※この作品はR-18です。

ゲームオーバーから始めようか   作:モモンガ

26 / 213
C-2 ラキュース爆発

 外に出ると屈伸運動をしているラキュースが近くに居た。城にでも走って行ったかと少し心配したが安心した。

「……あれでよかったんだな?」

「良くないわ。血の雨にする計画だったのに」

 二の句も告げないがラキュースの血まみれの顔を拭こうかと思った。

「新婦の顔が血で汚れてていいのか?」

「この顔が今の私なの。奇麗にすると誰かを殺しそうで……。それで何か用でもあるの?」

「特には無いが、いつでも頼ってくれよ」

「あの人が死んだら考えておくわ。それまで私は世にもおぞましい敵と戦わなければならないらしいから、邪魔すると命の補償は出来ないわよ」

 無表情のままラキュースは運動を続ける。

「……私が頼るときは首を撥ねてほしい時だけよ」

「……それでいいんだな」

「誓いの接吻の時、身体が破裂しなかった。またみじめに生きろってことなのよ」

 仁王立ちの姿勢から背後に身体を倒していく。

 『無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)』は金属音を鳴らしつつ柔軟性を如何(いかん)なく発揮していた。

「化け物より人間相手の方が楽なんだから、あなたたちも帝国やスレイン法国の情報でも調べてきたら?」

「そうするよ。では、お幸せに」

「ありがとう」

 言葉少なく蒼の薔薇のメンバー達は去った。

 

◆ ☯ ☯ ☯ ◆

 目の前には何も無い。

 後ろにあったものは崩れ去った。

 ラキュースは大切なものを無くしすぎて大事なものが何なのか分からなくなった。

 以前は大切なものがたくさんあったような気がする。それが何故大切だったのか。

 己の手甲に顔を向ける。

 戦えない戦士風の女。

 血涙で汚れた不浄の乙女。

 王の御前でまともに敬礼も出来ない恥知らず。

 友人だったものは全てまやかし。

 狂人の思考を持つ夫だけが私の支えだ。

 それを失った時、舌を噛み切るなり自害しようと思う。

 両足を広げ少しずつ腰を落とし、股関節の柔軟運動に入る。

 この運動だけはまだ少し抵抗がある。

 恥ずかしいからではない、裂ける恐怖が残っているからだ。

 それでも少しずつやらなければ身体がまた硬くなってしまう。

 羞恥心の無い自分に見られて困ることなど無い。

 時々、放屁(ほうひ)するが生理現象は取るに足らない。

「これだけの動きに対応するとは……。この鎧は凄い一品なのね」

 軋(きし)む鎧の金属音は中々に心地よい響きだった。

 

