────『私の想いを、継いでくれる人が居る』────
春を迎え、夏が過ぎ、秋を楽しみ、冬を越える。
そして、また春がやって来る。
季節が巡り、過ぎて行く。
長くも短い時間が過ぎて行き、如何にか心の整理が出来た頃。
漸く、私は事の全容を知る事となった。
晴耕雨読を体現していた私の元に齎された、突然の告白。
それは私の日常を一変させるには充分過ぎた。
元々巫女としての修行は続けていたから実務上は何も問題は無い。
そう、実務上は。
愚痴の様で申し訳無いが、私は妹の様に器量も良くなければ愛想も悪い。
誰からも愛されるあの娘と違って、私は所謂引き篭りだ。
あの御方達に気に入られる要素等無い筈だ。
……詰まる所、私が抱えている不安と言うのは妹の代わりとしてやっていける自信が無い、と言う事。
──とてもあの娘には聞かせられないわね。
幼い頃から何でも器用にこなすあの娘の隣で、私は常に劣等感に苛まれてきた。
それを表に出さなかったのは、なけなしの姉としての矜持。
せめて心だけでも強く在ろうとした結果が、今の私だ。
水鏡に映るのはお世辞にも可愛らしいとは言えない自分の顔。
吊り上がった三白眼、不機嫌そうに寄った眉、笑みの欠片さえないへの字の唇。
絵に描いた様な仏頂面がそこにある。
「んぅ? 何してるの?」
背後から玉が鳴る様な美しい声が掛かる。
手水鉢から視線を剥がして向き直り、腰を折った。
「水鏡を眺め呆けておりました」
「随分と珍しいね、霊霞がそんな風にぼーっとしてるなんて」
「恐縮です」
「や、別に咎める訳じゃないから良いんだよ? 寧ろ珍しいものを見れたし、ちょっと得した気分」
朗らかに笑う諏訪子様。
私程度の者の所作で御喜び頂けるのならば至福の極み。
とは言え余り呆けた姿を晒す訳には行かない。
東風谷の巫女として、神に仕える身として恥ずかしくない姿を心掛けねば。
そう自分を律した気配が伝わってか、諏訪子様は小さくクスリと笑う。
「霊霞は真面目だねぇ」
「……皆様、囚われぬ風の様に自由な方ですから」
「そう言うのは勝手気儘って言うんだよ。私が言えた義理じゃないけどさ。っと、忘れる所だった。契が探してたよ?」
「契様が?」
心当たりは無い。
私にしか出来ない事は無いし、態々私を好んで指名する理由も無い筈だ。
そうされるだけの価値も、無い。
訝しむのもそこそこに諏訪子様へ御礼を述べて社の中へ。
恐らく居間で奥方様と過ごして居られるのだろう。
御待たせしては申し訳無いと足早に廊下を進む。
──私にあの娘の代わりが務まる筈も無ければ、あの娘以上の仕事が出来る訳でも無い。
あくまでも自分は予備。
あの娘には遠く及ばない。
契様に御仕えするようになってから、幾度もそんな考えが脳裏を過ぎて行った。
長年付き合っているこの劣等感が最近特に激しく精神を苛んでくる。
理由は解っている。
この様な言い方が不敬なのは重々承知で、その上で敢えて言わせて頂くのなら──他でもない、契様の所為だ。
他の方々は私を『あの娘の代わりに来た巫女』として見る。
それが普通の反応だし、別段思う所も無い。
なのに、あの御方だけは最初から私を『霊霞』として見ていた。
如何言った理由なのかは解らないけれど、その事が妙に胸をざわつかせる。
「──何でなのかしらね。奈苗なら解るのかしら……」
呟く様に零した問いが床板に染み込み、すうと溶けて行く。
響くのはひたひたと廊下を進む音だけ。
やがて、目的の場所へと辿り着く。
開いた襖から覗く居間では、契様が空を眺めながら佇んでいた。
「御呼びでしょうか」
「……ん、おぉ、呼び立てて悪いな霊霞」
「いえ、私で御役に立てる事でしたら喜んで」
私に気付いてひらひらと手を振る。
その場で傅く私に少し困った様な笑みを浮かべる契様。
「そんなに畏まらなくても良いんだぞ?」
「畏れ多い事です」
「元々は人間なんだし特に敬われる事もしてないんだがなぁ。まぁ堅苦しいのは抜きでやってくれ、こっちとしても反応に困る」
「然様で御座いますか」
「それに、頭を下げられていたら折角の霊霞の可愛い顔が見れないからな」
「御戯れを……」
「っと、霊霞と睦言を交わすのも良いがそろそろ行かないとな。一緒に付いて来てくれ」
「御供致します。どちらへ向かわれるのですか?」
「歩きながら話すさ」
立ち上がった契様に続いて玄関へと向かう。
戸を引くと、明るさに一瞬目が眩む。
快晴と言って差し支えない空が広がり、少し強いくらいの日差しが軒先に影を落としていた。
外行きの足袋に履き替えて境内を進む。
立ち位置は契様の一歩後ろ。
隣を歩くには畏れ多く、さりとて離れ過ぎても不敬となる。
横を向いた時視界に入っていないと寂しいから、と以前仰っていたけれどそれも何処まで本心なのか私程度では想像も出来ない。
道すがら郷の人達に会釈を返しながら歩いていると、契様から御声が掛かる。
「すっかり春だな」
「ええ、最近は日差しも暖かいので洗濯物が良く乾きます」
