大将さんと萃香ちゃんの謝罪を受け入れ、罰の内容は保留にしておくという事で今回の騒動は一旦の決着を見せた。
まだ幽香さんとの「御話」が残ってるから完全決着では無いけどね。
というか一番キツいのが御話なんだけど、そこはまぁ、自業自得って奴だ。
萃香ちゃんはずっと半泣きだったし、勇義さんは頬をポリポリ掻いて気まずそうにしてたし。
大将さんは最後まで申し訳無さそうにしていた。
割腹すら厭わない雰囲気が有って、逆に僕の方が全面的に悪いんじゃないかって思えた程だ。
何とか大将さんと萃香ちゃんを宥め賺し、当初の目的である眼鏡修理を果たす為に出発した。
そんなこんなで鬼の集落を抜けて四時間。
清流の畔に河童の集落はあった。
そして出会った第一村人は……なんというか普通の人にしか見えなかった。
いやね、普通河童って聞いたら頭に皿が載ってて甲羅背負ってて全身の皮膚が緑色で嘴が有ってガリガリに痩せ細ってて……まぁ、そんな感じの外見な筈だ。
所が、出会った河童は青いツナギみたいな服を着て背中にリュックサックを背負ったどこからどう見ても普通の少女だった。
河城あとりと名乗った少女はスパナ片手に工房へ案内してくれた。
「うひゃー、凄いなこれ。あのデカいのは発電機で、横の小さいのは電圧計かな?」
「おぉっ、これを一目見て解る人間は初めてだよ」
青い髪をポニーテールに纏めたあとりが嬉しそうに目を細める。
見た目は少女なのにちょっとした仕草が大人びていて可愛い。
今も浅く胸を抱きながら左手で横髪を弄っている。
──無駄に色っぽいなぁ。
汗でぴっちりと肌に張り付いた服が身体のラインを浮き立たせ、更に抱いた腕に押されて胸がむにゅっと変形している。
全体的にスレンダーなのに胸はDカップ程のボリューム。
目はくりくりっと大きく、右の目尻には小さな泣き黒子。
もう少し身長が高ければ演歌の世界でアイドルになれそうだ。
「それじゃ、修理宜しくね」
「任されたっ」
スパナを腰のベルトにすちゃっと装着し割れた眼鏡を受け取り、早速作業室へと向かうあとり。
ふりふりと揺れる小尻を見送って、僕は「開発のーと」と書かれたノートを片手にごちゃごちゃした机に向かった。
修理の対価として何かやれる事は無いかと聞いたら、新しい発明のアイデアでも出しといて、と言われたのだ。
まぁボツになるのを前提に色々考えてみようか。
「家電品は有ったら楽でいいよなぁ。なら冷蔵庫と電子レンジ、洗濯機に掃除機と電気ストーブや電気コンロ、それと扇風機……あれ、これガチ過ぎる気が」
解る範囲をしっかり図解入りで描き込んでいた事に気付き、中途半端な記憶喪失も有ったもんだと苦笑い。
とはいえ余り真面目過ぎてもつまらない。
後ろの方にこっそりロマン的なものを書いて置いた。
光学迷彩スーツとか。
「ほほぅ、なかなか楽しそうなの書いてるじゃない」
「うひゃぁい!?」
突然耳元で囁かれ、序でに熱い吐息を首筋に貰った。
驚きで飛び上がりつつ振り返ると、あとりがニヤニヤしながら立っていた。
「脅かさないでよ」
「あははぁ、ゴメンゴメン。ほら、眼鏡直ったよ」
「え、もう出来たの?」
「四半刻も有れば簡単だよ。序でに持ち運びに便利な箱も作っといたよ」
ほら、と放って寄越した藍色の眼鏡ケースを受け取る。
仕事が早いなと感心していたら、工房の扉を開けて渋い顔の男が現れた。
「河城の、お前さんの所に客人来てたろ……あぁ、客人。あんたを尋ねて若い姉ちゃんが来たぞ」
「僕に?」
「若い姉ちゃん? あぁ、幽香だね。契がよっぽど心配と見えるよ」
「茶屋で待ってるそうだから早い所行ってやれよ。おい、河城の。爆発騒ぎで山の天狗から苦情が着てるぞ」
それだけ言って、男は工房を後にした。
あとりはげっ、と苦々しく顔を歪めるけどすぐに気を取り直して開発のーと片手に図面ずめん~、と散らかった机を漁り始めた。
