第15話 流れる噂と嘘と水
Z.E. 428年 2月14日 午後7時00分
倭国、アカツキ島、港郊外の砂浜。
海水を汲み上げるポンプの駆動音が響く中、波打ち際に駐機したレッドホーンAPの周囲は、撤収作業の慌ただしさに包まれていた。
本来ならば、指揮官らは拠点となる【旧第三貯蔵区画の廃墟】へ戻る時間だが、今は事情が違っていた。
あの廃墟は瓦礫の山で、電気も水道も通っていない。
ゆえに、インフラが生きているこの機体が、事実上の移動基地兼宿舎として機能せざるを得なかった。
一階格納庫から伸びる内階段(タラップ)を、大きな荷物を背負ったセナがよろめきながら登ってくる。
その後ろから、ヨウコがその背中をグイグイと押していた。
「ちょ、ちょっとヨウコさん! 押さないでください、落ちます!」
「だーから、セナが荷物持ちすぎなんだって! 夜逃げじゃないんだからさぁ……ま、しばらくここが【家】になるのは間違いないけど」
「備えあれば患いなし、です! それにこれは必需品で……」
騒がしい二人の後ろから、アカネが呆れたように肩をすくめて続いてくる。
三人が二階の中央通路へと上がると、前方区画から出てきたところだった。
「おう、来たか。俺はこれからシャワーを浴びに行くが、2000(フタマルマルマル)にはここを出て、廃墟の拠点に帰還するからな。
それまでに急いで身支度を済ませろ」
ドレンはすれ違いざまにそう指示を飛ばす。
「了解です、特務少尉!」
セナが慌てて答えるが、ドレンは機体後方にある水回り区画に向かう。
レッドホーンAPの構造は、二階建て構造となっており、一階が格納庫、二階前方がコクピットやオペレーター室がある区画で、中央部は中央吹き抜けの狭い通路に壁面埋め込み二段ベッドとハンモックが犇(ひし)めく居住区。
二階後方に水回り区画があり、奥に向かって右手にシャワー、洗濯機。左手にキッチン、トイレとなっていた。
三人はそれを見送りつつ、ドレンの指示に従い、左舷側の通路兼居住スペースへと向かう。
そこにはラックとハンモックが設置されていた。
ヨウコとアカネは手慣れた様子でハンモックを吊るし始める。
「自分、ここにするっスねー」
ヨウコは早々に場所を決めると、すぐに軍服のボタンを外し始めた。機内に入った途端、窮屈な服を脱ぎたくなるのが彼女の悪癖だ。
一方、セナだけは背負ってきた巨大な袋を開け、中身をラックに並べ始めた。
「……うわっ、セナっち。なにそれ!」
下着姿になったヨウコが目を丸くする。
セナが取り出したのは、繊細な彫金が施された銀製のティーセットと、洒落たアロマポットだった。
無骨な鉄と油の匂いが染みついたこのゾイドの中には、あまりにも不釣り合いな品々だ。
「精神の安定には、適切なリラクゼーションが必要です。
このアロマと、お気に入りの茶葉があれば、どんな戦場でも……あ」
セナの手が止まる。
ポットの中や、別の小袋を探るが、彼女の表情が次第に曇っていく。
「……茶葉が、ないですよね。わかってます、ないのは……」
ガックリと項垂れるセナに、アカネが深いため息をついた。
「はぁ……。ないものねだりね。
ここは戦場なんだから、お貴族様のお茶会でもあるまいし。泥水啜って生き延びる場所で、そんな上等なもんが手に入るわけないでしょ」
「……すみません。片付けます」
