驚く程に穏やかな時間が過ぎる。
チルノと大ちゃんを侍らせた幽香がお茶をしに来たり、さとりとこいしが料理を教わりに来たり。
賑やかでとても楽しい時間。
今も境内の方から元気な声が聴こえてくる。
今日は郷のちびっこ達を集めての紙芝居。
読み上げが妹紅ちゃんで、その手伝いが輝夜。
そして何故か観客に交じって奈苗が居る。
「……おうじさまはいいました。もう、わるいことをしてはいけませんよ? やさしいおうじさまのことばに、まじょはほろりとなみだをながしてこたえました」
「あぁ、私が間違っていたよ……! 金輪際、寝ている人の鼻にクワガタムシを鋏ませたりしないよ……!」
何だろう、原案がケイな所為で妙な突っ込みポイントが多過ぎる。
とは言え物語も最高潮なのか子供達の歓声が響いてくる。
その中に交ざる奈苗の楽しそうな声。
あんな悲壮な決意を固めたとは思えないくらいに弾む声。
おっといけない、あの日以来如何にも涙腺が弛くて困るわ。
人差し指でちょちょいと涙を拭うと、背中に温かいものがむにゅりと乗っかる。
「またルー子ったら泣いちゃって。そんなんじゃ皆に気取られるよ?」
ぽふぽふと頭を叩いてくるケロ子。
口調はおどけているけれど、その声色はとても優しい。
「はぁ……鼎の時はここまで弱々しいルーミア様じゃなかったのにね」
「あの時は神奈子が大暴れしてたからね。それにルー子と奈苗はそれこそ本物の姉妹以上にラブラブじゃない」
「……確かに密着してる時間はケイより長いわね」
「え、そうなの? 私の予想以上にラブラブだったねぇ」
「ここ最近は一緒に寝てるわ」
「おぉ……遂にそっち方面に手を」
「違うって」
二人でじゃれ合っていると、背後の襖がカラカラと開く。
振り返れば神奈子が湯飲みを三つ盆に載せて入ってきた。
その顔に浮かぶのは苦笑い。
「駄目だな、自分で淹れてみたは良いがルーミアや奈苗のお茶の足元にも及ばない」
「どれどれ……うん、渋すぎだねこりゃ」
「お茶っ葉が多過ぎたのね。それに淹れた後で急須を回したでしょ?」
受け取った湯飲みを傾けると苦味の強いお茶が舌を刺激する。
先はまだまだ長いわね、と笑い掛けると神奈子は気恥ずかしそうにぽりぽりと頭を掻いた。
「如何にも、いかんな。やはり私には家事の才能は無いらしい」
「暫くは契も放心状態だろうしねぇ。ルー子には迷惑を掛けるよ」
「ふふ、今更迷惑も無いわよ。私が寝てた時期は二人が支えてくれたじゃない。今度は私が支えないとね」
三人で、どこかしんみりとした笑みを浮かべる。
奈苗に仇討ちを誓ったあの日、夜中に二人から呼び出された私を待っていたのは疲れた顔の二人と、罰が悪そうに頬を掻く奈苗。
如何やら奈苗の行動は二人に筒抜けだったらしい。
私らの領域内であんな怪しい動きをされて解らない筈が無い、と言われてそれもそうだと納得したものだ。
奈苗は困った様に笑いながら失敗しちゃいましたね、と呟いていた。
聞けば禊と称して大社へ篭っていた時から怪しまれていたらしい。
ダメダメじゃないの、と頭を小突いてやると奈苗は何処か嬉しそうに痛がってみせた。
ともあれ事情を知った神奈子達は奈苗を止めるのは早々に諦めていたらしく、私へ仇討ちを改めてお願いしようと呼んだとの事。
奈苗の説得も有り、皆には事が終わってから真相を打ち明ける事で合意してその場は解散。
以来、私達三人は奈苗を甘やかす事が多くなった気がする。
「……歯痒いわねぇ」
ぽつりと不意に溢れた言葉が湯飲みへ落ちる。
友であり、妹であり、娘であり。
かけがえのない家族を失ってしまうと言うのに、私に出来る事はその後の仇討ち。
割り切れるものなら割り切ってしまいたい。
でも、思い出の中で楽しげに笑うあの娘の姿が私の胸を締め付ける。
出来るものなら今直ぐに件の陰陽師を八つ裂きにして、二度と輪廻に加われぬ様に魂諸共喰らい尽くしてやりたい。
「おや、どうされました?」
「っ!? ……あぁ、映姫。少し呆けていただけよ」
不意に掛けられた声。
首だけで向き直れば小さな身体にぶかぶかの小袖を着た映姫が盆を手に立っていた。
盆にはケイが作り置いてあった最中が載っている。
どうやらおやつを持ってきてくれたみたい。
「最近ぼんやりする事が多いですね?」
「そう? ケイが居ない所為かしらね」
「……ふむ」
盆を卓袱台に置くと、映姫はその小さな可愛らしい手を私に伸ばす。
