目を開ける。
まだ空には星々が瞬いている。
まだ夜明けには遠い。
ぐっと身体を伸ばして凝りを取り、上体を起こした。
下火になった焚き火の側、膝を抱えて船を漕ぐ美鈴の姿が有った。
不寝番のつもりだったのだろう、すぐに動ける体勢にはなっているが如何せん口から垂れる涎が色々と台無しにしていた。
昨晩はかなり疲れていた様だし、そのまま寝かせて置こう。
焚き火の燃え方から察するに二時間程寝ていたらしい。
不穏な気配を一切感じなかった事から周囲に妖怪や人間は居ないと見て良いだろう。
と、横から視線を感じた。
振り向けば金髪の幼女、フランドールがじっと俺を見上げていた。
左耳の上にサイドポニーを垂らして、頭には白いナイトキャップを被っている。
深紅の瞳は興味深そうに俺を映していた。
向き直ると少しびっくりしてレミリアの後ろに隠れてしまう。
顔さえ見えなければ隠れられていると思っているのが微笑ましい。
「こんばんは、可愛らしいお嬢さん」
声を掛けると、恐る恐る顔を覗かせた。
見た感じ五歳前後って所か。
動きがちょこちょこと小動物っぽくて非常に可愛らしい。
フランドールはゆっくりてちてちと歩み寄り、へにゃんと首を傾げた。
「だぁれ?」
玉を弾いた様な、難しく言えば玲瓏とした音が鼓膜を揺らした。
聴き惚れる、とはこういう事かと思ってしまう程に美しく儚い可憐な声。
幼い仕草と相俟って衝撃的な破壊力を生み出したそれに、思わず仰け反ってしまいそうになる。
なけなしの気力で押し止め、極めて平穏を装ってみた。
「初めまして、フランドール。俺の名前は望月契、美鈴の知り合いだ」
「美鈴のお友達?」
「お友達かどうかは美鈴が起きたら聞いてみてくれ」
「うん! 私はフランだよ、よろしくね」
にぱっと無邪気に笑うフラン。
それに合わせてシャラン、と背後の羽……の様なものが揺れた。
枝と骨の中間の様な棒の下に、ふわふわと色とりどりの水晶体が浮かんでいる。
見惚れていると、フランは嬉しそうに羽を広げて見せた。
シャラン、シャラン、と水晶体がか細い音を鳴らす。
「綺麗だな、フランの羽か?」
「えへへ、そうだよ!」
嬉しそうにくるくると回るフランの左肩、赤黒く染まった箇所がある。
見た限りでは傷も塞がっている様だ。
数度回転した所でフランが左肩の血染めに気付く。
「あれ、血?」
「……おいで、フラン」
不思議そうに首を傾げながらも近付いてきた……待て、何故俺の胡座の上に座る。
俺は右隣に座れと意味を込め丸太の上をぽんぽんと叩いていた筈なんだが。
まぁ、或る意味好都合か。
昨晩の出来事を急に全て思い出しパニックに陥るよりは、俺が少しずつ誘導してやった方が良いだろう。
優しく髪の毛を梳いてやりながら、俺はゆっくりと話し出す。
「フラン、これから俺が話をする。途中で怖くなったら俺の指を握っても良いぞ」
「こんな感じ?」
下から見上げてくるフランが俺の右手人差し指を握る。
が、予想を遥かに超えた力だった。
関節がミシミシと軋んでいく。
堪らず、俺は声を上げる。
「いででっ、フラン、もう少し弱く」
「あっ、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。素直に謝れるフランは偉いな」
左手で頭を撫でてやる。
勿論右手はフランの背後で振り痛みを紛らわせている。
幼くとも吸血鬼、物凄いパワーだった。
力加減も教えて行こう。
撫でられているフランはと言うと、ふにゃーっと猫みたいな声を上げている。
どうやら気持ち良いらしい。
「じゃあフラン、改めて話をしよう。昨晩何が有ったのかを」
美鈴から聞いた話を、フランでも解りやすく噛み砕いて説明する。
途中解らない事が有ればどんな事でも話してやり、言葉から想像して恐怖に逸りそうな時は優しく抱き締めて落ち着かせた。
傷を負ったと聞いてすぐさま確かめたフランの肩口に艶めかしさを感じて顔を逸らすという一幕も有ったが、概ね問題無く話し終えた。
確認の意味を込めフランに感想を聞いてみると、面白い答えが返ってきた。
「美鈴は痴女だったんだね」
「い、妹様っ!? ちょっと契さん、何吹き込んでるんですかぁぁぁぁっ!」
血涙を流しそうな勢いで喰って掛かる。
神に誓って……いや、俺自身が神か。
俺に誓って嘘偽りは何一つ口にしていないし、事実しかフランには伝えていない。
だからフランは事実から判断しただけだ。
それより早く否定しないと美鈴の立ち位置が痴女で固定されるぞ?