セナはしょんぼりと肩を落とし、銀食器を箱に戻してラックへと押し込んだ。
Z.E. 428年 2月14日 午後7時20分
タラップを登ってくる、規則正しい軍靴の音が響く。
ミサト・カグラ曹長が戻ってきたのだ。
それと入れ違いに、シャワーを終えたドレンが戻ってくる。
その手にドレンは洗濯物を抱えていた。
「おう、カグラ曹長」
ドレンが声をかけるが、ミサトは冷ややかな視線を一瞥させただけだった。
「ああ。……アサクラ特務少尉、シャワーを使わせてもらうが、順番などを調整してくれ」
「わかったよ。俺はもう済ませた。カグラ曹長が先だ。
その後、そこの三人が使えばいい」
ドレンがそう言うと、遠目に見聞きしていたセナ達は同意するような仕草をみせた。
話は終わったと、ドレンがコクピットのある前方区画へと向かう、途中レイラ・ラミレスがやってきて短いやり取りをすると、ドレンから洗濯ものを預かっていた。
ミサトは自分のハンモックに行くと、ラックから着替えや洗面用具の入った綺麗な袋をとりだすと、後方のシャワー室へ向かう。
その進行方向には、狭い通路にハンモックがぶら下がり、セナ達三人組がぶら下がっていた。
「お疲れ様です! 戦術指導官殿!」
ヨウコの挨拶にミサトは彼女たちを、教師が生徒を見るような――いや、もっと冷徹な、品定めをするような目で一瞥した。
「……ご苦労。
水には限りがある。まだ給水中であるしタンクは一杯になっているが、無駄遣いは厳禁だ。
それと、騒ぐな。ここは軍の施設だということを忘れるなよ」
「了解っス」
ヨウコが軽く手を挙げる。その軽い返事にミサトは眉をひそめたが、今は時間を優先してスルーした。
しばらくして、機内と機外からドレンの声が響く。
<総員に通達。これより撤収準備を開始せよ。
各員、資材の固定と員数確認を行え。2000には移動を開始する。遅れる者は置いていく>
その頃ミサトは、機体後方水回り区画の通路奥にあるトイレに入った。
清潔に保たれた便座、そして操作パネル。
「……ほう。ウォシュレット完備か」
ミサトは感心したように呟く。
用を足し、快適なトイレを出ると、彼女は眉をひそめて立ち止まった。
目の前には、埋め込み式の洗濯機があり、その上では多脚小型作業機――ワークスパイダーが、カサカサと音を立てて待機している。
洗濯物を投入し、洗剤を入れる作業を補佐するために配置されているのだが、ミサトはその無機質な複眼と機械のアームを見つめ、手にした下着を握りしめた。
「……これに私の肌着を扱わせるの?」
生理的な嫌悪感が背筋を走る。
しかし、自分で手洗いする時間も場所もない。
彼女は意を決し、まるで汚物でも捨てるかのように素早く洗濯機へ放り込むと、逃げるように隣のシャワールームへと入った。
)
簡易シャワーのぬるい水が、ミサトの茶色い肌を滑り落ちていく。
彼女は眼鏡を外し、鏡に映る自分の肢体を見つめた。
昼間、ドレン・アサクラに向けた冷徹な表情はそこにはない。あるのは、熱っぽい吐息をもらす一人の女の顔だ。
「……野蛮人。教養のかけらもない……」
口では罵りながらも、彼女の手は自身の豊かな胸や、引き締まった尻へと這っていく。
脳裏に浮かぶのは、昼間、ドレンがアカネの頭を粗雑に撫でていたあの大きな手だ。
もし、あの手が自分に向けられたら?
