【Rewrite】星の階(きざはし)を昇った先に 作:千月華音
篝の手が動いた。
瑚太朗の手のひらを手で押し広げ、指で何かを書いている。
……なにを書いているんだろう?
篝自身にも、何をどう書けばいいのか、よくわからないようだった。
ただ何かを伝えようとしている。それだけはわかった。
(そっか……)
さっき瑚太朗は、篝にこんなことを言った。
『……ごめんな。篝の言葉、俺には高度すぎて、よくわからないんだ』
頭の中に響く圧縮されて伝えられた言葉に、瑚太朗は苦笑してそう答えた。
行為後のけだるさの中。
篝は瑚太朗の胸に寄り添いながら、何かを囁いた。小さく。出来るだけ脳神経を刺激しないように。
それでもわからなかった。
だからそう言うしかなかったのだ。
瑚太朗は篝の指の動きをジッと見つめた。
文字でも、図形でも、絵でもない……何か。
それを見極めようと。彼女の言葉を知りたくて。
(頑張れ……)
篝は必死になって瑚太朗にわかるものを書こうとしていた。躊躇う指の動きが何かを伝える。
やがて。
それはひとつの形になった。
「……ははは」
思わず、笑った。……いや、それは。
わかったけれど、あまりに意外なものだった。
「確かに、そういうことだよな」
篝の頭を引き寄せて抱きしめる。
彼女の想いに応えるかのように、額に優しく口づけた。
「ありがとう。……それはね」
ハート、っていうんだ。
そう耳元に囁いた。
篝は震えていた。
怯えて、戸惑って、何かを恐れているかのようだった。
瑚太朗は彼女を抱きしめながら、どうすればいいのかわからず、何かしてあげたくてたまらなくなった。
だけど。
(俺のせいで、こんな……)
雨が降ったのは間違いなく自分のせいだ。
篝はそれを知っているのか。……わからない。だが知っていればこんなふうに縋りついてこないだろう。
だけど篝は、遠い場所で彷徨っていた自分を繋ぎとめてくれた。
遥か彼方の知の領域で、永遠に孤独のまま戻って来れなかった自分を。
引き寄せて、連れ戻してくれた。
このまま放っておくことなど出来ない。
怯えているのはおそらく、命が危機に曝されているからだ。
下を見る。
篝の足元の理論は、一部が捻じ曲がっていた。見ると枝の分岐が複雑に絡み合っている。
世界が複合している。
篝の混乱の程が窺えた。
(どうする……?)
助けたい。だが、どうすればいい?
自分がいるだけで篝を危機に陥れている。
消えてしまえば解決するのか。
だが――。
(もう事態はそれで収まる状態ではなくなっている)
おそらく自分が消えても、一度発生した因果は、違う形で篝に襲いかかる。
この世界の定義が、自分によって書き換えられてしまった。
夜だけが規定された世界を変革させた今となっては、放っておいてもいずれ破綻は訪れる。
自分が何とかするしかない。
「篝……」
一番の問題は篝の心を落ち着かせること。
命が損傷したのも問題だが、それは物理的なことであって、心因的な解決に導くことは出来ない。
心を落ち着かせる……。
最も直接的な方法。
(それは……)
一番――やってはいけないことなのではないか?
篝への想いは確かにある。だが、そういう気持ちは一切ない。
娘に対しては自分でも驚くほど抑えがきかなかったのに。
今の自分は、もう遥か高みからそういう欲を切り離してしまっている。
悟ったといったら笑ってしまうけれど……。
(待て……)
瑚太朗は仏教徒ではないが、確か仏の教えに、愛が全てを凌駕するというのを思い出した。
一般的に仏教と愛欲は切り離して捉えられている。
だが法華経の一部には、本来切り離されるべき教えが、合一されて許されている部分もある。
それは。
人間にとって必要なものだから。
確かめあわずには生きていけないものだから。
だけど……。
(篝に……それは通じるのだろうか?)
生命ではあるけれど――人間ではない。
だけど。
彼女を抱きしめる感触は、間違いなく人間と同じものに感じられた。
震える肩に触れてみる。
柔らかい、少女の肩。
ここにいるのは、人間なのか?
姿を擬態しているけれど、それは何のためだ?
(……こういう、ことなんじゃないのか?)
