょう?」
母は僕を無視して、綾乃をリビングに連れていった。
慣れたことなので、僕も黙ってそのあとをついて行った。
我が家のリビングのドアは、綾乃の家と同じ形の両開閉式のスイングドアだ。
というか、家中のドアがそうだった。
僕が物心ついたころから全ての部屋のドアがそうだったが、トイレのドアが構造上の問題か引き戸式になっているから、家を建てたときからそういうドアだったわけではないと思う。
リビングに入ると、テーブルの上には今出来あがったばかりという感じの料理が並んでいた。
その上座に、父が眉間に皺を寄せてむっすりとした表情で腕を組み、胡坐をかいて座っていた。
別に父は怒っているわけではない、これは父のいつも通りの表情だった。
むしろ僕には、父がかなり上機嫌なように見えた。
「ただいま帰りました、おとうさま」
綾乃は座席を調整して自分で車椅子から降りると、父に向かってそう言って頭を下げた。
「…ああ」
父が威厳のある低い声で、尊大にそう答える。
だけど、口の端がぴくぴくしていて台無しだった。
綾乃のニマニマ顔ほどではないが、必死でにやけ顔になるのを堪えているのは丸わかりだった。
母もそれに気付いているのか、その笑顔の中にからかいの色が見えた。
母は自分の定位置に行こうとちょこちょこと動いていた綾乃を抱きあげると、父の横の席に座らせ、母自身もその隣に座った。父と母で、綾乃を挟む形になる。
「今日は綾乃ちゃんの好きなものをいっぱい作りましたから、たくさん食べてくださいね」
確かに、テーブルの上に並べられた料理は綾乃の大好物ばかりだった。
母はそれが当然の権利であるかのように、綾乃にべったりとつきっきりで、綾乃の食事の世話を始めた。
僕も自分の定位置に腰を下ろす。
時刻は既に午後九時半を過ぎていたが、遅くなった理由を聞かれないのは素直にありがたいので、藪蛇にならぬように僕も晩御飯を食べることにした。
ふと見ると、僕の席のテーブル上には、ご飯もお味噌汁も装われていなかった。
母を見るが、母は照れ顔の綾乃の面倒を見ることにご執心で、僕の世話をする気は欠片もないようだった。
まあ、綾乃が家に来るなんて久しぶりだし、仕方がないことかもしれない。
僕は席を立ち、自分でご飯とお味噌汁を装いに行った。
晩御飯を食べ終えると、まず僕からお風呂に入った。
食べてすぐあとの入浴は体に悪いから、お腹を休めてから入るようにと母が綾乃に言ったからだ。
息子の体調はどうでもいいらしく、後がつかえるから早く入れと急かされてしまった。なんというダブルスタンダード。
ちなみに、父は既に風呂に入った後らしい。
晩御飯の間中、綾乃はずっと僕の両親に話しかけられていた。
食事中に会話をする父なんて久しぶりに見た。
綾乃も最初こそは若干戸惑っていたが、いくら最近疎遠になっていたからといっても、元々生まれたときからの付き合いだ。すぐに楽しそうにおしゃべりに興じ、料理に舌鼓を打っていた。
熱めの湯船に浸かり、僕は長い吐息を漏らした。
色々なことがあったせいか、強い疲労感と倦怠感を感じていた。
湯船に鼻まで浸かりながら、綾乃のあの言葉を思い出す。
『私は、たっくんのことが、男性として好きです。結婚を前提に付き合ってください』
心臓がドクンと大きく跳ねたあと、走ったあとのような激しい鼓動が止まらなくなる。
あれは鈍い僕が勘違いする余地を与えない、間違えようのないストレートな告白だった。
だけど僕には、そもそも綾乃がそんなことを言ったこと自体が信じられなかった。
あれは僕の妄想か夢だったんじゃないだろうか。
僕の頭に、そのあとの記憶が生々しい感触を伴って思い出される。
僕のモノが、一瞬で大きく反り返った。
あれが夢だとは思えない。
僕の想像力を遥かに超えた、紛れもない現実だった。
ドキドキが強くなる。股間が痛いほど張りつめて、収まることはなさそうだった。
僕は湯船から出ると、体を洗うついでにさっき覚えた方法で二回出して、自分で高まりを静めたのだった。
リビングに戻ると、綾乃は母の膝の上に抱かれながら、父と三人でテレビを観ていた。
テレビを観ながら綾乃は母と楽しそうにおしゃべりをし、父はその横で相変わらずの仏頂面でテレビをじっと観ていた。
食事が終われば、用がない限りは自室に引っ込む父がここにいるということはとても珍しかった。
