戦治郎と毅が再会を果たしてからしばらく時間が経過したところで、先程教室から出て行った香取が戻って来るなり候補生は訓練用のグラウンドに集合する様にと指示を出し、それを聞いた戦治郎を含む候補生達は、グラウンドに向かってゾロゾロと移動を開始する
「あ~……、早く入学式終わんねぇかな~……?俺、今日入学式って事で興奮しちまって3時間くらいしか寝てなくてめっちゃ眠いんだよな~……」
「興奮して眠れなかったとか、遠足前の小学生かよw」
「って言うかさ、何で態々校内の案内とかするのよ~……。私入学式前にこっち来て先に色んなとこ見て回ったから、もう何処に何があるか全部分かるっての~……」
「あたしもあたしも~、あたしとかもう軍学マスターってレベルだから、今更校内案内とかいらないし~」
移動中、候補生達が気だるげにこの様な会話を交わしている中、戦治郎と毅の2人だけは渋い表情をその顔に貼り付けながら、他の候補生達の様子を眺めていたのであった
「……あいつらは気楽なもんだな~……、ありゃこれから何が起こるか全く知らないって感じだわ……」
「……そう言うおめぇは、教官達が何企んでるか分かってるのか?」
そんな中、毅が不意にこの様な事を口にし、それを聞いた戦治郎はやや間を空けながら毅に向かってそう尋ねる
「実は俺んちの近所に軍学中退したって人がいてな、俺が提督目指す事にしたっての知るや否や、その人が色々教えてくれたんだわ……。この後何が起こるかとかについても、な……」
「なる、まあ俺もとある伝手でその事聞いてたんだけどな」
「何だ、お前も知ってたのか……」
「まあな、って言うか前情報持ちは俺達だけじゃないっぽいけどな……」
2人がこの様なやり取りを交わした後、戦治郎がこの様な事を口にしながらチラリと他の候補生の方へ視線を向け、それに倣ってそちらに視線を向けた毅の目には、多くの候補生達が手ぶらでグラウンドに向かう中、極僅かではあるが何か荷物が入ったカバンを手にした候補生や、リュックサックを背負った候補生の姿が映るのであった……
「提督候補生の皆さんには、体力テストの為にこれからこの1周400mのグラウンドを25周ほど走ってもらいます」
戦治郎達提督候補生5クラス分、計200人が予定通りグラウンドに到着し、クラス毎に整列し終えて自分達の前に立つ香取の話を聞く体勢になったその直後、香取はしれっとこの様な言葉を口にし、それを聞いた提督候補生達は一斉に騒めき始めるのであった
そう、先程戦治郎達が言っていた事は正にこの事、毎年入学式終了直後に行われる事になっている体力テストの事だったのである
入試の中に体力テストが入っていなかったのは、正にこの時の為だったのである
何故この様な形で体力テストが行われるかに関しては、入試を終えたからと言って提督と言う軍人になると言う自覚を忘れ、緊張感を解いて自堕落な生活を送って軍隊に必要な体力を落とした者を弾き、提督になる自覚を持ってこの時まで己を鍛え上げて来た者達だけを候補生として改めて軍学校に迎え入れ、立派な提督に育て上げ戦場に送り込んで活躍してもらう為である
又、このテストでは体力だけでなく、情報収集能力も試されていたりするのである
もし本気で提督になろうと思っている者ならば、軍学校とはどの様な場所であるかについて前もって情報収集を行い、この様な事があると事前に察知してそれに対して備える事が出来るはずなのである
他にも軍隊の入試であるにも関わらず、体力関係の試験が無かった事を怪訝に思った者なども、その理由を知る為にあらゆる手段を用いて情報収集を行い、体力テストが入学式の後に行われると言う情報を入手し、その対策を練る事が出来ると思われているからである
こう言った事情で体力テストが入学式の直後に行われている事を、香取が候補生達に伝えていた最中の事である
「……A組の最後尾の2人と、B組の最後尾の貴方……、私が話している最中に何をやっているのです……?」
「「えぁ?」」
「決まっています、体力テストの準備の為に動き易い服装に着替えているのです」
