「そわそわ」
落ち着かないのは見れば解るのに、わざわざ口に出して伝えてくる。
というか、かれこれ三十分も部屋を左右にうろうろしている。
いい加減ウザくなってきた。
「そわそわそわそわ」
時折チラッと向けてくる視線は突っ込みを期待するものだ。
不思議な事に期待されると突っ込みも控えたくなる。
だが幾らスルーしてもへこたれない。
その無駄な精神力を何かに活かしたらどうだ?
「そわそアイタァー!?」
「いい加減黙れぐーや」
そわそわ言いながら枝垂れ掛かってきたので思いっ切りデコピンしてやった。
べちんでもべしっでも無く『ドゴッ』と鳴ったが、輝夜には良い薬になっただろう。
これで大人しくしてくれると嬉しいんだがなぁ。
「ハァハァ……もっちーがくれた痛み……ウッ! ……ふぅ」
いかん、薬は薬でもヤクの方だったか。
ここ数日で散々詰ったり弄ったりした所為か、輝夜はドMに目覚めてしまった。
何をどう間違えてしまったのか。
今程ネコ型ロボットのタイムマシンを切実に欲した事は無かった。
「俺、今回の騒動が終わったらぐーやの性癖をノーマルに戻すんだ」
「私は至ってノーマルよ、もっちー」
「嘘吐け、ノーマルな奴がいたぶられて喜ぶものか」
「良いじゃない、将来の旦那様が苛めてくれるんだもの」
「待て、いつ誰がそうなった」
「俺がお前を奪ってやるっ! って熱い告白をしてくれたのは誰だったかしら?」
「馬鹿野郎、そいつがルパンだ!」
「ルパンって誰よ!?」
やいのやいのと馬鹿騒ぎをしたら、次第に輝夜も落ち着いた様だ。
やれやれ、全く世話の焼ける。
とはいえ浮き足立っているのは輝夜ばかりでは無い。
かく言う俺も若干心が逸り、慣れない酒をちびちび傾けて空を眺めていた。
ん、呑んで良いのかって?
少なくとも四百年寝てたんだ、成人なんざ通り越してお迎えが来ないか心配なくらいだ。
……迎えに来た死神を口説いて篭絡したらどうなるんだろうか。
案外見逃して貰えるかもしれん。
なんてアホな事を考えつつ見上げた視線の先、満月は見えなかった。
本来なら明るく夜空を照らしている筈の満月は厚い雲に遮られ、新月とそう変わらない暗さを大地に落としている。
お陰でのんびりしていた所を篝火の設置に駆り出されてしまった。
風は強くないが、じんわりと湿っている。
どうにも嫌な空気だ。
「フハハハハ! 流石望月は肝の据わり方が一味違う、それこそ姫を守る兵に見習わせたいわ!」
デカい声で馬鹿みたいな内容の言葉を垂れ流す馬鹿が一人。
如何にも高そうな着物を羽織り高笑いしているこの阿呆こそ、帝その人だ。
一応輝夜の手前、下手には出ているが顔面に蹴りを入れたい程煩い男だ。
顔はそこそこ整っているが声は聞いていてイラッとするし口は回るが浅慮に過ぎる。
よくこんな奴が帝で政が出来るな。
おまけに女にだらしない様だ。
どうもこいつは愛しているから女を侍らせるのでは無く、女を侍らせる俺様格好良いと思いたいが為に、女にちょっかいを掛けているらしい。
男の風上にも置けんな。
俺だって褒められた男じゃないが、少なくとも嫁達には本音でぶつかり心の底から信頼を預け愛を注いでいるつもりだ。
見習う程立派な人間じゃないが、多くの女に手を出すなら、せめて俺くらいには女を大事にして欲しい。
っと、思考が逸れたか。
くいっと杯を煽りアルコールで喉を焼く様に酒を流し込む。
ほぅ、と熱い息と共に雑念を吐き出した。
庭や廊下に控える兵士を眺めて満足そうな帝とは対照的に、俺は諦観を滲ませた視線を向ける。
──この程度の陣容で満足するとは、本当に帝は馬鹿だな。
急な案件、しかも正規の手続きで動かしたものでは無い私兵という事を鑑みても、戦力としてはやはり少ない。
それなりに腕利きの兵士を集めた様だが、それでもたった百人程度で月の使者と戦えると思っているのだろうか。
流刑で地上に落とした罪人、というのが月から見た輝夜の立場だ。
ならば多少の警戒を持って事に臨むのは当然。
加えて相手は不老不死なのだから、手加減しなくて良い分過激な鎮圧を仕掛けてくる可能性も有る。
更に相手は地上よりも遥かに進んだ文明を持っている。