「あがったよ」
僕が声を掛けると、母はこちらをちらりと見て軽く頷き、膝の上の綾乃をぎゅっと抱きしめた。
「じゃあ綾乃ちゃん、私と一緒に入りましょうね」
母は綾乃の返事を待たずにそのまま抱きあげると、お風呂場に向かって歩いて行った。
ウキウキとしているのが傍から見てわかるほど母の足取りは軽く、綾乃を抱えたまま転ぶんじゃないかと見ているこっちが不安になるほどだった。
綾乃たちが部屋を出ると同時に、父はテレビを消すと黙ってリビングを出て行った。
あからさますぎる。
リビングの時計を見ると、もう午後11時を過ぎていた。
明日が休みとはいえ、流石に僕もかなり眠かった。
リビングのクッションに腰を下ろすと、僕はテレビをつけて綾乃がお風呂から出てくるのを待った。
「正さん、起きてください」
母に肩を揺すられて、僕は目を覚ました。
どうやらリビングでテレビを観ながらうとうとしてしまったらしい。
見ると、綾乃は既に髪を乾かし終えて、完全に寝る準備を整えていた。
「もう遅いから、早く寝てください」
母に急かされて、僕は目を擦りながら立ちあがった。
その僕の腕の中に、母は当然のように綾乃を抱き渡してきた。
「それでは、階段で転んだりしないように気をつけてくださいね」
その言葉に固まる僕を無視して、母は綾乃の頬にキスをした。
「おやすみなさい」
母は綾乃の頭をひとしきり撫でると、リビングからすっと出て行ってしまった。
突然の展開に僕は唖然とする。
確かに、僕の部屋は二階にある。しかし僕はてっきり、綾乃は母と寝るものだとばかり思っていた。
ふと、幼いころにした両親との約束を思い出す。
綾乃を抱きかかえたまま階段を上がれるようになるまでは、綾乃と僕の部屋で遊ぶことは許さない、と。
それを僕はいままで、腕力的な問題だと思っていた。
だが中学生になって、綾乃を手伝うことや綾乃に触れる機会が減った今は、その約束が別の意味を含んでいたことに気付けた。
綾乃に触れ、抱きかかえて階段を上り、自室に連れ込む許可を本人から得ること。
あの両親の言葉にはそういう意味があったのだ。
僕の腕の中でおとなしくしている綾乃を見る。
綾乃は瞳を伏せて、荒くなる呼吸を必死に堪えていた。
お風呂上がりのせいか、綾乃の耳は真っ赤になっていた。
僕の視線に気付いた綾乃が、顔をゆっくりと上げた。
綾乃の目は潤んでいて、強烈な情動を必死で抑えようとしているようだった。
「…綾乃、部屋に行ったら、話があるから」
僕がそう言うと、綾乃はこくりと喉を鳴らしたあと、小さく頷いた。
そのまま、綾乃は頭を僕の肩に預けてくる。
僕は風邪でも引いたかのように体温が高く、少し震えている綾乃をしっかりと抱きかかえると、階段をあがって自分の部屋に向かった。
部屋に入ると、僕は綾乃をベッドの上にゆっくりと降ろした。
そのまま僕も綾乃の隣に座る。
心臓がバクバクと脈打ち、緊張から軽く吐き気がするほど胃が締め付けられる。
でも、これは今言わなくてはいけない、大事なことだ。
僕は緊張と興奮でかすかに震え、俯いている綾乃の両肩を掴んだ。
綾乃がゆっくりと僕の方を見る。
「綾乃、さっきは言い忘れてたけど、僕も綾乃のことが好きだ」
綾乃の瞳から涙が零れた。
「私も…」
綾乃が目を閉じて、僕の体に寄りかかるように体を倒してくる。
それを僕は、綾乃の肩に置いた両手でぐっと押し止めた。
綾乃が不思議そうに顔を上げる。濡れた瞳で小首を傾げる姿は異様に可愛かった。
「そこでだ、ルールを決めよう」
意味が伝わらなかったのか、綾乃が固まる。
見開かれて揺れる綾乃の瞳からは、明らかな戸惑いが見てとれた。
「僕らはまだ中学生だ。何か間違いがあっても責任は取れない。さっきみたいに僕が暴走しないように、二人でルールを決めようと思うんだ」
綾乃に僕の意図が間違いなく伝わるよう、ゆっくりと僕は言った。
そのおかげか、僕の言いたいことは綾乃にしっかり伝わったらしい。
綾乃の瞳がしっかりと定まり、理解の色が見えた。
しかし何故かそこには、反発と不満が含まれているように感じた。
綾乃は肩を押さえる僕の手から逃れると、そのままコテンとベッドの上に仰向けになった。
僕が黙って綾乃の様子を見ていると、綾乃はずりずりと体を動かしながらパジャマのお腹をめくり上げ始めた。
何してんですか!
