命蓮寺を出たのは、もう日も暮れ掛けた時分だった。
僅かばかりの朱を西の空に残して、頭上では蒼黒の闇と幾ばくかの雲、その隙間から覗く小さな星々が空を支配し始めている。
一先ずこれからの対応を話し合った結果、ぬえ、響子、小傘の三人を一旦郷まで送り届け、代わりに萃香、勇義、美鈴を戦力として呼び寄せる事にした。
連絡役に紫、救護役に永琳も出動させる。
普通に都の一つや二つ落とせそうな面子だ。
流石にこれで戦力が足りないと言う事は無いだろう。
勇義の強さは言うに及ばず、美鈴は卓越した技術を持ち実践経験も豊富、萃香も見た目の愛らしさとは裏腹に凄まじい力と使い勝手の良い能力を持っている。
紫は隙間の能力で隠れていられるし、永琳は自衛力も十二分だ。
欲を言えば医者の永琳と弓兵の永琳、それぞれ一人ずつ欲しい。
参謀と言う意味でも永琳なら役立ってくれるからな。
鬼のぽんこつコンビは脳筋だし美鈴は天然居眠りメイドだし、紫は有望だがまだ経験が足りない。
寺で頭脳戦が出来るのは聖とナズーリンくらいだろうな。
残りはパワータイプしか居ない。
村紗と星は言うに及ばず、一輪もああ見えて意外と豪快な性格をしているからな。
雲山は未知数だ。
──そう言えば、今日は雲山を見掛けなかったな。
雲山。
元見越入道で今は雲居一輪の良き相方だ。
初対面では厳つい風貌にぬえと響子が怖がっていたが、一輪が通訳する形で自己紹介すると直ぐに懐かれていた。
意外と恥ずかしがり屋らしく、二人の子供パワーに圧倒されていたのが記憶に新しい。
それでいて迷惑そうな素振りも無く積極的に面倒を見ていた辺り、実は相当な子煩悩なのかもしれない。
「契くん契くん」
不意に小傘が袖をくいくいと引いた。
こうした仕種が実に愛らしい。
そして少し前のめりになっているお陰で着流しの胸元から鎖骨と谷間が覗いていて実に素晴らしい。
全部片付いたらスク水やセーラー服を着せて存分に楽しみたい。
そんな俺の邪念に気付かない小傘は、その細い指を宙へと向ける。
「あれって雲山さんじゃない?」
「ん……?」
「あの桃色は雲山さんかも?」
「おー、ほんとだ。おーい、雲山さーん♪」
前を歩いていたぬえと響子も、空を駆ける桃色の雲に気付いて足を止める。
空へ浮かぶには少しばかり特徴的な色合いのそれは確かに雲山の様だ。
両手をぶんぶんを大きく振る響子に気付いたらしいが、その雲山は俺達を見ると何やら慌てた様子で命蓮寺の方を指差してから着いて来いと手招きし、自身はそのまま寺へと飛び込んで行く。
ただならぬ雰囲気に俺と小傘は顔を合わせた。
「あれ? 雲山さん行っちゃった」
「何か急いでたみたい?」
「……これはちょっと嫌な予感がするね」
「同感だ。ぬえ、響子。急いで命蓮寺まで戻るぞ」
「わわっ」
「きゃー♪」
愛らしいちびっ娘二人を両脇に抱え、小傘を先頭に来た道を逆走する。
日が暮れたとは言え月明かりが有るので動き回るのにそこまでの不便は無い。
流石にこの暗さでかくれんぼをやると苦労しそうだが。
特に躓く事も無くものの数分も掛からず辿り着いた寺の門前で、丁度出て来た一輪と鉢合わせた。
一輪は俺達を見て、ほっと胸を撫で下ろした様だ。
「望月君! 良かった、探しに行こうと思ってたの」
「雲山が慌ただしげに駆けて行ったからな。一体何が有った?」
「それが、大勢の武装した人間達がこっちに向かって来ているみたいなの。もしかしたら昼間話していた事が本当になっちゃったかもしれないわ」
何処か困惑した様子で告げる一輪。
その内容に俺は動揺を隠せない。
──幾ら何でも早過ぎる。俺があの術式を握り潰してからまだ半日も経っていないぞ。
ここから半日の距離に人間の住む集落等無い。
俺達がここへ来る前に寄った村でさえ普通に歩いても三日前後掛かる。
ましてや大勢の人間を武装させて行軍させる事が出来る様な場所が……いや、都からか?