そのまま、むにっと頬を摘ままれる。
「いひゃいいひゃい」
「そんなに力は入れていませんよ。全く、隠し事が下手ですね」
左右に頬を引っ張りながら、映姫は私の眼を覗き込んでくる。
「失礼かとは思いましたが、さとりさんに頼んで『視て』頂いたので事の次第は既に知っています」
「…………え?」
「私達が家族の異変に気付かずに居ると思っていたなら紛れも無い大馬鹿者ですよ、貴女達は。諏訪子さんも神奈子さんも上手く隠し通していた心算なのでしょうが、アレで私達の目を欺ける筈が無いでしょう」
突然の言葉に思考が一瞬止まる。
視界の端では諏訪子と神奈子が目を丸くして映姫を見ている。
……そりゃあ、三人で内緒にしていましょうって言った事が皆にバレバレだったらこういう反応にもなるわよね。
若干冷静に戻ったのを見てか、映姫は言葉を重ねる。
「既に全員知っています。奈苗さんが為そうとしている事、そこに秘められた悲壮な決意、そして私達が憎むべき仇とルーミアさんの因縁も、全て。全てを知って猶、私達は御二人に託す事を決めました。何故か? そんなの決まっています。御二人を信じているから。奈苗さんはそんな私達が科した重荷さえ平気な顔で背負っていると言うのに、肝心の貴女がそんな調子で如何するんです」
映姫は私から手を離すと鋭い眼差しを二人へ向ける。
そして、毅然と言い放った。
「貴女方二人も、何を腑抜けているんですか。自分の大切な家族が凶刃に倒れようとしていると言うのに」
「い、いやしかし私達に出来る事なんて」
「幾らでも有るでしょう? 神奈子さんは自らの巫女を害されたとして、また伴侶であるお父様──いえ、望月の神へ畏れ多くも刃を向けた者共への懲罰と、その一味が今後力を持てぬ様に外交的な圧力を掛け、更に該当地域を治める神への叱責と忠告を。諏訪子さんは下手人の一族へ練り上げた祟りを叩き付け、犠牲となった方々の魂を慰めて輪廻に加われる様に願い、今後似た様な邪念を抱いた者へ祟りが及ぶ下準備を済ませて置く。若輩者の私でさえこれだけの事が思い浮かぶと言うのに、貴女方は無為に時間を浪費するばかり。奈苗さんと紡ぐ時間も大切ですが、自分が為すべき事を見失わないでください。奈苗さんを失う事が避けられないのなら、二度と同じ悲しみを繰り返させはしないと胸を張って言い切ってみせてください。貴女方にはそう言い切るだけの絆が、やり通すだけの力が、有るのでしょう?」
映姫の語る言葉に、私は恥じ入っていた。
言われた様に、私は腑抜けていたのだろう。
奈苗を失う事にばかり意識を奪われていた私だけど、これ程の想いをぶつけられて燻って等居られない。
心の奥底に、小さく灯が点る。
「そうね。ただ待っていては肝心の瞬間に呆けてしまって取り逃がすかもしれない。そんなのは御免だわ」
いつもの様に、事も無げに言い放つ。
ケイと奈苗に手を出した下郎を苦しめる間も無く殺してしまうのは癪だけど、それで取り逃がしたりケイが傷付いたりするのはもっと癪。
なら、見敵必殺で臨むまで。
視線を向ければ、呆気に取られていた二人も少しずつ顔が引き締まっていく。
漸く、と言うにはちょっとばかり遅かったと思うけれど、それでも。
そしてそんな私達を見て、映姫が少し呆れた様子で笑う。
「やっと良い顔になりましたか。全く、手間の掛かる」
「悪いわね映姫、イイ女ってのは女から見たら面倒くさい存在なのよ」
「そのふてぶてしさが有るなら大丈夫ですね。……後は期日を待つばかりですか」
「そう待たなくても大丈夫そうですよ?」
掛けられた声に振り向けば、奈苗が儚げな笑みを湛えて立っていた。
珍しいと言えるその表情を見て全身の血液が凍り付いた様な寒気が走る。
その感覚が、私に教えてくれた。
「……そう、今日、なのね」
「ええ、今夜の様です。先程迎えにいらっしゃった方々にも、既にお伝えして置きました。皆には、映姫ちゃんが言う通りバレバレだったみたいですけどね」
くすりと小さく笑う奈苗。
何処までも他人事の様に語る姿が、今は何故か物悲しい。
──賊の手に掛かるくらいなら、いっそ私の手で。
そんな錯乱した考えが浮かぶ程、私の心は乱れているらしい。
知らず浮き上がった右手がすいと空を撫でる。
そのまま力無く落ちる手が、不意に熱を帯びた。
気付けば両膝を着き、両手で私の手を包み込む奈苗の姿が目の前にある。