と、言いたかったのだが美鈴に首を締め上げられぶんぶんと振りたくられている状態ではまともに発声する事も出来ない。
「何とか言って下さいよ、このままじゃ妹様に誤解されたままじゃないですかぁ!」
「……うー、美鈴煩いわよ……」
「あ、ねーねーお姉様! 美鈴、痴女なんだって!」
「うあぁぁぁぁぁ!?」
良い感じに壊れた美鈴が更に俺の首を締め上げる。
酸欠で唇が青くなる寸前にレミリアが救出してくれたので何とか無事だ。
理由を聞いてレミリアは噴き出し、美鈴を軽く咎めていた。
フランは締められて変色した首の皮膚を心配そうになぞっている。
少しくすぐったいが心配させた罰として受け入れよう。
頬をつつかれたり耳朶を揉まれたりフランの玩具になっていると、レミリアが近寄ってきた。
そのままぺこりと頭を下げる。
「初めまして、スカーレット家当主のレミリア・スカーレットです。昨晩は妹を助けて頂き有り難う御座いました」
「かような御言葉を頂き、身に余る光栄と存じます。私は望月契と申します。しがない凡人に御座いますが、御嬢様の為微力を尽くさせて頂きたく申し上げます」
レミリアに正対し片膝を着く。
背中にフランが張り付いたままだが、そこは目を瞑って貰おう。
最初はぽかんとしていたレミリアだったが、すぐに笑い声を漏らした。
「ふふふ、似合ってないし敬語も滅茶苦茶よ?」
「嬢ちゃんだって似た様なもんだろ。若い内からそんな喋り方してると老けるぞ」
「まぁ、失礼ね。レディに年の話を振るなんて」
「これで俺より年上だったら驚きだな」
「安心かどうかは解らないけれど、私はまだ十歳よ。フランは五歳、美鈴は」
「おい、後ろで土下座してるぞ。勘弁してやってくれ」
レミリアの背後で土下座を披露する美鈴。
教科書に載せたいくらい綺麗なフォームだが……何で土下座が日本以外でも広がってるんだ?
レミリアは少し詰まらなそうに膨れてみせるが、口の端が僅かに吊り上がっている。
随分と悪戯好きの様だ。
立ち上がって膝を払い、丸太に腰掛ける。
「で、レミリア。俺と美鈴とで話したんだが、日本に来る気は有るか?」
「日本へ?」
近隣には敵対している妖怪達の領地しか無い事、館へ戻るにしても現状は戦力が足りない事等を説明する。
レミリアとしてはスカーレット家復興の為に留まりたい様だったが、日本でもスカーレット家復興は可能で有ると説いた。
現状を鑑みるに今は雌伏の時。
遠く島国からスカーレット家の名が聞こえてくる頃にはこちらの準備は万端。
小娘風情が何するものぞと高を括っている間に敵陣の奥深くまで侵入し、仇の喉笛を掻き切ってやれば良い。
……とか何とか、随分適当な事を喋った気がする。
ともあれレミリアも納得し、日本へ進路を取る事に相成った。
「じゃあ夜が明ける前に出発するか」
「いえ、もう二時間で日の出です」
「なぬ?」
美鈴が示した空の向こう、山の先が白み始めていた。
存外、長い事話し込んでいた様だ。
仕方が無いので美鈴に二人の警護を任せ、使えそうな木や枝葉を集める。
レミリアとフランにも協力して貰い、木を等分割し柱を作る。
外壁に板を張り付け天井に梁を作り屋根には枝葉を編み込む様にして這わせる。
突貫作業だが何とか日の出前に簡易小屋が完成した。
出来はまぁまぁだ。
枯れ草を敷き詰めた床はそこそこ暖かく、日光は完全に遮断出来る。
隙間風が入るのが欠点だが、そこは勘弁して欲しい。
建築の技術も知識も道具も無い中で頑張った方だ、少なくとも壁に寄り掛かったくらいでは倒壊しない。
これで二人も落ち着いて眠れる筈だ。
「ねーねーお兄様、ちょっと良い?」
薄暗い小屋の中からフランが手招きする。
近付くと袖をくいくい引かれる。
どうやら座って欲しい様だ。