その横で、僕は諦めともつかない溜息を吐き出した。
──来ちゃったかぁ。
むしろ遅いくらいだ。
幽香さんの……いや、僕達の家から河童の集落までは歩いてだいたい三時間程。
眼鏡修理に時間が掛かったとして、夕方には家に帰り着ける距離だ。
帰りが夜になるくらいなら一旦預け翌日受け取ればいい、そんな話を出掛けに幽香さんと交わした程だ。
それが昨日の家に帰らず、朝一で戻る訳でも無い。
不審に思った幽香さんがここまで出向くのも別段おかしい話じゃない。
気付けば握っていた掌に、じんわりと汗を掻いていた。
ズボンの裾で汗を拭き軽く目を瞑る。
言い訳はすまいと決めていた。
「ちょっと行ってくるよ」
「ん、いってらし~」
お気楽な声に苦笑を漏らし、少し足を強ばらせながらも前に進んだ。
あとりの工房は村の東端。
入口である南端にはこじんまりとした茶屋と鉄器屋がある。
河童の作る鉄器は丈夫で質が良いと、他の妖怪達にも人気だ。
人里よりも均され舗装された道路をてくてく歩いて行けば、茶屋の長椅子で揺れる緑の髪が目に映った。
幽香さんだ。
のんびりと緑茶を啜り団子を口に運ぶ。
どことなく品の有る佇まいに見惚れている自分に気付き、たった一日会わなかっただけでこんなにも惹かれるのかと、改めてその美しさに驚いた。
同時に、胸の奥が軋む。
あんなに素敵な女性を裏切ってしまったのか、と。
近付く気配に視線を湯飲みから上げ、綺麗な紅の双眸が僕を見つめた。
途端に、花が咲いた様な笑みを零す。
「遅いわよ、ケイ。心配したんだから」
「……お待たせしました、幽香さん」
「店員さん、お茶と団子を二つ追加ね」
ツインテールの少女が髪の毛をぴょこんと揺らして奥に引っ込んだ。
すぐに緑茶と団子が運ばれて来る。
幽香さんは空になった湯飲みを店員さんに渡して、新しく来た湯飲みに手を伸ばす。
上品且つ優雅に、緑茶を嚥下する。
北宋の様に白い喉がこくりと動き、ほぅと艶のある吐息が鼓膜を揺らした。
「どうかした、ケイ?」
紅い瞳が僕を覗き込んでいた。
どうやらじっと見ていたらしい。
何でもない、と曖昧に笑って誤魔化し団子を口に放り込んだ。
蓬の香りとほんのり広がる甘味が爽やかな気分を演出してくれるが、それでも僕の心は曇ったままだった。
暫く、互いに無言のまま団子を食べる。
とっくに覚悟は決めた筈なのに、まだ僕は怖じ気付いていた。
口の中はカラカラに渇いているのに、掌は拭っても拭っても汗が滲み出してくる。
こんなにも恐怖しているのは、きっと幽香さんに嫌われたくないからだろう。
裏切って置いて随分と勝手な事を、と自嘲が生まれる。
それでも求めてしまう辺り、僕という存在はよっぽど欲深い生き物なのだろう。
「ケイ、行くわよ」
「えっ?」
「あとりの所へ顔を見せに行かないと後で面倒になりそうだもの」
いつの間にか食べ終えていた団子の串を皿に置き、すっと立ち上がる幽香さん。
代金を払い日傘片手に歩く後ろを、少し混乱したまま追い掛ける。
のんびりと工房へ足を進めるも、やはり会話は無い。
罪悪感からか妙な気後れをする僕と、考えの読み取れない笑みを浮かべる幽香さん。
工房の扉を開けると図面と格闘中のあとりが目に映る。
片手を上げて「ちょっと倉庫借りるわよ」と声を掛けると、気の入らない返事で応えるあとり。
そのまま倉庫へ向かう幽香さんの後ろを着いて行く。
倉庫自体はかなり大きいのだが、発明品や素材、配線の類が所狭しと溢れ返っている為若干の息苦しさを感じる。
部屋の中央まで行き、幽香さんはくるりと振り返った。
「それじゃあ、聞かせて貰おうかしら。ケイがそこまで影を背負っている理由を」
そう言って微笑む幽香さん。
だが口の端は笑みを形作っていても、目は冷静に僕を捉えていた。
そこに浮かぶのは疑問と心配の色。
また、胸の奥がチクリと痛んだ。
──下らない自己愛と感傷だな。