「いけませんね、如何にも。ただの巫女として終わるには、少々深く愛を繋ぎ過ぎたみたいです」
「……え?」
「目前と迫った事で漸く消え行く恐怖を知った、とでも言いましょうか。今、強く思ってしまうんですよ。生き残りたい、と。叶うのであれば、このままずっと皆と一緒に生きていたい、と」
初めて聞く、奈苗の弱音。
涙の一筋も流さぬまま、弱々しく泣いている。
それを理解した瞬間、私の中の何かが弾けた。
「…………ふ、ふふ、ふふふふ。長い事一緒に居たけど初めて奈苗が弱っている所を見た気がするわね」
「あー、笑うなんて酷いですよぉ」
「安心しなさい奈苗。死んだくらいで私が奈苗を手放すと思う?」
「ル、ルー子?」
「どうしたんだ、急に」
急に雰囲気の変わった私に戸惑った様な声を背後の二人が上げる。
能力を使って真意を確かめたらしい奈苗はハッとした表情になり、それを見た映姫が眉を顰めた。
中々賢いじゃない、と映姫の評価を上方修正して置く。
流石はケイの娘ね。
「ルーミアさん、輪廻に干渉する事は大罪ですよ」
「宗教上ではね。生憎、私は無宗教よ」
「そういう問題では……!」
「あら、忘れてるみたいね映姫」
左手を伸ばして小さな顎を持ち上げ、その綺麗な瞳を覗き込む。
「私は善良な人間じゃない、自由気儘に生きる妖怪よ。善悪も損得も功罪も、全てを決めるのは私自身。自分の価値観で自分を縛るのは良いけれど、他人にそれを当て嵌めるのなら相手は見極めなさい。じゃないと……早死にしちゃうわよ?」
「ひっ……!?」
ニタリと笑い掛けてあげると、映姫は可愛らしい声を上げてへたり込んだ。
おっと、いけないいけない。
余り怖がらせちゃったら可哀想ね。
そう思って今度は優しく抱き寄せて頭を撫でてやる。
「ごめんなさい映姫、ちょっと気分が昂ぶっちゃって。大丈夫、貴女は敵じゃないから。私達の家族だからね」
「おぉう……初めてルー子がマジギレしてるのを見たよ……」
「……ふと思ったんだが、ルーミアを敵に回したら他の皆で立ち向かっても叶わない気がする」
「何よ、ケロ子も神奈子も。私そんなに怖く無いわよ?」
「「説得力が無い」」
声を揃えて言い切る二人に、ちょっと頬を膨らませてみる。
漸く恐怖も薄れたらしい奈苗と映姫が、小さく力を抜いたのが解った。
さて、怖い怖いルーミアさんは少し押さえて置きましょうか。
深く息を吸い込んで、ふぅと一息。
よし、これでいつも通りの頼れる私。
完全に感情を押し込んだのが解ってか、ケロ子と神奈子も強張った身体を解している。
別にそこまで警戒しなくとも良いと思うのだけど。
ともあれ残された時間が今夜まで、と判ったからにはのんびりする暇は無いわね。
大急ぎで皆に伝令(便利な紫)を飛ばして送別会の準備にひた走る。
泣きながら見送るよりは、どうせなら最後くらい皆で笑って送り出してあげたい。
奈苗の最後の記憶に残る顔は、笑顔の方がずっと良いから。
「人使いが荒いよぉ」
「紫にしか出来ない仕事なんだから頑張ってちょうだい。ほら、ケイが作っておいてくれた飴玉あげるから」
「くっ、モノに釣られる様な紫ちゃんじゃ……わーい、おにーさんの飴玉だー♪」
「はいはい、お約束の反応有り難う」
そんなこんなで宴会の準備を進めていく。
残されたのは、日暮れまでの僅かな時間。
急な呼び出しだったのに、皆あっという間に集まってくれた。
思い思いのお土産を手に広間を占拠し、次々に奈苗と歓談しに行く。
普段裏方として料理を作っているだけに手持ち無沙汰な様子で、ちょっとそわそわしているのが面白い。
そこへ妹紅ちゃんやチルノやこいしやフランが突撃していくから、いつぞやのケイみたいに合体ロボみたくなっている。
勇儀やみすちー、大ちゃんに永琳辺りは酒瓶を片手に、奈苗からケイの普段の様子を聞き出してるみたいね。
こうやって離れて見ていると、慕われ具合と言うか懐かれ易さと言うか、そうした人の輪の中心になる姿がケイと良く似ているのが解る。
つくづく似たもの同士ね。
「惜しいわね」
そんな風に奈苗を眺めていた私に声が掛かる。
振り向けば、何処か労るような笑みを浮かべている幽香が居る。
「過ごした時間が短い私でさえ、あの娘を喪うのがとても口惜しい」
「……はぁ。奈苗ったらいつの間に花妖怪まで誑し込んだのかしら」
「ふふ、そこも含めてケイに良く似てると思わない?」
