あれから、どうやって彼処を出たのか、さっぱり記憶が無い。
気が付けば、私の前から爺は居なくなっており、代わりに旦那がいた。
「おい、お前さん···顔色悪いぞ?何かあったのか?」
「······」
旦那が心配そうに私の顔を覗き込む。
心配かけて申し訳ないな、と心の何処かで思う。
大丈夫。そう言おうとする。
だが···
「······なさい·········」
「は?」
「······ごめん、なさい·········」
口から出たのは、謝罪の言葉だった。
「···」
旦那は、黙って頭を撫でてくれた。
あったかいな、などと考えていると、今まで張り詰めていた糸がぷっつりと切れた。視界が揺らぐ。
「っ!?······い·········じょ·········か············」
【おい、大丈夫か!?】
そう叫ぶ旦那の声を最後に、私の意識は途切れた。
△▼△▼
「···ん······?」
「お、目が覚めたか?」
「···旦那?···私、一体何が···」
身体が怠く、頭がとてもぼんやりとした。
まだ焦点が合ってない目は、朧気な旦那の姿と、自分が寝っ転がっている様子を捉えた。
どうやら、私は気絶していた様だ。
「そりゃこっちが聞きてェ話だ。···お前、帰ってくるなり顔色はめちゃくちゃわりーわ、謝るわ、気絶するわで···一体何があった?」
「···」
わからない。いや、わかりたくなかった。
何か、とてつもなく恐ろしい真実を知ってしまった気がするのだ。
それこそ、常識を覆す様な――
「···わかんねェって面しやがって···此方の方がわからねェよ。···そういや、お前さん妙な写真握りしめてたな。一応写真立てに入れておいたが······」
「···それ、見せて。」
写真、と聞いて心臓がドキッと激しく揺れる。
「はいよ。」
旦那から渡された写真立てを見る。
幸せそうに笑う、家族の写真。
濃紺の髪に、金色の目をした、あどけない少女が笑う写真――
「······!ぅえ"ぇぇぇ!!!!」
「!?おい、しっかりしろ!?」
堪らず吐く。
後から後からどんどんこみ上げてくるものを、ひたすら吐く。
旦那が用意してくれた袋に、吐く。
忽ち袋はいっぱいになっていく。
「っ!!!」
「···」
旦那は、黙って私の背中をさする。
その手つきは、優しかった。
△▼△▼
一頻り戻した後。旦那が再び私に問う。
「···で、もう一回聞くが······お前さん、何があった?」
「···たの。」
「は?」
「知ったの。本当の"私"を······」
「···本当の、"お前"を···?」
旦那が首を傾げる。
当たり前だ。
本人である私さえ、まだ心の整理がついていない。
「······ねえ」
「ん?」
「捕まっている時、旦那に私の過去、全部話したじゃん?」
「ああ。」
「あれね、訂正があるの。」
「訂正?何か違ってたのか?」
「うん。うん?うーん···間違ってたっちゃ、間違ってたんだけど、これはほぼ追加に近いかも。」
「追加、ねェ···」
困惑気味の旦那を他所に、私は話を続ける。
「···。旦那には全て話すって約束してるもんね。話すわ。···当たり前だけど、誰にも言わないで。」
「···わかってるさ。」
△▼△▼
彼女が俺に語った話は、晴天の霹靂の様だった。
両親を殺したのは彼女とその兄で、彼女が父親を手にかけてしまった間接的な要因は、兄が母親を殺してしまい、それに怒り狂った父親に首を絞められて殺されそうになった姿を見たせいだったという事。
その兄は、彼女を守る為とそのことを一切教えていなかった事。
蒼白な顔色で、それを語りきった彼女は、今や食い入るように写真を見つめている。
「···そうか。お前さん、色々と大変だな。」
「···」
返事は返ってこない。
気になって、写真を覗き込むと、彼女は聞いてもいないのに、勝手に喋り出した。
「これさ···私の子供の頃の写真なのよ。」
「···へえ。随分と小さいな。」
「多分···まだ四歳か五歳の時の写真。これが私。···隣に写ってるのが、お兄ちゃん。背後が、お父さん。斜め後ろが、お母さん。」