(……想像しなさい。教範(マニュアル)なんて通用しない、圧倒的な暴力)
薄暗い尋問室。 後ろ手に手錠をかけられ、冷たい床に転がされる自分。
見下ろしているのは、侮蔑の目を向けたドレンだ。
『エリート様が、無様な格好だな』
「……っ、やめ、て……私は、上官よ……!」
抵抗する言葉とは裏腹に、心臓が早鐘を打つ。
ドレンの軍靴が、自分の太ももを踏みつける。 痛い。屈辱的だ。……最高だ。
『口答えする口はここか? 教育が必要だな』
彼の手が振り上げられる。乾いた音と共に、尻に走る鋭い痛み。
スパンキング。痛みで思考が真っ白になる。
教範も、階級も、プライドも、全てが弾け飛び、ただ「許しを請う だけの生き物」に落とされる快感。
『泣いて謝れ。ご主人様、許してくださいとな』
「……あっ、んぅ……ッ!」
ミサトはシャワーの壁に手をつき、小さく背中を反らせた。
熱い塊が下腹部を駆け抜け、彼女の理性を一瞬だけ焼き尽くす。
虫族特有の冷たい肌が、今は上気して桜色に染まっていた。
「……はぁ、はぁ……」
荒い息を整えながら、ミサトは再び冷水を頭から被った。
熱を強制的に冷却し、いつもの「鉄仮面」を貼り直す。
「……最低だわ。不潔極まりない」
誰に向けたともしれない罵倒を呟き、彼女は自身の頬をパシン、と軽く叩いた。
シャワー室を出る頃には、彼女は再び【隙のないミサト・カグラ曹長】に戻っていた。
ただ、その瞳の奥に、ドレンへの歪んだ執着を隠して。
Z.E. 428年 2月14日 午後7時25分
ドレンが通路で端末をチェックしていると、タラップを優雅に登ってくる人物がいた。
カエデ・フジエダ少佐だ。
給水状況の確認に来た彼女は、夜の蒸し暑さを感じさせない涼しげな顔で、セナたちの元へ歩み寄る。
「ごきげんよう、皆さん。給水作業は順調かしら?」
「カエデ少佐! お疲れ様です!」
セナたちが敬礼する。
カエデの視線が、ラックの奥に押し込まれた銀色の輝き――ティーセットに止まった。
「あら? 素敵な趣味ね。でも、中身が空っぽじゃ意味がないわ」
カエデは微笑むと、持っていた小さな包みをセナに差し出した。
「これ、使いなさい。将校用の特級合成茶葉(ハーブティー)よ」
「えっ、い、いいんですか!?」
「ええ。軍の広告塔である貴方の顔色を良く保つのも、補給課の任務のうちよ」
「ありがとうございます!」
セナは宝物でも受け取るように、その包みを胸に抱いた。
入れ替わりで、シャワーを終えたミサトが出てくる。
濡れた髪をかき上げ、ラフな格好になった彼女は、まだ業務中とは思えないほど無防備な姿だったが、その目は鋭く光っていた。
「……次は貴様たちの番だ。さっさと入ってこい」
そう言い残すと、ミサトはカエデと目配せをし、そのまま前方のオペレーター室へと消えていった。
彼女にはまだ、ドレンの通信ログを監視し、第三開発部経由で提出するデータを確認するという裏の任務が残っている。
だが、狭い通路はカエデとの会話で盛り上がるセナたちと、彼女たちが吊るしたハンモックで塞がれていた。
「……邪魔だ。通るぞ」
ミサトは舌打ちを堪え、垂れ下がるハンモックの網を手で乱暴に払い、セナたちの隙間を縫うようにして強引に通路を進んでいった。
「ほら、行くよセナ、アカネ!」
ヨウコに急かされ、三人は後方のシャワー室へと向かった。
そこは【部屋】と呼ぶにはあまりに簡素な作りだった。
通路の一角にFRP製の箱が置かれ、入り口には薄いビニールカーテンが垂れ下がっているだけ。脱衣所などという洒落たものはない。
カーテンの手前に小さな金属製のスノコが敷かれているだけで、そこが着替えスペースだ。
「うわ、マジっすか。ここ通路から丸見えじゃん」
ヨウコがニヤリと笑う。
「三人バラバラに入ってたら時間ないし、まとめて入っちゃおうよ! どうせ隠す場所もないんだし!」
「ええっ!? 狭くないですか?」
「交代で洗えばなんとかなるって! ほら、脱いだ脱いだ!」
ヨウコは躊躇なく服を脱ぎ捨て、健康的な褐色の肌を晒す。
セナも恥ずかしそうにしながら、制服のボタンを外し始めた。
「……はぁ。仕方ないわね」
アカネも諦めて服を脱ぎ始める。
その肌に、衣服の跡がくっきりと残っているのをヨウコが見逃さなかった。
「うわ、アカネちゃん、下着の跡すごいじゃん。
そんなキツいの着て苦しくないの?」
「う……るさいわね。これが落ち着くのよ」
アカネは顔を赤らめ、手早く下着を脱ぎ捨てると、タオルで体を隠した。
狭いシャワーブースに入れるのは一人だけだ。
まずはセナが中に入り、シャワーを使い始めた。
「あ、温かい……幸せです……」
カーテン越しに漏れるお湯の音を聞きながら、ヨウコとアカネは通路のスノコで待機する。
やがてセナが出てきて、交代でアカネが入った。
中からお湯の音がし始めると、カーテンの隙間からヨウコが忍び寄る。
むにゅ、とヨウコの手が、アカネの腰回りを無遠慮に触った。
「っ!? ちょ、ヨウコ!」
「いやー、やっぱ海族(マリナー)の肌ってスベスベしてて気持ちいいなーって」
ヨウコは悪びれもせず、さらに体を密着させてくる。
「ねえねえ、アカネちゃん。
部隊の中で噂になってるんだけどさ……昨日の夜、ドレンちゃんとなんかあった?」
唐突な問いに、アカネの体が強張る。
「……は? 何言ってんのよ」
「だってさー、昨日のあの廃墟、めっちゃ『匂い』したらしいじゃん?
