どこだここ。そして第一幼女発見。
──夢。
夢を見ていた。
真っ黒な視界が広がっている。
何も無い……いや、何も見えない暗闇の中にふわふわと漂っていた。
上下左右の感覚もあやふやで、自分が今どっちを見ているのかも解らない。
水底にたゆたう水草のように、ただ、揺れている。
──あれ、なんで俺ここに居るんだっけ?
その疑問が胸を掠めた瞬間、身体がガクンと沈み込むような感覚に襲われた。
何も見えない暗闇の中で、ひたすら墜ちていく。
よく解らない感覚に心が悲鳴を上げようかとした瞬間、
「げふっ!?」
地面に叩き付けられた。
チカチカと瞼の裏を回る火花を散らして目を開くと、まず黒い空が視界に映った。
多分夜なんだろう、都会ではなかなか見る事の出来ない天の川や昴なんかがハッキリと輝いている。
視界の中央には上弦の月が浮かんでおり、一枚絵のような優美さが感じられた。
「……いってぇ」
だが俺にそれを楽しむ余裕は無かった。
強く背中を打ち付けたせいで肺の空気が抜けて呼吸が若干苦しい。
地面が土だったお陰で骨折はしてないみたいだが、背中と尻がジンジンと痛い。
それでもムリヤリ身体を起こし、首を巡らせる。
「……は?」
目の前に広がる光景を処理出来ず、俺は呆然とするばかりだった。
鬱蒼とした森。
明らかに未開拓の山の中、といった雰囲気を纏った木々や茂みが周囲を覆っている。
いやいやいや、どこだよここ。ってかなんなんだよこれ。
そんな風にパニックを起こし掛ける感情をムリヤリ封じ込めて、俺はひとまず左ポケットに手を突っ込んだ。
カサ、と包み紙が音を立てる。
一つ取り出して中身を開け、口に放り込んだ。
中身は特別な存在の孫に与える飴玉だ。
舌に広がる甘い味が、逸りがちだった精神を落ち着かせてくれる。
「やっぱ甘いもんは精神にいいな」
言いながら状況をパニックにならない程度に整理していく。
まず、自分の事。
俺の名前は望月契、読み方は『もちづき、けい』だ。
なかなかナウイ名前だろ。
中肉中背、顔は二枚目半、眼鏡着用でフレームは楕円形で黒だ。
髪は普通より短めの黒、運動能力も普通より僅かに上、学力も平均より少し上。
どこからどう見ても普通の高校生だ。
学ランのポケットに大量のお菓子が入ってる以外に変わった所は無いな。
今日はコンビニで飴玉を買い足して学校へ向かっていたんだが、途中でふらふらと走るタクシーが突っ込んで来て……ってオイ。
「あれ、ひょっとして俺死んでね?」
よくよく思い返せばタクシーに跳ねられてすぐ、あの訳解らん空間にいた気がする。
でも俺が跳ねられたのは街中の交差点。
コンビニの窓ガラスを突き破って倒れてたならまだしも、いきなり森の中とかどんな吹っ飛び方したんだよ。
ってか、時間もおかしい。
跳ねられたのはまだ午前中、気絶してたにしても起きたら夜って事はそうそう無いだろう。
それに昨日コンビニ行きがてら見た月は満月だったハズ。
それが今見上げれば上弦とはどんなイリュージョンだよ。
と、思考世界に意識を向けていた俺の背後でガサガサと葉が擦れる音がした。
咄嗟に身構えて振り返る。
──なんだ、蛇か鹿か……最悪熊か?
音の間隔や響き方、音量からそれなりの質量を持った物が動いている。
流石に熊ならポケットの飴玉をバラまきつつゆっくり逃げるしか無いか。
身構える俺の眼前、葉を鳴らして出て来たのはその何れでも無く、金髪の幼女だった。
「──は?」
口から間抜けな声が漏れる。
どんな獣が出て来るかとヒヤヒヤしていたが、現れたのは可愛らしい幼女だ。
肩口の辺りまで伸びた金髪に赤いリボンを巻いて、白い長袖シャツの上に黒いブラウスを着て同じく黒いスカートを履いている。
瞳は珍しい事に赤かった。
やべぇ、外人じゃん!