「霊霞が家事を手伝ってくれるお陰で助かっているよ」
「勿体無い御言葉です」
「で、今日はそんな霊霞にもう一つ手伝って貰いたい事が有ってな」
「私に出来る事でしたら」
道を暫く進むと郷から離れ、踏み固められた林道へと出る。
去年までは獣道と言った方が正しい様な道だったのを、鬼の方々に依頼して切り拓いて出来たのがこの林道。
……返す返すも妖怪と縁を結び共に暮らしていると言うのが不思議でならない。
他の村や集落では、妖怪は人を攫う相容れない存在であると聞く。
故に人は妖怪を恐れ、神々を祀り、互いの領分を侵さぬよう生きている。
それが、この郷では如何か。
当たり前の光景として多種多様な妖怪が人と挨拶を交わし談笑している。
中には契様に肖ってか夫婦となっているものも少なくない。
これを異常と取るか、一つの形と取るか。
改めて周囲の状況の特異さを実感していた私へ、契様の躊躇いがちな御声が掛かる。
「花を一輪、選んで欲しい」
「花……ですか?」
「あぁ」
少し声の調子を落とした契様と歩きながら、成程と納得する。
この道の先に有るのは幽香様の御自宅。
他にも河童の集落や鬼の集落も有るけれど話の流れからして幽香様に会いに行くのだろう。
そして花を見繕うのだと。
「どのような花を御所望ですか?」
「……奈苗が好きだった花を頼む」
「あの娘が好きだった花、ですか」
「あぁ。漸く決心が付いたんでな」
場都が悪そうに頬を掻く契様。
理由は如何在れ、契様が今まであの娘の墓を訪れる事は無かった。
あの娘が契様に懐いていた様に、契様もまたあの娘を大事にしてくださっていた。
……その想いが強かったからこそ、あの娘の墓へ足は向かなかったのだろう。
正直な所、そこまで想われていながら最後まで生き抜くと言う選択をしなかった点には憤りを覚える。
私の様な者が代わりとして収まるよりも、奈苗が生きていてくれた方がどれだけ良いか。
其処まで考えて、僅かに頭を振る。
如何な感傷に浸ろうとも、あの娘が自分で選び取った結果だ。
せめてあの娘の遺言くらいは守ってあげよう、と鬱屈した思いを息と共に吐き出す。
「それならば丁度咲き始めている時分です。幽香様にお願いしてみましょう」
「そうか、それは何より。季節外れの花を無理矢理咲かせてしまうのは可哀想だしな」
時折、契様は随分と可愛らしい言い回しをなされる。
郷の童女達とも話が合うので、散歩に出ればいつも囲まれて居られるのが印象的だ。
とても大人びているのに、ふとした瞬間少年の様に笑ってみたり。
不思議な御方だ、としみじみ思う。
「で、その花ってのは?」
「丁度其方に咲いていますね」
「……成程。手折る訳にも行かないな。やはり幽香に頼むか」
春の気配を孕んだ花弁が風に揺れている。
見上げた木々の枝に、小さな桜が咲いていた。
────『私の分まで、笑ってくれる人が居る』────
「……うん、皆立派に育ってるわね」
「幽香さん、篭持ってきました」
「準備万端!」
大粒の実を付けた苺の苗から顔を上げると、荷車に幾つか篭を載せてチルノと大ちゃんが此方へやって来た。
いつものワンピースじゃなく、二人ともシャツにオーバーオール、軍手にゴム靴を着込んでいる。
ケイのデザイン画を元に作ってみたのだけれど、案外似合っていて可愛らしい。
「よし、それじゃ収穫しましょうか。摘まみ食いは二つまでよ?」
「「はぁーい!」」
二人の弾んだ声に自然と口の端が上がる。
荷台の篭を手に取って、いざ収穫の時。
育ち切っていないものや小さいものはそのまま残して、手際良く篭へと運んでいく。
今年の苺は随分と大きく育った。
紅く熟れた実がとても美味しそうに映るけれど、独り占めする訳には行かないわね。
「ん~、あまぁ~い♪」
「あ、チルノちゃんもう食べてる!?」
幸せそうな声に顔を上げると早速チルノが大粒の苺に噛り付いていた。
手をほっぺに当てて蕩けた顔をしているけれど、軍手に付いた土がそのままほっぺに付いてしまっている。
それに気付いた大ちゃんがタオルで拭い、チルノが擽ったそうに笑い声を上げる。
うん、とても和やかで楽しいわね。
二人が遊びに来てくれるようになってからと言うもの、毎日がとても賑やかになった。
時々三人でケイの所へ襲撃を仕掛けてみたり、家でまったりお茶会と三人で同じベッドに入ってお泊り会をしてみたり。
同年代では無いけれど、掛替えの無い友人を得られた事をケイに感謝しないとね。
(ア、ソレ酸ッパイヨ)
「大ちゃん、それは酸っぱいらしいからやめた方が良いわよ」
「そうなんですか? こんなに紅いのに」
「ねーねー幽香、こっちは?」
(ソッチハ甘イヨ)
(コナイダノデートノ時クライ甘々)
「……甘いらしいわよ」
「そっか♪ 大ちゃん、あ~ん」
「あーん……うん、すっごく甘くて美味しい♪」
「くっ……!」
「あれ? なんで幽香悔しそうなの?」
「幽香さんも甘いの食べたかったのかな」
(スッゴク甘イッテ)
(アマーイ!)