「確かに。やれやれ、まるで女体化したケイね」
「成程。……成程」
首を振りながら呆れ気味に呟いた言葉に、幽香は何故か深く頷いていた。
歴代の巫女を振り返ってみても、あれ程までにケイの血を色濃く宿した娘は居なかった。
心の距離で言えば香苗が近いと言えなくも無いけど、それでも奈苗程ケイや私達の心へ入り込む事も無い。
改めて思う。
奈苗を手放したりはしない。
「そしてケイより御執心なのがルーミアとはね」
「当たり前よ、ケイと同じくらい大好きだもの」
「で、どんな手段を使うつもり?」
探る様な、と言うよりは楽しむ様な視線を向けてくる。
こう言った反応を見せる辺り、流石はケイと蜜月を過ごしただけはある。
「奈苗の魂を取り込んで、私の身体に宿らせる。時が来れば、今度は私の子として産んであげるつもりよ」
「…………随分と思い切ったわねぇ。と言うかそんな事出来るの?」
「えぇ。奈苗の魂が無事で、私が力を取り戻して、空いた卵子に上手い事融合させられるなら、ね」
「穴だらけじゃない、そんなの」
「確かに確実性には欠けるかも知れないわ。でも、それが何か問題?」
最初は訝しげな顔をしていた幽香は驚き、呆れと表情を変え、最後には楽しそうに笑い出した。
「あはははははっ、良いわ、最高よ貴女。確かにそれだけなら何の問題にもなりはしないわね」
「ふふっ、でしょう? 我ながら良い案だと思うわ。金色の人喰い妖怪なのだから、愛する人の魂くらい喰らってやらないと名前負けしちゃうわ」
「全く、つくづく貴女を敵に回した奴等が哀れね。東方にその名有り、と噂されただけあるわ」
「え、何よそれ初耳なんだけど」
「結構有名よ? 大陸の一部ではまだルーミアの事を語り継いでいる怪談が有るくらいだしねぇ」
初めて聴かされる話に、えぇぇ、と思わず声が漏れ出る。
別にそこまで名前が広まって居なくともと思ってしまうのは仕方無いと思う。
私の名前も声も、一番に届いて欲しいのはケイだし。
……そんな風に幽香とのんびり盃を傾けつつ語り合っていると、いつしか陽が山向こうへと沈みかけていた。
不意に、皆の声が途切れる。
ちびっ子達はその雰囲気の変化を感じ取ってか、ぎゅっと奈苗にしがみ付いている。
それを一人一人、正面からギュっと抱き締め返していく。
誰か泣き出すかと思っていたから、皆の強さに少し驚いた。
「……決めてたから」
そんな私の耳に小さな声が響く。
俯いて顔を隠したチルノが、僅かに身体を震わせながら口を開く。
「奈苗には、いっぱい、いっぱい楽しい事教えてもらったから。だから、アタイ達も、奈苗を笑顔で見送るって決めたの」
ガバっと顔を上げるチルノ。
浮かんでいるのは涙じゃなく、満面の笑み。
釣られる様に、他の子も笑顔を見せる。
「奈苗、アタイ待ってるから! さっきルーミアが、奈苗は必ず戻って来るって言ってた! 時間は掛かるかもしれないけど、それでも戻って来るって! だから、だから……さよならは言わないからっ!!」
「もこうも、ななえちゃんのこと、まってるよ!」
「私もフランちゃんと一緒に待ってる!」
「だから奈苗ちゃん、早く帰ってきてね!」
「……あぁ、もう。なんなんですか。折角泣かないって決めてたのに、皆してズルいですよ」
目の端に光るものを浮かべて、奈苗が四人を強く抱き寄せる。
ここまで想われるなんて、奈苗は果報者ね。
そっと皆を離して目尻を人差し指で拭い、奈苗がすっと立ち上がる。
そして向かう先は、上座奥の、皆を見渡せる場所。
くるりと振り向いた奈苗は穏やかな笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げた。
「皆さん、今日はお忙しい中お集まり頂き有り難う御座いました。少しの間、私は此処を離れます。その間、おとーさんの事を宜しくお願いしますね」
それだけ言って、奈苗は私へ視線を向けた。
愈々、運命の時が目前に迫って来たみたい。
頷きを返して障子を開け、其処から境内へと降りる。
少しばかり冷たい風が足袋の裏を撫でて行った。
すっかり陽は沈んでしまい周囲には夜の帳が下りている。
さくり、と落ち葉を踏みながら奈苗も私の隣へと降りてきた。
振り返った先、皆の視線が私達に集まっている。
或種の決意を秘めた視線。
それらを受け止め、私はニヤリと口の端を吊り上げて笑った。