広範囲殲滅兵器を持ち出されたら一巻の終わりだ。
銃等で武装していた場合一対多でもこちらが圧倒されてしまう。
ならば兵の幾人かを長弓兵にして屋敷を囲む様に配置し、全方位からの一斉射撃で機先を制するくらいの策は持っていて欲しい。
まぁ、物語の背景を知らぬモブ連中にそこまで期待するのは酷な話か。
それに熱源探知されては幾ら巧妙に擬装しても伏兵がバレるからな。
とはいえそんな戦闘が起こらない事が一番良いんだが。
──無理だろうな。輝夜を連れ戻す為にわざわざ穢れた地上へ降りるというんだ、穢れを受けて尚余り有るリターンがそこには有る筈。
話の合間に輝夜が注いでくれた酒を一気に煽る。
先程よりも深く熱い息を吐き出した。
と、視線を感じる。
帝かと思ったが彼は庭に出て兵と下世話な話に夢中だ。
視線を庭から戻せば、少し頬を上気させた輝夜が惚けた様に俺を見ていた。
「ぐーや、どうかしたか」
「え、あ、うん。お酒呑んでるもっちーって、色っぽいなぁって」
「は?」
「あ、やっ、今の無しでっ」
わたわたと手を振って誤魔化す輝夜。
しかし俺が色っぽいってか。
──アレか、いつもだらしない格好しかしない幼馴染みが夏祭りに行くって浴衣着た時、チラリと覗く鎖骨にドキドキする様なもんか?
俺の例えも反応もズレている気がするが、そこは酒に酔った所為にでもしておこう。
というか今気付いた。
六合とか飲み過ぎだろう俺。
味わった二日酔いの分だけ酒に強くなるって俗説は有るが、呑んだ記憶は四、五回しか無い。
ん、神奈子とヤった時に呑まないって決めたんじゃないかって?
もう時効だろ。
「にしても随分厚い雲だな、月明かりの欠片も見え──っ!?」
唐突に、空が晴れた。
今まで月の光を遮っていた雲は一瞬の内に消え去り、行灯も要らない程の光が辺りを照らす。
何事かと庭へ降りると同時、周囲の異変に気付いた。
「これは……輝夜?」
「月の連中の仕業ね」
遅れて俺の横に立つ輝夜以外、兵士も女中も帝も、等しく動きを止めていた。
まるで石像の様に微動だにせず、ぼんやりとした表情で中空を見上げている。
視線の先に有るのは、満月。
その満月の中心、小さく陰が見える。
徐々に大きくなるそれは、まるで牛車の様な形をした船だった。
「遂に来たわ、月の獄車が」
「成程、アレが?」
「ええ、私達の敵ね」
好戦的に舌なめずりをする輝夜。
その頭を軽く握った拳で叩いてやる。
「あたっ」
「馬鹿、全員敵にしてやるな。お前の先生も居るかもしれないんだろ?」
「そうだったわね」
「余り逸るな。焦りは要らず、ただ想いだけを秘め、願う事だけを描き続けろ。未来の嫁候補の手伝いくらいはしてやる」
「ツンデレさんめ」
「誰がツンデレか!」
相変わらずの漫才をしながら、俺はこっそり溜息を吐いた。
満足に動けているのは俺と輝夜のみ。
輝夜は蓬莱人だから月の連中の使った兵器らしきものの効果を受けないと考えて良いだろう。
となれば、動けている俺が明らかに異常な訳だ。
少なくともただの人間にこの状態は打ち破れないだろう。
──手伝いたいと言ってきた不比等や妹紅を押し止めて置いて良かった。
この状態では、流石に不比等や妹紅に気を回す余裕は無い。
動けない者の中に俺の枷と成り得る人間が居ない事は、この上無く幸いだった。
最悪人質に取られたら何も出来なくなるからな。
「さて、お出ましだ」
地面に降り立った船の中から八人の衛士が現れ、船の周囲に展開する。
一拍遅れて姿を現したのは銀髪の女性。
赤と青の生地が中央ではっきり分かれ、腰元のベルトを境に色が入れ替わるというなかなか奇抜な色合いの服だ。
背も高くスタイルも良く、面倒見の良い綺麗なお姉さんみたいな雰囲気の女性だ。
彼女は輝夜を見て顔を綻ばせ、次に俺を見て驚きを滲ませた。
まぁ、蓬莱人でもない奴がこの中で動いているんだ。
多少は驚くだろう。
他の奴等はたかだか地上人が一人動けた所で何も出来ないと高を括っているのか、特に反応も興味も示さない。
その驕りを突ければ、或いは。
「永琳っ」
「姫様」
輝夜が駆け出し女性に抱き付いた。
待て、今姫様とか言ってなかったか?