茶化すんじゃないわよっ、と葉っぱの部分を指で弾く。
よくよく考えたら花や木々に私とケイのデートが全部筒抜けな気がしてきた。
こういう時は自分の能力が恨めしいわね……。
妙に気恥ずかしく感じていると、不思議そうに首を傾げていたチルノがぽんと手を打つ。
「解った! 花にどれが甘いか聴いて自爆したのね!」
「え、どういう事?」
「きっと甘さを伝えるのに『ケイとらぶらぶしてた時の幽香くらい甘い』って言われたのよ!」
「何で解るのよ!?」
「え!? まさかのチルノちゃん大正解!?」
「ふっふ~ん♪」
得意気に胸を張るチルノ。
時折ピンポイントで物凄く賢くなるのよねこの娘。
と言うか当てられて一気にほっぺが熱を持ち始めた。
平常心平常心、と如何にか動揺を抑えようとしていると大ちゃんが近寄り満面の笑みを浮かべる。
「えっと、とっても甘かったですっ」
「……コラー!」
「わー、幽香が怒った♪」
「キャーキャー♪」
楽しそうに騒ぎながら抱き付いてくる二人。
妖精らしく大ちゃんも地味に悪戯っこなのが厄介だわ。
逃げるなら追い掛けて拳骨も出来るのだけど、逃げる所か逆に嬉しそうに抱き付いてくるから怒るに怒れないし。
「全く……後で酷いわよ?」
「えへへ、ごめんなさい」
「でもそれだけ幽香はケイが好きなんでしょ? だったら恥ずかしく無いよ! それってとっても素敵だもん!」
「あー、まぁ、その……」
ええい、チルノの真っ直ぐな心は私には眩し過ぎるわ。
(マブシイノ?)
(ヨゴレ?)
誰がヨゴレ系よっ。
そんな風に時折二人に弄られながら収穫を進める。
人より丈夫とは言え屈んだ状態での作業は中々に堪えるものがある。
顎を伝う汗を拭いながら最後の畝での収穫を終えた所で花達が騒ぎ始めた。
(キタ)
(キタヨ)
「ん?」
「どしたの? 幽香」
(今日ハ二人)
(巫女サンモ一緒)
「ケイと霊霞が来たみたいね」
「契さん達が?」
「ハッ、まさかこの摘み立て苺を狙って!」
「それは無いと思うけどなぁ」
「おのれケイめ! 苺が欲しくばむぎゅむぎゅしろー!」
意気揚々と勘違いしたまま篭を荷台に置いて駆け抜けていくチルノ。
それを微笑ましそうに大ちゃんが見送る。
……まぁ、面白そうだから放って置いても大丈夫ね。
苺を載せて大ちゃんとのんびり荷台を牽いていくと家の方から何やら愉しげな声が届く。
早速襲われたみたいね。
二人で顔を見合わせて笑いながら、荷台から苺を降ろして倉庫へ。
「じゃあ私は荷台を持っていくから、大ちゃんは保存室にしまって置いて貰える?」
「はい、任せてください!」
「ん、頼りにしてるわよ」
ぐっと両手を握ってみせる大ちゃんにこっそりと苺を咥えさせてみる。
ケイ直伝の手綱捌きは効果絶大ね。
ほっぺを押さえてふにゃー、と幸せそうにくねくねする姿が実に良い。
思わず抱き締めて撫で回したけれど私は悪くない。
可愛いは正義ね、間違い無いわ。
やる気充分な様子で篭を運んでいく大ちゃんの後ろ姿に手を振って、物置小屋の方へと荷台を押していく。
小屋の中は陽が入らない所為か少しひんやりしている。
奥の空間に荷台を置いてから外に出ると、春の陽射しがぽかぽかと降り注いでくる。
今日はのんびり日向ぼっこでもしようかしら。
そんな事を考えつつ家へ戻ると、案の定妖精二人に振り回されている姿が目に写った。
予想と違ったのは振り回されているのがケイじゃなく霊霞だった事ね。
「いらっしゃい、二人共」
「よっ」
「お邪魔致します、幽香様」
右手を挙げて気さくに笑い掛けるケイ。
今日は藤の花をあしらった上衣と藍染の袴姿。
少し厚着の様にも思えるけれど、意外と寒がりだからあれくらいで丁度良いのかも知れない。
霊霞はいつもの巫女装束。
丁寧過ぎる程に頭を下げて挨拶するけど、今日はその怜悧な表情が少し戸惑っていて何処か微笑ましい。
原因は左右の腕の引っ付き虫ね。
「随分と懐かれたわねぇ」
「見に余る思いです」
「霊霞お肉余ってないよ?」
右腕に抱き付いたままチルノが人差し指で霊霞のお腹をつつき始める。
振り払うでも捩って逃げるでもなく、黙ってされるが侭につつかれている。
それでも多少はくすぐったいみたいで、時々びくっと身体を震わせる。
何とか涼しげな表情を保っているのが可愛らしい。
霊霞も弄ると面白いのよね。