しかしそれでも一週間は掛かる筈だ。
一体何処から現れたというのだろうか。
「……っと、今は考えている場合じゃ無いな。三人をどこか避難させないと」
「それだったら納屋の地下が良いだろうね、有事の際に耐え凌げる様に多少補強して有るから」
「あ、ナズーリンさん!」
「やぁ響子、さっき振り。私は三人を地下室へを連れて行くから契と一輪は村へ行って住民達の避難誘導をお願いするよ」
「解ったわ。望月君もそれで良い?」
「あぁ。ナズーリン、三人を宜しく頼む」
「任されたよ」
両脇に抱えたままのぬえと響子を下ろしてやると、二人は心配そうにこちらへ振り返る。
頭をくしゃりと撫でてやり、屈み込んで視線を合わせる。
「じゃあ俺はちょいと仕事をしてくる。良い子にして待ってろよ?」
「気を付けてね……?」
「怪我しないでね、契さん」
「あぁ、ちゃんと無事に戻って来るさ。『約束』だ」
「契くん、いってらっしゃい」
「行ってくるよ、小傘」
視線を上げ、不安そうに唐傘を握り締める小傘へ微笑を向ける。
頬を少し赤くして目を逸らされてしまった。
可愛い奴め。
と言うかこの状況、まるで夫婦と子供のやりとりみたいだな。
小傘も同じ様に感じたのか、くすりと小さく笑いを零した。
子供扱いされた幼女二人は若干不満そうに頬を膨らませているので、つついて空気を抜いてやろう。
「ぷちぅ」
「んぷぅ」
「ほら望月君、お嫁さんで遊んでないで行くわよ」
「すまんすまん。それじゃ三人共、行ってくる」
胸の前で小さく手を振るぬえ、大きく両手を振る響子、手は振らずに優しく微笑む小傘。
三者三様の見送りを背に受けて村へと走り出した。
今の時間は丁度夕飯時。
何処かへ出掛けている者はまず居ないと見て良いだろう。
ふと気付けば隣を走る一輪の頭上にいつの間にか雲山が居た。
「そう言えば雲山は何を?」
「山が騒がしい、って朝から色々探し回ってたのよ。昔から雲山の直感は当たるのよね」
「それで怪しげな連中を見付けた、と。本当に此処を目指しているのなら幾つか腑に落ちない点が有るんだが」
「何時、何処から、誰が、何の目的で、如何やって、って? 何から何まで解らない事ばっかりね。まぁ一つ言えるのは」
「言えるのは?」
「村の皆を戦場に立たせる訳には行かないって所かしらね」
そう言ってニヒルな笑みを浮かべる一輪。
何だろう、俺よりイケメンな気がする。
ともあれ先ずは避難誘導から始めた方が良いのは間違い無い。
武装集団の目的が解らないが、仮に事を構える場合は命蓮寺まで下がって応戦したい所だ。
村から命蓮寺までの道程は緩やかな上り坂になっており、身を隠せる様な木立も背の高い草むらも無い。
両脇は崖になっており落ちれば最悪死ぬ事も有り得るだろう。
土砂崩れでも起きたのか、崖の周囲には草木は無く岩と土塊が転がっている。
また崖下から坂まではそれなりに高さが有る為、ここを登って来るよりは素直に村の近くから坂を上った方が早い。
迂回するにも村側の反対側は『切り立った』崖と言って良い程の急斜面だ。
挟撃は無いと見て良いだろう。
つまり命蓮寺が襲撃を受ける場合、正面のこの坂さえ押さえて置けば突破される危険は無いと言う事だ。
その分、追い込まれた時逃げ道が無いと言える。
歩兵の侵入には気を配る必要が有るな。
逆に、弓兵の攻撃は無効化出来る。
神通力やら何やらの不可思議パゥワーでそう言ったものを弾く結界が命蓮寺には張り巡らされているらしい。
俺の能力も大概だと思っていたが、どうやら世の中にはまだまだ不思議な力が一杯有るらしい。
──となれば籠城して守りを固め、突っ込んで来た奴を各個撃破していくのが上策か。
文字通り駆け込み寺と言う訳だな。
籠城戦となれば気になるのは相手方の戦力。
流石に最後の一兵まで玉砕覚悟で攻めては来ないだろうが、多く見積もっても七割削れば退けられるのでは無いだろうか。
