「……っ、あ」
「お、目が覚めたか。どうよ調子は?」
ベッドの上、幽香嬢が跳ねる様に飛び起きる。
が、すぐに頭を抑えて苦悶の声を漏らす。
そりゃそうだ、あんな鈍い音立てて失神したんだからな。
激しい動きをすれば頭痛や目眩も起きるというもの。
「何の、つもり?」
「いやなに、ちょいと話でもしてみたいと思ってな」
「……話す事なんて、無いわ」
「風見幽香」
名を呼ばれ、身体をびくっと震わせる。
だが俺はすぐに二の句を告ぐ事はせず、リビングから持ってきた椅子に腰掛ける。
先程から気になっている事が有る。
この幽香嬢の家、妙に馴染む。
迷わず無意識の内に寝室まで送り届ける事も出来たし、目覚めるのを待つ間にお茶でも飲もうと考え迷う事無く茶葉の在処を見つけた。
はっきり言って異常だ。
違和感が無さ過ぎる。
他人の家、それも初見で室内を把握する技能を俺は持ち合わせていない。
ならば何故、ここまで俺は勝手を知っているのか。
その疑問を晴らす為に再度口を開いた。
「事後承諾になるが、寝ている間に少々勝手をさせてもらった。茶葉を拝借したくらいだが」
「随分と傍若無人ね、貴方。紅茶を淹れるのは構わないけど」
「解ってる。猫舌なんだろ、水出しにしといたから安心しろ」
遮って放たれた言葉に幽香嬢は再度身を震わせた。
驚愕に目を見開き喰って掛かる様な視線を以て突き刺してくる。
対して、俺は出来る限り感情の色を消した声で問い掛けた。
「風見幽香。俺は疑問なんだ。何故初めて会った筈のお前に関する情報を、風の噂等では知り得ない情報を俺が持っている? 寝室の場所も、茶葉の在処も、お前の嗜好も、全て知り得ない筈の情報だ。それも最初から知っていたのでは無く、お前と会った事でふと浮かび上がってきたものだ。更にお前は俺に対して何か思う所が有るらしい。初対面の人間に向けるものでは無い感情の揺らぎが、お前の目に見て取れた。……改めて問おう、風見幽香」
息を吐き出し、吸う。
意識して行った呼吸が頭を僅かにスッキリさせた。
不安定に揺れる紅い双眸を見据え、俺は言葉を紡いだ。
「──風見幽香。お前は俺に取って、どういう存在なんだ? そして俺はお前に取って、どういう存在なんだ? 俺は何も知らない、何も解らない。だがお前は、俺の知らない何かを、俺の知らない俺を知っている様だ。なら教えてくれ風見幽香、俺の何故はお前にしか解き明かせない」
頬を撫でる風に気付き目を開ける。
高かった陽も既に落ち、辺りには夜の気配が漂っていた。
視界の先、満天の星空が遠く広がる。
機会が少ない所為かこの世界に来て一年以上経過しているにも関わらず、夜空を彩る鮮やかな星々に心を奪われた。
一つも解る星座が無いが、輝く銀河を楽しむのも風流だ。
ここは最初に訪れた向日葵畑。
話を聞き終えた俺は情報を整理する為に外へ出て来た。
「……しかし、記憶を失っていた時の記憶を更に失うとはな。確か記憶を取り戻した際に起こる自我の食い違いや摩耗を避ける為の防衛行動、だっけか」
現実逃避もそこそこに俺は先程幽香嬢……いや、幽香から聞いた話を思い返す。
鉄砲水に飲まれた所を救助された俺は、記憶を失っていた。
五、六年程の期間を共に過ごし、とある事故に因って俺は行方不明に。
事故の起きた日から丁度四百年後の今日、俺の墓参りに行った帰りで、俺の姿を見つけたらしい。
かなり端折ったが大筋はこんな所か。
これを聞いて疑問が一つと悩み事が一つ生まれた。
疑問は、時間だ。
聞けばその事故、大爆発に巻き込まれたという。
その際に火傷を負ったと考えれば、俺が不比等の所で目を覚ました時の状況に説明は付く。
だがそれに待ったを掛けるのが時間の問題だ。
事故が起きたのは今から四百年前。
不比等の所で目を覚ましたのが一月程前。
明らかに時間軸がおかしい。
──その間にも何かイベントが有ったと考えるのが自然か?