 結婚証明書の提出も終わり、ヤントラの名前にアインドラが加わった。

 アインドラ家の一員である事を証明する紋章や『徽章(きしょう)』などが用意された。数日中には王国の領内にある都市などに知れ渡るだろう。

 形式的な事はやらず、仕事を優先させる。

 戦争予定日まで数週間と近づいている。

 今日は荷物をまとめてラキュースを連れてナザリックに乗り込む。

 『飛行(フライ)』を使い、妻を背負って目的地のログハウスに降り立つ。ラキュースは周りに監視の目がある事に気付いていたが、近づく気配が無いようなので無視した。

 やつらがどうなろうと関知する気は無い。

 出迎えてくれたのは黒髪の夜会巻きに太い棘付きガントレットを装備した鎧をメイド服に風に加工したものを身につけているメガネをかけた女性だった。

「ようこそ、ナザリック地下大墳墓の入り口へ」

 ラキュースは彼女を見た瞬間に身震いした。恐怖なのかどうかさえ分からない不可思議な気持ちが自身の内部に広がる。

「私は戦闘メイド『プレアデス』の一人、ユリ・アルファと申します」

「こちらは先日正式に妻となったラキュースさんだ。アインドラでも構わない」

「畏まりました。では、アインドラ様とお呼び致します。他の者にもそう伝えておきますね」

「まずは少しだけ休もうか」

 妻をログハウスの中に案内し、椅子に座らせる。

「緊張なのか恐怖なのか、どちらでもいいけど。この先は精神をしっかりと保つように。装備品の効果も多少は役に立つかもしれないが、呼吸は整えるように」

「……はい。ここはなんだか……、長く居たくない」

 奥からユリが二人ぶんの飲み物を持ってきた。

「力を持つ者は君たちの強さが分かるみたいだね。多少、迷惑をかけるがなにぶん始めて来る所だから」

「承知しております。出来る限りのお世話を致します」

 そう言って少しだけユリは下がった。

 『無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)』だけが自分を守る最後の砦(とりで)。

 様々な注意事項は頭に叩き込んでみたものの、やはり直接来てみて感じることがある。

 ここは悪魔しか住まない場所だと。

 武器は持ってこなくて良かったと思った。

 様々な魔法を阻害するから逃げる魔法は不可能。

 行ったら生きては帰れないかもしれない。

「肩の力を抜いて、無理に言葉を話さなくていいから」

 怯える妻の身体を抱き寄せしばらく黙って待った。

 

 今回は使者が来る前の予行練習としてラキュースを連れて来た。

 原住民であるラキュースの感じるものが様々な情報として伝えられる。

 王国の未来をかけた交渉ではない。ここで失態を犯してもヤントラが責任を被(かぶ)ってくれることになっている。しかし、それでも安心は出来ない。

 ユリというメイドは見た目以上に強いだろう。今の非力な自分には太刀打ちできない。

 無防備のまま敵地に放り込まれるのだから憎悪にすがるラキュースとて怖いと思った。

 自分の憎悪などなんて小さいものなんだと。

「だ、大丈夫です。少し驚いただけです」

 まずは飲み物でも飲んで気分を変えようと思った。

「おう!」

 冷たくて美味しい。

 果実の味がするし酸味と甘味が喉に心地よい。

「……ぁ、美味しい」

「人間のお口に合いましたでしょうか? どんな好みなのか分からないものですから他にもご用意しましたが……」

「い、いえ。充分、美味しいです」

「そうですか。ご安心ください。人間の肉を絞ったものなどは入っておりません」

「ううっ」

「我々は異形種ゆえ確かに人肉の嗜好(しこう)がございますが、全ての食材が人間ではありません。人間とおなじく獣の肉も果実も穀物も食します。それから飲食不要のマジックアイテムもごさいますので皆様方が思っているほど食事をなされている者は少ないかと」

 流暢(りゅうちょう)に丁寧にユリは説明した。

 決して相手を恐怖に染めないように優しく気張りされたものだった。

 味は美味しいのだが彼女の言葉は信用に値するのかは分からなかった。

 とはいえ夫を信じなければ自分は生き延びる機会を失うだろう。

 いっそここを最後の地にすることもやぶさかではない。と、思いはしたがナザリックは人間をアンデッドにするところ。死に場所に選んではいけないと教えられた。

 死ねない身体にされるか生きて帰るかの二つしか選択肢は存在しない。

「も、もう行きます。さっさと行って用件を済ませましょう」

 ラキュースの言葉を受けてヤントラはユリに頷きで合図する。

「では、奥の姿鏡(すがたかがみ)のところまで進んで下さい」

 と、ユリの手というよりはガントレットに促されて案内される。

 ログハウス自体は特に異常は無く、しっかりした木造建築に見えた。

 さすがにこれがナザリックだとは思わない。

 ユリの先導で案内された先に大きな姿鏡が壁に設置されていた。

「この中は既に第十階層に続いています。どうぞ、そのままお進み下さい」

「鏡の中に?」

「そう。手を入れてみれば分かるよ。転移のアイテムだと思えばいいよ」

 恐る恐る手で鏡に触れると触った感触がなく、そのまま埋(う)まっていった。

「わぁ。……これは……すごいわ」

「そのまま進むんだ」

 ラキュースの背中を押しつつ鏡に向かった。

 ただヤントラは優しく押すだけでラキュースもおっかなびっくりに従った。

 ずぶり、というような擬音は無く、すんなりと身体は鏡の中に埋もれる。

 