英語の平均点が四十前後な俺が、外人とまともに会話出来ようハズも無い。
どうしたもんかと頭を悩ませていると、幼女は俺に笑いかけて楽しげに言い放った。
「あなたは、食べてもいい人類?」
「は?」
意味が解らない。
いや、口から出た言葉が日本語だった事にまずは安堵するべきか。
という事はこの子はハーフ或いはクオーター、それか先祖返りだ。
まぁ扱いは日本人でいいだろう。
なら食べてもいい人類って何だ。
食べてはいけない人類と食べてもいい人類の二種類が存在するのか?
いや待て、そんな哲学的思考はこの際置いておこう。
あの発言の真意を探るべきだ。
──ひょっとしてアレはギャグのつもりだったのか?
一番あり得そうだ。
いつもの森の中、いつものルートに見知らぬ男。
この子は俺を危険人物とは見なさず、コミュニケーションを取ろうとして何か言おうとしたに違いない。
そこで場の雰囲気を和ませようと、慣れないギャグを放った……うん、あり得そうじゃないか。
そう考えてみれば、途端にこの子が愛らしく見えてくる。
いい子じゃないか。
ギャグにノってあげられなかった罪滅ぼしとして、飴玉をプレゼントしよう。
「俺は食べてはいけない人類だが、気さくに話し掛けてくれたお礼に飴玉をあげよう」
そう言ってポケットからキャラメル味の飴玉を取り出し、幼女の手に握らせる。
「わ、ありがと」
「なに、気にしなくていいさ」
ちゃんとお礼も言えるとは感心感心。
頭をぐりぐり撫でてやると、くすぐったそうに首を竦めた。
包み紙の開け方が解らないらしく、可愛らしく首を傾げる幼女。
代わりに包み紙を破って飴玉を摘み、幼女の口に入れてやった。
少し指をちぅちぅと吸われた。
可愛いなこの幼女。
「おいひぃ♪」
「あ、ゴミは俺が後で捨てておこう」
「ありあとー♪」
舌っ足らずに喋ると更に幼く感じるな。
無邪気で可愛らしい。
しかし、どうするかな。
この子の服装を見る限り、集落はそう遠くは無いだろうが多少の疑問が残る。
──こんな鬱蒼とした森の中で寝られそうな場所はあるのか?
都会育ちの俺は人間というものを良くも悪くも知っている。
こんな夜中に突然現れた男を易々と泊めてくれるようなお人好しは、そう居ない。
最悪野宿、ブービーはこの子の家に厄介になる事だ。
だがこんな夜中にこんな幼女を出歩かせるような両親だ、余り期待は出来ないだろう。
どうしたもんか。
堂々巡りに陥り掛けた所で、幼女が此方を見上げているのに気付いた。
「ん、どうした?」
「ごちそうさまでした」
ぺこっと頭を下げる幼女。
素晴らしい躾だ。
ひょっとしたら親御さんはなかなかに人格者なのかもしれない。
もしかしたら屋根のある場所で寝られるかも、そんな希望が湧いてくる。
ものは試し、とばかりに俺は幼女に話し掛けた。
「俺は契。君の名前は?」
「わたしはルーミアだよ」
「そうか、可愛い名前だな。ルーミア、近くに家があるのか?」
「家? うーん……そういえば向こうに誰も住んでない小屋があったよ」
名前を褒められたのが照れくさいのか、頬を赤くしながら左の林を指す。
誰も住んでない小屋、か。
山奥によくある登山者や猟師が休む小屋の類か?