痛みに甘える訳にはいかない。
すぅ、と息を吸い込むと油の臭いが鼻に付いた。
「……まずは、幽香さんに謝らないとダメですね。心配させちゃってゴメンなさい」
「待ってる間、とても不安だったわ。ケイに何か悪い事が起きたんじゃないかって。ここにケイが来てると聞いてほっとしたけれどね」
「幽香さん」
知らず、声が上擦る。
迷いや恐れをかなぐり捨てつつ、僕は言葉を吐き出した。
「昨日、僕はここに来る途中鬼の集落に立ち寄りました。そこで宴会に参加し、その夜、僕は不貞を働きました」
ピシリ、と笑みが凍り付く。
最初に浮かぶのは困惑。
言葉の意味を飲み込んだのか徐々にそれも消え、変わりに浮かび上がるのは憤怒。
わなわなと震える手を握り締め、幽香さんは冷たい声を響かせた。
「ケイ。真実を話しなさい」
「言った事に嘘は有りませんよ」
「何年貴方の側に居たと思ってるの? ケイの口から出た言葉が真実で有るか否かくらい判るわ。事実と真実が常に同じとは限らない。なら、私は真実を望むわ。誰にも歪められる事の無い真実を」
「幽香さん、僕は」
「黙らっしゃい。ケイが敢えて自分を貶める為に内容を歪めているのは解ってるわ」
日傘の先端を喉元を貫く様に突き付け、紅い瞳で心の奥底を射抜く。
何故、と疑問が浮かぶ。
確かに僕は事実しか話していない。
そこに至るまでの経緯はともかく、喋った事に嘘偽りは無い。
なら何故、それが真実で無いと判るのか。
ぐるぐると疑問が頭の中を駆け巡る。
それを断ち切ったのは、絞り出すようにして形となった声だった。
「悔しいのよ」
「え……?」
「悔しいのよ。ケイにそんな顔をさせている事が。憎いのよ。ケイをここまで追い詰めた張本人が。情け無いのよ。ケイに真実を話して貰えない私が」
構えた日傘が力無く揺れる。
嗚咽も落涙も無いまま、幽香さんは泣いていた。
ぎり、と音が鳴る。
食いしばった歯の間から鉄の味が広がる。
幽香さんを悲しませてしまった。
その事が、僕の心を抉る。
「話して」
先と変わらぬ冷たい声。
しかしそこには、僅かに慟哭が混じっているような気がした。
「真実を、話して」
僕はここに来るまでに有った事を全て包み隠さず話した。
持ち掛けられた勝負、賑やかな宴会、そして犯した罪の事。
幸か不幸か、萃香ちゃんを抱いたという記憶は酒を呑まされた事で全く残って無い。
だからその箇所については曖昧にならざるを得なかったのだが、それが余計に幽香さんの怒りを煽ったらしい。
全て聞き終えた幽香さんはふわりと微笑んで「ケイがお世話になったお礼をしてくるわね」と背筋も凍り付く声を残して走り去った。
幽香さんマジ怖い。
背中に修羅背負ってたよ。
遠ざかる背中に声を掛ける事も出来なかった僕は、取り敢えず緊張で凝り固まった身体から力を抜いた。
それしか出来なかったとも言う。
へなへなと崩れ落ちる様に近くの物に寄り掛かる。
『カチッ』
「カチッ?」
一拍遅れて警報機がファーンファーンと鳴り響いた。
体重を乗せていた右手の方に視線を向けると、黒と黄色の縞模様が映える台座と、その中央に赤いボタンが鎮座していた。
そして掌はボタンの上に置かれている。
台座の下には銅のプレートが掛けられており、可愛らしい字で何か書かれていた。
「自爆装置……!?」
なんでここにこんな物が、いやそもそも何故これを設置する理由が!?
気を抜いた所に飛び込んできたキツい冗談に焦りまくっていると、天井の電子板がカウントダウンを始めた。
『十、ヒャァ我慢出来ない零だぁ!』
「な、ちょっ……!?」
あとりの声でされたアナウンスに突っ込みを煎れる間も無く、閃光が生まれる。
続いて熱が弾け喉や肺、皮膚を焼く。
痛みを感じるより早く空気が爆ぜ、倉庫諸共僕を吹き飛ばした。
激痛に苛まれながら焼けた左目が半壊した村と遠くに映える向日葵畑を捉え、そこで僕の意識は途切れた。