現代戦では三から四割が戦闘不能になれば全滅だ何だと聞いた覚えが有るが、ここでその理論が通用するとは限らない。
まぁ、向かってくる奴等全員ぶちのめしてしまえばこっちの勝ちだ。
何も難しい事は無い。
「雲山、その武装した人間達の数は?」
「四十程らしいわ。固まって動いていたみたい」
「なら斥候込みで最大五十前後か。それが五つに組分けされた部隊の中の一つ、とかで無ければ良いが」
「総数二百から三百って? 考えたくも無いわね。でもそれだけの人間が動いていたならもっと山が荒れていると思うわよ」
「確かにな……。他には何か?」
「……弓持ちが全員片目を覆う様に包帯を巻いていた?」
「は? 包帯?」
「『めぼ』にでもなったのかしらね」
「めぼ……あぁ、物貰いの事を都ではそう呼ぶんだったか。だが幾ら何でも、目の良さを問われる弓兵部隊に両目を使えない者ばかり集めるか?」
「ここに来るまでに弓持ちだけが同時に怪我でも負った?」
「それこそ物貰いを集めるよりも有り得ないだろうに。とすれば」
「態々そうさせている、かしらね」
「そう考えるべきだろうな。一体如何言う意図が有るのか……。ともあれ雲山のお陰でこちらも動き易い。相手の数が不明なまま戦うのは精神的に厳しいものが有るからな」
「あら、雲山少し照れてるわ」
「予想以上にチョロい」
入道相手にフラグ建てても誰得なんだが。
と、軽口を叩きつつ走り行く先、ふと気付いた事が有る。
向かう先の空が、幽かに赤い。
黄昏の赤でも村の明かりでも無い。
「……雲山、その連中、篝火を焚いていたか?」
「いえ、松明や明かりになる物は持っていなかったみたいよ」
ならあの明かりは。
思考を重ねるより速く、赤い光が尾を引いて放物線を描いた。
「火矢だ! 既に村へ入り込まれているぞ!」
山道を駆け下りる様にして走り抜け村の入口まで辿り着いた頃には、何軒もの家がごうごうと燃え盛っており周囲をまるで昼間と錯覚させる程に明るく照らしていた。
村の奥からは逃げ出してきたのだろう着の身着のままの姿で子供を脇に抱えた女性や男性がこちらへ駆けて来るのが見え、数人が入口付近で傷付いた人を手当している。
皆戸惑いや恐怖を顔に滲ませてはいるが、見る限り誰も深い傷は負っていない様だ。
──人的被害は少ない、のか?
多少の違和感を抱きながらも一輪と協力して村人の避難誘導に当たる。
一つ一つ家屋を回り逃げ遅れた住人が居ないか確認しつつ、一先ずの避難先として命蓮寺へと向かわせる。
辺りは随分と暗い。
麓側が火で照らされている分、こちら側がより深い闇に包まれている様な錯覚さえ有る。
「望月君、一旦私と雲山で皆を命蓮寺まで連れて行くわ」
「粗方回り終えたか。分かった、そっちは頼む。もしまだ逃げ遅れた住人が居たら俺が連れて行こう」
「気を付けてね、どうもイヤな感じがするの」
嫌な感じ、か。
一輪の足音を背に受けながら、思考を飛ばす。
確かに色々と腑に落ちない。
村の家屋が幾つも焼き払われたとは言え、今の所被害らしい被害はそれだけだ。
射抜かれた負傷者も居らず、恐らくほぼ全ての村人が避難出来ている。
そして何より不可思議なのは襲撃者の姿が全く見えない事だ。
最初に火矢が放たれたであろう時からそれなりの時間が経過しているにも関わらず、誰一人として村内へと攻め上がって来ない。
何故、襲撃者は静観しているのか。
幾ら弓兵だからと言って、山の中で思う様に射線が開けない以上は戦場からそう遠くない位置に布陣している筈。
それこそ、全力で走れば着弾地点へ辿り着くのに五分も必要無いだろう。
暗さで村を見渡せないと言うなら手当たり次第に火矢を放てば良い。
そうしない、と言う事は他に何か狙いが有るはずだ。
「……何かを、待っている?」
そう漏れ出た呟きに呼応するかの如く、悲鳴が聞こえてきた。
