「ったく、どうなってんだ一体」
悪態を吐きながら道無き道を進む。
転移してから凡そ四時間、俺は東の方角へ進路を取り歩き続けていた。
辺りの植物や空気の質から察するに、ここは恐らく日本じゃない。
ならどこなのかと問われれば、少なくとも南半球では無いだろうと答える。
すっかり日が落ちてしまったが、代わりに星を見る事が出来た。
夜空に於いて指針と成る北極星の位置が、かなり高い。
南十字星らしき星影も無い為、ヨーロッパ周辺若しくはカナダ辺りだろう。
──もう少し真面目に地学や地理の授業を聞いてりゃ、また違ったんだろうな。
後悔先に立たずとは言うが、誰が来るべき異世界トリップに向けて勉学に励むのだろうか。
とは言え嘆いていても仕方が無い。
歩きながら今までに起こった事を整理してみよう。
まず、あの筒──隙間転移装置試作型の誤作動に因って、俺は日本では無い場所に飛ばされた。
正確な位置は不明、食糧は無し、持ち物は着ている服のみ。
現在は夜、気温は体感で十℃前後。
周辺に人の気配無し、周囲一里に建造物は発見出来ず。
「無理ゲーじゃね? いつから俺の人生ハードモードに移行したんだ」
今朝まではベリーイージーだった筈なんだが。
取り敢えず寝る所は良いとしても、食糧と飲み水の確保が急務だ。
『不死の標』でライフを底上げしたとは言え、空腹状態で気力を保つのは厳しい。
加えて面倒なのは、先程から迫り来る異形の存在。
「くそっ、鬱陶しいんだよ!」
地面に走る木の幹に左足を乗せ、滑る様にして身体を前にずらす。
反動で前に出た右足を振り子の原理で後ろへ跳ね上げる。
体重を乗せた踵に返るのは軽い衝撃。
戻した右足を軸に、今度は左手を握り締め裏拳を放つ。
手の甲が肉と骨を叩き、相手を吹き飛ばした。
次の攻撃が来ない事を確認して中途半端な構えを解き、深い溜息を吐く。
進路を東に取って以来、良く解らない何かの襲撃を受ける様になった。
進めば進む程接敵の回数も増える為、この先に何かが有るのは間違い無い。
身体能力はエンチャント重ね掛けで強化しているので、不格好な構えと動きにさえ目を瞑れば問題無くあしらえる。
襲って来るのは恐らく妖怪の類だろう。
ワーウルフやハウンドドッグ、モスマンやスプリガンらしきものを確認した。
敵の種類から西洋妖怪とでも名付けよう。
「っと」
気配は頭上。
右足で弾く様に地面を蹴る。
僅かに一歩半右に動いた身体を捻り、腰を回して左腕を伸ばす。
手の甲から肩口に掛けてを風が撫でる。
落ち行くのは月光を受け鈍く鉛色に照らされた一対の爪。
鎌と呼んで差し支え無い爪は、ほんの一秒前までそこに立っていた俺を葬り去る軌道を描いて──無為に空を裂き地面に吸い込まれていく。
が、その動きは途中で止まった。
胸を強打した左手の拳が襲撃者の身体を跳ね上げ、骨を砕いた感触を伝えてくる。
衝撃で一瞬宙に浮いた襲撃者を右の回し蹴りで吹き飛ばす。
三度地面を跳ねた襲撃者は木の幹に当たって止まる。
微かな痙攣さえ止まり骸となった襲撃者に軽く溜息を吐いて、俺は再び歩き出した。
「グロいしキモいし最悪だな。蛾男や駄犬のどこに需要が有るんだよ、ルーミアみたいに可愛い妖怪は居ないのか?」
狼男が居るんだから吸血鬼くらい出て来ても良い筈なんだが。
やれやれ、と肩を竦め再度エンチャントを重ねる。
『間に合わせの鎧』や『聖なる力』や『鎧をまとった上昇』と言った強化修正を中心に掛けて置く。
これでそこら辺の中ボスには圧勝出来るだろう。
ラスボス相当だと厳しいが、こんな深い森の中でバッタリ出会す事は無い。
そういう奴とエンカウントするのは城の天守閣や洞窟の最奥、神殿の霊安室か正教会のステンドグラスの前と決まっている。
だから絶対に会わないだろう……ん、これってフラグか?
