「にぃに、そっちじゃないよ」
「んむ、すまん。ならば次こそ」
「にぃに、さっそくちがうよ」
「くっ、流石だと言いたいが……甘いぞ迷いの竹林!」
「にぃに、どこいくの?」
永琳に聞いた夜雀の経営する屋台へ早速出掛けて早三十分。
少し早いかという時分に出発したので道草序でに俺の方向感覚を鍛えようと、俺が先導する形で竹林を抜ける。
が、数歩進む度に妹紅が服の裾を引っ張ってくる。
迷いの竹林でも何故か全く迷わない妹紅が御目付役となり、明後日の方向へ向かう俺を的確に修正してくれていた。
数歩進んではくいくい、また数歩進んではくいくい。
そんなコントの様な俺達の動きを、やや後方で輝夜と永琳は苦笑いを浮かべ眺めている。
「もっちーが方向音痴だったなんて、ちょっと意外よね」
「方向音痴と言うよりは平衡感覚に難有りじゃないでしょうか。レミリア達と旅をしていた時に酷い船酔いを体験したそうですし」
「いや無理だろこの竹林相手に」
「にぃに、ほらこっちこっち」
「もういっそ諦めて大人しくもこちゃんに引っ張って貰ったら?」
「そんな情け無い事が出来るか。これには男の沽券が懸かっているんだ」
「そんなのゴミ箱にでも捨てれば良いじゃない。もこちゃんだって、もっちーと手にぎにぎしたいわよね?」
「わたしは、にぃにがしたいっていうあいだはきょうりょくするつもり。ほんとはもっとにぃにとくっついてたいけど、おっとのやりたいようにやらせてあげるのも、おんなのかいしょうだとおもうの」
「聞けば聞く程、望月君がヒモか何かに見えてくるから不思議ね」
「もっちー最低ー」
けらけらと笑いながら詰ってくる輝夜。
よし解った、後でじっくり話し合おうじゃないか。
とは言えそんないじらしい想いを聞かされて強情を張る訳にも行かず、妹紅に手を引いてもらいながら進む事にした。
小さな手を握ってみれば、やわやわと握り返してくる。
──それにしても、妹紅もすっかりお姉さんになったな。
元々頭の回る麒麟児だとは思っていたが、最近特に精神的な成長が著しい。
肉体は蓬莱の薬の所為で変化しないが、どうやら永琳に頼んでこっそり肉体年齢を増減させる薬を開発して貰っているらしい。
楽しみでも有り、若干不安でも有る。
──しかしこの時の俺は永琳の薬が起こす珍騒動に巻き込まれるとは夢にも思っていなかったのだった、と。
妙なフラグが建つ前に、自分で笑い話になりそうなフラグを建てて置く。
これが長生きの秘訣だ。
「……お、抜けたか」
「すっかり日も暮れて良い感じね」
「じゃあここからは私が案内するわ」
「おねがいね、えいりんさん」
妹紅が元気良く右手を上げれば、永琳がそれに右手を合わせパチンと軽い音が鳴る。
にへー、と楽しそうに笑う妹紅へ優しい眼差しを向ける永琳を見ていると、案外保育士なんかも向いてるんじゃないかと思えてくる。
だが男のガキは入園禁止だな。
少なくとも俺がガキだったら間違い無くアレを揉みしだくだろう。
と、俺の邪な視線に気付いた永琳が両腕を前で交差させた。
ちょうど腕の上に胸が乗っかる形になり、只でさえダイナマイトな胸が更に強調されている。
「ちぇいっ」
「むー」
「いでででっ!?」
一拍遅れて輝夜が俺の後頭部にチョップをかまし、妹紅が手の甲を抓り上げてきた。
どうやら二人共自分の胸が成長しない事を気にしている様だ。
そんな失礼な事を考えた矢先、チョップが連打に変わり抓り上げに捻りが加わった。
「いででででででっ、ちょ、二人共待て、ぬあぁぁぁ!?」
「もっちーは少しばかり品位に欠けるみたいね?」
「かえったらけろちゃんとれみりあちゃんにいいつけちゃうから」
「何で無乳所に、いだだだだっ! ギ、ギブギブ!」
「何が無乳よっ、馬鹿にしてぇっ! 大きさが全てじゃないわよ! これだから男って奴は!」
「にぃになんて、るーみあさんにおしおきされちゃえばいいよ!」
「ちょっ、ま、待つんだ妹紅! ルーミアのお仕置きは洒落にならん!」
「あらあら、大変ね望月君」
そんなこんなで賑やかに移動していると、不意に鼻をくすぐる匂いが有る。
甘塩っぱいタレの香りだ。
微かに混じる山椒の匂いから察するに、どうやら目的の屋台は近い。
応える様に腹の虫が騒ぎ立て、辺りに軽快な音が鳴り響く。
ルーミアのはらぺ娘虫に寄生されたか?