命蓮寺の方角からだ。
通りへ躍り出て目を凝らして見れば、命蓮寺へと繋がる山道の中程で多数の人影が右往左往している。
幽かに視界へ映り込んだ短い黒線から察するに、左右の崖下から弓兵の襲撃を受けている様だ。
その様子で一つ疑問が解消された。
「この為の目隠しか!」
最初から片目を覆う事で暗闇に目を慣れさせ、逃げ道が限定される状態で挟撃。
村人の大半が妖怪とは言え争いを嫌って移り住んだ様な者ばかり。
突然の襲撃に村人達が慌てふためくのは想像に難くない。
加えて村人達はその目にごうごうと燃え盛る炎を焼き付けている為、幾ら夜目が利く妖怪とは言えこの明度の差に直ぐ慣れる筈も無い。
そして目指すべき命蓮寺は山道を登った先、つまり上だ。
足元ならいざ知らず左右の崖下にまで気を配る余裕も無いだろう。
その状況下なら生殺与奪も自在に操れる。
何より最悪な事は弓矢を弾く結界が『命蓮寺』に張り巡らされている事だ。
道中の坂は完全に無防備で、左右の崖は土砂崩れの影響なのか木立が無い。
矢を防ぐ手立ては何一つ無いのだ。
「となれば矢傷を負ったと見せ掛け村人に紛れて命蓮寺の中へ潜り込むのも容易いか……! くそっ、今から走って間に合うか?」
踵を返したのは偶然。
ほんの一瞬、額が有った位置を風切り音が抜ける。
知覚したと同時に本能が命じるより速く身体を投げ捨て地面を転がる。
軌跡をなぞる様に矢が突き刺さり、家屋の陰に隠れるまで追い縋って来た。
一拍遅れて、感心した様な声が届く。
「ほう、流石だな。命は取れずとも動きくらいは止められると思ったが」
若い男の声だ。
聞き取り易くは有るが、不思議と背筋がぞわりとする。
余り長くは聞いていたく無い声質だな。
とは言え、多少の問答はしておきたい所だ。
相手の口振りから察するにそれなりの地位に有る者なのだろう。
周囲から警戒を逸らさぬ様留意しつつ、俺は少し乾き始めた口を開く。
「その割には随分と執拗に射掛けて来るじゃないか。数打ちゃ当たるってか?」
「なに、当たれば儲けものと言った所だ。何せ相手は人妖の頂点、望月の神なのだからな」
「熱烈な追っ掛けが出来るとは有り難いが欲を言えば男じゃなく可愛い女の子が良かったんだがな」
「あの世で探してみると良い。今生きている者より死人の方が数は多いのだからな」
軽口を叩きつつ各種強化エンチャントを纏っていくと、知覚範囲が広がったらしく周囲の様子が探査出来た。
背にした家屋の左から更に後方、声の主と取り巻きが左右に三人ずつ。
俺から見て左奥、井戸を隔てた先に四人程の気配。
そして右手からは数人が回り込もうと動いているのが解る。
寺側が空いている為に四面楚歌と言う訳では無いがそちらへ逃げるのは悪手であろう。
寺へ敵戦力を集めても、俺達の側に優位な点は何一つ無い。
幸いと言うべきか、俺一人に十数人が付いており、その分向こうの戦力は薄くなっている。
舟幽霊に見越入道、毘沙門天の代理まで居るんだ、村人さえ収容してしまえば有象無象を無力化するのに然程時間は掛かるまい。
「うぉっ!?」
思考に向けていた意識が風切り音で呼び戻された。
倒れ込む様に身体を傾けるのとほぼ同時、左肩が有った付近を矢が滑り抜ける。
物陰から僅かにはみ出ていたらしい左肩を狙った矢には火が燈されており、それは少しばかり前方の地面を抉って転がっていく。
俄に明るく照らされた地面の周囲へ、篝火の代わりにでもする心算か幾本もの火矢が打ち込まれた。
暢気に構えている暇も無いらしい。
どうしたものか、と思った矢先背後からカタリと物音が鳴る。
村の奥側から調べて回った為、まだこの家屋の確認はしていない。
悠長とも言える敵方の反応を見るに家屋の中に居るのは住人で間違い無さそうだ。
身を屈めたまま手早く勝手口を開け家屋へ転がり込むと、小さく息を飲む様な悲鳴が上がった。