 次に目蓋を開くと世界が一変していた。

 暗い洞窟なのだろうけれど天井が高く、周りには見たことも無い調度品が壁を着飾っていた。

「ここがナザリック地下大墳墓の最下層、第十の階層だ」

 と、言いながらヤントラはユリから指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を受け取って嵌(は)めた。

「では、そのまま進んで下さい」

 圧巻としか言いようの無い景色。

「アインズ様は玉座の間でお待ちでございます。そのまま真っ直ぐお進み下さい。足元にもご注意を」

「は、はい」

 ヤントラに背中を押されつつラキュースは前に進んだ。

 次第に前方から得も言われる不穏な空気が流れ込んでくる。一歩、また一歩と進む足が重くなる。

 この先に進めば確実に死ぬ。憎悪に彩られた筈の身体が恐怖している。

 ガクガクと足腰が震え始める。

 先日まで強気に出られた自分が何に恐怖しているというのだろうか。

「アインドラ様。何があっても我々はお側におりますからご安心くださいませ」

「……足が動かない……」

 背中を押しても動きそうに無い事を確認したヤントラは彼女を背負った。

 大きな胸が彼の背中に押し潰されてはっ、と我に返る。

「無理しても仕様がないが……。さっさと行くよ」

「……すみません」

 気弱な声で返事した。

 ユリもラキュースの背中をさすりつつ歩を進めた。

 背負われているとはいえ一歩ずつ進むと悪寒(おかん)などが強く感じる。

 平気で歩いているヤントラは何も思わないのが不思議だった。

 その歩みに迷いが無い。

 尋常な精神構造ではないと分かってはいたが、同じことが自分には出来なかった。

 彼の背中に顔をうずめて目的地まで耐え忍んだ。

 進むごとに嫌な空気がラキュースの全身にまとわりついてくる。

「……着きましたよ、アインドラ様」

 と、小声でユリが声をかけてきた。

 顔を上げた瞬間に視界いっぱいに暗黒に似た空気の渦巻きが見えた。

「うっ……おぅ……」

 背中から下ろされたラキュースは転がるように這(は)い蹲(つくば)る。

「はぁはぁ……。ううっ」

「ちょっと待っててね。何しろ初めて来るところだから」

 と、平然と誰かに声をかける夫。

 ユリに背中をさすられてから少し経って、呼吸が楽になってきた。

 様々な耐性効果の装備を身につけているのに言い知れない悪寒の方が遥かに強かった。

 両手を床につけて必至に顔をあげる。

 