「そんなに慌てなくても大丈夫よ」
「あはは、にぃにるーみあさんみたい」
「もっちー食い意地張ってるわね」
「お前等俺を何だと思っているんだ」
「ほら、見えてきたわよ」
そう言って永琳が示す先、移動屋台と思わしき物が見えてきた。
近付くに連れ炭の匂いが増し、呼応する様にもう一度腹の虫が唸りを上げる。
むぅ、もう少しだから落ち着くんだ俺の身体よ。
もう少し、後僅かの辛抱だ。
「ヒャア、我慢出来ねえ! 突撃だ!」
「わ、にぃに、まってぇー」
「ちょ、もっちー!? 転ける転ける!」
あとりの癖が感染ったのか、全く堪え性の無いまま屋台へと走る。
両手を繋いだままの輝夜と妹紅を引き摺る様に速度を上げ、暖簾を潜り抜ける。
どうやら開店したてなのか他に客の姿は見当たら無い。
カウンターの奥には桃色の髪の毛をちょろんと纏めた少女が目を丸くして突然の来襲者(俺)を見ていた。
だが呆けた様子ながらも、じゅうじゅうと美味そうに脂を弾けさせる鰻を焦がさぬ様器用にひっくり返していく。
うむ、熟練の技だな。
恐らくこの娘が噂の女将なのだろう。
ともあれ屋台に来たならやる事は一つ。
俺は一瞬後ろに掛かっているお品書きに目をやり、良い笑顔を浮かべて言い放った。
「鰻と煮物と酒を四人分!」
「でね、いよいよ自分の番になったら姫様少しばかりの緊張と恥ずかしさを交えた顔でチラッチラッとこっちを見ながら、それでも大きな声で言ったの。『私の夢は、えーりんのお嫁さんになること!』って!」
「おぅおぅ、実に可愛らしいじゃないか。ぐーやにもそんな時代が有ったんだな」
「でしょー、うふふふ。あの頃は毎日私の服を握ってきて、えーりんえーりん、って抱き付いてくれてたのよ。でも今じゃ余り甘えてくれないのよねぇ……少し寂しいわ」
「今のぐーやはツンデレだからな。自分で飛び込もうとする分にはからかい半分で近付いてくる癖に、こちらが真っ直ぐに距離を詰めてやると慌てて顔を真っ赤にする」
「でもそれがまた可愛らしいのよねぇ」
くいっ、と勢い良く杯を煽る永琳。
こないだの宴会の時とは違い、今日はハイペースに呑んでいた。
既に頬は赤く上気しており、時折肩に頭を乗せてくる。
潤んだ瞳での上目遣いや細い人差し指で胸板をつついたり鎖骨を撫で回してくる事から察するに、もうすっかり出来上がっているのだろう。
先程の話題も三回目だ。
呑んだ量も、熱燗が十六を超えた辺りで数えるのが面倒臭くなったのでそこから先は数えるのを止めた。
俺はと言うと、酒よりも女将の出す料理に舌鼓を打っている時間の方が長かったのでそこまで酔ってはいない。
因みに妹紅は寝ている。
女将に借りた毛布を掛け、今は輝夜の膝を枕に夢の中だ。
その輝夜はと言うと、妹紅の髪を優しく梳きながら酒を呑んでいる。