「ひ……っ!?」
土間の隅、小さな身体を抱き締めながら震えている一人の幼女。
背中に生えた一対の黒い羽が彼女を妖怪だと主張している。
顔立ちはすっきりと整っており、将来はかなりの美人になるだろう。
惜しむらくはその可愛らしい顔が恐怖に歪んでいる事か。
おっと、いかんいかん。
幼女を怯えさせたままでは望月契の名が廃る。
「大丈夫か? 怪我は……どこか痛い所は有るか?」
周囲への警戒は続けたまま目線の高さを幼女に合わせ微笑み掛ける。
ぴくっと身体を震わせるが、少し恐怖は薄れたらしい。
可愛らしく首をふるふると左右に振って答える。
たまらん。
こんな幼い女の子を怯えさせるとは断じて許せん。
──全員殴り倒してやりたい所だが先ずはこの娘を安全な場所まで連れていくのが良いだろうな。となればこの囲みを突破し……、
ふと、気付いた。
先程は相手の矢を避けては居たが、俺の身体に刺さったとして何の問題が有ると言うのか。
奈苗に一度は身体強化のエンチャントを割られはしたが起床時と毎食後と風呂上がりと睡眠前と暇な時と思い出した時に重ね掛けを繰り返したので、現在の俺のパワーとタフネスは少なく見積もっても五百は超えている。
力の出し方がまだ解らない為にパワーはそこまで扱えないが、タフネスは十二分に効果を発揮するだろう。
序にライフも増強しておいたから、試してはいないが心臓を握り潰されても余裕で動き続ける……いや、恐らく瞬時に心臓が再生する。
なんだ、この幼女を抱えて走り抜けるだけじゃないか。
「え、と……おにい、さん?」
可愛らしい声が鼓膜を揺さぶる。
意識を眼前の幼女へ戻せば、少し不思議そうに首を傾げてこちらを窺っていた。
そんな所も実に愛らしい。
「おっと、悪い。君がとても可愛いから見惚れていたよ」
「え? あ、あややっ!?」
初めはぽかんとして居たが、奇妙な悲鳴を上げると幼女は両手で顔を隠してしまう。
両頬は熟れた林檎の様に真っ赤に染まり、小さくぷるぶると震えている。
新鮮な反応にお兄さんメロメロだぜ。
出来る事なら苺ショートケーキでも振る舞って親睦を深めたい所だが、外に蠢く気配が少しずつ包囲を狭めて来ているのでその予定は暫くお預けだ。
「よし、お嬢ちゃん。これから一緒に命蓮寺まで行こう」
「え、あ……で、でも外には怖い人間がいっぱい……」
「あぁ、大勢居るな。でも心配しなくても大丈夫だ、何故なら」
覗き込む様に目を合わせ、小さな手を両手で優しく包む。
「俺が君を守る」
「────────ッ!?」
幼女は赤い顔を更に赤くして固まってしまった。
うむ、多少クサイ台詞だった所為か気恥ずかしさも有るがクリティカルだった様で何より。
これで今後の洗脳もとい調教も上手く行く事だろう……って違う。
ごく自然に口説いていたが今は兎に角この包囲を突破しなくてはならない。
とは言え中々簡単には行かなさそうだ。
この場を突破したとして、小傘にぬえに響子を置いて逃げる訳にも行かない為に向かう先は命蓮寺となるが……現状命蓮寺へと続く山道の左右には相当数の弓兵が布陣している。
更には数人紛れ込んだであろう襲撃者の炙り出しも必要だ。
久し振りにスリリングな体験が出来そうでは有るな。
「これから君を抱えて命蓮寺まで走り抜ける。落ちると危ないからしっかり掴まっていてくれよ?」
「え、ひゃわっ!」
小柄な身体をお姫様抱っこで抱え込む。
おお、軽い軽い。
幼女は急に抱き上げられ慌てた様に身動ぎするが、直ぐに大人しくなり小さな両手できゅっと抱き付いた。
何これかわいい。
実に堪らん所では有るがここからは少し真面目に行かないとな。
「それではしっかりとお掴まりください、姫。それと少々飛び回りますのでお目は瞑られていた方が宜しいかと」
おどけた口調で優しく微笑み掛けてやり、勝手口の戸を思いっ切り蹴り飛ばす。
