山村司令官がこの柱島泊地鎮守府に着任してから、もうすぐ三年になる。私……駆逐艦暁も春に迎えた誕生日で17歳になったところだ。
* * *
……本当は艦娘に年齢等というものはない。
皆、一律成人扱い。それでも、身体はちゃんと歳をとるし、成長も、老いもある。
実際、艦娘出現の最初期に戦った艦娘達の一部は、年齢からくる戦闘能力の低下から退役したり、経験を生かして司令官職に着いたりしている者もいる。
人間と変わらず歳をとっていくのに、それを認められない艦娘。司令官はそれを許せないと言っていた。
権利は守られるべきだ、と。
だから……彼は生まれた年も、日もわからない私達に誕生日を与えてくれた。
私が17歳というのも、私の建造を担当した工廠妖精さんが体格から推測したものだし、誕生日も、私が建造されて柱島に着任した日という適当極まりないものだ。
でも、それでも……
私たちは、今生きていることを
生き続ける幸せを
毎年歳を重ねられる喜びを、それを通じて感じることが出来た。
* * *
そんな私は今、秘書艦として執務室にいる。
「はいっ、これが出撃任務ね。こっちは工廠関係。これはドック周り……あ、午後から翔鶴さんのコンバート改装の予定が入ってるから忘れないでね」
「おう、助かる」
「結構喜んでいたわよ。翔鶴さん」
「そりゃあそうさ。瑞鶴はかなり前に改二甲になったんだから……待たせたのは少し申し訳ないな」
翔鶴さん、というのは、帝国海軍時代の第五航空戦隊所属。現在では、柱島泊地艦隊の主力空母として活躍している正規空母の名だ。
練度は既に97。以前からコンバート改装によって装甲空母となる計画が立てられていたが、ごたごたとした事務処理が追いつかず、今日の午後やっと改装に至ったのだ。
「そろそろ休憩いれたら? 朝からずっと働き通しじゃない。そんなんじゃ駄目よ」
「ははは、暁も雷に似てきたな。大丈夫だよ。今日は1時からお休みだからさ」
山村司令官は現在准将の地位にある。ここ3年の間で、輝かしい武勲を建てた訳ではないけれど、堅実に、確実に制圧区を広げ、現在は南方5-4……サーモン海域まで制圧している。
これだけなら過去に成し遂げた提督は何人かいるのだが、彼の評価を高めている理由として、着任以来約三年、“一人も艦娘を轟沈させていない”ことがある。
その功績を評価され、25歳という若さで将軍閣下の称号を与えられたのだ。
……本来、准将という階級は日本海軍に無い。
しかし、彼が若すぎ、正式な将官として扱うことへ反発があったらしい。そこで話し合われた結果、帝国海軍時代の准将という階級を復活させ、“準将官”として扱われることになったのだ。
「うーん……階級が上がるのは嬉しいけど、仕事が増えるのはごめんだね」
「司令官は充分よくやってるわよ。はいお茶」
「ありがとう。暁が入れるお茶はうまいな」
「また……響の時も、阿武隈さんの時もそう言ってなかった?」
「あれ? そうだったかな」
カラカラと笑う。この笑顔も、やり取りも、三年前となんら変わりない。変わったのは……
「私は貴方の妻なんだから。ちゃんと扱ってよね」
左手の指輪に触れる。そう、一年半程前に私と司令官は結婚したのだ。いや、“ケッコン”という方が正しいか。
「カッコカリ、だろ?」
さっきの笑いの波動を残した表情で、司令官は問い返す。
* * *
ケッコンカッコカリとは、練度キャップに到達した艦娘の艤装に最新の改造を施す事によって燃費の向上、さらには練度キャップの開放をすることができる改装の事だ。
最初は“燃費向上及び練度上限解放を目的とする新方式近代化改装”という下を噛みそうなほど長い名前で呼ばれていたらしい。
まだこの改装が提案されたばかりの頃、当時横須賀鎮守府に着任していた提督が試験的に練度キャップに到達していた戦艦娘にこの改装をさせ、その証として所属艦隊名と艦番号を彫った指輪を渡したところ、その艦娘が左手の薬指に指輪をはめたのだという。
驚く提督が話を聞くと、
「私は艦娘ですからどんなに想っても提督と一緒になることは出来ませんけど……でもせめて、せめて偽りでも仮でもいい、提督と結婚することは夢だったんです」
この話はまだ艦娘が人権を持たない頃のことで、この戦艦娘には一縷の希望すらなかった訳だ。この艦娘の心に打たれた提督は彼女に惹かれ、人と同様に愛したいと思った。そして、艦娘の人権をにそれまでの功績と熱意を持って政府に認めさせ、自身はその戦艦娘を退役させて正式に結婚したんだとか。
この一件以来、艦娘の練度キャップ改装及び指輪を渡すことは“ケッコンカッコカリ”と呼ばれるようになったのである。
* * *
「ええ、カッコカリよ。でも私は……」
言葉にならず口をつぐむ。例の戦艦娘の気持ちは痛いほどよくわかる。
私の愛する人は目の前にいるのに、今の距離から近づけない。触れられる所にある幸せは、途方もなく遠くにあって。
ここで自問してみる。
“暁、貴方は今の関係に不満なの?”