「霊霞肌すべすべで良いなー」
「有難う御座います」
「胸も大きいし羨ましいです!」
大人の女性に憧れている大ちゃんは霊霞がいたくお気に入りらしい。
いつも冷静で取り乱さず、奥ゆかしく控え目なのが格好良いとか。
憧憬の視線に晒されて少し戸惑っている様子なのに一切表情が変わらない所がまた良いわね。
そんな風に戯れる三人を見て、ケイと一緒に微笑みを零す。
「すっかり人気者ね」
「後は自分を卑下せず自信を持ってくれたら良いんだが」
「ケイの御手付きが無いからじゃない?」
「流石にそれは無いと思うが。それに今手を出してもな」
「あら、性欲魔神のケイにしては珍しいお言葉」
「お前は俺を何だと……いや、良い。思い当たる事しか無かった」
「残念。解らないって言ったら弄り倒そうと思ったのに」
「いじめっ子め」
いじけた様に唇を尖らせるケイが、ふと柔らかく笑う。
視線の先に有るのはチルノと大ちゃんにもみくちゃにされている霊霞の姿。
「今の霊霞に手を出しても『当然の事として身体を差し出す』としか考えないだろ? 巫女だからとか奈苗の代わりだからとか、そんな詰まらない理由で」
「あ、そうだ! 霊霞に苺持ってきたの! 多分甘いやつ!」
「確かに、いつも引いた位置に身を置いているわね。律すると言うより縛り付けてるみたい」
「御厚意、痛み入ります」
「それじゃダメなんだ。俺が抱きたいと思うのは空っぽの人形じゃなく、霊霞と言う女の子だからな」
「はい、あーん♪」
「自分と言う価値を正しく認識した上で、自らを捧げて欲しい、と。本当に鬼畜ねぇ」
「チルノ様、畏れ多いのですが……」
「気高く強い女性が俺だけに心から屈服するとか最高だろ」
「よしチルノちゃん、私が霊霞さんを押さえてるからその隙に! むぎゅむぎゅー♪」
「それであの頃から暴れん坊ならぬ暴れん棒だったのね。納得納得」
「あの、大妖精様。押さえるのなら私の両腕の上から、加えて背後から拘束した方が良いかと存じますが」
「っと、本題を忘れる所だった。これから奈苗の墓参りに行くんだが、せっかくだから花を供えようと思ってな」
「でかした大ちゃん! さぁ霊霞、覚悟して口を開けなさい! じゃないとちゅーするわよ! ケイが」
「成程ね。でもあの娘の好きな花って桜よ?」
「……それは魅力的ではありますが私程度の者には分不相応なものです。契様の御寵愛は奥方様へ、と」
「あぁ、だから幽香に頼みに来たんだ。手折ってしまっては可哀想だからな」
「でも霊霞さん満更でも無さそう?」
「それなら問題無いわ。あの娘のお墓が有る所、周囲に桜の木が並んでるのよ。能力で一気に満開に出来る事だし、私もお参りに行こうかしらね」
「あたい知ってる! 今の霊霞みたいな顔はね……えーと……そう、メスの顔って言うのよ! それはそうと霊霞、あーん♪」
「頼む。幽香も来てくれるなら、きっと奈苗も喜ぶだろうな」
「んっ……甘くて美味しいです」
「ええ、きっとね。それじゃあ準備しないと。少し待ってて貰える?」
「メスの顔を否定しない……これは霊霞さんも契さんラヴァーズの一員に!」
「解った、適当に紅茶でも淹れてのんびりして待ってるよ。……オラー! 何三人で面白そうな事してるんだ俺も混ぜろー!」
三人に突撃していくケイ。
ちびっ子二人は歓声を上げて、真ん中の少女は僅かに眼を見開いて捕まる。
霊霞は日頃密着する機会が無いのか随分と反応が初々しい。
ケイはケイで、普段の大胆不敵な鬼畜眼鏡っぷりを発揮させずに妙な遠慮をしてるみたい。
二人共しょうがないわね、と小さく笑みを零して一旦着替えに家へと戻る。
「ケイ、大ちゃんとチルノも着替えるんだから霊霞でも掴まえてなさい。ほら二人共、着替えるわよ」
「「はぁーい♪」」
「どれ、それじゃ俺達は居間でティータイムと洒落込むか」
「あの、契様。抱き抱えられたままでは非常に畏れ多いのですが」
「気にするな。折角だし奈苗の所までお姫様抱っこで行くか?」
「御戯れを……」
無表情ながら僅かに耳を赤くしている霊霞はケイに任せて、私は妖精二人を連れて脱衣所に。
三人だと少し手狭だけど、汗くらいは流さないとね。
気を抜いたらケイが抱き付いてくるし。
全く、我が夫ながら困った子だわ。
(デモ期待シテルヨネ)
(完堕チダネ)
こらそこ、煩いわよっ。