「じゃあ、暴れて来るわ。私達の愛しい奈苗を傷付けた事、後悔すら出来ないくらいに痛め付けてやるんだから」
「ふふ、次に逢う時はルーミア様がおかーさんになるんですね。今から楽しみです♪ ……では皆さん、行ってきます」
「戻ったらケイのフォロー、お願いね」
言い終わって数秒後、突然周囲の景色が歪み始めた。
…………。
さて、復讐と行きましょうか。
「……ふぅん、そう。この黒いのが私の力の欠片なのね」
周囲の景色が変化し終わるのと同時、濃い妖力が肌を撫で上げる。
でもそれは異質なものではなく、慣れ親しんだものだった。
そして、私の左横には一筋の黒い枝の様な何かが貫き走っている。
本来は稲妻の様に一瞬で掻き消えてしまう類いのものだと思うけれど、今は不思議と中空に固定されている。
……背後には自らの命を賭して、それの鋭い切っ先から愛する人を救った奈苗の骸が在る筈。
でも、私は振り返らずに左手で黒い枝の様なものを握り潰す。
私が為す事は、眼前で訝しげに眉を顰める痩躯の男と、周囲の取り巻き共を一人残らず殺す事。
奈苗の仇の言葉を遮って発した声は、ひどく落ち着いていた。
「金色の人喰い……? 潜んでいた気配は無かった筈だが」
「返して貰うわ」
言葉が空気に溶けると、黒い枝の様なものは迸る稲妻へと形を変えて、私の左掌へ吸い込まれていった。
その奔流は渦を巻きながら収束していく。
とさり、と背後で倒れる音がした。
同時に私の中へ、柔らかく暖かなものが入り込んで来たのが解る。
恐らくこれが、奈苗の魂。
壊してしまわぬ様に、優しくそっと、奥へ仕舞い込む。
「…………あは」
思わず笑いが零れる。
宿った。
胎の奥、卵子が詰め込まれたその場所へ、奈苗の魂が収まった。
理屈はよく解らない。
けれど、私の本能と言うか封印されてしまう前の『私』が、きっと間違いは無いと太鼓判を押してくれている。
──後はゴミ掃除ね。
渦巻く稲妻は徐々に勢いを増していく。
そしてそれは、痩躯の男の右手へと向かっていく。
見ればこの黒い枝の様な稲妻は、あの男の右手首から生まれている様だ。
恐らく、そこに在るのだろう。
ならばと私は再び同じ言葉を繰り返した。
「返して貰うわ」
言うが早いか、奔流が回転を早めた。
ぶちり、と肉が千切れる音が鳴る。
突然の衝撃と走り抜ける痛覚に苦悶の声を漏らして痩躯の男は姿勢を崩した。
随分と動きが鈍い。
どうやらこの妖気の塊が見えてはいない様ね。
直ぐに興味を左手で受け止めた右手首へと移す。
もぎ取った右手首には、黒い欠片の様なものが覗いていた。
これが恐らく、私の力の欠片に違いない。
指先が触れると欠片の様なものはとろりと溶ける様に染み込んで行く。
同時に沸き上がって来るのは活力。
平たく言うなら「元気が出てきた」かしらね?
今まで以上に身体が軽い。
「金色め……! 射掛け!」
っと、惚れ惚れしている場合じゃないわね。
さっさと片付けましょう。
内なる感覚から視界へと意識を戻せば、弓を手にした雑兵達が物陰や屋根上から躍り出して構えようと左手を持ち上げる所だった。
でもその動きは酷く鈍い。
これなら矢を番える前に蹴散らせそうね、と踵を一つ鳴らして飛び込んで行く。
けれど想定以上に身体が伸びていく。
二歩目で勢いを調整しながら、先ずは左前方の家屋裏から飛び出した射手へと向かう。
その眼が焦点を合わせているのは私が立っていた場所そのまま。
つまり、まだこの射手は私の動きを知覚出来ていない。
口の端が吊り上がる。
──気付く前に何人殺せるかしらね?
右腕で顔面を押し込み首元から弾き飛ばす。
その勢いのまま左腕を後方へと払い、屋根の上に潜んでいた雑兵三人へと妖力の針を投げる。
伸ばした右掌から蒼黒に燃え上がる弾を撃ち出して通りの奥に居た雑兵二人の胸元を抉らせる。
左膝のばねを使って時計回りに半回転。
両手で屋根上に立つ射手の喉元へ妖力の糸を伸ばして刎ねる。
態勢を低くして前方へ。
背後から、最初に弾き飛ばした頭部が後方に居た雑兵を巻き込みながら、家屋横に積まれた薪木の山へとぶち撒けられた音が鳴る。
飛び向かう道すがら、薄刃を生み出し左手で投げ付け前方家屋上の弓兵を斬り飛ばす。
そして右腕は、未だ私が立っていた場所を睨み付けていた痩躯の男の頭蓋を掴む。
ケイ以外の男と長々と語る趣味は無い。
殺せるのなら殺す。
──ふふ、止め前の会話が無い物語はケイのお気に召すかしら?
