さとりとこいしを保護してから数日が過ぎた。
レミリア達は守矢神社へ、さとり達は望月神社で預かっている。
奈苗や諏訪子、神奈子も守矢神社へ戻ったのだが……毎日食事の時間にはここに集まり、皆で賑やかな時間を過ごしている。
とは言え最初から問題無く和気藹々とした空気だった訳では無い。
皆と会うに当たり自身の能力を危惧したさとりの不安を取り払う為に、色々と気を回す事となった。
俺の嫁をやっているだけ有って皆さとりを好意的に見てくれているが、やはりそれだけでは心許ないだろうし発生──妖怪として生を受けて──から十年程しか経っていない為、能力を調節する技術が未熟だ。
そこで少々気が咎めるが、俺の能力でさとりに枷を付ける事にした。
使ったのは『抑制の場』というエンチャント。
起動型能力は、それらがマナ能力で無い限り、それを起動するためのコストが(2)多くなるという効果を持つ。
マナやらコストやら如何にもカードゲーム的な名称が出て来たが、使うに当たってそんなややこしい挙動は要らない。
マナは精神力、コストは消費量だ。
このエンチャントを張った事で、さとりは能力を使う際に対象となる相手を注視する必要が有る。
今まで無条件に発動出来た能力に、若干の制約を課したという訳だ。
……とまぁ、状況説明を兼ねた現実逃避をしていたがそろそろ限界だ。
「にーにー」
「あぁぁっ、本当に可愛いなお前は!」
「ごろごろ」
「ここか!? ここがええんか!? 首の下こちょこちょがええのんか!?」
「にゃおーん」
「くぅっ、可愛過ぎる……! この黒い毛並みも、ぷにぷにのにくきぅも堪らんっ」
余りの可愛さに色々とブレイクしてしまっているが、そこは仕方無い。
何故なら今、俺の膝の上に、現世に舞い降りた天使が居るからだ。
猫。
それは愛らしく可憐で美しく綺麗で優雅な地上最高の生命体。
既に先程の台詞と今の紹介文で察しは付いているだろう。
──諸君、私は猫にゃんが大好きだ。
カミーユもとい某少佐の様に演説をかましたくなるくらいに猫が好きだ。
猫の種類や生態に詳しい訳では無いが、猫を愛する気持ちは人一倍強いと思う。
そんな俺が可愛らしい小さな黒猫と出会えばどうなるか。
こうなる。
「可愛いしお利口さんだし、お前は将来良い女になるぞ」
「にゃー」
「はっはっは、それは嬉しいな。にしても綺麗な尻尾だな、触ってみても良いか?」
「にゃ」
「そうか、尻尾は敏感なのか。解った、なら止めておこう」
「……ねぇ、るーみあさん。にぃにって、ねこさんとかいわできたの?」
「私も今初めて知ったわ。ケイも芸達者なのね。……でも猫にまで嫉妬しちゃうなんて、私も程良くケイに調教されたみたい」
「ふふっ、お兄さんは猫が好きだとは知りませんでした」
「お兄さんデレデレだね」
すっかり骨抜きになった俺に呆れや嫉妬を滲ませた視線を向けてくるルーミア。
その横では妹紅が驚きつつ、さとりとのんびり緑茶を啜っている。
こいしは膝の上を猫に取られ憤慨していたが、俺の壊れっぷりを見て観察した方が面白そうだと思ったのかニヤニヤしながら眺めてくる。
そんな皆の姿を視界の端に収めながら、俺はひたすら猫を愛でていた。
この黒猫、どこから来たのかは不明だが良く人に懐いている。
恐らく飼い猫か捨て猫なのだろう。
朝早く、庭の軒下で丸くなっているのをさとりが発見した。
鰹節と水をやった所、綺麗にぺろりと食べたが、がっついた様子は無かったので飢えてはいなかったと見える。
「お前さん飼い猫なのか?」
「うにゃ」
「違うのか、てっきり首輪付きかと思ったんだが。なら物は相談なんだがな」
優しく抱き上げさとりとこいしに唇を読まれない様、猫に顔を近付け声を潜める。