 まず最初に目に映るのは階段。次に両脇に控える例えようも無い異形達。

 白銀の巨人。もう一人居たがよく分からない。反対側には子供が二人。いや、三人。白銀の髪の少女が傘をさしていた。だが、階段はまだ上がある。

 おどろおどろしい空気が上から降りてくる。

 この先を見てはいけないと身体が告げている。

 ここに来た目的は階段の上にある。

 ラキュースは必至に自分を奮(ふる)い立たせ、顔をあげる努力をした。

 少しずつではあるが視線をあげていく。

「ったく人間はなんてとろいんだ」

「……お、お姉ちゃん。この、人は頑張って、るんだよ」

「至高の御方を待たせるなんて極刑ものでありんすぇ」

 それぞれが喋りはじめる。その言葉の一つ一つが呪詛の塊のようにラキュースの身体を物理的に打ち付けていくような感じだった。

「静マレ。至高ノ御方ノ御前デアルゾ」

 と、いう言葉も重くのしかかる。

「ひ弱な人間がアインズ様に会う前から平伏しているのです。少しは待ってあげましょうよ」

 これらの言葉を発する全てが人間には太刀打ちできない化け物だと告げていた。

 身体が何倍も重く感じる。

 脂汗(あぶらあせ)も出て来た。

 これが世にもおぞましき者達。これらと戦おうとする者は等(・)し(・)く(・)全(・)て(・)死(・)ね(・)。

 ラキュースは怒りと恐怖に顔を歪めつつ階段の上に顔を向けようとした。

「はっ……はあ……」

 たかが数段上を見るだけなのに遠い。とても遠い。

 支えている腕が折れそうなほど震えている。

 腰は既に抜けているようで立てそうに無い。

 強靭な精神力が強みだと言ってくれた夫。これほどの重圧に耐えるにはまだ少し甘かったと認識する。

 粘体(スライム)の無限地獄を満喫(まんきつ)するくらい出来なければ到底対処は無理だろう。

 自分はどうしてこんなに無力なんだろう。

 情けなくなってきた。

 羞恥心が無いはずなのに恥ずかしい。

「うっ、うっ……」

 全身がわなないている。お腹も震えている。

 夫が黙って顔を拭(ふ)いてくれる。彼は平気なのか。

 こんな地獄すら生ぬるい世界で平然としているのか。

「早く立ちなんし! ぶち殺されてーか!」

「シャルティア。おやめなさい」

 圧倒的な声の攻撃を更に上空から迎撃する優しい声が聞こえてきた。

 精一杯の力で階段の上まで視線をあげる。

 そこには天使。

 

 否。

 

 それは黒い天使。

 腰から黒い翼を生やし純白のドレスを着飾った何者かが居た。

 記憶に無いがモンスターだろう。

 更にあげると声の主と思われるドレスの存在は確かに異形だった。

 優しい顔立ちはとても美しい。しかし、頭の左右からは角が生えていて、爬虫類のような金色の縦割れした瞳が大きく輝いていた。

 その異形が微笑みかけた。

 そして、その隣りには椅子、玉座があるのだろう。

 そこに支配者が居る。だが、視線を動かしたくない。

「失礼しますよ、アインドラ様。あまり時間もかけられませんので」

 後ろから頭を押さえられ無理矢理に視線を玉座に向けられた。

 その瞬間、見てしまった。

「ぎゃあああ!」

 思わず絶叫があがる。

 恐怖が限界に達してしまったがゆえの防衛本能。

「なんて失礼な奴なのさ!」

「はあ、はあ……。ああっ」

 見ずとも分かる。失禁(しっきん)してしまった。

 止められない。鎧越しに股間が温かく感じる。止め処(ど)も無く出てくる。

 その玉座には黒いフードを被った存在が座っていた。

 呼吸困難になりそうな状態で必至に見据(みす)える。

「御前を汚(けが)したな、人間っ!」

「あれでは家畜そのもの。バスパ様も物好きなお方だ」

「……全ては承知しております。……アインドラ様、処置は我々で行いますから、まずはしっかりと前を向いてください」

 と、小声でユリは言った。つまりラキュースがど(・)う(・)な(・)る(・)か(・)は承知しているということだろう。

「……し、失礼……しました……」

 喋るたびに尿の勢いが増す。止められない。収縮を筋肉が拒んでいるようだ。

 床に落ちる音も聞こえている。

 それでも前を向く。

 玉座に居るもの。それは確かに異様な存在だ。

 見た目には魔法詠唱者(マジック・キャスター)だが、仮面をつけている。

「ようこそナザリック地下大墳墓へ」

 この化け物がアインズ、と胸の内でラキュースは思った。

 相手が喋るたびに尿道が刺激されてしまう。

「私がこの地下大墳墓の支配者。アインズ・ウール・ゴウンだ」

 言葉は優しい。だが、振り撒く雰囲気は人間に耐えられない暗黒そのものだ。

「はは、はぁ……は~」

 言葉が出ない。

 夫が背中をさすってくれると気持ちが少しだけ落ち着く。

「アインズ様。人間はとても脆弱(ぜいじゃく)な生き物。我々と対話するのは時間が必要かと。計画の進行は大切ですが早計になられるのも……」

「うむ。せっかくの客人が酷い有様(ありさま)では色々と考え直さねばならんな」

「アインズ様~。この人間は殺した方がいいのでは? バスパ様の手前ではありますが、失礼すぎますよ」

「まあ待て、アウラ。強大な力を感じ取る人間であれば仕方のないことよ。その者はそういう人間なのだ。バスパが折角時間をかけて調教(ちょうきょう)したのだ。待ってやろうではないか」

「アインズ様ノ寛大(カンダイ)ナオ心遣(ココロヅカ)イ、人間ハ感謝スベキダナ」

「……お前ら、人の妻を罵倒するのもいい加減にしろよ。脆弱な生き物だからこそだ。このままだとつまらない虐殺で冒険が終わってしまう。お前らはそれでいいんだろうけどな」

