【Rewrite】星の階(きざはし)を昇った先に 作:千月華音
――血の匂い……。
それは目の前の少女からしていた。額から流れる血。触れてみると傷は浅かった。
だが頭を怪我している。一刻も早く病院に連れて行かないと……。
「……ぅっ、くっ」
立ち上がろうとしたが、無理だった。膝をやられた。先ほどの魔獣に。
少女を抱いて立つどころか、このままだと共倒れになる。
なんとか気づいてもらわないと。
「朱音! ……おい、朱音、しっかりしろ!」
少女の頬を叩くが、意識が戻らない。――危険だ。
どうする。
助けを呼ぼうにもそもそも独断行動だ。今宮とも西九条とも別行動を取ってしまった。今さらながら自分の短慮が悔やまれる。
携帯を開く。
……ダメだ。圏外だ。ここは森の奥。そして先ほどの三国が殺られた戦闘からみても、ガイアとの交戦はまだ続いている。実行部隊が妨害電波を発している可能性が高い。
そもそも自分に何が出来る?
知り合いの女の子一人助けることも出来ないくせに、粋がって無茶をして。
変な正義感など持たなければこんなことに関わることもなかった。
居場所なんて何処にもなかった。
いつだって一人でいたくせに……。
「……っ?」
森の奥。
そこから何か気配を感じる。
敵――?
警戒するが、動く様子は感じない。
そっと朱音を木の根元に横たえた。
もし魔物に襲われたら……。
だが、森の奥の気配がどうしても気になる。
「朱音……。頼む、しばらく大人しくしていてくれ」
見捨てるわけではない。ほんの少し離れるだけだ。
必ず助けに戻る。
背中の銃の感触を確かめ、意を決して立ち上がった。
膝が笑うように痛む。体液循環を高めた。応急処置だが今はこれでいい。
銃を手に持つ。
……近い。
気配は、逃げる様子はなかった。
草を掻き分けて見た先に。
目を疑うような光景が広がった。
「な……?」
一目で。
目が奪われた。
不可視の存在。
それが眼前にある。
少女の姿に擬態したそれは。
「鍵……」
ガイアとガーディアンが血眼になって争奪するもの。
世界を滅ぼすもの。
それが今、手に届くほど近く……目の前にある。
なぜ……見える?
鍵は認識撹乱があるのではないのか。
だが。
あれは間違いなく鍵だった。
直感というより、それは……。
魂に刷り込まれた記憶に近い。
自然と銃を構えた。
撃たないと。
殺さないと。
だが……。
「……女の子、だぞ……」
こんなか弱そうな、触れれば折れそうな少女を、殺す?
朱音を助けようと無謀にも深入りしたくせに。
この少女を殺すというのか?
「おまえを……殺さないと……」
唇が震える。
それは誰に対しての言い訳なのか。
世界なのか。
自分なのか。
もはや何も考えることができなかった。
天王寺瑚太朗は、銃を撃った。
子供の叫び声。
身を切られるほどの激痛。
すべてが遠い世界の出来事のようだった。
意識が遠くなる。
このまま死を思った。
自分が死んでも……何も世界は変わらない。
そう思った。
「…………」
自分を見下ろす瞳。
不思議な瞳だった。色を感じない。
見えないわけではなく、瞳としての機能を果たしていないような……。
その瞳に。
生まれて初めて……恋焦がれた。
「…………」
世界が変わった。
己の中にある世界。
何も変わることがないと思っていた。
世界は無機質で、残酷で、過酷で。
何処にも存在することができないと思っていた自分。
少女が見つめる眼差しの中に。
空虚な己と、一途な己が。
同じ痛みを分け合うように溶け合い、混ざり合い、重ね合った。
「…………」
涙が溢れる。
何を望み、傷ついて生きてきたのだろう。
ずっと一人ぼっちだった。
だけどここにいた。
一人だと思っていた自分は、ずっとここにいた。
「…………?」
少女が涙に指を伸ばす。
自分が流す涙を見て、不思議そうに首を傾げる。
そうか。
彼女はそれがわからない。
人の感情が零れて、溢れて出てくるもの。
それを知って欲しくて。
少女の指にそっと唇を寄せた。
「…………」
柔らかい指だった。
人と同じ、暖かい血の通った肌。
これが、鍵……?
