「蘭をですか?」
「土日のどちらか一日だけでいいんじゃ」
毛利探偵事務所の下の喫茶店「ポアロ」で博士は小五郎に話を切り出す。
「最近、哀くんが家事に飽きてしまったみたいでな。洗濯物とか掃除を怠けてしまって家が荒れておるんじゃ」
「小学生なんてそんなもんでしょ。家政婦を雇ったらいいじゃないッスか。それかハウスクリーニングに依頼するとか」
小五郎が食後のコーヒーを口に運ぶ。
「面識の無い人間をあまり家に入れたく無いんじゃよ。」
「そりゃ、またどうして」
「決まってるじゃないか。発明が盗まれるリスクがあるからじゃ」
「あー、そりゃ難儀っすね」
毛利は博士の話に生返事をする。
「まあ、そんなわけでワシの知り合いで家事が上手い人物を考えたら蘭くんが最良だなと思ってこうして相談した次第じゃ」
「俺は構わないですけど蘭も受験生ですからねぇ。忙しいんじゃないですか。」
「他人事みたいな反応じゃな」
「だってアイツ受験生らしさ? が無いんですもん。試験前とかはピリピリしてますけど」
「園子くんから聞いたが、蘭くんの成績なら内部進学か空手で推薦入学は確実らしいじゃないか。だからじゃないか?」
「そうらしいんですけどね。俺もそれなら心配無いすけど、英里の奴が」
「妃くんがどうかしたのかね?」
「アイツに蘭の受験勉強の邪魔をするなと釘を刺されましてね」
「ほう」
「今年になって自制してるつもりなんですけど、最近になって英里がちょくちょく訪ねて来るんですよ」
「それは大変、なのか?」
「大変ですよ。抜き打ちで生活態度のチェックに来るんですから。ったく、ガキじゃあるまいし」
「正直、君の自業自得とも言えなくはないな。しかし、ワシも納得がいった」
「どういう意味ッスか?」
「このあと、妃くんに呼ばれておるんじゃよ。昨日の旅行の事じゃろうな」
「行くのを決めたのは蘭なんスけどねぇ」
「だとしてもこの時期に誘ったのは些か非常識に思われても仕方がない。ワシも話をしたいと思っておったから丁度良かった」
「蘭に家事を頼む件ですか?」
「そうじゃ。君に承諾してもらえたら次は彼女の承諾をもらうのが筋だからな」
「蘭の成績が落ちなければ悪事以外なら本人の自由にさせますよ。私は。英里の方は知りませんけど」
「小五郎くんからは許可はもらったということでいいかな?」
「あくまでも成績が落ちない限りですよ。」
「わかっておるよ。ところで物は相談じゃが」
「なんです?」
「ピアスってプレゼントしたことあるか?」
――――
「遅れました」
待ち合わせのファミレスに妃英里は少し遅れてやってきた。コーヒーを飲んでいた博士は頭を下げる彼女に手を上げてなだめる。
「いや、気にせんでくれ。君が忙しいのは承知しておる」
博士の座る席の対面に英里は座った。
「早速ですけど蘭を雇いたいという話ですけど、却下です。そもそもあの子は受験生です。昨日の旅行の件も私に何の相談もなしに……」
「まぁまぁ、だからこうして今回は事前に話しておるんじゃないか」
注文を取りに来たウェイトレスにコーヒーを注文した妃は、博士の言い分にため息を吐いた。
「やりたいのなら普通は反対はしません。けれど、蘭たちは今年受験です。あの子がそんなにふらふらしていたら他の子にも迷惑です」
「まあ、そうじゃろうな。じゃあ、せめて二週間に一日だけでも」
「博士、やたらと蘭を買ってくれているみたいですね」
「蘭くん以上に家事が出来る知り合いがいないからな」
「ハウスクリーニングを頼めばいいじゃないですか」
「毛利君と同じことをいうなぁ」
「同じ?」
ウェイトレスが持ってきたコーヒーカップを傾けていた妃の手が止まると、明らかに不機嫌な顔になる。
「もしかして私よりもあの人に先に相談したんですか?」
「あ、いや、話したのはここに来る前だから、ほ
迫力に圧されて博士は声が尻すぼみになる。
妃は博士の様子にあわてて迫力を抑える。博士はまるで自分が裁判の被告のように感じた。妃の配役が検事であるところが現実とは違うが。
「だって毛利君の方に親権はあるんじゃろ? そうすると彼に一番に話を通すのが筋じゃないか」
「……まあ、いいです。順番なんて些細な問題ですから。」
「それに夫婦水入らずの時間があった方が良かろう」
「……は」
妃が怪訝な顔になる。
「聞いたぞ。頻繁に毛利探偵事務所に行ってるみたいじゃないか」
「蘭の負担を軽くするためです」
妃がそっけない返事をする。
「ならば蘭くんを預かれば良かろう」
「蘭があの人の事を心配しますし」
「案外家事をやってくれる人を見つけるかもしれないぞ」
「そんなわけありません!」
妃が声を荒げる。コーヒーに角砂糖を入れる。
「冗談じゃよ。」
博士はコップを傾ける。しかし、コーヒーは空だった。
「蘭くんも大きくなったし、ここらで君たちが歩み寄っていいんじゃないか」
「別にあの人とまた一緒になりたいわけじゃ」
「そうか。あっちはワシにのろけ話みたいに話してたから君もそのつもりなのかと思っておったわい」
