「……はぁ~」
口から漏れ出るのは惚けた声。
そこに神としての威厳や怜悧さは微塵も含まれていない。
喉を落ちていった緑茶は、去年摘んだ葉で淹れたものだ。
例年は甘めの茶葉が収穫されているけど、去年のは渋みが強く甘いお茶菓子が手離せない。
こしあんの大福を口に運べば、さっぱりとしながらも重量感の有る甘みが舌を喜ばせてくれる。
もみゅもみゅと咀嚼し緑茶で流し込めば、何とも言えないまったりとした心地良さが胸に生まれた。
再度惚けた声を吐き出して、コタツに身体を投げ出した。
「あーうー……平和だぁ……」
半分溶けた様に脱力しつつ、外の紅葉に目を向ける。
鮮やかに色付いた木々。
幾度も移り変わる季節に、あれから何年が経ったのか数えるのも億劫になってしまった。
村の人間も代替わりし、当時の事を知るのは私と神奈子、ルー子だけ。
神奈子は主神として色々雑務をこなしたり地域住民と触れ合ったりで、意外と忙しい毎日を贈っている。
流石にもう二人でアイドルごっこはやらないけど、酒を呑みながら一緒に歌う事は多々有る。
ルー子は相変わらず、眠り続けている。
誰かの誕生日や結婚式、葬式の時なんかは目を覚ますけどそれ以外はあの椅子に座って、ずっと契の帰りを待っていた。
起き抜けはいつも涙の後が頬に残っているのが、見ていて悲しい。
「全く、ダメ夫を持つと苦労するよ」
やれやれ、と溜息を吐く。
契が居なかった分、神奈子が父親代わりに鼎を可愛がってくれた。
ただまぁ、あの溺愛っぷりは契が居ても変わらなかったかもしれない。
何か有るとすぐに甘やかして手を出すもんだから、何度も拳骨を落としてやった。
──鼎が婿を連れてきた時は荒れたなぁ。
鼎に相応しい男か確かめてやるだの鼎が欲しくば私を倒してからにしろだの、挙げ句の果てに「鼎を取っちゃヤダ」と子供の様に泣いて皆を困らせたりとやりたい放題だった。
私の拳骨とルー子の説得、鼎の膝枕で何とか大人しくなったけどさ。
なんだかんだで結婚式に一番喜んでいたのは神奈子だったしね。
そして暫くして鼎に子供が産まれ、また一悶着有った。
これで母様もお祖母ちゃんですねとかニヤニヤしながら言う鼎にはデコピンを喰らわしといた。
一度も会ってない筈なのに鼎のニヤニヤは契そっくりだった。
やっぱり親子だなぁと思ったけど許さん。
そして神奈子がまたデレデレして暫く使い物にならなくなった。
やがて鼎も年を取り、逝く時が来た。
親を残して行くとは罰当たりな奴めと散々に罵ってやったのに、鼎は飄々とした態度で「父様が向こうで遊んでいたら蹴っ飛ばしてでもこっちに向かわせますから」と笑っていた。
ルー子は優しく抱き締めてやり、神奈子は煩いくらいに泣きじゃくっていた。
鼎を見送った後は、退屈な日々が続いた。
孫や曾孫も立派に成長し、子を成して老いていく。
何度も見送り、迎え、また見送った。
代を重ねる内に付き合い方も変わり、今は何故か私と神奈子に仕える巫女一族みたいになっている。
元々私の直系だから仕えるも何も無い気がするんだけどなぁ。
まぁ、そんな事も有りつつ。
「平和だぁ……」
やや温くなった緑茶を啜る。
まったりのんびり、そんな毎日。
やる事も無く自堕落な生活をしていた私はすっかり勘も鈍ったのか、背後に迫る気配に気付かない。
「ケロ子」
「うわっひゃぁい!?」
突然掛けられた声に驚いて飛び上がる。
だがコタツに入ったまま飛び上がったのが運の尽き、右足の脛を台の角にぶつけ左足の小指をコタツの足にぶつけるという二重苦が私を襲う。
声も上げられずに悶絶する私に、若干申し訳無さそうな声が掛かった。
「あー……大丈夫、ケロ子?」
「ぐぬぬ」
歯を食いしばりどうにか痛みを堪える。
数分掛けて立ち直り、ふぅと息を吐いた。
「痛かったぁ……おはよ、ルー子」
「うん、おはようケロ子。なんかゴメン」
「いいよ、私もすっかり気を抜いてたし。てか珍しいねルー子、今日は何か有ったっけ?」
背後のルー子に向き直り疑問を口にする。
振り返った先、ルー子はいつもの幼女形態じゃなく大人形態で私を見下ろしていた。
以前力と記憶の維持に都合が良いからと頼まれて、封印のリボンを私が外して置いたんだ。