綾乃に飛びつくようにして、僕は綾乃のパジャマの裾を押さえた。
綾乃の行動の意図が掴めなくて綾乃の目を見ると、綾乃は憮然とした表情で横を向いて僕から視線を逸らした。
「…納得いかない」
綾乃がぽつりと呟く。
納得いかないってなんですか…
「えっと…綾乃のためなんだよ?」
僕の言葉には答えず、綾乃は両腕を僕に向けて伸ばしてきた。
起こせという意味かと思って、僕は綾乃の腕を引っ張って起こすのを手伝った。
すると綾乃はさらに不満げな顔で、ベッドに座る僕の腰に全身のばねを使って器用に飛びついてきた。
「む~…」
綾乃は僕の太ももにおでこを乗せて、うつ伏せになったまま唸ってきた。
ルールを決めようとしか言ってないのに、何がそんなに不満なんだろうか。
手足をパタパタと動かす綾乃が可愛くて、その頭をつい撫でそうになるがぐっと堪える。
いや、今の僕らの関係なら、頭を撫でるくらいは許されそうなものだけど、僕自身どこまで綾乃に触れていいのかわからなくなってる。
だから今ここで、明確な基準が欲しかった。
「……たっくんが心配してるのは、私が妊娠することだよね?」
綾乃はピタリと動きを止めると、うつ伏せのままそう言った。
その通りなんだけど、綾乃の口からハッキリ言われると、ちょっとドキリとしてしまう。
学校で習った程度の知識だけど、何をどうすれば子供が出来るかくらいは僕もわかっている。
暴走した結果、僕がそれを綾乃としたいと思う可能性は十分あるし、その衝動を抑制できる自信はなかった。
だから綾乃からの許可と拒否という形で、僕にブレーキが欲しかった。
「まあ…そうだね…」
僕が小さく頷くと、綾乃は僕の膝の上でぐるりと転がり、仰向けになると僕の方を見た。
その顔は真っ赤で凄く恥ずかしそうにしていたけど、綾乃の潤んだ瞳には挑むような色が見えた。
「でもそれは、たっくんが我慢すればいい問題で、私には関係ないよね?」
綾乃の言葉の意味が理解できず、今度は僕が固まった。
そんな僕を無視して、綾乃はもぞもぞと手足を動かして僕の膝の上に移動すると、僕と向かい合うように座った。
綾乃が僕にぎゅっと抱きついてくる。
「これは、どう?」
綾乃は僕の胸に顔をスリスリと擦り付けながら、そんなことを聞いてくる。
なんとなく言いたいことがわかるようなわからないような…
「ぎゅってして…」
綾乃に言われるがままに、僕は綾乃の背中に腕を回した。
柔らかく添えた僕の手のひらに、寝間着の向こう側に肉付きの薄い綾乃の背骨を感じた。
「もっと強く」
綾乃が僕の肩に顎を乗せながら、耳元で囁く。
より強く、だけど強すぎないように、綾乃が苦しくないように、僕は少しずつ力を込めた。
綾乃との間にあった隙間は無くなり、寝間着越しに綾乃の肌と僕の肌が圧迫されて潰れ、お互いの接着面積が増える。
温かくて、凄く安心する。
いや、安心感とは違う、もっと大きな感情が僕の心を満たした。
今このとき、この世界で他に欲しい物なんて無いと断言できる。ただこのぬくもりだけを感じられればそれでいいという気持ち。
「こういうことも、しちゃダメなの…?」
綾乃の言葉に、僕はゆっくりと首を振った。
言葉が無くても、見えなくても、感じるだけで思いが伝わる距離だった。
「じゃあ、そのまま寝転がって」
綾乃の囁きに、少し硬い物が混じる。
悪意の類ではけしてないが、決意や覚悟とも違う。
それが何かよくわからないが、僕は言われるままに綾乃を抱いた状態でベッドに横たわった。
僕のお腹の上に、胸の上に、綾乃の全身が圧し掛かる。
その重さに、僕の心臓が高鳴る。
さっきまでの満たされた思いとは違う。その先を求める感情が心の底から湧き上がる。
「これはどう…?」
「だ、ダメッ!」
沸き上がる情動に飲み込まれる前に、僕は綾乃の肩を押して綾乃の体を僕から離した。
綾乃は僕のお腹の上に座りながらも、僕の突き出した両手に体重を掛けて斜めに傾いでくる。
結っていない綾乃の髪がはらりと流れ、僕の顔をくすぐった。
「なんで? たっくんが横になっただけで、さっきと何も変わらないよ?」
前髪から見え隠れする綾乃の瞳には、僕を観察するような、探るような妖しい輝きがあった。
ときおり綾乃が見せる、強い意思を感じさせる眼差しだったが、正面から僕の目を見つめるその瞳には、いままで見たことがない力を感じさせた。