勢いのまま、右腕を圧し抜く。
地面へ叩き付けられた頭蓋が脳漿を撒き散らしながら沈んでいく。
序と言わんばかりに掌へ妖力を集約させ、肉体を消し飛ばす。
残る魂には妖力を込めて押し潰しておく。
長引かせて苦しめ続けるのも良いと思っては居たけれど、それで不意を突かれるのも面白くないしね。
大した抵抗も無く、魂が砕け散った感触が返る。
これで一先ずの仇は取った。
「……予想以上に虚しいものね」
ふぅ、と一つ溜息を吐いて歩を進める。
残る雑兵共の首を刎ねて周囲の安全を確保し、漸くケイの方へと向き直った。
力無く伏した奈苗の身体、それを抱き留めて呆然とするケイ、そのすぐ背後で同じ様にへたり込む幼女。
……あの娘が、奈苗の言っていた『ケイが身を呈して庇っていた子供』ね。
成程、随分と可愛らしいじゃない。
すたすたと軽快とも言える足取りで近付くと、ケイはゆっくりと顔を上げた。
その目は、焦点が合っていない。
「あぁっ……ケイ……!」
こんな状況なのに、その仄暗い輝きを沈めた瞳に見据えられゾクリと甘美な震えが走る。
駆け寄り、奈苗の骸ごとケイを優しく抱き締める。
先程まで温かかった身体から熱が失われていくのが解る。
同時に、幾ら熱を注ごうとも奈苗の身体が動く事は、二度と無いと言う事も。
同じ事を考えたのか、ケイの唇が僅かに開く。
「────────」
「…………ケイ」
「────ぁ」
喉を通り抜ける息が、幽かに声の様な音を鳴らす。
次第に集約した焦点が私を映し出すと、その両目が徐々に揺れていく。
「────────────────!!」
ケイが泣いている。
声を上げる事すら叶わぬまま、幼子が悲しみを母へ訴える様に。
両目からぼろぼろと涙を零しながら、奈苗の身体をぎゅっと抱き締めて。
声にならない声が通り抜けていく。
自然と、身体が動いていた。
奈苗の身体を左側、ケイの身体を右側に寄せて、強く強く抱き締める。
──そうか、ケイはまだ奈苗が完全に失われた訳じゃ無いって知らないから。
とは言え、この状態で言っても理解出来ないかも知れない。
今は悲しみが全部吐き出されるまで、抱き締めてあげよう。
そう思って、私はいつかしたみたいにケイの頭を右手で優しく撫でてあげた。
一度力無く下がった両手が、私をぎゅっと掴まえる。
思えばケイはまだ別離を一度しか経験していなかった。
それも、心と身体を交す前の香苗だけ。
鼎とは逢う事すら無いままに生き別れて、其処まで実感は無いのだと思う。
だけど今回の別離の相手は、奈苗。
同じ人間と言う括りなら、間違い無く一番深く情を交わした相手。
心の中で決して少なくない面積を占めていた伴侶の死が、ケイの嘆きを生んでいる。
……ふふ、此処で奈苗に嫉妬するのはちょっと酷い女になってしまうかしら?
ふと浮かんだ思いを沈め、泣き続けるケイの頭をそっと撫でる。
「大丈夫、大丈夫。私は此処に居るわ」
「────────!」
抱き寄せたケイの頭を撫でていると、不意に右耳に掛かる髪の毛がざわりと揺らめいた。
同時に生まれるのは強大と言って差し支えない程の、力の奔流。
……まぁ、私からしたら可愛らしいものでしか無いのだけど。
一拍遅れて爆ぜた大気が此方へと流れ込み、周囲の家屋から炎を消し飛ばす。
ふっと光源が消え去り周囲を暗闇が包んだ。
ケイも一連の変化に気付いたのか、泣き声を止めて呆けた様に抱き付いて来た。
よしよし、いいこいいこ。
「ひぅっ!?」
すぐ側で息を飲む悲鳴が上がった。
見ればケイが庇っていた幼女が目に涙を溜めて此方を見ていた。
アレ、もしかして私に怯えてる?
少し注視していると、その理由が解った。
幼女の瞳に映っているのは一対の真っ赤な光。
如何やら私の両目が濃過ぎる妖力の影響で赤く発光しているみたい。
うわぁ、と若干自分に引く。
何か提灯頭にぶら下げてるみたいでみたいでカッコ悪いわね、これ。
ともあれ周囲の安全は確保したのだし、この娘とも話して置こうかしら。
「えっと、こんばんは。私は悪いヤツじゃないから、大丈夫よ?」
我ながら余りの対話能力の低さに情けなくなって来そうな第一声だった。
ただそんな間の抜けた挨拶から入ったのが良かったのか、幼女はまだ怯えながらも、何とか言葉を返してくれた。
「こ、ここ、こんばん、は……?」
「えぇ、こんばんは。私はルーミア。ケイの……この人の、お嫁さんよ」
「え、あ、えぇ……!?」
私の言葉に、幼女は悲しそうに眉を寄せた。
いやいやいやいや、警戒を解いて貰ったのは良いけれどもう堕ちてるのこの娘?