まさか輝夜って本物の姫様なのか?
本物の姫様にしては落ち着きが無いし、お転婆が過ぎる気もするが。
いや待て、姫様をドMにしちまったが大丈夫なのか!?
そんな事を考えていると輝夜の手がピースサインを出す。
説得が終わった合図だ。
俺が色々と衝撃を受けている間に密談は終わったらしい。
余りの早さに失敗したのか、とも思ったが輝夜は振り返りニヤリと笑って見せた。
口元が艶めかしく動く。
『ちょろいわ』
どうしよう、後で突っ込むべきだろうか。
仮にも恩師が月での立場やそれまでの栄華を溝に捨てて、共に歩んでくれると言うのに。
ともあれ彼女は俺達の味方になってくれた様だ。
これで作戦を決行出来る。
まぁ、作戦と言うのも烏滸がましいくらいの三文芝居だが。
主演は大根役者の俺、ヒロインは学芸会レベルの演技力を誇る輝夜。
小っ恥ずかしい事この上無いがそれぐらいでないと他人の意識は奪えん、と自分を誤魔化しつつ俺は口を開いた。
「かぐや姫、本当に行ってしまわれるのですか!」
「あぁ、望月殿! 私とて、貴方様と離れとう御座いません!」
「ならば私も姫と共に、月へ参ります!」
「それは、それは叶わぬ事。月の空気は地上人には毒なのです、貴方様が苦しむ姿等見とう御座いません!」
「姫と離れ離れになるよりも辛く苦しい事等有りませぬ!」
「望月殿……っ」
「かぐや姫……っ」
ひしっと抱き合う俺と輝夜。
互いに恥ずかしくて顔が真っ赤になっているが、別れの涙を堪えている風にも見えなくは無い。
横目でチラリと様子を窺えば、衛士連中はぽかんと呆気に取られていた。
そりゃそうだ、いきなりこんなC級以下のラブロマンスを見せ付けられれば誰だってぽかんとするだろう。
──だが、その隙が欲しかった。
輝夜の軽い身体を持ち上げくるりと位置を入れ換えるのと同時、彼女が弓を構えた。
いや、構えたと言うのは正しくない。
彼女が弓を取り出して構えた時、既に四本の矢は放たれていたからだ。
何が起きたのか把握する時間も与えられないまま、胸に風穴を空けた衛士が背後に倒れ込む。
「なっ、何を!?」
「次はお前だ!」
注目を集める為に声を上げて体軸を右にずらした。
右肘は腰元に近付け左手を一番近くの衛士に伸ばす。
何か仕掛けてくると思ったのか衛士は腰に提げた筒の様な物を引き抜き、防御姿勢を取る。
が、勿論何も起こらない。
当たり前だ、俺は声を上げて構えただけなのだから。
「今だ、輝夜!」
その声に釣られて今度は衛士連中が意識を輝夜に向ける。
だが輝夜は頭を抱えて「くっ、もっちーも酷かったけど、まさか私まであんなレベル低い演技を晒してしまうなんて」と最新の黒歴史を抹消するのに必死だ。
というか言うんじゃない、俺だって自分でこれは酷いと言いたくなったんだから。
ともあれ再度隙が生まれた。
攻撃に合わせ俺がハッタリをかまし、続けて輝夜へ意識を誘導した事で、最も注意しなければならない彼女は思案の外へと追いやられた。
言わば二重のフェイント。
その生まれた隙を逃さず、彼女が放った矢は衛士連中の心臓を等しく貫いた。
ごぽっと吐き出された血が地面を赤く染めていく。
「おぉ、グロいグロい」
ん、目の前で人が死んでるのに平気なのかって?
