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恋はした事があるか、と聞かれたら、私は無いと答える。
誰も好きになった事が無いのかと返されれば、いいやそんな事も無いと答える。
怪訝な顔をした相手は更に畳み掛ける様に何か言い募ろうとするので、必ず用意しておいた返答を贈る。
──トシウエデ テガトドカナイ
クモノウエノヒト ダッタカラ。
セカイガ チガウンダネ。
一切、嘘偽りは無い。
この場合の『ヒト』とは『存在』『対象』という意味合いであり、酒場へ行けば聞こえてくる、捕獲クエなのに討伐しちまったー、あのクソ〇〇!(名誉の為に伏せさせて貰おう、出来るならば形容詞の方も伏せたいのだが)等というアレとそう変わりない。
実際の所、漁で生計を立てている村人の多いモガで、男衆は常に村にいる訳では無い。漁に出る者、品物を売りに行く者、様々だ。
私の、父に関する記憶は無い。至って普通の漁師だったが、私が物心つく頃に漁の最中にモンスターに襲われてしまったという話だけを母親から聞いた。若い頃に母が描いたという絵姿で、この目尻の下がった優しげな男の人が自分の父なのだと学び、母と二人慎ましく暮らしてきた。
しかし心労か早くに母も亡くなり、祖父母の元で暮らす事になった。
故に男性というものが珍しく、幸か不幸かこの手の境遇の女子に有りがちな、男性に奥手になる事も無かった。ハンター稼業を始めてからも何人か恋人の様なものは出来たし、今もこうしてリュイなるもの(上手く表現出来なかっただけで、他意は無い)がいる。
ただ、それに恋という感情や言葉が当てはまらない気がするのだ。
自分の気持ちが動く前に相手が私を求めていて、それを受け入れてしまう。引き摺られると言うのが近いだろうか。
ただ、あの邂逅を除いては。
………………
少々、気掛かりな動きが見て取れた。
確かに該当モンスターの討伐に関わってはいるものの、ほんの数件。疑わせない様に他の件は僕がほぼすべて処理しているが、やはり研究者という者は貪り尽くす様にデータを漁り、何かに辿り着くまで止まらない生き物なのだ。
(この世に不思議なものが
不思議なものなんて、僕からしたら山程あるのだ。
今こうしてギルドナイトとして調査報告書を書いているけれど、ゴア・マガラが最近、目撃例が増えハンターの派遣が増えている事だってそうだ。さて、あれから何年経っただろうか、大方何を求めているかは見当がつくが、それにしても人里に近いだろう。
別に自分達の生態を隠し通さねばならない理由もないが、特にべらべら語る事でもない。それこそ研究者達は、己の手で真実に辿り着く事が快感なのだろうと僕は理解している。
大体、僕は落伍者なのだ。
「リュイ」
ほら、今も彼女の声が聞こえる位に僕は、僕の種としてドロップアウトしている。
まだ、
「リュイだろう、何故此処に居る?」
背を向けていた扉の方向から再び声がし、自分の頭の中で反芻させていた声ではないと気付き振り向くと、飛び込んできたのは鮮烈な黒。
彼女の髪色は、全てを吸い込む黒なのに、何故か鮮やかに僕を引き付ける。
「コノエさん…! どうして此処に?」
「いつもの研究員さんから、ギルドナイトから聞き取りがしたいと言われて来たのだが…」
何も聞いていない。あいつめ、どういうつもりでこの部屋へ寄越したのか。
さり気なく書類を文机の抽斗へ滑り込ませ、彼女へ完全に身体を向け机上を隠してしまう。
「…僕も同じ用件で呼ばれたのですが、長い事待たされてるんですよ」
「そうか、左から3番目の部屋と聞いて来たが、ギルド内は存外広くて迷子になってしまってな。遅刻したかと思ったが安心した」
ギルドナイトは多忙と聞いているから、待たせて腹を立て席を外されたかと…と続け、彼女が溜息をついて椅子に掛けた。本当に、少し疲れたようだ。
「待って下さい、左から3番目と言いましたか?」
「え、ああ、いつもの竜人の研究員さんが…」
「逆です。階段を登って、左右真ん中しか通路は無かったでしょう?」
「あ、ああ…そ、そういえば、手洗いを借りてから…」
「元の場所に戻れなくなった、とでも?」
目が泳いでいる。彼女、こんなに方向音痴だっただろうか?