────『私の帰りを、待っていてくれる人達が居る』────
物干し竿に掛かっている着物を手に取って一つ頷き、手元の籠にぽいぽいと放り込んでいく。
暖かな日差しのお蔭で、洗濯物が良く乾く。
左手で庇を作りながら太陽を見上げてみると、じんわりと肌が汗ばんで来そうなくらいに照り付けて来ているのが解る。
「もう出歩くのに厚手の服は要らないわね」
「お父様はまた生地の厚いものを着込んでいましたが」
「にぃに、さむがりだもんねー」
籠を抱えて洗濯物を運んでいく映姫と妹紅ちゃんが、小さく笑みを零した。
二人共服の袖を捲って体温を逃がしている。
日陰で強い風が吹けば少し肌寒いと感じるけれど、こうして動いていると自然に汗がぶわりと噴き出して来る。
首に掛けた手拭いで汗を拭きつつ布団を手に取る。
一時期は傷心のケイに合わせて子作りは控えていたけれど、最近はまた以前の様に抱かれる様になった。
お陰でケイが何処かへ泊まりに行く日以外はほぼ毎日、布団を洗って干している。
意外と重労働なのよね、これ。
その所為か最近少し腕が逞しくなった様な気もする。
由々しき事態だわ。
ほんのちょっぴり軽く感じる布団を一先ず縁側から室内へ放り込むと、どこからともなく影が迫る。
「へっへっへー、ぽかぽかお布団一番乗り!」
「あっ、ゆかりちゃんずるい!」
ぼふっと布団に倒れ込んでごろごろと上機嫌に転がる紫に、妹紅ちゃんが声を上げる。
紫もこの一年で少し背は伸びたけど、悪戯っ子な所はさっぱり変わらない。
今日はケイが呉服屋と共同で作り上げた洋服を着ている。
確か……ワンピース、だったかしら。
横文字は覚えるのが面倒なのよねぇ。
「ケイの観察してたんじゃないの?」
「おっと、そうだった。お兄さん、奈苗ちゃんのお墓参りに行くってさ」
「あら」
予想していなかった答えに驚きの声が漏れた。
もうそろそろかなとは思っていたけれど、存外早かったわね。
まぁ、何だかんだで奈苗の魂を取り込んだのをケイに伝えてなかったから私とは心構えが違うんでしょうけど。
…………皆に奈苗が生まれ変わった時にケイに伝えよう、って提案したら皆賛成してたし良いわよね。
うん、私は悪くない悪くない。
「何かまた碌でも無い事考えてそうだけどスルーするね。今お兄さんは霊霞と一緒に幽香の家へ進撃中だよー」
「幽香の家?」
「奈苗ちゃんの好きな花を咲かせてあげたいんだって。相変わらずお兄さんってロマンチックだよねー。そこが良いんだけど♪」
「成程ね。それならチルノと大ちゃんも一緒になりそうかしら」
ふむ、と一つ頷いて掛け布団や自家製タオルケットもぱぱっと放り込んでいく。
途中で小さく悲鳴が聞こえたのは気にしない。
「るーみあさん、こっちおわったよー」
「後は箪笥に仕舞うだけで……何です? このもごもご言ってる布団は」
「もごご……んっぷはぁ!」
「あ、ゆかりちゃん」
中途半端にタオルケットが絡んだらしく、顔だけ布団から外に出す紫。
額に汗を掻きながらぜーはーぜーはー息を吸い込むのはちょっと可愛いわね。
そこに隣の部屋で洗濯物を畳んでいた映姫が呆れ顔でやってくる。
「あー、空気が美味しい……」
「紫さん、遊んでいるくらいなら布団畳むの手伝ってください」
「違うよぉ! ルーミアに襲われてたの!」
ぼふぼふと布団を叩いて抗議する紫。
そんな様子が面白くて、つい笑みが零れた。
「さて、紫の反応も面白いけど遊んでないでちゃっちゃとケイの後でも追い掛けようかしら」
「ルーミアも酷い……」
「ゆかりちゃん、にぃにのあめだまあげるから、なかないで?」
「泣いてないやいっ。と言うか妹紅ちゃんまで私の扱いが雑になってる気がする」
「きのせいきのせい♪ はい、あーん」
「あーん……お、みかん味」
むー、とほっぺを飴玉で膨らませながら釈然としない顔でこっちを見てくる紫。
そんな様子にくすりと口を緩ませる妹紅ちゃんの後ろで、映姫が手早く掛け布団を畳んでいく。
働き者ねぇ。
紫を退けて敷布団を畳んで押入れに仕舞い、掛け布団もその上に乗せていく。
高さがそれなりに有るから、妹紅ちゃん達は取り出すのは出来ても仕舞うのは中々難しい。
最後に皆で箪笥に服を入れればおしまい。
「よし、お洗濯終了」
背筋を伸ばしてぐぐっと反ると、肘や肩甲骨がポキポキ鳴る。