兎や猪や鯖の解体で慣れた。
人間だろうが何だろうが、自分の知り合いじゃ無いなら解体出来るぞ。
若干昔のルーミアみたいな価値観になってきたかもしれん。
まぁ、可愛い嫁と考えが一緒とかご褒美でしか無いな。
依って問題無し。
「ほれ、いい加減帰ってこい」
「録画は、録画だけは……いたっ!?」
「取り敢えず先遣隊は片付けたぞ。あちらのお嬢さんが」
何かに悶える輝夜を叩いて正気に戻す。
叩かれて嬉しそうにしているのは放って置こう。
示した先、弓をどこかにしまいながら優雅に歩いてきた彼女は、これまた優雅に腰を折った。
「有り難う、お陰で彼等の隙を突く事が出来たわ」
「何、大した事じゃ無い。奴等の装備も人数も把握していなかったからな。それなら必要以上に動かず気を引き付ける方が動きやすいだろ」
「普通はそれすら出来ないものよ。とは言え余り悠長にしている時間も無い、早く此処を離れた方が良いわ」
「ならついて来てくれ、隠れ家的な場所を用意した。まぁ、家は建ってないが」
「ふふ、贅沢は言わないわ」
屋敷を通り抜け外へ向かう途中、輝夜が足を止めた。
目に映るのは固まったままの爺さんと婆さん。
「……今までありがとう、お爺さんお婆さん。落ち着いたら手紙出すからね」
心からの笑顔を浮かべる輝夜。
その横顔に一瞬見惚れつつ、ちょっとした疑問が湧いた。
隣に立つ女性に小声で話し掛ける。
「固まったままだが爺さん婆さんにあの声や笑顔は届いてるのか?」
「ええ、もう暫くはあのままでしょうけど心の中にしっかりと記録される筈よ」
なら良いか、と再び歩き出す。
屋敷の前まで出ると牛車が待っていた。
先頭で手綱を握っているのは、
「不比等!?」
「や、無事みたいだね」
「もこうもいるよー♪」
「妹紅まで!?」
牛車の影から飛び出したきた妹紅を抱き留める。
何で家で待ってろって言った筈の二人がこの場所に?
混乱する俺に不比等は爽やかな笑みを浮かべて言う。
「これだけの秘密を抱えるのに信の置ける人間はなかなか居なくてね。それに相手はかぐや姫だ、全て解らずとも程々に今回の事を知る者の方が口を滑らせる事は無いだろう?」
確かに、かぐや姫を乗せて牛車を走らせたなんて言ったら箔が付くだろう。
有る事無い事喋られるよりは不比等に任せた方が安心だ。
しかし何で妹紅まで。
疑問を発するより早く、女性が不比等に頭を下げた。
「不比等さん、姫様共々宜しくお願いします」
「ええ、必ず安全な場所までお送りしますよ。……それじゃ妹紅、望月君と仲良くするんだよ?」
「だいじょぶ、もこう、にぃにとそうしそうあいだから♪」
「はっはっは、なら孫の顔を見るのも早そうだね」
若干置いてけぼりを喰らった俺と輝夜。
何だかなぁ、と輝夜を見ると小さな瓶を押し付けられた。
「……これは?」
「蓬莱の薬。飲めば私と同じ不老不死になれるわ」
「な、おまっ」
「これからは永琳も居てくれるけど、私は我が儘だから。だから、契」
俺を初めて名前で呼んだ輝夜は、両手で俺の顔を押さえ込み踵を地面から離した。
目一杯背伸びして、唇を重ねる。
カチッ、と互いの歯がぶつかる不器用なキス。
すぐに顔を離した輝夜は白い頬を真っ赤に染めて、俺だけに聞こえる声で言った。
「一番最後で良い。でも、最後には私の旦那様になってね」
それだけ言い残してそそくさと牛車に乗り込んでしまう。
後を追う様に小さく笑いながら、女性も牛車に乗り込んだ。
不比等はもう一度笑顔を見せ振り返らずに手綱を握った。
残された俺は小瓶を懐にしまい、呆けた様に牛車を見送っていた。
「……やってくれる」
「にぃに、うわき?」
「ひぃっ!?」
背後から聞こえてきた声に思わず悲鳴を上げる。
弾かれた様に振り返ると、妹紅が頬を膨らませて睨んでいた。
拙い、これは予期せぬ修羅場か!?
「も、妹紅?」
「……つーん」
「もこたん?」
「うわきもののにぃになんて、しりませんっ!」
ぷいっとそっぽを向いてすたすたと歩き出す妹紅。
その姿に心が痛んだ。
一歩妹紅が遠ざかる度に一つ刃がグサリと刺さる。
慌てて小さな背中を追い掛ける。
「ま、待ってくれ妹紅、誤解だ!」
「もこうに、うわきもののしりあいはいません!」
「も、妹紅、待って、捨てないでくれぇぇぇぇっ!」
とある満月の夜、悲痛な男の叫びが平城京に響いたとか。