まだ肉体的接触は少ないみたいだけど、言い換えればそれってもう心がケイに囚われてるって事よね。
どうしよう、流石ケイは色男と夫を褒めるべきか手当たり次第に撃墜するなと怒るべきか。
……でもまぁ、ケイがカッコイイのは最初からだし、仕方ないかしらね。
そんな風に意識を飛ばしていると、不意に腕の中で動きが生まれた。
視線を下げると血の気を失った顔色のケイが、私に回していた腕を解いていた。
っと、妖力を調節してこの眼をどうにかしないと。
流石にこんな珍妙な発光しながらだと恥ずかしいわ。
少し焦りながら体内の妖力の調整に四苦八苦していると、掠れた声がケイの喉から漏れ出た。
「……今のは、何処から、だった……?」
「え?」
「今の、爆発みたいな……何処、からだった……?」
その声に顔を上げて遠くを見遣る。
あれが生じたのは丁度ケイの真後ろ側、山の上の方角だった。
一部でぽっかりと木々が途切れている様に見えるから、恐らくあの場所が爆心地なのだと思う。
それをケイに伝えると、急に立ち上がって山の方を見詰めた。
私は私で、バランスを崩して倒れ込みそうな奈苗の身体を抱き留める。
「わわっと。どうしたのよ、ケイ」
「そんな……嘘、だろ」
「ちょ、ちょっとケイってば」
フラフラと覚束無い足取りで山の方へと歩き出すケイ。
少しずつ動きが速くなり、やがて駆け出して行く。
ケイの慌てぶりから察するに、山の上には何か心を強く揺さぶられるものが有るみたい。
いやまぁ、恐らく『また』女の子なんでしょうけど。
仕方ないわねぇ、と軽く溜息を吐き出して奈苗の骸を背負う。
っと、意識が無い人体は重く感じるって言うのは本当なのね。
間違いなく胸とお尻の肉付きが良い所為でしょうけど。
背中に当たる虚ろな温度を感じつつ、傍らの幼女へ声を掛ける。
「さ、ケイを追い掛けるわよ。ええと」
「え、あ……文、です」
「文ね、良い名前じゃない。さぁ、行きましょう。道中の悪い奴らは私が懲らしめてあげる」
多少怯えた様子ながらも、文はその小さい身体を奮い立たせる。
良い気概じゃない。
これならケイが気に入るのも解るわ。
「じゃあ、私の後ろに付いて来てね」
「う、うんっ!」
頼もしい声にくすりと笑みを零し、私はケイの後を追い掛けた。
光源らしい光源も無くすっかり暗闇が支配する通りを抜けて山道へと向かう。
取り戻した力も相俟って視界良好な私と違い、文は少し足取りが危なっかしい。
逸れたら大変だし、私の裾を握らせておく。
歩みは遅くなるけどこっちの方が安心だしね。
そうして山道を進んでいくと、道の脇に潜んでいた雑兵が視界に映る。
生かしておく理由も無いのでサクッと妖力の刃を飛ばして殺していくと、不意に裾が引かれた。
「あの人たち、死んじゃったの……?」
不安そうに瞳を揺らして見上げる文。
言葉が違っても意味する所は解る。
言い換えるなら、何で殺しちゃうの、って所かしら。
心優しいわね、文は。
まぁ納得は出来ないでしょうけど、誤魔化さずにしっかりと答えましょうか。
「あいつらは村を襲っていたのよね?」
「うん……」
「喧嘩してるんならお互いにごめんなさいをしたら仲直り出来るけど、あいつらは貴方達を殺す為だけに襲ってきたのよ。生かしておけば、今度は別の誰かを殺しに行くわ。そうしたら、文より小さい子も死んじゃうかも」
「そ、そんなのだめ……!」
「でしょう? それに文、そこの地面を見て」
歩きながら前方の地面を示すと、そこには左右に散らばった矢が一本の道の様に山上へと延びていた。
「矢が、いっぱい……?」
「普通に人を狙って射たのなら、こんな風には散らばらないわ。それこそ、矢を弾き返すくらいの何かを狙わないと、ね。……さぁ、思い出してみて。私達の前に、ここを通り抜けた人が居たわよね?」
「あ……おにいさん……!」
「良く出来ました。……つまりこいつらはケイも殺そうとしたのよ。どう? 許せないでしょう」
命を賭けて──いやまぁ、この状況を見る限り傷一つ無いとは思うけど──身を呈して守ってくれたケイを殺そうとしたと聞いて、幼い心はあっさりと染まる。
そんな私の思惑通りに、袖を握る力が増した。
ふふ、上出来ね。
ケイのお嫁さんになるのなら、何よりもケイを優先するくらいじゃないと。
まだ人を殺す事に納得は出来なくとも、それより重要な事を認識させれば幼子でも是と答える。
やれやれ、ケイの受け売りは随分と効果覿面ね。
まぁそうして私も染められたのだけれど。
一人ほくそ笑みながら山道を行く。
次に道中で雑兵を屠った時、文は何も言わなかった。
「良い子ね。さぁ、そろそろ爆心地が見えてくるわよ」
奈苗の身体を背負い直して暫く行くと、拓けた場所に辿り着いた。
以前は大きな建物が有ったのだろうと想像出来る広さと土台の痕跡が残るその場所。