「本当ですか?」
妃が博士の目を見た。その頬はわずかに赤くそまり、さっきまでのきつい雰囲気が和らいだ。
「蘭くんも二人がヨリを戻すためにいろいろと策を練っていたみたいじゃが、結局は本人らの意志がないとな」
博士はテーブルに置かれたショートケーキをフォークで切り、口に運ぶ。
「私たちを心配してくれているのには感謝します。でも、今の話題は蘭のアルバイトです」
ケーキを飲み込んだ博士は口を開く。
「毛利探偵事務所におっても依頼人の応対で勉強を中断しなくてはいけない場合もあるんじゃないか? なら、いっそのことワシの家で勉強させてみてはどうかね。掃除とは言ってもワシも毎日最低限はやっておるから毎回来る度に掃除をお願いするわけじゃないし」
博士の言葉に違和感を覚えたのか、妃は眉をひそめた。
「正直に言うとな、せいぜい月一で掃除に来てもらえたらいいかな位な感じだったんだよ。しかし、小五郎君はともかくとしても君が渋るのは目に見えておったからな。だから譲歩したように見せるために策を労したんじゃよ」
「手の内を明かしても?」
「小五郎君に話を聞いて策は必要ないと判断したんじゃ。互いの利になる話じゃからな。君は小五郎君の世話を焼けるメリットがある。ワシも家を綺麗にしてもらえるメリットが。蘭くんには勉強する空間を提供しよう」
妃は顎に手を当てる。ぶつぶつと独り言を言っていたが博士には聞き取れなかった。
「いいでしょう。蘭の成績が落ちない限りは博士のところでのアルバイトを許可しましょう。」
「おお、そうかい。ありがとう」
博士は妃に手を差し出す。妃はその手を握った。
「蘭にはこのことは話してあるんですか?」
博士は首を振る。
「いや。君らの許可が下りてからと思ってな。蘭くんもきっと君たちの許可がないとと言うじゃろうからな。今日の夜にでも電話して聞いてみるさ」
「そうですか」
妃はそれを聞くと席から立ち上がり、伝票を取ってレジに向かった。
妃がドアを開けて出ていくと博士はスマホを手に取り、アドレス帳から蘭を選び電話を掛けた。
『はい』
十回以上の呼び出し音の後、小さな声で蘭が電話に出る。
「今夜、空いてるかね」
『……忙しい、です』
「そうかい。じゃあワシからそちらに行こうかな」
『ちょっ、困ります!』
「どうして? 」
『お父さんが今夜は浮気調査で留守にするので』
「そりゃ丁度いい。今夜、そっちの家に行くよ」
蘭は何かを話していたようだが博士は電話を切った。博士はファミレスから出る。まだまだ日の高い時間で蘭の所に行くには早い。
博士はスマホで地図を見た。歩きでも行ける距離だと判断し、博士は炎天下の下を歩いた。
――――
「さてと」
博士は毛利探偵事務所を反対車線から見上げる。
午後七時を過ぎた道路は日がビルに隠れて影が覆い尽くしていた。
博士は一度家に戻り、濃紺のシャツにジーンズに着替えている。影よりも暗い博士の格好は空き巣を連想させる。
博士は階段を上がる。確かに事務所の電気は点いておらず、中に誰かがいる気配も無い。
博士はそのまま事務所を素通りする。目的地はあくまで三階だった。同じく電気の点いていない玄関のインターホンを鳴らす。
反応が無い。博士は階段に腰を下ろす。五分ほどすると玄関のドアから光が漏れた。博士は立ち上がりもう一度インターホンを鳴らす。待つこと数分、玄関ドアに人影が写る。そして、玄関の鍵が開いた。
「こんばんは」
「……こんばんは」
扉の前で棒立ちになっていた蘭の博士は挨拶する。居留守を使うために室外機を動かさなかった室内は蒸し暑かった。
「暑いなぁ」
「なら帰ったらいいじゃないですか」
「そうはいかん」
博士は蘭の横を抜けてリビングのテーブルの上に置いてあったエアコンのリモコンを手に取ると電源を入れる。
エアコンの羽根がゆっくりと動き、奥の口から冷気が流れてくる。博士はリモコンをテーブルに戻すと、その場で振り返り蘭を見据えた。彼女はばつの悪そうに博士から視線を外すが、すぐに博士を強い視線を返す。
蘭はタンクトップにバスタオルを肩から掛けて、ハーフパンツを穿いていた。タンクトップの胸の部分が浮いていないのでどうやら今日はブラジャーをしているらしい。
「今日は着けておるのか」
蘭は胸を手で隠す。博士は持っていたビニール袋をテーブルに置いた。
蘭は博士を無視して自分の部屋に戻る。
「ちょっと待ってくれるか」
蘭は足を止める。博士はビニール袋からプラスチックの透明な包装を取り出すと彼女に差し出した。
チラリと一瞥した蘭は博士が持っていた包装を叩き落とす。部屋の隅まで飛んだ包装からライトイエローのプラスチック製のピアスが怪しく光っていた。
「せっかく痛い思いをしたんだからピアス穴は大切にせんといかんぞ」
博士は叩き落とされたピアスを拾う。
「必要ありません!」
「そうか」
蘭はそのまま自分の部屋に消えてしまう。
博士はバイトの要件を紙に書くとテーブルに置いて家を出た。
ちょっと息抜き