「あっちに小さい二人の姉妹が居るだろ? 実はあの二人、少しばかり辛い境遇に有ってな。ここで平和に過ごして療養させようと思うんだが、お前さん心を癒やす手伝いをしてくれないか?」
「に」
「あぁ、難しい事は無い。二人と一緒に生活して、それとなく甘えさせてやってくれれば良い。頼めるか?」
「にゃおーん」
ふんす、と頼もしげに息を吐く猫。
降ろしてやると膝の上から去り、さとりとこいしの間に立った。
ぺこり、と可愛らしく頭を下げる姿にさとりは驚いた様子で手を口に当てた。
猫の心を読んだのだろう。
恐る恐るでは有るが手を伸ばし、猫をそっと抱き上げる。
そのまま胸に抱くと、猫は満足そうに一つ鳴いた。
「お姉ちゃん、この子何て言ってるの?」
「……一緒に居たい、って」
「にゃおーん」
「わひゃっ」
顔を近付けたこいしの鼻を、ぺろりと舐め上げる。
ざりざりした感触に堪らず声を上げた。
猫はさとりの腕からするりと抜け出し、膝を肉球でぷみぷみ追撃する。
どうやら、こいしは遊ばれている様だ。
「わっ、わっ、ひゃぁ!?」
「はっはっは、もう仲良くなったな」
「この子はこいしがお気に入りみたいですね」
「弄ると可愛いからか?」
「かもしれません」
猫に遊ばれるこいしを眺め、さとりと二人顔を合わせて笑みを浮かべる。
動物と触れ合う事で心を癒やすアニマル……何だったか、あぁ思い出した、アニマルテンペストって奴だ。
癒やしにしては名前が勇ましい気もするがそれは気の所為だろう。
ともかくそのアニマル何とやらで、さとりとこいしが少しでも早く無理をしていない笑みを浮かべられる様になれば良い。
向き合っていても、まだ若干陰りが見え隠れしているからな。
二人の心のケアは猫に任せるとしよう。
午前中はそんな感じにまったり過ごした。
恒例となりつつ有るご飯ダヨ! 俺の嫁全員集合! な昼食を終えて食後の一服。
縁側に座り緑茶を啜る俺の膝を枕にして大の字に寝転ぶのはフラン。
右肩には妹紅、左肩にはレミリアがそれぞれ凭れ掛かり、背中には紫が抱き付いている。
幼女トーテムポールと化した俺と、のんびり日向ぼっこだ。
……幾ら平気とは言え吸血鬼二人が太陽を浴び昼寝してて良いのだろうか?
等と疑問が脳裏を掠めるが、緑茶を飲み干しそれを捨て置く。
「常識は投げ捨てるもの」
「んぅ? なぁに、おにいさん」
「只の人間だった筈の俺も随分と非常識な状況に置かれている、と思ってな」
「私からしたらおにいさんが只の人間ってのが一番信じられない気が」
「物理的に壊されるのと精神的に壊されるの、どっちが良い?」
「おにいさん優しいからそんな事しない」
「あの時俺が懲罰房に入っていた理由を忘れたのか」
胴に回されていた手が一瞬びくりと跳ね上がる。
恐らく諏訪子が陥った状況を思い返したのだろう、微かな震えが背中に伝わる。
が、耳元に熱い吐息が掛かるのは何故だ。
「おにいさんに壊されるのも良いかも……大丈夫、私どんなおにいさんだって受け入れてあげるから!」
何やらおかしな方向に解釈したらしい。
はぁはぁと荒い息が鬱陶しいので首を跳ね上げ頭突きを喰らわせる。
かふっ、と力無い息が後頭部を撫でるが抱き付く力が増したのはどういう事か。
「そう言えば紫、さっきチラッと言ってたが午後は鬼の集落に行くんだって?」
「うん、紅魔館が完成間近だから最後の仕上げに向けて鋭気を養って貰おうと思ってお酒を差し入れに」
「なら序でに俺も付いて行って良いか? 鬼にはまだ会った事が無いからな……いや、フランとレミリアは吸血鬼だから微妙に違うだろ」
自分を指差し「私は? 私は?」とキラキラした目で見上げてくるフランに、つんつんと頬を押して突っ込む。
くすぐったそうに首を竦めて俺の左手首をがしっと掴み、そのまま人差し指を口元に運びちぅちぅと可愛らしく吸ってくる。
悪戯したくなるが、ここは我慢だ。