だが不比等から聞いた俺を発見した時の状況を聞くに、大爆発で吹き飛ばされたまま倒れていたというのが正解な気もする。
問題は四百年間瀕死の重傷を負ったまま生き続けられるかどうか。
「……ライフの面から行けば余裕な気がしてきた」
疲労回復を目的に乱用してきた能力を覚えている分だけ換算してみると、恐ろしい事にライフが約二千八百万に膨れ上がっていた。
調子に乗って『不死の標』連発した結果がこれだよ!
因みに負った傷をそのまま放置していても、ライフが有る以上死なないのは確認済みだ。
偶に居る、どう考えても普通死んでる筈の人間が奇跡的に生きてる、って事象。
アレは本人のライフが何らかの理由で高くなった事で、他人より長く命を繋げたって事だ。
勿論、傷を治さないとライフはぐんぐん減っていく。
ライフが0になる前に治療出来るかどうかが生死を分けるんだ。
つまり俺は膨大な馬鹿みたいなライフのお陰で死なずに済んでいた訳だ。
しかも鉄砲水と大爆発の二回に渡る命の危機を迎えて尚もしぶとく生き残っている辺り、どうやら俺は最凶最悪のあの生物『G』よりもタフな生命力を得ていた様だ。
……うん、深く考えると凹むから止めて置こう。
ともあれ疑問は或る程度の解釈さえ出来れば捨て置けるからどうでも良い。
俺は新たに生まれた悩み事に思考を回し、溜息を吐いた。
──あの様子じゃ、記憶無い時の俺と深い仲だったんだろうなぁ。
知らず、再度溜息が漏れる。
過去を語る際、俺の事を口にする度言葉の端々に嬉の色を混ぜては、落胆の様な悔恨の様な表情を見せた。
余程の馬鹿でも無い限りすぐに気付く。
アレは愛する者を持った女の顔だ。
ただ、後者の表情の理由は解らない。
事故の前後を語る際にそれが強くなったのと俺自身胸の奥に痛みを覚えた事から、恐らく語られていない所にその答えが有るのだろう。
だがそれを聞く事は出来なかった。
アレは本人が納得して初めて言葉に出来るタイプの人間──妖怪だ。
今の俺が何を言った所で言葉は届かず、逆に拗れる可能性が高い。
ならばどうするのか。
「……ダメだ、何も浮かばねえ」
当事者で有る以上慰める事も出来ず、かと言って謝る事が出来るかというと記憶が無い為それも出来ない。
ままならない事態に俺の頭はカラカラと空回りを続けるばかり。
「なぁ、どうしたら良いと思う?」
無意識に呟いていた。
求めていたのはいつも側に居て俺を導いてくれた金の幼女。
答えが無い事に、どれ程自分が甘えていたのか気付く。
──これじゃ帰ったら説教されるな。
情け無い自分に嘲笑が浮かぶ。
ふっと息を吐き出したのと同時、背後から鈴を鳴らした様な声が響いた。
「そうね、忘れた時と同じ衝撃を受けたら忘れた事を思い出したって話を聞いた事が有るわ。試してみる?」
弾かれた様に振り向く。
いつからそこに居たのか、全く気配を感じ取れ無かった。
驚きの余り冷や汗が額に滲む。
何を、どこまで聞かれた?