 夫の言葉が聞こえてくる。平然と会話している。

 信じられない。

 こんな化け物相手に平気で居られるなんて。

「私もつまらない冒険はしたくないがな。今回は使者を迎える予行練習だ。皆も少しは我慢するように」

 と、アインズが手を挙げつつ言った。

「は、は~い」

「分かりましたでありんす」

 一気に力の波動が和(やわ)らいだ。

「かっは~! はあはあ」

「この人がラキュース。蒼の薔薇のリーダーだった。戦闘メイドといい勝負が出来る強さがあったんだぞ。今はリハビリ中だ。いずれナーベラルくらいは倒してもらいたいな」

「あの子が聞いたらより嫌われますよ」

 ユリの優しい声。ラキュースは頭の中が混乱してきた。

 声だけ聞いてはいるが前を直視できない。

 話しの内容は普通の会話なのに漂ってくる波動は様々な邪悪さが入り混じっている。

「慣れたらいいけど、深呼吸も難しい?」

「この、空気……、吸いたくないです」

「『平伏したまえ』」

 という声と同時にラキュースは床に頭を思いっきり打ちつける。

「がっ!」

「ふむ。これでも手加減したのだが……。大丈夫かい?」

 尻尾の生えた悪魔が優しく声をかけてきた。

「あがが……。ぐ……」

 打ち付けた部分は夫が撫でてくれた。

「早計ではあるが、いずれは通る道だ。この世界で生きていくために。私はこの人の側に居るよ」

「よき伴侶を得たなラキュースとやら。皆は下がってよい」

「仰せのままに」

 階段からそれぞれ立ち去っていくものが居たが顔が上がらない。

「魔法、かけますか?」

 優しい声のはずなのに同時に邪悪な空気が立ち込める。

「うぼぉ!」

 あまりの気持ち悪さに嘔吐してしまった。

「こらこら、マーレ。待つのだ。武器を下ろせ」

「す、すみません、アインズ様!」

 近くに居る者が喋るたびに吐き気が襲ってくる。

 結構な量を吐いたかもしれない。

 

◆ ☯ ☯ ☯ ◆

 夫とユリが床を掃除していく。

「好きなだけ吐くなり漏らして良いから。掃除用具は万全だ」

「ご、ごめんなさい。はあ、ご迷惑を……うおっ」

 喋ると吐き気がまた襲ってくる。

「アルベドの声は大丈夫なのか?」

「こほん。ラキュース様!」

 今のアルベドという声には邪悪な波動は、と安心しかけた次の瞬間。

 全身を暗黒の空気がねじりながら通過していった。

 ラキュースは自然と顔をあげた。

 アルベドとアインズの顔が見えた。

「おお、平気そうだな」

 と、アインズが言った後でラキュースは悲鳴を轟かせた。

「ぎぁあ!」

 口から血が吹き出し、両目が破裂。耳も鼓膜(こまく)が破れ、心臓は殴られたような衝撃が加わり、失禁が血尿として噴き出した。

 

 無。

 

 一瞬で全てが消えた。

 五感全てが一瞬で。

 人生も歴史が一時も思い出せずに消えていった。

 しばらくすると身体を揺す感覚が蘇ってくる。

「……生きてるかい?」

 その声は光りだった。

 だが、それは希望を打ち砕く絶望の甘言。

「もう大丈夫だよ。見える? 聞こえる? 君の職業(クラス)には耐えられないものだったのかな。もう少し強固な耐性で望むべきだったね」

「死ななかった……。でも、うえぇん……」

 子供っぽくラキュースは泣き出した。

「すまなかったな、アルベド」

「これは想定外でした。我らに耐えられない人間が存在するということですね」

「うむ。さすがの私もびっくりしたぞ。よし、悪属性に対する耐性の魔法をかけておこう。それならば少しは耐えられるだろう」

 アインズは魔法を唱える。

「私にも得て不得手の魔法があるからな。何があっても守るから。泣かないで」

 赤ちゃんをあやすように優しくラキュースを慰めた。

 