順番に指さされていくのを目で辿る。
まだまだ幼い彼女が、無邪気に笑っていた。
濃紺の髪を結え、金色の瞳をこちらに向けながら。
彼女の兄(以下榮蘭)は、やんちゃそうに笑っていた。
濃紺の髪に、琥珀色の瞳が映える。
彼女の父(以下藍父)は、穏やかに笑っていた。
灰色に近い銀髪が長く、琥珀色の瞳が鋭い。
彼女の母(以下藍母)は、溢れんばかりに笑っていた。
深海を思わせる真っ青な髪と、夫よりはやや薄く、細い金色の瞳を向けて。
「···幸せそうだな。」
「···そう見える?旦那には。」
「···まあな。お前さんは違うのか?」
「···見えるよ。見えるけど···凄く」
「···悲しい?」
「···うん。···でもね、この頃の私が二度と戻ってこない事が悲しい訳じゃないの。」
「?」
やや含みのある言い方をする彼女。
「この写真を見ても······声一つ、顔一つ、思い出せない事が悲しいの。一片たりとも、記憶が無いのが······悲しいの。」
はあ、と溜息をついて写真立てを置く彼女。
解かれた濃紺の髪が、写真の中の女性とそっくりだった。
「···お兄ちゃんは、辛かったんだと思う。」
「ああ。」
「お母さんに否定されて···お母さん殺しちゃって···それでお父さんに殺されそうになって···そのお父さんを全く関係の無い私に殺させちゃって···きっと、凄い責任感と罪悪感があったんだと思う。」
「···」
唐突に、彼女の兄の話になる。
独り言のように、自分に言い聞かせるように。
「···昔のお兄ちゃんはね、何時も私の傍に居てくれた。何時も、優しくて、笑顔で、私の事気にかけてくれてた。私も、そんなにお兄ちゃんに甘えてた。けど、今思えば···その時の幼心でもさ、お兄ちゃんが何か酷い負い目を抱えている事は、なんとなく分かってたの。」
「···」
「一度だけ···両親の事を聞いた時、お兄ちゃんの顔から笑顔が消えたの。物凄く真剣な、怖い顔をして、"ギャンブルで借金作った挙句俺らを売ろうとして怖気ついて俺と藍華を此処に捨てた"って吐き捨てるように言った······昔は、そのことに怒ってたんだなって、素直に信じて疑わなかった···」
「···」
昔を懐かしむように、また知らされた真実を受け止めるように、目を細めた。
「でも今···お兄ちゃんが隠していた事全てを知ってしまった今、私、お兄ちゃんに凄く愛されてたんだなぁって思う。···私の為に、大芝居をうって、戯けた道化師を振舞っていてくれたんだもの。」
「···そうだな。」
ふと写真の中の少年が目に映る。
僅か···本当に僅かに動いた気がした。
開いている瞳が、此方を、彼女を見つめた気がした。
「···今私は笑えている。何の負い目を抱える事も、感じることもなく。だから、今度はお兄ちゃんに、笑って欲しい。」
そう言って、写真を写真立てから抜き取る彼女。
「···お前さん、それをどうするつもりだ?」
「···。送るの。お兄ちゃんに。」
「···おいおい。憎んでる父親と母親が写ってるもん送るなんて新手の嫌がらせか?」
「···旦那、酷い事言わないでよ···。違うわ。これは、私からお兄ちゃんへのメッセージ。」
「メッセージ?」
「···ええ。もう、お父さんとお母さんの事、気負わないで欲しいの。」
「···なら、その写真は···」
「···何時までも、憎しみを抱え続けないで欲しいの。笑顔で、皆笑顔でいる写真だから···。お兄ちゃんも、私も、家族全員、幸せな頃の思い出だから。」
「······」
彼女が笑う。
満面の笑顔で。
写真に映る幼い彼女と、瓜二つの笑顔で。
「···」
「···」
遠くで、ドタバタと走る音が聞こえる。
「···帰ってきたのね。」
「···みたいだな。」
彼女が苦笑しながら、写真を写真立てに戻す。
「···ただいまー!って、何してんの?」
「何でもないわ。」
「···ほんと?」
「何もねェよ。」
「···うーん。···ってあれ?この写真何?」
「···これはね――」
――ありがとう、お兄ちゃん――
( இωஇ )ウワーン
書いてて泣けてくる···