その内淫乱吸血幼女に調教してやる。
「良いよ〜、と言うか大歓迎だよ。実はおにいさんの事自慢したら、どれくらい良い男か気になるから連れて来い、って急かされちゃって」
「妙な事吹き込んで無いだろうな?」
「全然。私の初恋の人で格好良くて料理が上手で気遣いがさり気なくて優しい世界で一番大切な人、って言って置いたよ」
「御世辞は何割だ?」
「一つも無いよ♪ だって私、おにいさんの事大好きだもん」
「……今日は紫の家に泊まるか」
やたっ♪ とはしゃぐ紫とは対照的に、フランは羨ましそうな目を向けてくる。
ねだるのは良いがいつまでしゃぶっているんだフラン、俺の指がふやけてシワシワになるだろうが。
そしてレミリア、嫉妬してるのは解るが脇腹をつんつんするんじゃない。
と、妹紅がやけに静かな事に気付く。
いつもなら誰より早く頬を膨らませて俺を独り占めしようとするんだが。
不思議に思いつつ視線を向けると、
「ふしゅ〜……ひにゃ〜……♪」
良い笑顔を浮かべて寝ていた。
口の端から垂れる涎が元貴族としての品位だとかを色々とぶち壊しているが、それも妹紅らしいと言えばらしい。
そう言えば今日妹紅が着ているYシャツは昨日俺が着ていたものだ。
不衛生だから余り容認したくは無いんだが二、三日に一回は押し切られて脱ぎたてのYシャツを持って行かれる。
妹紅曰く「にぃにのかおりがいっぱい」らしい。
その日はこんな風にだらしない笑みを浮かべて昼寝する事が多い。
どんな夢を見ているのかは不明だが「んぁ……っ、にぃに、きちくぅ……♪」どんな淫夢を見ているのかは不明だが無理に起こす必要も無いだろう。
「おとーさん、お茶のお代わりは如何ですか?」
「頼む。……奈苗、午後からは紫と一緒に鬼の集落へ行ってくる」
「はい、晩御飯はどうしましょう?」
「多分向こうで宴会に付き合わされるだろうから要らない。氷室の右から二番目の庫に今日のお菓子が冷やしてあるからそれを食べてくれ、因みに奈苗の好きなみかん最中だ。俺の分も食って良いぞ」
「み、みかん最中……!?」
「あ、奈苗ちゃん。私の分もあげる」
「い、良いんですか紫様!?」
「私はおにいさんと出掛けちゃうし、それにいつも美味しいご飯を作ってくれる奈苗ちゃんへのお礼も兼ねて、ね」
「良かったな、奈苗」
「はいっ、喜んじゃって良いですか? ひゃっほ〜う♪ あいたっ!?」
背後から鈍い打撃音が響く。
恐らく喜びの舞を披露したは良いが勢い余って卓袱台に足をぶつけたのだろう。
声の調子から脛をぶつけた訳では無さそうで何より。
「白符『新たな信仰』」
「あぅぅ、ありがとうございます、おとーさん」
「怪我して無いか? 能力を使ったから大丈夫だとは思うが、痛む様なら無理はするなよ」
「……でへへ、はぁい」
照れた様に笑う奈苗に緑茶を淹れて貰い、すっかり葉の落ちた木々を眺める。
今年の冬は去年より騒がしくなりそうだ。
そんな風にのんびり日向ぼっこを堪能した後、俺は山道を軽快にひょこひょこ歩く紫の背中を追い掛けていた。
両手に酒瓶を四本ずつ提げているので手を握れず、多少紫はむくれていた様だ。
とは言え紫にこの重い酒を持たせるつもりは毛頭無い。
イチャイチャ出来ない分は帰ってからたっぷり愛し合う事で清算して貰おう。
「しかし意外と近くに有ったんだな。にとりのラボから上流へのんびり歩いて三時間、走れば二十分って所か」
「おにいさんおにいさん、言って置くけれど『普通の人間』は遠いって称する距離だからね? 間違っても二十分じゃ辿り着けないから」
「言うな、紫。最近漸く自分が異常だとしみじみ感じ始めたんだ」
「今更感が凄まじいよおにいさん」
「失敬な奴め。後で虐めてやろう」
「わひゃんっ♪」
頭を抱えて木の陰に隠れる紫。