導かれるまま小屋の真ん中に腰を下ろすと胡座の中に入ってきた。
「甘えん坊だな、フラン。しかしお兄様と言うのは」
「ダメ?」
覗く様に見上げてくる。
勿論許可してやった。
……何だろうか、普段より幼女に甘くなっている気がする。
厳しくする為に一つからかってみるか。
暇潰しも兼ねて。
「呼ぶのは構わんが本当の兄になるには俺とレミリアが結婚しないと無理だぞ」
「お姉様、お兄様と結婚して!」
「ま、まだダメよ! だって私子供だし小さいし胸大きく無いし」
「早くも浮気ですか契さん!? 嫁入り前に浮気されました!?」
「大きくなったらお願いね、お姉様!」
「いやあのでも私達まだ知り合ったばかりだし、ちゃ、ちゃんとしたお付き合いから始めた方が良いと思うの! こ、交換日記からとか!」
「あ、甘酸っぱいですお嬢様! まさかお嬢様が恋のライバルだなんて……って、私まだ契さんとそんな関係じゃないですよ! 何を考えてたんだ落ち着け私!?」
予想以上に面白かった。
フランは真に受けて無邪気に上目遣いビームを連発してるし、レミリアは顔を赤くしてあわあわ戸惑ってるし、美鈴は釣られて恥ずかしがっていたが正気に戻り自分の思考に悶えている。
これはアレだな、全員乙女だ。
というかレミリアと同レベルの慌て振りって教育係としてどうなんだメイド長。
いや、これは教育を受けたが故にレミリアの反応が美鈴と同じと考えるべきか。
ニヤニヤと美鈴を眺めていると、小さくきゅるると音が鳴った。
出所はフランらしく、腹を押さえていた。
「そうだお兄様、お腹空いたの!」
「先程焼いた魚なら有るが」
「ううん、お兄様の血が欲しいの!」
そう言ってキラキラした目で見上げてくるフラン。
成程、吸血鬼なら血が欲しくなるな。
『不死の標』の再生力が増血剤代わりになれば余裕なんだが……無理なら暫く動けなくなるか。
どちらにせよ腹を空かした幼女が居るならやる事は一つ、増血出来れば儲けものだ。
「どうやって飲む? 指を切って血を流すかそれとも首筋にがぶっと行くか」
「ん〜……首筋だと我慢出来なくなりそうだから指で」
それならと美鈴にナイフを借りて左手人差し指の腹を切る……が、すぐに傷は消え一滴の血も出なかった。
三人がぽかんとする中、俺は若干気拙い思いをしながら口を開く。
「すまん、忘れてた。諸事情で常人と比べて傷の治りが異常に早いんだ俺」
「吸血鬼の私より早いわ……」
「契さんって本当に人間なんでしょうか」
「じゃあお兄様、どうやって血を飲めば良いの?」
「そうだな……腕から飲んでみるか? 歯を突き立てている間は再生しないだろうし」
「そうする〜」
早速袖を捲り左腕を前に回す。
こちらに向けたフランの背中で、シャランと羽が音を立てる。
どことなく嬉しそうだ。
かぷっと可愛らしくフランが噛み付き、ピリッと刺すような痛みが走った。
どれ程吸うものなのかと若干の好奇心に煽られワクワクする──が、フランの様子が何やらおかしい。
一口吸ったのを最後に動きが止まり、後ろから見てハッキリ解る程に耳が赤い。
「おいフラン、大丈夫……うわっ!?」
右手で軽く肩に触れただけで全身をびくっと震わせ、同時に鼻からブバッと血を噴いてこちらに倒れてきた。
「ちょ、フラン!?」
「どうなってるんだ一体!?」
「い、妹様っ、しっかりして下さい!?」
吸血鬼が鼻血を噴いて倒れるという前代未聞の現象に一同パニクる。
しかも二人は気付いていない様だがフランの表情は明らかに恍惚としており、加えて持ち上げる際に膝が下着に触れたんだが……軽く湿り気を帯びていた。
触れた時の反応、恍惚とした表情、何かで湿った下着。
どう考えてもイカせ捲った後のルーミアや諏訪子と同じ状態だった。
──まさか『不死の標』の所為で血液まで変異したのか?