全力で蹴り飛ばした戸はそのままの形を保ったまま勢い良く水平に飛んで行き、正面奥の家屋の壁にぶち当たりけたたましい音を立てる。
僅かに二瞬遅れて外へと飛び出し右手へと駆け出した。
右手から回り込んで来た弓兵からしてみれば、包囲している家屋の前方へ強烈な速さで動く何かが右奥の家屋に当たり騒音を撒き散らした、となる。
飛んだ物が戸で有る、と認識出来るまでのほんの僅かな間。
反射的に追った視線が戻るまでのその時間で充分だ。
思惑通りに意識をこちらに戻せていない弓兵が無防備な姿をこちらに晒している。
数は前方に三人、その後方に一人。
「……!?」
気付いた前方の一人、髭面の弓兵が何かしらの行動を起こそうとしているが、遅い。
低い態勢のまま跳ねる様に右足を蹴り抜き、左手で地面を叩き全身を捻りながら宙を舞う。
突然の奇怪な動きに髭面の弓兵は対応出来ない。
遅れて残りの三人も慌てて弓をこちらへ向けようとするが、こちらの方が速い。
「白符『信仰の足枷』『良心の呵責』『抑制する縛め』」
発動した能力により一切の行動を阻害される弓兵達。
それぞれ名称は違えど攻撃も防御も出来なくなる効果を持っている為、対人戦では実に効果的だ。
唯一動きを止められなかった髭面の弓兵が矢を番えてこちらを射抜こうと両腕を持ち上げるが、
「白符『正義の一撃』」
空中で振った右足の軌道をなぞる様に生まれた白い光が刃となって地面へと走り抜ける。
光が通過した先、まさに俺を射抜こうと空を見上げた弓が力無く重力に引かれて落ちた。
ぼとり、と弓にしては少々重たげな音と共に。
両腕を失った事に気付いてか思わずと言った様子で視線を下げた髭面の即頭部へ、勢いを乗せた蹴りを見舞う。
自分では上手く振り抜いたつもりだったが、想定程は飛ばずに後方の弓兵の側で止まった。
しかも全身を弱くぴくぴくと動かしている。
どうやら一撃で屠るまでは行かなかったらしい、この辺りは今度美鈴に鍛えて貰うとしよう。
危なげ無く着地して胸元の幼女が目を回していないのを確認して今度は身動き一つ取れない左の弓兵へと近付く。
都合良く、腰元には直刀が一振り。
脇差よりも少し長く、太刀と言うにはやや短い。
それを抜き放って見れば刀身には反りが無く、所謂日本刀とは造りが違う事が見て取れる。
まぁ美術鑑賞は次の機会にするとしよう。
さて、借りた物は返さなくては。
ずぶり、と背中へと水平に刃を突き立て押し込む。
暴れる事も悲鳴を上げる事も出来ないままに、一度大きくびくりと身体を震わせて動かなくなる弓兵。
首を狩っても骨を断ち切れるとは思えないし吹き出た返り血で幼女や服を濡らす訳に行かないので、最も手っ取り早い方法で死んで貰った。
──やれやれ、皆には見せられんな。
人の命を奪っても何の感動も湧かない。
愈々心まで人外に成り果ててしまったかなぁと自嘲の溜息を吐きつつ、右手の弓兵にも直刀を奪い胸へと突き立てる。
血は刺さった物を抜く瞬間が一番激しく出るからな、服も掌も汚れずに済んで実に良い。
視線を下げて幼女の様子を窺えば、胸に顔を埋めてじっとしたままだった。
もしかしたら俺が何をしているのかに気付いてはいるのかもしれないが、直接生命を奪う瞬間は見ていない様で一安心だ。
幼子に人も妖怪も無い。
出来る事なら、平穏に暮らすのが一番だ。
そんな事を考えながら蹴り飛ばした弓兵と、その脇に立っている弓兵もさくさくと殺していく。
周囲に動く物が無くなったのを確認して再び走り出す。
左手で幼女が落ちない様にしっかりと抱えたまま、努めて穏やかな声を出す。
「大丈夫だ、悪い奴等はやっつけたからな」
若干、声が逸り掛けた。
人を殺しても何の感動も無いと思っていたが、どうやらそれは正しくないらしい。
平静を装ってはいるが、紛れも無く精神は高揚している。