瑚太朗は。
篝の顔を引き寄せ、唇を合わせた。
触れるだけの口づけ。
震えていたけれど、彼女から確かな温もりが伝わった。
篝は目を見開いたまま。
何の反応も示さなかった。
それを薄目で見て、構わず、唇を押し当てた。
「……」
吐息が伝わってくる。
生きている。
彼女は……人間になれるんだ。
あとは想いを伝えれば……。
愛し合うことだって、出来る。
(やってみよう……)
篝をゆっくりと押し倒した。彼女の背後にある理論には、目を瞑って耐える。
ただ篝だけを見つめていればいい。
「篝……。俺を信じてくれるか?」
やっと唇を離して呟いた言葉に、篝はきょとんとして瑚太朗を見つめた。
今はわからなくても、やがて自分を傷つける存在だとわかるかもしれない。
そうなれば殺されてしまう可能性も……。
細心の注意を払わないと。
「怯えなくていい。俺がいるから。……だから」
どうか。
この小さな命に加護を――。
祈るように囁いた。
夜の規定が、また崩れた。
篝の額に天空から光が射し込む。
見上げると、いつの間にか雲がゆっくりと漂い、そこから微かな光が幾筋も降りていた。
(何があろうと……)
篝を守る。
ただそれだけを胸に刻み、眩しそうに目を細める彼女の額に優しく唇を寄せた。
場所を移したほうがいいだろうか。
だがどこにいても同じだ。この世界は瑚太朗がいる限り、変化を常に齎すものになってしまった。
いずれ世界そのものが崩壊する。
だが篝がいる限り、理論を紡いでいる限り、きっとそれは防げる。
防げるはずだ。
(俺が守り続ければ……)
篝の頬、瞼、唇に何度もキスをして、接触することへの安心と落ち着きを与えた。
篝は何をされているのかわからず、瑚太朗の腕にしがみついている。
わからないはずはないのだが。
理解することが出来ないでいる。
それは無理もないことかもしれない。人間の営みなど篝に理解できるはずもない。
「……口を、開けて」
瑚太朗の言葉に。
篝は目を見開いた。
その意味をようやく理解したのか。
ならばその先の行為も……。
「大丈夫。これは……心の奥底の想いを伝えあうものだから」
髪を撫でながら囁く。
篝は吐息を僅かに零すと、やがて身を任せるかのように目を閉じた。
小さく開けられた唇をこじ開けるように口を重ねる。
彼女の舌を掬い上げるように触れると、溢れた唾液が水音となって辺りに響いた。
(暖かい……)
初めて交わす篝との口づけ。
想いが溢れてくる。
彼女の鼓動が原初の音のように瑚太朗の胸を響かせた。
この命と共に生き続けたい。
口づけあいながら、こみあげてくる涙を必死に堪えて、篝に精一杯の想いの丈を伝えた。
篝は。
瑚太朗の口づけに応えていた。
受けとめるというより、受け入れていた。
瑚太朗が歯列をなぞると、返すように舌を絡める。震えていた唇はいつの間にか唾液で溢れ、自ら吸い付くように触れ合おうとする。
たぶんそれは。
原初の生命が自らを分けたときに半身を求めるような、原始的な欲求にも似た何か。
それは瑚太朗の鼓動を高め、想いが彼女に還っていくような感覚に囚われた。
「篝……」
口づけながら少しずつ、手で彼女の身体に触れていった。
服の上からではあったが、篝の体温を感じる。温もりが伝わっていた。これが本当に現象なのかと疑うほどに。
胸に触れる。
柔らかな感触に、出来るだけ優しく怯えさせないように動かした。篝が目を開いた。瑚太朗を見て首を振っている。
何を言いたいのか、なんとなくわかった。
「大丈夫、痛くしない」
篝がさらに首を振る。……わかってる。小さい胸を、気にしてる。それに気づかない振りをした。
だってそんな篝を可愛いと思うから。
服の下に手を差し入れる。手の中で揉みほぐすと、身を捩って逃げようとした。それを誤魔化すようにまた口を重ねる。
口づけに夢中にさせながら、愛撫をひたすら続けた。
篝の二つの膨らみは、手の中にすっぽりと収まるちょうどいい大きさで、自分の手の中で簡単に彼女を喘がせることが出来た。
どういうふうに触れればよがるのかもわかっている。……娘がそうだった。
(篝――……)
思い出す。
今思うと、彼女は奇跡のようなものだった。
自分の娘でありながら、恋人で。鍵で。――篝という存在で。
あの世界にいた篝は。
きっと、数多の世界の始原的存在なのかもしれない。
人間でもありながら、世界を滅ぼす鍵でもあった彼女。
消滅し、存在そのものが失われてしまったけれど。
彼女がいなければ何も始まらなかった。
だから。
(こうして、再び篝と出会えたのも……)
彼女がいたから。
どれほど感謝していいのかもわからない。
ただ溢れるほどの想いが、篝という存在に受け継がれていた。
「…っ」
篝が息を堪えた。
服を脱がせ、背中から彼女の秘部に指を忍ばせる。
濡れてはいなかったが、感じているのは確かだった。熱く蠕動している。
たぶん、ここから先はもう引き返せない。
篝の瞳を覗き込んだ。
「力を、抜いて」
出来るだけ優しく、それこそ壊れものでも扱うかのように囁く。
慎重にならざるを得ない。
篝に痛みを与えれば、それこそ反射的に防御機能が働く。リボンはまだ沈黙を保っていた。
死ぬわけにはいかなかった。
彼女を守るためには、もう何が起ころうと絶対に死んではならない。
篝は、瑚太朗をじっと見つめていたが、やがて。
僅かに……変化すら感じとれないほど僅かに。
微笑んだ。
「……っ?!」
その微笑に胸が射抜かれる。
もう枯れ果てたと思っていた感情が押し寄せてきた。
(このタイミングで、それは……)
卑怯すぎる。
これでは。
何があっても、心をこめて愛するしか……。
もともとそのつもりではあったが。
篝は、おずおずと脚を開いた。
胸を唇で吸い付きながら、指を中に潜りこませる。……感触は暖かかった。
篝に口づけ、唾液を指で掬い、何度も膣に擦りつけた。
中が蠢く感触は次第に瑚太朗の指を吸い上げるほどに熱くなっていった。
「……篝。まだ言ってなかったけれど」
覚悟を決めて膣口に先端を押し当てた。
最後の告白。
にはならないと思いたい。
「好きだ。君を守るためなら、俺は……」
ゆっくりと挿れていく。
押し返す動きは感じられなかった。
「この命を捧げる」
口づける。
篝の脚を抱えあげ、呼吸を整えながら慎重に、静かに、ゆっくりと。
奥に潜りこませていった。
篝の目が細められ、鼓動が早まるのを感じた。……感じてくれている。それが伝わった。
だから。
篝の中を味わうように、動いた。
「……っ、……!」
「篝……」
痛みは、……ないよう、……だった。
不思議に思う。
破瓜の感触はあった。突き破った瞬間、確かに何かが染み出すのを感じた。中で血が出ているはずなのに。
篝を見つめる。
瑚太朗の背中にしがみついているが、痛みを堪えている様子はない。
……なぜ?