酔いが回ると無口になるタイプなのかはたまた何か思う所が有るのかは定かでは無いが、妹紅を見る目はどこまでも優しく母性愛に溢れていた。
その横顔に一瞬見惚れたのは秘密にして置こう、言えば絶対調子に乗る。
酔っても姫、と言うよりは酔ってる方が姫っぽい気がする。
──今の状態の輝夜と最初に会っていたなら、俺も見合いの場に居たぐふぐふ笑うおっさん連中に仲間入りしていたかもしれん。
最初に今の輝夜を見ていれば、その後で知る素の輝夜とのギャップで更にのめり込んでいただろうな。
それを勿体無いと思うかはまた別か、俺にとっても輝夜にとっても。
何となく気恥ずかしさを覚え、誤魔化しがてらにくいっと杯を煽る。
と、女将が杯に注いでくれた。
「こんな美少女に酌をされては呑まずに居られないな」
「やだよぉ、こんな地味な女捕まえて」
「豪華絢爛ばかりが美しさの基準じゃないだろう。朝露に濡れる野菊の花なんかも、なかなか綺麗なもんだ」
「兄さんったら口が上手いんだから」
「女将の料理の足下にも及ばないさ」
「全く、こんな寂れた屋台の夜雀なんかに色目使ってたら帰り道で鳥目になるんじゃないかい?」
「格好の獲物だな。まぁ女将になら喰われても大丈夫だろ」
「こぉら、冗談でもそんな事言うもんじゃないよ」
くすくすと柔らかい笑みを浮かべる女将に窘められながら、酒で喉を焼いていく。
流石は客商売と言った所か、女将と会話していると楽しくなってくる。
ついつい口説き文句が出て来るのは改善して置かないとルーミアに絞められるかもしれんが。
俺の肉も、先にルーミアに喰わせてやっとかないと後で揉めそうだな。
何だかんだでこっそり嫉妬している様だしな、全く可愛らしい実にけしからん。
「っと」
傾いて落ちそうになった永琳の頭を支えてやる。
どうやら寝落ちたらしい。
また一枚毛布を借り背中に掛けてやる。
すやすやと安らかな寝息を立てる姿は残業を終えたOLにしか見えんな。
「そっちの姉さんもお休みの様だね」
「ん、ぐーやも寝たのか」
女将にもう一枚毛布を渡される。
こないだの宴会ではこんなに早く寝落ちる事は無かったと思うが、今日は皆一時間も保たずに寝息を立てている。
──酔いが回るのも早かったな、となれば酒の強さか。
以前の宴会で振る舞ったのはアルコール度数が七から九程度の弱いものだ。
妹紅やレミリア達には更に弱い特製の果実酒も出してやった。
なに、未成年所か幼女に飲ませて良いのかって?
二十一世紀では犯罪だがここには法も無い上、純粋な人間は一人も居ないから大丈夫だ、問題無い。
レミリアやフランは長い時間の中でゆっくりと成長していくだろうが、妹紅に至っては何億年経っても身体は八歳のままだからな。
酒を味わえないのは流石に見ていて俺がつまらん。
だから妹紅達幼女には俺の楽しみの為にこの先も呑んで貰おう。
良い子の皆は俺みたいな悪い考えはするなよ?