 十分後に仕切りなおしをすることにした。

 アルベドは無言で待機することになった。

「……ごめん」

 ヤントラがそう言うとアルベドは手を振るだけで苦笑していた。

「ラキュース。辛いだろうが耐えてくれ。私は側に居るから」

「……はい。王の……御前に比べたら……まだマシです……」

 ここに来たのはアインズという存在に身体を慣らすこと。

 死よりも辛い仕事とはこういうことだと身体、全存在で理解してしまった。

 こんなのに比べたら一日中の自慰も平気だ。

 王の顔に放尿も今なら出来そうだ。

 ラキュースは足腰は立たなかったが、懸命にアインズに顔を向けた。

「うむ。挨拶は省(はぶ)くぞ」

 さっきより平気だ。だが、暗黒の雰囲気が消えたわけではない。

「ようこそ、ナザリック地下大墳墓へ。歓迎するぞ、王国の使者よ」

「……は、はい。ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラにございます……」

 言い終わった途端に嘔吐(おうと)した。

「はあはあ」

「では、さっそくだが……。いちいち指摘せぬから話しを進める。そちらの王国の使者について分かる範囲で教えてほしい」

 一言一言が身体に不快感を与えてくる。断続的に嘔吐を誘発するようだ。

 また失禁してしまった。

 ダメだ。自分はアインズと対話できそうにない。

 汚辱(おじょく)にまみれた顔のまま必死に考える。

 王国が使者を送るとしたらどんな人物を選ぶのか。

「うぇ。……どの……使者でも……いけすかないやつだと……思います。うぉう」

「……ううむ。それは使者として……まあよい。ろくな人材が居ないのだな」

「うぇぇ……。は、はい」

 胃液しか出ないが吐き気が止まらない。

 ユリとヤントラがラキュースの背中をさする。

「おかしいな。アインズの言葉ってそんなに酷いか? 何かの常時発動型特殊技術(パッシブスキル)が原住民にとって毒とか? カルネ村の人達は平気そうだったのに」

「そうですね」

 口を押さえつつアルベドは言った。別に口臭の問題ではないが気は使った。

 全身を駆け巡る怖気(おぞけ)が失禁を促(うなが)す。

 景気よく床に打ち付けられる尿。

「と、止まりません……」

「我慢しなくていい。生理現象だ。掃除はちゃんとするから大丈夫だ」

「そなたも大変だな。せっかく妻となったのに……。お祝いとして王国の使者には会ってやろう。だが、態度次第ではただではすまさんからな」

 迫力を込めてアインズが言うと失禁が血尿にランクアップした。

 吐血までする始末。

「助っ人がほしいです」

 いくつかの回復魔法をかけてもらったがその度に失禁してしまう。

「本当は君にアインズの服のコーディネイトを頼みたかったんだ。貴族のことに詳しいし、書物以外の知識も持っているだろう。それがこんなに天敵の相性になるとは。せいぜい嘔吐くらいだと思ってた」