焦る心を押し止めて向けた視線の先、幽香は目を丸くして立っていた。
「じょ、冗談よ。そこまで拒否反応起こされるとは思わなかったわ」
どうやら幽香は俺の反応を、まだ大爆発に巻き込まれる事への忌避と受け取ったらしい。
都合も良いのでそのまま訂正はしないで置こう。
……いや、確かにアレ程の怪我を負う様な大爆発なんざ金輪際御免被るが。
「まぁ、それは置いといて。どうした、こんな夜中に。うら若き乙女が出歩くにしちゃ随分遅い時刻だぞ?」
「妖怪は夜の方が調子良いのよ。それよりも、忘れ物よ」
細い腕が投げて寄越した物を受け取る。
パシッと乾いた音を手の中で立てたのは白い日傘だった。
「それが欲しくて来たんでしょう? ならあげるわ、家に幾つか替えも有るし」
「悪いな、幽香。なら有り難く頂戴する」
「所で、もう暗いけれど行く当ては有るのかしら? 寝床くらいなら貸すわよ」
「いや……遠慮させて貰おう」
「どうして? 別に寝首を掻いたりはしないわよ」
「そんな心配はしていないさ」
「なら」
「まだ俺に言ってない事が幾つも有るだろう、幽香。胸に抱えるものを全て吐き出したら、お前と正面から付き合ってやるよ。俺も未だ内に晴れない何かを抱えているんだ、その答えはお前が持っているままだろう? 俺が持つ後悔と懺悔、その意味を教えてくれるまで──幽香、お前が望月契と出逢う日は来ない」
遮って放たれた言葉に、幽香は顔色を無に変えた。
深く考え込むと表情の消えるその癖、一体誰に似たんだかな。
だがまぁ、聡い幽香の事だ。
言葉の意味を違える事無く正しく理解してくれるだろう。
背を向けてひらひらと手を振りながら、茶化す様な口調で言葉を紡ぐ。
「次に会った時、また勝負しようぜ。少なくとも俺は四百年生きたんだ、そう簡単にゃくたばらねぇよ。序でに一発殴ったら、衝撃で幽香の事を全て思い出すかもしれん」
「……そうね。また闘いましょう、ただの人間さん」
声を残して、ただでさえ希薄だった気配が完全に消え去る。
最後に乗せた感情は何だったのか。
なんてな、と俺は自分への呆れを含んだ息を漏らす。
最初から最後まで思い通りに行かず、互いに小さな擦れ違いを重ねていた気がする。
だが前には進めたかもしれない。
疑念は晴れずとも、今回の逢瀬は何らかの意味を持った筈だ。
なら後は成る様に成る。
頭を振り意識を新たにして向日葵畑を後にする。
予定より遅くなったがこのまま歩き通せば昼前には京に着く、とそこまで考えて何かが頭に引っ掛かった。
「……っ!?」
漸く気付いた。
幽香の話では俺が鉄砲水に飲まれてから、少なくとも四百年は過ぎ去っている。
あんな文面の手紙を出したら嫁達の怒りを買うに決まっている。
加えて、これは余り考えたく無いが四百年が過ぎている事から諏訪子はもう出産を終えている可能性が非常に高い。
生まれた子供──鼎が諏訪子に似て神の性質を強く受け継いでくれていれば良いが、もし俺の人間としての性質を色濃く受け継いでしまっていたら、間違い無く老衰で死んでいる。
愛した嫁の出産にも立ち会えず、娘に顔を見せてやる事も出来ず、嫁に送り出してやる事も出来ない。
夫として父として最低な部類の人間じゃないか俺は。
「ぅぁ、あ、あぁ……っ!?」
恐怖、後悔、罪悪感、不安等々、思い付く限りの負が心を満たしていく。
両膝はガクガクと震え呼吸が苦しくなり頭はガンガンと痛み全身に嫌な汗がじんわりと滲む。
「ぅ、うわぁぁぁぁ────!?」
情け無い奇声を発しながら、俺は東へと走り出す。
目指すは諏訪大社。
強張り言う事を聞かない筋肉を精神力でねじ伏せ、険しい山中を駆け抜ける。
小枝やギザギザの葉が頬や手の甲に裂傷を刻むのを気にも留めず、ひたすら足を動かし続けた。
「かっ、帰ったら何、どうすれば良い!? まずは焼き土下座か!?」
パニクりながら全力疾走を続ける俺に驚いて、野鳥が慌ただしく逃げ出した。
夜明けはまだまだ遠い。