香取が話をしている最中、A組の最後尾にいた戦治郎と毅、そしてB組の最後尾にいた眼鏡の男性……、入試の時に戦治郎を鼻で笑った三原の3人が、突然制服を脱ぎ始めたのである。そんな3人の突拍子もない行動に、候補生の殆どが呆気に取られて立ち尽くし、香取が顔を顰めながら問題の3人にこの様な質問をすると、戦治郎と毅は間抜けな声で返事をし、三原は毅然とした態度でこの様に返答するのであった
「……そうですか、では話を続けます」
三原の返答を聞いた直後、香取はその表情をいつものものへと戻して話を続け、そのやり取りを見ていた候補生達は、誰もが素っ頓狂な行動を始めた3人に対しての香取の対応に驚き、盛大に困惑し始めるのであった……
それからしばらく香取の話が続き、ようやく話を終えた香取が候補生達に質問が無いか尋ねたところ……
「香取教官、私も体力テストの為に着替えたいのですが、一体何処で着替えればいいですか?」
恐らくジャージの様に運動し易い服が入っているであろうカバンを手にした女子の候補生が、挙手しながら香取に着替えする場所を尋ねると、香取はグラウンドの隅にあるロッカーがある小屋の方へと手にした教鞭を向けながら、そこで着替える様にと指示を出し、香取の言葉を聞いた女子が礼を述べた後ダッシュで小屋へ向かいだすと、他にもいたカバンやリュックを持った候補生達も、それに倣って小屋の方へと走り出すのであった
因みに、先程その場で着替え始めた3人の内の2人、毅と三原は着替え終わるなり荷物を預ける為に小屋の方へと向かい、残る戦治郎は体力テストの様子を見に来た教官達の中から大和を見つけ出すと、大和に自分の制服を預けて候補生達の列へと戻るのであった
尚、戦治郎の制服を預かった大和が、こっそりと制服のにおいを嗅いでいたのは此処だけの話である
それからすぐに香取が候補生達に他に質問が無いかと尋ね、今度は手ぶらの男子が教室に置いて来たカバンを取りに戻りたいと言うと……
「それは許可出来ません、着替えが必要になると分かっていながら、それを教室に置いて来るのは想定力不足、詰めが甘いと言わざるを得ません。よって教室に置いて来た着替えを取りに戻る事は許可出来ません」
香取はそう言ってその男子の申し出をハッキリと却下し、それを聞いた一部の候補生達は頭を抱えながら悲鳴の様な声を上げるのであった……
その後、着替えを終えた候補生達が列に戻ったところで、香取の合図によって体力テストが始まり、多くの候補生達が運動するのには不向きなやや重めの制服姿のままグラウンドを走り、その殆どが合格ラインを超える事が出来ずにテストを終え、次の日には合格ラインを超えられなかった事と、準備不足であった事を理由に軍学校から叩き出され、彼等は悔し涙を流す羽目となるのであった……
一方、紅葉や勉や三原など、前情報を基に入学式前に予め体力作りをしていた者達や、しっかりと着替えを準備していた者達は、問題なく合格ラインを超える記録を出し、改めて提督候補生として軍学校の関係者達に迎え入れられるのであった
因みに我らが戦治郎だが、ジャージの上からチャドルを着ると言う、明らかに走り難そうな格好をしておきながらも、勉強より体力作りを優先した毅を相手に迂闊者達と周回差をつけながらデッドヒートを繰り広げ、2人揃ってゴールすると毅とアイコンタクトを交わした後その場でジャンケンを開始し、そのジャンケンで負けてしまった事で惜しくも2位と言う結果で体力テストを終えていたりするのであった
尚、戦治郎達が香取の話の最中に着替え始めた理由だが、それはもしかしたら軍学校側が候補生達に着替える猶予すらも与えてくれないのではないかと予想し、それに備えた結果であり、その事は如何やら香取も気付いたらしく、だからこそあの様な対応をしたのだとか……
又、これは戦治郎達が軍学校を卒業する時に発覚した事だが、如何やら三原が戦治郎達の様な行動に走ったのは、彼の父であり後に先任となる現呉鎮守府の提督からの情報が原因だった模様……
戦治郎が言っていた伝手とは、勿論燎の事です