 嘔吐だろうと死よりも辛い目に遭っている。

 化け物の声を聞くだけで全身が震え上がる。

 身体は正直だ。アインズに近づいただけで死ぬかもしれない。

「……もしかして鎧のせいか? 耐性系の鎧を試そうか。ここで脱ぐとまた破裂するかもしれないな。死霊系に有効な耐性ってなんだっけ?」

 ヤントラは思いつく限りの鎧や盾などをラキュースの周りに配置した。

「これならどうだ?」

 見た目では無数の防具の中から首だけ出た感じだ。

 様々な耐性効果によってラキュースの周りの効果が影響していく。

 悪の波動は遠くだと黒い靄(もや)として見えるが防具の前で霧散(むさん)する。

「き、消えた。波動が消えました」

 嘔吐感も消えた。

 ただ、格好が悪い。

「そ、そうか。それは良かった。それで……、どうやって移動するんだ?」

「このまま運ぶしかあるまい。脆弱な人間なんだから」

「他のメイドを呼んできます」

 ユリはそそくさと立ち去っていった。

「数の暴力ってこえー」

「……ヤントラさん、ご迷惑をおかけしました」

「何事も経験しかない。こればっかりは実践で学ぶしかないから」

 話しの内容としてはアインズという人物が脅威というわけではない。なのに身体はアインズを邪悪な存在だと認識し、全存在が否定しようとする。

 人間が近づくだけで破滅すると。

 圧倒的な雰囲気は今も健在だが、目で見ている限りはそれほどの風格があるとは思えない。

 玉座に居た時の方が数倍、風格はあった。

「君の方が弱くなりすぎて耐えられないのかもしれない。だが、悠長(ゆうちょう)に構えているわけにはいかない。君の国の問題でもあるから。私にはこれくらいのことしか思いつかなかった。どれほどの目に遭っても耐えてくれ。君は耐えるだけでいい。私がしっかり支えるから」

 狂気をはらんだ存在ではなく、ラキュースを愛する一人の人間。

 その期待には答えたいと思うが身体は逃げ出したいと訴えている。

 邪悪なフードをまとう仮面をつけた存在。魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだろうが、これほどの存在とは。

「アルベドが邪悪な何かの能力があったとは思えないのだが……。どんな風に感じた? 他の者にも大切になる情報だと思うから」

 ラキュースは腰から黒い翼を生やす存在を見据える。

 少し首を傾ける彼女はそのままでは普通の化け物だ。では、なぜ喋った途端にあんなことになったのだろうか。

「な、なにかうねるような黒い波動が全身を貫いていったような感じ、だったと思います」

「……君たちのカルマが悪に傾いておかしな現象を発生させていたりとかかな? そんなの聞いた事も無い」

「……それよりもなぜ、あなたは平気なのです。これほど淀(よど)んだ空気に満ちる空間なのに」

 彼は全然なんともないのが不思議だった。

 狂人だから、という理由ならば自分も既に狂人だという自負はある。

「昔から出入りしていたし、別になんともなかったよ。私以外の森妖精(エルフ)達も特に何も無かったんだけど……」

「は? そ、そんなばかな……。ここの空気を吸うだけで嘔吐しそうなのに……」

 今は防具に守られて気分的には平気だった。

 守られているから平気なのかもしれない。そういえばアインズの声も聞いても少しだけ気持ち悪い程度だ。

「……私の耐性が……未熟だから? あなた達に耐えられないの?」

 それは考えたくない事実かもしれない。

 強さでは自負があったが、これほどの脆弱な存在とは思わなかった。

 悔しくて涙が出てくる。

「客人には酷なことだったのだろう。私とて脆弱なる人間を殺害するのが大好きな存在ではない。役に立つものはちゃんと目をかける。慈悲の心もある。話し合いだってする。……多少は力を誇示(こじ)することもあるだろう」

「君たちのお陰でアインズも暴走することなく人間と対話しようとするようになった。私もまだ彼らとは敵対したくないのだよ。個人的にはアインズとは性格が平行線だが……」

 怯える妻を労(いた)わりながら顔などを拭(ふ)いていく。

「……心配してくださってありがとうございます。だいぶ楽になってきました。アインズ様の声もちゃんと聞こえています」

「そ、そうか。本当に心配したぞ」

「一応、アインズ達はどこの国とも戦争していない。それだけは覚えてほしい」

「そうですね……。……何故、王国は戦おうと?」

 そもそも彼らが敵対している理由が分からなかった。

 会議室では勢いに任せた状態だったようだが、そもそも的には何も分かってなかった。

「ああ、彼らが良く分からない怪しい魔法詠唱者(マジック・キャスター)だから退治しよう。捕まえて尋問しよう、みたいな話しになってたんだ」

 ラキュースは口をあけて呆れ果てた。

「はあっ!? そ、そんな理由で!? そんな下らない理由で……。なさけない……。情けなさ過ぎる!」

 それは王国もそうだが自分自身も情けなくて涙が出る。

 下らない事で自分は全てを失った。そんな下らない理由でありとあらゆるものを失った。

「浅(あさ)はかな人間の考えることは理解できません」

 今のアルベドという者の声が聞こえたが闇の波動はそよ風程度にしか感じない。

 本来はそれほどのことしか感じないのだろう。

 嗚咽(おえつ)するラキュース。

 彼女には守るべき国がもう無いのかもしれない。

 国なんかどうでもいい。そこで生活する国民が哀れでならない。

 腐った国の国民には罪も無いし、無下(むげ)に死ぬ理由も無い。

 