面倒な事になる前にブレイクして置こう。
そう思った矢先、何かが足を払う。
気付けば視界が回っていた。
受け身を取る事さえ叶わず地面に押し倒され、喉に手刀が当てられた。
視線の先、赤い長髪が風に舞う。
覆い被さる様にして俺の動きを封じたのは女性だった。
「……早速エンカウントかよ。ともあれ美人さん、いきなり襲い掛かるのはまだしも見知らぬ男に跨がるのは少々はしたないと思うが如何か?」
軽口には応えず、何かを考え込む女性。
一瞬の隙も見せない辺り、相当の手練れと見受けられる。
どうにか現状から脱却したいが、右腕の肘は膝で押さえ込まれ左腕は女性が右手で抱え込んでいる。
両足は自由だが、膝を立てるより速く手刀が振り抜かれる事は想像に難くない。
加えてここが日本で無いなら俺の言葉が通じるかさえ疑問だ。
交渉スキルも無い俺が抜け出すのは、ほぼ不可能と言って良いだろう。
──詰んだか? タフネス強化と十桁ライフが有るとは言え、格上相手に逃げ切る自信は無いぞ。
襲撃の際に全く気配を感じさせずに一瞬で有利な状況を作り出せる相手だ、力と速さで勝っていてもそれを扱う技量と経験の差であっさり負けるのは目に見えている。
かと言って易々と負ける訳にも行かない。
待っている嫁達の元へ帰る為なら死神所か閻魔だって口説き落としてやるさ。
……死神と閻魔が男だったら走って逃げるか。
女だったら嫁にしよう。
「貴方は何者? 何故ここへ来たの?」
馬鹿な事を考えていると女性が鋭い視線を向けたまま問うてきた。
掛かる声は艶が有り、平時ならばいつまでも聴いていたくなる程に綺麗なものだ。
惜しむらくは俺に向けた警戒と不審が色濃く乗っている所か。
ともあれ発せられたのは日本語。
少なくとも交渉の余地は有りそうだ。
「俺は望月契。望月が名字で契が名前だ。ここに居る理由は……少々込み入った事情が有ってな、ざっくり言うなら事故だ」
「貴方の目的は?」
「当面の目的は家に帰る事だな」
「貴方は人間? それとも妖怪?」
「半分は人間だ。残り半分は神だな」
「貴方は敵? それとも味方?」
「どちらでも無い。俺はここへ来たばかりだからな」
幾度か言葉を交わす。
不審者に対する尋問としては至って普通なんだが……何故焦っているんだ?
その疑問に応える様にカサリと葉を踏む音が響いた。
次いで届くのは悲痛な声。
「美鈴、フランが!」
「お嬢様!? いけません、まだここには……妹様っ!?」
ばっと跳ね起き声の元へ駆け寄る女性。
身体が離れた事で漸く女性の全体像を理解する事が出来た。
浅く被った緑の帽子、腰元まで伸びる赤い髪、帽子と同じ色で深いスリットが入った中華風のドレス。
覗く生足が艶めかしいが、擦り寄ろうものなら強烈な蹴りが返ってきそうだ。
身長は俺より僅かに低い。
そんな彼女が血相を変えて駆け寄った先、青い髪の幼女とそれに背負われた金髪の幼女が居た。
声を上げたのは青髪の幼女。
背負われた金髪の幼女は呼吸が荒く、その左肩の辺りは赤黒く染まっていた。
ぷぅん、と鉄の香りが漂う。
「白符『純白の秘薬』」
気付けば能力を使っていた。
回復量は五十。
見る間に呼吸が落ち着き血色も良くなっていく金髪の幼女。
突然呼吸が正常に戻った事に青髪の幼女は症状が悪化したと勘違いして、必死に金髪の幼女の名前を呼んでいる。
対して女性はその原因が俺に有ると気付いたのか、鋭い視線を向けてくる。
気持ちは解らんでも無いがと内心で苦笑を漏らし、念の為再度回復させる事にした。
「白符『不死の標』」
傷口周辺が微かに淡く光る。
再生力を強化したから数分で目を覚ますだろう。
どうやら悪くはなっていないと解ったのか青髪の幼女は落ち着きを取り戻しほっと息を吐く。
一方女性は射殺さんばかりに俺を睨み付けていた。
「貴方、一体何をしたの? 事と次第に拠っては」
「……素直に話すから殺気を抑えて貰えないか? 余りの恐怖で膝が笑いっぱなしだ」
尋常じゃ無い量の殺気で肌が切れたと錯覚しそうなくらいだ。
神奈子と対峙した時も月の使者を撃退した時も、地力で勝っていたからこそ普段通りに動けていた。
だが、今目の前で殺気を放っている彼女にはどうやっても勝てない。
それが解っているからこそ、俺は久し振りの恐怖を感じていた。
勿論震えは精神で叩き伏せたが。