殺人と言う忌避すべき現実から逃れる為の防衛的な反応か、はたまた異常な行動に対しての嗜好が目覚めたのか。
或いはこうして思考を巡らせているのも現実逃避の一環かもしれない。
真実は如何在れ、俺は幼女を胸に抱いて足を進める。
向かうは村の山側、山道を抜けた先、命蓮寺。
先程の交戦は短かったとは言え相手が行動するには充分な時間の筈。
……格好付けてないでもっと素早く殺して素早く走り去った方が良かっただろうな。
無意味にテンションが上がっていた辺り、或る程度は忌避感情も残っていたらしい。
シリアルキラーじゃないと解って良かった、とでもしておこう。
敵が多そうな表通りを避け裏道を駆け上がって行く。
当然数人の弓兵が追い縋るが、能力をフル活用して歩みを止めずに進み続ける。
追って来るのならば動きを止めて放置で良い、殺しに戻るのも手間だ。
飛んでくる矢も二本程撃ち落としたがそれ以外は見当違いの方向に飛んで行き、直ぐに届かなくなる。
そうして駆け抜ける事数分、多少遠回りにはなったが村の入口が見えてきた。
後は山道を駆け上がるのみ、と気合を入れ直した所で急に抱き付いていた幼女が顔を上げた。
「……お母さん?」
「ん、どうした?」
「いま、お母さんの声が」
きょろきょろと辺りを見回す幼女に釣られて足を止める。
俺の耳に女性の声は届かなかったがこの子には聴こえたのかも知れない。
もしこの近辺に居るのならば連れて行くのも吝かでは無いが、果たして。
「……っ、やっぱり聴こえる! お母さんっ!」
幼女は俺の腕を抜け出すと黒い羽をぱたぱたと揺らしながら走り出す。
その方向は表通り。
やはり俺には聴こえない声を求めて走る幼女をすかさず抱き上げ、同じ方向へ足を向ける。
突然持ち上げられた事でわたわたと暴れるが、優しく頭をぽんぽんと撫でると大人しくなった。
「一人で行ったら危ないぞ? それにもしお母さんが怪我していたら運んであげないとな」
「あ……うんっ! おにいさんっ、お母さんの声はあっちからしたよ!」
「よし、行くぞお姫様」
家屋の隙間を駆け抜け路地を曲がり、物陰に注意しながら走る。
麓側に戦力は集中しているのか道中に弓兵は居ない。
比較的身を隠し易い通りから表通りの様子を窺う。
通りに人の気配は無く、人影も同様に見当たらない。
が、不意に表通りを挟んだ斜向かい、左手の路地から紺の小袖を纏った華奢な女性がよろよろと出て来た。
艶やかな黒髪と暗闇に映える漆黒の翼を持った、どことなく幼女に似た雰囲気の女性。
「お母さんっ!」
顔に安心と喜びを滲ませて幼女が飛び降り駆け寄って行く。
それを見た女性も顔に安堵を浮かべて幼女へと歩き出す。
感動の再会シーンか、と思わず頬の筋肉が弛み掛ける。
が、それは或る一点を視界に収めた事で思いっ切り引き攣る事となった。
「待て!」
「え?」
怒号とも取れる程に大きな声を受けた幼女は振り向いて立ち止まる。
右足で大地を蹴り抜き今まで出した事も無い様な速度で幼女の前に回り込み、勢いのまま右腕を前に突き出した。
ぱん、と空気が弾ける様な音。
次いで、ひらひらと白い人の形をした紙が地面に落ちた。
危ない所だったが気付けて良かった。
通りに出た幼女の足元には表通りの左側──燃え盛る家屋が有る方向──から、反対側へと向かって影が伸びている。
対して路地から現れた女性の足元に、影は無かった。
「え? あ……え?」
「アレは君のお母さんじゃない」
「そう、あれは私が即興で作り上げた人形だ」
呆然とする幼女を背後に庇いつつ向き直った先、炎の明かりを背に受けた男が立っている。
その声は先程問答を交わした男のものだ。
墨色の装束を纏い直刀を佩いた痩躯の男。
異様とも言える程にギラついた双眸をこちらに向け、にやりと口の端を歪めた。
「人妖の頂点、望月の神よ。貴様のお陰で命蓮寺への道筋が示された事、礼を言おう」
「…………あの、しつこく追い回して来た紙か」