いや左右を間違えたとかいうレベルか? 手洗いを出て3歩で忘れるニワトリレベルか?
「お前の考えが、手に取る様に分かる。本当に緊張しているだけだ、止めてくれ」
「まあ、普通に考えたらギルドから直々に招集がかけられる事など無いですからね」
「……有難い」
フォローを入れると、彼女は肩の力を抜き、安心した様に大きな溜息をついた。
「室内の把握は苦手なんだ」
……………
本来の目的地へとリュイに伴われて行くと、丁度ギルドナイト一式を身に纏った男性が部屋のドアを開ける所であった。
「おや、アンタが連れて来たのか」
ギルドナイトが一瞬、眉を上げた様に見えたが、知り合いなのだろうか。
「僕も例のモンスターを何度も倒してますから、此処にはお邪魔した事があるんです。ご一緒しましょう」
有難い、ギルドナイト側も一瞬戸惑った顔をしたが頷いて部屋の中へと踵を返した。
「実は、二度程ご協力を頂いたゴア・マガラの件なのです」
リュイの倍程の年嵩のギルドナイトは、柔らかそうな長椅子に私を座らせて切り出した。
「端的に言いますと、狩猟に協力して頂きたい」
「それは、やぶさかではないが…ギルド直々に依頼されるまでの腕があるかどうか」
「こちらの彼と行動されている際、ご協力を頂いていたようですが?」
流石に気恥かしく、押しかけ旦那だからとは言えず適当にバディを組んでいるからとか、もぞもぞと私は答えた。
ちらりとリュイを見遣ると、何故か余所行きの笑顔なのに、剣呑なものを感じた。何なんだ怖いぞ。
「ゴア・マガラの鱗粉の解析をせねばならず、研究者から前回の協力者を望む声がありまして」
ぞわっ、と背中を総毛立つ嫌な感じが襲う。
「彼女を実験動物にしたいと、そういうおつもりなんですね」
「リュイ、そこまで彼女をモノのように扱う訳ではない。人聞きの悪い事を…」
「事実でしょう、当たらずとも遠からずというなら、結果は同じだ。彼女を驚異に晒して弄り回すという事だ」
淡々と語り、彼はハイスニークロッド(毒の操虫棍だ)を床に投げ捨てる。
「こんな武器を僕に持たせて、戦闘を長引かせて彼女の命を削ろうと」
「成功例はお前だけだろう、他のハンター達も未だあれを克服出来ていないのだぞ」
話が、よく分からん。
ゴア・マガラと戦う事が命を縮める、と聞こえるが、リュイは静かに怒っている様に見える。ただモンスターと対峙する、命懸けのハンターの仕事だから、という単純な事ではないのだろう。
「なら早く、天を廻る龍を狩れる者を雇うべきだ。全てがそこにある」
リュイは吐き捨てる様に言い、乱暴に私を立ち上がらせて部屋を出た。
驚きで言葉も無い私を、痛い程に強く引き、建物を後にする。
ずんずんと、無言で歩き続ける。何を伝えようと届かない石の如くで、少し私は怯えていた。
言葉も、手を引く僅かな抵抗も、意味を成さない。息苦しい。
「……すみません」
ギルドから離れた雑貨屋の前で、漸く彼は立ち止まった。
さも息を吹き返した様な気分になり、私の喉は張り付き咄嗟に声も出ない。
「組織というものは助け合う為に生まれた筈なのに、どうして権威を振りかざして強く出る様になるのでしょうね」
「リュイ、」
ああ、笑顔が歪む程、怒っている。
彼の表情を読む事は常に容易くはないが、こんなにもはっきりと示すのは初めてだ。表情を崩したのも強い香辛料を使った料理の時くらいなので、滅多に無い事である。
「まあ、それこそハンターでも脅威になるモンスターなんだろう? 私も以前あんな事になったのだし」