体液が媚薬と化した……とまでは言わないが、原因は間違い無く俺の血液だろう。
古来より血液は生命力の象徴と言われている。
そして『不死の標』は再生力の強化、言うなれば生命力を高める事に特化している。
ならば膨大な量のライフが血液に何らかの影響を与えたとは考えられないだろうか。
皮膚でさえもが一瞬で傷口を塞ぐ程の力を手に入れている。
血液に普通では考えられない程の生命力が濃縮されていたとて何ら不思議は無い。
──つまり悪いのは俺か!?
取り敢えずフランを床に寝かせてやる。
呼吸は荒いが特に異常は無さそうだ。
その後混乱を収める為にレミリアと美鈴に説明を始める。
フランの状態に関して詳しく話すと自分の首を絞めそうだったので、そこは多少ぼかして説明したが。
「つまり、ケイの生命力が強過ぎてフランが受け止められる分を超えたものが、鼻血として外に出てきたって事かしら?」
「そう……なるな」
「益々人間離れしてますね契さん」
「言うな、悲しくなる」
「で、今のフランは多過ぎる生命力に適応する為に朦朧としてる。勿論命に別状は無いのよね?」
「あぁ、大丈夫だ」
単にイって脱力してるだけだからな。
というか五歳の幼女を絶頂させる生命力とかただの毒だろ。
……いや、息子は反応してないからな!
精神力で捻伏せたからセーフだ!
「……そこまでの生命力が有る血って美味しいのかしら? ちょっと頂戴」
待て、と言うより早くレミリアが腕の中にするりと潜り込んできた。
フランと同じ様に胡座をかいた上に座ってくる。
何故お前達姉妹はそこに座るんだ。
取り敢えず突っ込むのは後回しにして腕を退こうとするが、何故か左腕はぴくりとも動かない。
レミリアがしっかりと掴まえていた。
はむっとこれまた可愛らしく噛み付かれ、ちぅちぅと血を吸われて行く。
が、やはりと言うべきか。
レミリアも同様に動きを止めた。
小さくぷるぷると震えているのが腕を通して伝わってくる。
「お、お嬢様? 大丈夫でうひゃあ!?」
ブバッと放たれた鼻血が美鈴を襲う。
顔を真っ赤にしたままこちらに倒れ込んだレミリアを抱き止め、フランの横に寝かせてやった。
間違い無い、俺の血は毒だ。
知らない間にヤドクガエルみたいになってしまった事に泣き暮れたいがそれより先に、別の理由で顔を真っ赤に染めた美鈴へと向き直る。
「取り敢えず顔洗ってこい」
「……はい」
一気にテンション下がってたな。
お嬢様に鼻血を掛けて頂けるなんて! と悦ぶのが正しいメイド長じゃないのか?
まぁ悦んでいたら川に蹴り込んだが。
──色々と前途多難な一行。果たして無事日本まで辿り着けるのか!?
……止めよう、気分が滅入ってきた。
それよりも二人の食事をどうするかが問題だ。
ホイホイ人間を捕まえられるとも限らない以上、俺の血液を提供しなければならない時も出てくるだろう。
だが毎回アレをやるのは大丈夫なのか?
吸血鬼が血を排出するとか世界観が不明過ぎる。
そもそも吸った血以上の量を鼻から噴き出すというのは吸血鬼として大丈夫なのか?
勿論二人の身体も心配なんだが、存在意義という観点から見てセーフなのか?
いや待て、二人にそうさせたのは俺だ。
という事はつまり、俺が吸血鬼の存在意義に喧嘩を売った事になるのか?
「ふぃー、さっぱりしました。……アレ、契さん? おーい、契さーん」
「ん……うおっ!? な、なんだ美鈴か」
「なんだじゃ有りませんよ、どうしたんですか一体」
「いや……ひょっとして俺は哲学的な問題を投げ掛けてしまったのかと」
「はい?」