海族特有のあの甘い匂い……アカネちゃん、発情してたんでしょ?」
「なっ……!?」
ヨウコの爆弾発言に、スノコで体を拭いていたセナが勢いよく振り返った。
「えっ!? そうなんですかアカネさん!?」
セナの目はランランと輝いている。
その拍子にセナの手がカーテンに触れ、シャッ!と勢いよく開いてしまった。
「ち、違うわよ! 海族なんて掃いて捨てるほどいるでしょ!?
そいつらの誰かでしょ、きっと!」
アカネは必死に否定しながら、慌ててカーテンを閉める。
「ほら、開けないでよ! ここ脱衣所ないんだから!」
「むぐぐ……でも気になるんです!」
シャワーを終えたアカネが出てくると、逃げるようにスノコの隅へ移動した。
「次は私が入るっす! 伍長特権を行使するであります!」
ヨウコが笑いながらブースに入ろうとするが、セナがまだしつこく聞いてくる。
「で、本当のところはどうなんですか? 特務少尉とは……」
「……セナっちは直球すぎるのよ。もうちょっと空気読みなさい」
アカネはタオルで体を隠しながらぼやく。
ブースに入ったヨウコが、カーテンの隙間から顔を出してニヤリと笑った。
「でもさー、やっぱいい肌してるよね。この吸い付く感じ、男なら放っておかないと思うけどなー」
「……アンタねぇ」
その時、ヨウコがいきなりシャワーカーテンを全開にした。
「えいっ!」
「わっ!?」
スノコで体を拭いていたアカネとセナは、無防備な姿を通路に晒される。
アカネはとっさに落ちていたシャワーヘッドを拾い、ヨウコに向けた。
バシャッ!
「うわっ、冷たっ!」
冷水を浴びたヨウコが悲鳴を上げる隙に、アカネは素早くカーテンを閉める。
スノコの上では、セナが濡れた黒髪をタオルで無造作に拭いていた。
水を含んで重くなったボブカットの隙間から、普段は隠している鮮やかな「水色(シアン)」のインナーカラーが覗き、青磁のように滑らかな肌に張り付いている。
彼女は話に夢中になるあまり、下着をつけるのを忘れてタオル一枚で涼んでいた。
「あ、私ったら……」
そこへヨウコが濡れ鼠になって飛び出してくる。
あられもない姿の二人が狭い通路で顔を見合わせ、現場はカオスな状態になった。
やがて、全員が洗い終わり、アカネがヨウコの頭に拳骨を落とす。
「はい、そこどいて!」
アカネは呆けたままのセナに自分の服を投げつけた。
「ササツカ中尉! いつまで裸でいる気ですか! 風邪引きますよ!」
「は、はいっ!」
三人は通路で急いで着替えを始めた。
Z.E. 428年 2月14日 午後7時40分
着替え中、セナがおずおずとアカネに尋ねた。
「あの……やっぱり、その……されたんですか?」
上目遣いの視線に、アカネは視線を逸らす。
「……さあね。ご想像にお任せするわ」
肯定も否定もしないその態度が、逆にセナの想像を掻き立てたようだった。