答えはNO。当然だ。
今の関係に不満はない。あるはずなんてない。駆逐艦であるのに、この艦隊で誰よりも速く練度キャップに到達した。この艦隊でただ一人、ケッコン指輪を貰っている。交代制ではあるが、秘書艦を任せて貰っている。
彼には信頼されている。それは理性も、感情も認めている。でも彼は……彼は…………
私の想いに気づいていない。
* * *
なんだか最近、暁の様子がおかしい。
いや、どこがどうとは言えないのだが、どことなしに笑顔に固いものを感じたのだ。さっきもケッコンカッコカリの話を出して、それでいて何やら言いたいことを飲み込んだようだった。
ケッコンカッコカリ……予め政府からこの言葉の意味を聞かされていたために、俺は単純に強化改装として捉えていた。
練度キャップに到達していた艦娘は、最初期からいる第六駆逐隊をはじめ、出撃の多かった金剛型四姉妹、加賀、飛龍、足柄、木曾など沢山いたが、相手には暁を選んだ。
理由は簡単。俺の全てを、弱みを、何の抵抗も見せずに受け止めてくれたから。
* * *
半年前
その日はかなり冷え込んで、執務室では旧式のストーブがごうごうと音を立てていた。
「ねえ司令官」
「なんだい」
その週の秘書艦だった暁が声をかけてきた。暁は練度99、第二改装も済ませて“暁改二”として、前線でも後方支援でも、俺を補佐してくれていた。
「今ふと思ったんだけど、司令官ってまだ私達に名前を教えてくれてないわよね。着任の時も苗字だけしか名乗らなかったし」
どきりとした。遂に聞かれてしまった。いや、二年半も聞かれなかった方がおかしかったのだと思う。酸っぱい汁が胃から上がってくる。
「……それがどうした」
「あっ、素っ気ないわね。何か後ろめたいことでもあるの?」
ニヤニヤしながら聞いてくる暁。
「そんなんじゃない。ただ自分の名前が嫌いなだけだ」
「私でも教えられない?」
顔をズイっと寄せて聞いてくる。正視に耐えられず、顔を背ける。
「出来れば教えたくないな」
「なによ。暁は信用出来ないってこと?」
「そういう事じゃない。ただ……嫌な記憶と一緒に思い出されるもんだから」
嫌な記憶……それは俺を縛る鎖。俺を戒める罰。何度その悪夢を夢に見たであろうか。
目を閉じると鮮明に思い出される地獄のような光景。その時、頬に柔らかいものが触れた。
「私にもその記憶、共有させてもらえないかしら」
優しく頭を撫でてくる暁。まさかこの子に撫でられるだなんて思ってもみなかった。だが、不快感は全くなく、不思議と心が安らぐ。
「私は司令官と二年半一緒に過ごして、司令官に色んなことを話したわ。辛い時は助けてもらった。だから、今度は私が司令官を支えたいの」
真剣な、でも柔らかい暁の表情。溜息をつき、俺は折れることにした。
「俺は昔から自分の名前が大嫌いでな。ガキの頃はよく周りに笑われてよ。“なんだその編な名前”って、まぁ悲しかったけどこれはいい、それ以来必要がなければ言わなくて良かったから」
「大変だったのね」
「ああ、でもな、士官学校に入って変わったんだよ。一人の同期と仲良くなってな。女だったけど親しみやすくて、信頼できた。んでそいつにだけは名前を教えたんだ。そしたらそいつ、なんの抵抗もなく受け入れてくれてよ」
「素敵な女性だったのね」
あれ? 心なし声のトーンが下がった気がする。まぁ気のせいか。
「ああ、女なのに凄く強くてよ。白兵模擬戦はいつも引き分けだったな」
「司令官と互角だなんて、恐ろしい女性がいたものね」
紅茶を一杯口に含み、再度話す。
「士官学校を卒業したら一緒に崎矢さんの麾下に配属されてな、そこでの最初の任務として二人で数ヶ月、軍事交流として大陸に渡っていろんな国を見てまわったんだ」
「あっ! もしかして響のロシア語がわかったのは……」
「ああ、ロシアにも3か月ほどいたよ。言ってなかったっけ? まぁそれで任務を終えるまで大陸で過ごして……帰国する前にロシアの軍人と交流会があってな、海のそばの基地で大騒ぎしたんだけどよ。どうもロシア側のいたずらで俺の酒に……その……なんだ、媚薬が仕込まれてたらしくてな」