身を屈める体勢が続くと固まっちゃうのよねぇ。
仕事が終わると妹紅ちゃんは直ぐに映姫と紫の手を引いて境内の方へ駆け出して行った。
ああ云う所を見ると、まだまだ遊びたい盛りの子供なのねと思い知らされる。
普段がしっかりものだからついつい頼っちゃうけど、本当はもっと私達大人がしっかりしないといけないのよね。
……ま、我らが望月家に立派な大人なんて数える程しか居ないんだけど。
家長のケイからして適当だものねぇ、と考えた所で思わず苦笑が漏れる。
「およ、どったのルー子?」
ぺたぺたと廊下を鳴らしながら、ケロ子がひょっこり顔を覗かせる。
「あぁ、ちょっとケイの事を考えててね」
「契の事?」
「妹紅ちゃんはしっかりものなのに、ケイはあんまりしっかりしてないなぁ、ってね」
「そうかな? ご飯も美味しいし里の皆からの評判も良いけど」
「普段はね。でもちょいちょい『やらかす』でしょ? 鉄砲水に飲まれたり、突然転移したり。下半身的な意味でヤラかす事はもっと多いけど」
「あー……まぁ、うん」
「或る意味ではしっかりしているのかしらね?」
「だねぇ。全く、こんなに可愛い諏訪子ちゃんが居ながら次々と女の子を毒牙に掛けて」
「前回は文・ぬえ・響子・小傘・ナズーリンの五人だったかしら?」
「今の所はね。お寺の連中はまだ然程影響を受けてないみたいだけど、果たして如何なる事やら」
困惑半分呆れ半分な様子で微妙な笑みを浮かべるケロ子。
さもありなん、ケイが自分から何かしようとすると大抵女の子を引っ掛けてくる。
これだけ女の子を囲って置いて、更に新しい嫁候補を拾って来るのは純粋に凄いと思うけど。
「まぁ」
「でも」
「「そこが良いんだけどね」」
同じ感想が出て来た事に二人で笑い合う。
こうした反応になる辺り、私もケロ子もすっかりケイに堕とされてるわね。
「あぁそうだ、契なら霊霞と一緒に奈苗の墓参りに行ったよ」
「ええ、さっき紫から聴いたわ」
「そっか。しかしすっかり舎弟状態だねぇ」
「早く紫も私達を使う事を覚えたら良いんだけど」
「まだ変に遠慮しちゃってるのかね?」
「と言うよりは自分だけで如何にかしようと抱え込んじゃってるのよね。アレは一度大きく挫折して強かにならないとダメね、きっと」
「成程、これまた妙な所で頑固だ事」
やれやれと肩を竦めて見せるケロ子。
普段色々と気を回してくれるからこそ、紫の様子に気を揉んでいるのでしょうね。
一番近い所に居るケイは気付いているのか気付いてないのか、正しく普段通りにしか応じないし。
……ま、なるようになるでしょ。
「それじゃ、私も出掛けて来ようかしら」
「私はちみっこ達の面倒でも見てようかね」
「身長で見たら誰が保護者か解らないのが難点よね」
「それは言わない約束だぜぃ、おとっつぁん」
「誰がおとっつぁんよ」
ケロケロとご機嫌に笑いながら境内へ向かう背中を追い掛け、遊びに来ていた古明地スカーレット両姉妹にも行ってきますと手を振っていざ出発。
里を出て暫く道なりに進み、案内板が立っている所で小道へ入る。
以前に霊霞が使っていた庵へと続く道。
紫の能力で隠されていた通りも、今では鬼の手に依って歩き易く舗装されている。
風が葉を撫で擦る音を聴きながら行けば、木漏れ日の隙間から小鳥達の姿が時折覗く。
耳を澄ませば、鶯の鳴き声が遠く空から届いて来る。
何とも平和な山道を進んでいると、不意に木々が途切れた。
──何度見ても絶景よねぇ。
左右を薄に囲まれた小高い丘。
その先は崖とまでは行かないけれどそこそこ急な斜面になっていて、下には辺り一面桜の木が立ち並んでいる。
それらを見下ろす丘の上に、こじんまりとした墓が一つ。
あの下に、奈苗の遺骨が入っている。
本格的な冬が来る前にケイ自ら先頭に立って作り上げた墓。
あの時は木々も枯れていたし他を見る余裕も無かったから気付いて居なかったみたいだけど、私やケロ子や神奈子は密かに感心してたのよね。
誰に聴かされて居なくても、ちゃんとあの娘の好きな花で囲んであげてるって。
他の皆は知らない、私達家族だけのちょっとした秘密。
意識を飛ばして懐かしんでいる私の耳に、小さく声が届いた。
「……もう、一年以上も前か。ごめんな、待たせて」
奈苗の骸が眠るその墓の前に、身を屈め物思いに更ける彼の姿が有る。