やがてヨウコが着替え終わる。
彼女は下着もつけず、素肌の上に直接オーバーサイズシャツを羽織っただけの姿だった。
「ふー、さっぱりしたー! やっぱシャワーは最高っスね!」
胸元が大きく開いたその姿に、セナが目のやり場に困っていると、通路の向こうからラミレス姉妹がやってきた。
二人は空のカゴを持っていた。
すぐ隣にある洗濯機で、三人が入浴している間に服を洗うためだ。
「あの……お洗濯物、預かります」
姉のレイラがぶっきらぼうに言い、妹のレイシーがカゴを差し出す。
アカネたちが脱ぎ捨てた服をカゴに入れ、二人は洗濯機のボタンを操作し始めた。
同じ後方区画、右舷側には埋め込みベッドで眠るニルスの姿があった。
姉妹は彼を起こさないように小声で話しながら、洗い終わった別の洗濯物を干していく。
「……ねえ、お姉ちゃん」
レイシーが、アカネのシャツをワイヤーと手すりにかけながら囁く。
「さっき、ナシザキさんの首、見た?」
「ああ。……無かったな、首輪」
レイラの手が止まる。
昨日まで自分たちと同じ犯罪奴隷の証が嵌められていたはずの首は、今は何もない綺麗な状態だった。
「なんで……たった一日で……」
「……昨日の夜、あの二人のテントから匂いがしてたって話、本当かもな」
レイラはニルスの方をちらりと見た。
「体を張って、気に入られた。……だから【軍曹】なんて階級まで貰って、首輪も外れた」
「じゃあ、私たちも……?」
「……わかんない。でも、チャンスはあるってことだよ。
私たちだって、肉体的にも精神的にも、あの人に気に入られれば……あるいは」
レイラの瞳に、暗い野心の光が宿る。
その時、手元から濡れたタオルが滑り落ち、床に湿った音を立てた。
一方、左舷側のハンモックでは、セナたちがくつろいでいた。
揺れる布に身を預けながら、セナがふと思い出したように口を開く。
「そういえば、お昼の時に話してたことなんですけど……」
「ん?」
「アカネさんが犯罪奴隷から戻れた理由……やっぱり、特別な何かがあったんですか?」
アカネの眉がピクリと動く。
ここ(居住区)はまずい。
アカネは周囲を見回すと、指を口に当てて「シーッ」と合図した。
「……ここでは話せないわ。ちょっと来て」
「え?」
「いいから」
アカネはセナの手を引き、ヨウコにも目で合図を送る。
連れて行かれたのは、二階前方にある備品庫だった。
本来は予備パーツなどが置かれている場所だが、今は簡易的な執務スペースとして使われている。
アカネは二人を中に入れると、重厚な防音扉を閉め、内側からロックを掛けた。
「さっきの場所、カーテン一枚もないのよ。筒抜けもいいところだわ」
「でも、周りには誰も……」
「いないように見えても、こいつは居住性なんて二の次の【赤い陸上戦艦(レッド・ランドシップ)】の中に、プライバシーなんて上等なものがあると思ってるの?