最近反応があざとくなってきた気がする。
とは言えそれが妙に似合っていて、しかも可愛い為に質が悪い。
これが惚れた弱みって奴かと一人嘆息するが当の本人はどこ吹く風、暢気に枯れ葉を踏んで楽しげなリズムを刻んでいる。
「っと、そろそろ着くよおにいさん」
「紫と居た所為かやけに長く感じたな」
「それだけ一緒に居られるから幸せだね」
「相対性理論って知ってるか? 楽しい事をしていると時間は早く、嫌な事をしていると時間は長く感じるらしいぞ」
「つまりその理論が間違ってるのね。どこの誰だか知らないけれど、そんな稚拙な理論を提唱するくらいだからどうせ死んでも日の目を見れなかった凡人だったんでしょ?」
「謝れ! 俺の世界の偉人に謝れ!」
「お、来たね紫。随分と賑や……か……」
突如割って入った幼い声に足を止める。
巡らせた視線の先、頭から二本の角を生やした幼女が立っている。
肩から先が破れたブラウスから健康的な色の腕が覗き、白と群青色が入り交じったスカートを風が揺らす。
蜜柑色の長い髪は腰程まで伸び、低い位置に赤い大きなリボンを結んで有る。
手首に嵌めた手錠と腰に巻いたベルトから三角や四角や丸い形の分銅が鎖で繋がれている。
左の角には群青色のリボンが巻かれており蜜柑色の髪と相俟って可愛らしさをささやかに演出している。
くりくりっとした赤褐色の瞳も宝石の様に美しいが、その瞳は俺を映した途端驚愕と恐怖に彩られる。
──はて、何かこの鬼っ娘が恐れる様なものを持っていたか?
鰯の頭も炒った豆も童子切安綱も持っていない。
だがこの鬼っ娘は俺に怖れらしき感情を抱いていると見える。
と言うかこの鬼っ娘、どこかで会ったか?
初見でここまで激しい動揺を滲ませる理由が不明だ。
人間自体に恐れを抱いているとも考えられなくは無いが、その可能性は低いだろう。
先程鬼っ娘が口にしたのは紫への挨拶。
親しげな様子から察するに、この鬼っ娘が紫の友人なのだろう。
なら俺の話は聞いている筈だ。
にとりの様に男が苦手という訳でも無さそうだし、皆目見当が付かない。
が、それは俺と鬼っ娘が初見だった場合の話だ。
──恐らく、俺はこの鬼っ娘と以前に会っている。
幽香の名を聞いた時と同じく、異常なまでに心臓が早鐘を打つ。
しかも幽香の時とは違い胸が強く締め付けられる様な息苦しさを伴っている。
どうやら俺の知らない俺は余程後ろめたい事をこの鬼っ娘に感じているらしい。
「え、萃香? どうしたの、顔色悪いよ?」
紫が鬼っ娘の異変を感じ取り、やや慌てた様子で駆け寄る。
だが鬼っ娘はただ一点、俺の眼を見る。
俺も同様に鬼っ娘の瞳を見返しながら、心の奥底で荒れ狂う何かを抑え付ける。
──萃香、と言ったか。
やはりその名前、聞き覚えが有る。
湧き上がる感情は……悔恨、か?
また妙な情を抱いたものだ、記憶を失っていた間の俺はなかなかに愉快極まりない生活を送っていた様だな。
と、風に乗って枯れ葉を踏む音が届く。
姿を見せたのは柿の葉をあしらった雅な着物を着込んだ美女。
額の上に一本生えた角が、彼女を異質な存在で有ると告げている。
「萃香、まだ紫は来ないのかい……って、あ、あんた……まさか、契かいっ!?」
「……どうやら俺は有名人らしいな」
「え、勇儀、おにいさんと知り合い? ってそんなのどうでも良いよ、萃香の様子が変なの!」
彼女もやはり俺を見て驚きを滲ませるが、萃香とは違い恐怖の色は無い。
となれば彼女とはそこまで深い関わりを持ってはいないのだろう。
それを安心するでも無く勿体無いと思ってしまうのは好色が過ぎると言われるか。
「ちょ、萃香!? 大丈夫なの!?」
「あ、うぁ、あぁ……!」
「うわっ、失神したぞ!? ひ、一先ず集落に戻ろう! ほら契、あんたも付いて来な!」
取り敢えずは事態の収集と把握が先か。