「……果て、何だったか」
「んぅ、どうしたんだい兄さん?」
「いやなに、色々と思考を飛ばしていたら最初に何を考えていたのかすっかり忘れてしまってな」
「あはは、そりゃ兄さん耄碌してきたんじゃないかい? 知り合いの爺さんがしょっちゅう同じ事言ってるよ」
「有り得そうで困る。何せ四百年は寝ていたらしいからな」
「そりゃ寝過ぎじゃないかい?」
「俺もそう思う」
「あはは、兄さん面白い人だねぇ」
女将が笑いながら酌をしてくれる。
何時の間にか燗も熱々では無く、少しぬるめ──俺の好みにしてくれていた。
この辺りの気配りも是非見習いたい所だ。
湯豆腐の昆布を平らげると、次に大根と胡瓜の浅漬けが出て来た。
一口齧ればほっと一息吐きたくなる様な、安定感抜群なお袋の味とでも言うべき美味さが広がっていく。
「この漬け物も塩加減が絶妙だな、これより濃いと酒の邪魔になりこれより薄いと味が解らん」
「あはは、そんなに褒めたって何も出やしないよ?」
「美味すぎてお世辞を言う暇も無いさ。次はチカの天麩羅を貰おうか」
「はいよ。天麩羅はつゆか塩か、どっちが良い?」
「お薦めは?」
「両方かねぇ」
「なら両方頼もうか」
「兄さん健啖家だね?」
「女将の料理が美味いからだよ」
「あはは、嬉しい事言ってくれるじゃないさ。すぐに出来るから待ってておくれ」
上機嫌で天麩羅の用意を始める女将。
蘇芳色の小袖と手拭い頭巾が相俟って非常に可愛らしい。
こんな美少女が経営する屋台なら毎日でも来たいくらいだ。
その上味は本物。
俺の様な粗暴極まり無い過程を経た誤魔化しの料理では無く、経験と技術に裏打ちされた素晴らしい味わいが有る。
が、どうにも腑に落ちない点が一つ。
出立前に永琳から聞いた話では、客の入りは殆ど無いらしい。
これ程の味で客を呼べないと言うのも不思議な話だ。
「おや、どうしたんだい兄さん。そんな眉間に皺寄せちゃって」
「ん? あぁ、また寄ってたか。考える時の癖でな、どうにも治らん」
「意識を飛ばすのが好きだねぇ。しかも今回は私絡みかい?」
「ご名答。しかし何で解った?」
「そんな熱い視線向けられたら誰だって気付くさ」
「う、そうか」
からからと女将が笑う。
そんなに凝視していたつもりは無かったんだが。
少しばかりの気恥ずかしさに頬をポリポリと掻くが、気を取り直して口を開いた。
「何故こんな辺鄙な場所で屋台を開いたのかが気になってな」
「あー……」
今度は女将が言葉を詰まらせる。
が、天麩羅を揚げる動きに一切の淀みは無く油の中から黄金色の衣が上がった。
皿に盛り付けた天麩羅を差し出しながら、女将は少し困った様な笑みを浮かべる。
「余り聞いても面白く無いと思うよ?」
「差し支え無ければ聞かせて貰いたい」
「兄さんも物好きだねぇ。それじゃ……私は元々西国の出でね、地元の山で天狗や狸を馴染みに屋台を牽いてたのさ。物珍しさからか、そこそこ賑わってはいたんだけどねぇ。或る時を境に、山に人が入り始めたのさ。何でも上質の漆やら銀やらが採れるとか言ってね。どんどん山林を切り開いては地を掘り返して行ったもんさ。そこまでされて山の者が黙ってる筈が無い。こちとら住処を荒らされてるんだ、妖怪ってもの力を思い知らせてやる、ってな具合に血気盛んな連中がいきり立っちゃってねぇ」
「女将も争いに?」
「いんやぁ、私みたいな弱小妖怪なんて何の役にも立ちゃしないよ。山の奥の方で震えてるのが精一杯さ。まぁ、山がそんな状況だから客足もさっぱりでね。仕舞いにゃ私達妖怪は更に深い山奥に追いやられて、今じゃ人が我が物顔で山を練り歩く始末さ。都へも行ってみようかと思ったけど、人は妖怪が嫌いらしくてねぇ……。流れに流れて、つい一週間前にここへ辿り着いたって訳さ。姉さんとはその時に知り合ってね、懇意にして貰ってるよ」
ふぅ、と一息吐いて冷や水を飲む女将。
白磁の様に美しい喉がこくりと動く。
──成程、それでまだ固定客も居ない訳だな。
言うなれば永琳と輝夜が新天地でのお客様第一号、と言った所か。
しかし、どうせなら竹林を抜けて俺達の郷へ来れば良いんじゃなかろうか。
妖怪だからと石を投げる輩も居ないし、美少女が経営する屋台となれば一気に郷の人気者になるだろう。