こいつは外見こそ立派なゾイドだけど、居住性はスラムの集合住宅並みなの。
配管やダクトを通せば話し声なんてどこまで響くか分からない。
どこに耳があるか分かったもんじゃないわ」
アカネの低い声が、狭い執務室に反響する。
セナは気圧され、身を縮こまらせた。
「ご、ごめんなさい……そこまで考えてなくて」
「はぁ……。気をつけてよ、それが命取りになることもあるわよ」
アカネは乱暴に頭をかくと、パイプ椅子を引き寄せ、ドカッと腰を下ろした。
そのままセナとヨウコに向かい、足を組む。
「で? わざわざ場所を変えてまで、何が聞きたかったの」
セナはどう切り出すかわからなくなり、しばらく沈黙が支配した。
「アカネさ、最初にあった時に犯罪奴隷だったじゃん。
いま、どうなっちゃってるの?」
沈黙を破ったのは、ヨウコだった。
その言葉に、アカネは深い溜息を吐く。
「……原因は、明日合流する傭兵よ」
アカネは一つ息を吐くと、声を一段低くした。
「あいつらは、共和国と二つの帝国……それが送り込んだスパイよ」
「えっ……!?」
予想だにしなかった言葉に、セナは思わず声を上げそうになる。
「しっ、声が大きい」
「ご、ごめんなさい。でも……」
「文字通りの意味よ。
あいつらは金次第でどちらにも情報を流すし、どちらの命令でも動く。そういう手合い」
アカネはモニターの明かりを指先でなぞりながら、自身の胸元を指差した。
「私は昔、沿岸警備隊にいたの。
その経歴(キャリア)を買われて、機密を奪われないように奴等の【見張り】を任されてるってわけ」
「見張り……それが、アカネさんの今の任務……」
「そ。だから、あいつが妙な動きをしないか常に目を光らせてなきゃいけないの」
セナとヨウコは顔を見合わせた。ただの部隊の仲間だと思っていた人物が、監視対象の危険人物だったとは。
「いい、セナちゃん。
この事実は、第五開発部の副指令と、あとは特務少尉くらいしか知らない極秘事項よ。
トップシークレット。だから絶対に他言無用。いいわね?」
「は、はい。誰にも言いません」
「それと」
アカネは釘を刺すように、鋭い瞳でセナを見据えた。
「特務少尉には私から話を通しておくから。貴女からは迂闊に聞かないこと。下手に探りを入れると、ボロが出るわよ」
その言葉に、ヨウコも頷いていた。
一通りの説明を終えると、アカネはパンッ、と一度手を叩いて空気を変えた。
張り詰めていた表情を崩し、いつもの飄々とした笑顔を貼り付ける。
「はい、これにて深刻な話はおしまい! 移動の準備しましょ、帰ったら食事が待っているわ。
ヨウコは下着位着なさい、その格好でゾイドに乗る気?」
「えっ、あ、はい……」
「あ、忘れてた……」
「ほら、さっさと行く」
戸惑うセナとヨウコの背中を押し、執務室から追い出す。
重厚な扉を閉め、ロックを解除して通路へと出る。
前を歩く二人の背中は、どこか頼りなく、そして眩しいほどに無垢だった。
(……ごめんなさい)
その無垢さが、今の私(あたし)には恐ろしい。
あなたたちといると、自分の全てが否定され、奪われてしまう気がするから。
いつ死刑になるか、犯罪奴隷として最悪の掃き溜めに行くことになるか……そんな恐怖は、あの子たちには無縁だろう。
詳しくは言えないけれど、今の私に物理的に首輪はない。
私を縛り、生かしてくれるのは【あの人】だけ。
私はやましいことなんてしていない。泥水でも泥でも啜って、あの人の番犬として生き残って、絶対に自由を手にいれるんだから。
執務室を出ると、ちょうどコクピットから戻ってきたドレンとすれ違った。
「お、終わったか。
すぐにあの廃墟に戻るから、お前たちも自分のゾイドの移動準備をやれよ。
帰ったら夕食だ」
執務室を使っていたのはドレンに認識されていたようで、アカネが出て来ても言葉を投げかけられただけで驚かれなかった。
ドレンはそのままコクピットへと入っていく。
「了解です、特務少尉」
アカネは短く答え、敬礼を返した。
誰もいなくなったコクピットで、ドレンはふと内部監視モニターに目をやった。
そこには、シャワーを終えたばかりのセナたちが、通路で着替えながらふざけ合っている様子が映し出されていた。
下着姿で騒ぐセナと、あろうことかシャツ一枚で尻を突き出しながら笑っているヨウコ。
「……平和なもんだ」
ドレンは呆れたように溜息を吐くと、モニターのスイッチを切った。
暗転した画面に、自分の顔が映り込む。
彼は深くシートに体を沈め、静かに目を閉じた。
Z.E. 428年 2月14日 午後7時55分
レッドホーンAPのエンジンが重低音を響かせ、巨大な車体が動き出す。
第五開発部の第五一大隊五〇一実験中隊は、一日の給水任務を終え、拠点となる【旧第三貯蔵区画の廃墟】へと帰還の途についた。
夜の闇の中、彼女たちの長い一日はまだ終わらない。