幼女の前では常に格好良く。
それが俺の掟だ。
「……一先ず場所を変えましょう。お嬢様、妹様をこちらに」
彼女は青髪の幼女から金髪の幼女を受け取り、胸に浅く抱いた。
傷が塞がっている事を確認して驚きを顔に滲ませるが、すぐに表情を消した。
「解っているとは思いますが、妙な気を起こさないで下さい。お嬢様、私の側へ」
そう言って歩き出す女性。
青髪の幼女は俺をチラチラと窺いながら彼女の後を着いて行った。
その背中にはぱたぱたと揺れる羽が有る。
例えるなら、蝙蝠の様な羽。
今日一日でどれ程のフラグを回収したのか考えただけで頭が痛くなりそうだ。
小さく溜息を吐いて、俺は彼女達の後を追い掛けた。
「くー……むにゅ……」
「ふにぅー……」
安らかな寝息が聞こえる。
パチパチと落ち木が弾け火の粉を飛ばし、空に浮かんでは消えていく。
先程彼女達と遭遇した場所から南へ三十分歩いた川の側で、俺は焚き火で魚を炙っていた。
岩魚っぽい魚が泳いでいたので、豆粒程の小石を投げ込み穫ってみた。
こうして漁をするのはルーミアとのサバイバル生活以来だったが問題無く成功した。
焼けた魚を女性──美鈴に渡し、もう一匹にかぶり付く。
塩っ気が足りないが、そこは我慢だ。
「お代わりはまだまだ有るから遠慮しないでいっぱい食えよ。足りなかったらまた穫って来るから」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます、契さん」
にこやかな笑みを返してくれる美鈴。
移動してからの話し合いでだいぶ打ち解ける事が出来た。
彼女は紅美鈴と言って、森を抜けた先に有る館のメイド長をしていた。
俺のジャケットを布団代わりに眠る──青髪の方がレミリア・スカーレット、金髪の方がフランドール・スカーレットと言う──姉妹の教育係もしていたらしい。
元々スカーレット家はこの辺り一帯を支配する妖怪のトップだったが先日当主が人間との争いで亡くなり、権力を求める他の妖怪達が二人を利用しようと攻め込んできた。
その妖怪達の動きを察した人間達も一網打尽を狙い進撃、多方面からの攻撃に二人を連れて命辛々逃げてきた先で俺と遭遇した──と言うのが事の顛末。
ならこんな所でのんびりしていて良いのかとも思うが、当分心配は無い。
各方面に影武者を放ち偽装工作を施し敵の陽動、撹乱まで行った為に追撃の手は緩いとの事。
加えて俺が道中吹き飛ばしていたのはどうやら別働隊らしく、人間の俺が館へ向けて歩いていた事からその方向に逃げていれば大きな戦闘が起きると妖怪達は考えた様だ。
別働隊を殲滅させるだけの力を持っているなら小娘二人は苦も無く殺せる筈、苦戦したとして戦闘の起きている場所へ向かえば漁夫の利を得られる──とは、道中捕まえた若いワーウルフの言。
勿論尋問で吐かせて用済みになったら殺して置いた。
男の扱いなんてそんなもんだ。
──躊躇わず人の形をした生物を殺せる時点で、俺も人間離れしてきたな。
ともあれフランドールの傷を癒やし斥候を排した事で多少疑念は晴れたらしく、改めて自己紹介した後は美鈴も警戒を解いてくれた。
……まぁ、レミリアの一言が大きかったのは有るかもしれんが。
フランドールの怪我を治療したと解るや否や美鈴に向かって「ケイは良い人だから虐めないで」と懇願。
誤解の無い様言って置くが、俺は虐められた訳でも無ければ勿論良い人でも無い。
あの状況なら身内以外の者は警戒して当然だし俺に釘を刺す意味でも殺気を放つのは間違っていないが、レミリアにはそれが不義理に見えたらしい。
その時点ではまだ俺が敵か味方か判別出来ないのだから疑って掛かるべきだ。
だからレミリアの考える『フランドールを助けてくれた→でも美鈴は警戒してる→それはダメな事』と言う認識は成り立たないのだが……そこら辺は幼女だから解らなくて当然かもしれん。
「しかしこれからどうしましょうか……」
「追撃を躱すとしても目的を決めて置くべきだろうな。目指す場所も無く逃げ回るのは肉体は勿論だが精神にも辛い」
「近くには逃げ込める様な領地も有りませんし、何より日中の移動はお嬢様達には厳しいものが有ります」
「なら移動は夜間に限られるか……馬車が買えれば日中でも移動は出来るが」
「お金も有りませんしねぇ。流石に野盗紛いの事はやりたく無いです」