燃え燻る、炭火のような熱い感情がそこにあった。
「これはダメ! アウト!」
僕は綾乃の瞳に飲み込まれそうになりながらも、首を振って答えた。
理由はわからないが、僕は越えてはいけない明確な線を感じ取っていた。
僕の股間は、痛いくらいに硬く張り詰めていた。
綾乃は肩を押さえる僕の両腕の間に自分の腕を滑り込ませると、優しく押し開くようにゆっくりと力を込めてきた。
その動きがあまりに優しくて、僕は抵抗するという考えも思いつかないまま綾乃の肩に置いた手を外された。
僕の上に、再び綾乃が倒れ込む。
「たっくんが座ってたら抱きついてよくて、寝転がってたら抱きついちゃいけないの? そんなの自分勝手すぎるよ」
綾乃は自分の頬を僕の顎に擦りつけながら、そう呟いた。
耳に届くよりも早く、綾乃の声が直接頭の中に響く。
その微かな振動が、綾乃の匂いが、そして柔らかさが、僕の脳みそを揺さぶった。
「…私は、たっくんにならいつ何をされてもいいのに」
耐えきれないくらい強い情動を噛み殺しきれなくて、僕は鼻の奥がツンとなる。
僕のまぶたの奥から、大量の涙が溢れてくる。
自分の弱さが、悔しかった。
「ぼっ、僕は…綾乃を、大事にしたくてっ…」
抑えきれなかった衝動が、僕の腕を動かして綾乃をきつく抱き締めさせる。
ただ腕を回すだけじゃなくて、できるだけ綾乃と触れあいたくて、僕の片腕は綾乃の首から後頭部へ、もう片腕は腰から薄くて柔らかいお尻へ。
僕の股間のモノが心臓の脈動に合わせて波打ち、先端からトクントクンと何かを零すのを感じた。
「でもっ、僕は弱いから、綾乃みたいに強くないから…」
抱き寄せた綾乃の耳に、僕は唇を寄せた。
熱いくらいの体とは違い、綾乃の耳は少し冷たくて心地よかった。
嗚咽が漏れそうになって、堪えようとして綾乃を抱く腕に力がこもってしまう。
僕の頬を伝っていた涙が、擦り寄せあっていた綾乃の頬まで濡らした。
自分で自分が信用できない。
自分をコントロールすることができない。
綾乃の耳を口に含んで舐めまわしたいという衝動を堪え、唇で撫でるに留める。
この我慢も、もう間もなく決壊しそうだった。
「…ごめんね」
綾乃の声に、僕の体が固まる。
その声音に満ちた優しさに、僕の体から力が抜けた。
綾乃はその短い腕で僕の頬を挟むと、涙の跡を唇ですくうように撫で、僕の目元に柔らかくキスをしてきた。
それは、僕の母やあゆみさんを感じさせる、深い愛情の籠った仕草だった。
「私のためを想って言ってくれてるんだよね」
鼻と鼻をすり合わせながら、綾乃は僕と目を合わせてそう言った。
距離が近すぎて綾乃の口元は見えなかったが、その瞳は間違いなく微笑んでいた。
「大丈夫だよ。たっくんが暴走しそうになったら、私がちゃんとダメって言ってあげるね」
綾乃が言葉を紡ぐと、動いた綾乃の唇が僕の唇をくすぐるように触れる。
それが心地よくて、またもどかしく思っていると、綾乃は僕の唇に優しくキスをした。
表面が少し触れる程度の、軽いキス。
「今日はもう寝よっか。もうだいぶ夜遅いしね」
綾乃はそう言っていたずらっぽく笑うと、僕の上からころりとベッドの上に転がり落ちた。
綾乃はころころと愛嬌のある動きでベッドの上を転がると、僕の枕に勢いよく顔を埋めた。
綾乃の動きに誘われるように、僕もちゃんとベッドの上に横になる。
「今晩は、私のことをぎゅっとしながら寝ること!」
花が咲くような満面の笑みで、綾乃が言う。
綾乃の体に腕を伸ばすと、綾乃は僕の腕を誘導して腕枕をさせた。
「ほらっ、もっとちゃんとくっつく!」
相変わらず硬くなっている僕のモノが綾乃に当たらないように腰を引いていると、綾乃に叱責されてしまった。
至近距離で綾乃に睨まれて、僕はしぶしぶと体を寄せた。
僕のモノが綾乃の太ももに触れると、なんと綾乃は両足で僕のを挟みこんできた。
突然の快感に腰が跳ね、衝動的に綾乃を強く抱きしめてしまう。
「ダメだよ、今日はもう寝るの」
綾乃はそう言いながらいたずらっぽく笑い、僕に体を密着させた。
「おやすみなさい、たっくん」
綾乃はそう言うと目を瞑り、僕に軽くキスをしてきた。
その瞬間、僕は吸い込まれるように眠りに落ちた。
綾乃におやすみをちゃんと返せたかどうか、それがとても心配だった。