ただ瑚太朗の動きに合わせて、呼吸すら合わせようとしていた。
(もしかして……)
痛覚を……切った?
瑚太朗を攻撃しないように。
だが、それは。
複雑な思いと虚しさがせめぎ合う結果にしかならなかった。
彼女は。
人間としてこの営みを受け入れているわけではない。
ただ生物的な交接行為。動物がするものと変わらない捉え方。
だけど、少なくとも瑚太朗を嫌がってしているわけでもなかった。
篝は瑚太朗の想いを受け入れている。
ただ、受け入れているだけ。
応えているわけではない。
(それでも……)
構わない。
彼女が怯えから解放されるのであれば。
たとえ想いが通じなくても……。
「……っっ」
奥の閊えに潜りこませると、篝が達した。快感は感じてくれているらしい。
娘と同じ弱いところ。
やっぱり同じ存在なのかもしれない。
ふいにそう思った。
「篝、中で出すから……」
そのまま力を抜いて欲しい、と言うと篝はわかっているのかいないのか、キスを求めてきた。
それに応えて唇を寄せ、そのまま突き進んで射精する。
人間とほとんど変わらない構造なのが不思議だった。
なぜここまで擬態するのか、理解に苦しむ。
(神様ってやつがもし本当にいるのなら……)
この行為をどこからか見て、口元でもにやけているに違いない。
笑ってしまいたくなるほど、それは愉快な光景だった。
「篝、熱いか?」
首を振る。中はそれこそ茹るように熱かったが、篝の感覚は中で溶けてほぐれているようだった。
(じゃあ、もう遠慮しなくていいか)
そう思い、再び動き出した。
肉襞がまとわりついて気持ちいい。中に注いだものが滑る感触も真綿のように心地よく感じた。
(そういえば……)
つい、膣内射精をしたけれど。
篝は妊娠するのだろうか。
考えていなかった。
だけど。
(もし、そうなら……)
これ以上はないほど嬉しい。
篝との間に、子供。
この世界でそれが可能なのかどうか、あやしいけれど。
それは篝の役割もなくなることかもしれないけど。
……なくなっては困るが。
生まれたら、きっと自分は、ここにいる確かな存在の意味を噛み締めるに違いない。
「篝……気持ち……いいか?」
答えなんてわかっている。
何も言わなくても、篝の表情がすべてを物語っていた。
だから気持ちいいのは、自分。
確かめるように呟いた。
「もう一度……いくから……掴まって」
篝の身体に絶え間なく愛撫しながら、腰を刻むように動かしていく。
行為の最中、何度も何度も、篝の口から意味不明の言葉が漏れてきた。
たぶん、それは――。
瑚太朗を罵倒する言葉だったのかもしれない。
「うん……。でもまあ……それでいいや……」
もう怯える必要もなくなった。
こうしてしがみついていることが、篝が唯一頼れる存在になったということだから。
それだけで十分満たされた。
雲間から射し込んでいた光は――。
いつの間にか消えていた。
眠っている篝を見つめながら、考えていた。
雨が降ったときと、雲から光が射し込んだとき。
いずれも契機は――。
(俺が、感情を高ぶらせたときだった)
それも、篝を守るという強い意志を宿した瞬間だった。
もう間違いないだろう。
自分の存在。
あの海を見たときから薄々と気づいてはいた。
だが内心そうだと思っても認めたくはなくて。
考えることを放棄していた。
だがそうも言っていられない。
篝の命が賭かっている。
これからのこと。
これから訪れるであろう破局を迎えないためにも。
決心しなければならない。
(負けるかよ……)
何よりも自分自身に負けるつもりなどない。
二度と彼女を失うわけにはいかない。
瑚太朗は篝の頬を撫で、優しく唇を寄せた。
to be continued……