それはさて置き、ルー子が起きているとは珍しい。
今日は誰かの誕生日でも無ければ特別予定が有る日でも無い。
そんな私に、ルー子は少し弾んだ声で答えた。
「ケイの匂いがしたの」
「へ? 匂い?」
まさか遂に嗅覚まで壊れ始めたのか。
心の傷がここまで深かったなんて。
ゴメンよルー子、私は親友に何もしてやれないダメな神様だよ。
「何か失礼な事考えてない?」
「滅相も無いでケロ」
「信じてないでしょ。本当にケイの匂いがするの、ちょっとずつ近付いて来て「諏訪子様、文が届いてますよ~!」……来た」
今代の巫女はドジっ娘だ。
早速玄関で「あうっ!?」躓き、廊下を走って「ひぁぁっ!?」滑って転び、その勢いのまま「みゅぅっ!?」部屋の襖に激突した。
いたた、と額を押さえて少しボロボロになった巫女が姿を見せる。
珍しく起きているルー子を見て、ちょっと驚いた様に目を見開いた。
「あ、ルーミア様。おはようございます」
「うん、おはよう奈苗。スゴい音してたけど怪我してない?」
「はい、大丈夫です! ううっ、ルーミア様だけですよ私の事を気遣って頂けるのは」
「そりゃあ、奈苗のドジっぷりはいつもの事だからねぇ。ルー子にしたら珍しいから心配なのさ」
「あぅっ、酷いです諏訪子様」
「賑やかだね、何してるんだい?」
奈苗を弄って遊んでいたら、神奈子まで姿を現した。
突然背後から聞こえた声に驚いた奈苗は足がもつれてコタツに顎を強かぶつける。
響いたのは『ガッ』でも『ゴッ』でも無く『ガチン』と歯が打ち鳴らされる音だった。
思わず口を両手で押さえる。
見てるだけで痛くなってきそうだ。
それはそうと、あの驚き方から察するに奈苗は有る意味私の血を濃く受け継いだのかもしれない。
取り敢えず涙目の奈苗をルー子が宥め、神奈子も揃って四人でコタツを囲む。
「で、文がどうしたって?」
「あ、これ何ですけど」
顎をさすりながら奈苗が取り出したのは簡素な手紙。
一応赤蝋で封はしてあるけど、他には特に装飾も見当たらない。
それを見て動いたのはルー子。
「奈苗、ちょっと頂戴」
「はい、どうぞ」
いつになく真剣な眼差しのルー子にやや戸惑いながら手紙を渡す奈苗。
受け取ったルー子は、そっと手紙を抱き締めた。
真剣な表情のその頬を、一筋の涙が滑り降りて行く。
ほろり、ほろり。
突然涙を流したルー子に私も神奈子も慌てるけど、呟かれた言葉で理由を悟った。
「ケイ……、ケイの、匂いだぁ……」
目を弓にして静かに涙を零すルー子。
暫くそのままにして、落ち着いた頃に口を開いた。
「皆、ゴメンね」
「いいさ、ルーミアは契の事を、誰より一番心配していたじゃないか」
「それにそんな笑顔見せられたら何も言えないって」
「ルーミア様にそこまで想われるなんて、ちょっぴり契様に嫉妬しちゃいますね」
思い思いに反応を返す。
若干奈苗の言葉に百合っぽい響きを感じるのは気の所為だろうか。
ともかくルー子に封を開けて貰い、皆で手紙を覗き込む。
そこには懐かしい契の文字が躍っていた。
『まずは手紙での生存連絡になる事を許してくれ。
あの鉄砲水に飲まれた時は流石に身の危険を感じたが、何とか生きてる。
不思議な事に全身──特に右半身に酷い火傷を負っていたが。
右腕は肘から先は骨近くまで炭化、右足は神経毎焼き切れ右目は焼かれ視力を失っていた。
能力で治したから今は何ともない。
心配させる様な文面でスマン。
ともあれ死に掛けはしたが無事だ。
そっちは被害を受けて無いか?
咄嗟に彦六を突き飛ばしたんだが、ギリギリだったから間に合ったか自信が無い。
もし無事だったら伝えてやってくれ、俺は平気だってな。
そうそう、俺は今平城京に居る。
全身に火傷を負っていた俺を助けてくれた奴の所に世話になっているんだ。
名を藤原不比等、そこそこ有名な貴族らしい。
悪い奴じゃないし、暫く怪我が落ち着くまで厄介になろうと思っている。
流石に俺の事を知らない奴等の前で能力を使ったら妖怪だなんだって面倒臭い事になるかもしれないからな。
それに、不比等には助けて貰った借りも有る。
少しばかり戻るのは遅くなるが、借りを返すまで待っててくれ。
遅くとも諏訪子の出産には間に合わせるつもりだ。
だから余り心配するなよ?