「察しが良い様で何より。これで二つの目的を達する事が出来る」
「目的だと?」
「あぁ……死に行く貴様には関係の無い事だ」
何気無く男が右手を振る。
その瞬間、黒い稲妻の様なものが走り抜け、左後方の地面へと突き刺さった。
否、突き刺さった様に見えた。
振り向いた先、地面を抉る小さな穴が開いていたがそれ以外に黒い稲妻が走った痕跡は見当たらない。
しかし全身をぴりぴりと灼く痛みが幻術の類では無いと語っている。
何をしたのかは皆目見当が付かないが、攻撃の一種だと認識出来ればそれでいい。
だが掠めただけでもこれ程の威力。
幾らタフネスとライフを盛ってあると言っても、当たると流石に拙そうだ。
見切れない訳では無いがあれだけの速度となると避けるには多少骨が折れるかもしれん、物理的に。
そんな考えが顔に出たのか、男は愉快そうに嗤う。
「後ろの幼子は如何かな?」
ぎり、と噛み締めた歯が鳴る。
背後の幼女はぺたりと腰を抜かして座り込んでいた。
あの一撃を捉えられなくても周囲に漂う不穏な感覚で悟ったのだろう。
この男は、よく解らない何かで、自分を殺す事が出来るのだと。
黒い稲妻の余波とでも言うべき何か──その正体が判明しない為に『何か』と呼称せざるを得ないが、その何かが周囲に漂っている。
──さて、どうするべきか。
あの黒い稲妻を避ける事は不可能では無い。
だが幼女を守りながら、と言う条件が付いた場合難易度は跳ね上がる。
どこかへ逃がす事が出来れば良いのだが、この男が単独でこの場に居ると考えるのは無理が有る。
先程も弓兵達を指揮していた様だ、周囲に潜伏させているか或いは山道へ向かわせて居るかだろう。
となれば一人で命蓮寺へ走らせる訳には行かない。
かと言ってこの場で守り通すのも難しい。
見捨てる、囮に使うと言う選択肢が存在しない以上、如何にかして切り抜ける他無い。
無いのだが、妙案は浮かばない。
じわりと滲んだ汗が頬を伝う。
そんな俺の様子に男は満足した様に頷いた。
「余り冗長なのは好みでは無い。私の正体、目的、手段、その他の不可解と思う事はそのまま抱えて黄泉の国へ渡ると良い。何、考える時間はたっぷり有るだろう」
言い終えるが早いか、男が振った右腕から再び黒い稲妻が飛ぶ。
瞬間、全ての動きが極めて緩慢になる。
これが死の間際に感じる時の流れか、等と感心している余裕は無い。
全身の力を込めて右足を踏み抜き、身体を捻りながら両手を伸ばす。
求める先は、幼女の両肩。
指先が触れると同時に左足を踏み抜き身体を跳ね上げる。
宙へ浮く最中両腕を交差する様に掻き抱くと胸に柔らかな感触が返る。
柔肌を乱暴に扱ってしまった事は無事に帰り着いたら謝罪しよう。
宙を駆ける俺の頭の下を、黒い稲妻が走り抜ける。
「っっ!!」
咄嗟に浮かんだイメージは、放出。
身体から吹き出る様に溢れた神力が膜となって幼女を包む。
僅かに遅れて全身が神力で包まれたが、掠めた際に大層揺さ振られたらしく激しい頭痛が精神を苛む。
同時に周囲の流れが正常の速度へと戻った。
感覚の違いに多少戸惑うが、それでも着地は何とか成功する。
しかし平衡感覚は失われたのか立っていられなくなりその場に膝を付いてしまう。
激しい頭痛で視界の端が歪み始めている。
中々キツいが、それでも胸に抱いた幼女を庇う為に両腕の力は緩めない。
「ほう、避けたか。ではもう一度だ」
男の声がどこか遠くに聴こえる。
正直もう一度避け切れる自信は無い。
無理な態勢で跳んだ為か両足共不気味な程感覚が無い。
或いは頭を掠めた稲妻の影響か。
不意に、一際強い頭痛が襲ってきた。
その意識の間を突かれたのは偶然か、はたまた必然か。
眼前に黒い稲妻が迫っている。
今度は時の流れも変わらず瞬くよりも速く稲妻が走り抜け──
「…………な、に……?」
眼前で、止まった。