 ユリが助っ人として待機していた戦闘メイド、シズとエントマ。一般メイド数名を引き連れてきた。

「……おいしそうな肉団子ぉ」

 可愛らしい声が背後から聞こえた。

「だめよ、エントマ。こちらはバスパ様の『つま』となられた方なのだから」

「……畏まりましたぁ」

 虫がうごめくような音と共に聞こえる甘ったるい声。

 背筋にゾクリと悪寒が走る。

「担架(たんか)がいいが、椅子みたいなのに座らせて運べるものはないかい? 移動式の椅子でも開発してほしいな」

「自動は無理かと」

「車輪を手で回すやつだ。手動で構わない。車椅子というものだが、作れるか?」

 ヤントラの言葉にユリは少し考え、主人でアインズに許可を求めた。

「身体に不調が生じる者もおろう。その開発には時間がかかると思うから、今日はただの椅子で我慢してくれ。開発は後で鍛冶職人と検討しておこう」

「では、その旨(むね)を伝えおきます」

「……人間、リラックス。……私達がしっかり支える」

 そう言ったのは眼帯をつけた無表情の存在だった。

 全くの無感動だが、彼女は何か強い気配を感じる。今までの異形とは違うのは分かったが正体まではうかがい知れない。

 それに引き換え、明らかに全身が異形としか思えない女なのかよく分からない存在がにやけた表情のまま見据えてくる。

 キチキチという何かが動いている音が側で聞こえた。

「そ、それは虫……なのか?」

「虫人間。顔も髪もほとんどが」

 声は出るが表情が何も変化していない。

 これほどの異形は初めて見る。よくよく見ると身体の各所が独自に違う動きをしているようだ。

「異形も付き合えば可愛くなるものだ。だが、初対面だとこれほど恐ろしいと感じるものも居る。どうしても慣れが必要だ。ラキュース、辛(つら)い仕事になってしまうが申し訳ない。こんなことしか浮かばなくて」

「い、いいえ。少しびっくりしていますが……。確かに町に居たら剣は抜いてしまいそうな相手だ」

「負けないよ、人間」

「……エントマ、近づきすぎ」

 戦闘メイドの様子を見ていたアインズはうんうんと何度か頷いていた。

 椅子にラキュースを座らせ、防具は他のメイド達が支える役になった。

 このメイド達は特に見た目も人間で脅威も感じない。だが、彼女達もただの人間ではないのだろう。

「この子達は普通のメイド。戦闘力も無い害のほとんど無い子達だ。人造人間(ホムンクルス)という部類に入る」

「人造人間(ホムンクルス)?」

「動像(ゴーレム)に近い。ただ、あまりにも弱い。大食いでもあるので食料を食い尽くすかもしれないな」

「私達にも食べる限界はありますよぉ」

「料理長の作る料理はどれもおいしいので、つい……」

 明るい少女達の声。それが異形とは信じられない。

 いや、ここに居る全ての異形が信じられない存在かもしれない。

 高度な知性を持つ異形のモンスター。これらが今も野に放たれている。

 我々人類に太刀打ちできるのだろうか。

 一人二人なら可能かもしれない。だが、大群だったならば勝ち目はおそらく無いだろう。

 最初に居た者たちだけで国が滅びるくらいに感じた。

「……アインズ様。おそれながらお願いがございます」

 ラキュースは意を決して嘆願(たんがん)する。

「よい、発言を許可しよう」

 さすがは支配者。これだけの防具に守られているとはいえ、圧倒的な気配は全身を打ち付けてくる。

「……その仮面を……、ぜひとも外していただきたい。……隠し事があるのか、どんな理由があるのかは……存じませんが……」

「いいのか? 今まで見たことも無いおぞましいものを見ることになるかもしれんぞ」

「これ以上のおぞましさが……どこにあるのでしょうか」

 涙を流しながらラキュースは気丈に答えた。だが、その後で嘔吐する。もう胃液しか出て来ない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。