どんな表情をしているのかは此処からだと見えないけれど、その声色は何処までも優しく温かい。
どくり、と胎の奥で熱が動く。
──悶えるくらいならさっさと受け入れて出てきなさいな。
無駄に存在を主張する愛し子に呆れを返しながら下腹部を撫でる。
あの後も幾度と無くケイと身体を重ねたのだから、この娘さえその気になれば何時でも受胎は出来た。
一度ケイの身体強化を全部破ったみたいだし、私も以前の力を取り戻してあらゆる点で強化されている。
前の様に卵子が犯されすぎて妊娠出来ない訳じゃない。
それなのにこの娘は嬉しいやら恥ずかしいやらで気持ちが常に振り切れてしまっている所為で、中々子宮へと降りて来ない。
出口付近で食い止めているのか他の卵子も出て来ない。
孕むんならとっとと孕みたいわ、と何とも微妙な心持になってしまったのは記憶に新しい。
『前は肉体同士で繋がってましたけど今の私は身体を抜け出し精神だけの存在になったと言っても過言ではありません! この私を隔てているのはこの小さな小さな卵子と言う細胞一つ! そんな私におとーさんの子種が文字通り四方八方かららぶらぶレイプを仕掛けて来るんですよ!? 赤ちゃんになっちゃおうぜグヘヘと無理矢理合体してくるんですよ!? そんなの何かもう……何かもう!! 堪らないじゃないですかムッハー!!』
とは、前に中々妊娠しない事に疑問を持った私がさとりに頼んで胎の中のこの娘の心を読んで貰った時の弁明。
肉体を失って囚われる物が無くなった所為か酷いはっちゃけっぷりだったのが印象深い。
死んだ魚の目をしながら通訳してくれたさとりには本当に申し訳無い事をしたわ。
と言うか堪らないのなら早い所レイプされて来なさいよ、と思う私は何処かおかしいのだろうか。
当人……当人? は明らかに凄まじいであろう体験を目の前に尻込みしてるみたいだけど。
──早くしないとまた新しい娘達にケイの左隣を奪われちゃうわよ?
右隣は私。
そこは譲れない。
そんな風に思考を飛ばしていると背後から複数の気配と何処かひんやりとした空気が近付いて来た。
音を立てない様に振り返れば、ふよふよと宙に浮いた状態でチルノがこっちに飛んでくる。
その後ろには大ちゃんと幽香、霊霞が居た。
振り返った私に、チルノが人差し指を口元で立ててしぃ~とジェスチャーを送る。
頷きを返すと満足げにニカッと笑って飛び付いて来た。
成程、ひんやりしてたのはチルノが居たからなのね。
さらさらの水色の髪を押し込む様にうりうりと撫で回しながら抱き締めると、擽ったそうにくねくねと身を捩る。
「悪い、待たせた。ってルーミアも来てたのか」
背後から声が掛かる。
振り返ればいつの間にか立ち上がっていたケイが優しげな顔付きで此方を見ていた。
いやぁ、何時見ても胸が高鳴るわねぇ。
にへらぁと相好を崩す私の横を通り抜けて、幽香が前に出る。
「もう良いの?」
「あぁ、漸く色々と受け止められたからな。それじゃ幽香、頼んだ」
「任されたわ」
短く言葉を交わして幽香がケイと入れ替わる様に墓の前まで進む。
……そう言えば幽香が能力を使う所、見た事が無いわね。
花達と会話出来るのは知ってるけど『花を操る程度の能力』については何も知らない。
いつの間にか隣に来ていた大ちゃんも取っ掴まえてむぎゅむぎゅしつつ、挙動を見守る。
「二人は幽香が能力使う所見た事あるの?」
「あるよー。こうね、花が一気にわぁーって!」
「自然ととても近しい妖精だからかも知れませんけど、体の奥から感動が湧き上がってくるんですよ!」
「おぉう。大ちゃんが此処までテンション上ってるのも珍しいわね」
「はい、もうすっごいんですよ!」
「すっごいんだよー!」
「なら楽しみに待って居ようかしら」
「ちょっと、無駄に妙な重圧掛けないでよ」
ジト目をちらりと此方に向けて来る。
やぁねぇ、ケイにフラワーマスターとまで評された幽香が今更緊張で失敗とかする訳無いじゃない。
表情に出ていたのか、幽香は私と視線を交わすとフッと小さく笑って前を向いた。
霊霞とケイも、表情は変えないけれど何処かそわそわした様子で待っている。
「────さぁ、咲きなさい。季節は貴方達のものよ」
瞬間。
ぶわりと世界が染まった。
「…………わぁ……っ!」
思わず、童女の様な歓声が零れていた。
遠く果て無き空の下に、桜色の海が広がっている。