なぜ俺はもっと早く――。
彼女に出会わなかったんだろう。
意識が遠ざかる。
記憶が溶けてゆく。
もうこの想いを手放さなくてはならない。
やっと手が届いたこの想いを。
忘れないように。
刻みつけるように。
心の奥底に鍵をかけた。
いつか開くその日まで、俺は――生きていく。
生まれたばかりの娘。
朱音の形見であった彼女の瞳を初めて見たとき。
こんなに美しい瞳があるのかと驚いた。
深く澄んだ深海色の瞳。
その瞳の中に……。
胸を突き刺すような、心の中の何かが抉られるような、自分でもわからない焦燥感が湧き上がった。
その時は正体不明の感情をもてあましていた。
きっと誕生直後のわが娘を見て、動揺しているのだろうと。
だけど。
その後何度も、何度も。
娘をあやしながら瞳の奥を覗きこむたびに。
さらに気持ちがかきたてられた。
自分でもわからない感情がどんどん湧き上がってくる。
それはもう、恋に似たものなのだと……。
気づくのに、そう時間はかからなかった。
時間すらかからずに自覚していた。
そう。
きっかけはたぶん、それだった。
「篝……」
娘に口づけながら瞳を覗き込む。
彼女の瞳の奥から、とめどなく想いが溢れてくる。
この想いの源泉はどこからやってくるのだろう。
瞳を見つめる。
篝は泣いていた。
痛みと、戸惑いと、そして熱い想いを受け止めて、泣いていた。
泣かせているのは自分だった。
涙に溢れかえった瞳はあまりにも美しくて。綺麗で。神聖で。
それを犯している背徳感と、征服感に、もはや抗うことなど出来なかった。
「篝……。痛いか?」
「んっ……ぁっ……熱、い……」
「ここは……?」
「ぁ、やああっっ!」
「もっと、声……きかせて」
「や、ぃや、もう……ぁああうっ」
篝の子宮を突き破る。
朱音にもしなかった行為を、もう躊躇うことなどしなかった。
襞が捲りあがり、愛液が迸る。その中をがむしゃらに突き進んだ。
そう、自分でもわかっている。
愛してると何度もその口で言いながら、もはや篝を壊す勢いで犯している。
これが肉欲に塗れた禁忌なのか、それとも自分の奥底から湧き出る正体不明の想いの発露なのか。
おそらくどちらも同じくらいなのかもしれない。
篝を物でも扱うようにひっくり返し、限界まで脚を広げて繋がっている部分を見つめた。
血と精液が混ざり合って痛々しいが興奮がさらに増す。
喉を鳴らし、篝の背を強く吸い上げ、子宮に押し込んだ自身を抉るように回した。
「……っっ! だ……め、……あぁっん……やああっっ」
「力を……くっ……抜いて、くれ……」
「おねがっ……やめ、やめてぇ……こ、わい……!」
「無理だ、もう……。篝……篝……愛して、る……」
免罪符のように囁きながら。
行為はとどまることを知らなかった。
……なぜここまで激しくする必要がある?
自分でもわからない焦燥と激情。娘であるからなのだと思った。だけど。
ずっと昔に、――得られなかった何か。
欠けた何か。
それを取り戻したい。
早鐘のように心からとめどなく零れてきた。
「……篝……」
強制的に極めさせられた篝を繋げたまま仰向けさせ、頭を抱えこんだ。
焦点の合わなくなっている瞳を覗き込む。
享楽に溺れ、意識が朦朧とし、息も絶え絶えなのに。
瞳の奥から篝の確かな意思のようなものを感じる。
この瞳をどうしようもなく渇望している。
心が悲鳴をあげていた。
「篝、もう一度……」
「……ぅっ、……そ……んんぁあっ……」
「動く……から……しがみつけ」
性の愉悦を教えこむ。
篝は痴態を曝している羞恥心を感じる暇さえ与えられず、ただ暴力的な激情に身を委ねるしかなかった。
震える手でしがみついてくる。
頼れるものなど、乱暴に抱く目の前の男しかいなかった。
そうして。
何度も何度も、二人で同時に高みへと昇った。
長い夢を見た。
現実なのか夢なのかわからないほど、長い夢。
彼女の――瞳。
想いの発露は、それだった。
何に起因しているのか、最初の時点ですでにわかっていたはずなのに。
俺はずっとそれだけを求めていた。
今も、こうして。
無機質な瞳の奥に、自分との確かな繋がりを感じている。
「篝……」
丘を登る。
見上げると、そこには彼女がいた。
生命そのものである彼女。
必死になって一途なほどに、命の理論を辿っている。
その視線の先に。
丘から登る自分の姿が捉えられた。
「……」
何かを言いたそうな、顔。
唇がほんの少しだけ動いた。
ああ、そうか。
たぶんそう言うだろうと思って持ってきた。
「ほら」
魔法瓶からカップにコーヒーを注いで差し出した。
彼女の領域には入らないギリギリの距離で手を伸ばす。
だが首を振ってもっと近づくようにと促した。
もうそこまでの信頼を得られたのかと思うと嬉しかったが、多少恐れた。
今の自分は、現象が確定しつつある。
確信はないが、何かを掴みかけている。
ほんの小さなきっかけで命を散らしてしまえば、もう収束することは出来ない。
ここに辿り着くには、たくさんの可能性を得られなければならない。
それがわかったから、不用意に彼女に近づくのを恐れた。
「……」
篝は俺を見て、自分から動こうとはせず、俺が近づくのを待っていた。
手を伸ばせば届く距離。
そのわずかな距離が、今の俺と彼女の距離なのだということを、わかって欲しかった。
「篝」
名を呼ぶ。
ただしそれは、名ではない。
遠くて届くことの出来ない、星の瞬きのようなもの。
近づいてきて欲しい。
触れて欲しい。
願いをこめて囁く。
篝の手が、動いた。
「……」
カップに手を差し伸ばし、わずかに自分の指に触れた。
血の通った暖かい指。
いつか触れたのと変わらない感触だった。
静かに一息で飲む彼女をジッと見つめる。
篝は飲み終えると同時に、再び理論へと視線を戻した。
(篝……)
同じ姿。同じ顔。同じ瞳。
どの世界にも彼女がいる。
――鍵として。
だけど。
たったひとつだけ、違う世界があった。
――娘として。
生まれてきた世界があった。
その意味を考えてみる。
必ず意味はあるはずだった。
(あの中に……)
篝がいま探し求めている命の理論の中に、その意味が隠されている。
鍵であり、娘でもあった少女。
図らずも自ら名づけた名前が「篝」だった。
それ以外の名前を、なぜ思いつこうとしなかったのか。
篝としか名づけようがなかったからだ。
いつか娘に語っていたこと。
生きる道が、彼女の名にこめられていた。
篝をあれほど深く愛したのは、己から湧き出る強い渇望があったから。
希求とも言っていい。
なぜ……。
(だけど……)
こうして篝を見つめていても、やはり想いは変わらない。
守りたいという気持ち。
それだけは強く、深く、根ざしていた。
(きっと答えはある)
あの瞳の奥に。
見つめていると吸い込まれそうになる――あの瞳の奥に。
to be continued……