声が出ねぇ···w
それは、ほんの些細なきっかけだった。
あの時、あの場所を訪れなければ。
あの時、あの人に会わなければ。
あの時、全てを知ってしまわなければ。
こんな思いを、せずに済んだのだろうか――
△▼△▼
「······」
此処は、とある貧民街。···衛生環境がとても悪く、普通の人なら居るに耐えないゴミや人間の"死体"の悪臭が立ち込める場所。
訪れる理由なんてなかった筈なのに、何故かフラフラと引き寄せられるように、入ってしまった。
ニタニタといやらしい笑みを浮かべて、私を含め歩き回っている者達を手招きする、老人。
絶望し、渇きって窪んだ虚ろな瞳で通行人を見つめるストリートチルドレン。
反吐が出そうだ。
別に、彼らへの嫌悪感からではない。
かつての自分の立場を思い出してしまい、胸焼けがするというだけ。
失礼過ぎる、どうしようもないもの。
私は彼らを見ることを止め、足早にその場を去る。
そして、この場から逃げ出したい衝動を堪え、一歩一歩確実に道を歩んでいく。
荒んだ景色、澱む空気。
全てが懐かしく、また恐ろしい程憎しみ掻き立てる。
ここに来たのは、間違いだったのだろうか?
だが、入ってしまい、そして――
「···藍ちゃん······!?」
知人に会ってしまった今、その疑問は愚問と化した。
△▼△▼
「···爺···!」
それは、自分と兄貴が、とても良くお世話になった老人だった。
「おお······!やはり藍ちゃんじゃな!こんなに大きくなって······」
「···爺は、老けたわね。」
「なにおう、お前さんだって歳をとっただろうに。」
「私はまだまだ若者よ。」
「儂とて心は永遠の18歳じゃ。」
「ふふっ、何それ。」
懐かしさと親近感がこみ上げてきて、思わずその老人に抱きついた。
笑いが零れる。
私達は暫くお互いに軽口を叩きあっていた。
が、急に爺は口調を真剣なものへと変えた。そして、私に問う。
「榮ちゃんから、何か聞いているのかい?···親御さんの事について。」
「···あんなクソな親の話なんざ、聞きたくねェよ。」
「やっぱり···榮ちゃんは一人で墓場まで持ってくつもりなんだねぇ···」
「爺···」
「藍ちゃん、お前さん、両親が自分たちのこと見捨ててココに置いていったって、思ってるだろう?···本当は、それ、間違えなんだよ···」
「···どういうこと···」
「···私ゃ、まだあそこで裏稼業して暮らしてたときに、お前さんたちの両親と知り合ってねぇ···。ビンボーなのに、幸せそうでな、いっつも笑ってた···。やがて榮ちゃんが産まれて、藍ちゃんも産まれた。スラム街なのに、あの人たちの家だけいつも笑い声が聞こえてたよ···それが私に、眩しくてねぇ、よく話してたもンだよ···
だけれど、藍ちゃんが4、5歳くらいになったぐらいかね···街のヤクザ同士で凄い抗争が勃発しちまって、その影響でスラムの人たちはどんどん亡くなってしまった。お前さんらの両親、夜兎なもんだから、たびたび抗争に駆り出されてたんだ···二人共、そん時からよう笑わんくなってしまって···。『他人を殺すなんて厭だけど、子供ら死なせる訳にゃいかんから』って···。
それで、ある日、とうとう仕事辞めるって言って、ヤクザ抜けたんよ、無断で。当然、大事な戦力失いたくねぇヤクザとしては、何としてでも二人を連れ戻さなくちゃいけねぇ。そこで、強硬手段に出たんだ。」
「·········」
「···ヤクザは、二人たちの住所つき止めて、親が留守の間に、お前さんらさらおうとしたんだよ。」
「·········!!でも、そんな事、憶えてない···」
「······ヤクザも、子供とはいえ、夜兎二人さらおうなんざ馬鹿なこと考えたモンさ。
家に押し入ったは良かった。けれど、本能で危険を感じた榮ちゃんが、全員返り討ちにしちまった。私が、驚いて来てみた時には、もうヤクザ全員死んでたよ。
···そんとき、両親が帰ってきてね。状況を見て、顔を引きつらせてたよ。特に母親はね···。
血塗れの榮ちゃんを見て、お母さんの口から出たのが、···『榮蘭はどこ?』だった。ちゃんと、榮ちゃんを見て、そう言ってた。···血塗れの榮ちゃんを見て、狂ってしまったんだよ、きっと···。子供のために、人殺しをやめたのに、その子供が人を殺した、その現実が受け入れられなかったんだろうな。それで、榮ちゃんのこと···殺そうとしたんだ。」
「······嘘!!」
「ほんとだよ。何せ、一部始終見ていたからね···。
母親に否定されて、殺されそうになった榮ちゃんは、必死で抵抗してたんだ。そのとき、勢い余って、お母さんのことも······手にかけてしまって···」
そこで、ぐすりと鼻をすする爺。
「そこで悲劇は止まらなかった。お母さんを殺した榮ちゃんは、自分のしたことが受け入れられなくて、正気を失いかけてた。そうしたら、······お父さんが······榮ちゃんを殴ったんだ。何度も、強く、強く···『俺の女に何てことしたんだクソガキが』って叫びながらね···。
そう、お父さんは、本当は、藍ちゃんたちの事なんか、これっぽっちも愛してなかった。愛していたのは、自分の妻だけ。だから、自分の息子を平気で殺そうとした···。それで、完全に発狂してしまった榮ちゃんは、今度はお父さんすら殺めようとしたんだ···。でも、大人の男の夜兎に勝てる訳なくて···お父さんにその、細い細い首を絞められて、今にも死んじまいそうになった時だよ······。」
「······じい·········?」
「······藍ちゃん、お前さんがな······落ちていた···包丁で·········お父さん······刺し···て························」
泣きながら、爺は言葉を繋いだ。
「······榮ちゃん護ろうとしたんだ···それでその直後、藍ちゃんは気絶してしまって···。そのとき、儂は酷く後悔した···!!何故、藍ちゃんだけでもせめて、止めなんだか···!!!」
「·········」
「正気に戻った榮ちゃんに、儂は声もかけられんかった···。
そうしたら、榮ちゃんは、静かに藍ちゃんのこと見て···ぎゅっと強く抱き締めたんじゃ。
そして、その後、スラムを藍ちゃん連れて出て行ってな···。わしが探し出した時には、別のスラム街で、お前さんと一緒にヤクザのパシリをしとった······。
榮ちゃん言っとった···『大好きだった筈の両親に殺されそうになって、もう自分は本当に幸せだったんか判らなくなった···。母親殺すことが出来たのも、多分そのせいだ···。だから、今度は、藍華と一緒に幸せになってやるって決めたんだよ、じい。本当の家族は、最初から藍華しか居なかったから···。俺のために、親を殺させてしまった、その事を伝えたくない。それに、両親の事を憎む気持ちが捨てられない。だから、本当の事を言えない。だから、藍華だけには、俺みたいになって欲しくないんだ。今度は、俺が、藍華を護んないといけないんだ···』って···。
そこから先は、藍ちゃんが知っとる通りだよ···全部···」
爺の、長い長い、本当の話が、終わった。
お兄ちゃん欲しい(確信)