周囲に有る人影は三つ。
一つは離れた場所に建つ小さな納屋の入口で仁王立ちしている尼僧。
その上には見越入道が居て、両腕で納屋を抱え込む様に護っている。
一つは拓けた場所で呆けた様に立ち竦むケイ。
もう一つはケイを後ろから羽交い締めにしている女性。
二人の前に息絶えた弓兵の潰れた死体が有る事から察するに、暴走したケイを抑え込んでくれたみたいね。
見渡してみれば、ケイが潰した奴以外の雑兵はまだ息が有る。
……不可解ね、何故殺さないのかしら。
その疑問に答えたのは、傍らで裾を握っていた文だった。
「お寺が、無くなってる……?」
呆けた様に呟く文。
成程ね、確かにこれだけの敷地を持つ寺が無くなっていたら驚きもするわ。
と言う事はあの尼僧と女性は寺の関係者ね。
刃を向けた人間にまで不殺を貫くだなんて、噂に聞いた妖怪寺の人は随分と敬虔みたい。
……でもまぁ、私を止める理由にはならないわね。
軽く左腕を薙ぎ払って妖力の矢を伏した雑兵共に飛ばす。
狙い違わずに脳天を貫かれ、全ての雑兵は動きを止めた。
「なっ……!」
声を上げて咎めようとする女性の横を擦り抜けさせ、ケイが潰した死体の脳天も撃ち抜く。
その事に激昂した女性はケイから手を離して私に詰め寄った。
尼僧と見越入道も油断無く私を見詰めている。
「何をするんです! 彼等にはもう戦う力は無かったのに……!」
「ええ、そうね。そこらに転がっている『全ての』人間は私が殺したわ」
「何故……!」
頭に血が上った女性は尚も詰め寄って来るのに対して、尼僧の方は気付いたらしい。
隣に居る文も、あっと声を上げた。
あらあら、中々賢いじゃない。
「あ、あの……!」
「ん、貴女は確か……射命丸さんの所の文ちゃん?」
「は、はい! あ、えっと、その。ちがくて……!」
「如何したのですか? まさか貴女、この娘に何かしたのですか!」
「違う違う。落ち着きなさいよ、星」
何処か気怠そうな様子で尼僧が近寄ってきた。
疑問の目を向ける女性に、溜息混じりの答えを返す。
「言っていたでしょ、『全ての』雑兵は私が殺した、って。……この景色を見て状況の一端を理解して、その人はこう言った訳よ。『望月君は誰も傷付けていない、手に掛けたのは私だ』ってね。惚れ惚れするくらいに献身的ね?」
「説明有難う」
尼僧の言葉とこくこく頷く文を見て、女性は意図を理解したらしい。
それでも納得行かなそうな顔付きをしている辺り、融通は利かなそうね。
「だとしても、無用な殺生をして良い理由には」
「なるのよ。私にはね。それに生かして置いて如何するつもり? 罪を償わせる? 罪の意識すら持ってない奴等に何を償わせるのかしら。そう言うのは貴女達の所で言う閻魔様にでも任せておけば良いのよ。少なくとも私や貴女が裁くよりもずっと公平だわ」
「彼女の方が一枚上手よ、星。少なくとも口の上手さはね」
「さて、貴女達とのお喋りも良いけれどまた今度にして貰える? ケイを放っては置けないの」
「待ちなさい。一つだけ聞かせて。貴女は誰なの?」
尼僧が訝しげに視線を向ける。
おっと、自己紹介がまだだったわね。
「私はルーミア。ケイの一番のお嫁さんよ」
「「……え?」」
その答えに思わずと言った様子で目が点になる二人。
ふふっ、ケイの一番は例え奈苗でも譲る訳には行かないからね。
そんな私の思考に「ぶーぶー」と口を尖らせて文句を言う様に、奈苗の身体がずり落ちる。
あやす様に背負い直して、ケイの元へと移動を再開した。
背後からは二人の愕然とした声が漏れ出ている。
「ルーミア……? まさか金色の人喰い……それ程の大妖がここに……!」
「契さんのお嫁さん……! あの三人以外にまだお嫁さんが……!」
うん、互いの呟きの温度差が凄まじいわ。
そして今言ったわね、あの三人って。
つまり更に三人堕としている、と。
ここの何処か……あぁ、納屋の下に五人分の妖気が有るわね。
その中の三人がケイの虜……いえ、そう断定するには早いわね。
あの女性の反応からして、もう一人か二人篭絡しててもおかしくないわ。
やれやれ、と溜息を吐きながらケイの元へ行く。
立ち竦むケイの側まで行って、そっと声を掛ける。
「ケイ」
ぴくりと身体が震えた。
いつもより小さく見えるその姿に庇護欲がむくむくと膨らんでいくけど、愛でるのはもう少し我慢よ。
「あっちの納屋の下、五人分の反応が有るわよ」
その言葉に劇的な反応が返る。
弾かれた様に駆け出して納屋へと向かうケイ。
随分と思考が鈍ってるわねぇ。
苦笑を浮かべながら、周囲の空を見渡す。
……見付けた。
ニヤリと笑えば、空に浮かぶ隙間の向こうでわたわたと慌てる気配が有る。
「見てるんでしょう、紫。さぁ、ケイ達を連れて帰るわよ」