何より、女将の料理の技は何度も通い詰めないと盗めそうに無い。
少しばかりの野心も携え、俺はぷひゅーと息を吐いた女将に話を持ち出した。
「しかし西国でそんな事が起きてるとはなぁ、こっちには噂も流れて来ないが」
「世知辛い世の中になったもんさねぇ」
「全くだな。と言うか人間と妖怪で反目し合っている、ってのが俺は驚きだが。郷では皆仲良くやってるぞ」
「へ?」
目をぱちくりとさせる女将。
けしからん可愛さだな。
「竹林を抜けた先、東の山の麓に郷が有ってな。そこは神、人間、妖怪が共に暮らす平和な場所だ。最近じゃ妖精なんかも遊びに来るぞ」
「本当かい!? はぁ~、そんな所が有るなんて、まだまだ世の中捨てたもんじゃないねぇ」
「あぁ、自慢じゃないが治安も良いし気さくな人ばっかりだ。ただ……」
にこやかに話しつつも、一度言葉を止めてさも訳有りな雰囲気を作る。
見れば女将は前のめりの体勢で俺に続きを促してくる。
引っ掛かったな、とにやり笑いを浮かべそうになるがここで気を抜くのはまだ早い。
出来る限り困った風を装いながら、俺は見え透いた罠を設置した。
「夜中にふと小腹が空く時が有るんだが、生憎と酒を飲み交わしながら腹を満たせる店も無くてなぁ。気軽に行ける距離に屋台でも有れば良いんだが」
「……成程ねぇ、兄さんなかなかの策士じゃないのさ。普通にそれを言えば恩を売れるのに、敢えて私が『行ってあげる』って風に話を誘導したね?」
今度は女将が企む様に口の端を吊り上げ、愉悦と好奇を交えた視線を送る。
どうやら空気を読むばかりか頭の回転も早いらしい。
伊達に一人で屋台を切り盛りしている訳では無い、と言った所か。
「それで、返事はどうかな?」
「がっつく男は嫌われる、と言いたい所だけど兄さんなら寧ろ存分に奪って行って欲しくなるねぇ。返事かい、私としても願ったり叶ったりさ。兄さんさえ良ければ明日にも案内して欲しいくらいだよ」
「なら決まりだな」
「そう言えば兄さん」
話を纏めた充足感に肩が軽くなるのを感じ天麩羅を塩でさくさく食べていると、女将が思い出した様に言った。
「ん、どうした?」
「新しい場所で商いを始める時はその土地の神様の所へ挨拶に行くんだけど、良ければ兄さんも付いて来て貰えないかい? 兄さんの口添えというか紹介が有った方がすんなりいきそうな気がしてね」
「別に構わんぞ。諏訪子は美味いものが食えるとなれば喜んでケロケロ言うし、神奈子も郷の発展の為となれば喜んで場所なり人手なり出してくれるだろう」
「へ?」
本日二度目の呆け顔を見せる女将を眺めながら、今度は天麩羅につゆを漬けて食べてみる。
昆布の出汁と紫蘇の香りが酒に良く合う。
キュッと杯を傾け舌鼓を打った所で漸く女将が帰ってきた。
困惑と若干の怯えらしきものが揺れる瞳から窺える。
「諏訪子って、まさか『洩矢の祟り神』だったりする?」
「あぁ、そう言えばそんな呼ばれ方もしてたな」
「神奈子って、まさか『諏訪の軍神』だったりする?」
「あぁ、そう言えば軍神だったな。すっかり忘れてたが」
「あの有名な二柱の郷かぁ……ってそんな気安く呼べるなんて、もしかして兄さんも偉い人?」
「偉いかと聞かれれば偉くは無いな。別に国を治めている訳でも人を顎で使う訳でも無い」
「じゃあ神様をそんな呼び捨てになんてしたら拙いんじゃないかい? 祟りとまでは行かなくても不興を買うかもしれないよ」
「寧ろ敬称を付けた方が怒られそうだな。そんな他人行儀なのはヤダとか何だとか言って」
俺の返答に困惑の色を深めていく女将に、思わず苦笑を漏らす。
余り遊んでいるのも可哀想だし弄るのはこの辺にして置くとしよう。
ごほん、と態とらしく咳払いをすると女将は一句一言聞き逃すまいと身を乗り出してきた。
そんな女将に、俺は答えを返す。
「諏訪子も神奈子も俺の嫁なんだ。さて、今更だが自己紹介と行こうか。俺の名は望月契。郷の相談役で、今は人を辞めて亜神として生きている。宜しくな、可愛らしいお嬢さん」
「な、あ、えぇ……っ!?」
今日一番の呆け顔を見せる女将を肴に俺は徳利に残った酒を飲み干し、良い笑顔でおかわりを注文した。