「!」
「その後俺とそいつだけ部屋に残されて……まぁあとはお察しの通りかな……」
暁は口を抑え、黙っている。
「これだけならまだいい、時間をかければまた昔のような関係に戻せたはずだから……。だがその翌日に、当時活動が収まっていた深海棲艦が、駐屯していた基地を……襲ってきたんだ」
「司令官……」
暁が、俺をつかむ腕の力を強める。
きっと今、俺の身体は震えているのだろう。声も思うように出てこない。
「それで……前日の事で頭が一杯だった俺は被弾して…………その俺を庇った彼奴は………………」
そこまで振り絞って、口が動かなくなる。ふと目を閉じるとはっきり見えるあの日の景色。
俺を守るように立つ彼奴と、敵の指揮官らしい碧眼の空母ヲ級……
数分、二人とも何も言わない。ただ震え続ける俺を暁が撫で続ける。さっきと同じ、何故だか安心できて、少しずつ震えは治まっていった。
沈黙を破ったのは暁だ。
「落ち着いた?」
「ああ、悪いな。こんな姿見せて」
「いいの、私こそごめんね。そんな辛いことなら聞かなければ良かった」
「いや、いいんだ。隠し事は嫌いだからな。今まで黙っていた俺が悪いんだ。それに、まだ話は終わってない」
「え?」
そう。まだ続きがある。
「友を傷つけた挙句喪って、取るもの手につかない状態でいた俺を、崎矢さんが激励してくれたんだ。“友を喪う事は辛いだろう。なら、同じ悲しみから人々を守れ”ってね。それ以来、俺は全能力を上げて深海棲艦と戦うことを決めたんだ……彼奴のためにも」
ふと目を開け、横を見ると暁が不審そうな顔でこちらを見ている。
「どうした?」
「……いい話に聞こえるけど、何でそんなに悲しそうな顔をするのよ」
「はは、顔に出てたか? まだ続くんだ。その後にマレーで大規模な海戦があったんだが、これはお前に話してあると思う。だいぶ昔の事だが覚えているか?」
頷く暁。この鎮守府に着任してすぐの頃、彼女に少佐になるまでの経緯を聞かれた時に伝えていた。
「実はこの海戦の直前に、俺は彼にも本名を教えたんだ」
「まさか……」
「彼は俺に言ったよ。“もう名前に負い目を感じる必要はない。疫病神なんて存在しない”ってね。全く、あの人はどこまでも人の信頼を得るのが上手い……」
また、腕が震えてくるのを感じる。
「彼は、かつての親友のように、笑って受け入れてくれた。でもその直後の戦闘で……彼は…………右足を失った」
「!!」
「知らなかっただろ? 彼が義足をしていること」
「ええ……負傷した事は知っていたけれど……」
またやって来た沈黙。今度はそれを俺が破った。
「これでわかったろ。彼らだけじゃない、大きな事から些細なことまで、俺の名を知った人は皆不幸な目にあっている」
「でも……」
「たまたまだ。最初はそう思ったさ。でも何度も、何度も続けば……迷信じみた事も信じたくなる」
* * *
山村准将にとって、その名は、まさに災厄。
それは彼が信じ、愛した人々を冥界に引きずり込む悪魔の名。永遠の契を交わした親友の命を引き裂いた呪いの響き。
この悪魔は、今も尚彼の心に生き続け、深刻な自己嫌悪を生んでいた。
“自身の名を知れば不幸になる”
その認識は彼をずっと苦しめ続け、それは現在も変わらない。
つまり……
「俺は……お前を失いたくないんだ…………」
「……」
「これまで幾度もの戦闘で、お前を危険に晒した。だが、お前はそれを乗り切り、強く、逞しく成長してくれた」
でも、彼女が名前を知ってしまったら……
「でも、そうしたら今度こそ……お前は沈んでしまうかもしれない」
「……」
山村はまだ気づいていない。
自身が“お前達”という複数ではなく、“お前”という一個人の死を恐れていることを。それを先に察知したのは暁で。軽く笑うと、山村を優しく抱きしめてこういった。
「じゃあ約束するわ」
「……」
「暁は必ず、貴方の下へ帰ってくる。絶対に沈みはしない。貴方の名が呪われていないことを、私が証明してあげる。だから……」
顔を離し、見つめ合う。