「国境や街道の警備が強化される可能性も鑑みれば却下だな。商人達は耳敏い、人相書きが出回れば動きを制限される」
あーでもないこーでもないと議論を重ねていると、ふと思い出した様に美鈴が声を上げた。
「いっそ契さんの故郷へ行きますか」
「は、俺の故郷? つまり日本か?」
「ええ、そうです。確かに遠いかもしれませんが、お嬢様達が安寧に暮らせるとしたら日本が一番安全だと思います。契さんの話を聞く限りでは妖怪に対して多少なりとも理解が有り、この国の息の掛かった者も居ない、うってつけの場所です」
「そうかもしれんが……」
「それに」
そこで美鈴は言葉を切った。
こちらに顔を向け、やや困った様な笑みを浮かべる。
「契さん、気付いてますか? 先程からお嬢様達と行動を共にする様な事しか喋ってませんよ。契さんはあくまで巻き込まれただけ、お嬢様達を捨て置き一人日本へ帰る道を模索しても誰も文句を言いません」
「……迷惑だったか?」
「いいえ、とても嬉しいです。ですが、私は契さんにお嬢様達の助けになって欲しいとお願いする事は出来ません。そこまでして頂ける理由も見返りも、私は用意する事が出来ないのですから」
随分と寂しい事を言ってくれる。
これが俺の協力を得る為に言った台詞なら相当な策士なんだが……美鈴の目を見る限り本心からの言葉なのだろう。
それが余計に気に食わない。
レミリアとフランドールを助けたいなら形振り構わず他人を利用したら良い。
優先順位の通りに事を進めたとて、それこそ誰も文句は言わないだろう。
なのに美鈴は利用すべき相手、俺にも気を遣っている。
不器用なのだろう。
その上で誠実とも言える。
──厄介な性格をしているな。それだけに好ましい。
ならば、考える必要も無い。
美鈴が他人を気遣い動けないと言うなら、俺は俺のしたい事をするだけだ。
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、俺は口を開いた。
「日本を目的地にするなら道中では家族として振る舞った方が良いかもしれんな」
「へっ?」
「だが髪の毛の色が違い過ぎるか? 隔世遺伝と言い張るのも手だが……どちらにせよ移動に馬車は必要か、手っ取り早いのは妖怪が襲ったものを掠め取るか遺品となった馬車の貨物を売り払い新たな馬車を購入する事か」
「あの……契さん?」
「ん、お代わりならまだ有るぞ」
「いえ、そうじゃなくって。あれ、私言いましたよね?」
「何をだ?」
「協力して下さるのは嬉しいですけと、私は見返りに何も差し上げる事が……」
「知らん」
「へっ?」
「俺は俺のやりたい事をするだけだ。だから俺の勝手に恩を感じる必要は無い」
初めはぽかんと口を開け呆けていたが、徐々に嬉の色が顔に満ちていく。
そのまま頭を深く下げてきたので旋毛の辺りに軽くチョップをくれてやった。
ぺしっ、と小気味良い音が鳴る。
「あたっ」
「叩きやすくて良い頭だな」
「な、何で叩くんですか!?」
「言ったろ、恩を感じる必要は無いと」
「で、でも申し訳無くてあたっ」
もう一度、今度は額にチョップする。
べしっ、と骨を叩く音がした。
額を抑えて小さく唸る姿に苦笑を返しながら、俺は言ってやる。
「どうしても何かしたいんだったら、中華料理でも教えてくれ。俺は基本的に和食しか作れないからな、中華は殆ど知らないんだ」
「そんな事で良いんですか?」
「それでも足りないと思うなら、日本に着いたら嫁に来てくれ」
「へ……えぇぇっ!?」
「押し倒された挙げ句上に跨がられたからな、間違い無く傷物にされてしまった。これでは婿に貰ってくれる人も居ないだろうし、誰か責任を取ってくれないだろうか」
チラッチラッと態とらしく美鈴に視線を送ってみる。
予想通り美鈴は真っ赤になってあわあわと両手を振り回していた。
かと思えば、俯いて口をもごもごと動かしている。
小さく「いや、そんな、でも」とか「だけど、だって、それは」とか全く中身の伝わらない言葉が聞こえてくる。
せめて主語くらい付けて欲しいものだ。
──妙なイベントには巻き込まれたが、どうやら退屈はしないで済みそうだな。
まだ慌てている美鈴を放って置いて、丸太を枕に寝転がる。
お嬢様方が目覚めるまで、暫し仮眠を取る事にした。