「ええ、でも貴女は名目上、僕のおまけだったじゃないですか。何が起こっていたかは分からない筈だ」
雑貨屋を通り過ぎ、市場の中へと彼は進む。
「僕は確信を持っている」
顔見知りの肉屋のおばさんに声をかけ、ギガントミートをまるで抱えたアイルーくらい買って、リュイはまた進む。
そんな金は何処にあるのかと聞きたくなったが、また手を引かれてタイミングを失ってしまった。
「野菜は何が美味しいですか?」
「え、あ、そうだな…」
大きな肉を料理するなら、香りのある野菜と煮込んでもいいだろう。焼くにしてもだ。マイルドハーブにレアオニオンと…
「棍棒ネギは嫌いですよ」
「分かっている」
ハーブで焼いたらあまり良い顔をしなさそうである、ぶつ切りにしてチリチーズをまぶして焼くのが良いだろうか。
突然言葉の通じない無機物と化したリュイを追求するより、料理の事を考えている方が遥かに楽で、脳もそちらへと流れていく。
帰ったら、絶対に聞き出してやる。
……………
食卓には、テーブルに収まりきるかどうかというくらい、料理でいっぱいだった。
慌てて作ったから具を小さくしたという、ホロホロと崩れそうに柔らかい肉入りポトフ。新鮮な葉物野菜のサラダ。あちらではチリチーズがトロリと溶けながら根菜と肉の上に鎮座しているし、手前のこちらでは薄切りにして燻したターキーまである。
しかしポトフの隣にゴロゴロと大きな肉入りのシチューがあるのはどうなのか。シチューは主食だと思っているが、世間ではあれは汁物だと、ライスにかけると劣化の如く怒る者もいると聞く、自分はシチューライスが堪らなく好きだから問題は無いが。
「ご馳走ですね」
自宅に寄ってから訪れた彼女の家は、まるで食堂の様な豊かな香りが外からも漂っており、大層僕の胃袋を刺激した。
酒はあまり好まないが、ターキーの薄切り燻製などとても合うのだろう。これは彼女の趣味に違いない。
「やっと来たか、色々聞きたい事は山程もあるが、一先ず夕食としよう」
ココットライスをよそってきたコノエさんに恨みがましい目を向けられるが、こちらも笑顔を返しておく。
平皿に盛られたライスに、僕はたっぷりとシチューを盛った。
肉が余り過ぎて、ステーキまで出せるそうだ。僕としては素材に近い調理法は大変喜ばしい。
食事というものはとても楽しい。
捕食には変わりないが様々な味や調理法があり、目にも喜ばしいものが多い。シモフリトマトにロイヤルチーズで彩り豊かなサラダを眺め、僕はゆっくりとそれを味わった。
以前は草の類など食べる気にもならなかったが、調味料を混ぜた油を掛けると、これはこれでいけるものだ。
「僕、貴方と出逢うまで植物なんて食べた事ありませんでしたよ」
「植物とは、また大きく出たな」
口の端だけで笑った彼女は、僕を見てフォークを取り落とす。
「お家を壊したら怒られちゃいますからね、ベースはこのままです」
右側頭部からは純白の角、左からは漆黒の触角。つるりとした凹凸の乏しい、右は金色の交じる黒い頭。眼窩は虚ろで視力はないが、右眼は出来損ないなので血の色に光っている。
「お前…っ!?」
「あれ、やりすぎちゃいましたか」
顔面蒼白なコノエさんの様子に僕は慌てて角を残して顔を再構築する。
しかし腰を抜かして口をパクパクと動かす姿は、本当に調理台の上の何とやらだ。
「この姿では初めまして。人間じゃなくてすみません」
顔を戻して良かった、笑顔を貼り付けられるから。
ヒトは便利だね、コノエさん。
…end