一方は、見えざる恐怖に怯えた目。もう一方はその怯えを包み込む優しさを持った目。それは、怖がる子供をあやす母親の目に、あるいは似ていたかもしれない。
「だから……教えて欲しいの。貴方の名前」
この時、山村と対照的に暁は気づいていた。自身が“司令官”という役職ではなく、“貴方”という一個人に対して話していることを。
「俺は……俺の名は………………」
「うん……」
彼は数秒躊躇った後、一息に言い切った。
「
暁は思った。確かに珍しい名前ではある。だが、この名前のどこが変なのか。彼が小さい頃彼をいじめた子たちは一体この名のどこに面白さを感じたのだろう。
彼の父は海軍の軍人だったという。その父が蒼く澄んだ雄大な海のような人物になるように願いを込めた事は容易に想像できる。
だから笑った。満面の笑みで。かつて彼を受け入れた二人と同じように。
「……素敵な名前じゃない」
「……」
「ソウミ……山村蒼海……うん! いい響きだわ!」
「……笑わないのか」
「どこに笑う所があったの?」
力を込めて言う。それに応じた俺が発せた言葉はただ一言。
「ありがとう……」
そこに込められた想いは様々。
ついに教えてしまったという後悔、受け入れてくれたという感謝、彼女の死に対する恐怖、生き残って欲しいという期待。
何よりも大きかったのは……
「暁……俺は………………」
これまで気づかなかった、否、気づいていない振りをしていた感情が一気に溢れ出す。
彼女が好きだ。
好きだ。たまらなく好きだ。
今ここで、想いのままに抱きしめたいほど好きだ。
それでも足りない、と欲張ってしまうほど好きだ。
でも、そんな気持ち、意気地なしの俺の口からはとても言えそうにない。
だから、代わりに渡した。強い信頼の証を……
「暁。これを受け取ってくれ」
「これは……」
「ケッコン指輪だ。以前から話はしていただろう?」
驚き、大きく目を見開く暁
「私より加賀さんとか金剛さんの方が……」
「俺はお前に受け取って欲しいんだ。俺は……お前が…………」
必死に捻り出そうとしたその先の言葉は発される事はなかった。
暁が、自身の口で山村の口を塞いだから……
「……!!」
「……」
ただもがく俺と離さない暁。たっぷり5秒ほど唇を重ねた時、執務室の戸を叩く音が聞こえた。
「提督。長門だ。南方の索敵情報が入ったぞ」
慌てて離れる暁。いたずらっぽく笑って言う。
「今のは指輪のお礼よ。レディーの最初なんだから、大切にしなさいよね! じゃあ暁は建造に立ち会ってくるわね!」
そういい残し、彼女は執務室を出た。
ちなみに、この日長門は、頬を真っ赤に染めて工廠へと走る暁と、呆けたように報告を聞き流す提督を見て、ついに提督が艦娘にセクハラでもしたのかと、真剣に悩んだと言う……
* * *
ケッコンして半年がたった現在。彼女は約束を守ってくれた。今も変わらず、妻カッコカリとして、俺のそばにいてくれている。
だが……
俺は一年半たった今でも、あの時伝え損ねた思いを伝えられていない。あと一歩踏み出せば得られるであろう幸せは、途方もなく遠くにあって。
ここで自問してみる。
“山村、お前は今の関係に不満なのか?”
答えはNO。当然だ。
今の関係に不満はない。あるはずなんてない。
彼女は俺を信頼してくれている。俺の名前も、トラウマも受け止めてくれた。
彼女からは信頼されている。それは理性も感情も認めている。だから俺は彼女に絶対的な信頼と好意を抱いている。
でも俺は……俺は……
山村司令官が指輪を渡した時点での錬度キャップ到達者は結構いました。
それは、山村提督ができる限り多くの艦娘に経験を積ませようと努力した結果です。
リスト↓
暁改二、Верный、雷改、電改、阿武隈改二、木曾改二、加賀改、飛龍改二、瑞鶴改二甲、金剛型四姉妹改二、隼鷹改二、足柄改二
全16名、キャップ到達順
多っ!って思うかもですが、山村提督はレベリングに熱心で、着任後一年半と考えたら少ないくらいかなあと。尚、さらに一年半が経過した現時点ではもっと増えた模様。(適当)
この豪華な顔ぶれの中から選ばれた暁はさぞ動転したことでしょう。