心を病むと産まれてくる子供にも悪影響だからな、美味いもの食って暖かい布団にくるまって、まったりしてろよ。
まぁ、そんな訳で戻るのは遅くなるが心配は無用だ。
今すぐとは行かないが、必ずそっちに戻るからな、もうちょっと待っててくれ。
諏訪子、お腹の子供に負担を掛けない様に回りの人を頼るんだぞ。
神奈子、色々手を煩わせてしまうが諏訪子の世話、宜しく頼む。
ルーミア、子供の為に栄養の有る食事を作ってやってくれ。
それと、俺が帰ったら最高に美味い味噌汁を頼むな。
望月契』
読み終わった私達が最初に抱いたのは安堵、次に浮かんだのは疑問だった。
口を開いたのは神奈子、その顔には困惑が浮かんでいる。
「どういう事だい、これは。これじゃあまるで」
「起きてすぐこの手紙を書いた様な文章に見えるわね」
後句を継いだルー子は少し顔が赤い。
疑問は有っても、それ以上に契の生存が嬉しくて堪らないらしい。
一途だねぇ、と微笑ましく思う。
奈苗じゃないけど、ここまでルー子に慕われるなんて契も罪な男だよ。
ともあれ文面に再度目を落とす。
書かれているのは間違い無く契の文字。
少しばかり特徴的な筆跡だから、見間違える事はまず無い。
「幾ら都から届くのが遅れたって、最長でも四年以内に書かれたもので有る事は疑いようが無いね」
「そうね、少なくともケイが行方不明になった時は『平城京』なんて場所は存在しなかったんだから」
神奈子の言葉に頷かずにぽかんとしているのは、当時を知らない奈苗唯一人。
俗世で遷都されたのは四年前、その時に街の呼び名も平城京と改められた。
人々は先から平城京と呼んでいたけれど、私ら神に言わせれば遷都の際に御卸の神事をして漸く神々にその名が認知されたに過ぎない。
一応は契も神の端くれだから、教えてなくても無意識に知ってる筈だ。
まぁ、契が神になった話は一旦置いとくとして。
「考えられるのは……つい最近まで寝てたとか?」
「いつもなら冗談と切り捨てるんだがねぇ、流石に今回はそれが正しく思えるよ」
「当時あれだけ皆が頑張って探してくれたのに見付からなかったからね。ケイだからこそ、長い間気を失ってたけど復活出来たのかもしれないわね」
「ルー子も神奈子もそれくらいにしなよ、どうでもいいじゃないかそんな事」
呆れて放った言葉に、二人が喰らい付く様な目を向けてきた。
怖い怖い、と肩を竦めて口を開く。
「今は、契が無事だったって事だけでも充分じゃないか。そりゃあちょっとばかし遅い便りに腹は立つけどさ、この手紙を読む限り一年と経たずに帰って来るみたいだろう? もう何百年と待ってたんだ、後一年、首を長くして待ってやろうよ」
私の言葉に感じるものが有ったのか、神奈子は頬をポリポリと描いて照れ臭そうな顔を、ルー子はぷいっとそっぽを向いて耳を赤くしてた。
神奈子はともかく、ルー子はやっぱり浮き足立って落ち着かないみたいだ。
なんだかんだで一番側に居たルー子。
今すぐ飛び出して迎えに行きたいのが本音だろう。
それをしないのは契を信じてるからなんだろうなぁ、と思う。
──帰って来たら、鼎の分まで殴って顔面ボコボコにしてやろうかな。
或いは黄泉の国で鼎が見つけて蹴り飛ばしたのかもしれない。
それで現世に帰って来たとか。
どっちにしてもボコボコにしよう、うん、それが良い。
隣を見ると神奈子も同じ思考に至ったのか不敵な笑みを浮かべて拳を握っていた。
対照的にルー子は手紙をきゅっと抱き締めて契の残り香を嗅いで恍惚としている。
顔はかなりだらしない。
それを見て奈苗は頬を膨らませている。
構って貰えないのが不服な様だ。
あれは奈苗にも殴られるだろうなぁ、と統一感の無い面々を見渡しながら乾いた笑いを零す。
それでも、根底の想いは皆一緒だった。
──契、待ってるよ。
そよ風に揺れる紅葉が、湯呑みに映る。
次の満月は十五夜だったかな、と秋晴れの空を見上げてぽつりと呟いた。