まぁ贅沢は言わないが。
「有り難う、ルーミア。そうだ、せっかくだし案内してくれないか?」
「ん、いいよ。ケイは飴玉くれるいい人類だから、特別」
「なるほど。じゃ、もう一つサービスだ」
「わ、ありがと♪」
ポケットからサイダー味のを取り出し、ルーミアに渡す。
素直でいい子だが、飴玉くれるからいい人認定とは少し心配になるな。
ロリコンに狙われるぞ?
「ルーミアの家は近いのか?」
「ううん、わたしは家に住んでないよ」
「何?」
住んでない?
まさかこの年でホームレスか。
言われてみれば服も裾の辺りが解れていたり、シワが寄っていたりしている。
きっと満足に飯も食べられないのだろう、だからあんなにユニークなギャグを思い付いたんだな。
不憫に思いながら笹薮を掻き分けて行くと、草臥れた丸太小屋が現れた。
年季の入ったログハウスと思えない事も無い。
「じゃあ、わたしはここまで」
ふわりとスカートの裾を浮かせて、両手を横に広げたポーズのままくるりと向き直る。
なんとなく、このまま別れるのが寂しくなって俺は口を開いた。
「なぁ、ルーミア」
「んぅ?」
「家が無いならどこで寝てるんだ?」
「木の上とかかな」
「……良かったら一緒に小屋で寝るか? 外で寝るより暖かいと思うぞ」
「んー……えっちな事しない?」
「ぶっ!? しねぇよ!」
「じゃあ、お邪魔します♪」
そう言ってテチテチと入口の階段を登っていくルーミア。
からかわれたな、小さくてもやっぱ女の子か。
頬をポリポリ掻きながら後に続く。
中は案外綺麗だった。
多少埃が被っている以外はキチンと整頓されていて、暖を取る為の薪や寝床の毛布や敷布も揃っていた。
早速囲炉裏に火を付けると、室内が一気に暖かくなる。
箒を片手にサッと埃を外に棄てれば一気に快適な空間の出来上がりだ。
他にも何かないかと部屋を漁ってみれば、肉や魚の乾物が幾つか保存してあった。
有り難く頂戴して早速火で炙る。
いい匂いが辺りに漂い始め、ルーミアのお腹が盛大に鳴り響いた。
「ははは、随分と腹の虫が暴れてるな」
「むぅ、聞き流してよっ」
「悪い悪い、ほら、焼けたぞ。火傷しないようにな」
鯵の干物をルーミアに渡す。
かぶりついてはふはふ言いながら、満面の笑みを浮かべた。
「おいひぃよ、へい」
「食いながら喋るんじゃない、せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」
「はむぅ」
顔を真っ赤にして照れるルーミア。
余り容姿を褒められ慣れていないようだ。
まぁほっぺを膨らませてもぐもぐしてる所も可愛いんだがな。
俺も干物にかぶりつくと、磯の香りが口腔内にぷぅんと広がり塩っ辛いくらいの濃厚な味が染み出てくる。
うめぇ。
ちょーうめぇ。
白米が欲しくなるな、と贅沢な悩みを抱えながら二人で楽しく食事を終えた。
取り敢えず腹も膨れた事だし、さっさと布団を引いて寝る事にする。
寝るなら囲炉裏に近い方がいいだろうと俺は少し離れた所に敷いたのだが、何故かルーミアは俺のすぐ右に布団を寄せてきた。
「いやいや、せっかく囲炉裏の側を空けたんだからそっちに布団を敷いたらいいんじゃないか?」
「ケイの方があったかいよ。ほらほら、密着ー♪」
布団からはみ出して俺の毛布の中へ潜り込んでくるルーミア。
それだとお前の布団を敷いた意味が無いだろ、オイ。
まぁ本人は満足そうだからいいか。
俺は「何故ここにいるのか」とか「ここはどこなのか」といった疑問から目を逸らし、早々に寝る事にした。
考えてもどうにかなるものじゃないしな。
「じゃ、お休み」
「おやすみ、ケイ」
こうして俺の新しい……かどうかは解らないが、幼女との同棲生活一日目が終了した。