風に波打つ花弁が、心ごと揺らし、寄せては返す。
「わぁ、わぁぁ……!」
「ねっねっ、すごいでしょ!?」
「ほらルーミアさん、もっと近くで見ましょう!」
両手に抱き付いたまま飛び跳ねる大ちゃんとチルノに引き摺られる様に、丘の上へ走る。
視界に飛び込んでくる、桜、桜、桜。
幾つかの蕾がはにかむ様に開いていたのが、今は枝さえ置き去りにして咲き誇っている。
濃密な色彩と自然の息吹にすっかりやられてしまった私は、暫くぼうっとその場で立ち尽くしていた。
知らず、涙が零れ落ちる。
「本当に……凄いわね」
「ねー。あたいはサイキョーのつもりだったけど、こればっかりは幽香に敵わないよ」
「あれ、ルーミアさん泣いてる?」
「えぇ、余りの凄さに何だか涙が出ちゃった。感動すると理由が解らなくても泣けて来ちゃうのね」
「あはは、ルーミアも一緒だね! あたいも大ちゃんも、最初見た時はおんなじ様に泣いちゃったんだよ」
右腕をチルノが解放してくれたから、そのまま袖でぐしぐしと涙を拭う。
興奮と歓喜がごちゃまぜになって、胸の奥で熱く渦巻いている。
でも、この感情を如何処理して良いのか解らない。
そうして溢れ出たのが、きっとさっきの涙ね。
すぅ、と一度深く息を吸い込み、吐く。
春の香りが胸一杯に広がって行き、訳も無く嬉しくなってくる。
「ふふ、自然ってとっても素敵でしょう?」
楽しげに弾んだ声。
隣で頬を軽く紅潮させた幽香が笑みを浮かべて桜の海を眺めている。
お互いに視線を前に向けたまま、言葉を交わす。
「えぇ、何て言うか……とっても凄いわ」
「あははは、ルーミアさっきからすごいしか言ってないよ?」
「だってこんなに……凄いじゃない! あぁもう、自分の語彙の少なさが恨めしいわ!」
チルノの指摘を受けて考えてみたけど、本当に凄いの一言しか出て来なかった。
こんな事なら私も妹紅ちゃんと一緒に勉強した方が良かったかしら?
そう思っていると、幽香がくすりと可愛らしく笑った。
「それで良いのよ」
「え?」
「色々な花を見て来た私は、少なくとも皆より自然の造詣を評する言葉を多く知っている心算。それでも、こうした光景を前にして『凄い』以上の言葉は出て来ないわ。本当に凄いって感じた時は、とても単純な言葉以外出て来なくなるものなのよ」
「そっか……そう言うものなのね」
言われて納得した。
これまでに綺麗な景色を見る機会はたくさん有ったけど、色んな言葉が出て来る内はまだまだ余裕が有った気がする。
今みたいに、頭も心も感動で埋め尽くされる事は無かった。
成程成程と深く感心していた所で、とくりと胎の奥が小さく身動ぎした。
そう言えば私の身体を介してこの娘も外の様子を知覚する事が出来たんだっけ、と今更ながら思い出す。
それと同時に、小さく、声が届いた。
「奈苗も……この景色を見て喜んでくれただろうか」
ケイの声だ。
振り返った直ぐ先で、何処か泣きそうな顔で俯いている。
その後ろで、霊霞が何かを言い掛けて、でも言えずに口を引き結んでいた。
霊霞は自分の勝手な都合や感情で、他の誰かの考えを語るのが何よりも嫌いな娘だ。
きっと『奈苗が如何考えているかも解らないのに、私が勝手な想像で代弁する訳には行かない』とでも考えているに違いない。
だから、私は口を開く。
世界で唯一、この娘の心が解るから。
「勿論。大喜びよ」
その言葉に反応を見せたのは二人。
ケイは弾かれた様に顔を上げ、霊霞は僅かに目を見開くと深々とお辞儀して見せた。
「奈苗は……俺を許してくれるだろうか」
「許すも何も、最初から怒ったり恨んだりなんかしてないわよ」
「……俺は。前に進んで良いんだろうか」
「当たり前でしょ。奈苗は、ずっと先の未来で、またケイが迎えに来てくれるのを待ってるわよ」
──そうでしょ、奈苗?
どくん、と跳ねる様に力強い答えが返ってくる。
「…………そっか」
たった一言。
それだけ呟いてケイは笑った。
涙を零して顔をくしゃくしゃにして。
みっともないヘタクソな笑い顔だったけど。
ちゃんと笑っていた。
……もう、ケイは大丈夫ね。
視線をもう一度前に戻す。
澄み渡る空の下を、桜色の海が遠く広がっている。
この景色を刻み付けながら、口には出さない声を掛ける。
──待ってるわよ。
どくんともう一度、力強く答えが返る。
春の風が、吹き渡っていた。